三国志まとめ
英雄録
劉邦
韓の初代皇帝高祖。一介の無頼の徒であったが、その人柄から人望を得て、
人材を集める。
項羽と呼応して秦を滅ぼし、さらに項羽を倒して天下統一する。
項羽
名は籍、字は羽。楚の勇将項燕の孫。叔父項梁と挙兵。
秦を滅ぼし、覇王となるが、自分の力だけしか信じない弱点がたたり、
亥下の戦いで「四面楚歌」となり、劉邦に敗れ烏江で死ぬ。
張良
字は子房。漢建国三傑の一人。
代々韓の宰相を務めた家柄。劉邦挙兵の時から参謀となり、補佐役に徹した
功臣。
氾増
項羽の優秀な軍師だったが、献言が入れられず、項羽軍を去りそこで死ぬ。
簫何
漢の初代丞相。特に経済、法律面で貢献する。漢建国三傑の一人。
韓信
若い頃は「股くぐりの韓信」など、臆病者呼ばわりされる。
しかし劉邦軍の将軍に抜擢されると、得意の「背水の陣」などの心理作戦に
より、劉邦軍に勝利をもたらす。
漢建国三傑の一人だが、のち独立を企て滅ぼされる。
はんかい
劉邦の幼なじみ。「鴻門の会」では劉邦の危機を救う。
鯨布
姓は英、名は布。群盗の頭から九江王となる。
のち漢に転じ、建国の元勲の一人に数えられる。
ほうえつ
元群盗の頭目。得意のゲリラ作戦により梁王となるが、最後は呂后により、
粛正される。
張耳
魏の滅亡とともに陳余と姿を消す。のち劉邦軍にはいる。
陳余
張耳とは無二の親友だったが、のちに分かれ、張耳により滅ぼされる。
曹参
簫何とともに劉邦軍にはいる。元は監獄の看守だったが、漢建国の功臣と
なる。
周勃
息子周亞夫と親子三代、漢の大尉を務める。
英雄録
文王
周の名主
武王
文王の長男弟の周公と協力して殷を滅ぼす。
その後、周の初代王となる。
太公望
本名は呂尚魚釣り中に文王により認められ、登用される。
その後、文王、武王のに第二わたって仕えた周の元勲。
その故事により、現代でも釣り人のことを”太公望”と呼ぶ。
桓公
斉の十五代目の王。名は小白。春秋五覇の一人。
鞄叔牙、管仲の起用により、春秋時代最初の覇者となる。
管仲
最初は桓公の兄の糾に仕えていたが、のち桓公を助ける。
鞄叔牙との「管鞄の交わり」はあまりにも有名。
重耳
春秋五覇の二人目。
19年の亡命ののち、晋の文公となる。
襄公
春秋の覇者の一人に数えられることもある、宋の君主。
つまらない仁の事を「宋襄の仁」という。
伍子薯
楚の名門出身。父と兄が楚の平王に殺されたため呉王閤呂に仕
えて復讐を果たす。しかし次の王の夫差に疎まれ、自殺する。
孫武
「孫子」の著者。呉王閤呂に仕え呉を覇者に導いた兵法家。
荘王
春秋五覇の一人。楚の王。晋の景公を打ち破る。
夫差
父閤呂の無念を晴らすべく「臥薪嘗胆」して越王勾践を破る。
しかし女に溺れて再び破れる。春秋五覇の一人。
勾践
越の王。春秋五覇の一人。
氾禮の作戦により呉を破る。
孫鬢
孫武の子孫。寶絹の策略により膝切りの目に遭うが、呉の威王
の軍師となり、馬陵の戦いで名を挙げる。
淳干禿
「百家争鳴」時代の斉の学士院長。奴隷出身。
妻の助けにより出世する。読心術の達人。
商鞄
秦の孝公の宰相となり、秦の覇業の素を作る。法家。
しかし最後は自分の作った法により死ぬ。
蘇秦
対秦六国同盟の「合従」を説いた縦横家。
張儀
「連衡」を説き、蘇秦の策を覆す。
韓非子
韓の王族出身。秦に仕えた法家の人。
性悪説の荀子の門下生。どもりがあるため出世できず。
魏 (人物名は当て字を使ってます^^;)
曹操
字は孟徳。宦官の家系に生まれる。若い頃から機知に富んでおり、礼節
などものともしない生き方だったため「乱世の姦雄、治世の能臣」と評
され、その評価は必ずしも高くない。
彼は個人戦闘の武勲よりも、集団組織的に物事を考え屯田制をあみだし
た。
張遼
字は文遠。瓶州の刺史丁原に武勇を認められ仕える。
その後呂布に仕えるが、曹操に敗れ、降伏する。
張遼は、敵を攻め滅ぼすときは攻め滅ぼし、降伏させるべき時は説得し
て降伏させ、また軍を率いては沈着冷静、敵に動揺を見せることはなか
った。
張こう
字は竣凱。元はえんしょうに仕えていたが、官渡の戦いの後曹操に仕え
る。
彼は陣形・地形・状況の判断に優れていた反面、儒学者を大切にした。
最後はライバルを畏れた司馬懿に無理な追撃を命じられ死ぬ。
徐晃
