雛氏とは -三国志-
董卓の残党・張済の妻である。
張済の甥である張繍に引き取られて宛城にいた。
張繍は許昌攻撃を企てたが、曹操は情報をキャッチ
して、自ら宛城攻撃に出てきた。
賈[言羽]のすすめで、張繍は宛城を曹操に明け渡した。
張繍は日毎に宴会を開いた。
あるひ、曹操は酔っぱらって寝室に戻る、そして側の者に
「城内に妓女はおらぬか」と言った。曹安民は「容姿の綺麗な
女を垣間見ました、自分は張繍の妻と言っておりました」と曹操に告げた。
(曹昂、典韋の悲劇を生んだのは曹安民が曹操に雛氏をすすめていた
からなのだ!)
曹操は曹安民に命じて雛氏を召し出した。
すっかり、曹操は雛氏の虜になってしまった。
当然、この事は張繍の知るところとなった。怒った張繍は賈[言羽]に策を求めた。
胡車児が典韋を酔わせて武器を奪い、2ばん太鼓の頃一斉に火を放った。
典韋は武器なしで陣を守り戦死。
曹安民は追っ手に追い付かれズタズタにされた。
曹昂は曹操の馬がダメになったので自分のと
取り替えたため、乱れ矢によって死んだ。
その後雛氏はどうなったかは記述がないのである。