【陰謀説?】日本航空123便墜落事故、不可解な行動・謎だらけの救出劇(森永卓郎)
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日本航空123便墜落事故から30年、羽田空港にある日本航空の一室には持ち主がわからないおよそ2500点の遺品が保管されている。事故で娘をなくした吉田さんは見た目は無傷だった。早く救助されていたら助かったのではという思いが消えないと話した。また吉田さんは81歳になった今も年に3度御巣鷹の尾根に登り続けている。国の報告書には事故原因の検証に多くページが使われている。墜落から生存者発見までの16時間について詳しい検証は行われなかった。
日航ジャンボ機事故、長野県警察の内部資料によると現場の近くに住んでいた女性が墜落地点は群馬県境付近だと情報を寄せていた。その後も長野県警には正確な目撃情報が寄せられたがこれらの情報は埋もれたまま活かされることはなかった。
日航ジャンボ機事故、墜落から58分後に航空自衛隊のヘリコプターが離陸した。元航空自衛隊 林璋さんは事故当日の飛行記録をいまでも大切に保管していた。しかし航空自衛隊は空からの救助を断念せざるを得ない状況だった。TACANで確認した位置情報も活かされなかった。
日本航空123便墜落事故、午後10時33分、日本航空が公式に発表したのは墜落現場から北西に8.5キロ離れた墜御座山だった。司令部ではヘリコプターからの情報を分析するので同時に警察とも連絡を取り合い墜落地点の特定を急いでいた。司令部は誤差が生じることがあるTACANの位置情報への信頼性をはかりかねていた。こうした中で寄せられた御座山という具体的な情報に引きずられてしまったというj。
日本航空123便墜落事故、午後11時30分に陸上自衛隊が1000人の隊員を派遣するなど御座山の麓へ一斉に向かった。北相木村役場が捜索隊の前線となり日付が変わっても続けられた。遠く離れた墜落現場では生存者が身動きできない状態で救助を待っていた。乗客の家族は用意されたバスで現場に向かった。
引用:http://tvtopic.goo.ne.jp/program/nhk/1009/879169/
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ゲスト:森永卓郎
パーソナリティー:大竹まこと・逸見えみり・太田英明
大竹まこと ゴールデンラジオ!:2015年8月17日より
<参考動画>
【日航機墜落30年】空白の16時間、驚愕の真実!現在も解明出来ない原因!(神保哲生・西村匡史・荻上チキ )
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https://youtu.be/KCPC1ER2FRM