二強、アテネと強すぎてやばいスパルタ【軍国主義】【民主主義】
あと帝国主義全盛19世紀位のヨーロッパでの女性の理想像は
スパルタの母親
西洋哲学の事実上の開祖、プラトンの理想国家がスパルタだったから仕方がない。
プラトンは、師匠のソクラテスが「民主主義」によって殺されたので、民主主義体制を非常に憎悪していた。
スパルタはガチガチの階級社会だったみたいだし共産主義というよりも
>>48の言うとおり全体主義的な感じ
ソ連や中国も「赤い貴族」の支配する階級社会だったし、
階級社会であったかどうかと共産主義社会であったかどうかも関係ないな。
ついでに、ソ連や中国にさえ「選挙」とか「議会」といった存在は有ったので、
「民主主義と共産主義は対立概念」というのも違う。
共産主義とは「全体主義の形態の中の一つ」なのであり、
全体主義国家のナチスドイツを選んだのは民主主義であったように、
民主主義と全体主義とには非常に親和性が高い。
(スパルタもアテネ程ではなくても、立派に民主主義国家であった)
共産主義との対立概念は、むしろ「自由主義」ではないか?
同意。的確に解説されますな。
つーか、目から鱗でした。サンクス。
で、ペロポネソス戦争では全体主義が勝ってる。
ロシアがフランスにナポレオン戦争で勝って革命思想が流入したように
リュクルゴス体制が維持できなくなった
ペリクレスは政治家だし
で、仮に、本当に(戦勝を伝えた後)死んだ、とする。この場合、死亡原因は文献史料が無いので不明。
推測の域を出ない。
むしろ、考察対象としてはこちらの場合の方が興味深い。
つまり、フィクションであっても、当時のアッティカの人々にとっては、命で購(あがな)うに値するほどの重要な知らせであり、(仮にフィクションであっても)心象風景的には゛事実゛よりもリアリティーがあるので後々まで伝承性を保てたのかも知れない。
未舗装の道をろくに給水もせずに40km走れば死ぬのはさほど不思議ではないきがします
スパルタの清々しいまでの剥き出しの闘志こそが人間のあるべき姿
タラントを建設したスパルタ人は、メッセニア戦争の時の混血私生児
で本国から追放同然に開拓民にされたらしいよ
ありがとう。
非常に興味深い。
私の印象ではタラースは゛大国゛。
と言うのも、エペイロス王、ピュロスに「当方に30万人の傭兵(もしくは傭兵資金と言う意味か?)有り。来たれ」と言う申し出をし、30万人分の傭兵資金の存在をピュロス王に信じ込ませた訳で、ピュロスもバカではないのだから、タラースにはそれを信じさせるような何かがあった訳だろう。
ローマの元老院と何が明暗を分けたのか
アルキビアデースは遠征の提案者であり、ニーキアス将軍は反対派だ。
そのアルキビアデースの賛成演説は興味深い。百数十年後のエペイロスのピュロス王の戦略目標と似た本土ギリシャ人のイタリア観、シシリー観、アフリカ(カルタゴ)観が窺える。
BC420年代に活躍したアルキビアデースとBC280年代に活躍したピュロス王の両者とも、シケリア、南伊を隷属させた本土遠征軍は易々とカルタゴ本国を征服出来ると構想しているのである。
これは当時の本土ギリシャ人の世界観では実現可能な、当然のドミノ理論であったようだ。
アルキビアデースのシケリア遠征の真の目標である。
北アフリカ、シケリア(シシリー)、南伊の諸ポリスを併呑した後、それら隷属諸国から徴収した年賦金を以て、十万人の重装兵、数百隻の三段橈(どう)船を新たに編成する。
そうして、対スパルタ(ペロポンネソス同盟諸国)戦線に投入する、と言う構想である。
これは、スパルタ本国とその与党であるペロポネーソス諸国に対抗するには、カルタゴ本国、シシリー全島、南伊ギリシャ諸都市の富(軍資金)を結集させる必要があると言う謂いである。
換言すれば、盟主スパルタ、その同盟諸国、コリントス、エーリス、テゲア、メガラ、シキュオーン、マンティネア、トロイゼーン、エピダウス、プレイウースetc.の実力は、(当時のギリシャ世界での常識に於ては)カルタゴ本国、全シシリー、全南伊の総力に匹敵すると思われていたのだ。
エピダウス X
エピダウロス ○
だった。惜しい。
彼はエーゲ海の諸島の独裁者に過ぎなかったがエジプト王、アマシスと文通を交わす親友であった、とヘロドトスが記している。
