ジャップ軍(WW2)の弱さを語ろうwww
日本軍へのいかなるバッシングも【日本軍はナチより圧倒的に強かった】で常に完全論破できる。
アメリカ軍の公式戦史によれば、全戦死傷者数は 4 万 9,133 人(うち死者・行方不明者が
1 万 2,520 人)に上った。別の戦史によれば、地上戦における全戦死傷者数は 3 万 9,262 人
(うち死者 6,319 人)で、それに加え「非戦闘死傷者」が 3 万 3,096 上ったという。
フランクは次のように述べる。「このように、アメリカの全死傷者は 7 万 7,358 人にも達した。
訓練を受けた[沖縄の:引用者注]防衛部隊の総兵力が 7 万 6 千人であったことを考慮すれば、
これは、日本本土上陸作戦を準備しているさなか、とてつもなく不吉な指標である」
トルーマン大統領は、本土侵攻作戦に関するブリーフィングのために召集した会議において、
「日本本土のいずれにおいても、沖縄が再現されないことを望む」と述べていた。
日本本土侵攻作戦の見通しそのものが明るかったと断言することは困難であろう。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/16672/1/fujita_2014_bun.pdf
ハーバード大学卒業、冷戦下にモスクワ大学に留学歴があり、世界史の著作を多数執筆している歴史家
ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan:
The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、
極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、
ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、
優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)
このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう。」
とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%E7%B8%E6%A6
自動小銃とタイガー戦車のナチ武装親衛隊機甲師団<<<<<<<<<<<<<<38式小銃とチハの大日本帝国陸軍第32軍
ナチ人弱すぎだろ
>>428
日本を(フィリッピン等占領された)これら地域から排除することは簡単な仕事では無かった。
大日本帝国の兵士達の降伏率は大戦を通じて驚くほど低く1~3%だった。しかも
そのうち自発的なものはその3分の1だ(残りは自殺できないほど負傷した者)。
その結果太平洋戦線での米国兵の損耗率は欧州戦線と比較して3.5倍に達した。
Removing Japan from these lands – which fell primarily to the United States- proved
no easy task. Imperial Japanese soldiers surrendered at appallingly low rates.
According to some sources, only one to three percent of Japanese forces surrendered
throughout the war, and only one third of these troops actually wanted to surrender
(the rest were too sick or wounded to commit suicide or continue fighting.)
As a result, most estimates suggest that America’s casualty rate in the Pacific
theater was about three and a half times larger than in Europe
http://nationalinterest.org/feature/the-5-most-precarious-us-allies-all-time-12075
The 5 Most Precarious U.S. Allies of All Time
米にとって最も危険だった同盟国 ナショナルインテレスト誌 2015/01/21
そのジャップより弱いナチ人ってなんだ?
猿以下だからボウフラぐらいか?
どんなに日本軍がバッシングされても
【ナチよりははるかに計画的に戦争してた】の一言で常に完全論破できる。
西部方面においてと同様に、ドイツ指導部は東部においても電撃的な攻撃と
勝利を見込んでいた。そのため、それに対応する数の捕虜が生じることになった。
東部経済本部部長だったヴィルヘルム・シューベルト陸軍中将の報告からは、
飢餓による捕虜の集団死亡が計画に入れられていたことが明らかになる。
各省の次官に宛てたこの報告は、征服されるべきソ連地域の農業搾取を扱った
ものだった。その中には一九四一年五月二日付けで次のように記されている。
「戦争の三年目(一九四一年から一九四二年にかけて)において全国防軍を
ロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる。この場合、
われわれが必要とするものをロシアから持ち出せば数千万の人間が餓死
することは間違いない。最も必要なのは油種子・油粕の確保と搬出であり、
穀物はその次だ。現存する脂肪と肉は軍が消費すると推定される。」
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P201
>全国防軍をロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる
ナチは初めからあてにあるはずもない占領地からの収奪だけを期待して戦争を始めたwww
敵からの収奪だけを期待して戦争始めたガイジ国家www
バイキングかよwwwwwwwww
どんな日本軍へのバッシングも
【米兵は楽勝なナチ狩に行きたがった】で常に完全論破できる。
兵士の多くが一八歳の少年だったことから「ダイアパー」(おむつ)師団とのあだ名をちょうだいした
第七十五歩兵師団は、一九四四年の秋、ケンタッキー州ブレッケンリッジ・キャンプで戦闘訓練を
終えようとしていた。元一兵士のハーヴィー・カッツは回想する。
「ある日、われわれは列車に乗せられた。そして、全員じっと座ったまま、列車は西へ行くのだろう
か東へ行くのだろうかと考えていた。東へ向かっているのがはっきりしたとき、誰もが歓声を上げた。
行く先はヨーロッパだとわかったからだ」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 トーマス・アレン ノーマン・ボーマー 181頁>
GIたちはジャップとの死闘よりもフランス観光がてらのナチ狩りに行きたがった
楽勝だしな
>東へ向かっているのがはっきりしたとき、誰もが歓声を上げた。行く先はヨーロッパだとわかったからだ
赤軍がバグラチオン作戦で快進撃してるのに、米軍はパンター怖いで尻込みなんて有り得ないよな。
バグラチオン作戦のバの字も語らないで、米軍がパンターに苦戦するナチホラ話が多すぎ。
どんな日本軍がバッシングされても【零戦は全ナチ戦闘機より圧倒的に強かった】で常に論破できる。
1944年5月8日に英空母エンペラーから発進したF6Fがノルウエー沖を飛行中にドイツ空軍のBf109とFw190と交戦してF6F損失0で3機撃墜
またF4F(マートレット)もノルウエー南部を飛行中にBf109の4機に奇襲されて1機撃墜されたが、逆襲してBf109が4機全滅
ヘルキャット>>>零戦>>ワイルドキャット>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ナチ戦闘機
Bf109エース「素人相手に200発当てても倒せにゃい!」
Fw190「上昇・水平・降下、すべての加速力で負ける…」
P-47エース「ドイツ機とかただの経験値w」
余力のあったルフトバッフェを踏みつぶして回った、エース機は損失ゼロ
隼「お?なんか鈍重そうなやつがやってきたぞ?」
疾風「新型?の割に大したことないな?」
P-47「旧式のハズの隼に加速負けしてる…しかも的確にコックピットなどの弱点狙う…」
隼、疾風混成部隊によるワンサイド達成、続いて出てきたP-51をも隼で撃墜した経験あり
幾らなんでも旧式に落とされたのは恥ずかしかったのかエンジントラブルと言い張っていた
いかなる日本軍へのバッシングも【戦後のドイツ人がナチより遥かに善戦したと認めている】のひと言で常に論破できる。
第二次世界大戦終了後の連合軍による日本とドイツに対する処遇も極めて異なっていました。日本は一九四五年に、
二度にわたる原子爆弾の投下を体験した世界で唯一の国です。しかし、失われた人命に比べると、
領土はさほどでもありません。反対にドイツの場合は広大な領土を失ったのみならず、終戦直後は四分割され、
その後二分割の状態が長年つづきました。日本はネーションとしての統一も、中央政権の統一も維持することが許されました。
日独間で完全に同様のことといえば、多くの人命が失われたことです。
ベルリン日独センター設立25周年記念
2010年10月20日にヘルムート・シュミット元首相記念講演会
http://blog.goo.ne.jp/tanemakuhito1921/e/e1d694b9319069d30dfa1fea949a99b3
ただシュミットが勘違いしているのは、日本が失った人命は15年戦争で310万人だが、ナチはたった5年で1000万人だから負けのレベルが違いすぎる。
人類史上空前絶後の惨敗がナチ
いかなる日本軍へのバッシングも【ナチはただの野垂れ死にだが日本兵の死には意味があった】のひと言で常に論破できる。
1945 年までに、日本陸軍の持つ力は敵に死傷者を生じさせる能力のみになっていた。
その能力は、日本陸軍の戦略を躱し、安価に日本を破る手段として原子爆弾を使用するという
アメリカの決定に影響を及ぼしたが、また、無条件降伏の要求を取り下げ、代わりに皇室と
従来の国家体制の一部を維持するという条件付き和平を採用することも決定された。この
状況は日本のエリートと国民に、ドイツ人が受けた権利から比べると、自らの運命
を制御するはるかに大きい権利をもたらした。日本の戦力と戦闘は実際のところ、
若干の政治的目標を達成したのである。敗北によってある種の勝利を得たのである。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf
支那の3500万人の犠牲は常任理事国に繋がった
大日本帝国の310万人の犠牲は政治的目標を達成した
しかし
ナチのファシスト1000万人の死者は無駄死にの犬死に過ぎなかったのだ
どんな日本軍がバッシングされても【ヤンキーにとって西部戦線はバカンスも同然だった】のひと言で常に論破できる。
フィリピン戦第六軍の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者1.95名、死傷者計7.45名
ノルマンディ以降の欧州戦線の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者0.42名、死傷者計2.16名
太平洋は、死傷率が高かった海兵隊の数字が入ってなくともこの有様
米軍にとって西部戦線はフランス娘とのセックスと観光を楽しむツアーにしか過ぎなかったのだ
車もねぇ!バイクもねぇ!自転車乗って道走る!(盗品
はぁ~補充もねぇ!展開ねぇ!何といっても弾がねぇ!
おらこんな軍はいやだ~(以下、リピート
逆に外国人全員ゲリラに見えてしまい虐殺した説
ホームガードパイクより安価で大量生産しやすい優れものやで
ホームガードパイクより安価で大量生産しやすい優れものやで
大和魂があればB29だって戦艦だって撃破できるから
アメリカ軍兵士「なんやこのガイジ卑怯すぎやろ……そや!投降してくる奴も問答無用で射殺したろ!」
日本軍兵士「メリケン軍は投降兵も射殺する鬼畜」
あのさぁ……
弱い割にはよくやったけど残当やな
国力即ち戦力ってのが未だに解ってなくて
対中包囲網とか平気でほざくし
残当というより基地外だな
え?理解したら発狂ものでしょ
ある種の防衛機制としては当然だろ?
まあ旧日本軍にしろ何にしろ現実逃避じみた側面もあるけど涙ぐましい努力や精神が見られるのは泣けてくる
戦後までのうのうと生き残ったゴミは死んで、どうぞ
飛行機の部品というか鉄が尽きたのが先じゃなかったっけ
パイロットが死にまくったのがガダルカナルとミッドウェーでその後も航空戦は割とあってるけど大した戦果上げれてないことを考えれば
ガダルカナルとミッドウェーでパイロットが死んだが航空機はまだあったもののそもそもの資源があまりない事から最終的には全ての資源(特にアルミニウム)が枯渇していった
ってのが妥当かと思われる
大戦中のお話によくある民家の鍋まで軍が持ってったっていうのは、あれ何に使ったの?
まあ国民意識を高めるためにやった側面もあるけど
日本はもともと資源が少ないから国家総力戦なんてやれたもんじゃない
ネトウヨのバカはよくアジア開放だなんて言うが太平洋戦争の主な理由は資源の確保だと思ってるし実際義務教育でも太平洋戦争の原因は持つ国持たざる国の格差って文脈で乗ってたはず
他人のために300万も日本人が死んでいいわけあるもんか
学校ではそこまで詳しくやらないから
何年に何が起きたかを暗記すればオーケー
テストではスマホ持ち込み可にして、事件が起こった事の解釈を回答すシステムにすべき
どうせ現代人の能力はスマホ込みだ
…まぁ使い道がなくなったからなんだけど
ノモンハン→日本「ナカナカヤルジャナイ」(所詮対中の片手間だし)ソ連「だろ?すっこんでろ」(総動員状態で戦況優位なのに損害同等って笑えねぇ)
対米→日本「五十六使えねぇ、死ぬなら戦況を戻してから死ね、島嶼戦だと得意の包囲も使えねぇとかクソだわ」
アメリカ「ミッドウェイやらソロモンやら一歩間違えれば沈んでるの俺らとか笑えねー、戦艦居て助かったわ」
イギリス「インパールでも補給二割の相手に主力包囲されて負けかけたんだよな実際…」
不可侵破棄→日本「筆髭マジガイジ」ソ連「満州は順調だったのに…なぜ600に対し20000で突破できん」
終戦→アメリカ「武装解除して歴史教育弄らせてくれれば禁輸解くし日本語も企業も天皇も宗教も存続ok」
日本「インディアンみたいな目に遭わせようとするなら潜水空母に乗せた細菌兵器も辞さなかったけど…ええやん
軍拡の原因だったソ連や中国もそっちで面倒見てくれるんか?すまんなぁw」
ドイツ「犠牲も多く踏み躙られた上にレイプ三昧喰らって挙句東西分割してるんですがね…」
イギリス「ベトナム再占領しようとしたら日本兵とその訓練受けた現地民に追い返された」
オランダ「インドネシア再占領しようとしたら日本兵とその訓練受けた現地民に追い返された、賠償しろ」
日本「補給もない少数正規兵に追い返されるお前らザッコwwww戦勝国のオランダちゃんカワイソーだから賠償くらいしてやんよw」
インドシナ戦争はフランスvsベトナムだろう
カン違いしてた、ヴィシーフランスだったな
陸海空動員して追い払われたっけw
外敵は取るに足らない雑魚扱いとか大概やべぇなw
実際罪務相と日銀に人口増加止められてるようなもんだけどw
疫病抜けば戦争後期でも人口増えてたのに…核より怖いとかシャレになってねぇー
七面鳥撃ちしたのは性悪女(F6F)だろうがw
ガチレズゥ物は嫌いじゃないからそれでお前描いてみろよ
神風が吹いて敵兵が皆ふっ飛ばされてたら勝ってた
ソ連の対戦車砲4門に戦車連隊が脳死突撃して半壊してるのはスルーされるのよね
独ソ戦を経験した軍とは質があまりに違いすぎる
ソ連はただ突っ込ませるだけで勝てる兵力をもって上陸してるんやで?
その意欲を削がなければ随伴歩兵が必然的に零になる戦車に勝ち目なんてねぇよ
対戦車戦車が遅れた理由だって「随伴歩兵ヤればあとは盲目の棺桶、じゃあ戦車には歩兵を殺す能力を付ける」
って考えからだし米英も思想としてそっちに近かった
>>37
今は「カネは余裕があるけれどバブル崩壊に備えたら使えない
出し渋った結果コレしか使えないからヒトも追い出す、けどアレもやれ」だから
信用がある企業が銀行から金借りないから逆ザヤになってること知らんの?
ドイツじゃパックフロントがあったからそれ相応の対応やる必要があったけど
中間管理職「モノやヒトがないのでできません」
上官「出来ないじゃなくてやれ」
中間管理職「わかりました」
中間管理職「……というわけだ。だからおまえら何とかしろ。失敗したらお前らの責任だからな」
俺ら「うへーい」
しまった、戦前と戦後で大して変わってないorz日本経済がクソ雑魚なのも日本軍がクソ雑魚なのも結局根っこは同じなのね
逆に何が変わるってのよ
バブルは奇跡に近いがあんな時期もあったから全てクソとするのも逆に振れてておかしいと思う
資源がねぇから精神で補えって姿勢がまずアレでナニでしょうよ。知恵と工夫が先でしょうにw
ガタルカナルまでは輸送船が消耗<建造で
徴発した輸送船を一時返還してた程なんだがな
この辺を突き詰めると博打ジジィが悪いって結論になるから…
つーか海軍の悪口はだいたい五十六に帰結するからつまらんw
>>49
こういう「勝てて当然の戦争を敗北で終わらしやがった」的風潮は何なんだろうなw
反省すべき点はないというワケじゃあないが硫黄島やパラオは知恵と工夫が足りないとでもいうつもりかw
知恵と工夫でも勝てないと悟るから精神に逃げるんだよなぁ…
なんにしてもナチよりはマシだよ
独裁者、軍人、国民みんなバカだったし
日本人は少なくとも俺は頭がいいから
どんな日本軍をバッシングしようが
【ナチはシナ兵より弱かった】で常に完全論破できる。
スターリングラード攻防戦に投入される以前、チュイコフは軍事顧問団の団長として、中国で日本との戦いを支えていました。
チュイコフがスターリングラードで取った戦法は、中国での日本との戦いの経験から得られたものだったのです。
このように、スターリングラード攻防戦を勝利に導いたのは、ノモンハンや中国での、日本との戦いの経験があったためです。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2006/01/15/212449
チュイコフは、このとき四二歳。大戦勃発のとき、中国の大使館付き武官をつとめており、一九四二年三月に帰国した
ばかりであった。彼は七月まで作戦に参加しなかったが、それ以後は、非常によく活動した。果断、誠実、そして楽天的な男であった。
スターリンは、もちろんこの任命を承認した。彼はエレメンコに「君は、彼をよく知っているかね」と訊ねただけであった。
エレメンコは「チュイコフは指揮官として信頼できる男だとおもっています」と答えた。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU/sobiet5.htm
シナ軍の白兵戦術を学んだ赤軍に敗けたナチ
日本軍>>シナ軍>>ソ連軍>>>>>ナチ
自慢の酸素魚雷ですらドイツ軍が欲しがらなかったことからお察し
これマジ?
ドイツは中型船体に40日分の物資積んで動くから魚雷の空きスペースで寝泊まりしてるんやで?
航空魚雷に使おうとして危険だやめようってなった代物使いたがるものか
トイレが浅深度でしか機能しない水洗、しかも実質一個だから浮上して用を足してる間に発見された艦も数多い、まさにくそみそ
一方日本の潜水艦の居住性はドイツ何かと比べると天国だ、元々大型だし
爆雷の衝撃で割れるような便器使ってない、非があるとすれば
均等に並んだ間隔で隊列組んでるから一隻見つかると他の位置が大体わかる仕様かね?
