[1]ムハンマドとイスラム教
{1}アラビア半島の発展
(1)アラビア半島の自然環境
→ペルシア湾と紅海により外部と隔絶。陸地の大部分は砂漠地帯。
(2)民族:セム語族系アラビア人(アラブ人)
→血縁的部族による相互の掠奪、抗争のため、民族的統一は見られず。
(3)アラビア半島の状況と東西貿易の発達
(a)北部
◎古代メソポタミア文明、セレウコス朝シリア、ササン朝ペルシアなどの支配。
ヒジャーズ地方(メッカ以北の半島西部)は通商ルートになり、商業都市が発達。
→ササン朝ペルシアと東ローマ帝国の抗争が激化して、絹の道が寸断した後は、
アラビア半島経由の貿易が更に盛んとなり、(メッカ、ヤスリブ(後メディナ))などの
大商業都市が形成される。
(b)南部
◎イエメン(半島南西部の海岸域一帯)
→交易路となり、早くから拓ける。
◎サバ王国(950?~115B.C.)、ヒムヤル王国(115B.C.~525A.D.)などの諸国家
→インドとローマを結ぶ中継基地となる。
(4)アラブ人の宗教生活
(a)多神教
→樹木や石などに宿ると信じられた神々を崇拝。
(b)偶像崇拝 →メッカのカーバ神殿に神々の偶像を安置(アッラー神もいた)。
神殿には信仰の中心となる黒石があり、各部族が崇拝。
(5)メッカの繁栄と堕落
→中継商業の中心地として繁栄。クライシュ族が支配(ウマイヤ家、ハーシム家など)。
(a)岩石信仰は形式に流れ、クライシュ族の司祭は民衆に寄付を強要。
(b)大商人による富の独占が発生し、貧富の差が拡大。{2}ムハンマド(マホメット、571?~632)の出現
(1)もとは商人で、メッカの名門クライシュ族はハーシム家の出身。
→隊商貿易に参加、一神教(キリスト教、ユダヤ教)の影響を受けたとされる。
(2)唯一神アッラーの啓示を受け、預言者として自覚(610頃)。
(3)イスラム教を唱える。
(a)大商人達の利己的な利潤追求を攻撃して新しいモラルの確立を望む。
(b)絶対者に対しての畏敬の念を持つことで同胞者の精神的堕落を救済。
→飲酒、賭博に耽り、女子を卑しむ社会を嘆き、現世の善悪は来るべき
最後の審判によって裁かれるものとする。
(c)部族、階級の差を認めず、平民者救済の意向を含む。
{3}預言者の国づくり
(1)ヒジュラ(聖遷)(622、イスラム元年となる)
◎メッカ商人によるイスラム教の大迫害。
→信者と共にメッカから北部の町メディナへ逃れる。
(2)メディナでの活動
◎メディナにて信者を増やし、宗教的な共同体による国家(ウンマ)を形成。
→メッカとの戦いを断続的に行う。
(3)メッカへの帰還(630)
→メッカに対する最終的な勝利を収め、カーバ神殿の偶像を破壊。
以後、アラビア半島全域へ勢力を拡大するに至る。
{4}イスラム教(Islam:「唯一神アッラーに対する絶対的服従」の意)
(1)特質
(a)厳格な一神教
(b)偶像崇拝の否定
(c)他力信仰(神への絶対的帰依)
(d)天啓信仰(ムハンマドは神の啓示を受けた最後の預言者)
(e)終末論的世界観(最後の審判)
(f)聖典:コーラン(神よりムハンマドに下された啓示の記録)
→教義と律法の書。宗教的義務と、世俗的生活を規定。
(2)異教徒の定義
◎啓典の民の概念
→具体的にはキリスト教徒、ユダヤ教徒を指す。人頭税を課して信仰の自由を保障。
(3)六信五行と行動の規範
(a)六信:神、天使、啓典、預言者、来世、予定
(b)五行:信仰告白、礼拝、救貧税、断食、巡礼
(c)行動の規範:姦淫をしない、契約を守る、豚肉を食べない等。 |
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◎イスラム帝国とその分裂
[2]アラブ人の征服活動
{1}正統カリフ時代(632~661)
(1)ムハンマド死後の動勢
◎教団分裂の危惧生じるが、信者(ムスリム)からカリフを選出して団結力を高める。
→カリフとは「後継者」の意で、政治的権力をムハンマドから継承し、
イスラム信仰の維持、立法とその施行にあたるものとする。
(2)領土拡大活動の開始:聖戦(ジハード)の実行
→イスラム教の布教、貿易路の拡大、移住地、貢納地の獲得に乗り出す。
(a)首都をメディナに定める。
(b)主な矛先はササン朝ペルシアと東ローマ帝国。双方が激しく抗争する情勢に介入。
(c)異民族に寛大(自発的に降伏すれば、課税の上で生命、財産、信仰の自由を保障)
(d)征服地統治の為の軍営都市(ミスル)を建設。
(e)征服事業により、占領地へアラブ人が移住。各地のイスラム化が始まる。
(3)4人の正統カリフと事績
(a)第1代:アブー・バクル(位632~634)
(b)第2代:ウマル(位634~644)
◎暦として新たにイスラム暦を制定。
◎東ローマ帝国との戦い
○ダマスクスを陥れてシリアを征服(635)。
