歴史好きがナチスドイツやヒトラーを語る
国家社会主義民族労働者党(NASDP)とそれに関する
話題について語るスレ
ナチオナルゾ
ゾジアリズムス
ドイッチャー
アルバイター
パルタイ
の頭文字を取ったものだからNSDAPこそが正しいスペルだよ
独逸で人気らしいな
読んだけどなかなか面白かった
でもナチス党員とかの名前が説明抜きに出てくるから
難しいかも
元々反ユダヤという感覚自体、キリスト教徒なら普遍的に持っている感覚。
そもそもヒトラーは自分のお気に入りのユダヤ人に対しては「名誉アーリア人」としてあげて助けてあげたりしている。
ヒトラーお気に入りの女中はユダヤ人であったが名誉アーリア人にしてもらってそのまま雇用されていたりする。
少なくともナチスに票を投じた人は責任がある。
ナチスは、民族共同体という理念で労働者からユンカーまで
カバーしてたが、他の政党は、ユンカーや大企業のみとか
労働者のみとか支持層が偏ってた
なら投票に行かない、あるいは白票で出せばよかったんだよ。
としたり色々ヤバいわ
拷問したり、治外法権状態だったとか聞いたことがある。
コンビニに行ったらキチガイが喚き散らしていた…
列にすら並ぼうとしないで我が物顔に割り込みするわ、
終始奇声をあげて騒いでいるわ、
俺も何もしてないのに突然威嚇された。
あんなキチガイが健常者を押しのけて我が物顔に振る舞ってるような世の中は間違ってるわ
T4計画はやっぱ正しいとしか思えん
パラグアイなんかは大統領にまでなってる人いるし
その技術をのどから手が出るほど欲しがった国は山ほど有ったよ
アメリカやソ連だって真っ先にフォン・ブラウンとかロケット技術者を拉致してるし
彼らを、まとめあげたのが、共和党
そもそもアメリカ最大の財閥であるロックフェラー財閥はドイツ系だ。
ねーよ
第二次大戦時代のことを知ってる人々はすでに死んでいる
今のドイツ人たちは多かれ少なかれ中国や韓国のプロパガンダに乗せられた人たちだ
「日本は我が偉大なるドイツ人と違って、中国人や韓国人に謝罪していない」
とか思いこんでるドイツ人が大半ですけど。
日本が何度も何度も謝罪し、国家賠償を行ってる事すら連中は知らんのですよ。
そもそもドイツは個人賠償はやったけど国家賠償はやってないし。
ホメオパシーや地下帝国探索、宇宙氷説等のオカルトも結構すごかった
それは違う。
「当時としては」科学的な思想だったのだ。
優生学もダーウィン主義もアーリア人学説も、「当時としては」科学的な話であった。
T4計画も、ユダヤ人排除も、「科学的」思考から出てきた代物だ。
だからこそナチス嫌いのハイエクなんかは「致命的な思い上がり」とか「隷従への道」を書いて、ソ連共々ナチスドイツを批判した。
人間の頭で考える「科学的」なんて物は、物事全体の内の1%にも満たない範囲しか知らないのであり、何でも知ったつもりになって国家を運営するのは「致命的な思い上がり」であると。
チベット
南極大陸
宇宙空間
であった
要はどこの国にも属していない秘境とかの類だった
そこらへん辺りだったら「ドイツの植民地」として認めてやっても善かったんじゃないかな?
英仏は、その程度の利益供与すらドイツに認めなかったかんだから、自ら災いを招き寄せたとしか思えない
たしかグリーンランドに聖杯探索にいってたとか聞いたぞw
日本としては、何が何でもドイツを勝たせなきゃ話にならなかった。日ソ中立条約が足枷だった。松岡の言う通り、破棄し、背後から、ソ連を攻撃し、滅亡させるべきだった。
↑
スレ違いに話題を誘導しそうだ、申し訳ない。
申したい事はナチス・ドイツは勝つべきだった、この事だ。
残念無念だよ。
それは事実かも知れない。゛国際金融゛は「戦争をコントロールしている」。だが、一旦、動きだしたドイツ民族のダイナミズムは゛国際金融゛の制御の及ばない自律性に帰属した。第二次大戦中のドイツはもはや、西側の銀行家たちの傀儡ではなくなっていた。そこに希望を見出せる、と思う。
スラブ民族は劣等人種!
スラブとは奴隷という語源、つまり奴らは歴史的に奴隷とされる宿命なのだ!!
これよりバルバロッサ作戦を発動する
ソ連は腐った納屋だ(キリッ)
戸を一蹴すれば全壊するはず
大丈夫、クリスマスまでには帰れるさ
《1944年4月29日》
あ~^^ベルリン陥落すりゅぅぅぅ
(ソ連には勝てなかったよ、、、)
山本に限らずにね。
あまりにもドイツ嫌いが多くて、まるでドイツの足を引っ張る為だけに行動してたようですらある。
そもそも誰しも指摘する事ではあるが、どうして「対米英戦を始めた」のか?
いや、石油禁輸とか資産凍結、そしてハルノートなんかのアメリカのふざけた態度については知ってる。
日米関係は一触即発の関係だった事も知ってる。
いずれはやり合わなければならない関係だったかも知れない。
しかし「アメリカには宣戦せず、イギリスとオランダにだけ宣戦する」というやり方があったのではないか?
別にアメリカはイギリスやオランダが宣戦されたら参戦しなければならない軍事同盟の義務を負っていたわけではない。
帝国海軍はただひたすらイギリスにだけ集中して攻撃を仕掛けるという可能性もあったということだ。
オランダなんてザコは帝国海軍から見れば一蹴だろう。
マレーシアとボルネオ、インドネシアを取れば、とりあえず自給自足圏は完成する。
多数の島々を抱えるフィリピンを占領するのは、労多くして功少なしにしかならないので敬遠しておけば良い。
自給自足圏完成以降は海軍はインド洋の制海権獲得に集中させて、連合軍の船を一隻も紅海に向かわせなければ、
アレクサンドリア戦で猛威を振るったシャーマン戦車だって輸送できなかっただろう。
だったら別に体調を崩してドイツに一時帰国したロンメルでなくともアレクサンドリアは陥落させられた。
スエズ運河をドイツ軍が支配することも夢ではなかった。
スエズ運河を支配したドイツ軍であれば、カフカス山脈の向こう側にある石油が採れるソ連領バクーまで一瀉千里の距離だし、中東の石油だってよりどりみどり。
当時は今ほど中東では石油が採れなかったとは言っても、イラクやクウェートの石油施設はすでに稼働していた。
直接対ソ戦に参加しなくとも、海軍が西に目を向けさえすれば、これだけのことができたわけである。
「英米と組むべきだ」
理想論は結構。
だが、肝心の英米が、日本がどう行動すれば手を組んでくれるのか?
