ヒトラー最後の日|新資料が明かす独裁者の末路
第二次世界大戦末期におけるドイツの劣勢を受けて、アドルフ・ヒトラーは1945年1月16日にベルリンの総統地下壕に居を移し、ここから統括した。
しかし、連合軍が東西両方から迫っており、敗戦は確実な状況となっていた。4月半ばまでにはソビエト軍はベルリンに入り、ライヒ官房が位置する市の中心部へと侵攻していた(ベルリンの戦い、ベルリン市街戦)。
ヒトラーの一部の側近や国防軍首脳部の一部は南部のベルヒテスガーデンへの疎開を進言したが、ヒトラーはそれを拒否した。
4月22日、ヒトラーは軍事情勢会議の間に、のちに歴史家がいうところの神経衰弱に襲われ、戦争の敗北を認めた。ヒトラーは自殺の意向を表明し、その後軍医であったヴェルナー・ハーゼSS中佐に、確実な自殺方法を教えてほしいと依頼した。
ハーゼの提案は、シアン化物の服用と、頭に銃弾を撃ち込むことの併用だった。またヒトラーは、同盟国のイタリア社会共和国の指導者ベニート・ムッソリーニが、パルチザンに捕らえられ処刑された後に、遺体がミラノのガソリンスタンドに逆さ吊りにされ見せものにされたことを知っていたことから、自分は同じ運命をたどりはしないと決意する。
そのためヒトラーは一部の部下に対して、自殺後遺体を早急に焼却するよう熱望した。
(Wikipedia)