東アジア世界の形成 -世界史の勉強ページ-
[1]魏晉南北朝時代
世紀 | 北辺 | 時代 | 中国 | |||||||||
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2 | 匈奴 | {1} 後 漢 |
(1)黄巾の乱(184) →曹操、義勇軍を率い活躍。 (2)霊帝の死後、弘農王が即位 (a)袁紹が宦官(十常侍)を圧殺。 (b)西涼の董卓が強勢。 (3)董卓、献帝を擁立。 (a)諸侯の反感を招き、董卓暗殺される。 (b)袁紹が華北で強大化 (4)曹操、軍閥として強大化。献帝を保護し、袁紹の反感を買う。 →官渡の戦い(200)で曹操が勝利し勢力を華北一帯に広げる。 (5)赤壁の戦い(208) →南進する曹操軍が劉備、孫権連合軍に大敗。三国鼎立の形成へ。 (6)曹操の死去 →長子の曹丕に献帝が禅譲し後漢が滅亡(220)。 |
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鮮卑 | ||||||||||||
3 | ||||||||||||
{2} 三 国 時 代 |
(1)魏(220~265) (a)文帝(曹丕、位220~226) ◎後漢最後の献帝から 禅譲を受けて即位。 ◎首都を洛陽に定める。 (b)華北を支配し、三国中最大の勢力。 (c)明帝(曹叡)以後、司馬懿と その一族の影響力高まる。 |
(2)蜀(220~263) (a)昭烈帝(劉備、位221~223) ◎前漢景帝の末裔と称し、 四川に建国。 ◎首都を成都に定める。 (b)丞相諸葛亮の活躍 →内政、外交に功績。 (c)五丈原の戦い(234) →陣中で諸葛亮死去。 以後の国威徐々に衰退。 (d)後主劉禅が魏に降伏(263)。 |
(3)呉(229~280) (a)大帝(孫権、位229~252) ◎江南に勢力を持つ豪族。 天子として立つ。 ◎首都を建業(現南京)に定める。 (b)江南の本格的開発を行う。 →江南域に六朝文化が開花。 ※六朝 →呉、東晉、宋、斉、梁、陳 (c)豪族の内部対立により弱体化。 (d)晉の侵攻を受け滅亡(280)。 |
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{3} 西 晉 |
(1)晉の建国(西晉、265~316) | |||||||||||
(a)司馬炎(司馬懿の孫)が魏最後の元帝から禅譲を受けて建国。 →晉の武帝となる(位265~290)。 (b)首都を洛陽に定める。 (c)一族を重用して各地に派遣、封建的体制を敷く。 (2)西晉の中国統一 (a)匈奴出身の劉淵を将軍に取り立てる。 →呉軍を撃破(279)。 (b)将軍の杜預、呉を最終的に滅ぼす(280) →中国の再統一を達成。 (3)武帝後の混乱 (a)2代恵帝(位290~306)の無能。 →賈皇后が、有力者を倒して横暴を極める。 (b)八王の乱(291~306) ◎帝室が賈氏を倒した後、地方の諸王が次々に挙兵して政権を争う。 →汝南王、東海王など計8人の王による内乱。 ◎諸王は兵力として異民族を利用。後の彼らの中国進出の遠因となる。 ◎乱中に恵帝は没。懐帝(位306~313)が即位。 (3)西晉の滅亡 (a)劉淵が反旗を翻して挙兵(304)。 →左国城(平城)を首都に定めて漢(後の前趙)を建国し、自ら大漢皇帝と称す(308) (b)永嘉の乱(310~) ◎劉淵の子劉聡が挙兵。一族の劉曜、羯族の石勒を指揮。 ◎劉曜、洛陽を占領し懐帝を捕らえる(311)。 ◎長安に拠っていた愍帝も劉曜に敗れて降伏(316)。 →西晉の滅亡 |
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4 | ||||||||||||
{4} 五 胡 十 六 国 時 代 |
(1)五胡十六国時代(304~) →五胡が漢人と入り乱れ、華北各地に 小王国を建ててめまぐるしく興亡。 ※五胡-匈奴、鮮卑、羯、テイ、羌 →匈奴、鮮卑、羯はモンゴル系、他はチベット系 (a)前半期(前秦の華北統一まで)の諸王朝 ◎漢人の国-前涼(345~376) ◎匈奴の国-前趙(304~329) ◎鮮卑の国-前燕(336~370) ◎テイの国-成漢(304~347)、前秦(351~384) ◎羯の国-後趙(319~349) (b)前秦の強勢 ◎符堅(位357~384) ○前燕、前涼を滅ぼして華北の統一を達成(376)。 ○東晉へ侵攻するもヒスイの戦い(384)で大敗。 →符堅敗走し、その支配権も瓦解。華北は再び分裂。 (c)後半期(北魏の華北統一まで)の諸王朝 ◎漢人の国-西涼(405~420)、北燕(409~436) ◎匈奴の国-北涼(397~439)、夏(407~431) ◎鮮卑の国-後燕(384~409)、西秦(385~431)、 南涼(397~414)、南燕(397~410) ◎テイの国-後涼(386~403) ◎羌の国-後秦(384~417) |
(2)東晉(317~420) (a)晉一族の司馬睿が軍を率いて南下。 →元帝(位317~322)として即位。 (b)首都を建康(建業)に定める。 (c)後趙、前秦などの華北諸国と激しく攻防。 (d)君主権が弱体で政争絶えず。 |
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柔然 (蠕蠕) |
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5 | ||||||||||||