つーかFw189なんてザ〇使うくらいなら九七司偵は要求しとけよって言いたいw
悉くスルーされてて可哀想だからレスしてあげる
グゥの音も出ないだけじゃねーの?w
俺が満足できればどうだってかまわないのだけどw
米国と比べたなら魚雷性能も勝ってただろうし潜水艦搭載の航空機もより洗練されてたんじゃない
細菌兵器も勝ってたと思う
酸素魚雷もそこまでして高性能化する必要性をドイツ軍が感じなかったって運用思想の違いじゃないの
まあ結局日本の潜水艦の運用思想より結局はドイツの潜水艦の運用思想の方が勝ってたって話ならわからんでもないけど
日本陸軍の良かったのは兵站要求しても足りない、追いつかないから、小型傾向兵器と塹壕で少ない武器でいかに作戦立てるか理解できてた点だろう
逆に海軍はそこまで異常な兵站は要求してなかったが、それでも兵站莫大で供給できなくなったこと
あとは兵站、人数、練度、輸送全部不十分なのに無駄な浪費消耗をした点。これは米軍も突っ込んだ
「なぜフィリピン以降の所詮防衛圏のために戦力温存せず、浪費したのか、ミッドウェー敗北以降は攻勢+卸→短期決戦不可能になったのに」ってとこだろうな
ここらへんの軍事理解ってのは一般に浸透してない。究極的に兵站×護衛×レーダー警戒システムで負けてる
逆にいえば物量的な量がひつようだったとして、それは何にリソース割かれるべきか
それは莫大な輸送船、燃料船とその護衛船団
レーダー警戒システム
あとは対潜掃討
ここに莫大な物量を割くことができれば、それ以外の極端な物量はいらなかった。
日本の想定する戦力は最大的にみてもソ連戦闘員30万の15師団と潜水艦など100
アメリカ戦闘員10-15師団まで、航空機は3000-5000、空母は44くらいの護衛空母100
この程度の量は超物量とは言わないから、入念に準備と警戒システムが出来上がった上で、輸送と兵站さえ十分なら対抗できた戦力。超物量とまではいわない有限の物量
そして相対する上で重要だったのは兵站と戦略と指揮統合の問題。ここでこけて一定の物量はよういできたのに、浪費して作戦がコケた
満州防衛は十分な海上、航空からの兵站保証があるラインにまで防衛ラインを下げた十分な計画を用意
(大東亜戦争開戦でそういう準備をしなかった)
アメリカは潜水艦を燃費と飛距離で大量投入しきれなかったから、有限な数で十分なノウハウがあれば対抗できたし
陸戦力は兵站×火砲さえ万全なら良かった。万全といっても、満州で500門、太平洋で300門も150mm砲弾をこさえなくても防御準備が十分だったならば良かった
これは十分な作戦計画をえがかせない。
産業界+財務が兵站軽視の装備買え圧力方針に走る(いまの自衛隊と中国がコレ)
海軍が戦術×兵站→作戦というファンダメンタるを十分持ち合わせない軍事無知
これ陸海だけにとどまらず、現代日本も継承してる弱点で
「産業界都合と単純物件購入案件が財務都合で優先されて、研究と対策のプロセスと準備が軽視される」
結果軍事レベルではこういうふうに破綻したってだけ
けして物量破綻、質量破綻ではない。お金の使い方とファンダメンタるの脆弱性がむき出しになった結果。
これはつまり戦後の失われた10年や20年の性にしてる脳のなさと同等
まぁもっとも米軍やソ連のアップってのが1930年代末から本格化仕出した。で海軍は1934-1938年くらいに戦艦や空母機動艦隊×奇襲のベースアイディアは作った。
でそのあとアメリカはいきなり39-40年あたりに「100隻空母計画」とかぶち上げて、いきなり大軍事ドクトリン発動で作戦計画の変更追いつかなかったってのはある
それと同じで戦前は1930年代はアメリカの超物量と本格空海戦を想定してなくて「ww1のように即座に超物量ドクトリンを発動させたら」ってそうていが不十分で
アップしてない弱い30年代のアメリカを想定したドクトリンだった。でアメリカがアップしたから「奇襲開戦でアップ前に殺す」ドクトリンに切り替えた
もっともそのドクトリンの物量、兵站計画すら不十分で、その計画発動させてかんしょうしても
そのあとアメリカは東海岸にその倒した艦隊の3-4倍戦力温存してる
って現実はあって、そこの都合も考えられてなかった。
海軍には「奇襲の兵站不足で、奇襲しないと3年後に5倍艦隊で死亡」って考えしかなかった
アメリカの空からの攻撃だとか、海軍が防波堤になるだとか、そういう考えが弱かった
結果奇襲→前傾作戦で浪費して、防御型計画と温存と作戦練り直しにできなかった。
その後継の九六/九九式は列国の機関銃と遜色のない性能だったし
(九六式の信頼性が大きく向上するのは昭和14年に生産されたもの以降だけど)
重機関銃も普通に優秀で実際に扱った兵隊からも大絶賛だし
まあ、さすがに分隊に1挺以上SMGが配備できなかったのはさすがに不味かったとは思うが
一九四五年末、西ヨーロッパ戦線は投降した何百万のドイツ兵で溢れ、東部戦線ではソ連軍との最後の戦いがつづいていた。
西部の大量投降と東部の必死の抵抗は、ドイツ軍最高司令官デーニッツの戦略だった。デーニッツは、一兵でも多くを人道的な取り扱いが期待できる、アイゼンハワー麾下の連合国軍に投降させようとしていた。
だが、その試みは絶望的な結果に終わった。五〇〇万人をこえる捕虜は野ざらしで、立錐の余地もない鉄条網囲いに入れられ、最小限の食糧や衛生施設にも事欠いた。
一九四五年四月以降、仏軍の手にあったものも含めて、約一〇〇万人の捕虜が次々に命を落とした。
このような惨事が米軍のもとで起こったのは、南北戦争時のアンダーソンビル監獄以来のことだった
ジェームズ バグー著 消えた百万人―ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道
日本軍は戦場で最後まで抵抗して餓死したが、ナチ兵は戦いもせずに降参して捕虜収容所で100万人も野垂れ死んでいた
日本「敵…ったって投降すれば1人間だ、丁重に扱おう」
ロシア「マツヤマ!マツヤマ!」(母国で暮らすより良い暮らし!!)
日露戦争にて士気瓦解、投降が相次ぐ
サイパン「投降した奴ら乱暴された上殺されたンゴ…もうやだ自殺する」
沖縄「やっぱインディアンからフィリピンに対しやってきたことは正しかったですね
女だけど切り込み隊志願します、ヤられて殺されるよりマシ、手榴弾寄越せ」
アメリカ「アカン、めっちゃ突っ込んでくる、保護呼びかけないと…」(後の祭り)
ドレスデン「放銃した、同じ白人同士ならだいじょうぶだぁ」
アブロランカスター「焼肉パーティの会場はここですか?」
ドレスデン「」(下手すると原爆以上の死者数)
それでもナチと比較したら大善戦していた
アドミラルティ諸島の日本兵は、一人または少人数ではジャングル最良の狙撃兵であった。
完璧に偽装し・・・米軍な弾の無駄遣いを嘲笑っていた(ある日本兵の評「米兵は何でも撃つ、撃った数に応じてボーナスがもらえるに違いない」)
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P158
「日本軍、ドイツ軍の司令官はともにそのような命令(死守命令)を乱発するが、実際に守られる可能性は日本軍の方が遥かに高い」
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P160
無能な上層部が『天祐を信じて死守命令』を乱発したのは日本軍もナチも変わらなかったが
ナチはその命令を守りもせず戦わずに降参して捕虜収容所で餓死した
ナチ兵にあだ名を付けるなら『全自動餓死兵士』とでも言うべきか(笑)
ヒムラーはシュナイデミュール要塞の司令官が退却する兵を射殺し、死骸に『臆病者はすべてこうなる』と書いた札を下げたことを称賛している。
負傷もしていないのに、部隊を離れているところを発見された国防軍兵士はすべて銃殺されることになった。
幻想のなかではドイツはどうにか勝利を収める。そのためには無条件の献身と勝利への信頼があれば十分なのであった。
元帥ヴォルターモーデルはドイツ軍上層部を支配していたイデオロギー的認知症をあらわにしている。
彼らがもっと正気であれば、戦争に敗れるのはわかっていただろうに
ナチスの戦争 1918~1949 リチャード・ベッセル
ナチ兵には『全自動餓死兵士』というあだ名以外にも『全自動銃殺兵士』というあだ名も似つかわしいな
藤原彰の『餓死した英霊たち』によれば日本軍の80%は餓死・病死
確かにこれはむごい話だが、だがちょっと待って欲しい
日本軍の15年戦争での軍人軍属の戦没者は210万人、内大陸の中ソ相手に70万で英米相手に140万人、この2割が戦闘による戦死者だから28万人
一方、米軍の太平洋戦域での戦死者は17万、英蘭印豪らの合計を米と同数と仮定すると、シナ軍とソ連以外での連合国軍の戦死者ら35万人
また日本軍の戦没者には海軍や海上移動中の兵士が多く含まれているのに対して、連合国軍の死者には餓死病死は殆どいないから、
純粋な戦闘での死者は藤原彰の本が正しいとなると、連合国軍の方が圧倒的に多くなる
で、連合国軍は圧倒的な物量を投入してこの有様なんだから、白兵戦でのキルレシオは日本軍無双と言っていいレベルだったろう。
藤原彰は日本軍を貶すつもりが、図らずも日本軍の戦闘での無類の強さを証明することになった。
食糧が足りていたら、日本軍は確実に戦争に勝っていたというのが藤原彰の結論だったと思われる。
飛び石作戦でピョンピョン日本軍陣地を迂回、補給路遮断して餓死させるアメリカ版ブリッツクリークが作戦目的なんだから当然だと思うが?
で、飛び石作戦のための圧倒的な米陸軍航空隊のB-17、B-24と戦闘機でしょうが。
一九四五年末、西ヨーロッパ戦線は投降した何百万のドイツ兵で溢れ、東部戦線ではソ連軍との最後の戦いがつづいていた。
西部の大量投降と東部の必死の抵抗は、ドイツ軍最高司令官デーニッツの戦略だった。デーニッツは、一兵でも多くを人道的な取り扱いが期待できる、アイゼンハワー麾下の連合国軍に投降させようとしていた。
だが、その試みは絶望的な結果に終わった。五〇〇万人をこえる捕虜は野ざらしで、立錐の余地もない鉄条網囲いに入れられ、最小限の食糧や衛生施設にも事欠いた。
一九四五年四月以降、仏軍の手にあったものも含めて、約一〇〇万人の捕虜が次々に命を落とした。
このような惨事が米軍のもとで起こったのは、南北戦争時のアンダーソンビル監獄以来のことだった
ジェームズ バグー著 消えた百万人―ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道
日本軍は戦場で最後まで抵抗して餓死したが、ナチ兵は戦いもせずに降参して捕虜収容所で100万人も野垂れ死んでいた
だからなんやねん。
基地外だから降伏しなかっただけだろ?
生きて虜囚の辱めを受けずだろ?
それでもナチと比較したら大善戦していた
アドミラルティ諸島の日本兵は、一人または少人数ではジャングル最良の狙撃兵であった。
完璧に偽装し・・・米軍な弾の無駄遣いを嘲笑っていた(ある日本兵の評「米兵は何でも撃つ、撃った数に応じてボーナスがもらえるに違いない」)
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P158
「日本軍、ドイツ軍の司令官はともにそのような命令(死守命令)を乱発するが、実際に守られる可能性は日本軍の方が遥かに高い」
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P160
無能な上層部が『天祐を信じて死守命令』を乱発したのは日本軍もナチも変わらなかったが
ナチはその命令を守りもせず戦わずに降参して捕虜収容所で餓死した
ナチ兵にあだ名を付けるなら『全自動餓死兵士』とでも言うべきか(笑)
日本軍は降伏を禁じて手榴弾を渡して、自決を促しただけだが
ナチ海軍の名将()デーニッツは『戦闘で死ぬか絞首刑にされるか好きな方を選べ』と国民に窮極の選択()を行わせていたwwwwww
勝算もないのに、戦い続けるため『狂信的な意志』を示すために、ヒステリックな要求が出された。
カール・デーニッツも、もっともけたたましい叫びをあげた一人である。
戦後デーニッツは、自分が部隊とドイツ国民の生存を気遣った責任ある軍指導者だったと主張しているが、
無条件降服のわずか数週間前にあたる1945年4月7日、デーニッツは全海軍士官に最後の最後まで戦うことを求めている
『軍務によっては勇敢で、毅然として、忠実な、敵の行く手を阻む一枚岩になることができる。
そのように行動できないものはろくでなしだ。そんなヤツは【ここにぶら下がってるのは裏切り者】というプラカードをくくりつけて絞首刑に処さなければならない』
Heinrich Schwendenmann『1945年末のドイツ』
基地外ジャップは降伏を禁じて最後まで抵抗して餓死したが、世界一の頭脳()を持つナチは戦いもせず降伏して捕虜収容所で餓死した
British, and French forces in the war in Europe follows:
Battle dead Permanently disabled Captured Total
Tunisia 19,600 19,000 130,000 168,600
Sicily 5,000 2,000 7,100 14,100
Italy 86,000 15,000 357,089 458,089
Western Front 263,000 49,000 7,614,794 7,926,794
Total 373,600 85,000 8,108,983 8,567,583
Army Battle Casualties and Nonbattle Deaths in World War II
Atlantic area theaters
Total deaths among battle casualties 177,100
米軍はたった17万人の死傷者で、自軍の何倍もの857万人ものナチをノルマンディから1年足らずで粉砕して、収容所で処分した
こんな惨敗は人類史上始めてだろう
無駄死にとはまさにナチのためにある言葉だ
お前サイパンで「鬼畜米英とか言うけどそんなことないやろーwww」って投降し
サンドバックにされたのちぶっ殺されて自分の一物咥えさせられるんだろうなぁ
アメリカ先住民、ハワイ、フィリピン…それらにやってきたことを見てた上で
次の矛先日本に向いてるのに投降しようなんて言う方が無理w
で、流石にアメリカは冷や汗ダラダラになって拉致に近い手段を用い食料を与え治療を施した
ヒムラーはシュナイデミュール要塞の司令官が退却する兵を射殺し、死骸に『臆病者はすべてこうなる』と書いた札を下げたことを称賛している。
負傷もしていないのに、部隊を離れているところを発見された国防軍兵士はすべて銃殺されることになった。
幻想のなかではドイツはどうにか勝利を収める。そのためには無条件の献身と勝利への信頼があれば十分なのであった。
元帥ヴォルターモーデルはドイツ軍上層部を支配していたイデオロギー的認知症をあらわにしている。
彼らがもっと正気であれば、戦争に敗れるのはわかっていただろうに
ナチスの戦争 1918~1949 リチャード・ベッセル
味方同士で勝手に殺しあって自滅するナチ兵には餓死する暇すらなかった
攻め状態でもマラリアワッショイだったんですがそれは…
インパールとかだって飛び石関係ないし
飛び石させないよう機動部隊を保持したり
食料、医薬品生産可能なオーストラリアをさっさと制圧すれば事なきを得たんだけど
その要因もやはり五十六が悪いの一言に集約
冷静に分析したら戦争に向いてない兵器ばっかり作ってるからな
日本「その気になれば輸送船の問題解決し30t級戦車行けるけど…これから行く先々の戦場で要らないな、燃料もないし」
アメリカ「戦いそのものは負けてない…が、ジャングルで見通し効かない、30tの車体なんて身動き取れない
沼にハマった、硫黄島でボコられた…結局バズーカ歩兵や空襲のが活躍…洞窟に火炎放射してろ?ソンナー」
ドイツ「60tの車体を用い、戦いになれば負けることはまずない、が、そもそも戦闘に至るまでいくのがレアケース
凝り過ぎて生産の遅延、歩兵の練熟にも時間がかかる、同じ88なのに使いまわせ無い砲弾
泥が詰まったら掻き出すのが地獄、ガソリンエンジンだから守勢に回ったらM4の事強く言えねぇ
燃料輸送どれだけすれば気が済むの?また変速機壊しやがったあの駆逐戦車…ホイホイ作れねぇぞ
空襲だ!重い車体が作った轍で隠れてもばれる!ギャアアアア」
Bf109「イギリス攻めたけどなんてことだ!碌に空戦出来ない!」
隼「…だろうね」(三往復くらい出来るわあんな距離)
Fw189ウーフー(1938年生まれ、時速335km航続670km)「やっほ、仲よくしてね、後継は居ません」
九七式司令部偵察機(1936年生まれ、時速500km航続2,400km)「ああうん…」(マジかー…)
ナチの爆撃機はどれもこれも隣町まで飛んだら燃料切れで墜落するような
超短距離爆撃機しかなかった。
もし日独同盟を活用して日本機を提供すれば九六式陸攻や九七式重爆、それどころか
九七式艦攻や爆装零戦でもベルリンからモスクワまでの往復爆撃が可能だったから
1941年10月上旬にはスターリンの首をベルリンに晒す事も可能だった。
つまらないメンツにこだわったばっかりにドイツは勝機を逸したともいえる。
海軍機は送るとしたら西側戦線、それも海上に回したほうが良いな、爆装零戦はイランw
低速対応できずソードフィッシュに好き放題されたドイツ機と違い
射撃訓練の感覚で皆殺しできる普通の零戦回せばビスマルクも沈まず済んだだろう
現実味があるのはドイツと深いつながりがあった陸軍?隼は前述した通りで
九七重爆・九九双軽をライセンス生産しとけば1941年11月の時には鍵十字がモスクワに翻ってても驚かない
1トンしか積めない重爆wwwwwwwwww
500㎏しか積めない軽爆wwwwwwwwwwwwww
そんなものいりません。
必要なところまで届けられない時点で0も同然なんですがそれは…
戦艦が主力から退いた理由も短距離高火力でしか仕留められない相手が消えうせたからに他ならない
広範囲をカバーし的確に放り込める九九双軽なんてまさに対ソ適任機じゃないか
それこそスキップボンビングによるダム破壊や無差別爆撃につかうならまだしも
相手がせいぜい巡洋艦級の装甲しか持ってないのに40cm砲に匹敵する爆弾を放り込む意味が解らんw
爆弾搭載しか頭にないアブロランカスターが弱体化したドイツ空軍にも手を焼き
夜間攻撃に回ってる事実考えればわかりそうなものだ
平均寿命7日間、セミなみの命しかないナチパイロットがどうかしたか?
アルフレート・グリスラフスキ
―ロシアの前線で戦った搭乗員と、ドイツ本土防空戦の参加者との感覚の違いをお聞きしてもいいでしょうか?
ロシアでは戦争そのものも、飛行機も、戦いも全く異なっていましたね。ロシアで行われていたのは純粋
な空中戦でした。仕事…うーん…ゲームというのとも違うな、スポーツ、そう、スポーツに似たような感じです。
もしもこのような表現が許されるのであれば。生存を賭けたギリギリの戦いではありませんでした…一方、
ここドイツでは、高高度から街々に爆弾が降り注がれ、辺り一面で爆発が起きるのを見ながらの戦いですから、
より個人的な、より感情的なものとなりましたよ。連合軍の爆撃機は800機ずつ、そして戦闘機も同じくらい
の数がやって来る。これは全く違う戦場です。ここドイツでは、搭乗員の命は平均して7日だけ、
1週間だけしかもちませんでした。ロシアではこれほどの緊張はありません。勿論、損失は出ていたのですが、
しかしたったの7日間ということはなかった。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/grislavski1.html
仮にナチ爆撃機が97式重爆や一式陸攻に勝っていても(そんなことはないが)ジャブ中だらけのナチパイロットには使いこなせなかった
下の写真はナチ空軍が愛用したヒロポン(メタンフェタミン)入りチョコレート
大()ルフトヴァッフェのパイロットはシャブ入りチョコをほおばりながら出撃してたから殆どがシャブ中だった。
覚醒剤投入ってそこは日本もだからw
ただ殺人的旋回力を持つ日本機にはブラックアウトを防げるかなり都合がいい代物であり
格闘戦を得意とするスピットファイヤにも勝る力を得る立派な兵器扱い(自衛隊にも保管されている)
一方ドイツ機自体そこまで旋回性能が良くないから
効果がないと言わないが日本と比較し勿体ないのが事実
経口摂取だから効果発揮にラグってのもマイナス
いかにJu87の火力が優れてようとその短い行動半径に来なきゃ話にならない
でもってその短い航続距離の最中、戦闘機に出会うと…ルーデル落とされすぎwww
確かにギリギリの距離に対し使うアウトレンジ()やガタルカナルで冗費した例はあれど
そもそもそんな風に使うことがそもそもの間違いで失敗原因は航続距離が長かったせいじゃない
数少ない空母をガタルカナルに届けるため割いたアメリカ
本土から空母を介せず直接最前線に行ける零戦この時点じゃ間違いなく圧倒的優位
で、手の空いた正規空母は…米軍の戦闘機輸送が整った第三次ソロモンまで何もしない!やっぱ五十六バカだわ
戦略級でどうしようもなくgdgdじゃないですか日本軍
つまり指導部、ていうかものの考え方がアレでナニなんですよ
否定はしないがその辺の悪口言い出したら五十六が超絶アホだったに行きつくんだよw
そもそも緒戦で大戦果上げただけであとはイーブンか劣勢とか航空主義()
便利なのは認めるけど対策されればぎっちり空母用意しても旧式戦艦ひとつ沈められやしない
戦果らしい戦果も対策をミスった武蔵と沈めて当たり前状態の大和くらいだ、圧倒的な数を用いた上で
初見殺しに徹し初陣の大戦果なら失敗作で名高いデファイアントでも出来るからな!!
日本がアレだった面もあるのは理解してる
じゃあ海外は完全無欠だったの?ってのが争点
そもそも戦略で一番ミスったのが日本挑発し引きこもって甘い汁吸ってられる極楽生活を捨て
自ら丹念に肥大化させた中ソと今でもにらみ合い、世界の警察という名の戦争狂になって
今日も若者を戦地へ送り出すべく動く国にしたルーズヴェルト、フーバーが呆れ返ってるぞ
日独倒すべく中ソと組んで、終わった瞬間牙を剥いた中ソに対抗すべく日独と手を組むってとんでもないアホw
日独両国の戦争目的
東條英機
「大東亜戦争ノ目標トスル所ハ我肇国ノ理想ニ淵源シ大東亜ノ各国家、
各民族ヲシテ各々其所ヲ得シメ皇国ヲ核心トシテ道義ニ基ク共存共栄ノ新秩序ヲ確立セントスルニ在ル」
↑
本音は資源ほしいわだろうけど国の方針だから建前言うよなあ
ヒトラー
「共産主義者は初めから終わりまで仲間では無い。これは絶滅戦争である。
そう心しておかなければ、敵を負かしたとしても、30年もすれば再び共産主義の敵と対戦することになるだろう。
我々は敵を保護するための戦争をしているのではない。」
↑
なんだこれ?国のトップの戦争目的がこれってガイジの集団かよ
同盟国と心中するのが唯一の戦略()で、当たり前に惨敗したナチの悪口は許さんぞ
名誉毀損で立法機関が捜査に乗り出すレベル
ドイツが快進撃を続けフランスを敗北させたあとですら、戦争を終結させるかについての真面目な議論は行われていない
ナチスドイツには戦争の『終了計画』はなかったのだ。
ドイツの対外政策はお粗末なもので、同盟国を敗北の道連れにするというのが基本姿勢だった。
ドイツの軍事戦略もまたしかりで、大量の血を流しながら避けられない崩壊を避けようとすることの繰り返しである。
リチャード・ベッセル『ナチスの戦争 1918~1949』
人種差別も公式ではやらないことを認めよう、日本語に天皇、宗教も自由だ
というワケで中ソを黙らせるため力を貸せ!!!憲法であんなこと書いたけど兵器も所有していいぞ!!!これからはズッ友!!!」
日本(最初から人種差別やめて禁輸しなければよかったんじゃないですかね…?)