具体例が何一つ挙げられなかったのが、当時の「親英米派」であった。
『日本が徹底的に英米に媚びへつらえば英米の好意を買うことができる』
山本五十六のお友達、井上成美はこう言ったらしいが売国奴の発想にしか思えない。
そもそも、部下の親ドイツ派だった神重徳あたりから、
「それってただの希望的観測ですよね?媚びへつらえばそれだけ日本の属国化と植民地化が進む恐れもあります」
と突っ込まれるとダンマリだったらしいし。
実際、戦後の日本はひたすら今に至るまでアメリカに媚びへつらってきたが、
アメリカの好意を買うどころか、至るところでアメリカは日本が閉鎖的だの言うことを聞かないだの不満を漏らすし、
平然と日本の敵である中国や北朝鮮なんかとも妥協するし、
「年次改革要望書」とか題して、日本の社会システムをアメリカ化させようとまでしているではないか。
結局、媚びへつらえば何とかなるって問題でもなかったろう。
悪名高い大島浩だとか石川信吾、神重徳なんかの「親独派」の方がよっぽど方法論も世界観もしっかりしていた。
当時の日本としては、英米が日本をディスっていた以上ナチスドイツと組むしか無かったし、
組むとすればできるだけ早い方が良かったし、
できれば軍事技術や日独連携作戦なんかも情報交換し合えるくらいの親密な関係性を構築しといた方が良かった。
その意味で大島浩とか松岡洋右は再評価に値すると思うんだけどな。
私も松岡の地勢学的外交は驚嘆に値する、と最近、いや、今日、気付いたんだ。
先進海洋勢力、英米に頭を抑え込まれていた当時の後発海洋勢力、日本はランドパワー独蘇(ソ)の勢力伸延を助長する事で、第一人者、アングロサクソンの相対的力を削減出来るからね。
独ソ戦についてお互いに協力する事もできたろう
逆に、ソ連を味方につけて米英仏に対するという外交手段だって提案できたかも知れない
提携するのは早ければ早いほど良かった
どうせ、アメリカとイギリスは、日本がどんな誠意を見せようとも、それに対する好意的返礼なんかしてくれなかったのだから。
シナ革命で有名な孫文は、その時イギリスの首都であるロンドンに滞在していた。
そんな時、
『日本海海戦で日本帝国海軍がバルチック艦隊を完膚なきまでに叩き潰した!』
というニュースが孫文の下に飛び込んできた。
「イギリスは日本の同盟国だから、さぞ日本の大勝利を喜んでるだろう」
と孫文は喜び勇んでロンドンの町に繰り出してみると、
ロ ン ド ン の 街 は
お 通 夜 の よ う に 静 ま り か え っ て い た
これがイギリス人が日本の大勝利に与えた礼儀であった。
同盟を結んでおきながらも、黄色人種である日本人よりも同じ白人であるロシア人の犠牲の方に同情する連中。
それがイギリス人であった。
こんな連中とどうして未来永劫仲良くやっていけると言うのであろう。
一方アメリカである。
アメリカ人が差別主義の権化で、1960年代の黒人公民権運動の頃まで酷い差別がまかり通っていた事も有名である。
また、1989年であったか、サンフランシスコで大規模な暴動が起こったが、あれだって差別が問題の発端ではなかったか。
「あと十年ちょっとで21世紀になる」という頃まで、アメリカ人というのは差別主義を温存していた国民なのである。
こんな連中と、1930年代から41年までの日本人が、どうしてうまく折り合ってやっていけると言うのだろう?
人種主義国家として有名で、さぞかし差別は酷かったと思われがちである。
だが、「アメリカやイギリスほどではなかった」というのが実際の所であった。
少なくとも日本人から見れば。
ヒトラーの主著『我が闘争』の中で、ヒトラーは日本人については、
『偉大なアーリア人種が産み出した文化を受け継ぎ、コピーするしか能の無い二流民族』
このような事を書いている。
一見「人種差別」に思えるが、当時のアメリカ人は、日本人を「人間扱い」していなかった事を忘れてはいけない。
たとえ「二流民族」であっても、「非・人間」よりは立場は上なのだ。
人種主義を標榜していたナチスドイツの方が、日本人から見れば
「差別の少ない国家であった」
という事はこれは最大の皮肉であろう。
ちなみにヒトラーは後年日本人に対する見方を大幅に改め、かなり高い評価をするようになる。
その意味でも、
『日本海海戦での日本軍の圧勝を聞いてお通夜のように静まりかえったイギリス人』
とは違っていた事も付記しておかねばならない。
昭和天皇?
東條英機?
それ以上に有名な日本人がいた。
ドイツ大使の【大島浩】である。
『週間ドイツニュースで、最も出番の多かった非ドイツ人』
と言えば、いかに大島が異常にドイツマスコミに登場していたかが分かろう。
同じ白人のイタリア人ではなかったのだ。
当時のドイツ人で『ジェネラル オオシマ』を知らない人は子供だって居なかった。
果たしてアメリカやイギリスが、日本人大使を自国のマスコミにスターとして祭り上げてくれた事が一度でもあっただろうか?
その一点だけを考えても、ナチスドイツがいかに(日本にとっては)差別の少ない白人国家であったかが分かりそうなものだ。
一応誤解されたら困るので再確認だが、「日本人にとって」差別が少なかったと言っているわけであり、
【ドイツでは外国人差別は無かった】
【ユダヤ人差別も無かった】
とかいいたいのではない。
あくまでもここでの趣旨は「日本人にとって」という点がポイントである。
曰く「あのナチスと同盟したのだから日本もきっと同列だ、特亜人が声高に被害者ぶっているのが何よりの証拠だ」と
世界一国際法を遵守し、世界一軍規の厳しいと評された皇国軍が戦後は下劣で身の程知らずな猟奇集団のように語られる
“日本は凶暴だから何をするか分からない”と技術をとり上げ領土をとり上げ軍隊までとり上げられた
かわりにマッカーサーと女子学生が思い付きで書いたメモを“平和憲法”だと押しつけられ、、、
原爆が落とされた日には「過ちは二度と繰り返しませんから」と刻まれた碑文に頭を下げている
は?俺たちは被害者じゃないのか?
過ちを押したのはアメリカだろ?
それとも「分をわきまえずにアメリカ様に歯向かって申し訳ありません。最後の2発はとくにききましたよ、いい薬でした。もう二度と歯向かいません永遠に奴隷でいいです」ってこと?
なぜイギリスと同盟せずよりによってドイツにはしったのか
未来永劫特亜にたかられ欧米にカツアゲされる戦犯国日本
ドイツは日本と同盟を組みながら日本の敵である蒋介石に軍事顧問団を派遣するような精神分裂病国家だぞ
奴らは戦前も今も親中反日だよ 理屈じゃなくて感覚でそうなるらしい
明治から日本人はずっと片思いしているだけ
日本は海洋勢力でドイツは大陸勢力
本質はお前らが嫌いな中韓朝と同じだ
好悪で同盟を結んで大日本帝国は滅んだ
好き嫌いじゃなく合理性で相手をえらべ
第三次世界大戦が起きたとき、日本を戦勝国にしたいならアジア主義者と親独派は宇宙に放り出すべき
コイツは何を言ってるのか…
イギリス自体、ナチスドイツへの対応が二転三転して迷走していたというのに、
同時代に生きている日本がスムーズに対応なんぞ出来るものか…
英独海軍協定とか知らないだろコイツ?
イギリスは決して最初から「ヒトラーくたばれ、ドイツを倒せ」で首尾一貫していた訳ではない。
ましてイギリス人の有名な「二枚舌」「三枚舌」は筋金入りである。
そんな自分勝手なイギリスと、どうやれば上手くやっていけると思ってんだよ?
ついでに言っておけば、ナチスドイツは日本と同盟を結んでから中国に軍事顧問を送ったのではない。
日本と同盟を結ぶ前から、さらに言えばワイマール共和国の頃から中国に軍事顧問団を送っていたのだ。
ナチスドイツが始めた訳ではないし、ヒトラーは日本の抗議を聞き入れて、外務省や親中派軍部の反対を押し切ってさっさと軍事顧問団を撤収させているではないか。
>>39はそれについてどう説明するのかね?
勝ちさえすれば国家は奴隷となっても構わないのか?