(6)宋(420~479) (a)東晉の武将劉裕(ヒスイの 戦いで活躍)が、東晉 最後の恭帝を廃して建国。 →武帝(位420~422)となる。 (b)文帝(位424~453) →北魏と激しく争う。 |
※南朝(宋、斉、梁、陳) ◎首都は全て建康。 ◎君主権は総じて弱体。 北朝に対し守勢。 ◎漢文化の正統を維持、 六朝文化の全盛期。 ◎華北よりの移住で江南の 開発が進展。 |
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{5} 南 北 朝 時 代 |
(1)北魏(386~535) (a)鮮卑の一部族、拓拔氏が建国。 ◎建国者:拓拔珪 →道武帝(位386~409)となる。 ◎首都を平城に定める。 (b)太武帝(位423~452) ◎華北の統一を達成(439)。 →五胡の騒乱を集結させ南北対立の形勢へ。 ◎仏教を弾圧。 (c)孝文帝(拓拔宏、位471~499):北魏の全盛期 ◎鮮卑人の漢化政策 ○洛陽に遷都(494) ○鮮卑人の姓を中国風に変える。 ○鮮卑の服装、言語を禁ずる。 →漢化政策により鮮卑人が文弱化。 (d)孝文帝後の混乱 →内紛、内乱が頻発し、国力衰退。 (e)北魏の滅亡 →北魏の部将、宇文泰が北魏最後の孝武帝を殺害。 |
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(7)斉(479~502) ◎宋の武将、蕭道成が建国。 →高帝(位479~482)として即位。 |
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6 | (8)梁(502~557) ◎蕭衍が斉最後の和帝を 廃して建国。 →武帝(位502~549)として即位。 |
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(2)東魏(534~550) (a)北魏の部将高歓が 孝静帝(孝武帝の 孫)を擁して建国。 (b)首都をギョウに定める。 (c)孝静帝の1代で滅ぶ。 |
(3)西魏(535~556) (a)北魏の部将宇文泰が 文帝(孝武帝の従兄弟)を 擁して 建国。 (b)首都を長安に定める。 |
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突厥 | (4)北斉(550~577) (a)東魏の宰相、高洋が 孝静帝を 殺害して即位。 →文宣帝(位550~558)となる。 (b)首都をギョウに定める。 (c)北周に滅ぼされる。 |
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(5)北周(556~581) (a)宇文泰の子宇文覚が 西魏の恭帝より禅譲。 →明帝(位557~559)となる。 (b)首都を長安に定める。 (c)武帝(560~578) →仏教を弾圧。 (d)外戚の楊堅により 滅ぼされる。 |
(9)陳(557~589) (a)陳覇先が帝を称する。 →武帝(位557~559)となる。 (b)隋により滅亡。 |
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隋 | (隋) | |||||||||||
世紀 | 北辺 | 時代 | 中国 |
[2]魏晉南北朝時代の社会
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[3]魏晉南北朝時代の文化
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[1]隋帝国
[2]唐帝国(1)
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[3]唐帝国(2)
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[4]隋唐の社会
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[5]唐代の文化
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[6]北方民族の動向
世紀 | 中国 | 北方民族 | |
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5 | 南 北 朝 |
{1}柔然 ◎モンゴル系の騎馬民族。 (1)中国に入った鮮卑に代わって南モンゴリアを支配。 (2)5c初め頃、タリム盆地に勢力を拡大。 (3)南北朝時代の北魏と激しく対立、5c全般にわたって戦う。 (4)5c後半から内紛により衰えはじめる。 (5)突厥の攻撃を受け(552)、その国家は滅亡。 |
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6 | |||
{2}突厥 ◎トルコ系の騎馬民族。6c半ばにモンゴル高原に起こる。 (1)柔然を滅ぼして東西への膨張を開始。 (a)ササン朝ペルシアのホスロー1世と協力し、中央アジア一帯に勢力を 誇ったエフタルを無力化(573~576)。 (b)クリミア半島へ遠征。東ローマ帝国領に侵入(576)。 (2)6cの終わり頃より東突厥と西突厥に分裂。 (a)西突厥 ◎東突厥との分離後も分裂を繰り返す。 ◎唐と激しく抗争、高宗による西突厥征伐をうけて西走(657)。 ◎イスラム勢力、唐に圧され滅亡(739)。 (b)東突厥 ◎隋唐と抗争の末、降伏。その支配下にはいる(630)。 ◎唐から再び独立(682)、モンゴル高原を支配。 ◎8c半ばから強勢となったウイグル(カイコツ)に圧迫されて滅亡(744)。 |
