ギリシア世界 -世界史の勉強ページ-
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sekaishi1
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2.ギリシア世界
[1]地中海世界の風土と民族
{1}自然環境と生業
(1)地中海性気候(夏:高温乾燥、冬:温暖湿潤。年間降水量は少なめ)
(2)ギリシア、イタリア-石灰岩質で痩せる。大河、大平野もなく、穀物の生産性低い。
(3)基本的生業-オリーブ、ブドウなどの果樹栽培と羊の牧畜
(4)地中海の役割-西洋古代(ギリシア、ローマ)の文化的まとまりを形成させる
(a)海岸沿いの都市を結ぶ交通路
(b)穀物、オリーブ油などの各地の特産品取引
(c)文化の相互伝播に貢献{2}民族
◎ヨーロッパ側:印欧語族(ギリシア人、ローマ人){3}特色
(1)大河などの治水の必要なし
(2)地中海交易により個人の自立助長
→都市国家などによる自由な市民文化の開花
※オリエント世界では大河流域の灌漑農業という生業の性格上、
強大な王権が発生したがそれとは対照的になっている。 |
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2.ギリシア世界
[2]エーゲ文明
◎エーゲ文明
→20c~12cB.C.頃、オリエントの影響を受けてエーゲ海を中心に栄えた青銅器文明。
※エーゲ海-「多島海」の意。山がちで平野少なく、オリーブ、ブドウを主に栽培
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{1}クレタ文明 |
{2}ミケーネ文明 |
(1)全盛期 |
◎2000頃~1400B.C.頃 |
◎1600頃~1400B.C.頃 |
(2)民族 |
◎クレタ人?(詳細不明)
→地中海・オリエント人種の混血? |
◎アカイア人
→ギリシア人の一派。 |
(3)中心地 |
◎クレタ島のクノッソス、ファイストス |
◎ギリシア本土のミケーネ、
ティリンス、、オルコメノス、
ピュロスなど |
(4)政治 |
(a)都市国家を
クノッソス王が統一(1800B.C.頃)
→祭祀王の性格。
(b)クレタ王国の成立、東地中海の
海上交易を掌握 |
◎統一はなく、各都市国家が対立。
→萌芽的な官僚機構を整え、
民衆から貢納を徴収 |
(5)遺跡 |
◎クノッソス宮殿 |
◎ミケーネの城壁、獅子門 |
(6)文化 |
(a)切石建築の宮殿、フレスコの壁画
(b)陶器-幾何学模様、動植物の絵
(c)写実的、流動的な海洋文明 |
(a)戦士、狩りなどの壁画
→写実性後退、尚武的
(b)巨石を積み上げた城塞、円頂墓
黄金の仮面、金杯、銀杯など |
(7)文字 |
◎クレタ文字(エジプトに由来)
→線文字A(未解読) |
◎線文字B(ギリシア語の起源)
→ヴェントリス(英)により解読 |
(8)発掘 |
◎エヴァンズがクノッソス宮殿発掘 |
◎シュリーマンがトロヤを発掘後、
ミケーネ、ティリンスを発掘 |
(9)滅亡 |
◎アカイア人により滅亡 |
◎ドーリア人の南下に
より滅ぼされる(12cB.C.) |
{3}トロヤ文明(2500~1250B.C.頃)
(1)ダーダネルス海峡の小アジア側に位置。
(2)シュリーマンにより、9層の遺跡を発掘。
第6層がミケーネ文明圏に属すものと推定
(3)アカイア人により滅亡(トロヤ戦争) |
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2.ギリシア世界
[3]ポリスの成立
{1}ギリシア人の南下
(1)ギリシア人-印欧語族
(2)ギリシア人の第1次南下(20cB.C.頃)
→アカイア人(クレタ文明を破壊しつつ、ミケーネ文明圏を形成)
(3)ギリシア人の第2次南下(12cB.C.頃)
→ドーリア人(ミケーネ文明を破壊、鉄器を使用)
(4)定着後の分化
(a)イオニア人-半島南部、小アジア
(b)アイオリス人-半島北部、小アジア