中ソ「うはwwww日本が消えて南下し放題wザッコwwwww」
アメリカ「じ、仁川上陸作戦!!なんとか38までもたせたぞ!!」
日本「は?(威圧)豊富な物量を用いて満州よりひでぇペースでやられたなお前な?
挙句戦争状態の相手に大量の物資プレゼントか?朝鮮半島から追い出せよ無能」
あの敗戦っぷりは酷かった
結果あの中国大陸の共産党の勝利
GHQとマッカーサーの失敗と失脚と共産主義疑惑
これで当初予定してた極東戦略を変更せざるを得なくなって日本は得をした
あの大馬鹿どもの失敗で日本支配ドクトリンが崩壊する
むしろあの大馬鹿ども(戦後10年で赤にまけて失脚したクソども)は、戦後日本にスケープゴートと日本支配とか
バカな事やって失脚した
陸軍にマウントとるため野心作を作る海軍
その野心作をいいとこ取りする堅実的陸軍
結果地盤の弱い日本海軍機こそ封じ込めた米軍もP-51を用いた上で
1944年8月30日に日本陸軍機に一時期制空権奪い返される体たらく
悪い面もあったのは間違いないが利点がないとするのも早計
で、結局何が悪いかって言えば
真珠湾のちに追い打ちせず当時の艦載機搭乗員からも意味が解らないと言われたインド転進
艦隊不在のまま米軍の反撃で島嶼がボコられみすみすドゥーリットルの進出を許した
やっぱ五十六がry
日本兵自体は士気が高く善戦したとも言えるが、小手先でひっくり返せないような戦力・国力差で挑むのは戦略的にバカと言わざるを得ない
目論み通り戦争に持ち込んで損しかしてないアメリカに比べたら
講和したのと大差ない条件で戦争終わらせたうえ中ソのイザコザまで押し付けた日本は当然
WWⅠ敗戦以降ユダヤに乗っ取られかけてナチスを作って追い出し(共産主義もユダヤが作った)
ボコボコにされつつも何とか『ドイツ人による国』を存続させ、EU後大復活を遂げたドイツは戦略的勝利を達成してると言える
むしろ日本軍が早期対米戦勝利したとしても中共にソ連から見て二虎共食成功だし
アメリカは再び引きこもって今なお取っ組み合いが続いてた可能性は大きい
結果日中から続く戦争で被った犠牲者を大きく超える可能性も大いにある
それは果たして勝利と言えるものなのだろうか?
二虎競食
当時主力のイ-16(時速490)ごときなら中指立てつつ悠々と引き離す時速500突破してる信頼性の高い九九双軽
どっちが好まれるかなんて聞くまでもないなw
キチガイふさんはすこれない😡
その辺の真偽はわからないがさもないと皆逃げちゃうんじゃないかなw
脱走兵に覚醒剤入手は難しそうだし
ヨーロッパは飽きることなく戦争してるけどその実戦ってるフリしてるヘタレも多い
前述したように「同じ白人だから逃げても何とかなるw」ってのも少なからずいただろう
防寒具が支給できないのでシャブを配って誤魔化した
シャブ中には暑さ寒さ関係ないからな
ナチらしい心暖まるエピソードだよ
前述したように勝ち戦になった途端黄色い猿的ノリで虐殺
特にサイパンで投降の呼びかけに乗って裏切られたから女子供含め全員敵対
航空機まで爆弾抱えて突っ込む惨状に発展
流石に反省し沖縄では保護を呼び掛けひめゆり中心に治療してたそうな
今でも基地付近のフィリピン人ヤっても笑ってすまされるが日本でそのノリやると大問題になるという
一方甘い考えで投降したドイツ兵に慈悲は無かった
ドレスデンはじめ民間人も平気で焼き殺し
ロシアよりマシってだけで西側占領区もしっかり連合軍兵士によるレイプ三昧喰らってる
一億総特攻は一見馬鹿げてるけど占領した兵士にとっては死活問題、自国民保護の上で超有能だったことを実証してるオチ
普通の美味しいチョコだそうな
そのせいでオヤツ感覚で盗み食いしてたやつらが強制三日完徹してしまい、寝れないと軍医に泣きついたとか
ドイツのチョコレートワイも好きやで
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、 ’、:::::ヽ \_)
ヽ、 `ヾ”’゙ ,´
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ヽ、 ノ
`` ?—? ‘い
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09058644384
ていうか日本軍を雑魚っていうのもお魚に失礼だわ
勝てない相手にメンツを守るために立ち向かわないし、意味のない自殺攻撃もしない、守るべき弱きものに自決を強制して喜んだりしない
生存ということにかけて努力する姿勢をみると日本軍はお魚いかだわw
日本軍で自殺攻撃を命じた指揮官の多くは自決したり自ら特攻した
一方でナチは(笑)
■陸軍特攻の責任者⇒阿南陸軍大臣⇒終戦前自決
■陸軍特攻開始時の責任者⇒杉山元陸軍大臣・参謀総長⇒終戦後自決
■神風特攻の発案者⇒大西中将⇒終戦直後自決
■特攻開始時の軍令部次長⇒伊藤中将⇒大和特攻で戦死
■沖縄海軍特攻の主力部隊の司令官⇒宇垣中将⇒特攻で死亡(終戦後の為戦死ではない)
■人間魚雷回天の発案者⇒黒木大尉・仁科中尉⇒黒木大尉は回天訓練中事故死、仁科中尉は回天特攻で戦死
■桜花部隊・神雷部隊司令官⇒岡村大佐⇒終戦後特攻隊員の慰霊巡りをしたのち自決
■白菊特攻隊司令官⇒加藤大佐⇒終戦時に部下が止めるのを聞かず井戸に飛び込んで自決
■航空特攻の提唱者⇒城大佐⇒空母千代田で米軍巡洋艦隊と撃ち合って戦死
■航空特攻開始を主張⇒有馬少将⇒自ら陸攻で特攻出撃し戦死
■陸軍航空本部長で特攻を指揮⇒寺本熊市中将⇒「天皇陛下と多くの戦死者にお詫びし割腹自決す」と切腹
■第4航空軍元参謀長(冨永の部下)⇒隈部正美少将⇒閑職に更迭後終戦時に家族全員と自決
■陸軍特攻機の開発責任者⇒陸軍航空技術審査部員水谷栄三郎大佐⇒終戦時に手榴弾で自爆
それに対しナチの特攻推進者ときたら草しか生えませんよw
■ハヨ・ヘルマン
日本軍のカミカゼにインスパイアされて、ナチ版特攻隊エルベ特別攻撃隊を編成。
一回目の出撃で大失敗。
そのまま生き延びてソ連捕虜から解放されたあとは弁護士となって幸せな生活、ナチ擁護とホロコースト否定を主張し続け97歳で大往生。
■ハンナ・ライチュ
ナチの女性テストパイロット、ヒトラーに気に入られたので、V1飛行爆弾を特攻兵器化を主張し採用される。その後も特攻隊レオニダス隊の編成を進言し採用、36名のパイロットが軍艦でも航空機でもない、橋に特攻させられ無駄死に。
ライチュはヒトラー自決前にベルリンの総統防空壕逃亡、戦後はグライダーパイロットして人生をおう歌、独身貴族のまま67歳の天寿を全う。
■オットー・スコルツェニー
ライチュと特攻隊レオニダス隊の編成に尽力
当然に終戦時に死なず、捕虜収容所からも脱出、南米でナチ戦犯の脱出に手を貸し、アルゼンチンで会社経営、多大な資産を作り幸せに天寿を全う。
意味のない自殺攻撃ってナチのことかな?
日本軍の特攻に対する米軍の評価
チェスター・ニミッツ元帥(太平洋方面最高指揮官・太平洋艦隊司令)
「神風特別攻撃隊という攻撃兵力はいまや連合軍の侵攻を粉砕し撃退するために、長い間考え抜いた方法を実際に発見したかのように見え始めた」
「もう持ち堪えられない」
「海軍は、毎日1.5隻ずつ艦船を失っている。その為、五日以内に第一線が動かなければ、このいまいましいカミカゼから逃れる為に、
他の誰かを司令官に変えて前進させるぞ。」
「我が海軍が(沖縄戦で)被った損害は、大戦中のどの海戦よりもはるかに大きかった。沈没30隻、損傷300隻以上、9000人以上が死亡、行方不明または負傷した。
この損害は主に日本の航空攻撃とくに特攻攻撃によるものであった。」
ダグラス・マッカーサー元帥(南西太平洋方面最高司令官)
「カミカゼが本格的に姿を現した。この恐るべき出現は、連合軍の海軍指揮官たちをかなりの不安に陥れ、連合国海軍の艦艇が至るところで撃破された。
空母群はカミカゼの脅威に対抗して、搭載機を自らを守る為に使わねばならなくなったので、レイテの地上部隊を掩護する事には手が回らなくなってしまった」
「大部分が特攻機から成る日本軍の攻撃で、アメリカ側は艦船の沈没36隻、破壊368隻、飛行機の喪失800機の損害を出した。
これらの数字は、南太平洋艦隊がメルボルンから東京までの間に出したアメリカ側の損害の総計を超えている」
「特攻機は我々の軍艦を狙っているが、ほとんどの軍艦は一撃をくらっても耐えうるだろう。
しかし、もし奴らが我々の軍隊輸送船をこれほど猛烈に攻撃してきたら、我々は引き返すしかないだろう。」
レイモンド・スプルーアンス中将(第五艦隊司令)
「特攻は非常に効果的な兵器で、我々はこれを決して軽視することはできない。私は、この作戦地域内にいたことのない者には、
それが艦隊に対してどのような力を持っているか理解する事はできないと信じる」
「特攻機の技量と効果および艦艇の喪失と被害の割合がきわめて高いので、今後の攻撃を阻止するため、
利用可能なあらゆる手段を採用すべきである。第20空軍を含む、投入可能な全航空機をもって、九州および沖縄の飛行場にたいして、
実施可能なあらゆる攻撃を加えるよう意見具申する」
「沖縄に対する作戦計画を作成していたとき、日本軍の特攻機がこのような大きな脅威になろうとは誰も考えていなかった。」
ウィリアム・ハルゼー(第三艦隊司令)
「いかに勇敢なアメリカ軍兵士と言えども、少なくとも生き残るチャンスがない任務を決して引き受けはしない」
「切腹の文化があるというものの、誠に効果的なこの様な部隊を編成するために十分な隊員を集め得るとは、我々には信じられなかった」
「情報部から我々に対して、カミカゼが編成されたという警告が送られてきたが、
我々の内大半の者はそれをこけおどしや張子の虎であると受け取っていた」
「少なくとも、(特攻に対する)防御技術が完成するまでは 大兵力による戦局を決定的にするような攻撃だけが、
自殺攻撃に高速空母をさらすことを正当化できる」
ジェームズ・フォレスタル(海軍省長官)
「海軍による沖縄上陸作戦への継続的な支援は困難な業務であり、高価な代償を伴うものであることをアメリカ国民の皆様に理解して頂きたい」
オリバー・P・スミス大将(海兵隊副参謀長)
「バックナー(沖縄攻略部隊司令)には、沖縄近海に展開している海軍が、特攻による甚大な損害に耐えている間に進撃を加速させろという
大きなプレッシャーが加えられていた。」→その後バックナーは戦死
ダニエル・バーベイ少将(アメリカ海軍第7水陸両用部隊司令)
「日本航空部隊の実力に対して何の疑問もなかった。オルモック湾(フィリピン戦)での特攻による戦果が
日本航空部隊の実力に対する疑問を残らず拭い去った」
「日本軍は自殺機という恐るべき兵器を開発した。日本航空部隊がその消耗に耐えられる限り、
アメリカ海軍が日本に近づくにつれて大損害を予期せねばならない。」
モートン・デヨ少将(第54任務部隊司令)
「駆逐艦の消耗具合が容易ならざる水準に達している」
リッチモンド・K・ターナー中将(アメリカ海軍水陸両用部隊司令)
「艦隊より優秀な艦を選んでレーダーピケット艦としたが、それはそのピケット艦と乗組員に対する死刑宣告も同然だった」
サミュエル・モリソン少将(アメリカ海軍公式戦史著者)
「ゼウス神の電光の様に青空からうなり出てくる炎の恐怖」
「かつてこのような炎の恐怖、責め苦の火傷、焼けつくような死に用いられた兵器は無かった
日本軍の特攻は米軍に大損害を与えてマックやニミッツに小便ちびらせた
ソ連の特攻タランはモスクワを守りきった
一方ナチのエルベは(笑)
体当りすらできないナチパイロット
ヒロポンチョコの食い過ぎだな
もっと言ってしまえば
零戦全盛期の珊瑚海海戦、零戦に殺されるのを承知で艦爆を狙ったF4Fは自らぶち抜かれながらも
キルレシオを同等にまでもっていき正規空母一隻をギリギリ守り抜きミッドウェイに貢献
ミッドウェイで成すすべなくレイプされた艦攻部隊もドーントレスの道筋を作った
イギリスもインパールで空挺師団を投入
日本の特攻隊(陸海合わせ約4000名)以上の犠牲を出したが貴重な時間を稼ぎ本隊を包囲から逃がすことに貢献
どこもやってるんだよなぁw
ハワイ攻撃して以降碌な勝ち戦もない日本軍が優秀ってどういう観点で対比すればそういう結論になるのか
ちょっとよくわからないですね
いくらインパールの人的損害で日本軍を叩こうが
【インパールの損害はナチの西部戦線の損害のたった1/300】で常に完全論破できる。
British, and French forces in the war in Europe follows:
Battle dead Permanently disabled Captured Total
Tunisia 19,600 19,000 130,000 168,600
Sicily 5,000 2,000 7,100 14,100
Italy 86,000 15,000 357,089 458,089
Western Front 263,000 49,000 7,614,794 7,926,794
Total 373,600 85,000 8,108,983 8,567,583
Army Battle Casualties and Nonbattle Deaths in World War II
Atlantic area theaters
Total deaths among battle casualties 177,100
米軍はたった17万人の死傷者で、自軍の何倍もの857万人ものナチをノルマンディから1年足らずで粉砕した
こんな惨敗は人類史上始めてだろう
無駄死にとはナチのためにある言葉だ
どんな日本軍へのバッシングも【ナチよりは国民を大事にしてた】で完全論破できる。
日本軍は沖縄で手榴弾を渡して、自決を促しただけだが
ナチ海軍の名将()デーニッツは『戦闘で死ぬか絞首刑にされるか好きな方を選べ』と国民に窮極の選択()を行わせていたwwwwww
勝算もないのに、戦い続けるため『狂信的な意志』を示すために、ヒステリックな要求が出された。
カール・デーニッツも、もっともけたたましい叫びをあげた一人である。
戦後デーニッツは、自分が部隊とドイツ国民の生存を気遣った責任ある軍指導者だったと主張しているが、
無条件降服のわずか数週間前にあたる1945年4月7日、デーニッツは全海軍士官に最後の最後まで戦うことを求めている
『軍務によっては勇敢で、毅然として、忠実な、敵の行く手を阻む一枚岩になることができる。
そのように行動できないものはろくでなしだ。そんなヤツは【ここにぶら下がってるのは裏切り者】というプラカードをくくりつけて絞首刑に処さなければならない』
Heinrich Schwendenmann『1945年末のドイツ』
どんなに日本軍の人命軽視がバッシングされても
【ナチは軽視どころかわざわざ自国民を殺した】で常に完全論破できる。
ドイツ軍の崩壊が進み、将軍たちが部隊に与えることができるのは、信念と全滅だけだった。一般市民も、文字通り最前線に配置された。
オットー・ゲオルク・ティーラック法相は1945年2月15日に略式軍事法廷を設置する命令を発した。
『敵軍が迫りつつある防御領域』に設けられ、『臆病や利己心』のために『一般市民に対する自らの義務を回避』しようとした全ての者に対し『必要な厳しさをもって』対処することとなっていた。
その権限は『ドイツ人の戦闘力と戦意が危機にさらされる行為』全般に及ぶ。
判決は三種類しかなかった。死刑か無罪、あるいは別の裁判所への引き渡しである。
すでに戦争が終盤に入った頃に、ナチは自殺は称賛するようになっていた。
1945年春のドイツには死体があふれ、国中の人々が自殺者を目にしていた。
ドイツ軍の崩壊後、自殺は大衆現象と言っていいほど一般的になっている。
すべてが破壊されたことによる無気力と絶望感から、数万人のドイツ人が自殺するに至った。
メクレンブルクの小さな町テテロウの埋葬記録には120件の自殺の詳細が示されている。
銃、首吊り、入水、服毒に加え、父親が家族全員を殺したあと自殺するケースも多かった。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン陥落1945』
航空特攻によるアメリカ軍空母部隊の特攻による損傷艦と死傷者
ナチには無理な芸当だな
【第58任務部隊第1群】[TG58.1]
ワスプ 1945年3月19日九州沖航空戦で大破 戦死者101名 負傷者269名
ベローウッド 1944年10月30日フィリピン戦で大破 戦死者92名 負傷者56名
サン・ジャシント 145年4月6日沖縄戦で損傷 戦死者1名 負傷者5名
【第58任務部隊第2群】[TG58.2]
レキシントン 1944年11月5日フィリピン戦で大破 戦死者50名 負傷132名(沖縄戦開始時は本土で修理中)
エンタープライズ 1945年4月11日及び5月14日、沖縄戦で損傷と大破、合計戦死者18名 負傷者86名
ランドルフ 1945年3月11日ウルシー環礁で中破 戦死25名 負傷者106名
フランクリン 1944年10月30日フィリピン戦で大破 戦死者56名 負傷者14名
【第58任務部隊第3群】[TG58.3]
タイコンデロガ 1945年1月21日台湾沖で大破 戦死者144名 負傷203名(沖縄戦開始時では本土で修理中)
エセックス 1944年11月25日フィリピン戦で中破 戦死者15名 負傷者44名
ハンコック 1945年4月7日沖縄戦で大破、戦死者62名 負傷者71名
バンカーヒル 1945年5月11日沖縄戦で大破、戦死者402名 負傷者264名
カボット 1944年11月25日フィリピン戦で損傷、戦死者36名 負傷者16名
バターン 1945年4月18日沖縄戦で損傷、戦死者9名 負傷者50名
【第58任務部隊第4群】[TG58.4]
イントレピッド フィリピン戦1944年10月30日損傷、1945年11月25日大破、九州沖航空戦1945年3月18日損傷、沖縄戦1945年4月16日大破、戦死者合計97名 負傷者236名
ラングレー 1945年1月21日台湾沖で損傷
【第58任務部隊第5群】[TG58.5]※硫黄島戦時に編成
サラトガ 1945年2月21日硫黄島戦で大破、戦死者123名、負傷者192名(沖縄戦開始時は本土で修理中)
第58任務部隊の20隻の正規空母・軽空母の内、特攻で損害を受けた事のない艦はたった4隻である。
ところでイギリス潜水艦はよくイタリア軍に撃沈されてるが、 イタリア海軍の対潜技術ってナチよりも優れていたのか?