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隋 | |||
7 | |||
唐 | |||
8 | |||
{3}ウイグル(カイコツ) (1)トルコ系民族。突厥を滅ぼしてモンゴル高原を支配。 (2)首都をカラバルガスンに定める。 (3)唐と密接に交渉、安史の乱の際には唐を支援。 (4)9c初頭には中央アジアへ勢力を拡大し最大領域を形成。 (5)北方よりキルギス(結骨)の攻撃を受けて四散(840)。 →一部は唐へ移住。また一部は中央アジア方面へ逃亡。 |
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9 | |||
{4}キルギス(結骨) (1)5cの後半頃には北方民族の更に北方(バイカル湖西方)に 居住していたものと見られる。 (2)ウイグルの首都カラバルガスンを攻撃して四散させる(840)。 (3)支配力は弱く、10cのはじめには契丹族に取って代わられる。 |
[7]中国周辺の情勢
西暦 | 中国 | 朝鮮半島 | 中国東北地方 | 日本列島 | チベット(西蔵) | 中国雲南地方 | 中国 | 西暦 | ヴェトナム北部 | ヴェトナム南部 | カンボジア | タイ | ビルマ | ジャワ | スマトラ | 西暦 | 中国 | ||||||||||
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戦 国 時 代 |
{1}箕子朝鮮(?~190B.C.頃) ◎朝鮮古代の伝説的王朝。 →周の武王が殷を滅ぼした ときに、殷王族の賢人、 箕子を朝鮮王に封じたと 伝えられる。 |
戦 国 時 代 |
戦 国 時 代 |
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秦 | 秦 | 秦 | |||||||||||||||||||||||||
前 漢 |
前 漢 |
前 漢 |
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200B.C. | 200B.C. | 200B.C. | |||||||||||||||||||||||||
{2}衛氏朝鮮(190B.C.~108B.C.) (1)前漢初期の反乱に失敗した 燕の衛満が朝鮮に逃亡して 建国。 (2)首都:王険城(平壌) (3)前漢の武帝に滅ぼされる。 |
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{15}中国の侵入 (1)武帝の9郡設置。 →ヴェトナム北部には 九真、日南の2郡が 設置される(111B.C.) (2)中国の支配続き、 その文化が流入。 |
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(韓) | {3}漢による支配 (1)武帝の4郡設置(108B.C.) (a)楽浪郡(~313A.D.) (b)真番郡(~82B.C.) (c)臨屯郡(~82B.C.) (d)玄菟郡(75B.C.に西へ移設) →楽浪郡が朝鮮支配の拠点となり また、中国文化を伝播 |
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100B.C. | 100B.C. | 100B.C. | |||||||||||||||||||||||||
0 | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||
新 | 新 | 新 | |||||||||||||||||||||||||
後 漢 |
後 漢 |
後 漢 |
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(3)チュンチャクと チュンニの乱(40頃) |
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{10}奴国 ◎後漢の光武帝に 遣し、金印を 授かる(57)。 |
{17}扶南(1c~7c) (1)クメール人国家。 メコン中流に建国。 (2)盛時にはマレー 半島を支配。 |
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100 | 100 | 100 | |||||||||||||||||||||||||
{16}チャムパー ◎チャム族による国家。 (1)林邑を建国(2c)。 |
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{4}三韓の成立 (1)馬韓、辰韓、弁韓の 3国が分立して 互いに争う。 |
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{11}邪馬台国 ◎魏と通交。 |
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200 | (2)遼東の公孫康、 新たに帯方郡を 設置(204)。 |
200 | {20}驃(ピュー) (1)ビルマ系ピュー族の国。 イラワディ川流域に建国。 (2)仏教が盛んとなる。 |
200 | |||||||||||||||||||||||
魏 晋 南 北 朝 時 代 |
