パナマのノリエガ将軍に拘禁40年(島田雄貴判決データ集:米マイアミ連邦地裁,1992年)
島田雄貴リーガルoffice判決データ集
1992年7月11日、米マイアミ連邦地裁
<パナマのノリエガ将軍に拘禁40年の判決、ノリエガ氏は即日控訴
米マイアミの連邦地裁は1992年7月10日、麻薬取引など8件の罪で有罪評決を受けたパナマの元最高実力者マヌエル・ノリエガ将軍(58)に対し、拘禁刑40年の量刑判決を言い渡した。被告側はこれを不服として同日、控訴した。外国の最高実力者だった人物が米国で実刑判決を受けるのは初めて。判決の前にノリエガ将軍は、逮捕されて以来初めて法廷で発言し、3時間にわたって起訴の不当性を訴えた。
ノリエガ将軍は1989年12月の米軍によるパナマ侵攻後、1990年1月に投降し、連邦地裁で審理を受けてきた。検察は、将軍が麻薬取引に携わり、密輸組織に中継基地を提供していた、など10件の罪で起訴。1991年9月から始まった公判では78人の証人を喚問する長期審理となったが、陪審は1992年4月、有罪の評決を下し、検察側は最高120年の量刑を求めていた。
ノリエガ将軍はこの日、軍服に身を包んで声明を読み上げ、米政府が政治的な目的で起訴に踏み切ったとスペイン語で主張し、無罪を訴えた。
ノリエガ将軍はその中で、米政府がニカラグア侵攻の口実を作るためにパナマ軍を使うよう将軍に要請したが、それを拒絶した、などと主張。レーガン、ブッシュ政権の中米政策に従わなかったため、米政府が政治的理由で逮捕した、と訴えた。また1984年に将軍が、麻薬組織をめぐる問題で交渉するためにキューバを訪問した、とする検察側冒頭陳述に対し、「実際はワシントンの要請に基づき、カストロ政権と米国の間にひそかに話し合いの窓口をつくるのが目的だった」と反論した。
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