そんな物が有るんだったら、当時の親英米派が困ってねーよ
第一、1932年にオタワ会議とか開催して日本の商品を占めだしておきながら、
何が『イギリスとの同盟』だよw
恥を知れ!
日本が国際連盟から脱退(1933)しなくても、シナ事変(1937)にならなくても、
イギリスはすでに日本の商品をシャットアウトし貿易摩擦問題まで起こっているだろうが。
おまけに、蒋介石に一番援助を与えていたのは、アメリカを除けばイギリスだろ
ビルマルートとか使って、当時、イギリスの植民地だったミャンマーから援蒋ルートを繋いでいたのはどこの連中だよ?
ドイツが蒋介石の軍事顧問を派遣していたのは確かだ。
だが、日独防共協定締結後は、日本の抗議を聞き入れて軍事顧問団を撤退させただろ、アホが
恰も、作曲家の故黛敏郎さんが天国から、降臨したかの如きだ。
簡単な理屈だ。
・イギリスが差別国家の権化であり
・平然と同盟国の日本を裏切るろくでもない国であることをヴェルサイユとワシントン会議で見せつけられたからだ
日露戦争の英雄、東郷平八郎は、日本の国を代表してはるばるイギリスに海軍技術を学びに来たというのに、
イギリスの差別政策のせいで海軍士官学校に入学できず泣く泣く商船学校に入れさせられたのは有名な話だ。
しかもそこでは下っ端中の下っ端として、デッキブラシ片手にただひたすら来る日も来る日も船底を磨く、奴隷か苦力のような扱いに等しかったらしい。
まだ同盟を結んでなかったとはいえ、イギリスとはこんな国であった。
同盟の締結後といえども、イギリスは決して日本の国益を擁護してくれたわけではない。
例えば日露戦争で、ロシアは同盟を結んでいるフランスから「資金援助」を受けながら日本と戦っていたが、
日本はイギリスやアメリカで「外債を募集」して戦ったのだ。
結局、ロシアはフランスに資金の返還義務は発生しなかったが、日本は律儀にもイギリス・アメリカへの返済の義務を生じたというわけだ。
別にタダでカネを貸してくれたわけではないし、きっちり利子も取られている。
そして第一次世界大戦。
イギリスはフランスと組んで広大なドイツ植民地や、オスマン帝国領土だった部分を獲得した。
しかし、同じ戦勝国である日本に対しては、
・旧ドイツ領南洋諸島に関しては赤道より北の部分だけ日本領土と認める
・ドイツが支配していた山東半島は、ろくに何の軍事的貢献もしていない中華民国に返還すること
こんな条件を認めさせられたのだ。
自分たちが好き勝手にドイツやオスマン帝国の旧領土を分割し、一カケラも日本に分け前をよこさなかった態度と比べてこれはなんたる事か。
また、日本は度重なる人種差別に苦しんできた歴史を持つので、ヴェルサイユ会議や国際連盟規約に「人種平等案」を挿入しようと運動した事があった。
それに対して真っ向から反対を示したのは、アメリカとイギリスという二つの超差別国家であった。
同盟国でありながら、同盟国日本の提案に反対するイギリスなんぞとどうして仲良くやっていけるのであろう。
結局、ヴェルサイユとワシントン会議の結論は、
「米英仏の一人勝ち」であり、同じ戦勝国であっても日本やイタリアは徹底的に冷遇されたとんでもない代物でしかなかった。
日本人やイタリア人がヴェルサイユ条約に不満を持ったのは当然である。
色々な理由が挙げられるだろうが、一言でまとめて言うと、
「アメリカやイギリス、フランスなどの戦勝国の”アフター・ケア”が最悪に酷かった」
これであろう。
もしも英仏が、1939年までにヒトラーに与えてやった譲歩を、
1920年代、ドイツ外交を牽引していたシュトレーゼマンに(十分の一でも)認めてあげてやっていたなら、
ナチス政権の成立は無かっただろう。
もしも英仏が一貫してウィルソンとかいう頭のおかしいアメリカ大統領を排除して、イタリアの言い分を擁護していたのであれば、イタリアがファシズム化することはなかっただろう。
もしもアメリカが「排日移民法」(1924)など制定せず、人種平等案も受け入れており、
世界大恐慌後も「ホーレー・スムート法」などという悪法を制定して日本製品を占めだしていなければ、
「娘の身売り」だとか「大学は出たけれど」などという日本人の貧困は有り得なかったであろう。
もしも1932年のオタワ会議が存在せず、イギリスがブロック経済化しなければ、
フランスもそれに追従しなければ、
日本もドイツも商品の輸出先に困ることは無かったし、失業者も激増しなかっただろう。
全部、【アメリカとイギリスのアフター・ケアの結果】ではないか。
「アメリカ・イギリスと組んでれば良かった」
とか言ってる連中って、
【名誉白人】になりたがってる連中にしか思えないな。
しかも差別主義に凝り固まったアメリカやイギリスは絶対に日本人を対等の人間であると認めないので、
二等か三等の数段劣った形での【名誉白人】扱いにしかならない。
「二等でも三等でも名誉白人として認めてもらえればそれでいい」
と言ってる連中にしか俺には見えない。
満州事変が起こったのは1931年。
国際連盟を脱退したのは1933年。
シナ事変が起こったのは1937年。
一方でアメリカを見てみると、
人種平等案を否決したのは【1919年】。
排日移民法を制定したのは【1924年】。
関税法を制定して日本商品を締めだしたのは【1930年】。
日本の満州事変も国際連盟脱退も全く関係なく、アメリカは日本を一方的に敵視して攻撃しているのが解る。
この問題については何度も何度でも指摘しなければならない。
ありがとう。
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4336056412/
図書館でいいので、是非この本を読んでほしい。
著者はアメリカ人で、しかもアメリカの「保守」を代表する論客。
ついでに言えばネオコンのことは嫌っており、イラク戦争などの外征には常に反対してきた真性の「アメリカ保守」の人間だ。
当然、日本の行動などについては
「軍部の暴走」などと短絡的な説明で済ませていてそこだけは残念だが、
【1920年代から1930年代にかけての当時のアメリカとイギリスがいかに愚かだったのか】
を描いた部分は、まさしく日本人全員が暗唱するくらいの白眉であると断言できる。
日本の保守評論家にはなぜか大人気の「チャーチル」に対しても、著者は遠慮なく批判している。
しかもチャーチルこそが、第二次世界大戦長期化の原因であったと指摘するに至っては目からウロコの指摘であることは請け合いである。
かなりぶっとい本なのでなかなか読み通すのは大変だろうが、
自信を持って勧めるので是非とも読んでもらいたい。
この本を読まずして、
「第二次世界大戦はどうして起こったか」
「どうして止められなかったか」
「どうしてヒトラーは台頭したか」
「どうしてかつての同盟国であった日本やイタリアが敵に回ったか」
これらを説明することはできない。
またその資格も無いと言えるであろう。
イタリアだって英仏に冷遇された可哀想な「戦勝国」であった。
イタリアは元々ドイツ・オーストリアと三国同盟を締結していた。
しかし、ローマ帝国の時代からイタリア人はゲルマン民族が嫌いだし、何よりもオーストリアは長年イタリア半島を蹂躙していた仇敵。
しかもヴェネツィアやトレントの辺りには「未回収のイタリア」と言って、住民は圧倒的にイタリア人なのにオーストリアが領土にしている地域が存在した。
このような関係ではイタリアとオーストリアがしっくり行くわけもなく、その間隙を突いて英仏が自分たちの味方に引き入れようとイタリアをかき口説いたわけである。
その時英仏は、イタリア参戦の代償として次のものを保証した。
1、「未回収のイタリア」
2、トリエステ半島とフィウメ港
3、ダルマツィア(ヴェネツィア共和国領だった)
4、アルバニア
5、ギリシャやトルコ沿岸の島々
6、エチオピア
7、リビアとエチオピア間を繋ぐ形の植民地
ロンドンで秘密裏に締結されたので「ロンドン秘密協定」とも「ロンドン密約」とも呼ばれる。
イタリアはこの条約に従って参戦、オーストリアに宣戦を布告した。
(ドイツには宣戦しなかったが後日ドイツから宣戦された)
以降11回にも及ぶイゾンゾ河の合戦や、山岳戦の戦史に残るグラッパ山の戦いなどを、
イタリアは 独 力 で 戦って見せたのである。
この頃のイタリアにはまだ強力なアメリカ軍は存在しないし、英仏からの援軍も十分ではなかった。
途中カポレットの大敗という不祥事も起こしたが、
それでも米英仏からの援軍も集めてヴィットリオ・ヴェネトの戦いで大勝利、ドイツやオーストリア軍60万を捕虜にする功績をたてた。
オーストリア=ハンガリー帝国が講和に同意したのは、この大敗があったからこそである。
そしてヴェルサイユ会議となった。
イタリアには何が与えられたか?
