A Guerrilla’s Story 要注*ショートフィルム作品で残酷シーン多し
05年初頭に作ったド素人時の僕の処女作、アチェ・ゲリラである僕の親友の青年の視点でアチェの現状、人を殺すということ、そして戦争というもの自体を見つめたショート・フィルムです。一応、某国際ショート・フィルム・コンペ(有名だったけど問題起こして今は無き財団のものw)でファイル形式とか色んなことがメチャクチャだったにもかかわらず50位以内に入選していました(^^;)正直、エンコもガチャガチャになってしまったので人にお見せするのは恥ずかしいのですが、僕ら日本の繁栄の陰で犠牲となった名も無き英雄達がこのアチェについ5年前までたくさんいたことを日本人のほとんどの方が知らないどころか、当時はテロリスト犯罪集団とまで呼んでいた日本の某有名ニュース番組もあるので、恥を忍んでUPしました。アチェはスマトラなので、東北の震災のこともありますし。ちなみに僕は当時、国連職員を目指して英国に留学中だったのですが、講義で知ったこのアチェと日本との事実に大きなショックを受け、ジャーナリスト”みたいな”^^職業をやろうと心機一転し、卒業後間もなくズブ・トーシロが突然プロ使用のビデオカメラを買ってアチェへ飛んだ次第です…2年で5回も(^^;) というか時間があったら作り直したい作品…
内容:04年、約23万人もの犠牲者を出したスマトラ沖地震。実はこの震源地、インドネシアのスマトラ島最西端に在るアチェでは、約30年もの間独立紛争が続き、軍事戒厳令が敷かれ、インドネシア国軍に対し圧倒的弱者のアチェの人々はその長い間、暴行・レイプ・虐殺などに脅え暮らしていた。紛争の理由は実はアチェに在る豊富な天然資源(天然ガスLPGが主)で、その7割が日本に輸出され、日本の電気を灯し続けている。インドネシア国軍はその日本を始めとする外国の”天然資源施設を守る”という名目で軍隊を次々とアチェへ増員し、人々を苦しめ続けました。つまり、日本政府もメディアもほとんど報じたことがありませんが、日本の明かりはアチェの人々の血と涙で出来ていたのです。僕はスマトラ沖地震で緩まった軍事戒厳令に乗じてアチェへ潜入、アチェ・ゲリラGAM特殊部隊長の青年と出会い、彼らとの生活を通じ、生きること、死ぬこと、人を殺すこと、そして戦争とはなんなのか、自分が感じ取ったこととその青年の目線を重ね、それらを映像で表現しました。