○ヤルムークの戦いで東ローマ軍に勝利(636)。
○パレスティナ地方の征服に成功(638)。
○アレクサンドリアを占領。エジプト征服成る(642)。
◎ササン朝ペルシアとの戦い
○クテシフォン占領してメソポタミアを制圧(637)
○ニハーヴァンドの戦いでペルシア軍に勝利(642)
→後にササン朝ペルシア滅亡(651)。
(c)第3代:ウスマーン(位644~656)
◎ウマイヤ家の出身。コーランの編纂を完成。
◎東ローマ帝国からキプロスを奪う(650)。
◎リュキア沖の海戦にて東ローマ艦隊に完勝(655)。
◎カリフ位の継承をめぐって内紛を生じ、暗殺される。
(d)第4代:アリー(位656~661)
◎ムハンマドの従兄弟に当たる。ウマイヤ家一派と戦う。
◎暗殺され、正統カリフ時代終わる。{2}ウマイヤ朝(661~750)
(1)ムアーウィア(位661~680)の台頭
(a)ウマイヤ家出身。当初シリア総督を務める。
(b)第4代の正統カリフ、アリーと敵対。その死後自らカリフを宣言。
→以後、ウマイヤ家によるカリフの世襲が続く(ウマイヤ朝の成立)。
(c)首都をダマスクスに移す。
(2)東西への膨張
(a)西トルキスタンへ進出。サマルカンド占領(676)。
(b)コンスタンティノープルを2度包囲(673~678、717~718)。
(c)東ローマ領アフリカの最後の拠点、カルタゴを占領(697)。
(d)ソグディアナ地方へ侵攻、カブール占領(699)。
(e)アフリカ北岸を西進して大西洋へ到達(700)。
(f)イベリア半島侵入。へレスの戦いに勝利し、西ゴート王国を滅ぼす(711)。
→以後、イスパニアの大半がイスラムの支配下に入る。
(g)インダス川下流(シンド地方)を占領(712)。
→東はインド、西は大西洋を版図とする大帝国が成立。
(h)ピレネー山脈を越えてフランク王国を侵犯。
→トゥール・ポワティエ間の戦いに敗れて撤退(732)。
(3)ウマイヤ朝の諸政策
(a)アラブ語を公用語とし、アラブ通貨を制定。
(b)政策の本質はアラブ帝国
→アラブ人による異民族支配。アラブ人は免税など多くの特権を享受。
異民族の不満が増大。
(4)宗派の発生
→カルバラーの戦い(680)で、第3代イマーム(シーア派の指導者)であるフサインと
その一族がウマイヤ朝軍に殺害され、以後の分裂決定的となる。
(a)スンナ派(正統)
→4代のカリフ以後のカリフについても正統と見なす。現在のイスラム信者の約9割。
(b)シーア派(異端)
→アリーとその子孫のみが正統なムハンマドの後継者であるとする。
現在のイスラム信者の1割を占め、特にイラン人に多い。
{3}アッバース朝(750~1258)
(1)第1代:アブン・アル・アッバース(位750~754)
→ムハンマドの叔父アッバースの子孫にあたる。
(a)イラン人改宗者やシーア派の協力を得てウマイヤ朝を倒す。
(b)首都をクーファに移す。
(c)東トルキスタンにて唐と接触、タラス河畔の戦い(751)起こる。
→唐将、高仙芝を破る(捕虜となった唐の紙職人から製紙法伝わる)。
(2)第2代:アル・マンスール(位754~775)
◎新首都バグダードの造営始まる(762~)
(3)第5代:ハールーン・アル・ラシード(位786~809)
→アッバース朝の全盛期を現出
(a)フランク王国のカール大帝と使節を交換。
(b)東ローマ皇帝、ニキフォロス1世を屈服させて貢納を受ける。
(c)イスラム文化の黄金時代に突入。
→ヒザーナ・アル・ヒクマ(「知恵の宝庫」の意。図書館)を建設。
(4)第7代:アル・マムーン(位813~833)
(a)東ローマ領のクレタ島占領(826)。東地中海の制海権掌握。
(b)バイト・アル・ヒクマ(「知恵の館」の意。学校)を建設。
→この頃より各地方の軍事勢力が自立の傾向を見せ始め、分裂の時代となる。
(5)政治と社会
(a)建国後はシーア派を弾圧し、スンナ派を国教とする。
(b)中央集権的官僚機構の整備。
→イラン人官僚(宰相バルマク家など)を積極的に採用。
(c)イスラム帝国への脱皮
◎アラブ人の特権を廃し、イスラム教徒間の平等を達成。
→税制に典型的な傾向が認められる。
※ウマイヤ朝とアッバース朝の税制
(ジズヤ:人頭税 ハラージュ:地租)
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ウマイヤ朝 |
アッバース朝 |
アラブ人
(イスラム教徒) |
(2税は免除) |
ハラージュ |
異
民
族 |
改宗者
(マワーリー) |
ジズヤ
ハラージュ |
ハラージュ |
非改宗者
(ジンミー) |
ジズヤ
ハラージュ |
ジズヤ
ハラージュ |
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◎イスラム帝国とその分裂