魏 晋 南 北 朝 時 代 |
魏 晋 南 北 朝 時 代 |
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300 | (中国諸朝) | 300 | 300 | ||||||||||||||||||||||||
(2)帯方郡を滅ぼす | {6}高句麗 (1)扶余族(ツングース系)が中国東北地方に建国。 (2)中国の混乱に乗じ、楽浪郡を滅ぼす(313)。 (3)首都を丸都に定める。 (4)好太王(広開土王、391~412) (a)高句麗の全盛期を現出。 (b)日本と激しく争って優勢。 →好太王碑文に記述あり。 (5)平壌へ遷都(427) |
(吐谷渾) | |||||||||||||||||||||||||
{5}三国時代 (1)百済が馬韓の 地にたつ(346)。 (2)新羅が辰韓の 地にたつ(356)。 →高句麗を併せた 三国時代の幕開け。 (3)任那が半島の 南端域に成立?(369) →日本の勢力下 |
{12}大和朝廷 (1)倭の統一を進める。 (2)南朝に使者を派遣。 (3)中国文化の吸収に努める。 |
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400 | 400 | 400 | |||||||||||||||||||||||||
500 | 500 | 500 | |||||||||||||||||||||||||
(4)任那、新羅により 滅ぼされる(562)。 |
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隋 | 隋 | 隋 | |||||||||||||||||||||||||
600 | (6)隋の3度の高句麗遠征を撃退。 | 600 | 600 | ||||||||||||||||||||||||
唐 | 唐 | {19}ドヴァラヴァティ (1)モン族による建国。 (2)7~8c、メナム川流域を 中心に繁栄。 ※堕羅鉢底とも書く。 |
{22}シュリーヴィジャヤ王国 (1)マラッカ海峡をおさえ、 7~13cにかけて繁栄。 (2)首都:パレンバン (3)唐僧の義浄が訪問。 (4)仏教が盛んとなる。 ※室利仏逝とも書く。 |
唐 | |||||||||||||||||||||||
(5)唐・新羅連合軍、 百済を滅ぼす(660)。 →百済救援の日本軍を 白村江の戦いにて 撃破(663)。 (6)唐・新羅連合軍、 高句麗を滅ぼす(668)。 |
(7)唐・新羅連合軍に敗れ、滅亡。 | {18}カンボジア(真臘) (1)クメール人が建国(6c)。 |
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(7)唐羅戦争に勝利(776)、 唐の干渉を断ち切る。 |
{7}唐による支配 (1)安東都護府を平壌に設置(668)。 (2)唐羅戦争に破れ、朝鮮を放棄。 →安東都護府を遼陽に移す(677)。 |
(4)遣隋使、遣唐使には 学者、僧が数多く参加。 (5)大化改新(645) →律令体制を整備。 (6)天平文化の開花。 (7)遣渤海使を盛んに送る。 |
{13}吐蕃(トボット) (1)ソンツェン・ガンポに よる統一(629)。 (2)太宗の娘が降嫁(641)。 (3)吐谷渾を滅ぼす(663)。 (4)ラサ(拉薩)を中心に繁栄。 (5)唐に侵入し長安占領(763) →和睦成る(唐蕃会盟、821) (6)ラマ教の信仰 →大乗仏教とボン教の融合。 (7)チベット文字を作る。 |
(4)安南都護府の設置(679) | |||||||||||||||||||||||
{8}統一新羅(676~935) (1)朝鮮半島を初めて統一。 (2)首都を金城(慶州)に定める。 (3)統一後は唐と修好。 →唐の文化や政治機構を吸収し、 集権体制を確立。 (4)仏教盛んとなる(仏国寺など)。 (5)骨品制 →新羅の身分制度。聖骨(王族)、真骨(貴族)など5段階。 (6)8c後半から地方豪族が割拠し衰退。 |
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700 | {9}渤海(698~926) (1)高句麗の遺民が 東北地方に拠って建国。 (2)始祖:大祚栄 →唐に朝貢、渤海郡王となる。 (3)首都を中京顕徳府に定める。 →後に上京龍泉府、次いで 東京龍原府に遷都。 (4)唐文化の採用 (5)日本と活発な通交。 →遣日使を30回以上派遣。 |
700 | 700 | ||||||||||||||||||||||||
(2)国号を環王とする(756)。 | (2)陸真臘と水真臘に分裂(8c)。 | {21}シャイレンドラ朝 (1)中部ジャワに起こる(8c)。 (2)大乗仏教が栄え、 ボロブドール等の 仏教遺跡残す。 |
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{14}南詔 (1)唐の支配から独立(8c)、 雲南地方に建国。 →チベット・ビルマ語系。 |
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800 | 800 | {23}シャイレンドラ朝シュリーヴィジャヤ (1)シャイレンドラ朝がシュリーウィジャヤの 支配者となる(9c初期)。 (2)マレー半島に進出(10c)。 |
800 | ||||||||||||||||||||||||
(2)ヴェトナム北部に侵攻、 安南都護府を占拠(863~866) |
