India Kolkata インド・コルカタ アンバサダー散歩 1
コルカタ(英語: Kolkata, ベンガル語: কলকাতা)はインドの西ベンガル州の州都。
2001年の人口は458万人、都市圏人口は1322万人。かつては英語圏では英語化された音でカルカッタ(Calcutta)と呼ばれた。元の名前はカリカタで古い文献にもそのように記されている。コルカタと言う呼称は現地の言葉であるベンガル語での呼称で、カルカッタにあたる発音とは無縁であった。2001年には正式にコルカタに変えられたが、世界では英語綴りがまだ使われている。コルカタには「喜びの都市」と「宮殿都市」というよく知られた愛称がある。また時々”Michhil Nagari”(মিছিল নগরী, 行列都市)と呼ばれる。
17世紀末にイギリス東インド会社の交易拠点が設けられ、まもなくウィリアム要塞の建設が始められ、スターナティー、ゴーヴィンドプル、カーリカタの三村の徴税権が購入された。この地域がのちのコルカタのもととなった。1756年、ムガル帝国のベンガル総督シラージュ・ウッダウラは、イギリスがウィリアム要塞の強化を図ったことを理由としてコルカタを占領し、捕虜となった100人以上のイギリス人を獄死させた。1757年になるとマドラスの東インド会社軍がコルカタに到着し、コルカタを奪回したうえでフランスの拠点だったシャンデルナゴルも占領した。その後、コルカタの北150キロ程度に位置するプラッシーでもフランス支援下のシラージュ・ウッダウラ軍を撃破(プラッシーの戦い)して、コルカタだけでなくベンガル地方の徴税権を確保していった。ベンガル地方はイギリスによるインド植民地化の拠点となり、コルカタはその政治的中心となった。1877年にイギリス領インド帝国が成立するとその都となった。しかし、1905年のベンガル分割令に対する反発が高まったうえ、1906年にはインド国民会議コルカタ大会で反英姿勢が強まったことで、のちに都はデリーへと移された。1947年にインドが独立すると、その後は西ベンガル州の州都になった。
【おぉたむすねィく 探検隊】Autumn Snake 写真部門:大原佳苗、唐山健志郎、大西輝明、松岡明芳