LOSS BY ENEMY
ROYAL NAVY
Warship types German Italian Japanese French Other(a) Unknown Total
Capital ships 3 - 2 - - - 5
Carriers 8 - 1 - 1 - 10
Cruisers 20 6 5 - 3 - 34
Destroyers 114 15 8 1(b) 15 - 153
Submarines (c) 24 37 4 - 6 5 76
TOTALS 169 58 20 1 25 5 278
ソ連軍潜水艦から撃沈したナチ貨客船
ヴィルヘルム・グストロフ
シュトイベン
ゴヤ
の3隻だけでナチファシストが35000人海没した
陸空でぼろ負けだったナチが唯一Uボート大活躍ナリーと言ってみたところで
潜水艦戦の人的収支ですらナチはぼろ負けだった
日本軍より強い()はずのナチ空軍なのに
対ドイツの戦略爆撃の戦闘損失率は全然ショボいんだが(笑)
B-25 0.6%
B-26 0.7%
B-17 1.60%
B-24 1.61%
B-29 1.32%
むしろあれだけ防空戦力注ぎ込んで損失率がB-29とあんまり変わらんのでは、ナチの情けなさだけが際立つな
そりゃ世界がドイツを主要敵とみなしてアジアには戦力を割けなかったからなのでは?
あえて言えば日本は英国を背後から突いた側だから優位に作戦も進められるでしょ
根本的な話として日本は米英の軍の一部のみを相手にすればよかったのに対して
ドイツは東西からソ米英に挟まれていたという状況を考慮しない比較に意味はないのでは?
でもナチよりはマシっしょw
ナチwwのwww科学wwwww力はww世界wwwwwwイチィwwwwwwwwwwwwww
>そりゃ世界がドイツを主要敵とみなしてアジアには戦力を割けなかったからなのでは?
日中戦争を無視したいのならご自由にw
>そりゃ世界がドイツを主要敵とみなしてアジアには戦力を割けなかったからなのでは?
なら中国は戦勝国なのか?
ワロタ
スレタイの前半部はともかく、「語ろう」という部分を実践できればと思ったんだけど、残念
ナチの弱さならいくらでも語れるが
占領したヨーロッパの他の地域からの搾取で、主に占領軍の必要をまかなったり、
ドイツの軍事行動の資金にあてたりした。戦後の計算では、占領地域は、
750億マルクほどの貢献をし、占領コストは530億だったとされている。
衛星国を含めドイツが支配したヨーロッパの全体が、ドイツに1200億マルクの貢献をした
つまり、戦争に費やされた資金の約20%である。
1944年のピーク時には、 ドイツには760万人の外国人労働者がいた。うち570万人が一般人で、190万人が捕虜だった。
1944年の8月までに、 ドイツの労働人口46%は外国人労働者と捕虜で構成され、採鉱労働者は3分の1がそうだった。
≪ヒトラーと第三帝国 / リチャード・オウヴァリー/著
永井清彦/監訳 秀岡尚子/訳 牧人舎/訳≫
ナチは占領地からの収奪や占領地市民の強制労働が無ければまともに戦争すらできなかった
真面目に戦争もせずホモ同士で殺しあってたナチ
同性愛者を弾圧したはずのナチ党には逆に同性愛者が多かった。
ナチスの私設警察だった「突撃隊」はレーム司令官がホモだった。
そのためにレームは性癖が同じような人間を突撃隊幹部に採用した。
ヒトラーは突撃隊がホモに支配されたと知ると怒り、SS(ナチス親衛隊)にレームと突撃隊を粛正させた。
そして突撃隊の大半をSSに統合した。
これにより、ナチスでは秘密裏に「ホモ人脈」が築かれていく。
SSを隠れ蓑に、ゲシュタポ(秘密警察)やSD(SS情報部)では同性愛行為が当たり前に成った。
また同性愛者の将校らは、同じような性癖の人間を、同族意識から幹部に採用した。
国家社会主義青年団などナチスの青年組織から、美少年がリクルートされたり、
ポーランドやフィンランドなど外国からも大量に、少年愛の為に青少年が誘拐された。
SSの根底に有ったのは同性愛だった。
同性愛者を虐殺しながら、実は裏でゲイか蔓延っていたのがナチ(笑)
こんな池沼上級国民(ナチ党員)のアホ作戦のお陰で国会議事堂に赤旗が翻るまでの完全敗北
近代戦でここまで徹底的に負けた軍隊はナチ軍以外にないだろう
ホモ軍団ワロタ
大体が五十六のスパイを超える無能に起因するんだもんw
122なんてもうその典型だろう
空母が脆弱だからとか言って燃費の悪い金剛を無駄に引き連れてたくせに
いざミッドウェーで五十六の座乗する戦艦部隊は遥か後方で燃料の無駄遣い、何がしたいん?
あの戦力でPM方面行かれたら米豪詰みって状況だった時点でもう救いがないね
もし勝ったとしてもミッドウェーからハワイ攻め落とす算段でも立てなければ一緒だけどなw
尋常じゃない無能さだよねこれw
空母すら作れない間抜けがナチなんだがな
>>138
確かにナチは惨めだよなあww
あれだけUボート沈められて返り討ちにしたアメリカン空母がブロックアイランドたった一隻とかギャグやってるとしか思えんwwww
いくらミッドウェイを叩こうが
【日本軍はナチより圧倒的に強かった】で常に完全論破できる。
アメリカ軍の公式戦史によれば、全戦死傷者数は 4 万 9,133 人(うち死者・行方不明者が
1 万 2,520 人)に上った。別の戦史によれば、地上戦における全戦死傷者数は 3 万 9,262 人
(うち死者 6,319 人)で、それに加え「非戦闘死傷者」が 3 万 3,096 上ったという。
フランクは次のように述べる。「このように、アメリカの全死傷者は 7 万 7,358 人にも達した。
訓練を受けた[沖縄の:引用者注]防衛部隊の総兵力が 7 万 6 千人であったことを考慮すれば、
これは、日本本土上陸作戦を準備しているさなか、とてつもなく不吉な指標である」
トルーマン大統領は、本土侵攻作戦に関するブリーフィングのために召集した会議において、
「日本本土のいずれにおいても、沖縄が再現されないことを望む」と述べていた。
日本本土侵攻作戦の見通しそのものが明るかったと断言することは困難であろう。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/16672/1/fujita_2014_bun.pdf
ハーバード大学卒業、冷戦下にモスクワ大学に留学歴があり、世界史の著作を多数執筆している歴史家
ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan:
The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、
極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、
ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、
優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)
このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう。」
とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%E7%B8%E6%A6
自動小銃とタイガー戦車のナチ武装親衛隊機甲師団<<<<<<<<<<<<<<38式小銃とチハの大日本帝国陸軍第32軍
ナチ人弱すぎだろJK
なんで日本のアニオタとネトウヨ併発してるようなのは日本より弱いドイツの戦車とか言葉を有り難がってるん?
横からだが負けた側の兵器だからかな
日本海軍の艦艇のプラモデルも誰が見ても勝った日露戦争の頃の連合艦隊より
明らかに負けた太平洋戦争の頃の艦艇のプラモデルの方が多いし実際売れる
本当にそういう人が国粋主義かぶれだったらそれこそ1920年代から30年代の状態の日本軍艦を好むだろう
堂々たる世界第三位の海軍国になった時期だからね
日本人って実は勝った歴史には興味ないのかも
栄光に包まれた敗北という名の伝説って書いたのは故・佐藤大輔氏だったか?
前述したけど攻守走の基本スペック『だけ』は悪くないんだ
発揮できれば恐るべき力も叩きつけられたのは事実
が、快速及び圧倒的航続距離を持つT-34に
踏破性、扱いやすさが異常に高いヴァレンタイン(ソ連軍をもって一番優秀だったと言われている)
素直なM4に対して地球上という広大な戦場はドイツ獣戦車の不戦敗が相次いで
ずっと共にいたのはⅢ号Ⅳ号という有様だった…ってだけ
特に雑魚扱いの元々歩兵戦車であるM4は戦車が不在の戦場が多いドイツ相手にゴリゴリ削るだけの力がある
逆に戦車にとってさらに過酷な環境となった日本側では立場逆転してて
インフラもクソもないグチャグチャ道に牛歩なんて当たり前
視界もクソで上部機銃乗っ取られ味方に機銃をばらまくことになった戦車もいるほど
それでも勝てたのは日本軍に有用な対戦車砲に対戦車ロケットが早い内に出回らず
制空権も握って総生産5万なんていう数で乗り切ったようなものだ
1944-5年西部戦線の戦車戦に関し、アメリカ軍による研究がある。
Hardisonは、比較的戦車戦の多かった第3機甲師団と第4機甲師団の戦闘データから98戦例を抽出した。
これによれば、アメリカ軍が攻撃側でドイツ軍が防御側に立った場合の損害率は、米22.8%で独33.3%である。
これが反対に、ドイツが攻撃側に回った場合には、独60.1%で米6.8%と、ドイツ側の高い損害率を示している。
シャーマンとパンターの戦闘にかぎった場合でも、数字はほとんど変わらない。
両軍が会敵するとき、平均して、アメリカ軍は兵器9.1を有し、ドイツ軍は兵器3.7を有し、約2.5対1となっていた。
シャーマンとパンターの関与する29戦例で見れば、シャーマンは1.2対1の数的優勢をもっていた。
86戦例のうち、6ケースでアメリカ軍側は全滅している。
同じように、ドイツ軍では89例のうち41ケースで全滅した。
3以下の兵器を使用した側は、81例のうち37例で全滅させられている。
統計では、パンターが防御に回ったときの有用性はシャーマンの1.1倍となり、
逆の場合シャーマンの有用性は8.4倍にもなる。
すべての記録を合わせると、シャーマンはパンターの3.6倍の有用性を誇った。
ナチの主力戦車パンターですら、シャーマンに全く歯が立っていなかった事実
チハもパンターもシャーマンにかなわないという点で変わりはなかった
シャーマン>>>>>チハ=パンター
あくまで『発揮できれば』だからなw
硫黄島で地中に埋まったチハがM4撃破しまくって戦車不足にまで陥らせてるから…
(砲爆撃で出来たデコボコ道をえっちらおっちら進んでる所を狙撃)
元々が九七式戦闘機でP-40に挑むくらいのハンデがある中で良くやってる部類
尤も欧州と違い太平洋戦線、特に島嶼での戦車の重要さはすごく低いんだがw
火炎放射器運搬車と化したM4後輩!!
アメリカ軍戦訓広報誌Intelligence Bulletinによれば、シャーマンに歯が立たないナチは、
パンターの最新型(G型)を投入して、射程の長さを活かしてロングレンジで戦車兵にシャーマンと2,000ヤードで撃ち合うよう訓練したが、
Novilleでのクリスマスの戦闘ではその作戦すら全く通用せず、
シャーマンがわずか45分間にパンターG型を一方的に6輌撃破したと書いてる(シャーマンの損害0)
パンターにはシャーマン5両で当たれと命令がでたいうデマを飛ばすナチヲタファシストがいるがそんな史実はない
シャーマンに歯が立たないという点ではチハもパンターも変わらなかった
75mm砲搭載型からファイアフライまで全てシャーマンということにすれば
日本の紙切れ戦車が四号戦車並みに思えてくる言葉のマジックきてんね
パンターとまともにやっても勝てないから数の有利をつかった引き付け役と迂回役のチームプレーで攻めたんだぜ
タイマンで勝てるかテストすることになり、76ミリAPCRはパンターの正面を抜けない事が解ってアイゼンハワーが激怒
チームプレーの徹底と新型重戦車の早期配備要望につながる
なお、あったとしてもサイパンのアメリカ軍の前には誤差に等しい
>>210
バズーカ歩兵も居ればP-47も居るからな
Ju87とハチ合わせしても撃破する力を持つ、護衛戦闘機ごとw
でもって対人散弾所有したM4にドイツの対戦車歩兵が近づくのは至難の業
むしろ逆に随伴歩兵がミンチにされ丸裸、歩兵のいない戦車なんて大した脅威じゃない
1944-5年西部戦線の戦車戦に関し、アメリカ軍による研究がある。
Hardisonは、比較的戦車戦の多かった第3機甲師団と第4機甲師団の戦闘データから98戦例を抽出した。
これによれば、アメリカ軍が攻撃側でドイツ軍が防御側に立った場合の損害率は、米22.8%で独33.3%である。
これが反対に、ドイツが攻撃側に回った場合には、独60.1%で米6.8%と、ドイツ側の高い損害率を示している。
シャーマンとパンターの戦闘にかぎった場合でも、数字はほとんど変わらない。
両軍が会敵するとき、平均して、アメリカ軍は兵器9.1を有し、ドイツ軍は兵器3.7を有し、約2.5対1となっていた。
シャーマンとパンターの関与する29戦例で見れば、シャーマンは1.2対1の数的優勢をもっていた。
86戦例のうち、6ケースでアメリカ軍側は全滅している。
同じように、ドイツ軍では89例のうち41ケースで全滅した。
3以下の兵器を使用した側は、81例のうち37例で全滅させられている。
統計では、パンターが防御に回ったときの有用性はシャーマンの1.1倍となり、
逆の場合シャーマンの有用性は8.4倍にもなる。
すべての記録を合わせると、シャーマンはパンターの3.6倍の有用性を誇った。
ナチの主力戦車パンターですら、シャーマンに全く歯が立っていなかった事実
チハもパンターもシャーマンにかなわないという点で変わりはなかった
シャーマン>>>>>チハ=パンター
どんなにパンターの強さを吹聴したところで【日本軍はナチより圧倒的に強かった】で常に完全論破できる。
アメリカ軍の公式戦史によれば、全戦死傷者数は 4 万 9,133 人(うち死者・行方不明者が
1 万 2,520 人)に上った。別の戦史によれば、地上戦における全戦死傷者数は 3 万 9,262 人
(うち死者 6,319 人)で、それに加え「非戦闘死傷者」が 3 万 3,096 上ったという。
フランクは次のように述べる。「このように、アメリカの全死傷者は 7 万 7,358 人にも達した。
訓練を受けた[沖縄の:引用者注]防衛部隊の総兵力が 7 万 6 千人であったことを考慮すれば、
これは、日本本土上陸作戦を準備しているさなか、とてつもなく不吉な指標である」
トルーマン大統領は、本土侵攻作戦に関するブリーフィングのために召集した会議において、
「日本本土のいずれにおいても、沖縄が再現されないことを望む」と述べていた。
日本本土侵攻作戦の見通しそのものが明るかったと断言することは困難であろう。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/16672/1/fujita_2014_bun.pdf
ハーバード大学卒業、冷戦下にモスクワ大学に留学歴があり、世界史の著作を多数執筆している歴史家
ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan:
The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、
極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、
ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、
優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)
このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう。」
とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%E7%B8%E6%A6
自動小銃とパンターのナチ武装親衛隊機甲師団<<<<<<<<<<<<<<38式小銃とチハの大日本帝国陸軍第32軍
日本軍は決められた通りにしか行動しないことがばれていたから
海兵隊の英雄ジョン・バジロン軍曹は進入路ぞいに機関銃を配置して待ち構えていた
結果としてバジロン分隊は日本軍一個連隊の総攻撃を撃退してしまう
そのバジロンとやらをあっさりぶち殺した栗林閣下が無双過ぎる
ナチ<<<<<<<<<<<第2師団<バジロン<<<<<<<<<<小笠原兵団
今の世界を見れば各地で民族問題反差別が渦巻き有色人種の反抗が始まったのを見ると世界は日本に追いついてきたんだなぁと思う
日本は文明開化して一貫して人種差別の撤廃を呼びかかけてきたからね
アメリカが当時最もそれに疎かったのが笑えるがね
欧米は植民地も喪失して今は息も絶え絶えよw
遅くなって申し訳ない、レスありがとう
敗北の美学かー日本はサムライハラキリ特攻に判官びいきと、敗北の美学好きだから
なるほどと思った
>>158
う、うん…
中国も蜀マンセーだしアメリカもボニー&クライドやキッドみたいな志半ば的キャラが肯定的に描かれる
フランスもジャンヌ萌えだし何処も一緒なんだろう
ナチとキモブタは共に人類の敵だからだよ
全員絶滅収容所に収容すべき
日露戦争でズタボロにされてたりしてたほうがWWⅡに巻き込まれなくて済むんじゃねとかちょっとだけ思った
まあドイツを利用して日本を叩くからそういう誘導をされているだけなのかもしれんが。
1930年代の国境合作直前の共産党の惨敗は、武器もない、組織にもなってない軍事集団と呼べない烏合の周の民衆共産集団に過ぎないんだから
銃さえあればらくにかつ
けど1945年の状況は共産軍が武器×組織×満州穀倉を掌握した。それこそアメリカは満州を赤に渡すなは理解してたが、渡ったからこそ共産党との長期戦は確定した。
武器数は共産党が上
穀倉は満州は中国の余剰穀倉供出の半数を担うから数の少ない共産党支配地域のほうが上
党の支持と数は穀倉ありきで共産党がうえ、なんせ国匪党は抗日レイプ無罪で大簒奪、大虐殺をしすぎて立場がなさすぎた
そして日本軍をかなり懇意的に取り込んだ結果正規軍の質、士官の数規模でも共産軍が上になった
つまり1945年時で物量、軍、支持そういうレベルで完全に共産軍のほうが状況いいんだよ
なんだけど、国匪軍は状況理解できてない。つまり「信用なさすぎ国匪党、農業経済崩壊国匪党、軍事も物理的に不利ってことの理解がなかった」
なのに1930年代のままの認識で、共産軍はすでに政府組織、軍事組織の体裁があるにもかかわらず、非武装ゲリラを相手にするくらいの認識で戦争準備その他が不十分だった
結果最初に攻めたのは国匪軍だったが、普通に共産軍にストレート負けして惨敗した
また客観的かつ物量的に極東の状況が、米軍が物量的フルパワーを供出できないから、空海では圧倒でも、陸戦力は実は赤(ソ連除外)のほうが優位だった
なんだがバカghqもそれを俯瞰できる立場なのに、ソ連挑発を恐れてか、陸戦力の不利を補わず、増強もせず
結果大陸で物量不利のまま連敗する。
日本軍まんまだよなな共産主力軍5-10個
あとはおまけ予備雑兵しか存在しない状況だった。
相手は予備戦力はいっぱいあっても、武器数、正面装備が不十分で、ソ連は中国を警戒して、スターリンは消耗狙いか武器と支援不十分だった。
にもかかわらずこの程度の物量にゴリ押しされて、結果的に極東アメリカ傘下軍は装備と兵站で
戦車1師団、米軍正規3-4師団、海兵1-3師団、その他他国軍軽師団10個くらいの戦力しか有さなかった
大陸で共産軍を迎え撃つに陸戦力の準備が不十分で、機甲戦力が以上に足りなかった。
アメリカなんか投入したm4や投入予備状況にあった戦車は対日戦の半分もなかったんじゃないかなくらいだった
こんな供出すればいいだけの話なのにな
まぁこんな手抜きでわざと負けたんじゃな体たらくだから敗戦した。おそらくアメリカは日本に勝った米軍は、日本が勝った雑魚相手にかつるって底浅い考えと
共産ソ連強調主義の両方があるんだろな
結果武器と物量は実はすごくなかった共産軍に敗北
あの戦力は数百のT34を有しつつも、内実は
日本軍機甲軍戦車800くらい、日本軍近衛師団4個、日本軍乙師団8個の計16師団規模の戦力よりも物量なかったんじゃね?なくらいな体たらくだった
あの連合軍の惨敗は自軍が兵站不足と戦線崩壊してる状況でこそあったが、低レベルな歩兵の浸透にやられてんのよ
レベルと作戦の質は相手低いの
にもかかわらず火砲と機構が敵10師団規模とおまけいっぱいの浸透にたいして十分な正面を形成できてない
(米軍の装備はm4×300ほど、155mm榴弾100未満、105榴弾200も正面に回せてなかった)
でこれで戦線崩れるんだよな。なんで連合軍の物量、正面装備は下手したら沖縄戦以下なのかと
結果中国は多大な犠牲(といっても連合軍の主張のほうが怪しい)を出しつつも、普通に押し返した。
むしろ戦線は中国が押せて、中国は雑兵だらけで多大な犠牲を出しつつも、参戦後下手やっても50-100万以内の消耗ってところだろうな
いやまあスレタイ的に寄って来る気もするけど
…なんか太平洋戦争擁護みたいになってきたぞ
同時に予算的に十分な戦力を経済的に維持できなかった
そして米軍は大陸の小さな根拠地しかないような状況であり、海から絶えず兵站を供給しなければいけないシナリオであれば
全軍投入しても合計5師団の兵站も維持できないって弱点を証明した。
実は戦後一貫して米軍は大陸で5師団も投入できない前提で、完全に航空戦力じゃなく核抑止を前提に壁を作れてた。
むしろ陸戦力だけなら25年後、50年後に責められたら、アメリカは兵站都合でつんでた
だから抑止はあくまで核に頼ってて、核抑止なければ大陸ではアメリカは中国軍が参戦してもしなくても負けなのよ
中国は原則そこまでの冒険主義はないが、いざ開戦となったら中国をエアランドバトル中心で綺麗に殲滅することはむずかしい
航空自衛隊指揮下において航空優勢確保しても、訓練と経験と指揮と装備都合で、中国機甲団+北の主力殲滅は実は無理
ここのところは湾岸戦争での郵政でかってに中国と北がビビったし、むしろだからこそ各開発があったのかもしれない。
けど原則米軍の戦力では陸と空で中国、北相手に勝利することはかなりむずかしいのよ。
なんで結果海でソーそすと機雷の壁作ってる状況
これ南の大馬鹿はとてつもない失念をしてるけど、物量、兵站都合で、原則米軍ありきでも、冷戦間純粋な陸戦力で対北で勝てなかった。
いまにおいては北は総合作戦の質、練度、即応状態で完全に有利だから一体一ならたたかうまえなから通常戦力での首都砲撃体制構築されてまけなのよ
(過去20年北の通常戦力での首都砲撃ドクトリンの構築にたいして、南は防御計画をしてこなかった。最悪状況見えてない)
南は古典的に空想と政治宣伝の歴史、世界、南北状況しか見ることはできない
現実には北が過去75年軍事力が優勢でアメリカの核でぎりぎり食い止めきれてたのが、それがほころびつつあり
アメリカの撤退は事実上のアメリカの核抑止作戦の放棄となる。無論この状況で過去南が危ないから許可しなかった核シェアリングも許可されない
それやったら北ごねるしな
なんで半島における米軍撤退は「元々軍事統帥力もクソもなく危ない南の軍事指揮の強化はありえなくて、北が半島統帥権を掌握して軍事優勢下で半島を支配できる」
って状況になる。これ南は見えてないから、南優勢で北を植民できると空想してるみたい
現実には北の通常せんりょく優勢下での軍事イニシアチブと、対中都合かつ中国との強調的軍事交渉のためにも、いやでも北=半島の覇者新高句麗国になる
って歴史的、伝統的な北=覇者路線が確定するんだよ。南には見えてないみたいだけど
史実の状況でAI同士にやりあわせると条件次第でアメリカ負けるからな
ショートシナリオ・ミッドウェイは初心者用()
Hoiアメリカなんて国民厭戦無視&史実より明らかに大量の空母なんて真似してくるww
エセックスにあった脆弱性も解消してそれだから五十六のマイナスブーストはやべぇw
挙句当人スキル9なのも笑いどころwwwせめて小沢治三郎氏だろうがw
おーっと、HoI2のアメリカAIはアホだからそれ以上に強化しても無意味だぞ
東京にわざわざ殴りこんでくるレキシントン君
チハたんの改良タ弾でアメリカも吹き飛ぶ
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1525659344/l50
2.5:1で戦うなら、本来ならキルレシオは2.5^2(6.3):1になるはずなんだよ。
それが3.6とかにしかならないなら、ドイツ軍戦車を1とした時に(3.6^0.5)/2.5 = 0.76しか戦えてねぇってことなのよ。
アイツらの強さランキングだと、マンマ、マフィア、フーリガンの順に強くて兵隊なんかカースト最下位だろ?