(c)ドーリア人-半島南部、クレタ、小アジア
(5)暗黒時代(12cB.C.~8cB.C.頃)
(a)ミケーネ文明を無視、経済的、文化的に停滞期を迎える
(b)最初は王政で長老会が王を補佐、重要案件については民会で決定
(c)土地(クレーロス)をくじで分配
→クレーロスは「くじ」の意で、後私有地を意味するようになった
(d)鉄器の使用による生産力の増大
(e)王に対する貢納の消滅
(6)大土地所有者(貴族)の出現
→他の者より多くの土地、家畜、奴隷を有する
(7)シノイキスモス(集住)
→軍事、経済の全住民の移住進む(村落的分散と初期王政の消滅)
(8)ポリス(都市国家)の成立が進行。{2}ポリスの構造と市民の意識
(1)特質
(a)自由な市民よりなる独立した都市国家群。1000以上のポリスが存在し、
互いに対立抗争。
(b)貴族階級が政治を独占
(c)成員(市民)-クレーロスを私的に私有。経済的に自立。個人は自主独立の
人格を持つ。公共生活に官吏、兵士、裁判官として献身的に参加
(d)領域-極めて狭く、例外的に大きいアテネ、スパルタでも日本の県程度の大きさ
(2)構造
(a)中心市(貴族、商工業者、富裕な農民が居住)
◎アクロポリス(城山)-軍事上の拠点となる城。神殿を持つ
◎アゴラ(公共広場)-交易、集会、裁判、社交の場
(b)村落(一般の農民)
→田園地帯広がり、オリーブ、ブドウなどを栽培{3}同胞意識
(1)ヘレネス-ギリシア人の自称。英雄ヘレンの子孫と考える。
(2)ヘラス-彼らの国土の呼び名。
(3)バルバロイ-異民族の蔑称。「聞きづらい言葉をしゃべる者」の意。
(4)共通の言語、宗教、神話を持つ
(a)オリンピア競技-主神ゼウスの祭礼。4年に1回祭典と競技を挙行。
祭典中は自動的に停戦。
(b)デルフィの神託-アポロン神の神託。全ギリシア人に権威。
(c)隣保同盟-神殿と祭礼の管理を共同で行うポリス間同盟。 |
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2.ギリシア世界
[4]ポリスの発展
{1}アテネとスパルタ
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(1)アテネ |
(2)スパルタ |
(a)成立 |
◎8cB.C.半ば |
◎8cB.C.半ば |
(b)種族 |
◎イオニア人 |
◎ドーリア人 |
(c)ポリス形成 |
◎アッティカ型(集住型)
→征服民と服属民が融合 |
◎ラコニア型(征服型)
→征服民が先住民を支配 |
(d)政治 |
◎貴族政→民主政 |
◎王政(実質は民主政)
◎後、リュクルゴス制へ移行
→市民優位のための
軍国的、鎖国的制度 |
(e)社会構成 |
◎市民(貴族・平民、15万)
◎メトイコイ(在外留人、3万)
◎奴隷(10万) |
◎スパルティアタイ(完全市民、0.5万)
→征服民、すべてを支配
◎ペリオイコイ(周辺民、2万)
◎へロット(国有奴隷、約5万) |
(f)軍事方針 |
◎海軍中心 |
◎陸軍中心 |
(g)外交 |
◎貿易を振興 |
◎鎖国政策 |
(h)経済 |
◎商工業中心 |
◎農業中心 |
(i)文化 |
◎学問、文芸ともに開花 |
◎発達せず |
{2}その他のポリス
◎ポリスの中には、権力の弱い王を戴く者もあった(貴族の第1人者的存在)
→7cB.C.頃から貴族政に移行(重装騎兵として国防を担い、政権を独占)
{3}植民活動の活発化(8cB.C.~6cB.C.)
(1)背景
(a)人口増加による土地不足
(b)商業上の目的
(c)政治的対立(貴族間の党争の敗者が移住)
(2)植民市-地中海、黒海各地沿岸各地に建設。母市からは政治的に独立。
→ギリシア文化の拡大と交易活動を促進
(3)代表的な植民市
(a)ビザンティオン(現イスタンブール)
(b)マッシリア(現マルセイユ)
(c)ネアポリス(現ナポリ)
(d)シラクサ(シチリア島東岸)
(e)タラス(タレントゥム)(南伊)
(4)経済活動の発展(遠隔地貿易の発達)
(a)貨幣経済の発達-リディア王国より流入(7cB.C.)
