スパイ天国・日本:WW2 オランダ領インドネシアにて /早稲田・岩波歴史観人脈
【後藤乾一】(岩波、早稲田)
1986年北海道新聞で日本軍がスマトラ島で要塞を作り、完成後に軍機を守るため作業したインドネシア人労務者3000人を底なしの穴に突き落として虐殺した、という「ブキチンギの穴(日本の穴)」を寄稿した。高山正之によれば、この記事はやがて当時の関係者が知る事になり、工事中は一人の死者も無く、作業に従事した労務者達には日当が支払われ、要塞ではなく防空壕であり、後藤が何も調査をしないで発表したものと判明した。
1999年8月11日朝日新聞夕刊で「過酷な戦時支配の歴史」と題して日本軍により東ティモールで島民約4万人の死者が出たと主張した]。
著書 高山正之『サダム・フセインは偉かった』] (wiki)
【反日プロパガンダに使われる日本の”謝罪金”/村山元首相がばらまいた金の行方】
http://www.history.gr.jp/nanking/books_seiron9906.html
インドネシア現代史の研究者のなかのひとりを挙げるとするなら、後藤乾一教授であろう。
戦後つづいてきた早稲田大学のインドネシア研究における現在の責任者である。
その後藤教授が十数年前に「ブキチンギの穴」というレポートを新聞に発表した。
戦争末期、要塞を作ろうとした日本軍は、その際インドネシア人を強制的に労務につかせ、そのときの酷使から死亡したインドネシア人を穴に投げ込み、その数はおびただしい数に達した、というレポートである。
現地で聞いた話をもとにしたレポートであったようだが、後藤教授の書いたその記事はやがて要塞を建設したという責任者にとどき、実態が判明した。
それによると、要塞建設の指揮にあたった日本人はわずか3人で、インドネシア人がその仕事をするもしないも自由で、従事すれば毎日日給をもらい、だから過酷な労働で死亡した人はもちろん、怪我したひともまったくいなかった、というものである。
要塞というのも、単なる防空壕であることが判明した。
歴史学の教授が、しかも専門の領域で、裏付けをとることもしなかった。
学究としての第一歩すら踏まないうえ、大学教授の肩書きで公表する。
これでは歴史家としても教授としても失格であろう。
それに輪をかけたのが「ブキチンギの穴」がウソであると判明してからの後藤教授の態度である。
間違いだという指摘に反論する材料をもっていたわけでなかったのだから、後藤教授として取るべき道はひとつしかない。
レポートを正式に撤回することである。
しかし教授は撤回しなかった。