【第二次世界大戦 なぜ、始めた?】 ③ 「日本帝国の参戦」~真珠湾への奇襲はアメリカの罠だったのか?~
なぜ、日本は参戦(真珠湾攻撃)をしたのでしょうか?。
戦前、日本には「総力戦研究所」と言う研究機関がありました。ここには日本の最高頭脳が集まり、アメリカとの戦争の戦略について研究していました。
昭和16年4月の御前会議で同年夏のアメリカとの開戦が決定され、海軍、陸軍ともに戦争の準備に入りました。
開戦直前の8月27~28日に首相・東條英機陸軍大将等列席の上で、総力戦研究所の研究結果の発表会が行われました。
その発表内容は「日本は4年間で戦闘能力を失い、それを見たソビエト連邦軍が満州国に侵攻してきて、日本は息の根を止められ、無条件降伏しか選択の余地が無くなる。」と言うものでした。
東條首相は震え上がりました。そして、9月6日の御前会議で開戦の延期を決定したのですが、海軍が猛反対しました。
海軍艦艇は、平常時は1/3が実践配備に就き、1/3がドックで修理、残りの1/3は修理後の新装備等の訓練というローテーションで回していましたが、開戦が決まったことで、全艦艇の戦闘態勢の準備をしていました。このままの態勢を維持し続ければ、備蓄燃料の消費の件もあり、海軍は艦艇を維持できなくなると、強固に抗議してきました。
その結果、東條首相は、泣く泣く12月開戦を決定させられました。これは、決断と言うものではありません。清水の舞台から悲鳴をあげて、飛び降りたと言うものでした。
そして、史実は「総力戦研究所」のシミュレーションの通りに進みました。
戦略的敗北を戦術によって補うことが出来ないと言うことは、自明の理なのです。