街亭の戦いとは -三国志-
時代背景
魏では孔明の流した噂を信じてしまった曹叡が、
司馬懿を解任してしまった。
諸葛亮は「出師の表」をたてまつり、北伐を開始した。
諸葛亮は夏侯楙を撃ち破り、天水では姜維を手に入れ、
曹真をやぶった。
魏では頼れる人物は司馬懿だけになっていた。
司馬懿は復帰し、謀反を企んでいた孟達を討ち取って
張[合β]を率いて出発しのだった。
図解・解説
司馬懿復帰の報に驚いた諸葛亮は「司馬懿は糧道を断ってくるな」
と読んで馬謖を街亭の守りにつかせた。この際諸葛亮は、馬謖に
敵を通さぬように山のふもとに布陣するように命じた。
しかし、気が驕っていたのか、馬謖はとんでもない命令違犯を起こす。
馬謖は山の山頂付近に陣を敷いてしまう。
副将の王平は「軍師はふもとの要所を押さえるように言ったではないか」
と諌めた。さらに「山で水を断たれたら戦えません」といった。
馬謖は聞こうとしなかった。王平は布陣の地図を諸葛亮に送った。
これを見た諸葛亮はがく然とする。
予想どおり、水路を断たれたしまった。馬謖は敗北したのだ。
司馬懿はこれを機に追撃をする。諸葛亮のいた西城にはそんなに
兵はいなかったのだ。 諸葛亮は一計を案じた。 旗を全ておろさせ、
四方の門をあけさせ 香を焚くと、やぐらのうえから琴を弾き始めた。
司馬懿はこの様子を見ると「孔明のやつ何か策があって私らをおびき
寄せる手だな」と思い、その場を退却した。
後になってそんなに人数がいなかったことを知った司馬懿は「わたしは
孔明にはとてもかなわない」と思った。
これが、「空城の計」と呼ばれるもので、一種のハッタリである。
漢中に引き揚げた諸葛亮は馬謖を罪に問った。
諸葛亮は日頃から馬謖をかわいがっていたが、この時ばかりは、
馬謖は命令違犯であるため、打ち首を持って軍中に見せしめにせねば
ならないと思った。
そして、馬謖の首が届くと大声を上げて泣き、「その昔、先帝(劉備)は
臨終のおり、馬謖は口先だけであるからあまり重い職につけるな。と
言われたにもかかわらず、私は馬謖を用い大負けしたのだ。先帝に比べると
私はなんと愚か者か」と言った。 そして本当の罪は人選ミスの私のせいだ。
として、丞相から右将軍に 格下げした。
これが、「泣いて馬謖を斬る」のエピソードです。