同じヘロドトスの記述では、アテーナイの元執政官、ソローンは諸国漫遊の行脚を重ねる中で、リュディアの王、クロイソスに賓客として歓待されている。
すなわち、当時のギリシャのポリスは一国一国が領土国家、大帝国であるオリエントの君主たちと対等の誼を通じる独立独歩の気概を有していた事が分かるのである。
ポリュクラトス X
ポリュクラテス ○
だった。どーも、呆けが進行しているようだ。
アテーナイの長所は民主主義なんぞではなくて、百花繚乱の芸術、思想の創造性が汪溢した自由の気風にある。
ラケダイモーン(スパルタ)の長所は(支配階層間の)物質生活上の平等とストイシズムの実現にある。
しかし、システムとして、独裁制が恒常化すれば、政権の総責任者の代替わりで適格者へのバトンタッチが困難になる。(独裁者自身が後継者指名権を有する→世襲化)
機能的には次善の策であるかも知れない合議制によって、次代の政権担当者を選び、引き継ぐシステムの方が長期スパンでは、世襲化が必然される独裁制に優る所以だ。
だが、ペリクレース没後のアテーナイは合議制の弱点をこれでもか、と言うほどに曝けだしてしまった。
スパルタ(ラケダイモーン)の伝統的国策がヘラス世界(=ギリシャ本国、小アジア、エーゲ海諸国を含む)の諸ポリスの僣主を失脚させ、アリストクラシーを維持させる事にあったからだ。
ペルシャ戦役の勃発するBC6世紀のギリシャ本国でラケダイモーンは゛ヘラス世界の警察゛だった。すなわち、スパルタは20~30ヵ国が独立自尊するヘラスに゛世界国家゛的秩序を樹立する寸前であった、とも言えるだろう。
だが、ヘラスに世界帝国の秩序を提供する可能性はペルシャ侵攻時のアテーナイの功績、名声の為に消滅してしまったのである。
スパルタの提供する秩序が根付いた場合のギリシャはマケドニア王国の風下に立つ事はなかったであろう。
さらに、小アジア、黒海沿岸、トラキア、マケドニア、イリュリアもそれに準ずれば、ヘラスの軍事力はローマ、ラテン同盟のそれを凌駕したかも知れない。
所が、ラテン同盟の蟠踞するイタリア世界の総人口もほぼ、同数と推定されるのだ。(千数百万人と言う説もある。しかし、その千数百万人からマグナ・グレキアの2~3百万人のギリシャ系ポリスをマイナスすれば、両者は互角の人口だ)
ギリシャ人がアレクサンドロス大王の如き天才に統一されておれば、ローマは従属を余儀なくされていたと思われる。
アレクサンダー死んだ後のディアドコイなんてまさにそれだし
どうしてこうなった?
キム・ヨナじゃなくネリーキムじゃね?
なおネリーキムは朝鮮人ではない。
スパルタ→〝公共性至上主義〝
ローマ→〝中庸〝
とか思った。
アテネ=民主主義→衆愚政治
スパルタ=民主主義→全体主義
というのが正しいかな。
衆愚政治と全体主義ってのも、民主主義を母胎とする双子の兄弟みたいな物。
今の日本みたいなのは、ベクトルが変われば容易に全体主義に転化する。
実際、1929年にはアメリカの好景気に引きずられて繁栄を謳歌=衆愚政治化していたドイツ国民が、
5年後の1934年にはヒトラーに全権を与える国民投票にて「95%」の賛成票を投じてしまうようになるのだから。
真の自由主義者は、全体主義に対して反発する事は無論ながら、
民主主義に対しても警戒心を抱いている事が多い。
アメリカ独立戦争の英雄、ワシントンや、二代目大統領ジョン=アダムス、
アメリカを世界一の経済大国に押し上げる基盤を築いたアレクサンダー=ハミルトンなどは、
「イギリス(圧政者)からの自由」は考えたが、
「アメリカ人による民主主義」などは一切考えず排除した。
その後のアメリカでは、百年もの間「民主主義」という言葉を政治家が用いる事が出来ないような国であった。
リンカーンの有名なセリフ、
「人民の、人民による、人民の為の政治」
という冗長な言い回しも、「民主主義」という単語が使えない風潮だったからこそ、
あのような長ったらしい文章になった。
民主主義の影響力を少しでも削ぐ為に様々な工夫をする。
1、貴族階級を活用する
イギリスの上院は、今でも民衆の選挙の対象外である。
常識的に考えて、日本の衆議院と参議院のような、本質的に変わりの無い組織が二つも必要無いのだ。
日本も戦前まで存在した貴族院は、民衆の選挙の対象外であった。
貴族階級が政治に関与する事により、その日その日の気分次第で移り変わる民衆のわがままを排除する事が出来る。