ところでイギリス潜水艦はよくイタリア軍に撃沈されてるが、 イタリア海軍の対潜技術ってナチよりも優れていたのか?
LOSS BY ENEMY
ROYAL NAVY
Warship types German Italian Japanese French Other(a) Unknown Total
Capital ships 3 - 2 - - - 5
Carriers 8 - 1 - 1 - 10
Cruisers 20 6 5 - 3 - 34
Destroyers 114 15 8 1(b) 15 - 153
Submarines (c) 24 37 4 - 6 5 76
TOTALS 169 58 20 1 25 5 278
むしろお前が潜水艦持って行けよ
潜航深度最大(酸素・トイレの関係で発揮できることは稀)なんていう体たらくだからこそ
頻繁にトイレタイムに浮いたところをB-24らに見つかり沈められたり
トイレの操作ミスって逆流してバッテリーに水被って敵前浮上からの自沈なんて日本やらないぞ
キモオタが長文を早口でわめきながら一生かけて33-4がどうのとか議論し続けるんや
お前らこの面白さわかるか?俺にはわからんわ
すまんあんた女だったか
「潜水艦戦は終わりなどという話はごめんだ」五月三十一日、デーニッツ提督が北大西洋からUボートを
引き揚げたという報告をすると、ヒトラーは烈火のごとく怒った。「大西洋は西部の防衛線なのだ」。
言うのはたやすかった。十二月十二日、デーニッツは絶望気味に日記に書いている。
「敵はあらゆる切り札を有している。長距離哨戒機で全地域に目を光らせ、位置探知装置を使っているのに対し、
われわれは警戒手段を持っていない。・・・・・・敵がわが方の手の内を知りつくしているのにたいし、
われわれは敵について何も知らない」。
<第三帝国の興亡5 ウィリアム・シャイラー 152頁>
ある駆逐艦はU538をアスディックで捕え、六時間も追跡したあげく、爆雷攻撃で撃沈した。
結局、この戦闘にはUボート三一隻が参加し、輸送船一隻にさえ損害をあたえることができなかった。
船団はわずか高速駆潜艇一隻が損傷をうけたほか、飛行機二機が撃墜されただけだった。
Uボートのほうは三隻が沈没、一隻が損傷した。
この敗北にもかかわらず、デーニッツ提督は、つぎの二船団に攻撃をかけた。
一六隻のUボートがこの作戦に参加し、十一月二十二日の夜から二十七日にかけて連続攻撃を敢行したが、
優勢な海空の護衛兵力に阻止されて、戦果はあげられなかった。
Uボートは五隻が撃沈された。
デーニッツ提督は、ついに大西洋でのUボート作戦を断念した。
いまや西半球の全海域は、連合国の船団は安全に航行できるようになった。
Uボートにとって苦しかった一年は静かに終りをむかえ、デーニッツ提督は、あらためて将来の戦略を考えることになった。
ドイツは一一六二隻のUボートを建造し、そのうち七八四隻がいろいろな原因で失われた。
戦争期間中にUボート部隊に編入された人員は、四万九〇〇人をくだらなかった。
そのうち二万八〇〇〇人が生命を失った。また五〇〇〇人が捕虜となった
『U-Boat』 ベビット・メイソン著
戦車を停滞させる水田が多く、山地が過半数を占める日本で近接武器ならまだしも
戦車走り放題の地形で槍って気の毒過ぎるw
>>175
部隊の半数が素手で突っ込んだソ連兵は棍棒を用いた時代以下なのだろうw
>>176
B-29の空襲は途轍もなく非効率なんだなぁ(すっとぼけ)
数だけは多い中国軍が自国民虐殺しださないと到底達成できないと思うのだがどうだろうか?(提案)
ホームガードパイクを支給されたのは名前の通りホームガードでエリート()だけだぞ
>陸軍の装備が他国の第一次大戦並みで停滞している。
9月3日は、中国人全員が心に刻み、大いに気を吐く日である。中国人は抗日戦争のため大きな民族の犠牲を強いられ、
死亡者数が3500万人以上に達したからだ。抗日戦争の勝利は、中国人が日本帝国主義の侵略に対抗した正義の戦争、
世界の反ファシズム戦争の重要な構成部分、中国が近代で初めて外国の侵略に完全に勝利した民族解放戦争だ。
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2014-09/02/content_33405119.htm
つまり中国の抗戦による直接人口損失の累計可能な見積もり数は2062万人で、累計可能な戦争の直接負傷障害
人口を合わせると、軍民の死傷は最低3480万人となる。同時に、中国の抗戦による直接の死傷人口は計4100万
以上になるはずで、戦時中の行方不明・捕虜などの数字を合わせると、戦争が直接中国にもたらした死亡、
負傷障害、失踪などの人口損失は4500万人を超えると考える。さらに人口損失の見地からは、抗日戦争期の
中国の人口損失総数は5000万人以上にのぼるはずである。
http://www.china-news.co.jp/node/4456
興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありませんでした。抗日戦争の中で中国側は3500万余人、
興隆県の中でこの13年の間に5万人くらいが殺されました。全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、
興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。興隆県公安局の1954年の7つの区に対する不完全な統計によると、
人圏の中の住民が疫病、凍死などで死んだ人が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は1
6万人くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。6万人くらいが殺されたことになります。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/cont/sankotou.html
>陸軍の装備が他国の第一次大戦並みで停滞している。
ならもしドイツ陸軍が、日本陸軍に代わって大陸打通作戦を発動していたらどうなりますか?
ドイツ陸軍だったら、大陸打通作戦なんてケチなものではなく、大陸消滅作戦になってましたか?
南京大虐殺とか性奴隷とか、日本軍は占領地の至るところで住民を苦しめたそうですが、
どうせなら中国人を「劣等人種」としてホロコーストしておけばよかったと思います。何しろ中国人絶滅収容所
が戦後もそのまま残ってしまうのだから、言い訳のしようがなくなり、侵略戦争の反省もしっかりしたものになり、
日中関係はずっと良くなってたはずです。それからもしできれば虐殺した中国人を潰して航空燃料を精製
すればよかったと思います。文句があるなら米軍はオーバーロード作戦を中止にして、中国戦線に派兵したらいいでしょう。
キングタイガーならもっと進軍できましたか? もっと大勢の中国人を殺戮できましたか?
四式戦疾風ではなくMe262が出撃してたら、シェンノートの在支14空軍は壊滅してましたか?
ウルツブルグレーダーと88ミリ高射砲があれば、防空は万全でしたか?
今からでもドイツ語を勉強してドイツ留学して、髪の毛染めてドイツ人になりすまし、こういう発言をしてみたい
と思ってます。「たかが中国チンピラゴロツキの3500万なんて取るに足らん。97式中戦車チハなんて、
あんなへっぽこな戦車モドキ、工業水準低いわー。わがドイツ軍のキングタイガー戦車だったら、
3500万どころか5億人皆殺しにして、中国に中国人は一人も居なくなってたはずだ!」
おい、なんとかいえよ、おい!
戦争計画が敵からの収奪だけを期待して成り立ってる前時代バイキングなみのナチがどうかしたか?
西部方面においてと同様に、ドイツ指導部は東部においても電撃的な攻撃と
勝利を見込んでいた。そのため、それに対応する数の捕虜が生じることになった。
東部経済本部部長だったヴィルヘルム・シューベルト陸軍中将の報告からは、
飢餓による捕虜の集団死亡が計画に入れられていたことが明らかになる。
各省の次官に宛てたこの報告は、征服されるべきソ連地域の農業搾取を扱った
ものだった。その中には一九四一年五月二日付けで次のように記されている。
「戦争の三年目(一九四一年から一九四二年にかけて)において全国防軍を
ロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる。この場合、
われわれが必要とするものをロシアから持ち出せば数千万の人間が餓死
することは間違いない。最も必要なのは油種子・油粕の確保と搬出であり、
穀物はその次だ。現存する脂肪と肉は軍が消費すると推定される。」
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P201
>全国防軍をロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる
ナチは初めからあてにあるはずもない占領地からの収奪だけを期待して戦争を始めたwww
敵からの収奪だけを期待して戦争始めたガイジ国家www
グレートウォー並の装備しかなかったジャップに対して最新式()の装備だったのに遥かに弱かったナチがどうかしたか?
アメリカ軍の公式戦史によれば、全戦死傷者数は 4 万 9,133 人(うち死者・行方不明者が
1 万 2,520 人)に上った。別の戦史によれば、地上戦における全戦死傷者数は 3 万 9,262 人
(うち死者 6,319 人)で、それに加え「非戦闘死傷者」が 3 万 3,096 上ったという。
フランクは次のように述べる。「このように、アメリカの全死傷者は 7 万 7,358 人にも達した。
訓練を受けた[沖縄の:引用者注]防衛部隊の総兵力が 7 万 6 千人であったことを考慮すれば、
これは、日本本土上陸作戦を準備しているさなか、とてつもなく不吉な指標である」
トルーマン大統領は、本土侵攻作戦に関するブリーフィングのために召集した会議において、
「日本本土のいずれにおいても、沖縄が再現されないことを望む」と述べていた。
日本本土侵攻作戦の見通しそのものが明るかったと断言することは困難であろう。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/16672/1/fujita_2014_bun.pdf
ハーバード大学卒業、冷戦下にモスクワ大学に留学歴があり、世界史の著作を多数執筆している歴史家
ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan:
The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、
極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、
ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、
優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)
このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう。」
とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%E7%B8%E6%A6
自動小銃とタイガー戦車のナチ武装親衛隊機甲師団<<<<<<<<<<<<<<38式小銃とチハの大日本帝国陸軍第32軍
ナチ人弱すぎだろJK
世界一の科学力()で自国民をレイプして虐殺していたナチがどうかしたか?
ヒムラーは4月3日にこう命じている。
「戦況は現在岐路にあり、すべてはもちこたえようという断乎たる意志にかかっている。
白旗を掲げる、対戦車戦闘を停止する、国民突撃隊の奉仕に参加しない、と言ったケースにはもっとも思い切った手段で対処すること。
白旗を掲げた家にいる男たちは、すべて射殺されることになる。」
ドイツ市民は家や財産を連合軍からではなく、敗北を受け入れたがらないナチの狂信者から守らねばならないと述べている。
帝国最期の日に、ナチの民族共同体に残っていた者たちは、暴力と殺人によって団結した。
Die amerikanische Besetzung Deutschlands, p.853
グレートウォーなみの前時代的なジャップは慰安婦と呼ばれる売春婦にお金を払ったが
先進的()なナチは経費削減のため慰安婦を皆殺しにした
連合軍が押収して1946年にニュルンベルク裁判に提出されたドイツの記録文書は、恐怖をあおるためにドイツ人征服者が組織的に強姦したことを立証している。
ボーランド、ユダヤ、ロシアの女たちが強姦され、多くの場合、むごたらしく殺された。
情容赦なく何百人もの少女や女性が迫害され、軍用娼家へ追い込まれ、そこで強制売春に使役された。
いわゆる『慰安勤務』である。
それが管理的に行われた大量殺人の前段階だったこともしばしばだった。
ヘルケ・ザンダー/バーバラ・ヨール著『1945年 ベルリン解放の真実―戦争・強姦・子ども』
絶滅戦争するんだったら絶滅戦争される覚悟もってないんじゃフェアとは言えんよなぁ?
バターンか?
あれだってキンメル率いる戦艦隊が助けてくれると信じてたはいいが
真珠湾で戦艦一掃、更にクラークフィールド炎上でそれどころじゃなくなった
日本兵上陸、要塞籠ったところで食糧がない、で、大量投降
当然ウン万人分の余剰食料なんか持ち合わせてないからわざわざ供出した上で
せめて食糧事情のいい場所へ移動、結果大量餓死発生(日本兵含む)逆恨みにもほどがある
とはいえキンメルの思惑通り艦隊決戦を行ったところで
漸減作戦特化の日本、それも長門・伊勢は直前の改装で装甲大規模強化
更に伊勢は大会で首位、3万mで20%近い命中率を叩き出す超絶技量(無論実戦で完全発揮できるとは言わないが)
空襲も思った以上に火力があることも判明し突破は難しかったろうな
ナチが弱いのはもうどうでもういいからw下には下がいるのはよくわかったからwナチよりマシでも自慢にゃならねぇからw
ていうか五十六がー五十六がーとかいうけど、もうちっと戦略級の話でどうにかならなかったのか?
海軍が組織の維持のためにアメリカを仮想敵に想定するところからもうなにか間違ってないか?あと知恵っていわれりゃそ
れまでだけどWWⅠ後から共産主義の脅威が世界を脅かしてるんだから「お宅らの防波堤になりまっせ」とかいってアメリカ
に媚びる手はなかったのか?アメリカとまぁうまくやれてれば軍縮会議の艦艇保有量でもなんとかやっていけなかったか?
米自体が日本とイギリスを目の敵にしてるから無理だな
あと知恵もクソもフーバーはその方針だったんだよなぁ
代わってルーズヴェルト当選でおかしくなった
戦略の話で言えば漸減作戦とその装備を真珠湾で鉄砲屋キンメル更迭に追い込んだ、やっぱ五十六が悪いって話になるw
組織の維持のためだけに米を仮想敵にしてたというなら今一度仮想敵の本質を学んだ方が良いぞw
挑発し戦争に踏み切った理由もビックセブンの時期には長門2隻にビビッて仕掛けるどころじゃなかったが
大和の情報が秘匿され、サウスダコタにノースカロライナの新型が居るって背景がデカい
その軍刀にしても軍が検品した靖国刀や満鉄が品質管理した満州刀を除くと
そこらへんの金物屋が乱造した粗悪品だらけだった
>そこらへんの金物屋が乱造した粗悪品だらけだった
9月3日は、中国人全員が心に刻み、大いに気を吐く日である。中国人は抗日戦争のため大きな民族の犠牲を強いられ、
死亡者数が3500万人以上に達したからだ。抗日戦争の勝利は、中国人が日本帝国主義の侵略に対抗した正義の戦争、
世界の反ファシズム戦争の重要な構成部分、中国が近代で初めて外国の侵略に完全に勝利した民族解放戦争だ。
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2014-09/02/content_33405119.htm
つまり中国の抗戦による直接人口損失の累計可能な見積もり数は2062万人で、累計可能な戦争の直接負傷障害
人口を合わせると、軍民の死傷は最低3480万人となる。同時に、中国の抗戦による直接の死傷人口は計4100万
以上になるはずで、戦時中の行方不明・捕虜などの数字を合わせると、戦争が直接中国にもたらした死亡、
負傷障害、失踪などの人口損失は4500万人を超えると考える。さらに人口損失の見地からは、抗日戦争期の
中国の人口損失総数は5000万人以上にのぼるはずである。
http://www.china-news.co.jp/node/4456
興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありませんでした。抗日戦争の中で中国側は3500万余人、
興隆県の中でこの13年の間に5万人くらいが殺されました。全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、
興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。興隆県公安局の1954年の7つの区に対する不完全な統計によると、
人圏の中の住民が疫病、凍死などで死んだ人が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は1
6万人くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。6万人くらいが殺されたことになります。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/cont/sankotou.html
皇軍つぇぇ!