「未回収のイタリア」は返ってきた。
だが、イタリア人が大多数を占めるフィウメ港は元セルビア王国の新生ユーゴスラビアに与えられることになった。
ダルマツィアもユーゴスラビアに与えられた。
アルバニアもエチオピアも獲得できなかった。
文字通りの狂人であったアメリカ大統領のウィルソンが、ロンドン密約を認めなかったからである。
ちなみにウィルソンは1919年10月に脳梗塞を発症、半身不随となっており、言語麻痺、思考麻痺に陥っており、本物の意味で「狂人」であった。
こんな「狂人」が好き勝手に世界を引っ掻き回したせいで、第二次世界大戦や中東戦争が準備されたと言っても過言ではない。
イタリア人に話を戻すが、戦死者65万人とも言われる彼らの犠牲は決して報われることはなかったわけだ。
ドイツの海外植民地やオスマン帝国の海外領土(イラクやパレスチナなど)は、ことごとく全てイギリスとフランスだけに分割された。
イタリアには1ミリも分け前が無かったのである。
これで激怒したイタリア人たちがファシズムを選んだのは当然すぎる理屈であった。
「第二次世界大戦でイギリス人の犠牲を増やした総責任者」とも言える。
と言っても、「ガリポリの屠殺屋」で有名なチャーチルの作戦音痴を批判しているのではない。
その手のチャーチル批判ならば、別に日本でも珍しくない。
チャーチルが問題だったのは、作戦とか戦略とか言う以前の時点である。
もっと言えば1940年に首相に就任する【前】から、
さらに言えば1939年に海軍大臣に就任する【前】から、すでにチャーチルに問題があり、
そのせいで多くのイギリス人は死に追いやられ、
また、第二次世界大戦は都合6年も続いたのである。
無論、「チャーチルだけ」の責任ではなく、そうなったのは、多くのイギリスの政治家たちが【愚かな選択】をしてきたからだ。
イギリスが愚かだったのは、ネビル・チェンバレンに代表されるような【融和政策】だけではなかった。
むしろ、仮にも空軍力拡張の時間を稼いだという怪我の功名のある【融和政策】よりも、
それ以上に問題の多かった政策を次から次とイギリスはやっていたのだ。
第二次世界大戦の最大の原因は、ヒトラーや日本軍ではなく、アメリカ人とイギリス人の愚かさであろう。
と言うか、常識的に考えて「持たざる国」である日本やドイツの方が、
どうして「持てる国」であるアメリカやイギリスよりも
【戦争責任が上】
【戦争の原因】
となれるのであろうか?
普通は力のある方こそが、戦争の原因を作り出すものである。
自覚的であれ、無自覚であれ。
その海洋国家論こそが「南進論」の根拠にもなったし
日米戦争の遠因にもなったんだけどな。
むしろ、徹底的に陸軍を強化してノモンハンとかシナ事変で苦戦しないスーパー陸軍にしておくべきだったと思うんだけどな。
中華民国程度に苦戦する陸軍では困る。
満鉄付属地や朝鮮半島を支配下に置いた時点で、日本は島国ではなくなった。
大陸国家となったのだ。
すぐ隣に最悪の陸軍国家であるロシア=ソ連が存在するのだから、是が非でも陸軍を強化するべきであった。
゛大陸軍゛を造るには、基礎の人口が1億3千万人じゃねぇ。心細い。
イギリスはそれ以下の人口で「日の沈まない帝国」を作り上げたはずだが。
結局「やりたくないから言い訳している」としか見えない。
ジンギスカンの頃のモンゴルを思い浮かべれば、十分すぎるほどだと思うが。
要はやる気が有るか無いかの違いでしかない。
10.とある中国人
実は私は日本をとても認めている。
将来50年で、日本は米国の30%~60%を収め、100年内で地球を制御するだろう。
なぜなら、日本の国旗を見ればわかる。
真ん中の赤色は母星を代表してる。
つまり恒星・太陽なんだ。
その意味は深い。
風水から見ればとてもいいデザインなのだ。
『ファッキン!ナチ!』
が飛び交う素敵な映画ですね
この組織の仕事はナチハンターだけでなく、ナチを擁護する個人や団体に圧力を加え、沈黙させると言う活動でも名を馳せている。
すなわち、ナチハンター、サイモン・ウィーゼンタールの背景にある権力は日本国憲法(政府が国民に約束する言論の自由)よりも一段レヴェルが上の超国家権力である事が分かる。
“ユダヤ陰謀論”を否定する大多数の通俗的観測者たちは右のの象徴的挿話に明らかな彼ら少数民族の超国家的権力の存在を如何に解釈するのだろう?
上記のサイモン・ウィーゼンタールの組織はそのタブーを維持する隠蔽機関である。
では、そのタブーとは何か?