また、民衆という存在は往々にして「将来」を考えない。
国家経済が破綻しようとも、自分の世代だけが年金の大盤振る舞いを受けて往生すれば良いと考える連中である。
民衆がそういう意向である以上、政治家も当然そのように動く。
バカな民衆と、そんな民衆におもねるバカな政治家こそが国家と未来の国民を衰退に向かわせるのだ。
アメリカの上院は、かつては民衆の選挙の対象外で、各州が独自に指名して送り込んでいたのだ。
つまり、各州の利益代表者が上院の構成であった。
また、アメリカ大統領選挙は民衆の直接投票ではなく、
あくまでも「選挙人」を選ぶシステムである事も有名である。
一院制のフランス革命政府の蛮行で国内が滅茶苦茶に破壊されたフランスでは、
上院(元老院)は、これまた民衆の選挙の対象外とされるに至った。
「人民主権」を謳う社会主義国家がろくでもない国だらけの地獄だったように、
「国民主権」というのも実に下らない国家体制なのだ。
世界は、「主権というのは誰にも無い」と考える。
主権という発想こそが独裁者を生む素だからである。
次善の手として金持ちや地主たちブルジョア階級を活かすという手も有る。
スパルタにしろ、人間の所得平等を主張したルソーやマルクスにしろ、
その世界は全体主義の地獄も同然だった。
アメリカは擬似貴族体制を維持する事は出来なかったものの、今でも金持ち優遇の国であるのは有名である。
共産党は非合法であり、オバマケアみたいな日本の簡易保険制度のような物でさえ、
「社会主義的だ!」と非難されるお国柄である。
所得は確かに平等ではないが、その結果としてブルジョア階級が強固な抵抗集団となっており、
結果的に民衆の暴走を抑える防波堤となっているのである。
むしろ、所得を平等にしようとする国が、真に所得平等に至った事など無かった訳で、
ソ連でも中国でも「赤い貴族」が幅を効かせた暗い社会であった。
>>85氏へのレスな。
アンカー入れ忘れた。スマン
衆愚政治と全体主義が容易に行き来出来る代物である事が実感出来るな。
安倍晋三支持の日本人は、進んで奴隷の鉄鎖を安倍晋三に明け渡そうとしている。
そんな連中を批判するとヒトラーユーゲントか紅衛兵のような連中が狂ったように批判する。
非常に解りやすい。
「有産階級自身の消費生活レベルを下方修整させよ」、と言う共同体マクロの要請にブルジョアジーが応えられるとは思えないからだ。
私は、共同体マクロの〝純生存確率上昇〝と言うシンプル極まり無い目標理念に立脚してそう思うのである。
但し、仰せの貴族階級の役割に関する肯定的評価には同意する。
〝階級闘争〝(有産階級vs無産階級)を止揚するカエサル若しくはナポレオンの登場と言うパターンには、おそらく必然性があるのだろう。
そうして、その必然性を背景に君臨統治する大元帥、インペラートルにはその幕僚を提供させしむ人材の源泉が要る。
それを皇帝の藩屏、すなわち、貴族階級と言うのである。
私は紀伊國屋文左衛門や淀屋(岡本三郎右衛門常安)、豪商三井一族、岩崎弥太郎、渋沢栄一、ジョン・ピアモンド・モーガン、ジョン・ディヴィソン・ロックフェラー……etc.etc.の本人若しくはその劣化版の〝ディアドコイ〝どもような輩が階層ピラミッドの上部を形成する社会など全否定するよ。
清貧に耐えられるストイックな真の貴族は世襲によってのみ継承出来る社会のコア、人民の生き方の鑑だ。
財閥には永遠に到達出来ない峰だと思う。
日本は、今の憲法で特権階級の存在を否定されてるから。
日本国憲法第十四条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
○2
華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
一説によれば、これを挿入したのは「日本側」であったという説もある。
日本人の側にGHQ以上の日本破壊を企む連中が潜り込んでいたとの話である。
それと、戦前日本の「貴族院」は、イギリスの貴族院とは違う点が有った。
爵位を受けている本物の貴族階級だけが集っているイギリスと違い、
日本の場合は地方の大地主や大商人などの高額所得者をも貴族院議員にしていたのだ。
そういう過去がある以上、一概にブルジョア階級を否定するのは如何なものかな?