(b)商工業の発達-武具の量産化、価格低下実現。
{4}平民の台頭
(1)経済力を付けた富裕な平民が出現、価格の下がった武具を装備
→当時、武装の費用は自己負担
(2)平民の富裕層が重装歩兵として長槍の密集部隊を編成
→戦術の変化を促し、国防の主体となる。
(3)貴族政への不満、平民と貴族の対立
→平民の軍事的、政治的役割の増大-参政権を要求 |
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2.ギリシア世界
[5]アテネの民主政
◎アテナイ人の国制(アリストテレス著)
→19c末、エジプトで発見。アテネ政体の変遷を知る上で重要な資料{1}王政から貴族政へ
(1)当初の身分制
(a)貴族-大土地所有者。武装権を独占。農民と工人を支配
(b)農民、工人-平民として貴族の支配を受ける
(2)政治形態
(a)アルコン(執政官)
→任期1年。9人で構成し行政、司法、軍事、祭祀等の各分野で全権を掌握
(b)アレオパゴス会議
→アルコンの前歴者で組織。国法の監視、重罪裁判、役人監督に当たる。
(3)貴族政への不満
(a)平民の両極化-参政権要求の拡大
◎富裕化した農民が重装歩兵化
◎安価な輸入穀物の流入-没落農民の増加
(b)貴族による裁判の不正(貴族による勝手な慣習法などがまかり通る){2}ドラコンの法(621B.C.)
(1)執政官ドラコンにより、従来の慣習法が成文化。
→私的な復讐を規制、公権による秩序の維持が目標。法の曖昧さを排除
(2)厳しい法律(たいていの罪に死刑を適用(「血を以てかかれた」))。
(3)平民の権利保障が目的だが、貴族政治そのものは変わらず、
経済状態も改善されなかったため、貴族と平民の対立は続いた。
{3}ソロンの改革(594B.C.)
(1)ソロン-貴族と平民の調停者として選ばれ、改革を担当。中産階級の賢人。
(2)改革の内容
(a)借金の帳消(重荷おろし)による債務奴隷の解放
(b)身体を抵当とする借財を廃し、自由民の奴隷化を防止。
(c)財産政治(金権政治:timocracy)
◎旧来の貴族政治を廃止し、財産の多少に応じ、全市民を4階級に区分
財産の多い者ほど政治参加の機会が増加
◎階級:500石級、騎士級、農民級、労働者級
(d)その他新法を制定、アテネの国法となる
(3)結果
(a)富裕層-借金を帳消しにされ恨む
(b)農民層-土地再配分の期待を裏切られる
→両者とも改革に不満。貧富間、党派間の争いが激化
{4}ペイシストラトスの僭主政治(561~521B.C.)
(1)ペイシストラトスが親衛隊を率いてアクロポリスを占領。
→貴族を追放してその財産を市民に分配、支持を得る。
(2)僭主-政治権力を非合法的に奪った独裁的支配者。英語の’tyrant'(暴君)の語源
(3)ペイシストラトス自身の政治は評価高い。
(a)土地の再分配-中小農民の保護育成
(b)商工業の奨励、振興
(c)アテネ市街の整備、美化
(d)美術、文学活動が活発化
(e)海軍力の充実
(4)ペイシストラトスの死後、その息子ヒッピアスの暴政に遭う。
→ヒッピアスが国外追放され、僭主政治倒れる
{5}クレイステネスの改革:民主政治の確立(508B.C.)