{14}(南詔) | (3)新王朝(占城)の成立(9c)。 | (3)アンコール朝の成立(9c) (a)首都:アンコール・トム (b)ヒンドゥー教の影響。 |
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900 | 900 | 900 | |||||||||||||||||||||||||
五 代 十 国 |
五 代 十 国 |
五 代 十 国 |
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西暦 | 中国 | 朝鮮半島 | 中国東北地方 | 日本列島 | チベット(西蔵) | 中国雲南地方 | 中国 | 西暦 | ヴェトナム北部 | ヴェトナム南部 | カンボジア | タイ | ビルマ | ジャワ | スマトラ | 西暦 | 中国 |
[1]五代十国時代
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西暦 | 華北 | 江蘇 | 福建 | 湖南 | 湖北 | 浙江 | 広州 | 四川 | 西暦 | ||
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900 | (唐) | 900 | |||||||||
1.呉 (902~937) 首府:揚州 |
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(1)後梁(907~923) (a)朱全忠が唐の哀宗から禅譲。 →後梁の太祖(位907~912)。 (b)首都をベンシュウに定める。 |
2.ビン (909~944) 首府:福州 |
3.荊南 (907~968) 首府:江陵 |
4.呉越 (907~978) 首府:杭州 |
5.前蜀 (907~925) 首府:成都 |
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910 | 910 | ||||||||||
6.南漢 (917~971) 首府:広州 |
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920 | 920 | ||||||||||
(2)後唐(923~936) (a)李存勗が後梁最後の 末帝を殺し、後梁を滅ぼす。 →後唐の荘宗(位923~926)。 (b)首都を洛陽に定める。 (c)前蜀を滅ぼす(925)。 |
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7.楚 (927~951) 首府:潭州 |
(後唐) | ||||||||||
930 | 930 | ||||||||||
8.後蜀 (934~965) 首府:成都 |
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(3)後晋(936~946) (a)セキケイトウが後唐を倒して建国。 後晋の高祖(位936~942)となる。 →この際燕雲十六州を割譲して、 契丹の支援を受ける。 (b)首都をベンシュウに定める。 (c)契丹にベンシュウを占領され滅ぶ。 |
9.南唐 (937~975) 首府:金陵 |
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940 | 940 | ||||||||||
(4)後漢(947~950) (a)劉知遠が建国、高祖(位947~948)となる。 (b)首都をベンシュウに定める。 |
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950 | 10.北漢 (951~979) 首府:晋陽 |
(5)後周(951~960) (a)郭威が後漢から独立し建国。 →太祖(位951~954)となる。 ◎首都をベンシュウに定める。 (b)世宗(位954~959) ◎仏教を弾圧。 |
950 | ||||||||
◎趙匡胤をして南唐を討つ(956)。 | |||||||||||
960 | 960 | ||||||||||
970 | 970 | ||||||||||
(宋) | |||||||||||
西暦 | 華北 | 江蘇 | 福建 | 湖南 | 湖北 | 浙江 | 広州 | 四川 | 西暦 |
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[2]宋王朝
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[3]宋と北方民族
西暦 | 華中・華南 | 華北 (オルドス・甘肅) |
華北 (陜西・河北・河南・山東・山西) |
東北地方 | モンゴル高原 | 東トルキスタン | 西暦 | ||||
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(唐) | (渤海) | (キルギス) | (ウイグル) | ||||||||
900 | 900 | ||||||||||