[3]イスラム帝国の分裂
西暦 |
イベリア半島 |
マグリブ地方
(モロッコ・アルジェリア・チュニジア) |
エジプト・リビア |
西アジア・イラン |
中央アジア |
アフガニスタン・インド |
西暦 |
700 |
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西ゴート王国 |
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700 |
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ウマイヤ朝 |
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750 |
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{1}後ウマイヤ朝(756~1031)
(1)ウマイヤ朝の支族がイベリアに逃れ建国。
◎アブドル・ラハマン1世(位756~788)
→初代だが、最初はエミール(総督)を称す。
(2)首都:コルドバ
(3)アブドル・ラハマン3世(位926~961)
◎名宰相アル・マンスールの下最盛期。
→初めてカリフ位を称する(西カリフ国)
(4)コルドバの繁栄
→西方イスラム世界の文化・経済の中心地。
第2の都市トレドもまた繁栄。 |
アッバース朝
(東カリフ国) |
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750 |
800 |
{2}イドリース朝
(788~985)
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{3}アグラブ朝(800~908)
◎シチリア島を征服(878)
→イスラム文化が伝播。 |
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800 |
850 |
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850 |
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{4}サーマン朝(874~999)
(1)イラン系、スンナ派の王朝。
→東部イラン、中央アジアを支配。
(2)首都:ブハラ
(3)メルブ、ブハラ、サマルカンド等
商業都市を押さえ、中継貿易で
大いに繁栄。
(4)中央アジアのトルコ人の
イスラム化に影響を与える。 |
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900 |
{5}ファーティマ朝(909~1171)
(1)シーア派王朝。建国時よりカリフを称す。
→中カリフ国となり、東西カリフ国と鼎立。
(2)アグラブ朝を倒しチュニジアに建国。
(3)首都:アル・マハディア
(4)エジプトの征服に成功(969)。
→新首都カイロの建設に着手。
(5)バグダードの占領成る(981)。
(6)ヒジャーズ地方を押さえ、インド洋、紅海・地中海を
経由した中継貿易の利益で繁栄。
(7)世界最古の大学(アズ・アズハル大学)を建設。 |
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900 |
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{6}ブワイフ朝(932~1055)
(1)イラン系、シーア派の王朝。
(2)カスピ海南西の地に興る。
(3)首都:イスファハン
(4)バグダードを占領(946)。
→王はエミール・アルウマラー
(大総督)と称し、実権を掌握。
(5)イスラム世界初の武家政治
◎政治権力を握り、カリフの
擁廃立を意のままに。
→以後のアッバース朝カリフは
宗教的権威のみ残る。 |
{7}カラハン朝(940~1132)
(1)トルコ(ウイグル)系王朝。
(2)中央アジアに興る。
(3)首都:ベラグサン
(4)東トルキスタンのイスラ
ム化、トルコ化を促進。
(5)東西に分裂した後、
西遼とホラズムが滅ぼす。 |
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950 |
{8}ガズナ朝(962~1186)
(1)トルコ系王朝。
(2)サーマン朝でマムルーク
(軍人奴隷)となっていた
アルプテギーンがアフガ
ニスタンで建国。
(3)首都:ガズナ→ラホール
(4)マフムード(位997~1030)
(a)サーマン朝を滅ぼす。
(b)インダス上流域を制圧。