(1)僭主政、貴族政の再現を防止、民主政の基礎確立
(2)氏族ごとに分かれ、貴族の勢力基盤となっていた4部族制を解体。
(a)170の区(デモス)を基礎にしてそれらを30にまとめ(このひとつひとつを
トリッテュスという)、この30のトリッテュスを市部、海岸、内地の何れかに
所属させ、10×3の形に組織した。そして市部、海岸、内地から1つずつ
トリッテュスを選んで1部族とし(トリュテュスの組み合わせは抽選。
各トリッテュスは距離的に分離した)、10の部族を作った(10部族制)。
→氏族的な集団の形成を徹底的に排除し、貴族政の再来を防ごうとした。
(b)「何々家の何某」「何某の子、誰」という呼び方をやめて、
「何デモスの何某」と所属区名をつけて呼ぶようにさせた。
→家柄による貴賎の差を隠し、血縁的な貴族地盤を崩すことを意図した。
(c)ソロンの改革以降、4部族制を基礎として構成した400人会を解体し、
10部族から50人ずつ出席させて500人会を構成。
(3)陶片追放(オストラシズム)の制を採用。
→僭主の出現を防止するための市民による投票。
※オストラコン(陶片)を投票用紙として用い、
一定以上の得票のあった人物をアテネより10年間追放した。 |
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2.ギリシア世界
[6]ペルシア戦争
{1}ペルシア戦争とその背景
(1)ペルシアの小アジア侵攻-リディア滅亡(6cB.C.後半)
→小アジアのイオニア植民市を支配
(2)ペルシアのフェニキア人貿易の保護-ギリシア系イオニア諸市の不満募る
(3)ミレトス(イオニア植民市の中心的ポリス)の僭主アリスタゴラスの反乱、
→ペルシアの支援で支配者となるも、失策の咎おそれる。
(a)ミレトスを中心としたイオニア植民市の反乱へ発展
(b)反乱軍、ペルシアの小アジア拠点サルデスを陥落させるが、反撃により壊滅。
→ミレトス陥落し、反乱失敗に終わる。
(c)この反乱の際、ギリシア本土が反乱軍を援助、ペルシアの反感を買う。{2}ペルシアの第1回ギリシア遠征(492B.C.)
(1)ペルシア皇帝ダレイオス1世が遠征軍を送る
(2)ペルシア海軍、アトス岬で難破し大損害を被る。
(3)ペルシア陸軍、トラキア鎮定に成功するが損害激しく撤退。最終的に失敗に終わる{3}ペルシアの第2回ギリシア遠征(490B.C.)
(1)ダレイオス1世、再度遠征軍を送る(軍船600隻、兵力2万)。僭主ヒッピアスも同行。
(2)ペルシア海軍、エーゲ海のキクラデス諸島沿いに進軍。
→エウボイア島のエレトリアを占領、ギリシア本土マラトン平野に上陸。
(3)マラトンの戦い
→アテネのミルティアデス率いるアテネの重装歩兵部隊がペルシア騎兵軍を破る。
ペルシア軍、海路アテネに向かうも攻撃できず退く。
※伝令フィディピデスがマラトンでのアテネ勝利を伝える(マラソンの起源)
※この頃アテネのラウレオン銀山に新鉱脈発見、アテネの政治家テミストクレスが
軍船を増強しアテネをギリシア第一の海軍国とする。
{4}ペルシアの第3回ギリシア遠征(480~479B.C.)
(1)ペルシア皇帝クセルクセス1世、ギリシアに親征、アトス岬に運河を建造、
大軍で遠征開始
→陸軍30万、軍船1000隻位と見られる。ヘロドトスの伝えるところでは総兵力264万名。
(2)ギリシア側、「ギリシア連合会議」を開催(481B.C.)
→アテネ、スパルタなど約30ポリスが集まる。
(3)テルモピレーの戦い(480B.C.)
→スパルタ王レオニダス率いるギリシア軍(スパルタ兵中心)が
隘路にてペルシア軍の阻止図るも、全員玉砕。
(4)サラミスの海戦(480B.C.)
→アテネのテミストクレス率いるギリシア艦隊(アテネ海軍中心、漕ぎ手は無産市民)が、
約2倍のペルシア艦隊を撃破。クセルクセスは帰国し、
マルドニオス将軍率いる約6万のペルシア陸軍が孤立。
(5)プラタイアの戦い(479B.C.)
→アテネ、スパルタ連合軍が勝利。
※この後もギリシアとペルシアの交戦続き、カリアスの和約(449B.C.)で最終的に講和。
※功労者テミストクレスは、その後陶片追放されてペルシアに逃れた(471B.C.)。
{5}意義
(1)東方の専制政治とその体制下で動員された軍隊に対する
ギリシア市民の自由の勝利。
(2)以後、ギリシアに自由な文化が発展
(3)アテネの覇権が確立。
{6}デロス同盟の結成(478B.C.)