スターリングラード攻防戦に投入される以前、チュイコフは軍事顧問団の団長として、中国で日本との戦いを支えていました。
チュイコフがスターリングラードで取った戦法は、中国での日本との戦いの経験から得られたものだったのです。
このように、スターリングラード攻防戦を勝利に導いたのは、ノモンハンや中国での、日本との戦いの経験があったためです。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2006/01/15/212449
チュイコフは、このとき四二歳。大戦勃発のとき、中国の大使館付き武官をつとめており、一九四二年三月に帰国した
ばかりであった。彼は七月まで作戦に参加しなかったが、それ以後は、非常によく活動した。果断、誠実、そして楽天的な男であった。
スターリンは、もちろんこの任命を承認した。彼はエレメンコに「君は、彼をよく知っているかね」と訊ねただけであった。
エレメンコは「チュイコフは指揮官として信頼できる男だとおもっています」と答えた。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU/sobiet5.htm
日本軍の軍刀の錆にしか過ぎないシナ軍の白兵戦術を学んだ赤軍に敗けたナチ
日本軍>>シナ軍>>ソ連軍>>>>>ナチ
シナ軍やナチを切り刻むだけなら粗悪品の模造刀でも十分すぎた
うまくやっていけねぇかなと
結局アメの政権変わって手のひら返しからの~、で中南米や中東みたいにクーデターしょっちゅう起こって海外領土どころじゃないだろうね。
良い思考実験になる
どんな日本軍へのバッシングも【ナチよりは国民を大事にしてた】で常に完全論破できる。
日本軍は沖縄で手榴弾を渡して、自決を促しただけだが
ナチ海軍の名将()デーニッツは『戦闘で死ぬか絞首刑にされるか好きな方を選べ』と国民に窮極の選択()を行わせていたwwwwww
勝算もないのに、戦い続けるため『狂信的な意志』を示すために、ヒステリックな要求が出された。
カール・デーニッツも、もっともけたたましい叫びをあげた一人である。
戦後デーニッツは、自分が部隊とドイツ国民の生存を気遣った責任ある軍指導者だったと主張しているが、
無条件降服のわずか数週間前にあたる1945年4月7日、デーニッツは全海軍士官に最後の最後まで戦うことを求めている
『軍務によっては勇敢で、毅然として、忠実な、敵の行く手を阻む一枚岩になることができる。
そのように行動できないものはろくでなしだ。そんなヤツは【ここにぶら下がってるのは裏切り者】というプラカードをくくりつけて絞首刑に処さなければならない』
Heinrich Schwendenmann『1945年末のドイツ』
どんなに日本軍の人命軽視がバッシングされても
【ナチは軽視どころかわざわざ自国民を殺した】で常に完全論破できる。
ドイツ軍の崩壊が進み、将軍たちが部隊に与えることができるのは、信念と全滅だけだった。一般市民も、文字通り最前線に配置された。
オットー・ゲオルク・ティーラック法相は1945年2月15日に略式軍事法廷を設置する命令を発した。
『敵軍が迫りつつある防御領域』に設けられ、『臆病や利己心』のために『一般市民に対する自らの義務を回避』しようとした全ての者に対し『必要な厳しさをもって』対処することとなっていた。
その権限は『ドイツ人の戦闘力と戦意が危機にさらされる行為』全般に及ぶ。
判決は三種類しかなかった。死刑か無罪、あるいは別の裁判所への引き渡しである。
すでに戦争が終盤に入った頃に、ナチは自殺は称賛するようになっていた。
1945年春のドイツには死体があふれ、国中の人々が自殺者を目にしていた。
ドイツ軍の崩壊後、自殺は大衆現象と言っていいほど一般的になっている。
すべてが破壊されたことによる無気力と絶望感から、数万人のドイツ人が自殺するに至った。
メクレンブルクの小さな町テテロウの埋葬記録には120件の自殺の詳細が示されている。
銃、首吊り、入水、服毒に加え、父親が家族全員を殺したあと自殺するケースも多かった。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン陥落1945』
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1525999778/l50
サリン撒きが死刑なら、食べて応援のTOKIOも死刑だろ
特にバジロンの情報をキャッチしていた海軍はパニックになって命令を無視して乱射をしてしまい、あっという間に撃破されてしまう
いわゆる勇み足砲台である
海兵隊>>>>>日本軍
半身で構えて見え見えの直突きしかできない日本兵に対し海兵隊員は変幻自在の騎馬立ちワイドスタンスで圧倒したのは有名な話だ
バンザイ突撃すれば強くなれるというのは当事者側の願望であって
現実には未熟な兵士と旧式装備では機関銃の弾幕に向かって肉の壁をつくって飛び込むしかないという現実があるな。
その結果として、日本の防衛は、1941 年以来その絶対的な質について劣化してい
ない唯一の枢軸国部隊である日本陸軍にかかることになった。1944 年、アジア大陸
では、日本陸軍は依然として連合軍の戦略を狂わせることができた。中国南部およ
び中部での一号作戦は、国民党に屈辱を味わわせ、連合軍にその戦略の再構築を強
いた。その戦略とは、日本に対しアジアの人的資源とアメリカの航空戦力を解き放
ち、太平洋を横切って、中国で戦争のクライマックスを迎えるというものであった。
日本陸軍はまた連合軍の作戦を粉砕することもできた。インパール―コヒマへの攻
撃速度はイギリス軍の指揮官たちとインド軍にショックを与えた。両軍が防衛に成
功した理由は、連合軍航空部隊と輸送機が利用できたためという一点に尽きる。ま
た、日本陸軍のルソン島守備隊は、戦略的には不必要な作戦においてアメリカの大
部隊を釘付けにしていた。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf
>1944年、アジア大陸では、日本陸軍は依然として連合軍の戦略を狂わせることができた。
大陸打通作戦の大勝利は、太平洋戦争の大敗北を吹き飛ばしてしまった。
ソ連とだけやっても負けてたナチスドイツとは全く違う。
ところで、マッカーサーの第6軍の兵士の死因のトップは異常な高率の小火器によるヘッドショット
死因の約二割にもなった。
日本軍の狙撃はナチの火砲や戦車よりもアメリカ兵をぶち殺したって知ってたか?
Statistics for& Army on Leite indicate that almost half of all fatal wounds
were from small arms fire, and a little more than half of fatal small arms
wounds were from hits to the torso, with head wounds accounting for about 20% of fatalities. On the other hand,
the majority of nonfatal wounds were inflicted by shell or grenade fragments.
アメリカの第二次大戦中の文書をワシントンの国立公文書館で見ていて、私はびっくりした。沖縄戦に関しては、アメリカ側が敗者意識を持っているのである。
実質的な敗戦である、と言うのがワシントンの受け止め方であった。つまり、4月中に作戦完了予定の沖縄戦が5月に入り、5月中には片づかず6月にずれ込む。
そして6月も下旬の23日になって、ようやく片づいた。三倍の期間をかけたこの戦いは実質的には敗北である、というのがアメリカ側の受け止め方である。
硫黄島、沖縄はアメリカ軍部にとって失敗した作戦、もしくは苦すぎる勝利である、と言うのがアメリカ軍部の実感であった。
五百籏頭真(著)『日米戦争と戦後日本』講談社学術文庫
ネトウヨさんよ、現実を見ようぜ
ジューコフやニミッツ相手にはまだマシなジャップ軍も、アイシャルリターンには蹂躙されてるんや
レート 皇軍死 連合軍 戦場 敵将
115.8 *11000 ***95 シッタン作戦 スリム
*62.9 *10000 **159 ホーランジア マッカーサー
*25.7 *21100 **820 ミンダナオ マッカーサー
*24.4 *11000 **450 アイタペ マッカーサー
*22.1 *79261 *3593 レイテ マッカーサー
*21.2 *10000 **471 ビアク マッカーサー
*19.3 205535 10640 ルソン マッカーサー
*19.1 *10000 **524 ニューブリテン マッカーサー
*18.8 *16533 **881 ラングーン陥落 スリム
*17.1 *14300 **835 ビサヤ マッカーサー
*16.1 *20000 *1243 ブーゲンビル マッカーサー
*15.9 *10000 **628 ラエ・サラモア マッカーサー
*13.1 100000 *7613 沖縄陸戦 ニミッツ
*12.9 *72480 *5633 インパール スリム
*12.3 *27000 *2188 ガダルカナル陸空戦 ニミッツ・ゴームレー→ハルゼー
*8.71 *30000 *3441 サイパン ニミッツ
*8.71 *18500 *2124 グアム ニミッツ
*6.96 *83737 12031 満州日ソ戦 ヴァシレフスキー
*6.36 *21000 *3300 ギル・マーシャル ニミッツ
*4.58 *10695 *2336 ペリリュー ニミッツ
*2.64 *18000 *6821 硫黄島 ニミッツ
*1.08 *10000 *9703 ノモンハン事件 ジューコフ
日本軍へのいかなるバッシングも【日本軍はナチより圧倒的に強かった】で常に完全論破できる。
アメリカ軍の公式戦史によれば、全戦死傷者数は 4 万 9,133 人(うち死者・行方不明者が
1 万 2,520 人)に上った。別の戦史によれば、地上戦における全戦死傷者数は 3 万 9,262 人
(うち死者 6,319 人)で、それに加え「非戦闘死傷者」が 3 万 3,096 上ったという。
フランクは次のように述べる。「このように、アメリカの全死傷者は 7 万 7,358 人にも達した。
訓練を受けた[沖縄の:引用者注]防衛部隊の総兵力が 7 万 6 千人であったことを考慮すれば、
これは、日本本土上陸作戦を準備しているさなか、とてつもなく不吉な指標である」
トルーマン大統領は、本土侵攻作戦に関するブリーフィングのために召集した会議において、
「日本本土のいずれにおいても、沖縄が再現されないことを望む」と述べていた。
日本本土侵攻作戦の見通しそのものが明るかったと断言することは困難であろう。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/16672/1/fujita_2014_bun.pdf
ハーバード大学卒業、冷戦下にモスクワ大学に留学歴があり、世界史の著作を多数執筆している歴史家
ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan:
The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、
極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、
ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、
優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)
このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう。」
とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%E7%B8%E6%A6
自動小銃とタイガー戦車のナチ武装親衛隊機甲師団<<<<<<<<<<<<<<38式小銃とチハの大日本帝国陸軍第32軍
ナチ人弱すぎだろ
どんな日本軍がバッシングされても【ヤンキーにとって西部戦線はバカンスも同然だった】のひと言で常に論破できる。
フィリピン戦第六軍の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者1.95名、死傷者計7.45名
ノルマンディ以降の欧州戦線の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者0.42名、死傷者計2.16名
太平洋は、死傷率が高かった海兵隊の数字が入ってなくともこの有様
米軍にとって西部戦線はフランス娘とのセックスと観光を楽しむツアーにしか過ぎなかったのだ
どんな日本軍へのバッシングも
【米兵は楽勝なナチ狩に行きたがった】で常に完全論破できる。
兵士の多くが一八歳の少年だったことから「ダイアパー」(おむつ)師団とのあだ名をちょうだいした
第七十五歩兵師団は、一九四四年の秋、ケンタッキー州ブレッケンリッジ・キャンプで戦闘訓練を
終えようとしていた。元一兵士のハーヴィー・カッツは回想する。
「ある日、われわれは列車に乗せられた。そして、全員じっと座ったまま、列車は西へ行くのだろう
か東へ行くのだろうかと考えていた。東へ向かっているのがはっきりしたとき、誰もが歓声を上げた。
行く先はヨーロッパだとわかったからだ」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 トーマス・アレン ノーマン・ボーマー 181頁>
GIたちはジャップとの死闘よりもフランス観光がてらのナチ狩りに行きたがった
楽勝だしな
いかなる日本軍へのバッシングも
【それでもナチと比較したら大善戦していた】で常に完全論破できる。
アドミラルティ諸島の日本兵は、一人または少人数ではジャングル最良の狙撃兵であった。
完璧に偽装し・・・米軍な弾の無駄遣いを嘲笑っていた(ある日本兵の評「米兵は何でも撃つ、撃った数に応じてボーナスがもらえるに違いない」)
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P158
「日本軍、ドイツ軍の司令官はともにそのような命令(死守命令)を乱発するが、実際に守られる可能性は日本軍の方が遥かに高い」
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P160
無能な上層部が『天祐を信じて死守命令』を乱発したのは日本軍もナチも変わらなかったが
ナチはその命令を守りもせず戦わずに降参して捕虜収容所で餓死した
ナチ兵にあだ名を付けるなら『全自動餓死兵士』とでも言うべきか(笑)
いくらインパールの人的損害で日本軍を叩こうが
【インパールの損害はナチの西部戦線の損害のたった1/300にしか過ぎなかった】で常に完全論破できる。
British, and French forces in the war in Europe follows:
Battle dead Permanently disabled Captured Total
Tunisia 19,600 19,000 130,000 168,600
Sicily 5,000 2,000 7,100 14,100
Italy 86,000 15,000 357,089 458,089
Western Front 263,000 49,000 7,614,794 7,926,794
Total 373,600 85,000 8,108,983 8,567,583
Army Battle Casualties and Nonbattle Deaths in World War II
Atlantic area theaters
Total deaths among battle casualties 177,100
米軍はたった17万人の死傷者で、自軍の何倍もの857万人ものナチをノルマンディから1年足らずで粉砕した
こんな惨敗は人類史上始めてだろう
無駄死にとはナチのためにある言葉だ
日本軍へのいかなるバッシングも【太平洋戦域での死傷率はヨーロッパの3.5倍】で常に完全論破できる。
日本を(フィリッピン等占領された)これら地域から排除することは簡単な仕事では無かった。
大日本帝国の兵士達の降伏率は大戦を通じて驚くほど低く1~3%だった。しかも
そのうち自発的なものはその3分の1だ(残りは自殺できないほど負傷した者)。
その結果太平洋戦線での米国兵の損耗率は欧州戦線と比較して3.5倍に達した。
Removing Japan from these lands – which fell primarily to the United States- proved
no easy task. Imperial Japanese soldiers surrendered at appallingly low rates.
According to some sources, only one to three percent of Japanese forces surrendered
throughout the war, and only one third of these troops actually wanted to surrender
(the rest were too sick or wounded to commit suicide or continue fighting.)
As a result, most estimates suggest that America’s casualty rate in the Pacific
theater was about three and a half times larger than in Europe
http://nationalinterest.org/feature/the-5-most-precarious-us-allies-all-time-12075
The 5 Most Precarious U.S. Allies of All Time
米にとって最も危険だった同盟国 ナショナルインテレスト誌 2015/01/21
そのジャップより弱いナチ人ってなんだ?
猿以下だからボウフラぐらいか?
いかなる日本軍へのバッシング、マッカーサー礼讃も【マッカーサーは日本軍にびびってオシッコをもらした】で常に完全論破できる。
「マッカーサーは午前三時過ぎ、側近からの電話で真珠湾攻撃を知った。
彼は宿舎のマニラホテルから米極東軍司令部に出向いたが、その時点から丸半日、沈黙する(中略)
真珠湾から半日たった午後三時五十分、マッカーサーの執務室をセイヤー高等弁務官が訪ねたが、
彼は部屋の中を行ったり来たり(増田弘『マッカーサー』)
ただ狼狽えるだけだった。半日間、彼は何を下命すべきか何も分からずに過ごしたのだ(中略)
マッカーサーはその後、バターン半島の先、コレヒドール島に逃げ込む(中略)
マッカーサーはただおろおろし、虎の子のB17を失い、なお
日本軍主力部隊のリンガエン湾上陸の阻止もできなかった(中略)
彼はそのトンネルの入り口で半日を過ごし、目の前のバターン半島で戦う部下をよそに
毎日、新聞発表を送信していた。まるで米軍が勝ち続けているみたいな内容だった。
三カ月後、バターンの陥落が見えてくると、彼は
I shall return
の一言とすべての将兵を残して魚雷艇で逃亡した(中略)
マッカーサーが敵前逃亡できた最大の理由は
英軍司令官パーシバルがシンガポールで日本軍の捕虜となったからだ。これで
米軍司令官まで捕虜ではさすがの白人連合も恰好がつかない(中略)
彼が厚木に降り立つ二日前、先遣隊百五十人がC46輸送機などでここに飛来した。
彼らはつい昨日まで最前線で日本軍と渡り合ってきた猛者たちだが、着陸を前に
我々はひどく興奮し、怯えていた(週刊新潮編集部編『マッカーサーの日本』)
と、一番機に搭乗していたフォービアン・パワーズ少佐が語っている。いかに怯えていたか。
厚木の凱旋将軍 「マッカーサーは失禁していた」
http://ironna.jp/article/2747?p=4
>>239
終戦時、GHQのマッカーサー元帥はフィリピンに居た(というか釘付けにされてた)ってのがねー。
マッカーサーの第六軍は終戦までルソン山中で日本軍に足止めされて
死傷続出で定員不足に陥ってたんだが
American casualties were also high. Ground combat losses for the Sixth and Eighth
Armies were almost 47,000, some 10,380 killed and 36,550 wounded. Non-battle casualties
were even heavier. From 9 January through 30 June 1945, the Sixth Army on Luzon
suffered 93,422 non-combat casualties, including 260 deaths, most of them from disease.
The Battle Of Luzon Compared With Other Battles Of World War II
http://6thinfantry.com/6thinfantry/the-battle-of-luzon-compared-with-other-battles-of-world-war-ii/
>the Sixth Army on Luzon suffered 93,422 non-combat casualties,
一つの例外をのぞき、ルソン島で第六軍の麾下部隊となった全師団は、少なくとも以前に一度、
作戦に投入されたことがあり、それら師団の大半は二度、戦闘を経験した。六個師団全将兵の
三分の一にも達する隊員が、三年間も海外に派遣されたままであった。これらの隊員は疲れ、
戦いにうんでいたが、休息したり、気力体力を回復するための時間をあたえられていなかった。
補充部隊の到着は遅々としており、またその員数が欠員をうめるには非常に足りなかったので、
第六軍は非戦闘員の死傷により生じた定員不足は、うめることができなかった。
「ドキュメント神風 下」(デニス・ウォーナー ベギー・ウォーナー 妹尾作太男 徳間文庫)
>マッカーサーの第六軍は終戦までルソン山中で日本軍に足止めされて死傷続出で定員不足に陥ってたんだが
キルレシオがキルレシオがというのがマッカーサーの口癖だけど、その頃には既に赤軍がナチスドイツを
撃破してベルリン入りしてたのだし、また米軍は赤軍の対日参戦待ち状態。
そりゃ
日本軍の死者=米軍との戦闘での戦死者+フィリピン軍との戦闘の戦死者+フィリピンゲリラや一般人に殺された戦死者・軍属+病死・餓死
米軍の戦死者=日本軍との戦闘で24時間以内に死んだ戦死者(兵士のみ)
だからキルレシオ()に差が出るのは当たり前だろ
沖縄でも戦死者7000とか言いながら実際は20000人死んでるし
いかなる日本軍へのバッシングも【ナチがだらしなさ過ぎて暇だったGIはフランス娘とフランスおばさん相手に戦っていた(笑)】で常に完全論破できる
研究の趣旨についてロバーツ教授は、「GI(進駐軍兵士)はたくましい男で、常に正義に基づいて行動するとの典型的な『GI神話』の偽りを暴き出すことだった」と、AFPに語った。
教授によると、米軍では当時「フランス人に対して優位に立つ」手段として性欲、買春、レイプが取り入れられていたという。
 米兵たちは、ノルマンディーの人々から「性のアバンチュール」を求めてやってきた、セックスに飢えた荒くれ者と見られていた。
これは地元ノルマンディーではよく知られていることだが、一般的な米国人にとっては「大きな驚きだ」とロバーツ教授は述べている。
■「女性を隠せ」、街中いたるところで性行為
米メディアがノルマンディーに上陸した米兵について、キスをする米兵と若いフランス女性の写真を掲載するなどロマンチックな視点で解放者として描いていた間、地元の人々は「問題」に直面していた。
地元には、「ドイツ人を見て隠れるのは男たちだったが、米兵の場合は女たちを隠さねばならなかった」という話が伝わっているという。
米兵たちの放蕩ぶり、不法行為、さらには組織的な人種差別などもあった。
「GIはどこでも所かまわずセックスしていた」とロバーツ教授。
特に、ルアーブルやシェルブールでは米兵たちのマナーの悪さが目立ったという。
米兵たちは、女性を見れば既婚女性でさえ公然とセックスに誘い、公園、爆撃を受けて廃墟と化した建物、墓地、線路の上など、街中いたるところが性行為の場となった。
しかし、全てが両者の合意のもとで行われたわけではなく、米兵によるレイプの報告も数百件残されている。
ロバーツ教授が調べた資料によれば「セックスをしている男女を見かけずに街を歩くことは不可能」なほどで、当時のルアーブル市長が米駐留部隊の司令官に改善を求めたと記されていた。
米軍の上官らは兵士たちの行為について公式な非難声明は出したが、改善の努力はしなかったという。
加害者が法な状況で母、妻、娘が犯されても反抗する意志を見せないとこうなるんやなって…
レイプ=ヤリ得とレイプ=死じゃ後者のが都合が悪いだろうし
>ジューコフやニミッツ相手にはまだマシなジャップ軍も、アイシャルリターンには蹂躙されてるんや
赤軍のジューコフ元帥がベルリン入りした後で、米軍のマッカーサー元帥はフィリピンでキルレシオ自慢?
ガッツリ攻め込んで水、糧食尽きるまで落とせないのは恥だわな
弾薬にしろ尽きていった陣地から落とされた、しかも硫黄島に続いて2度
長くても一週間とは何だったのか?
>>242
それ言い出せば嘉手納基地守ってた師団が居たはずなんですがね…?
そのバカをしっかりと迫撃砲で仕留めた栗林閣下の冷静沈着な用兵が際立つな
今ではアメリカに訓練にいった自衛隊員達が勇者にあやかりたいとして必ずバジロン・ピザに立ち寄るとの事だ
…そもそも指揮することが仕事だろw
そりゃあバジロンのみ直々に指揮して倒したっていうなら解らんでもないが…
むしろ戦闘全体を視野に入れたうちの片手間で倒せる程度の相手って事じゃね?
