ナチスドイツの原子爆弾 – ルイジ・ロメルサの証言
ナチス・ドイツは1942年の段階で、
もう既に核分裂技術を開発していた可能性が高いという番組。
1944年4月の独伊首脳会談(オーストリア)の際に、
ヒットラーから劣勢の戦況を引っくり返すほどの威力を持つという
「新型爆弾」について聞かされたムッソリーニは、非常に興味を持ち、
それがどういうものか若い特使をベルリンに送った。
彼の名はルイジ・ロメルサ。
彼は60年前の出来事を鮮明に覚えており、
2007年に亡くなる少し前に病床での電話インタビューに応じ、
貴重な証言を残した。
1944年10月、ベルリンに着いたロメルサを、
ヒットラーはバルチック海に面したペーネミュンデにある
ナチスの軍事兵器研究開発センターに送り込む。
そこではのV1ロケットをはじめとする
数々の極秘プロジェクトが進められていたが
1944年10月12日深夜、リュェーゲン島に於いて、
かねてからの問題の新型爆弾実験の見学を許された。
彼がそこで見たものは・・・
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「雨降りで余り視界が良くなかったが、11時45分頃に
目の眩むような強力な閃光と共に、
物凄い爆音と地震、そして長い爆煙の柱。
それらが収まるまで何時間もの間、
我々は外に出ることを許されなかった。」
「ゲッペルスは私に 『ご期待に添えましたか?』 と聞き、
彼自ら、連合軍による妨害工作や、彼ら(連合軍)がいかに
この新型爆弾を恐れているかを語った。」
「特にノルウェーでの重水素凝縮工場での
特殊チームによる破壊妨害作戦とともに
この新型爆弾には重水素が必要不可欠であることを強調した。」
『ウランの核分裂(原子爆弾)の鍵は重水素なんだ。』
『我々はこの技術を1942年の段階で既に開発済みだった。』
『つまり1942年に我々は原子を分解する方法を見付けたんだ。』
『この点で、我々は連合国よりも遥かに進んでいた。』
(以上、ゲッペルス言)
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マンハッタン計画に参加した科学者たちによれば、
ナチス・ドイツが実際に原爆を製造できた可能性は皆無に等しいという。
その理由は資金の不足、重水素プラントの不足、
そして何よりも ウランやプルトニウムの決定的な不足、等々・・・
となると、ロメルサの見たあの深夜の爆破実験は何だったのだろう?
通常爆弾と原子爆弾のちょうど中間のようなものだったのかも知れない。※
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(※この最後の結論付けが、どうもイマイチ理解できない・・・)
また、「マンハッタン計画に参加した科学者たちによれば、
ナチス・ドイツが実際に原爆を製造できた可能性は皆無に等しいという。
・・・その理由は、資金の不足、重水素プラントの不足、
そして何よりも ウランやプルトニウムの決定的な不足、等々・・・」
とあるのだが、
ナチス党のトップの重要人物達や、そして何よりも
ヒットラー自身が隠れユダヤ人であったことと、
ナチス・ドイツの最大のスポンサーが、
米国のユダヤ国際金融資本だったことを考え合わせれば、
これらの必要物資のアメリカ側からの横流しだって
全く有り得ないことでは無いのではないか…
つまり、そうなってくると、「広島原爆はナチス製だった」 とする
例の 「べラスコ証言」 の信憑性が、一気に増してくるのが
お分かりであろうか?
そしてそれと同時に
終戦間近の 「『東南海地震』 や 『三河地震』 が原爆を使用した
『人工地震』 であった」 という説の信憑性が増すということでもある。
来年は原爆投下、70周年を迎えるが、
そろそろ真実が語られる日が来て欲しいものである。
参考:
スパイ“ベラスコ”が見た広島原爆の正体 (HEATの雑記)
http://d.hatena.ne.jp/HEAT/20070308
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ
https://www.youtube.com/watch?v=AKeH9lRIG4M