フェア・ブラウン・トレンブリングとは -民話・神話や伝説の英雄と妖精-
世界中で収集された「シンデレラ物語」は700話にも及ぶといわれるが、その発祥地は不詳のままで、ただ時期が確定できる最も古いものは、850年~860年に書かれた中国の書物とされている。現在ではフランスの童話作家シャルル・ペロー(1628-1703/Charles Perrault)が発表したものが最もよく知られているが、そのキーポイントとなっているのが「妖精の名付け親(フェアリー・ゴットマザー)」と「ガラスの靴」。ケルト民話の中では「鶏飼い女」と「赤・白・緑のカラフルな靴」がそれに相当するものとして登場する。そしてケルト版の最大の特徴と言えるのは、人々の社交の場が教会であることと、「王子と姫はめでたく結ばれました」で話が終わるのではなく、その後にも話は続き、彼らはさらなる苦難を乗り越えて自分たちの力で幸せを手に入れる、というところまで語られていることである。
ケルト民話「フェア・ブラウン・トレンブリング」J・ジェイコブズ編
ヒュー・クールハ王はティール・コナルに住んでいた。彼には娘が3人いて、その名はフェア、ブラウン、トレンブリングといった。フェアとブラウンは新しいドレスを着て日曜ごとに教会へ行ったが、トレンブリングは家に残って料理と掃除をさせられていた。2人の姉は、美しい妹が自分たちよりも早く結婚してしまうのを恐れて彼女に家から出ないよう強いていたのだった。
7年たったある日曜日の朝、姉たちの留守中に、年老いた鶏飼い女が現れてトレンブリングに言った。「今日は教会へお行き。」トレンブリングはお願いした。「教会へ出掛けるためには、雪のように白いドレスと緑の靴が欲しいわ。」願いは叶えられ彼女は教会へと出掛けたが、誰にも彼女だと知られずに済んだ。
次の日曜日にも鶏飼い女は現れた。「今日は教会へ行くかい?」トレンブリングはお願いした。「とびきり上等な黒レースのドレスと赤い靴が欲しいわ。」
3度目の日曜日、「腰から下はバラの赤、腰から上は雪の白。肩には緑のケープ、頭には赤・白・緑のの羽つき帽子。足の靴は爪先が赤、中程は白、裏とかかとは緑」のいでたちで教会に現れたトレンブリングは、エマニアの王子の手に片方の靴を残したまま家に帰った。
それから靴の持ち主探しが始まり、王子に見つけられたトレンブリングは彼のもとに嫁ぎ、2人の間に男の子が生まれる。ところが、その時介護に来ていた姉のフェアは、幸せそうな妹を妬んでトレンブリングを海に突き落としてしまう。
鯨に飲み込まれたトレンブリングは、助けにかけつけた王子と牛飼いの少年の手によって助け出される。その後の2人は、老齢で亡くなるまで幸せに暮らした。
シンデレラ物語を題材にした映画も数多く創られている。ロッシーニ(Gioacchino Rossini)作曲の歌劇「シンデレラ(La Cenerentora)」をはじめ、創作バレエの「 ガラスの靴(1955)」やディズニー・アニメの「シンデレラ」、ミュージカルでは「 シンデレラ(1976/英版)」、シンデレラ(1997/米版)、などがある。