我輩こと「利根」の民間人虐殺(ビハール号事件)、
「秋風」の民間人虐殺(秋風事件)、
ミッドウェー海戦では「嵐」による捕虜オスマス中尉を拷問の後斬殺(この時の「嵐」の駆逐隊司令は大和特攻の際の大和艦長有賀幸作)、
同じく「巻雲」では3人の捕虜を2人はドラム缶に縛り付けて海中投棄、1人は高温蒸気で蒸し焼きにして惨殺、
「初雪」「叢雲」「伊8」「伊26」などの無抵抗溺者を機銃掃射と艦砲射撃により虐殺など多数など、日本海軍は悪鬼のような振る舞いを見せたのじゃ。
全くその通りだよ。沖縄県という地方自治体が消滅するまで時間稼ぎに使われたので
記録上は米側が寡兵により大損害を被ったようにみえる。
人口が2割減少するまで民間人に自爆強要したからだよ
市民避難を優先させた牛島閣下の温情が敗戦を招いたとも言える
邪魔だから手榴弾配って死なせました
米軍の死傷者は、戦闘による死傷に加えて
敗残兵による自爆攻撃、投降を試みた従軍牧師が不意撃ちされる。民間人による自爆テロ強要が含まれる
細かい部分では交通事故、機材の操作ミスによる事故、持病による死傷、中毒死、自殺等だな
日本軍の対米キルレシオが低いのは、劣勢環境で軍属まで死んだからなのと、それによる補給断絶・餓死疫病ばかりだから
そして空爆。
優位な日本軍とまともにやり合えば第一次フィリピン戦みたいに、米比軍の方が数倍のキルレシオで負けてる
極端な話、日本軍爆撃機隊100機で、米軍一個師団で空爆すれば、キルレシオが0対1,000とかになるわけで
日本軍の三分の一の死傷率しか米軍に与えられなかったナチの惨めさだけが際立つな
現実の日本兵の死亡原因の多くは栄養失調(餓死)、病死(薬がないため)、行方不明(安否すら確認できず)
藤原彰の『餓死した英霊たち』によれば日本軍の80%は餓死・病死
確かにこれはむごい話だが、だがちょっと待って欲しい
日本軍の15年戦争での軍人軍属の戦没者は210万人、内大陸の中ソ相手に70万で英米相手に140万人、この2割が戦闘による戦死者だから28万人
一方、米軍の太平洋戦域での戦死者は17万、英蘭印豪らの合計を米と同数と仮定すると、シナ軍とソ連以外での連合国軍の戦死者ら35万人
また日本軍の戦没者には海軍や海上移動中の兵士が多く含まれているのに対して、連合国軍の死者には餓死病死は殆どいないから、
純粋な戦闘での死者は藤原彰の本が正しいとなると、連合国軍の方が圧倒的に多くなる
で、連合国軍は圧倒的な物量を投入してこの有様なんだから、白兵戦でのキルレシオは日本軍無双と言っていいレベルだったろう。
藤原彰は日本軍を貶すつもりが、図らずも日本軍の戦闘での無類の強さを証明することになった。
食糧が足りていたら、日本軍は確実に戦争に勝っていたというのが藤原彰の結論だったと思われる。
人入りなら更に酷い事になる(太平洋で餓死し始める米軍やノルマンディーに上陸すらできない米軍等)
に追い込まれるほうが阿呆なんじゃなかろうかとw
食料なしでコレヒドール要塞籠ってたアホな白人がいたっけ?
>>257
むしろ護衛付けると狙われてるんだよなぁ
本来大西洋よりずっと広い太平洋戦域、琵琶湖の中で指輪を見つけるくらい無理
が、護衛艦の定時連絡で航路と時間がバレる、あとはその先に潜水艦や航空機を差し向けさせれば…
さらに悲惨なのは民間籍の輸送船船員で半数が死亡している
少なくとも終戦まで植民地のフィリピンでジャップの敗残兵相手にキルレシオ自慢してたヤンキー連中には。
マリアナの七面鳥撃ち
どんな零戦がターキー扱いされても【零戦は全ナチ戦闘機より圧倒的に強かった】で常に完全論破できる。
1944年5月8日に英空母エンペラーから発進したF6Fがノルウエー沖を飛行中にドイツ空軍のBf109とFw190と交戦してF6F損失0で3機撃墜
またF4F(マートレット)もノルウエー南部を飛行中にBf109の4機に奇襲されて1機撃墜されたが、逆襲してBf109が4機全滅
ヘルキャット>>>零戦>>ワイルドキャット>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ナチ戦闘機
一度こけたら破綻するしかない航空主義()なんぞに頼る五十六とその後継がおかしいってそれ1
ラバウルで削られた練度・機数(米軍直掩>日本機動部隊総数)・マラリア…こんなの無理やで
欲を言えばミッドウェイ以降防空主体にシフトすればマリアナに間に合ったんちゃう?
砲塔吹っ飛んだ日向につられた伊勢級の改装は仕方ないとしても…他空母要らないだろ
まだ雑木林のが役立つとか笑えない冗談だ
航空機の一撃が軽いうえ再度空襲に時間かかるんだから擾乱と割り切り
正面切ってのぶつかり合いなら断然戦艦優位って認めるべきでしたなぁ
認めたころにはすべてが遅かったんだけど
なお、ガッツリ訓練したはずのアイオワの散布界()
結局キンメルの想定通り突っ込んだらマニラ近海でボッコボコにされたんじゃね?w
大和は…遠距離砲戦そのものがなぁ…技量トップの伊勢ですら3万で19,2%ゾ
後ろに長門が追従してて速度落として並走やめられないしそれがどうかしたか?
もう一つ付け加えれば
>>280の 最 後 の 行 読 ん だ か ? ? ?
>>292
好戦的じゃない奴がこんなとこに来る方がおかしいだろw
IDコロコロして自演して発狂するとはさ
ジューコフやニミッツ相手にはまだマシなジャップ軍も、アイシャルリターン様には蹂躙されてるんや
レート 皇軍死 連合軍 戦場 敵将
115.8 *11000 ***95 シッタン作戦 スリム
*62.9 *10000 **159 ホーランジア マッカーサー
*25.7 *21100 **820 ミンダナオ マッカーサー
*24.4 *11000 **450 アイタペ マッカーサー
*22.1 *79261 *3593 レイテ マッカーサー
*21.2 *10000 **471 ビアク マッカーサー
*19.3 205535 10640 ルソン マッカーサー
*19.1 *10000 **524 ニューブリテン マッカーサー
*18.8 *16533 **881 ラングーン陥落 スリム
*17.1 *14300 **835 ビサヤ マッカーサー
*16.1 *20000 *1243 ブーゲンビル マッカーサー
*15.9 *10000 **628 ラエ・サラモア マッカーサー
*13.1 100000 *7613 沖縄陸戦 ニミッツ
*12.9 *72480 *5633 インパール スリム
*12.3 *27000 *2188 ガダルカナル陸空戦 ニミッツ・ゴームレー→ハルゼー
*8.71 *30000 *3441 サイパン ニミッツ
*8.71 *18500 *2124 グアム ニミッツ
*6.96 *83737 12031 満州日ソ戦 ヴァシレフスキー
*6.36 *21000 *3300 ギル・マーシャル ニミッツ
*4.58 *10695 *2336 ペリリュー ニミッツ
*2.64 *18000 *6821 硫黄島 ニミッツ
*1.08 *10000 *9703 ノモンハン事件 ジューコフ
いくらインパールの人的損害で日本軍を叩こうが
【インパールの損害はナチの西部戦線の損害のたった1/300】で常に完全論破できる。
British, and French forces in the war in Europe follows:
Battle dead Permanently disabled Captured Total
Tunisia 19,600 19,000 130,000 168,600
Sicily 5,000 2,000 7,100 14,100
Italy 86,000 15,000 357,089 458,089
Western Front 263,000 49,000 7,614,794 7,926,794
Total 373,600 85,000 8,108,983 8,567,583
Army Battle Casualties and Nonbattle Deaths in World War II
Atlantic area theaters
Total deaths among battle casualties 177,100
米軍はたった17万人の死傷者で、自軍の何倍もの857万人ものナチをノルマンディから1年足らずで粉砕した
こんな惨敗は人類史上始めてだろう
無駄死にとはナチのためにある言葉だ
いかなる日本軍へのバッシングも【ナチはただの野垂れ死にだが日本兵の死には意味があった】のひと言で常に論破できる。
1945 年までに、日本陸軍の持つ力は敵に死傷者を生じさせる能力のみになっていた。
その能力は、日本陸軍の戦略を躱し、安価に日本を破る手段として原子爆弾を使用するという
アメリカの決定に影響を及ぼしたが、また、無条件降伏の要求を取り下げ、代わりに皇室と
従来の国家体制の一部を維持するという条件付き和平を採用することも決定された。この
状況は日本のエリートと国民に、ドイツ人が受けた権利から比べると、自らの運命
を制御するはるかに大きい権利をもたらした。日本の戦力と戦闘は実際のところ、
若干の政治的目標を達成したのである。敗北によってある種の勝利を得たのである。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf
支那の3500万人の犠牲は常任理事国に繋がった
大日本帝国の310万人の犠牲は政治的目標を達成した
しかし
ナチのファシスト1000万人の死者は無駄死にの犬死に過ぎなかったのだ
日本軍へのいかなるバッシングも【日本軍はナチより圧倒的に強かった】で常に完全論破できる。
アメリカ軍の公式戦史によれば、全戦死傷者数は 4 万 9,133 人(うち死者・行方不明者が
1 万 2,520 人)に上った。別の戦史によれば、地上戦における全戦死傷者数は 3 万 9,262 人
(うち死者 6,319 人)で、それに加え「非戦闘死傷者」が 3 万 3,096 上ったという。
フランクは次のように述べる。「このように、アメリカの全死傷者は 7 万 7,358 人にも達した。
訓練を受けた[沖縄の:引用者注]防衛部隊の総兵力が 7 万 6 千人であったことを考慮すれば、
これは、日本本土上陸作戦を準備しているさなか、とてつもなく不吉な指標である」
トルーマン大統領は、本土侵攻作戦に関するブリーフィングのために召集した会議において、
「日本本土のいずれにおいても、沖縄が再現されないことを望む」と述べていた。
日本本土侵攻作戦の見通しそのものが明るかったと断言することは困難であろう。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/16672/1/fujita_2014_bun.pdf
ハーバード大学卒業、冷戦下にモスクワ大学に留学歴があり、世界史の著作を多数執筆している歴史家
ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan:
The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、
極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、
ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、
優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)
このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう。」
とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%E7%B8%E6%A6
自動小銃とタイガー戦車のナチ武装親衛隊機甲師団<<<<<<<<<<<<<<38式小銃とチハの大日本帝国陸軍第32軍
ナチ人弱すぎだろ
どんな日本軍がバッシングされても【ヤンキーにとって西部戦線はバカンスも同然だった】のひと言で常に論破できる。
フィリピン戦第六軍の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者1.95名、死傷者計7.45名
ノルマンディ以降の欧州戦線の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者0.42名、死傷者計2.16名
太平洋は、死傷率が高かった海兵隊の数字が入ってなくともこの有様
米軍にとって西部戦線はフランス娘とのセックスと観光を楽しむツアーにしか過ぎなかったのだ
どんな日本軍へのバッシングも
【米兵は楽勝なナチ狩に行きたがった】で常に完全論破できる。
兵士の多くが一八歳の少年だったことから「ダイアパー」(おむつ)師団とのあだ名をちょうだいした
第七十五歩兵師団は、一九四四年の秋、ケンタッキー州ブレッケンリッジ・キャンプで戦闘訓練を
終えようとしていた。元一兵士のハーヴィー・カッツは回想する。
「ある日、われわれは列車に乗せられた。そして、全員じっと座ったまま、列車は西へ行くのだろう
か東へ行くのだろうかと考えていた。東へ向かっているのがはっきりしたとき、誰もが歓声を上げた。
行く先はヨーロッパだとわかったからだ」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 トーマス・アレン ノーマン・ボーマー 181頁>
GIたちはジャップとの死闘よりもフランス観光がてらのナチ狩りに行きたがった
楽勝だしな
いかなる日本軍へのバッシング、マッカーサー礼讃も【マッカーサーは日本軍にびびってオシッコをもらした】で常に完全論破できる。
「マッカーサーは午前三時過ぎ、側近からの電話で真珠湾攻撃を知った。
彼は宿舎のマニラホテルから米極東軍司令部に出向いたが、その時点から丸半日、沈黙する(中略)
真珠湾から半日たった午後三時五十分、マッカーサーの執務室をセイヤー高等弁務官が訪ねたが、
彼は部屋の中を行ったり来たり(増田弘『マッカーサー』)
ただ狼狽えるだけだった。半日間、彼は何を下命すべきか何も分からずに過ごしたのだ(中略)
マッカーサーはその後、バターン半島の先、コレヒドール島に逃げ込む(中略)
マッカーサーはただおろおろし、虎の子のB17を失い、なお
日本軍主力部隊のリンガエン湾上陸の阻止もできなかった(中略)
彼はそのトンネルの入り口で半日を過ごし、目の前のバターン半島で戦う部下をよそに
毎日、新聞発表を送信していた。まるで米軍が勝ち続けているみたいな内容だった。
三カ月後、バターンの陥落が見えてくると、彼は
I shall return
の一言とすべての将兵を残して魚雷艇で逃亡した(中略)
マッカーサーが敵前逃亡できた最大の理由は
英軍司令官パーシバルがシンガポールで日本軍の捕虜となったからだ。これで
米軍司令官まで捕虜ではさすがの白人連合も恰好がつかない(中略)
彼が厚木に降り立つ二日前、先遣隊百五十人がC46輸送機などでここに飛来した。
彼らはつい昨日まで最前線で日本軍と渡り合ってきた猛者たちだが、着陸を前に
我々はひどく興奮し、怯えていた(週刊新潮編集部編『マッカーサーの日本』)
と、一番機に搭乗していたフォービアン・パワーズ少佐が語っている。いかに怯えていたか。
厚木の凱旋将軍 「マッカーサーは失禁していた」
http://ironna.jp/article/2747?p=4
いかなる日本軍へのバッシングも【戦後のドイツ人がナチより遥かに善戦したと認めている】のひと言で常に論破できる。
第二次世界大戦終了後の連合軍による日本とドイツに対する処遇も極めて異なっていました。日本は一九四五年に、
二度にわたる原子爆弾の投下を体験した世界で唯一の国です。しかし、失われた人命に比べると、
領土はさほどでもありません。反対にドイツの場合は広大な領土を失ったのみならず、終戦直後は四分割され、
その後二分割の状態が長年つづきました。日本はネーションとしての統一も、中央政権の統一も維持することが許されました。
日独間で完全に同様のことといえば、多くの人命が失われたことです。
ベルリン日独センター設立25周年記念
2010年10月20日にヘルムート・シュミット元首相記念講演会
http://blog.goo.ne.jp/tanemakuhito1921/e/e1d694b9319069d30dfa1fea949a99b3
ただシュミットが勘違いしているのは、日本が失った人命は15年戦争で310万人だが、ナチはたった5年で1000万人だから負けのレベルが違いすぎる。
人類史上空前絶後の惨敗がナチ
どんなに日本軍の人命軽視がバッシングされても
【ナチは軽視どころかわざわざ自国民を殺した】で常に完全論破できる。
ドイツ軍の崩壊が進み、将軍たちが部隊に与えることができるのは、信念と全滅だけだった。一般市民も、文字通り最前線に配置された。
オットー・ゲオルク・ティーラック法相は1945年2月15日に略式軍事法廷を設置する命令を発した。
『敵軍が迫りつつある防御領域』に設けられ、『臆病や利己心』のために『一般市民に対する自らの義務を回避』しようとした全ての者に対し『必要な厳しさをもって』対処することとなっていた。
その権限は『ドイツ人の戦闘力と戦意が危機にさらされる行為』全般に及ぶ。
判決は三種類しかなかった。死刑か無罪、あるいは別の裁判所への引き渡しである。
すでに戦争が終盤に入った頃に、ナチは自殺は称賛するようになっていた。
1945年春のドイツには死体があふれ、国中の人々が自殺者を目にしていた。
ドイツ軍の崩壊後、自殺は大衆現象と言っていいほど一般的になっている。
すべてが破壊されたことによる無気力と絶望感から、数万人のドイツ人が自殺するに至った。
メクレンブルクの小さな町テテロウの埋葬記録には120件の自殺の詳細が示されている。
銃、首吊り、入水、服毒に加え、父親が家族全員を殺したあと自殺するケースも多かった。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン陥落1945』
日本軍へのいかなるバッシングも【太平洋戦域での死傷率はヨーロッパの3.5倍】で常に完全論破できる。
日本を(フィリッピン等占領された)これら地域から排除することは簡単な仕事では無かった。
大日本帝国の兵士達の降伏率は大戦を通じて驚くほど低く1~3%だった。しかも
そのうち自発的なものはその3分の1だ(残りは自殺できないほど負傷した者)。
その結果太平洋戦線での米国兵の損耗率は欧州戦線と比較して3.5倍に達した。
Removing Japan from these lands – which fell primarily to the United States- proved
no easy task. Imperial Japanese soldiers surrendered at appallingly low rates.
According to some sources, only one to three percent of Japanese forces surrendered
throughout the war, and only one third of these troops actually wanted to surrender
(the rest were too sick or wounded to commit suicide or continue fighting.)
As a result, most estimates suggest that America’s casualty rate in the Pacific
theater was about three and a half times larger than in Europe
http://nationalinterest.org/feature/the-5-most-precarious-us-allies-all-time-12075
The 5 Most Precarious U.S. Allies of All Time
米にとって最も危険だった同盟国 ナショナルインテレスト誌 2015/01/21
そのジャップより弱いナチ人ってなんだ?
猿以下だからボウフラぐらいか?
いかなる日本軍へのバッシングとマッカーサー礼讃も【マッカーサーは山口メンバーより遥かにロリコンの変態だった】で常に完全論破できる。
私生活では、1929年にマニラで混血の女優エリザベス・イザベル・クーパー(英語版)との交際が始まったが、マッカーサー49歳に対し、イザベルは当時16歳であった。
ノモンハンでアカどもはたった1個師団相手に8個師団で攻めこんで大苦戦だからなぁ
そんなジューコフにバクラチオンで惨敗したナチの情けなさときたら(笑)
よっぽど現実が辛いんだなネトウヨ
これがネトウヨに耐えられないから、IDコロコロして連打しまくるんだな
護衛艦がいない方がシーレーン防御に有効とか海上自衛隊の護衛艦隊全否定きてんね
過去に対空と対潜で苦い思いして完成し、暗号も一新した上で
一級ソナーとレーダー、シースパローにアスロック持ち、中国程度なら触れることすら許さない現代海軍と
輸送船どころか自分すら守れない対空砲とわざわざ上方遷移し辛うじて機能している程度のソナーしかない第二次大戦艦を
一緒にする時点でド素人そのものw
ソナーに優れる米英だって本格的に狩りが出来たのは護衛空母及びレーダー付き哨戒機が飛び回ってからでしなぁw
レーダー射撃で霧島を轟沈させたワシントンの戦闘報告は
レーダー有効なり、彼は我を測定できぬまま沈没せり
だったくらいだ。
最新型&旧式艦の水兵からなるベテランで構成された406mm砲搭載のガチ戦艦2隻が
356mm砲で防御も扶桑より数段下の旧式巡洋戦艦2隻に大破まで追い込まれるって恥ずかしくない?
誇りたいなら大和とは言わないからせめて長門を討ってから出直せと
扶桑と言えば米戦艦はさらにレーダー強化して照射レーダー付きにしたのにまるで致命打を与えられず
巡洋艦がバシバシ当てて業を煮やした駆逐艦が突っ込んで仕留めるとか呆れるばかり
目は正確でもゴミエイムじゃ意味ないんですよねーw
大破してんだっけ?
ことごとく弾き返してすぐ任務復帰してたと思ったが
50年近い運用により完成された射表と伝統、運用マニュアルをもつフネと訓練もままならないヨチヨチ歩きのルーキーが勝ち星とったんだから大したもんだと思うがね
大和も護衛空母に命中なしだったし、魚雷と耐久マラソンしてたしルーキーはそんなもんだろうけど
何故サウスダコタも知らず第三次ソロモンのこと書こうと思った?w
もっと言えば比叡はあの戦闘で生き延びたものの伝令ミスで総員退艦になってしまったオチ
ちなみに一行目も読めなかったのか?真珠湾で乗艦失った水兵が乗り込んでんだよ
慣熟訓練期間も射撃訓練期間もないからヒューマンエラー連発したんだろ?
