武王とは
周 武王
★歴史的観点から★
殷の西伯であった姫昌の子。姓は姫、名は発。殷王朝を滅ぼし、周王朝を開いた。 軍師には有名な太公望、介添え役には、孔子をして最高の政治家と言わしめた周公旦を 任命した。
即位より9年目に、文王(姫昌)を葬った畢の地に赴き、倒殷の兵をあげた。しかし 孟津に至ったところで、(すでに天下の2/3を手中にしていた) 「天命はいまだ殷を去らず」と告げて兵を返した。 紂王の無道はひどくなる一方であり、2年後、再び兵を集め、 再度の出兵に踏み切った。牧野で紂王を破り、名実ともに 中華の王となったのである。
武王は二度と武力(軍)を使わないことを天下に示し、その後まもなく病没する。
★私見★
残念ながら、正史での武王がどんな人物かはよくわからない。封神演義の中での武王が 私にとっての武王である。仙道の戦いである封神演義の中では、武王は全くといって いいほど目立たない。それはもうかわいそうなほどである。おそらく正史の中での武王も 目立たないのではないかと思われる。周を興したのは武王であるが、武王ではなく、文王 姫昌の方が正史には名をとどめているのではなかろうか。あまりにも武王が残した足跡が 少ない。偉大なる太公望の影に隠れてしまったと言ってもよいのかも知れない。それに 比べると、武王の弟である周公旦の方が救いがある。理想的な政治家と言われている。 しかし、やっぱり理想的な政治家であるがゆえに目立つことはないだろう。そういう表現 しか出来なかったと私は見ている。そもそも孔子にそう言われるような男である。孔子は 理想におぼれた、非現実的な世界に生きた男である…