字は公明。初めは揚奉に従っていたが、のちに曹操に降る。
馬超の反乱の時に活躍する。
常に謹慎で沈着、負けたときのことも考えて戦略を練っていた。
そして、心から曹操に心服し、利益を求めて交際を広げようとはしなか
った。
李典
字は曼成。彼は学問が好きで、諸将と功績を争うことはしなかった。
そのため魏の有名な武将の中では領邑がもっとも少ない。
夏侯淵
字は妙才。夏侯惇とは従弟。曹操は常々「指揮官には勇気だけではなく
、臆病さも必要だぞ」と戒めていたが、最後は劉備軍により殺される。
夏侯惇
字は元譲。呂布討伐のとき左目を失う。
彼は個人的蓄財を図らず、軍中でも学問の師の講義を聴き、余分な財が
でると皆人々に分け与えた。
許猪
字は仲康。抜群の武術と怪力の持ち主で、牛の尾を つかんで 140メー
トルも引きずることができた。
彼は普段ボーッとしているように見えたため「虎痴」と言うあだ名もあ
った。
典偉
字は不明。堂々たる容貌と怪力の持ち主。
18キロの戟を愛用した。曹操は張繍の計略にはまって大敗した時に死
んだ典偉を思ったいつまでも涙を流していたという。
司馬懿
字は仲達。曹操は司馬懿を召し出すために「応じなければ、獄に下して
しまえ」と、言うほど彼の力をかっていた。
文帝の時代には丞相長史に任じられ、よく諸葛亮の進撃をくい止めた。
英雄録 呉 (人物名は当て字を使ってます^^;)
孫権
字は仲謀。呉の初代皇帝。
内政に才能を発揮する。赤壁の戦いの後躍進する。
しかし晩年は後継者問題で諫めた陸遜を処刑するなど、暴君と化して
きた。
周喩
字は公謹。「美周郎」と呼ばれたほどハンサムだった。
プライドも高く、度量もあり、人々に慕われたが、程普とだけは悪か
った。
魯粛
字は子敬。気前がよく、困っている人は見捨てられない侠気に富んだ
人物。周喩の後継。
諸葛謹
字は子喩。諸葛亮の兄。
孫権を諫めたり、意見を述べる時は情理を尽くして説得し、強い言葉
を用いることはなかったが、孫権の気持ちを和らげ、受け入れられる
ことが多かった。
張昭
字は子布。孫策の召し出され仕える。
剛直な性格で、よく孫権を補佐し、諫めた。
呂蒙
字は子明。
若い頃は学がなかったが、大きな志の持ち主で、孫権の元で武将として
、活躍した。
甘寧
字は興覇。元々はやくざ者達の頭領。
粗暴でよく人を殺したが、その反面、おおらかでよく見通しが利き有能
な人物を厚遇したので、兵士達も甘寧のために喜んで働いた。
太史慈
字は子義。
見事な髭と長い腕の持ち主で、弓術は百発百中の腕前だった。
学問も好んでいたがもっぱら武人としての活躍が大きかった。
陸遜
字は伯言。
恩徳に満ちた施策で、民衆をいたわり、その一方で不服従民を討伐して安
定を維持した。荊州を落としたのはもっぱら彼の力によるところである。
英雄録 呉 (人物名は当て字を使ってます^^;)
孫権
字は仲謀。呉の初代皇帝。
内政に才能を発揮する。赤壁の戦いの後躍進する。
しかし晩年は後継者問題で諫めた陸遜を処刑するなど、暴君と化して
きた。
周喩
字は公謹。「美周郎」と呼ばれたほどハンサムだった。
プライドも高く、度量もあり、人々に慕われたが、程普とだけは悪か
った。
魯粛
字は子敬。気前がよく、困っている人は見捨てられない侠気に富んだ
人物。周喩の後継。
諸葛謹
字は子喩。諸葛亮の兄。
孫権を諫めたり、意見を述べる時は情理を尽くして説得し、強い言葉
を用いることはなかったが、孫権の気持ちを和らげ、受け入れられる
ことが多かった。
張昭
字は子布。孫策の召し出され仕える。
剛直な性格で、よく孫権を補佐し、諫めた。
呂蒙
字は子明。
若い頃は学がなかったが、大きな志の持ち主で、孫権の元で武将として
、活躍した。
甘寧
字は興覇。元々はやくざ者達の頭領。
粗暴でよく人を殺したが、その反面、おおらかでよく見通しが利き有能
な人物を厚遇したので、兵士達も甘寧のために喜んで働いた。
太史慈
字は子義。
見事な髭と長い腕の持ち主で、弓術は百発百中の腕前だった。
学問も好んでいたがもっぱら武人としての活躍が大きかった。
陸遜
字は伯言。
恩徳に満ちた施策で、民衆をいたわり、その一方で不服従民を討伐して安
定を維持した。荊州を落としたのはもっぱら彼の力によるところである。