シュメール文明の謎 .wmv
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紀元前5千年頃、今のイラク南部の辺り、後にメソポタミアと呼ばれるユーフラテス河の沿岸地帯に、ある農耕民族ウバイド人(先-言語学的シュメール人)が住み着きました。
彼らの住み着いた土地は、耕作や放牧に適しており、近くの湿地帯では、魚と鳥が常に豊富に得られるという生活するには理想的な環境でした。
その農耕民族は、その後千年以上そこに住み着き、泥でレンガをつくって街をつくり、中近東で最も繁栄した地帯となりました。
ただ、彼らは、文字を持たなかったので、詳しい記録を残すことはありませんでした。
しかし、紀元前3800年頃、どこからかシュメール人と呼ばれる民族がやって来ると、信じられない大変化が起こったのです。
文明の一大ブレークとも言うべき現象が起きたのです。
メソポタミアの地は、わずかの間に、前例のない大繁栄を記録し、空前とも言える政治権力が打ち立てられたのです。
それは、美術、建築、宗教は言うに及ばず、社会機構、日常の細かな慣習から楔形文字の発明に至るまで、それらは、すべて、彼らシュメール人の成せる画期的偉業でした。
「歴史はシュメールに始まる」という言葉がある。自らを「頭の黒い民」と呼んでいたシュメール人が、メソポタミアの地に住み着いたのが前3500年頃のことであった。そして、前3200年頃、世界で最初の都市文明を築いた。このシュメール文明が、東に伝播してインダス文明、黄河文明の起源となった。西に伝播したのがエジプト文明である。古典的な文明論によると4大文明の元はシュメール文明であるということになる。
また、「光は東方より」をいうローマ人の言葉が示す通り、メソポタミア文明及びエジプト文明が古代ギリシア文明・ローマ文明となり今日の西欧文明の淵源となった。
このシュメール文明は、当初、日本に紹介されたときは「スメル」文明と呼んでいた。
日本の天皇は、「スメラミコト」と訓読みしていた。この「スメラ」と「スメル」の類似性より日本の天皇家は、スメル文明の直系の子孫であるという研究が、スメル学会及びバビロニア学会で行われていた。
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