三国志劉備の母、徐庶の母
三国志演義では劉備の母は出てこないが、
日本の「三国志」を語るうえでは外せない。
吉川、横山の「三国志」では劉備が旗揚げをする
までに欠かせない人物となる。
横山の三国志では、剣と引き換えに買ってきた
お茶を川にまで捨て劉備に漢の景帝の末裔であることを
諭している。
最後に「普通の母としてならばこれぼど嬉しいことはない」
と言って泣き崩れる。
徐庶の母
徐庶は単福と名をかえて劉備に仕えていた。
曹操は単福が徐庶であることを知り、自分の味方に
引き入れたいと考えた。
程イクの献策で、徐庶の母に手紙を書いてもらい、
徐庶を呼び寄せようとした。
徐庶の母は、「劉備様は漢の中山靖王の末孫にあたり、
仁君であり、老若男女みな名前を御存じです。丞相様は
名ばかり丞相で、実は漢の賊ではないか。せがれを
呼ぶわけにはいかぬ」と言った。
徐庶の母は死ぬ覚悟だった。
程イクは徐庶の母の筆跡をまねて偽手紙を書いて徐庶の元へ送った。
徐庶はまんまとその手紙を信じて許都へ来てしまう。
徐庶が母に会ってみると彼女は怒り、恥じのあまり
奥の部屋で自害してしまった。
いや~凄いですね。今の世の中こんなに厳しい母親って
おるのかしら?