(1)ペルシアの復讐に備える軍事同盟。デロス島が本部(どこの国にも属さず中立)
(2)アテネを盟主としてエーゲ海周辺の数百のポリスが加盟。
(3)同盟会議では1国1票だったが、実質的にはアテネの独断的支配
(4)加盟ポリスは艦船または資金供出の義務を有する(デロス金庫に保管)
→アテネが資金を流用してアテネ海軍の強化、アクロポリスの美化に充当。
後に金庫をアテネに移管(454B.C.)。
(5)スパルタは不参加(ペロポンネソス同盟盟主)
(6)アテネ帝国の成立
→ペロポンネソス半島のものを除く多くのポリスがアテネの帝国主義的政策に服した。 |
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2.ギリシア世界
[7]アテネ民主政の完成
◎ペリクレス時代(443~429B.C.):アテネ民主政の完成期
(1)ペリクレス-461B.C.よりアテネ政界の指導者となる。443B.C.以降、
政敵も現れず、安定期に入る。富裕な名門の出身。
→アテネの全盛期(黄金時代)-ペルシア(カリアスの和約)、スパルタとの
講和成り、ギリシア政局安定化。
(2)無産市民の政治的発言力増大
◎ペルシア戦争で軍船の漕ぎ手として活躍。
→ペリクレスが大衆を制御して民主政治を指導。将軍職に就いて実権を握る。
表面的には民主政だが、事実上はペリクレスが第1人者として執政。
(3)政治内容
(a)民会
→立法、行政等の最高機関。年40日の開催。法案の承認、重要官職の選挙行う。
◎構成員
→18歳以上の自由民男子全員(直接民主制)
婦人、奴隷、在留外人には参政権なし
◎定足数-6000人程度と推測される。日常業務は評議会(500人)が行う。
(b)民衆裁判所-市民からくじ引きで陪審員を選び、投票で判決を下す。
(c)公職(アルコンなどすべての職)は抽選制。ただし将軍職を除く。
→アルコンに変わって将軍職が政治的影響力を持つ(軍指揮権、
評議会出席権、民会召集権を持つ)
(d)役職を市民に平等に解放、役人、陪審員、民会出席者に日当を支給。 |
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2.ギリシア世界
[8]ポリス社会の変質と没落
{1}ペロポンネソス戦争(431~404B.C.)
(1)背景
(a)強引なアテネの支配に対するデロス同盟諸市の不満が爆発。
(b)スパルタ側諸市のアテネ強大化に対する不安。
(c)民主政アテネvs寡頭政スパルタの政治的イデオロギーの対立
(2)直接的原因-アテネとコリントの争いにスパルタが介入。
(3)戦況
(a)初期-アテネはペリクレスの指導の下にアテネ籠城策を取る。
スパルタ王アルキダモスはアッティカへ侵攻。
(b)籠城中のアテネで疫病(おそらくペスト)が流行、
全人口の1/3を失い、ペリクレスも病死。
→以後、アテネの衆愚政治化進む(能力無く、無定見な
煽動政治家(デマゴーグ)による政治)民主政治が腐敗。
(4)結果
→ニキアスの和約(421B.C.)をはさみ、ペルシアの援助を受けたスパルタが
アイゴスポタミの海戦でアテネ海軍を完全に破り勝利、スパルタに覇権が移る。{2}スパルタのギリシア支配
(1)財力、人工不足により、指導力は弱体。
(2)他のポリスに寡頭政を強制、強圧的な統治。{3}コリント戦争(395~387B.C.)
(1)スパルタがペルシアから離反したのに対して、ペルシアがアテネの援助を開始。
→アテネ復興し、テーバイ、コリントなどと結び、スパルタと敵対。交戦状態に入る。
(2)アンタルキダスの和約(大王の和約)(386B.C.)