ドイツ国内のユダヤ系ドイツ人、もしくは、ドイツ占領下の交戦国領土内のユダヤ系外国人はともにナチス・ドイツの定義では敵国捕虜であったのだろう。
すなわち、ナチス・ドイツは第二次世界大戦の勃発、1939年9月初頭の遥か以前に民族としての”ユダヤ人“に対し、実質的に交戦状態にあったのである。
ところで、“戦争”とは原因が無ければ発生しない。ナチスに代表されるドイツ国民がこのマイノリティーとの戦争状態を認識するに至った背景が存在する。
第二次世界大戦は、ダンツイヒの帰属と回廊通過権を廻る独波両国の対立緊張の惹起された1939年の春~初夏の何年も前にドイツ国民とユダヤ民族の間では既に開戦されていたのである。
侵略は確実にあった。しかし、それはユダヤ民族によるドイツ民族への侵略であったのだ。
そう考えれば、一連のドイツによるユダヤ民族への迫害の説明がつく。
戦後の世界ではこのドイツ国民がユダヤ民族と実質的に交戦状態にあった客観的実相に言及する事が禁止されている。
この客観的実相への考察の扉の門前に聳(そび)えるユダヤ民族の歴史隠蔽担当部局、それがサイモン・ウィーゼンタールの組織である。
このロシアに於けるユダヤ民族の権力独占はトロツキーの失脚によって瓦解した。
ヒトラーとスターリンの同盟は右の事実を証明する。
リッペンドローフと交渉した外相はリトヴィノフではなく、モロトフだったからだ。
ヘンリー・フォード一世はナチス・ドイツから大十字ドイツ鷲勲章を授かっている。
やっぱナチスやヒトラー関係の書籍は色々あるねぇ
戦前戦中戦後に至るまで
ナチオナルゾ アリスティッシェ
ゾジアリズムス
ドイッチャー
アルバイター
パルタイ
の略で『NSDAP』だな
そのように描かれがちな大島浩だが、
実像は随分と違うようだな
むしろ大島浩はユーラシア大陸を股にかけた地政学の視野で物を考えて、
「ドイツと組んだほうが良い。ドイツと組んでソ連を挟み撃ちにして牽制しなければ日本の生きる道は無い」
と考えていたらしい。
一方、日本政府は戦後も戦前も優柔不断で決断が遅いのは相変わらずのようだ。
日本が知らないところで独ソ不可侵条約結んだりとか、はたまた独ソ戦始めたり、
『ドイツはいつも約束を破る』
とか言って憤慨する人がいるが、
優柔不断に優柔不断を重ねて、いつまで待っても決断を下せなかった日本政府のほうが悪いと言えなくもないんだよね
ドイツは意外にも、日本には防共協定の成立以来少しは目をかけてくれていたのか、
不可侵条約も独ソ戦もあらかじめ日本に対しては大島浩のルートを通じて明言してあった
平沼が言ったような『複雑怪奇』でも『寝耳に水』でも何でもなかったわけだ
大島浩のドイツからの報告を無視しまくったり、過小評価したり、ハッタリに過ぎないとか次々と誤った判断を下したのは、
当時の「外務省」や「参謀本部」、そして日本政府なんだよね
せっかく大島浩は、ヒトラーやリッベントロップと個人的に親しくなり、
彼らからドイツの内情や機密情報、技術情報まで手に入れていたというのに、
日本側にその情報をうまく活用してくれる人間がいなかったのが日本の悲劇
大島浩が陸軍の軍人だからということで
外務省がナワバリ争いみたいな競争意識を持って
必要以上に大島浩の電文を過小評価した結果が
独ソ不可侵条約であり、はたまた独ソ開戦だった
ドイツから言わせれば、
『我々はジェネラル・オオシマを信じて充分待ったのに、日本政府はちっとも誠意を見せないし、待てど暮らせど返事もよこさんではないか』
ということだね
どうせ米英と開戦するのなら
もっとドイツと早く組んで色々連携を深めておくべきだったと思う
当然対ソ戦もドイツと一緒にやるべきだし
ドイツのポーランド戦の頃だったら連合軍の東南アジアの防備は固め終わってないから
ハワイとかミッドウェーとかヘンな所を狙わなければ日本の戦力(主に海軍力)でも充分勝てたと思う
まだ仏印は日本が進駐してないけど1945年の、日本が敗戦近かった頃ですらフランス軍なんか日本軍の相手にならなかったのだから
一瞬でインドシナのフランス軍なんて追い払えるだろう
どうせ米英と仲良くできないなら
ドイツと徹底的に仲良くして技術支援なんかももらったり
戦争の協力もしたり
色々できたと思うのに今も昔も日本政府は優柔不断で決断できない組織だからな
嗾けたのはドイツだろうに、マッチポンプ的に考えると
核提供したのもドイツなんじゃね? 余程日本の粘りが予想外だったと見える
民主主義というか、今の政治体制ってアヘン戦争並みの凶事をゴリ押しし易いためにあるんじゃね?
アメリカは排日移民法とか制定する、バリバリの差別国家だからねぇ……
映画『42』なんか見れば、日米戦争終了直後の1947年とかでも、普通に黒人や黄色人種を差別していたアメリカの姿が解るよ
皮肉な事に「民族主義」を掲げているナチスドイツのほうが、まだ日本人差別が無かったような状況だった
ナチスの功罪によくロボトミーとか自白剤って挙げられるけど
あれって超能力研究の前身から見てもダメリカやオロシアの技術だよな
ナチスの指揮はそんなもの必要としないくらい高かったわけだし
これ、よく言われがちだけど、全然関係ないらしいな。
独ソ戦開始が一ヶ月遅れた事にイタリアは全く関係がない。
それまで親ドイツだったユーゴスラビアでクーデターが起こり、
「ドイツ大使の乗った車にツバを吐きかけられた」
というたったそれだけの事に、
『ドイツの名誉が傷つけられた!』
とヒトラーが激怒してユーゴ攻めに至ったらしい。
つまりイタリアは関係がないと言っても良い。
イタリアがギリシャ攻撃を開始していようがいまいが、結局ユーゴスラビアでクーデターが起こってしまえば、ドイツの攻撃は免れなかっただろう。
ユーゴスラビアがドイツの同盟国にならない限り、ルーマニアや、ブルガリアに援軍を送るのが難しくなるのだし。
ドイツ軍によるギリシャ攻撃は、ユーゴスラビア攻撃の「ついで」みたいな物らしい。
もっと言うなら、元々ヒトラーは最初っから「6月に開始する」と決定していた説もある。
つまりことごとに比較対照されていたナポレオンと同月同日に開戦して見事勝利を収めて見せる事で、
「どうだ!オレ様はナポレオンとは違う!アイツなんかよりもずっとずっと偉大なんだ!」
と自慢して見せる意欲が有ったのだとか。
これが本当だとすると、尚更「イタリア」は全然関係ない。
単にヒトラーの個人パーソナリティの問題という事になる。
さらに、対仏戦などで西に送った車両を、ソ連に気づかれないよう密かに東に送るだけでもかなり大変だったようで、6月開戦は妥当なんだそうな。
イタリアは全く関係ない。
ヒトラー本人でさえ、「イタリアのせいだ」などと晩年に言っているので勘違いされやすいのだが。
ダメリカのナチスのフリも結構うまかったよ
お前ら戦勝式典やるとかギャグだろって日記に書かれるレベルだった
ドイツが技術支援したのは専ら中国であって日本ではない!
一九三六年四月八日、顧振を団長とする中国国民政府訪独団と、経済大臣兼国立銀行総裁
シャハト(Hjalmar Schacht)との間で、一億ライヒスマルクにおよぶ借款供与を内容とする
中独条約(別称HAPRO条約)が調印された。
http://www.seijo-law.jp/pdf_slr/SLR-079-045.pdf
ところが、ナチズムの権力掌握後、独ソ関係の悪化によりこの軍事協力関係
の維持は不可能となり、ドイツ国防軍がみずからの活力を維持するためには、
あらたな軍事的パートナーを必要とするにいたったのである。この面で
ドイツ国防軍、主として陸軍が注目したのは中国であった。・・・中略・・・
また、国防経済という観点からも、ドイツ国防軍が親中路線を採用する理由が
存在した。なぜなら、両国の経済は相互補完的であったからである。ドイツ国防
経済は、ロシアとの関係悪化後、技術刷新の継続のためにも、また付加的な
輸出の拡大のためにも、あらたな市場を求めていた。一方、中国側は、ドイツから
の工業製品輸入を天然資源の輸出で相殺することができたし、また一九三五~三六年
のドイツの武器輸出総額のうち、実に五七・五パーセント(二千万ライヒスマルク)
が中国に向けられていたのである。
これに対し日本はその一パーセントにも満たない十七万七千ライヒスマルクであった。
<ナチズム極東戦略 日独防共協定を巡る諜報戦 / 田嶋信雄/著 >
知ってるよ
だからこそ、早く軍事同盟を結んでおくべきだったんだろ?
