【ギリシャ軍歌】世に知られたるマケドニア【和訳字幕】
オッスオッス。今回もギリシャから。Μακεδονία ξακουστή (Famous Macedonia/世に知られたるマケドニア) という曲をひっぱってきました。なに、興味がない?それはすまんな。
ギリシャ領マケドニアの非公式な賛歌にあたるもので、マケドニア地方のラジオなんかでは今も流されているようです。
マケドニアといえば大王ことアレクサンドロス3世が収めたアルゲアス朝マケドニア王国が有名で、実際に一番の歌詞にアレクサンドロスの名もでてきます。
が、知ってる人は知っているといいますか、マケドニアと名のつく地域は現在のギリシャだけでなくブルガリア共和国内にも存在するほか、そのものずばりマケドニア共和国なる国家が存在します。この歌はそのへんの複雑な歴史を念頭において作られています。
一番に現れる「暴君」や「自由」はそれぞれオスマン帝国とその支配からの自由を指していると解釈するのが自然でしょうが、それを今のご時世に歌うとどういうニュアンスになるか…?
一応断っておきますが、本動画の作成に私の政治思想は一切関係ありません。
曲の背景(長くなります)
作曲時期は不明で、マケドニア地方の民族音楽を基にしていると言われています。作詞者もまた不明ですが、1910年代初頭であろうとのこと。
19世紀、バルカン諸国はオスマン帝国からの事実上の独立を勝ち取りつつあり、ギリシャもまた1829年にアドリアノープル条約によって独立が承認されギリシャ王国が建国されましたが、その領域はペロポネソス半島と本土の南側一部に限定されたもので、それ以外は依然としてオスマン帝国の支配を受けていました。露土戦争の結果(大国の陰謀が渦巻く中)、1881年にはテッサリア奪還に成功し、ギリシャ民族統一主義である『メガリ=イデア(Μεγάλη Ιδέα/偉大な思想)』運動を軸として1897年にはクレタ島の奪還を目指してオスマン帝国を殴りに行きますが、逆にシバき倒されしばらくは鳴りをひそめてしまいます(希土戦争)。そして、1912年には周辺諸国と同盟を結んでオスマン帝国に対抗し、マケドニア地方を割譲させることに成功しました。これがバルカン戦争ですが、セルビアとブルガリアも食指を動かし、マケドニア地方は3国で分割されました。これが概ね現在、マケドニアが各国に分かれている理由です。
前置きが長くなりましたが、この歌はバルカン戦争期にギリシャ軍で歌われたもので、言うなれば軍歌でもあるのですが、マケドニア地方の再統一を夢見る歌であり、これを今日のギリシャで歌うということは領土に対する潜在的野心をにおわせる挑戦的な意図を表すのです。
本動画の作成に私の政治思想は一切関係ありません。(大事なことなので二度言います)
マケドニアについて補足(歌にはあんまり関係ないので興味のある方だけ)
バルカン戦争は2つ存在し、1912年から1913年5月まで行われた第一次バルカン戦争ではオスマン帝国対バルカン同盟(セルビア、モンテネグロ、ブルガリア、ギリシャ)でしたが、講和条約であるロンドン条約ではアルバニアの独立が認められたことで、セルビアはアドリア海への出口を失いその代わりに中部マケドニアの領有を主張、ブルガリアはマケドニアの領有を主張した上にエーゲ海への出口を狙ってギリシャとの国境問題で揉めていました。さらにロンドン条約ではマケドニアの帰属が明確にされていなかったことに業を煮やしたブルガリアが6月にセルビアとギリシャへ侵攻します(第二次バルカン戦争)。なお、ブルガリアがマケドニアに固執するのは、1878年の露土戦争の講和条約であるサンステファノ条約に於いて、ブルガリアはマケドニア地方を含むブルガリア公国として半独立(名目上はオスマン帝国支配下の自治国)を果たすも、スラヴ系であるブルガリアを通してロシアがバルカンに影響力を及ぼすことを恐れた列強国によってベルリン会議が開かれ、ブルガリア公国からはマケドニアが取り上げられてしまったという過去があるからで、ギリシャが『メガリ=イデア』を唱えたのと同様に、ブルガリアはマケドニア奪還により『大ブルガリア』の成立を目論んでいました。しかしながら、秘密裡に協定を結んでいたセルビアとギリシャ、更には漁夫の利を狙ったルーマニアが参戦しブルガリアはあえなく敗北。マケドニア北東部(いわゆる「ピリン=マケドニア」で今でもブルガリア領です)のみを残して残りはセルビアとギリシャにとられてしまいました。ここでギリシャが確保したマケドニア地方というのが現在のギリシャ領マケドニアに相当します。
なお、ブルガリアはよほど悔しかったのか、第一次世界大戦では同じスラヴ系のセルビアを見捨てて中央同盟国の一員となるも敗戦。第二次世界大戦では再びドイツと組んで枢軸国となり、ユーゴスラヴィア(第一次世界大戦後、セルビアは周辺諸国とユーゴスラヴィア王国を成立させた)侵攻やギリシャ侵攻の後にはユーゴスラヴィア領マケドニアとギリシャ領マケドニアを併合して喜びの絶頂、さぞかしウキウキしたんだろうなぁと思いますが、ご存じの通り枢軸国が敗れるとブルガリアはこれらを放棄し、「ソ連16番目の共和国」と呼ばれるほどに忠実な社会主義国となりました。歴史の皮肉やね。
前述の通り、セルビアは第一次大戦後にユーゴスラヴィア王国を成立させますが、ドイツの侵攻を受けた後、チトー率いる共産主義パルチザンによって解放され、(国名は何度か変わってますが)ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国となります。これはソ連のように複数の構成共和国を持っていましたが、そのうちのひとつとしてマケドニア社会主義共和国が設置され、セルビアがかつて獲得したマケドニアの地では現地の南スラヴ人が「マケドニア人」という新たなアイデンティティに目覚め、ユーゴ解体時にはマケドニア共和国として独立を宣言し、今に至ります。
が、ギリシャ系ですらないスラヴ人が「マケドニア人」を名乗り、国名を「マケドニア」としていることに誰よりも腹を立てたのがギリシャです。本動画で使用している紋章はヴェルギナの太陽と呼ばれるもので、古代より続くマケドニアの象徴ですが、マケドニア共和国が似たようなデザインの国旗を制定していることについてもぶちキレてます。マケドニア共和国独立の時からギリシャは散々国名の変更を要請(というかほぼ要求)してきましたが、既にアイデンティティに目覚めたマケドニアが認めるわけもなく、現在でも少なからず揉めていると言われています。特に双方の国民感情は良好とはいえず、ギリシャ人は「スラヴ人のくせに」マケドニアを自称するマケドニア人を非難し、マケドニア人は「自らのアイデンティティを脅かす」ギリシャ人をよく思っていません。
本動画の作成に私の政治思想は一切関係ありません。(大事なことなのでry)