(a)アテネの強大化をおそれたスパルタがペルシアと再び結ぶ。
→小アジアのイオニア諸市をペルシアに割譲、更に
各ポリスの自治独立(ポリス間同盟の解体)要求を呑む
(b)スパルタの優位再び確保される。
{4}レウクトラの戦い:テーバイの台頭
(1)テーバイ(アテネから北西50kmほどにあったポリス)の将軍エパミノンダスが
スパルタ陸軍を破り(371B.C.)、一時的にギリシアを支配。
(2)テーバイはペルシアに接近し、アテネを圧迫。
(3)ギリシア諸市はテーバイに敵対。
(4)エパミノンダスの死(362B.C.)により、テーバイの覇権衰退に向かう。
→以後、ギリシアポリス間の分立、抗争に突入。
{5}ポリス社会の変質
(1)ペルシアの干渉-ポリス間の慢性的抗争を助長。
→農地の荒廃著しい。
(2)貨幣経済の発達、奴隷制の普及-貧富の差が拡大、中小農民が没落
(3)ポリス内部の政争による亡命者の続出。
(4)個人中心の思想広まる
→ポリス社会の崩壊(市民意識の低下、傭兵制への移行、衆愚政治化)
ポリス社会の原則(市民自らポリスを守る、市民団の社会的、経済的平等)が崩壊。 |
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2.ギリシア世界
[9]マケドニアの台頭
{1}マケドニア王国
(1)ギリシア北方の専制君主国(バルバロイの国だが、実際はギリシア人の一派)
(2)農耕牧畜を主として村落生活(ポリスは形成せず)
(3)忠誠心の高い中小農民を基盤とする王政で、それを貴族が補佐{2}フィリッポス2世の治世(位359~336B.C.)
(1)軍制改革-テーバイの斜線陣の応用(テーバイでの人質経験あり)
(2)ギリシア文明を吸収し四囲に勢力を拡大
※ギリシアの対マケドニア政策について
◎反マケドニア派(デモステネス中心) |
◎親マケドニア派(イソクラテス中心) |
○ポリス主義を貫き、
マケドニアの驚異を排除。
→デモステネスはマケドニアによる
統一後も抵抗し、最終的に自殺。 |
○アテネの政治に落胆、ギリシアの
統一とペルシア遠征を主張
→フィリッポス2世を指導者とする |
{3}マケドニアによるギリシア世界の統一
(1)カイロネイアの戦い(ケーロネアの戦い)(338B.C.)
(a)マケドニアがアテネの同盟市ビザンティオンを攻撃したことにより開戦
(b)マケドニアがデモステネス率いるアテネ・テーバイ連合軍を撃破
(2)ヘラス同盟の結成(337B.C.)
◎フィリッポス2世を盟主とする。各ポリスの自治と自由を保証。
→マケドニアによるギリシア世界の統一
※この後、フィリッポス2世がペルシア遠征を企図するも、暗殺され頓挫。 |
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2.ギリシア世界
[10]ギリシア文化
{1}特質
(1)人間性の尊重
(2)合理的、客観的精神の発達、真理の探究
(a)宗教:人間的な神々
(b)歴史:真実を伝え、市民の立場からの記述
(c)文学:神々と人間との交渉を描く
(d)美術:人間美の極致を表現
(e)哲学:自然科学、自然、人間の合理的探求、解釈から{2}宗教
(1)オリンポス12神
→オリンポス山に住む神々。ギリシア神話の中心。
ゼウスを中心とする12神。{3}文学
(1)叙事詩
(a)ホメロス-8cB.C.頃の盲目の詩人。小アジア出身
◎作品
○「イリアス」
○「オデッセイア」-トロヤ戦争での英雄達の活躍と英雄オデッセウスの冒険
(b)ヘシオドス-700B.C.頃
◎作品
○「労働と日々」-労働の尊さをうたう
○「神統記」-神話の由来について
(2)叙情詩(植民活動などによる平民の台頭とともに発展)
(a)サッフォー(612B.C.頃~?)-レスボス島出身の女流詩人。
(b)アナクレオン-機知に富み、酒の歌多い
(c)ピンダロス-競技勝利歌など
(3)悲劇-ディオニソス神の祭礼より発生。後にポリスの行事となる
◎3大悲劇詩人
(a)アイスキュロス(525~456B.C.)-「アガメムノン」など
(b)ソフォクレス(496~406B.C.)-「オイディプス王」など。悲劇の形式を完成
(c)エウリピデス(485頃~406B.C.)-「メディア」「アンドロマク」など
(4)喜劇
◎アリストファネス(450頃~385頃B.C.)
