48.キング牧師の名言
1929年、ジョージア州アトランタで牧師マイケル・ルーサー・キングの息子として生まれる。父親と同じ名前であったが、父子とも「マーティン・ルーサー・キング」と改名。宗教改革をはじめたマルティン・ルターから父親が命名した。
6歳のときに、一緒に遊んでいた近所の白人の子供の母親から「黒人とは二度と遊ばせません」と最初の人種差別を経験。高校時代には、討論大会で優勝した帰りのバスの中で白人から席を譲れと強制される。
1862年のリンカーン大統領の奴隷解放宣言により、米国の奴隷制は廃止された。しかし、それは人種差別の撤廃を意味するものではなく、学校、トイレ、プール、バスなどにおいて、白人と非白人の区別により、異なる施設が用いられることは容認されていた。
1955年、白人に席を譲るのを拒んで逮捕されたローザ・パークス逮捕事件に抗議して、キング牧師はバス・ボイコット運動を指導。これにより、連邦最高裁判所からバス車内人種分離法違憲判決を勝ち取る。これ以降、キング牧師は全米各地で公民権運動を展開していく。
キング牧師の運動の特徴は「非暴力主義」。インド独立の父ガンジーに啓蒙され、一切抵抗しない非暴力を貫いた。1963年のキング牧師の有名な演説「私には夢がある(I Have a Dream)」は広く共感を呼ぶ。これらの運動により米国内の世論も盛り上がりを見せ、1964年に公民権法が制定された。
その後、キング牧師は「ベトナム反戦運動」への積極的な関与を始める。敵も増えていくなか、精力的に活動を続けたが、1968年にテネシー州で「私は山頂に達した(I’ve Been to the Mountaintop)」と演説後、モーテルで白人男性の凶弾にたおれる。
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