【ちぐはぐ日本史シリーズ】卑弥呼と邪馬台国を歴史から消したかった大和朝廷、そこには大和朝廷と邪馬台国連合の格闘があった。
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邪馬台国に君臨した当初から、彼女は非常に高齢だったと言われています。弥生人の平均寿命が四〇歳ぐらいだったらしいので、王位継承時に高齢だったということは、六〇歳ぐらいなんでしょうかね? 一説には七〇歳以上生きたとも言われます。
その彼女は人前に姿を見せることはほとんどありませんでした。女性ばかりの宮殿を作ってそこで暮らしたと伝えられます。
そんな得体のしれない存在だった卑弥呼。大国の女王だった彼女は、実は墓の所在さえはっきりしていません。それどころか、卑弥呼のことを記した歴史書は日本にはひとつもないのです。
弥生時代の出土品・銅鐸(どうたく)は、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅製の祭器で、二世紀代に盛んに創られ三世紀になると突然造られなくなるのだが、この時期が「鬼道(神道)」が旧来の信仰に取って代わる時期と重なっている。
弥生時代から古墳時代への転換期の様相を示すと言われる奈良・纒向(まきむく)遺跡から大量に出土した桃の種から、中華大陸・魏国から伝わったと想われる「き道(神道)の祭祀が行われた」と推測され、その祭祀を司(つかさど)ったのが「卑弥呼ではないか」と期待されている。
古事記・日本書紀編纂には、百五十年も二百年も或いはそれより以前の出来事を、皇統の正統性を強調する歴史伝承として編纂され、作為的に事実を歪曲(わいきょく)してしまう綺麗事が多い。
それでも卑弥呼について、辻褄合わせのほころびも神話の伝承には存在する。
天照大神(天照大御神)は「大日霊/おおひるめのむち」とも言う神名(異称)を持ち、天照大日霊女尊(あまてらすおおひるめのみこと)と言う言い方もある。
「記紀」を正確な歴史観として採用するには難がある。
天照大神(天照大御神)は「大日霊/おおひるめのむち」とも言う神名(異称)を持ち、天照大日霊女尊(あまてらすおおひるめのみこと)と言う意見もあり。
その、「大日霊/おおひるめのむち」の「おお」は尊称であり「ひるめ/日霊女」は「ひみこ」の事とされ「卑弥呼を指す」と言う解釈もある。