→戦争を風刺、批判し平和を強調。
作品に「女の平和」(ペロポンネソス戦争中の反戦劇)「女の議会」など。
{4}歴史
(1)ヘロドトス(485頃~425頃B.C.)-「歴史の父」
(a)物語的な歴史記述(相手方の受け答えをそのまま記述する形式)
(b)ペルシア戦争史を記述(著書:「歴史」)。
(2)トゥキディデス(460頃~400頃B.C.)
(a)→広く史料を集め、科学的に歴史を記述(情報の信用性を確認する)
(b)ペロポンネソス戦争史を記述(著書:「歴史」)。
(3)クセノフォン(430頃~345頃B.C.)
→「アナバシス」(ギリシア人傭兵のペルシア従軍記)を著す
(4)ヘカタイオス(550?~475?B.C.)
→「地中海周遊記」を著し、ヘロドトスの先駆をなす
{5}哲学
(1)イオニア自然哲学-自然の本質や現象などを思弁的に研究、理解する試み
(a)ターレス(624?~546?B.C.)
→万物の根元は水であるとする。日食の予言なども試み、自然哲学の祖とされる。
(b)ヘラクレイトス(500B.C.頃)
→万物は火を根元とし、常に流転するとする。
(c)ピュタゴラス(582?~497?B.C.)
→哲学的には万物の根元として「数」を提唱。科学的にはエジプトの
実用数学を理論数学に発展させ、ピュタゴラスの定理などを発見
(d)デモクリトス(460?~370?B.C.)
→万物の根元は等質不変の原子(アトム)であるとする原子論を確立。
後にエピクロスによって広められる
(e)アナクサゴラス(500?~428?B.C.)
→万物の根元をスペルマタ(種子)とする。ペリクレスの友人としてアテネに滞在。
後に「陽は燃える石」説いてペリクレスに追放される。
(f)アナクシマンドロス(611~547B.C.)
→ターレスの弟子。万物の根元を無定限なもの(トアペイロン)と考える
(g)ヒポクラテス(460B.C.~375B.C.)
→それまでの魔法や迷信に反対して臨床の観察と経験を
重んじる科学的医学をうち立てる。「医学の父」。
(2)ソフィスト-弁論術と修辞学の職業教師。
◎プロタゴラス(481?~411B.C.)
→ソフィストの代表。相対主義に立脚(「人間は万物の尺度なり」)
後、ソフィストの中にその弁論を悪用する者が出たため、この言葉は
「詭弁家」を意味するようになった
(3)3大哲学者
(a)ソクラテス(469頃~399B.C.)
◎「汝自身を知れ」を根本信条とし、己の無知を自覚するとともに、問答によって
相手にもそれを気づかせ、人間の本質をよく「知る」ことが幸福への道と説く。
反感を持つ者の讒言で死刑を宣告される。著書はなくその言動は
弟子達の書により知られる。
(b)プラトン(427~347B.C.)
◎当初政治家を目指したがソクラテスの処刑で失望、アカデメイア学園を
創始して生涯を真理の探究と弟子の教育に捧げる。
◎「国家」(哲人政治の理想)、「ソクラテスの弁明」(ソクラテスの言動)を著す。
(c)アリストテレス(384~322B.C.)
◎真の実在を個物に内在するとし、これを「イデア界」にあるとした
プラトン説から脱却。諸学の体系化を試み、後世諸学発達の基礎を作る。
◎皇子期のアレクサンドロスを一時教育。
◎アテネにてリュケイオン学園を創始。
{6}美術
◎写実的で均整と調和のとれた美術が発達
(1)彫刻
(a)プラクシテレス
→彫刻家。「プラクシテレスのS形」と呼ばれる流麗な人体表現。
(b)ミュロン
→激しい肉体運動の表現などを得意とした彫刻家。「円盤を投げる人」など。
(2)建築
(a)建築様式
◎ドーリア式(初期、荘重。パルテノン神殿など)
◎イオニア式(中期、渦巻き装飾が特徴的)
◎コリント式(後期、装飾細かく、華麗)
※エンタシス方式-柱上部を細く設計。法隆寺の回廊柱の設計に影響。
(b)フィディアス
→ギリシア最高の彫刻家。パルテノン神殿の建築監督。
他に「アテナ女神像」(現存せず)など。 |
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