防共協定を早々に発展させて軍事同盟にさせておけば、同盟国への裏切りは許さないという事で、ドイツの対中支援は打ち切られたはずだ。
ドイツ視点から見れば、日本の方こそグダグダ実の無い日米・日英交渉にこだわって、無駄に時間を浪費していた同盟国とも思えない役立たず連中だったろうさ。
「対英戦に発展するから」と防共協定強化(軍事同盟)は断ったり、
軍事同盟締結後も、独ソ戦には参戦しなかったし。
本当に「同盟国」を名乗る資格が有ったのかすら疑わしい。
でも、ヒトラーはそんな日本人にいちいち失望しないで、最新軍事技術を色々プレゼントしてくれたんだけどね。
俺の祖父ちゃん、その交渉に立ち会ってるから、よくその辺の事情知ってるよ。
まだ英米との関係復活、日米親善とか唱えてる阿呆が居たのが当時の日本だった。
売国奴として牢屋に放り込まれなかったのが不思議でならない。
それくらい、当時の日本は親英米派の言論の自由を守っていた事になる。
(もちろん今のインターネットでの誰彼構わぬ批判と同じく、「殺してやる」的な脅迫状がワンサカやってきたのだろうが)
相手を同じ人間と見なしていないアメリカと日本が、根本的な部分で仲良くできるはずないし、
それはイギリスだってそうだった。
ナチスドイツやファッショ・イタリアの方が、まだ、日本人を人間扱いしていただけマシだった。
それが歴史の事実だ。
但し、半世紀以上前の話な。当時のスポーツ新聞は大衆読み物ではあっても、プチブルの観賞に耐える紙面だった。
半世紀前迄の我が国の゛大衆文化゛は、いわゆる、大衆と高等遊民を含むプチブル(インテリゲンチア)の「境界のファジーな゛混沌性゛」を特徴としていた。
この境界の曖昧なカオスに行き来するプチブル中間層の政治軸は右にも左にも揺れる可能性があった。
ファシズムはこの中間層をブラックホールのように吸引し、独占する事に成功した思想である。
メルケルが安倍晋三に向かって偉そうに得々とお説教していったが、
国家賠償もやっていないドイツ人にお説教される筋合いなんて無いだろ。
安倍晋三も、駐日ドイツ大使を呼んで即座に抗議するレベルの話だろ、これ。
大体、日韓関係・日中関係と、独仏関係・独英関係は全然違う。
メルケルやドイツ人の対応は、韓国や中国相手には通用しない。
フランスからは鬼子扱いされて「なかったこと」扱いされてるから、ナチスドイツと一緒くたにしていいよね?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%A1%E3%AB%E3%BB%E3%AB%E3%B1%E3%93%E3%BC%E3%AB%E6%B5%B7%E6%A6
イギリスまじ鬼畜……
しかもこんなのを【美談】扱いしているんだから信じられない。
おーぷん2ちゃんはDAT落ちしないから。
結局、ナチスによって作られ、ナチスによって滅ぼされた国だから、ナチス関係としてまとめられないかな?
もっとこのスレが活性化してもらいたい。
本当。
スターリン(グルジア人)の粛清で多くが殺されたけど。
レーニン、トロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフ、ブハーリン、ジェルジンスキー、などなど、
全員ユダヤ人か、その血を引いている。
ってのも大きい
オーストリア、
チェコスロバキア、
リトアニア、
ポーランド、
これらの国々は、歴史的に見てドイツ領土か、オーストリア領土か、
神聖ローマ帝国の領土だったか、どれか。
決して、英仏の権利を侵害する物ではなかったんだよね。
英仏が宣戦布告しなければ、恐らくあのままヒトラーは東に向かってソ連と戦っていただろう。
もしもイギリスに、大英帝国を築き上げたディズレーリ級の名宰相が居たなら、
きっとソ連とナチスドイツを噛み合わせる方策を考えたと思うんだよね。
で、たとえどっちが勝ったとしても、疲弊している隙を突いて溜め込んだ力でもって攻撃する……と。
ヒトラーが渋々ながら認めた通り、
イギリスの政治家は、
「これが本当に大英帝国を築き上げた連中か!?」
「キャプテン・ドレイクやネルソン提督、ヴィクトリア女王、ディズレーリを生んだ国か!?」
ってくらい堕落と腐敗していた訳で。
「アメリカの工作員」中川八洋は、ロシア革命の背後に金融ユダヤの支援が在った事を知らないらしい。
いや、知っててもトボけて無視するのだろう。
日露戦争で日本を支援したクーン・ローブ協会や、ロスチャイルド財閥、ロックフェラー財閥などのユダヤ国際資本が、ロシア革命の背後に在り、
また、レーニン革命政府に資金援助していた事などいくらでも証拠が出ているではないか。
また、中川八洋はヒトラーの『我が闘争』もまともに読んだ事が無いらしい。
『我が闘争』には、『東欧やロシアに対する生存権獲得』は語られているが、
ただの一言も「イギリスと戦う」などとは書いていない。
むしろ我が闘争の中でヒトラーは、
「イギリス・イタリアとは同盟し、その抑止力によってフランスを黙らしておいて、東欧やソ連に進出する」
とハッキリと明記している。
そもそも第二次大戦自体、欧州大戦のその発端は、
ド イ ツ か ら 宣戦したのではない。
イ ギ リ ス から宣戦したのだ。
また、ヒトラーは、ポーランド侵攻の前に、イギリス駐在経験の在る外務大臣のリッベントロップに、何度もイギリス参戦の可能性について諮問している。
リッベントロップの答えは、
「イギリスの参戦は万が一にも無い、有り得ない」
という物だった。
そして案に相違してイギリスから宣戦を布告された時、ヒトラーは周囲が見ても解るほどガックリとうなだれていた事が物の本には出てくる。
つまり、ポーランド侵攻の時点でヒトラーには英仏、特に中川八洋の大好きなイギリスを敵に回すつもりは毛頭無かったという事だ。
大体、「独ソ不可侵条約」自体、ヒトラーが政権についてから6年間、
何度イギリスと同盟を結ぼうと悪戦苦闘しようが、イギリス側が無反応だった事に業を煮やしたその結果ではないか。
本当にこの【筑波大学名誉教授】は、自分の好きなアメリカ様とイギリス様の為だったら、平気で歴史を偽造する。
いやー、驚いたね。
この中川某つーのは、アタマ悪そーだねwww
この野郎、1941年のである。大西洋憲章読んだ事ないのかね。
ナチスドイツとソビエト・ロシアをぶつからせ、お互いフラフラになるまで噛み合わせて戦わせておく作戦を、
もしディズレーリがイギリスの首相であれば、考えて実行していただろう。
当時のアメリカ人も、ナチスドイツとソ連がお互い噛み合ってるからこそ、
「ヨーロッパ戦線に介入するな」
「戦争には参加するな」
という主張が説得力を持った訳だ。
正誤表
>この野郎、1941年のである。 X
>この野郎、1941年の大西洋憲章 ○
スマホの変換候補が阿呆なやつのせいで、ディスプレイのタップポインタがおかしくなって、入力エラーばっかりなんだ。死んだらいいのにね。
英米の贔屓する日本人とかwww
目噛んで、死ぬしか無いっしょ。
ナチスドイツが占領していった領土は、ことごとく
「旧ドイツ帝国と旧オーストリア帝国の領土」
に過ぎない。
