【太平洋戦争 なぜ、負けた?】 ① ガタルカナルの戦い
① ガタルカナル島攻防戦の緒戦に大兵力を投入していたら・・・・・・と、言う人もいるが
しかし、帝国陸軍が大兵力を送り込むことが出来たかは疑問である。
最大の問題は、船舶事情である。日本では太平洋戦争の全期間を通じて商船が不足し、多くの問題を抱えていたが、比較的商船保有量が多かったこの時期も、戦線を広げすぎたため船舶が足らず、最前線は勿論のこと、後方の基地に至るまで、補給に使われる商船は、自転車操業に近いギリギリのやり繰りを行っていたのが現状であった。
しかし、ガタルカナル島に大兵力を投入するとなれば、多数の商船が必要になるが、商船を他から引き抜けば、それまで何とか回っていた補給態勢が壊れてしまうことになる。
それを考えれば、8月のアメリカ軍の上陸直後に、ガタルカナル島に大兵力を送り込む事を決定したとしても、事前に何も用意をしていなかったので、逆上陸の準備だけで1ヶ月以上かかったと思える。
逆に言えば、8月中に兵力を送り込もうとすれば、帝国陸軍がいかなる認識の下に作戦を立てようが、史実とはそれほど変わることが無かったであろう。
そして、上陸してきたアメリカ海兵隊は当初から2万人という大兵力であり、その間、飛行場の整備と陣地の構築を進めるだろう事から、この抵抗を排除し飛行場を確保するには、史実におけるガタルカナル島の帝国陸軍最大戦力の三倍、6万人は必要だろう。
これだけの兵力を運ぶ船舶を用意するだけでも大変であるが、送り込むのはさらに困難である。
ガタルカナル島周辺海域の制空権は、飛行場を手中に収めている敵の手にある以上、低速の輸送船が島に接近するだけでも危険が大きく、途中での犠牲も考慮しなければならないだろう。
それに、帝国陸軍はこれまでに強力な敵前で大兵力を揚陸させた経験がなく、機械力にも劣っていることから揚陸能力が極めて低く、物資の陸揚げに時間がかかることが重大な問題で、揚陸中の船舶は格好の攻撃目標になったであろう。
そして、陸揚げした物資を、敵に攻撃されない処まで運ぶのだが、人力で行わなければならない帝国陸軍にとって、大変な時間と労力が必要になる。
実際、昭和17年10月15日、輸送船が島への補給を成功させたものの、揚陸した物資は海岸に山積みされたままで、島内に運び込まれないうちに、敵の爆撃・艦砲射撃により大被害を受けている。
また仮に、兵員の上陸、物資の揚陸が完全に出来たとしても、その後も、この大兵力に見合う定期的な補給が出来なければ、やはり史実と同じように「餓島」と化すことは避けられないだろう。
② ガタルカナル島は、他の基地から離れすぎている。戦前に恐れた消耗戦になることが避けられない。アメリカ軍の本格的な反撃だと判断した時点で放棄すべきだった・・・・・・と、言う人もいるが
当時は、両軍の戦力が拮抗していた時期であり、ここでアメリカ軍の反撃を見逃すことは、そのまま敵に主導権を渡すことに繋がってしまう。
また、ガタルカナル島そのものの戦略的意義も大きく、また、これまで一度獲得した占領地を奪われたことがなく、もし明渡せば「初の占領地の失陥」となってしまい、それでなくともミッドウェーの勝利で意気上がるアメリカ軍をさらに勢いづけ、次なる反攻の後押しをすることになったかもしれない。
結論を言えば、
最初からアメリカ軍の本格的な反攻の第一歩として判断していたとしても、史実と比べて帝国陸軍の投入戦力にそれほど変化はなかったであろうし、戦い方も史実と変わらなかっただろう。
昭和17(1942)年8月7日のアメリカ軍の上陸より、昭和18(1943)年2月1・4・7日の三回に分けた日本軍の撤退作業により約1万3000人の将兵を収容し撤退するまでの6ヶ月間、結果はアメリカ軍の勝利で幕を閉じたが、この6ヶ月間アメリカ軍の侵攻を押し止めた事も事実であったが、戦略的には、何ら意義を成さなかった。