韓非とは
戦国 韓非
★歴史的観点から★
戦国時代末期の思想家。韓の国の公子であったが、後継者たるほど、有力な人物で なかった。彼は荀子に師事したが、礼治では乱世を治める事は不可能であると判断し、 師父の元を離れた。
彼は吃音症のため、議論は苦手であり、書物にてその思想を表現した。これが「韓非子」である。この書物を最も高く 評価したのは、当時、最大の強国の君主である、秦王政で あった。彼は「韓非子」を読み、「この著者と 会って話が出来たら、死んでもいい」と言ったという。彼はすでにこの著者が 死んでいると思っていたのである。
秦の丞相である李斯と韓非は同門であった。李斯は自分の才は韓非に及ばないことを 自覚していた。もし韓非が秦にて登用されることになれば、自分の地位が危険だと感じた。 李斯は、韓非を秦王政に会わせたくなかったが、韓非の ことを黙っていても、いずれ判明してしまうことを考えた。こうして韓非は 秦王政に会うことになった。政は一目で韓非のことを 気に入った。李斯にとって、韓非の存在は気がかりでしょうがなかったが、彼には 策があった。彼は韓非を讒言した。「韓非は韓の 公子であり、韓を滅ぼそうとしている我が国のために本気で働くはずが ありません」と。
こうして、韓非は獄に下された。李斯はすかさず毒薬を送り付け、自殺を迫った。 韓非は秦王に直接会って弁明しようとしたが、それもかなわず、彼は自殺した。
…秦王政は後で悔やんだという。
★私見★
吃音症ではないが、私も議論というのは苦手だ。言いたい事を言葉にするより、 文章にする方が得意だ。韓非の気持ちが何となく理解できる。言いたい事を言いたい時に 言えない辛さ、その辛さは私には理解できる。
彼はこの吃音であるというハンデをハンデとせず、韓非子なる書物を書き上げた。 しかし、このハンデがあったから、この書物を書き上げる事が出来たわけではない。 もっと、基本的なこと、そう思想の才能を持っていたからだ。私には残念ながら、 こんな才能はない。だが、彼を見習って、言いたい事を文章として残すように 心がけている。