それを「侵略するな」と米英仏が主張したいのであれば、彼の国々たちに力を貸してやるのが筋ではないか。
つまり、当時、世界最先端の兵器を誇っていたフランス軍を、
一個師団でも良いからオーストリア、チェコスロバキア、ルーマニア、ポーランド、ユーゴスラビアにでも派遣しておけば、
万が一にもドイツが野望を実行に移す事は無かっただろう。
実行に移すにしても、3年以上は先になった事は間違いない。
そして、ルーマニアは第一次大戦の戦勝国という事情もあって親英仏国家なので、
ルーマニアの油田を抑える事が出来れば、自慢のドイツ機甲師団は戦わずして干し上がるしかない。
元々「ヒトラー嫌い」で「ナチス嫌い」の「イギリスのスパイ」とまで呼ばれた親英家のイタリアのムッソリーニも、英仏のこの姿勢を見るだけで安心して反ドイツの側に回る。
結局、ヒトラー封じ込めにしろ、ナチスドイツがラインラントを侵した時点で叩き潰しておくにしろ、
英仏には容易に選べる選択肢が有ったのだ。
中川八洋は【真正保守】を自称しているが、「真正保守」を自称する奴にろくな奴は居ない。
中川八洋は吉田茂を尊敬する政治家の一人として挙げている。
まぁ何よりも尊敬しているのはチャーチルであり、レーガンと言う時点で、彼が「戦争狂」が好きなのが解るが。
「戦闘的な保守主義」こそが彼の理想らしいが、だからといって歴史を偽造する韓国人のような振る舞いは許されない。
そう言えば、この中川八洋は、蒋介石も尊敬しているみたいで、
有名な蒋介石の、
『怨みに報いるに徳を以てす』
と言ったという、敗戦後の神話を信じ込んでいる始末だ。
しかし、こんな事を蒋介石が発言したとする一次資料など無く、
南京や北京で開廷された中国の裁判では、滅茶苦茶な屁理屈で200人以上もの日本人が殺されている。
おまけに、イギリスの中国担当だった東洋部長は、
『腐敗・堕落した取り巻きに囲まれ、国民の生活を無視して優雅な生活を送っている最低のファシストの親玉』
と蒋介石を評しているのに、中川はそれも無視。
【反共、反毛沢東のために戦った勇気ある戦士、闘士】
であるかのように蒋介石をでっち上げてしまう。
蒋介石の息子、蒋経国は【ソ連に留学に行っていた】というくらい、蒋介石はソ連贔屓だった事も無視するし、
スターリンも毛沢東より、蒋介石の方に期待をかけており、支援していたという事実も無視するのが中川八洋である。
そして、支那事変は、
『毛沢東救援のために、日本軍が反共の蒋介石政権を打倒、疲弊させようと結託して起こした戦争である』
らしい。
冗談じゃない。
人の頭を「狂ってる」「不勉強だ」となじる前に、お前はどうなんだと。
中川は2ちゃんなんて見ないだろうから、ケンモーではないだろうけど。
安倍晋三に批判的なのは確か。
しかしそれは「もっとアメリカに国を売れ」という面からの批判なのだが。
優生学がベース
ヒトラーも彼の著作を愛読書にしてたという・・・
ヒトラーは。
日米戦争が始まった年である1941年の2月にすら、アメリカは公式の外交団(国務次官が団長!)をドイツに送っている。
決してアメリカは、反ドイツに凝り固まっていた訳ではない。
真相は不明らしいがな
第二次大戦後ですら、パットン(戦車兵団で有名)が
『アカよりナチの方がマシだ!』
と豪語していて、一説には共産主義者に暗殺されたのだとか。
『ヒトラーは、対英仏戦など望んでいなかったし、検討してもいなかった』
という事が書いてあった。
ポーランド戦の前、ウィルヘルム・カイテルが、もし対英仏戦になったとした場合の机上シミュレーションを行おうとした時、ヒトラーは、
『対英仏戦になど絶対にならないから検討など無用』
とはねつけたらしい。
そこまでヒトラーや外相のリッベントロップは自信満々に、
【英仏は参戦しない】
と思いこんでいたのだ。
こんなヒトラーが、
やれ『世界征服を企んでいた』だの、
かれ『最初からイギリスやフランス、アメリカと戦うつもりだった』だの、
有り得ない妄想・愚論の類に過ぎない。
バカはいないさ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
多分。多分ね
イタリアはとっくにリビア(カダフィ政権時代)に賠償請求されてる。
で、直接賠償金を独裁者にプレゼントすると懐に入れられる恐れがあるので、
リビアの道路とか水道などのインフラ整備をイタリアが無償で行うという契約を結んだ。
なかなか外交上手で頭が良い。
結局は、イタリアの建設会社が儲かる事になるのだから。
1940年、つまりイタリアの第二次大戦参戦の年の出来事だが、
アメリカのルーズベルト大統領は、国家として正式にムッソリーニを招待している
すでに勃発している第二次大戦について、ムッソリーニの外交手腕で何とか止めてほしいと依頼するためであった
しかしアメリカに依頼されるまでもなくムッソリーニは外交調停に乗り出していた
ポーランド戦が勃発した直後に即座に動いて、
何とフランス、ポーランド、ドイツのそれぞれの了解を獲得し、国際会議開催を行おうと試みていたのだ
当事国のポーランドとドイツが揃ってムッソリーニの提案に応じているのが興味深い
しかしながら、ムッソリーニの外交調停はイギリスが大反対したので結局失敗に終わってしまった
それなら徹底的に戦ってやるということでヒトラーも態度を硬化させてしまい
ムッソリーニの言うことを聞かなくなってしまった
ムッソリーニはルーズベルト大統領の申し出を
「もはや事態は自分の手に負えるレベルを越えている。行き着く所までトコトン行き着くしか問題解決の方法はない」
と説明し調停は断った
また自分の息子である長男ヴィットリオをアメリカに派遣したが
自分自身はアメリカに旅することはなかった
アメリカがファシズムとかナチズムを国家的に大々的に嫌っていたなんてのは
戦争が始まってから流布された嘘なんだよな
私は戦後社会のどんなプロパガンタ、巷間に流布している俗論的説明よりもローマ法王庁を信じる。
『ホロコースト産業』の著者(ユダヤ人)も吊し上げされている
不法移民を正当化する為に簡単に用いるなと言いたい。
遅くともワシントン条約で日英同盟の破棄と山東半島返還を強要された頃には、
日本はドイツと親交を結び軍事技術の共用を果たしていれば良かったと思う。
日本はドイツの進んだ技術力を導入でき、ドイツはヴェルサイユ条約にて禁止されていた軍事訓練が出来るというのだから双方に利益が有ったはずだ。
資本主義国共通の敵であったソ連の力をわざわざ強めさせる必要も無かった。
残念な話だな。
ドイツにはこんな法律が有るそうな。
馬鹿馬鹿しいにも程がある。
歴史というのは「真実」を調べるべき物であって、イデオロギー論争に利用されてはいけない。
そんな事は自明ではないか。
「気にくわない歴史解釈は禁止する」
と言うのでは、ナチス時代とどこが異なるのであろう?
ドイツでは未だに「冷静」に歴史を解釈する事が禁止されている。
この点では日本の方がまだ救われているだろう。
日本の場合は、日本国憲法信者が跳梁跋扈している事が問題なのだが。
今の、と言うか、戦後のドイツ人たちは一体、誰を恐れているんだ?
戦前の自分たちの行動の正当性をほぼ、完全に否定しているが、何が怖いんだ?