(c)ブハラ・サマルカンド占領。
(5)イラン学芸を保護。
(6)インドのイスラム化が
本格的に始まる。
→インドの支配地に対して
イスラム教を強制。 |
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950 |
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1000 |
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(ガズナ朝) |
1000 |
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1050 |
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{9}セルジューク・トルコ(1038~1157)
(1)トルコ系、スンナ派の王朝。
(2)中央アジアのシルダリア川流域に興る。
(3)第1代:トゥグリル・ベク(位1037~1063)
(a)ブワイフ朝を滅ぼし、中央アジアから西アジアの大部分を支配。
(b)アッバース朝のカリフに請われてバグダードに入城。
→カリフからスルタンの称号を受け、武家政治を続ける。
(3)第2代:アルプ・アルスラン(位1063~1072)
(a)マンジケルトの戦いに大勝。
→東ローマ皇帝、ロマノス4世を捕虜とする(1071)。
(b)ファーティマ朝と戦ってイェルサレム占領(1071)。
→キリスト教徒を迫害(十字軍の直接的要因となる)。
(c)小アジアへ侵攻。1081年までにそのほとんどを支配下とする。
(4)第3代:マリク・シャー(位1072~1092)
◎イラン人宰相ニザーム・アル・ムルクの下、全盛となる。
→「ニザーミーヤ学院」を建設。 |
1050 |
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{10}アルモラヒド帝国(ムラービト朝、1056~1147)
(1)マグリブ地方(モロッコ、アルジェリア、チュニジア)の
ベルベル人(ハム語系+セム語系+ネグロイド)による
熱烈な宗教運動から建国される。
(2)首都:マラケシュ
(3)西南アフリカの黒人王国ガーナを滅ぼす。
→黒人のイスラム化が始まる。
(4)イベリア半島にも進出(副都としてセビリヤを置く)。
→キリスト教勢力のレコンキスタ(国土回復運動)の前に劣勢。 |
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1100 |
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{11}ホラズム帝国(1097~1220)
(1)アムダリア川下流域から興る。
→セルジューク・トルコの下での
奴隷が中心となり建国。
(2)首都:ウルゲンチュ
(3)中央アジア、イランを支配。
更にゴール朝を滅ぼして
アフガニスタンを支配。
(4)チンギス・ハン率いる
モンゴル軍の侵攻に遭い滅亡。 |
1100 |
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(西遼) |
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1150 |
{12}アルモハード帝国(ムワッヒド朝、1130~1269)
(1)ベルベル系王朝。モロッコから興る。
(2)イベリア半島に渡ってアルモラヒド帝国を滅ぼす。
(3)首都:マラケシュ(副都セビリヤ)
(4)レコンキスタに対しては劣勢続く。 |
(セルジューク・トルコ残党) |
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1150 |
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{13}アイユーブ朝(1171~1250)
(1)ファーティマ朝の宰相となった
サラディンが建国。
(2)ファーティマ朝を滅ぼし、
スンナ派信仰を復活させる。
(3)首都:カイロ
(4)セルジューク・トルコの
支配形態を継承。
(5)イェルサレム王国を滅ぼす(1187)。
→第3回十字軍を誘起して英王の
リチャード1世と戦い、これを破る。 |
{14}ゴール朝(1148~1215)
(1)トルコ系王朝。
(2)首都:ラホール
(3)アフガニスタン、インド北部を支配。
→13cにはガンジス川まで到達。
(4)イスラム教を強制。ヒンドゥー教、
仏教の寺院を破壊。 |
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1200 |
