第3弾藤井厳喜アカデミー国際関係論7講:覇権国家交替の法則①[H23/10/16]
【藤井厳喜アカデミー第3弾 : 国際関係論入門-激動する世界を透視する視座】
第7講 前篇: 覇権国家交替の法則①
― 西暦1500年以降、世界の覇権国家はどのように変遷してきたか
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西暦1500年から2000年にいたる500年間における世界の覇権国家の覇権国家の変遷を展望します。
その前提に、先ず、西暦1500年に到る西洋世界の歴史を鳥瞰図的に見てみましょう。
西暦の開始される少し前に、ローマは、共和制から帝政に変わります。このローマ帝国が、東西に分離するのが、西暦395年です。ローマ帝国の成立から西ローマ帝国の滅亡まで、503年です。
東ローマ帝国は、東西ローマの分裂の後、約1000年継続し、1453年に滅亡します。
東ローマ帝国は、東西ローマの分裂から1058年、続きます。
ローマ帝国の開始から東ローマ帝国の滅亡までは約1500年です。
以上簡単に、500年単位で簡単にまとめる事が出来ます。
西ローマ帝国は、西暦開始の少し前に生まれ、約500年続きました。
東ローマ帝国は、西ローマ帝国の滅亡後、更に1000年続きました。
そして、西暦1000年前後が、西ヨーロッパにおける封建制度のピークです。
更にそして東ローマ帝国が滅びた西暦1500年前後からヨーロッパの近代が始まり、ヨーロッパが世界を席巻し、西洋の白人の国が、それからの500年、世界を支配します。
1492年のコロンブスのアメリカ大陸到達と1519年のマゼランの世界一周開始が、ヨーロッパの世界制覇の始まりを告げました。
それ以後の500年間における、第一の覇権秩序は、スペイン対ポルトガルの対立軸でした。
共に、海洋国家イコール植民地帝国として、世界を二分しました・
しかし、ナンバー2のポルトガルが、スペインにとって代わることはありませんでした。
彗星のごとく現れたイギリスは、1588年にスペインの無敵艦隊を撃滅します。
意外なことに、イギリスはこの後、直ぐに世界の覇権国家の地位についたわけではありません。イギリスは、ピューリタン革命、王政復古、等を経て、国内が混乱します、
スペイン無敵艦隊を打ち破ってから、丁度100年後の1688年にイギリスは名誉革命を成し遂げ、近代化と対外的発展への準備を完成します。
このイギリスは、押しも押されもしない覇権国家となりますが、このイギリスの第1のライバルになったのが、フランスでした。
フランスは、絶対王政の時代、そしてフランス革命後のナポレオン時代を通じて、、イギリスの前に大きく立ちはだかります。
しかし、イギリスはナポレオンを1815年、ワーテルローの戦いで、破り、フランスの挑戦を見事に跳ね返します。
19世紀の後半、フランス以上にイギリスのライバルとなり、その覇権を脅かしたのが、ロシアでした。
イギリスは日英同盟を結び、日露戦争における日本の勝利を導いて、ロシアの挑戦を避けました。
日露戦争に敗北したロシアでは、革命が起こり、ロシアは力を失っていきます。
※ 講義内で出てくる「カノッサの屈辱」について政治学講座で復習されたい方は、以下の動画をご覧ください。
6/7 【国民の為の政治学】第11講 地方分権と中央集権の関係⑥[H22/522] http://www.youtube.com/watch?v=KdQsa_MrQmE
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