少数民族が偽名(ドイツ風の姓)を使ってコネクションフル活用、共同体・社会・国家の上部構造に浸潤、増殖、果ては独占を企図した事実がある。
1918年敗戦以降の混乱、カオスに乗じて、だ。
これは(マイノリティーによる)テロに等しい内部侵略、文化的盗用、なりすまし、共同体事業への背乗り的横奪だよ。
それに対する反発がニュールンベルク法制定に繋がっていると思われる。
つまり、ヴァイマール共和制時代のドイツ人は内なる敵、少数民族と実質的に内戦を遂行していた訳だ。
それは大いに情状酌量の余地を与える根幹的論拠だろ?
なのに何を恐れて、その最も重要な己の言い分を主張しないんだ?
歯痒過ぎる。
何を恐れてるかと言えば、世界の目と自分たちの名誉だろう。
祖先の名誉などどうでも良い、現代に生きる自分たちの名誉や尊厳を守るだけで必死なのだ。
ユダヤ人たちは姓を登録する時、①〝名詞〝を姓に使わされるか、②出身都市の語尾に〝人〝を表す接尾辞、erを着けて苗字とさせられたらしい。
明らかに姓でユダヤ人である事はドイツ人には区別出来たようである。
①の例はリープクネヒト、ゴールドマン、アインシュタインetc.etc.
②の例はベルリン出身だとerを着けてベルリナー、ベルリンゲル、フランクフルト出身の場合はフランクフルターと言った具合だ。
ナチスの御用学者に、
「アルフレート・ローゼンベルク」
という人物が居たが、ローゼンベルクってのはユダヤ系の名前に多い名前だ。
名前だけでユダヤ人か否か見極めるのは至難だと思われる。
実際、当人はともかく、親が「良きドイツ人であろう」とした場合、ドイツ風の名前を付けるのが普通であろうし。
ナチス時代には次のようなジョークが有った。
「理想的なアーリア人とは…
ヒトラーのような金髪で、
ヒムラーのように目が碧く、
ゲッベルスのように背が高くて、
ゲーリングのようにスリムで、
シュトライヒャーのように礼儀正しくハンサムで、
名前はローゼンベルクと言う」
ナチスの指導者が、一人として「理想的アーリア人」の要件を満たしていない事に対しての痛烈な皮肉である。
「理想的アーリア人種」の特色を兼ね備えていたのは、ラインハルド=ハイドリヒくらいではなかったっか?
第一次世界大戦やヴェルサイユ体制までをも「ドイツが悪かった」と思ってんのかな?
ヴェルサイユ体制さえ無ければヒトラーの台頭だって無かった訳で、
米英仏の無作為と悪意についてまでドイツ人が悪の汚名を着せられていてはおかしいと思うのだが。
【ナチス】高須クリニックが、自分の発言をトーンダウンw
今まで散々ナチスを賛美し続けてきた高須克弥が、
国際ユダヤ人団体に垂れ込まれた途端腰砕けになって逃亡する寸前w
こんな覚悟の無い奴がカッコ付けだけでナチスを賛美なんかするから、
世界中に日本人が誤解されるんだ。
信念を持ってナチス賛美をしてきたのなら、堂々とその信念を貫き通せば良かろうに。
仮にユダヤ人団体と裁判になったとしても、堂々と持論を主張し続ければ、
裁判自体に負けてもその主張に感化される人間が出てくるはずだろうに。
こういう無責任な「なんちゃってナチス」が存在するから、ナチスの真の姿が広まらない…
最後まで生きていたナチス幹部のルドルフ・ヘスは、
「ネオナチは、ナチスの理想とは全く異なるふざけた団体だ」
と批判したそうだが、高須の姿こそ「ナチスの理想像」とは程遠い卑怯者の振る舞いなんだがな。
「ナチスの手口を見習え」と言ったり、麻生って本当にナチス好きだよな…
反省って言葉はこの人に無いのかよ?
こんなでも日本の首相を勤めた男であり、今でも副首相で財務大臣なんだよな…
どうせ後日「誤解を招きかねない表現で申し訳ない」とか言い出して謝罪するくせに…
本気でナチスとかヒトラーとか語るのなら、
「ナチスは素晴らしかった!何が悪い!」
くらい開き直れないのか?
その覚悟が無いならナチスなんか引き合いに出すな!
「ナチスドイツは戦争ありきの経済政策だった!」
「経済政策は失敗しており、領土拡大と戦争によって債権を反故にしようとしていた!」
「財政は破綻していた!」
こんな事を言ってる奴が居たが、こいつら本当にナチスドイツについて調べた事が一度でもあるのだろうか?
「ナチスの経済政策が効果無かった」
「国家財政は破綻しかかっていたので戦争を望んだ」
なんて言ってるのは、ナチスを過小評価したがる戦後の嘘つきか、
同時代人では、「裏切り者」のアルベルト・シュペーアだけなんだけど?
シュペーアは「ヒトラーの親友」だったくせに、
戦後になると絞首刑を恐れて全責任をヒトラーとナチスにおっかぶせた卑怯者。
当然こんな奴がナチスドイツをほんの少しでも評価などする訳が無く、
「俺は騙されていた!こんなに酷かった!でもヒトラーが怖くて当時は言い出せなかった!」
なんてお涙頂戴物語をでっち上げるに決まってる。
事実シュペーアと、ヒトラーユーゲントの指導者だったバルドゥア・シーラッハの二人は、
ゲーリングやヘスから、
「連合国に尻尾を振る裏切り者の卑怯者めが」
「ドイツ人の面汚し」
などと罵倒されてたらしいし。
そもそもシュペーアは、戦争末期こそ「軍需大臣」としてナチスドイツの大臣として政治に参画しているが、
第二次大戦前には政治権力とは無縁の存在であった。
当然の事ながら、第二次大戦勃発前に、ナチスドイツの財政が崩壊寸前に在るかどうか判断出来る立ち位置になかったのだ。
それにシュペーアの本業は建築家であって、経済学者でもなければ経済評論家でもない。
このような人物が保身の為に垂れ流した言説を疑いもなく信じるのはおかしいのではないか?
「ナチスドイツは財政破綻していた」
「戦争ありきの経済政策だった」
などと認めていない。
経済政策の担当者の言葉にこそ耳を傾けるべきではないか?
そもそも、第二次大戦は「ドイツから宣戦した」のではない。
英 仏 が 宣 戦 布 告 し た の だ
ヒトラーはその情報を聞いた瞬間、傍目から見て誰しも理解出来るほど落ち込んでいたという目撃情報もある。
どうして「戦争ありき」だったはずなのに、自分から宣戦する事も無く、
英仏の宣戦布告に取り乱して鬱状態になったり、
また別の目撃情報では、激昂して外務大臣のリッベントロップを叱責したりしているのか?
(リッベントロップは「イギリスの参戦など有り得ない」と太鼓判を押していた)
やってる事は階級社会の時代に国民全て分け隔てなく与えた社会福祉。
欧州にいわゆる、ネイション・ステート=国民国家成立の先鞭をつけたのは軍事的天才、ナポレオンに指導されたフランスであった。
この〝国民国家〝のモデルの普及が19世紀にドイツ、イタリアの再統一の原動力となった事は明らかだ。
国民国家は徴兵制と産業革命による鉄道網の敷設によって陸軍兵力の国家総動員を実行出来る事を最大のアドバンテージとするシステムである。
第一次欧州動乱(第一次世界大戦)は〝帝国主義〝を国是とする欧州列強、国民国家群の覇権と存亡を賭けた闘争であった。
では、第二次世界大戦とは?
第二次世界大戦は、第一次大戦の戦後処理の不手際が招いた悲劇であろう。
ナチスの興亡を議論するには以上の如き補助線を輪郭した上でイシューに臨まなければならぬ。