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1200 |
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(モンゴル帝国) |
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{15}デリー・スルタン朝(1206~1526)
(1)インド・イスラム5王朝の総称。
(a)奴隷王朝(1206~)
(b)ハルジー朝(1290~)
(c)トゥグルク朝(1320~)
(d)サイイド朝(1414~)
(e)ロディー朝(1451~)
※ロディー朝はアフガン系、
他4王朝はトルコ系。
(2)首都:全王朝ともデリー
(3)ヒンドゥー教徒にも寛大。 |
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(キリスト教諸国) |
{16}ナスル朝(1232~1492)
(1)イベリア半島最後のイスラム系王朝。
(2)首都:グラナダ
(3)スペイン・イスラム文化の成熟
→アルハンブラ宮殿など
(4)スペイン王国により滅ぼされる(1492)
→イスラム勢力イベリアから駆逐される。 |
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1250 |
{17}マムルーク朝(1250~1517)
(1)トルコ系王朝。軍人奴隷出身の
アイバク(位1250~1257)が
事実上の建国者。
(2)首都:カイロ
(3)バイバルス(位1260~1277)
(a)政治的基礎を確立。
(b)イル・ハン国の侵略を撃退。
(c)アッバース朝カリフを擁立。
(3)国内開発と農村の安定化。
(4)地中海、インド洋貿易の
利益を国家が独占。
(5)ポルトガルの隆盛に
圧迫されて衰微。
(6)オスマン・トルコにより滅亡。 |
{18}イル・ハン国(1258~1411)
(1)モンゴル系王朝。フラグにより建国。
(2)バグダードに入城、アッバース朝を滅ぼす。
→カリフの子孫はマムルーク朝へ逃れるが
権力はなく、カリフ制が事実上崩壊。
(3)首都:マラガ
(4)建国当初はイスラム教を弾圧。
(5)ガザン・ハン(位1295~1304)
(a)ダブリズへ遷都。
(b)イスラム教を国教化。
(c)地租を主とするイスラム式税制へ改革、農村社会を安定させる。
(4)イラン・イスラム文明の成熟
(5)ティムールの隆盛に圧されて滅亡。 |
(キプチャク・ハン国) |
(イル・ハン国) |
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1250 |
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(マリーン朝) |
(ジャーン朝) |
(ハフス朝) |
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西暦 |
イベリア半島 |
マグリブ地方
(モロッコ・アルジェリア・チュニジア) |
エジプト・リビア |
西アジア・イラン |
◎イスラム帝国とその分裂
[4]イスラムの社会と経済
{1}イスラム都市の社会
(1)住民構成:官僚・軍人・商人
→特に商人はイスラム文明の担い手として活躍。
(2)生活上の中心施設
(a)モスク(寺院)
→イスラム教の礼拝堂。信者が跪いてメッカに向かって礼拝する。
(b)バザール・スーク(市場)
→スークは特にモスクに隣接して開催される。{2}イスラム世界の軍制・官制
(1)アター制
◎徴税により得られた財を俸給(アター)として軍人・官僚に支給する
→イスラム大帝国の時代に採用される
(2)イクター制
(a)軍人に対しその俸給額に見合う財を徴税できるだけの土地の徴税権を与える。
原型はブワイフ朝で創始され、以後の各王朝・国家で採用される。
(b)西アジア
→セルジューク朝の宰相ニザーム・アム・ムルクがブワイフ朝から継承して確立。
以後イル・ハン国、デリー・スルタン朝、アイユーブ朝、ティムール帝国、
サファヴィー朝ペルシア、オスマン・トルコなどで採用される。 |
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◎イスラム帝国とその分裂
[5]イスラム文明の発展
{1}特質
(1)融合文明
→イスラム教とアラビア語を一方の軸、広大な征服地(インド・イラン・エジプト・
イベリア半島等)をもうひとつの軸として融合、発展。
(2)普遍的文明
(a)世界的イスラム文明として東西に伝播し、各地で地域的、民族的特色を明確化。
(インド・イスラム文明、イラン・イスラム文明、トルコ・イスラム文明)
