太平洋戦争 第07巻|太平洋の島々
第二次世界大戦中の1942年1月23日には、オーストラリア軍と戦った末に日本軍が占領し、1942年11月20日着任した今村均陸軍大将などの指揮によって、東南方面への一大拠点が築かれる。
ラバウル航空隊の基地があり、連合軍側からは「ラバウル要塞」と呼ばれた。
日本軍の占領後は、陸海軍合わせて9万余の大軍が配置された。
日本軍は豊富な兵力と自給自足体制による食料の確保、そして堅固な要塞を築き上げていた。これをみた連合軍は、反攻にあたり頑強な抵抗が予想されるラバウルを占領せず包囲するにとどめた結果、終戦時まで日本軍が占領、保持することとなった。
なお、連合軍が1943年の夏以降に日本に対し反攻に出た時、ラバウルは補給線を切断され後方に取り残されている(飛び石作戦)。
その後も駐留していた日本軍は度重なる連合国軍による攻撃に耐えつつ、兵力を温存し洞窟陣地に篭もり武器を自作するなどし、食料や日用品の自給自足体制まで整え「籠城」を行った。
当時南東方面艦隊参謀長であった草鹿龍之介は、仮に連合国軍が大兵力で攻め寄せてきたとしても10万以上の大出血を強いたであろうと語っている。
(Wikipedia)