【日本語字幕】アイルランド音楽 “Come out ye Black and Tans”
お久しぶりだゾ。休日を利用してまたやってきた。
今回は初の英語の歌を訳してみた。ガバガバ英語力が露呈してしまうが、お気に入りの曲なので致し方なし。
今回の曲は1970年代に発表された Come out ye Black and Tans というアイルランドの反英歌。
Irish Descendants というカナダのグループ(メンバー全員がアイルランド系)の音源を採用。
曲の背景としては、1919年~1921年のアイルランド独立戦争にまつわるもので、Black and Tans とは当時のアイルランドで治安維持を担っていたイギリスの準軍事組織である。英国の人間が闊歩するアイルランドの街で父親が歌っていたことを回想するという内容。
歌詞については前述のとおり英語はアレなので表現などの解説はしないが、背景については以下のサイトに詳細な解説があったため引用して紹介する。
More lyrical badhistory in "Come Out Ye Black and Tans" from badhistory
なお、本曲は1970年代に Dominic Behan が作詞したもので、英国の歴史的背景を皮肉ったものであるが、厳密には歴史考証上不正確な箇所を含んでいることが上記のサイトで指摘されている。ちなみに、アイルランド国歌である A soldier’s song の作詞者Peader Kearney はDominicの叔父にあたる。
歌詞について
Loyal drums(王の太鼓)、loving English feet(愛すべき英国のアシ):早速投稿者の日本語力のなさが露呈してしまっているが、要はアイルランドのダブリンでも英国の太鼓(音楽)が鳴り響き、英国人もしくは Black and Tans が闊歩している様を表す。
Black and Tans:後述の通り、アイルランドの治安維持(反英活動の弾圧)を目的に設立された準軍事組織である。正式名称は Royal Irish Constabulary Special Reserve(王立アイルランド警察特別予備隊)であり、その名の通り警察組織の一部であるが、アイルランド独立戦争勃発後、反乱軍の攻撃に一般の警察官だけでは太刀打ちできなくなった警察は第一次世界大戦の退役軍人を雇用した。彼らが Black and Tans であり、黒と茶色の制服からその名がつけられたと言われている(ググっても白黒写真なのでよくわからん)。アイルランド独立(アイルランド自由国成立)後の1922年に解散した。
Flanders:ベルギーからオランダにかけての地名で、オランダ語ではフランデレン、フランス語ではフランドルという。ここでは第一次世界大戦の西部戦線のことであり、前述の通りB&Tの隊員が退役軍人であることを歌っている。
IRA:アイルランド共和軍(Irish Republican Army)の略。紛らわしい名前だがアイルランド国軍ではなく、反英闘争を行ったアイルランドの武装組織である。その始まりは19世紀中頃とされ、1919年に正式にアイルランド共和軍を名乗った。現在に至るまで様々な組織(直接の繋がりが薄い団体も)がこの名を名乗っており、アイルランドのテロ組織として冷戦期には様々なテロ事件を起こした。真のIRAと名乗る過激派が存在したが、彼らも現在では停戦を宣言し、活動は行われていない。歌詞では好意的に歌われているようだが、テロ行為を行っていたためアイルランド人の中でも評価が分かれる。
キルシャンドラ(Killeshandra):キラシャンドラ(Killashandra)とも。「古要塞の教会」を意味する Cill na Seanrátha が語源。そこでIRAに蹴散らされたという描写があるが、冒頭のサイト曰くアイルランド独立戦争中にキルシャンドラでそのような事実はないという。一方、キルマイケル(Kilmichael)という違う場所で、戦争中に英国の治安部隊17人を殺害する「戦果」を挙げていることからこれのことを言っているのではないかとしている。同サイトによれば、キルシャンドラが選ばれた理由はメロディーに対する語感のよさではないかとのこと。
Arabs:アラブ人のことであるが、1918年のアラブ反乱(オスマン帝国下のアラブ勢力が蜂起したもの)では英国軍はアラブ側を支援(アラビアのロレンスが有名)したためアラブ人と敵対したわけではない。1920年にイラクで反英蜂起が起きており、おそらくこれを指しているとされる。が、Black and Tans が設立された(=第一次大戦の帰還兵たちが雇用された)のは1919年であり、イラク蜂起の鎮圧に参加した兵士とBlack and Tansを結びつけるのはかなり無理があると思われる。
Two by two:このへんよく分からんので、英語に堪能な方がいればご教示ください。(事実上の和訳放棄)
Zulus:ズールー族。南アフリカ共和国で英国に反抗した集団であるが、ズールー王国と英国によるズールー戦争が起きたのは1879年のことで、当時20歳で従軍した兵士すら第一次世界大戦時には60歳近くなっていることから、これもBlack and Tans とは結びつかない。アラブ人の例同様に、英国がどれだけ各地の先住民族(アイルランド人も暗示)を虐げてきたかという例示であろう。
Parnell:19世紀の政治家、Charles Parnell のこと。遠縁に王族の血を引きながらもアイルランドの自治獲得に尽力した人物であり、アイルランド国民党党首を務めたほか、1886年には廃案にこそなったもののグラッドストン内閣下で英国下院にアイルランド自治法が提案されたのは彼の働きが大きかったとされる。しかしながら、既婚の女性と事実婚の関係にあり(離婚こそ成立していないだけで夫とは別居しており、事実婚も周知の事実であったが)3人の子供すらもうけていたことを敵対勢力から攻撃され、アイルランド議会党(国民党の後継政党)党首辞任に追いやられた。歌詞中の「こき下ろし(persecute)」とはおそらくこのことを指している。
16人の英雄:1916年のイースター蜂起(詳細はググってください)で処刑された16人の指導者のこと。イースター蜂起は早い話が、平和的(非暴力)な独立運動の限界を悟った共和派による武力蜂起であり、結果として鎮圧されるもののアイルランドの政治界に於いては共和派が勢力を伸ばした。そして1919年にはシン=フェイン党(今でも現存するナショナリズム政党)主導でアイルランド共和国として独立宣言が行われるも英国がそれを認めなかったため独立戦争に至った。
British Huns:Hunとは中央アジアをルーツとするフン族のことである。中国史に現れる匈奴と同一集団とされており、Hun は英語圏においては「野蛮人」「未開人」を表す侮蔑語にもなっている。また、(なぜか)ドイツ人への蔑称でもあるが、British Huns という表現は初めて見たので興味深い。
ちなみにハンガリー(Hungary)もかつてはフン族の末裔であるとされ、国名もフン族に由来するとされていたが、現在では否定されている。
デリー:北アイルランドに位置する都市。正式にはロンドンデリーであるが、一般にはデリーと呼ばれる。1972年にロンドンデリーにてデモ行進中の市民に英国陸軍の部隊が実弾射撃を行い14人の死者(13人が同日中に、1名が1ヵ月後に死亡)を出した大惨事が起きた。詳細はWikipedia「血の日曜日事件(1972)」に譲る。1972年となるともはやBlack and Tansを絡める気があるのかどうか怪しくなってくるが、英国(軍)そのものを批判しているのだろう。
また、「Show your life how you won medals up in Derry(どうやってデリーで勲章を獲得したのか女房に教えてやれ)」と歌っているが、当然ながら1972年の事件では当事者である英国軍兵士たちに勲章は授与されておらず(2010年には英国政府による謝罪が行われた)、英国軍への煽りそのものである。
なお、「16人を殺した」と続くが、前述の通り本事件の死者数は14人であり誤りであると思われる。