(b)イスラム世界以外でも受容される
→中世ヨーロッパではルネサンスの原動力のひとつとなる。
(3)学問の発達
→神学、法学、科学、芸術(特に科学的・合理的文化が発展)
(4)都市的性格
→各王朝の都市を中心として形成。主な担い手は官僚・学者・商人で、
これを王侯貴族が保護。
(5)当時としては世界最高水準の文化を保持。{2}固有(自国)の学問:アラブ人に固有の学問。コーランに基づいたもの。
(1)法学
→コーラン・ムハンマドの伝承の解釈により、シャリーア(イスラム法)を確立。
(2)神学:コーランの啓示を解釈。
◎ガッザーリー(1058~1111)
→欧名はアルカゼル。イラン系で正統派神学では最大級の人。アリストテレスらの
ギリシア哲学を学び、その知性の限界と信仰の絶対を説き、神秘主義とイスラム
正統派との調和に労を費やした。主著に「哲学者の破壊」「宗教諸学の蘇生」。
※イスラム神秘主義(スーフィズム)
→禁欲主義に神への愛と神に関する神秘的経験を重視する考えが融合。
8c頃に起こり、11c以降教団として組織化。内陸アフリカ、インド、東南アジアに
積極的に教化活動を行う。
(3)歴史学:ムハンマドやその教友達の事績の調査を源泉とする。
(a)イブン・ハルドゥーン(1332~1406)
→チュニス生まれのアラブ人。遊牧と定住の相互干渉を中心に歴史法則を考察。
一時マムルーク朝に仕えた。「世界史序説」の大著が有名。
(b)ラシード・ウッディーン(1247?~1318)
→イラン人。ガザン・ハンの時にイル・ハン国の宰相となる。主著の「集史」は
モンゴル帝国の正史として貴重。
{3}外来の学問:固有の学問に対する非アラブ由来の学問。
(1)哲学:ギリシア哲学、特にアリストテレスの論理学を重視。
(a)イブン・シーナー(980~1037)
→ラテン語名はアヴィケンナ。イラン系。アリストテレスの哲学からイスラム哲学の
中核を完成。主著「知恵の泉」「医学規範」。
(b)イブン・ルシュド(1126~1198)
→ラテン語名はアヴェロエス。コルドバ生まれのベルベル人。アリストテレス哲学の
研究を通じてイスラム哲学の深化に努める。中世ヨーロッパのスコラ哲学に
大きく影響した。主著「医学概説」「破壊の破壊」「断定の説」。
(2)数学:ギリシア幾何学、インド数学(零の概念)、数字、十進法などの影響。
◎フワーリズミー(?~846?)
→イラン系。アラビア数学を確立し、代数学を創始。主著「代数学」。
(3)天文学:占星術を起源として商業活動上の要求から発展。
◎オマル・ハイヤーム(1040?~1123)
→天文学・数学・医学などで当時を代表する大家。セルジューク・トルコ皇帝、
マリク・シャーの命令により、ジャラーリー暦制定に参加。
(4)医学:ギリシア・インド医学を吸収。外科、眼科、薬科が発達。
(a)イブン・シーナー(980~1037)
→「医学規範」は中世ヨーロッパで最も権威ある医学書となる。
(b)イブン・ルシュド(1126~1198)
→「医学概説」を著す。
(5)化学
◎錬金術が下地となって化学実験法を発達させる。
→近代化学への道を開く。
(6)地理学・旅行記
(a)イブン・バットゥータ(1304~1377)
→チュニスの生まれ。北アフリカ・西アジア・南ロシア・バルカン半島・中央アジア・
インド・スマトラ・中国からサハラ奥地の黒人王国まで、30年に渡って旅行した。
その記録「三大陸周遊記」は貴重な史料。
(b)イブン・ファドラーン
→10c頃にロシアを旅行し、「ヴォルガ・ブルガール紀行」を著す。
{4}文学
(1)アラビアン・ナイト(千夜一夜物語)
→アラビア地方を中心にペルシア・インド地方に広がりながら数を増していった
約250の民話を集めたもの。成立年代・作者は不明。シェエラザードという女性が
面白い話を1001夜にわたって続ける。
(2)詩人
(a)オマル・ハイヤーム(1040?~1123)
→諸学研究の余暇に作ったという4行詩「ルバイヤート」が有名。252首が伝わる。
(b)フィルドゥーシー(940?~1020?)
→ガズナ朝期のイラン人。イラン民族の建国からササン朝の滅亡に至る神話、
歴史、伝説を語る大叙事詩「シャー・ナーメ」を完成。ペルシア最大の詩人。
(c)サーディー
→「薔薇園」を著す。
{5}建築
◎ドーム(円屋根)とミナレット(尖塔)を組み合わせたモスク(寺院)やマラドサ(学校)。
→岩のドーム(イェルサレム)、アズハル寺院(カイロ)、
アルハンブラ宮殿(グラナダ)等が有名。
{6}美術
(1)偶像崇拝禁止のため、彫刻や絵画は発達せず。
(2)アラベスク(唐草文様、幾何学紋様)
(3)ミニアチュール(細密画) |
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