戦争が起きた Rap Inclsuion feat.結葵
「戦争が起きた」
Rap Inclusion feat.結葵
words by Ai & Rap Inclusion
music by Rap Inclusion
rap by 結葵
illustration by 我妻邦恵
田中あいさんは大正11年生まれの93歳。私の義理のお母さんです。小学5年生のときに日中戦争が勃発。中学を卒業すると石巻にある日赤の看護学校に入り、昭和16年から病院船に乗って従軍看護婦として戦地へ向かいました。
前々からそうしたお話は聞いていたものの、2013年、長野県松代で行われた「まつしろ現代アートフェスティバル」に戦争をテーマにしたラップを出展してほしいとの依頼があり、改めて何回かにわたってお話をお聞きし、仕上げていきました。
ラップを担当しているのは当時小学6年生だった結葵さん。コーラスではすでに何曲かラップ・インクルージョンに参加してもらっており、彼女に歌ってもらうことを前提に、ひいおばあちゃんから聞いた戦争の話というかたちでリリックを書きあげました。
できたラップは松代文武学校の一室で1ヶ月間、映像展示とともに流され、長野のギタリスト宮澤マコトくんをフィーチャーしたライブも行いました。2014年にリリースしたアルバム「ラップインクルージョン02」にもオープニング曲として収録されています。
今回、PVを作るにあたってビジュアルイメージを書き下ろしてくれたのは仙台で活動する美術家の我妻邦恵さん。洋画出身で、漫画家のアシスタントやこけし職人の弟子も務めたことがあるという実力派です。
【リリック】戦争が起きた
ひいおばあちゃんが私と同じ年齢のころ
戦争がおきた
その名前をひいおばあちゃんは
「日支事変」とそんな風に呼んだ
ある日駅まで戦地へ向かう
兵隊さんたちを見送りにいった
学校みんなで2列に並んで
小さい日の丸 手に手に持って
軍服着せられた若い男の人たち
これから戦争に行って
死ぬかもしれない もう2度と
帰れないかもしれないって聞いた
こども心にたいへんなことに
なってしまったと思ったけれど
それから毎日そんなことつづいて
すっかりそれ日常になっていった
ひいおばあちゃんは石巻にある
看護学校に入ることになった
午前中は先生の授業受けて
午後は注射をうったりして
昭和16年10月14日
卒業から4日 赤紙届いた
一番若い看護婦として
宮城、山形、秋田の3個班
アカツキ部隊の一員として
病院船に乗り込む日がきた
広島の宇品や門司を出て
上海行ったり 台湾行ったり
白い船体に赤い十字
「亜米利加丸」に「龍興丸」
青島行ったり 大連行ったり
マニラによったり パラオによったり
命令されるまま団体行動
勝手なことなんてひとつもできない
一番若かったひいおばあちゃんは
ただ言われた通りみんなのうしろ
くっついていくだけ
でも若かったから何をしててもおもしろかった
同級生が6人いて
何するにもいつもいっしょだった
東京に住んでるエラい人から
部隊長の竹中少佐へ命令
くだって自分たちは何の苦労もなく
ただただそれに従うだけ
上海行って傷病兵
何人積んでどこそこへ向かえ
重体 軽症 とりどりの兵士
船底の部屋にあるすごい数の部屋に
みんな積み込んで 日本や中国
海の上あちらこちら行き来した
尿瓶や便器を運んだり
ときどき患者に注射したり
陸にあがると休みがあって
知らないまちを見物したり
旅館に泊まって 上げ膳据え膳
同級生で楽しいおしゃべり
台湾では台北の陸軍病院
トウモン分院で働いた
軍隊と同じで一級ごとに
階級社会で話もしない
病院船は条約で
ねらわれないって聞いてたけれど
髪の毛と指の爪 家へ送らされて
いつ死ぬかもしれなかった
でも死ぬのもみんないしょならいいって
さびしくなんてないってそんな風に思った
不自由は不自由 けどみんなおんなじ
特別不自由とも感じなかった
たま飛ぶ前線にいるわけでもないし
みんながおんなじ境遇なんだし
世界を変える力あるわけでもないし
戦争は仕方のないことなんだと
ずっとずっとそんな風に思ってきた
ずっとずっとそんな風に思わされてきた
大本営から発表されるニュース
いつでも日本が勝って勝って勝ってるって
それ素直に 疑うことなく
当たり前に信じて耳傾けた
日本が勝つまでがまんするしかないって
それを普通に受け止めていた
病院船が危なくなって
召集解除で田舎に帰った
ヨウセイ部長に手紙もらって
病院戻って治療にあたった
傷病兵を診ているとき
集められて玉音放送聞いた
言ってたことはわからなかったけど
どうやら日本が負けたって知った
とくだんうれしくもなかったし
うんとがっかりしたわけでもない
一億玉砕とか耳にしたことあったけど
忙しくて竹やりなんて見たこともなかった
戦争が終わってまちに出ると
アメリカ兵が歩いているのが見えた
連れて行かれるって聞かされてたから
友達みんなといそいで逃げた
戦争中に過ごしたこと あんまり悲惨そうに話さないのは
戦争が楽しかったからなんかじゃなく
戦争のせいにしたって仕方ないから
防空壕に逃げ込んだ夜
頭の上を通り過ぎる飛行機
遠くでまちが燃えていたこと
手あしのない傷病兵のこと
戦争がなかったらって思うこともあるけど
戦争のせいだって言いたくもなるけど
でも言ったからって何も変わらない
恨みごと言ったって何も変わらない
私たちには力がなかった
世の中変える力がなかった
言われたことには従うしかない
それしかないって思い込んでいた
ひいおばあちゃんが私と同じ年齢のころ
戦争が起きた
いろんな話聞いて私
戦争のこと考えるようになっていった
あんなことやそんなことがこの国であったってこと
あんなことやこんなことがひとごとじゃないってこと
12月8日が別の意味を持った
8月15日が特別な日になった
2011 311 私の住むまちで地震が起こった
津波が押し寄せ 放射能が降った
たくさん家流され 人死んでいった
まだ帰れない人たくさんいる
その震災が忘れられていくように
戦争もきっときっと忘れられていく
どんどん昔のことになっていく
もっともっと戦争のこと考えていきたい
もっともっと戦争のこと考えてほしい
1931 1941 1945 731
それがどんなに都合の悪いことでも
包み隠さずに教えてほしい
二度と戦争が起きないように
二度と同じこと繰り返さないように
【収録アルバム】ラップインクルージョン02
CDのお求めはこちらから↓
http://startohoku.buyshop.jp/items/2855762
配信版はiTunesほか各ストアよりお求めいただけます
iTunes https://itunes.apple.com/jp/artist/rappu-inkurujon/id614859370
【関連動画】
長野・松代文武学校でのライブ映像
https://youtu.be/DOmbfSMLc54