官渡の戦いとは -三国志-
時代背景
200年、公孫[王贊]や陶謙はいなくなり、河北は袁紹が勢力を拡大し、
曹操も許昌に帝を迎えて勢力を拡張していた。
両者はついに官渡で激突したのである。
図解・解説
袁紹は一気に曹操軍を叩くために、やぐらを組ませ、
その上から、石弓の攻撃が開始された。曹操軍は一時混乱に
陥ったが、発石車を使い袁紹のやぐら部隊を壊滅する。
袁紹はつぎに、地下道を掘って城の中に潜入しようと考えた。
しかし曹操軍は、深い掘割を作って袁紹軍を阻止する。
曹操軍の兵糧が尽きかけてきた。曹操軍は許昌宛てに食料補給の
手紙を出した。しかし、使者は袁紹軍の許攸に捕まってしまった。
許攸は袁紹に曹操軍への攻撃を進言したが、袁紹はこれは曹操の
罠だとした。許攸は、「日数を考えましても曹操の食料は尽きる頃ですぞ」
と進言したが、取り上げてもらえない。ついに許攸は曹操へくだる決意をする。
許攸と曹操はもともとは顔見知りなので、曹操は許攸の降伏を認め、
袁紹の食料基地・烏巣を攻撃する事になる。
袁紹は、烏巣に援軍を送ろうとしたが、参謀の郭図が手薄の曹操の本陣を
攻めるべきだとした。しかし、曹操は手を打ってあったので郭図の読みははずれた。
郭図は、敗戦の原因を高覧と張[合β]のせいにした。
そのため、張[合β]、高覧の2将軍は曹操に降伏してしまう。そして
袁紹も兵糧が尽き、曹操の攻撃にあった袁紹は敗走した。