{1}遼(916~1125) (1)民族:モンゴル系契丹族 →5c以降、内モンゴリア東部の遼河流域で半農半牧の生活。 (2)耶律阿保機が帝を称して、契丹国を興す(916)。 →遼の太祖(位907~926)となる。 (3)首都をジョウキョウリンオウフに定める。 (4)渤海を滅ぼす(926)。 (5)後晋のセキケイトウの求めに応じ、その建国を援助。 →燕雲十六州を割譲させる(936)。 (6)後漢、北宋領内を度々侵犯。 →センエンの盟を結んで北宋と和睦(1004)。 (7)二重統治体制(契丹人と漢人を別の機構で統治)を敷く。 →後代北方民族の中国支配における模範となる。 (8)文化的には中国の影響を色濃く受ける。 (a)契丹文字を創始。 (b)仏教を信奉し、母語の大蔵経を作る。 |
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(五代十国) | (カラハン朝) | ||||||||||
950 | 950 | ||||||||||
(北宋) | |||||||||||
1000 | 1000 | ||||||||||
{2}西夏(1038~1227) (1)民族:チベット系党項(タングート)人 ◎吐蕃、ウイグルを破り李元昊が建国。 →景宗(位1038~1048)となる。 (2)首都を興慶府に定める。 (3)宋遼対立に絡んで宋を苦しめる。 →歳幣を受ける(慶暦の和議、1044)。 (4)中国の官制を採用し、文化も受容。 (a)西夏文字を作成。 (b)仏教、儒教が興隆。 (5)金には服属(1124~)。 (6)チンギス・ハンにより滅亡(1227)。 |
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1050 | 1050 | ||||||||||
1100 | 1100 | ||||||||||
{3}南宋(1127~1279) (1)趙構(欽宗の弟)が靖康の変の 難を逃れ、江南へ渡り建国。 →南宋の高宗(位1127~1162) (2)首都を臨安(杭州)に定める。 (3)金との抗争 ◎主戦派岳飛と和平派秦檜の争い (a)岳飛の北伐(1140) →朱仙鎮で金を撃破、ベンキョウに 迫るも、秦檜に謀られて獄死。 (b)南宋と金の和睦(1142) →大散関と淮河の線を境とする。 (c)采石の戦い(1161) →海陵王率いる金軍を撃破。 (d)南宋と金の和睦(1165) →金へ毎年歳貢を贈る。 (4)江南域の開発が加速。 (5)元の世祖(フビライ)により滅亡。 |
{4}金(1115~1234) (1)民族:ツングース系女真族 →遼に服属して半農半猟生活。 (2)完顔阿骨打により遼から独立。 →金の太祖(位1115~1123) (3)首都を上京会寧府に定める。 (4)遼、西夏、宋との抗争 (a)太宗(2代、位1123~1135) ◎西夏を服属させ(1124)、遼を滅ぼす(1125)。 ◎靖康の変(1127) ○北宋へ侵入して首都開封を占領。 →徽宗、欽宗を捕らえ、北宋を滅ぼす。 (b)海陵王(完顔亮、位1149~1161) ◎燕京(中都大興府、現北京)へ遷都(1153)。 ◎南宋への侵攻を企図(1161)。 ○ベンキョウ(開封)へ遷都。 ○采石の戦い(1161) →金軍、南宋に侵入して返り討ちにあう。 (5)遼の2重統治制を継承。 →女真人の漢服の着用や漢姓を禁止。 (6)女真文字の作成。 (7)モンゴルのオゴタイ・ハンにより滅亡。 |
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{5}西遼(1132~1211) (1)遼の皇族、耶律大石が 中央アジアへ逃れて建国。 →カラ・キタイともいう。 (2)ウイグルを服属させ、 イスラム系国家の カラハン朝を征服。 (3)遼の仏教文化等を保持。 (4)ナイマン部の王子、 クチュルクに王位を 簒奪され滅ぶ。 |
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1150 | 1150 | ||||||||||
1200 | 1200 | ||||||||||
(ナイマン部) | |||||||||||
(モンゴル帝国) | |||||||||||
西暦 | 華中・華南 | 華北 (オルドス・甘肅) |
華北 (陜西・河北・河南・山東・山西) |
東北地方 | モンゴル高原 | 東トルキスタン | 西暦 |
[4]征服王朝:遼と金
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[5]宋代の社会
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[6]宋代の文化
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[7]モンゴル帝国の成立
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[8]モンゴル帝国の分裂
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[9]4ハン国の動向
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[10]元帝国
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[11]元代の社会
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[12]元代の文化
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[13]東西文化の交流
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