冷戦体制の構築と開始。ドイツの分裂と軍事ブロック化と冷戦下の欧米諸国
冷戦と現代の世界。
冷戦体制の構築。
国際連合の成立。連合国は、第二次世界大戦が終わる直前の1945年4月〜6月に、サンフランシスコ会議を開いた。そこで国際連合憲章が採択され、同年10月に国際社会の平和と安全の維持などを目的とする国際連合が設立された。
冷戦の開始。
第二次世界大戦後の世界秩序の回復はアメリカ中心にすすんだが、東ヨーロッパは、ドイツのナチス支配から解放したソ連が勢力下においた。
このようなソ連の動きに対して、イギリスのチャーチルは、1946年に「鉄のカーテン」演説を行い、ソ連が東ヨーロッパに勢力圏を築いていると非難した。東ヨーロッパ諸国に続いてギリシアやトルコで共産化の動きが強まると、アメリカのトルーマン大統領は1947年にトルーマン・ドクトリンを発表して、共産主義がヨーロッパへ広がるのを防ごうとした。続いてマーシャル国務長官がヨーロッパの経済立て直しのための援助計画であるマーシャル・プランを発表し、西ヨーロッパ諸国はこれを受け入れた。
マーシャル・プランの受け入れを拒否したソ連・東ヨーロッパ諸国は、ソ連を中心にコミンフォルム(共産党情報局)を組織して、社会主義国の結びつきを強めた、そして、1949年には、経済協力のための組織として東ヨーロッパ経済相互援助会議(COMECON)(コメコン)を設立した。これによって、アメリカを中心とする自由主義諸国(西側諸国)と、ソ連を中心とする社会主義諸国(東側諸国)、との間で、戦争手前のきびしい対立が続く冷たい戦争(冷戦)が本格化した。
ドイツの分裂。
戦後、ドイツとその首都ベルリンはアメリカ・イギリス・フランス・ソ連の四ヵ国によって分割占領された。アメリカ・イギリス・フランスが占領地の統合をすすめると、ソ連はこれに反対して、1948年、西ベルリンへの通交を禁止した(ベルリン封鎖)。これにより、アメリカ・イギリス・フランスが統治する西ドイツとソ連が統治する東ドイツの対立は決定的となった。そして、1949年に西ドイツではドイツ連邦共和国が成立し、東ドイツではドイツ民主共和国が成立し、ドイツは東西に分裂した。1961年には、ベルリン市街を東西に分ける壁(ベルリンの壁)が建設された。
軍事ブロック化。
ソ連によるベルリン封鎖東西両諸国の緊張が高まると、1949年にアメリカ・カナダ・西ヨーロッパ諸国の12カ国が反ソ連軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)(ナトー)を結成するなど、各地でアメリカを中心とする集団安全保障体制がつくられた。
これに対し、1955年にソ連・東ヨーロッパ諸国の8ヵ国がワルシャワ条約機構を結成し、西側諸国に対抗した。こうした中、アメリカとソ連は核兵器開発競争の時代に入った。
冷戦下の欧米諸国。
アメリカ。アメリカ国内では、共産主義者とその支持者を逮捕したり職から追放する赤狩り(マッカーシズム)が行われた。
イギリス。1945年の総選挙で保守党が敗れ、労働党のアトリー内閣が成立した。アトリー内閣は重要産業の国有化をはかり、社会保障を充実させた。
フランス。1944年のパリ解放後、レジスタンス(抵抗運動)を指導したド・ゴールが臨時政府の首相となったのち、1958年に大統領となった。