>一説によれば、これを挿入したのは「日本側」であったという説もある。
日本人の側にGHQ以上の日本破壊を企む連中が潜り込んでいたとの話である
↑
それな。
戦前の旧制高等学校(帝国大学予科)はマルクス主義者の巣窟だったらしい。
確かに憲法があるので〝貴族〝の復活は無理だよね。
で、インペラートルの藩屏の供給元の代案だが。
ペイトリオットで、かつ、ストイシズムに耐えられるのであれば、ブルジョアでも旧士族でも郷伸ジェントリでも地主でも旧大庄屋でもオーケーだよ。
でもね、ロックフェラー一族やロスチャイルド家当主、財界三団体企業群の幹部たちが己自身の消費生活の水準を落とす事になる政策に同意するとは思えないんだよ。
悪名高い憲法九条もまた、日本人が言い出した事である説もある。
当時の日本の総理は、戦前から親英米派として有名だった幣原喜重郎であったが、
この幣原自らが軍備全廃提案を行ったというもの。
幣原は戦前・戦時中と軍部や右翼に非難されまくっていた人物なので、本能的に軍という存在を嫌がっていたのかも知れない。
一応幣原の側に立って考えれば、
当時の日本はアメリカの占領下であり、日本がわざわざ武装する必要もなく駐日アメリカ軍が日本を守る事になるので、
焼け野原と化した日本がわざわざ乏しい財源を叩いて軍隊など保有しなくても構わないと考えていたのかも知れない。
70年、一度も改正せず今にまで至るなど想像すらしていなかったのかも知れない。
(それ以前に、あんな焼け野原が今のような経済大国に復活するなんて夢にも思わなかったろうし)
平原党(有産階級)、海岸党(平民)両方から袋叩きされると予想し、その危難から逃れ去る必要があったのだろう。
改革とは困難を極めるものだ。
宇宙の質量の95%強はダークエネルギーとダークマターらしい。
一方、、21世紀の今日、人類の富の90%は一握りの大富豪に所属していると言う。
何と言う皮肉な暗合、フラクタルである事よ。
我々の〝ソローンの改革〝は人工知能の登場を待つしかないのかな?
〝自衛隊〝と明記、との事だが、(基本法条文のような)マクロコールで〝自衛隊〝と言う呼称を使うと、今後、二度と正式に〝国軍〝としての名称変更出来なくなるのでは?
故に、初期設定的として〝国軍〝と明記した文案起草を求めたい。
同意。
というか、九条一項、二項全てを残して、
「自衛隊の存在だけ明記しとけばヘ~キヘ~キ」
なんてふざけた改憲には殺意すら覚える。
日本国憲法に命を懸けて抵抗した三島由紀夫がこんな「憲法改正」なんぞを聞いたら、
日本刀を持って自民党本部に殴り込みに行くレベルだろう。
1項は「国際紛争を解決する手段」としての武力を、「永久に排除する」などとしている。
中国や北朝鮮、ロシアがどんなにふざけた事をしていようが、日本は口先だけの抗議しか出来ないのだ。
否、文面通りに読めば、彼らが日本を侵略してきても、日本は無抵抗であらねばならない。
2項では「軍隊は保持しない」と書いてある。
なのに、直後で「自衛隊は保持する」などとはどういう事か?
世界から見れば、こんな矛盾を堂々と臆面も無く晒す日本は小馬鹿にされるだけであろう。
さらに2項には「国の交戦権は認めない」などと書いてある。
自衛隊が有ったところで、憲法上では交戦出来ないのだ。
いざという時には当然戦うのだろうが、
そんな矛盾した行動を取るより、さっさとちゃんとした憲法に改正すべきであろう。
「憲法なんて解釈でどうとでもなる」
などとタカを括ってる馬鹿ばっかりだからこういう事になるのだ。
中国や韓国は法治国家ではないとはよく聞くが、
日本だって彼らを決して笑えない。
日本国憲法の忌々しい、そしてふざけた「解釈の歴史」を知れば、日本だって無法国家その物だからである。
「最長でも5年に1度は、時代に合わせて憲法を改正する事」
とでもわざわざ憲法の中に書いておかなければ、自力で改憲しようとは考えないのだろう。
何よりも、政治家が票に結びつかない事に関してはやりたがらない、究極の衆愚政治国家なのだから。
まるでアテネの末期である。