金剛型は普段の訓練成果を遺憾なく発揮して遭遇戦初期で先手を取ったにも関わらずにボカチンだわな
大和の命中なし、魚雷ゴーゴーに言及しないあたり図星なんだろうけど
「てめぇ俺らを盾に安全圏から悠々とついて来てふざけんじゃねぇよオォン?」
ちゃんと前に出てれば小破2撃沈2で当然の戦闘だったんだよなぁ…
>>282
人格攻撃だけはご立派っすねw内容へのツッコミは出来ないんでちゅか?w
カミカゼ対策で心労が重なり終戦間もなく早死にしてしまった
霧島の仇をカミカゼがとった形
‘カミカゼ対策で心労が重なり終戦間もなく早死にしてしまった’
普通、人の死因には複合的理由があるけどこう断定するソースはあるんかネトウヨくん 都合のいい妄想はもうええで
でもナチ軍は更に弱かった
こないだ潜水艦にアクティブソナー撃ち込まれまくった癖に
昭和のミサイル護衛艦でとまってることだ。 さんざん丸読みすぎた老人か?
成果ボウズが多いのは結果としてうけとめるべきなんだけどねえ
初期なんか大統領お召し艦で訓練どころじゃないと思うけどね
当然戦後アイオワのことねw
アメリカ軍の練度は最大でもこんなものだって目安だろう
それともレーダーに頼って大ポカしたAL方面艦隊の話でもする?w
尤もさらに改良したレーダーに照射レーダー付きで一向に当てられない旧式戦艦部隊も紹介済みだし
>>304
『俺の事を』空母不要論者とでも思ってるようだからキチじゃねーの?って話なんだが…
何?呆れさせる作戦?www
仮に全て戦艦だったとしても航空支援の無い日本軍なんか相手からすれば同じ鴨なんだから
複葉機にボコボコにされたナチの不沈艦()ビスマルクがどうかしたか?
航空主義否定≠空母不要なんだよなぁ?
>欲を言えばミッドウェイ以降防空主体にシフトすればマリアナに間に合ったんちゃう?
>航空機の一撃が軽いうえ再度空襲に時間かかるんだから擾乱と割り切り
この二行読んだうえで空母要らないって言える頭の持ち主はもはやド素人以前の問題
小学生の国語からやり直せ^^
296は空母必要って言ってるけど何を勘違いしてるんだ
機関銃分隊で一個連隊を殲滅したジョン・バジロンはキルレも戦闘力も最強といって良いのか
お前らも最高傑作ザ・パシフィックを見るんだぞ?
大陸打通作戦で常勝無敗だった支那派遣軍>>>小笠原兵団>>第32軍>>>>>バジロン>第2師団>>>支那軍>>赤軍>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ナチ軍
ということか
ドイツ海軍の水上艦艇本当に弱いよね
フッドを一発轟沈できたのはラッキーショットっぽい
練度も戦力のうち定期
水中『も』弱い
狭くて船が間断なく行きかう大西洋が潜水艦に有利だったのと、碌な探査機がない内にイキってただけで
浅い深度で水洗音を響かせつつ機能させるという便所に致命的欠陥があるのを衝かれソナーの良い餌
一方事前に浮いて用を足してる所をレーダー付き哨戒機が面白いように見つける始末、はまじ
>>313
陸に空と比較し貧弱すぎやしません?
予定では1945年に開戦し、本気出す予定だったそうだからその辺だけはオマケしても良いけれど
>>312
兵士の多くが一八歳の少年だったことから「ダイアパー」(おむつ)師団とのあだ名をちょうだいした
第七十五歩兵師団は、一九四四年の秋、ケンタッキー州ブレッケンリッジ・キャンプで戦闘訓練を
終えようとしていた。元一兵士のハーヴィー・カッツは回想する。
「ある日、われわれは列車に乗せられた。そして、全員じっと座ったまま、列車は西へ行くのだろう
か東へ行くのだろうかと考えていた。東へ向かっているのがはっきりしたとき、誰もが歓声を上げた。
行く先はヨーロッパだとわかったからだ」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 トーマス・アレン ノーマン・ポーマー 181頁>
MILITARY HOSTILE NON-HOSTILE
ACTION DEATHS WOUNDED DEATHS
World War II
(1941-45)
Total 293,121 670,846 115,185
European Theater 185,179 498,948 66,805
Pacific Theater 107,903 171,898 48,380
Korean War
(1950-53) 33,739 103,284 2,835
Vietnam War
(1961-73) 47,434 153,303 10,786
Iraq War
(2001-2016) 3,519 32,246 965
http://www.tavvntc.org/cost.htm
↑
負傷者と死者の比率を比べてみれば、兵士にとって過酷な戦場はどこなのかは自明だ。
GIにとってヨーロッパ戦線はフランス娘やイタリア娘とセックスを楽しむ合間にクラウツをボコボコにするレジャーに過ぎなかった。
そりゃあこんな感じだからなw
「参戦兵士ですか どこで戦われたんですか!北アフリカ?イタリア?フランス?」
(´・ω・`)「え・・・フィリピンだけど」
「は?フィリピン?なんでそんなとこで?」
(´・ω・`)「え・・ドイツの同盟国の日本と戦ってたんだけど・・・」
「そういやアジアでも戦争してたね( ´_ゝ`) ふーん・・・(興味なし)」
どんな日本軍がバッシングされても【ヤンキーにとって西部戦線はバカンスも同然だった】のひと言で常に論破できる。
フィリピン戦第六軍の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者1.95名、死傷者計7.45名
ノルマンディ以降の欧州戦線の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者0.42名、死傷者計2.16名
太平洋は、死傷率が高かった海兵隊の数字が入ってなくともこの有様
米軍にとって西部戦線はフランス娘とのセックスと観光を楽しむツアーにしか過ぎなかったのだ
いかなる日本軍へのバッシングも【ナチが弱過ぎて暇だったGIはフランス娘やフランスおばさん相手の夜戦を頑張っていた(笑)】で常に完全論破できる
研究の趣旨についてロバーツ教授は、「GI(進駐軍兵士)はたくましい男で、常に正義に基づいて行動するとの典型的な『GI神話』の偽りを暴き出すことだった」と、AFPに語った。
教授によると、米軍では当時「フランス人に対して優位に立つ」手段として性欲、買春、レイプが取り入れられていたという。
米兵たちは、ノルマンディーの人々から「性のアバンチュール」を求めてやってきた、セックスに飢えた荒くれ者と見られていた。
これは地元ノルマンディーではよく知られていることだが、一般的な米国人にとっては「大きな驚きだ」とロバーツ教授は述べている。
■「女性を隠せ」、街中いたるところで性行為
米メディアがノルマンディーに上陸した米兵について、キスをする米兵と若いフランス女性の写真を掲載するなどロマンチックな視点で解放者として描いていた間、地元の人々は「問題」に直面していた。
地元には、「ドイツ人を見て隠れるのは男たちだったが、米兵の場合は女たちを隠さねばならなかった」という話が伝わっているという。
米兵たちの放蕩ぶり、不法行為、さらには組織的な人種差別などもあった。
「GIはどこでも所かまわずセックスしていた」とロバーツ教授。
特に、ルアーブルやシェルブールでは米兵たちのマナーの悪さが目立ったという。
米兵たちは、女性を見れば既婚女性でさえ公然とセックスに誘い、公園、爆撃を受けて廃墟と化した建物、墓地、線路の上など、街中いたるところが性行為の場となった。
しかし、全てが両者の合意のもとで行われたわけではなく、米兵によるレイプの報告も数百件残されている。
ロバーツ教授が調べた資料によれば「セックスをしている男女を見かけずに街を歩くことは不可能」なほどで、当時のルアーブル市長が米駐留部隊の司令官に改善を求めたと記されていた。
米軍の上官らは兵士たちの行為について公式な非難声明は出したが、改善の努力はしなかったという。
フィリピン戦での米軍の死傷者は10万人以上と第二次世界大戦の戦いの中で最大級
>「そういやアジアでも戦争してたね( ´_ゝ`) ふーん・・・(興味なし)」
で済まされるような損失ではなかった
American casualties were also high. Ground combat losses for the Sixth and Eighth
Armies were almost 47,000, some 10,380 killed and 36,550 wounded. Non-battle casualties
were even heavier. From 9 January through 30 June 1945, the Sixth Army on Luzon
suffered 93,422 non-combat casualties, including 260 deaths, most of them from disease.
The Battle Of Luzon Compared With Other Battles Of World War II
http://6thinfantry.com/6thinfantry/the-battle-of-luzon-compared-with-other-battles-of-world-war-ii/
>the Sixth Army on Luzon suffered 93,422 non-combat casualties,
一つの例外をのぞき、ルソン島で第六軍の麾下部隊となった全師団は、少なくとも以前に一度、
作戦に投入されたことがあり、それら師団の大半は二度、戦闘を経験した。六個師団全将兵の
三分の一にも達する隊員が、三年間も海外に派遣されたままであった。これらの隊員は疲れ、
戦いにうんでいたが、休息したり、気力体力を回復するための時間をあたえられていなかった。
補充部隊の到着は遅々としており、またその員数が欠員をうめるには非常に足りなかったので、
第六軍は非戦闘員の死傷により生じた定員不足は、うめることができなかった。
「ドキュメント神風 下」(デニス・ウォーナー ベギー・ウォーナー 妹尾作太男 徳間文庫)
レイテ島の戦い
日本軍戦死者 推定90000人(海没含む)捕虜1500人
米軍戦死者 3504人 行方不明89人 負傷者11991人
ルソン島の戦い
日本軍戦死者 218200人
米軍戦死者 7933人 負傷者 32732人
フィリピン戦全期間(掃討戦含む)の日本軍戦死者は500000人に達する といってもほとんどの兵士がまともに戦う事すら出来ずに餓死 病死 ゲリラに捕まり惨殺などの悲惨な状況を呈した
1人10殺どころか日本軍死亡者は米軍の20倍に達する空前の大敗北だった
こんな戦いが自慢になるわけないわ
一方 日本軍はそんな戦地の苦労話を語るどころの状況じゃなかったよな
拙劣な作戦指導 補給の寸断 捕虜になる事への抵抗感や恐怖で50万将兵の大半がジャングルに追い込まれて野垂れ死にだよ
おまえ簡単な英語も読めないんだろ?
それ書いてるの戦闘の損害は47000に過ぎないんだが。
病気が10万人もでたってだけで、しかも病死者ってバターンの捕虜虐待除いたら1000人に満たないんだぜ
アメリカ軍は医療も充実してたし、当時イギリスでしか量産できなかったペニシリンも同盟国なもんだからふんだんに使えたんだからな。
ナチはキルレシオ()で勝ってる(キリッ
真実
↓
「無条件降伏後、西側三国に占領されたドイツ地域には、米兵よりも、
ドイツ人捕虜の方が多かった・・・・・・」
連合軍は一九四五年六月に捕虜の数を数え終え、収容された「戦争捕虜及
び武装解除された憲兵」は七六一万四七九四名、うち「四二九万九〇〇〇名
は降伏時にすでに捕虜となっていた」と公表した。
パウル・カレル/ギュンター・ベデカー
『捕虜――誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路』
それで捕虜収容所で沢山死んだり行方不明になってます(笑´∀`)
確かに日本軍は戦場で餓死しすぎだが、捕虜収容所で何百万人も野垂れ死んだナチの豚どもより遥かにマシだな
戦場で沢山の兵士を飢餓や病気や万歳突撃で死なせた日本軍は大失態→解らんではない
易々と白旗上げた上に捕虜収容所で野垂れ死んだナチどもはノーカンだから、それ以外でキルレシオ算出すればナチは優秀→これはさすがに理解できんwwwww
一九四五年末、西ヨーロッパ戦線は投降した何百万のドイツ兵で溢れ、東部戦線ではソ連軍との最後の戦いがつづいていた。
西部の大量投降と東部の必死の抵抗は、ドイツ軍最高司令官デーニッツの戦略だった。デーニッツは、一兵でも多くを人道的な取り扱いが期待できる、アイゼンハワー麾下の連合国軍に投降させようとしていた。
だが、その試みは絶望的な結果に終わった。五〇〇万人をこえる捕虜は野ざらしで、立錐の余地もない鉄条網囲いに入れられ、最小限の食糧や衛生施設にも事欠いた。
一九四五年四月以降、仏軍の手にあったものも含めて、約一〇〇万人の捕虜が次々に命を落とした。
このような惨事が米軍のもとで起こったのは、南北戦争時のアンダーソンビル監獄以来のことだった
ジェームズ バグー著 消えた百万人―ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道
日本軍は戦場で最後まで抵抗して餓死したが、ナチ兵は戦いもせずに降参して捕虜収容所で100万人も野垂れ死んでいた
「終戦までのドイツ国防軍全体の損失は1348万8000人を数えた。このうち1075万8000人が東部戦線で戦死
するか捕虜になった」―死に死を重ねた激しい独ソの攻防戦の実相を旧ソ連の公文書をもとに克明に描く、
衝撃の戦史!!地図37点・写真28点のほか、必見の詳細付属資料も掲載。
http://books.google.com.au/books/about/%E8%A9%B3%E8%A7%A3%E7%8B%AC%E3%BD%E6%A6%E5%A8%E5%8F%B2.html?id=l4mAQgAACAAJ
ナチは簡単に捕虜になるヘタレ軍隊、それで収容所でくたばりすぎ
こんなお粗末な軍隊は歴史上ナチだけ
そのペニシリンをナチ捕虜にも使ってやればよかったのに・・・
アドミラルティ諸島の日本兵は、一人または少人数ではジャングル最良の狙撃兵であった。
完璧に偽装し・・・米軍な弾の無駄遣いを嘲笑っていた(ある日本兵の評「米兵は何でも撃つ、撃った数に応じてボーナスがもらえるに違いない」)
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P158
「日本軍、ドイツ軍の司令官はともにそのような命令(死守命令)を乱発するが、実際に守られる可能性は日本軍の方が遥かに高い」
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P160
無能な上層部が『天祐を信じて死守命令』を乱発したのは日本軍もナチも変わらなかったが
ナチはその命令を守りもせず戦わずに降参して捕虜収容所で餓死した
ナチ兵にあだ名を付けるなら『全自動餓死兵士』とでも言うべきか(笑)
ちなみに太平洋戦争の本当の実態はこれな
太平洋で任務についた陸軍、空軍の軍人のうち、将校の40%と45%の兵は一度も戦闘現場を見ずに終わっている。
太平洋の戦いは、おおむね短い戦闘と、そのあとに長い「待機」の時間が続くことに特色があった。
ある陸軍師団は太平洋で19ヶ月間任務についたが、実際に戦闘を行ったのは31日間だった。
フィリピン戦米第六軍の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者1.95名、死傷者計7.45名
ノルマンディ以降の欧州戦線の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者0.42名、死傷者計2.16名
ナチ相手の西部戦線はフランス娘やイタリア娘とのセックスの合間に
クラウツ狩りを楽しむレジャーにしか過ぎなかった
いかなる日本軍へのバッシングも【ナチがだらしなさ過ぎて暇だったGIはフランス娘とフランスおばさん相手に戦っていた(笑)】で常に完全論破できる
研究の趣旨についてロバーツ教授は、「GI(進駐軍兵士)はたくましい男で、常に正義に基づいて行動するとの典型的な『GI神話』の偽りを暴き出すことだった」と、AFPに語った。
教授によると、米軍では当時「フランス人に対して優位に立つ」手段として性欲、買春、レイプが取り入れられていたという。
 米兵たちは、ノルマンディーの人々から「性のアバンチュール」を求めてやってきた、セックスに飢えた荒くれ者と見られていた。
これは地元ノルマンディーではよく知られていることだが、一般的な米国人にとっては「大きな驚きだ」とロバーツ教授は述べている。
■「女性を隠せ」、街中いたるところで性行為
米メディアがノルマンディーに上陸した米兵について、キスをする米兵と若いフランス女性の写真を掲載するなどロマンチックな視点で解放者として描いていた間、地元の人々は「問題」に直面していた。
地元には、「ドイツ人を見て隠れるのは男たちだったが、米兵の場合は女たちを隠さねばならなかった」という話が伝わっているという。
米兵たちの放蕩ぶり、不法行為、さらには組織的な人種差別などもあった。
「GIはどこでも所かまわずセックスしていた」とロバーツ教授。
特に、ルアーブルやシェルブールでは米兵たちのマナーの悪さが目立ったという。
米兵たちは、女性を見れば既婚女性でさえ公然とセックスに誘い、公園、爆撃を受けて廃墟と化した建物、墓地、線路の上など、街中いたるところが性行為の場となった。
しかし、全てが両者の合意のもとで行われたわけではなく、米兵によるレイプの報告も数百件残されている。
ロバーツ教授が調べた資料によれば「セックスをしている男女を見かけずに街を歩くことは不可能」なほどで、当時のルアーブル市長が米駐留部隊の司令官に改善を求めたと記されていた。
米軍の上官らは兵士たちの行為について公式な非難声明は出したが、改善の努力はしなかったという。
ナチが米軍に最大の損害を与えたアルデンヌの戦い
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_the_Bulge
19,000 killed,47,500 wounded
残りはcaptured or missingで23000名だから殆ど捕虜だろ
捕虜を人的損失に入れてたら、西部戦線のドイツ軍なんて大惨敗だろうに
ナチの退却が早すぎて追いつけなかっただけだろw
ナチほど看板倒れの軍はいない。
あまりにもナチ兵があっさり降伏するから捕虜収容所が満杯になって、
捕虜に手厚いはずの米英の収容所ですら、過収容で何十万も死者が出たほど
それにティーガー2も入れて1000両近くも戦車や装甲車投入して
第32軍の3倍の35万(それも第32軍は元々65000名で残りは沖縄での現地召集兵)投入して
でいくら陣地に籠ってたからとはいって同じぐらいの戦果じゃ情けなさすぎませんかね・・・
硫黄島
日本軍1個師団21000名→米軍死傷者29000名←スゲーよ
沖縄
日本軍2.5個師団10万人→米軍死傷者84000人←第32軍スゲー
アルデンヌ
ナチ20個師団35万人→米軍死傷者81000人←何これ?やる気あんの?武装親衛隊(笑)
>>494
ヨーロッパ戦線ではナチ軍が弱すぎて暇をもて余した米兵が淫売買ったりレイプしたりして性病の罹患率が異常に上昇している。
手を焼いたアイクが1945年4月に売春禁止令を慌てて出してるけど、全く効果なく、1945年には1944年の5倍以上に及んでいた(笑)
林博史著「女性・戦争・人権 (第7号)」
>>494
前時代的なジャップは慰安婦と呼ばれる売春婦にお金を払ったが
先進的()なナチは経費削減()のため慰安婦を皆殺しにした
連合軍が押収して1946年にニュルンベルク裁判に提出されたドイツの記録文書は、恐怖をあおるためにドイツ人征服者が組織的に強姦したことを立証している。
ボーランド、ユダヤ、ロシアの女たちが強姦され、多くの場合、むごたらしく殺された。
情容赦なく何百人もの少女や女性が迫害され、軍用娼家へ追い込まれ、そこで強制売春に使役された。
いわゆる『慰安勤務』である。
それが管理的に行われた大量殺人の前段階だったこともしばしばだった。
ヘルケ・ザンダー/バーバラ・ヨール著『1945年 ベルリン解放の真実―戦争・強姦・子ども』
>>493
米兵が暇すぎて性病にかかってたころナチはホモ同士で殺しあってた
同性愛者を弾圧したはずのナチ党には逆に同性愛者が多かった。
ナチスの私設警察だった「突撃隊」はレーム司令官がホモだった。
そのためにレームは性癖が同じような人間を突撃隊幹部に採用した。
ヒトラーは突撃隊がホモに支配されたと知ると怒り、SS(ナチス親衛隊)にレームと突撃隊を粛正させた。
そして突撃隊の大半をSSに統合した。
これにより、ナチスでは秘密裏に「ホモ人脈」が築かれていく。
SSを隠れ蓑に、ゲシュタポ(秘密警察)やSD(SS情報部)では同性愛行為が当たり前に成った。
また同性愛者の将校らは、同じような性癖の人間を、同族意識から幹部に採用した。
国家社会主義青年団などナチスの青年組織から、美少年がリクルートされたり、
ポーランドやフィンランドなど外国からも大量に、少年愛の為に青少年が誘拐された。
SSの根底に有ったのは同性愛だった。
同性愛者を虐殺しながら、実は裏でゲイか蔓延っていたのがナチ(笑)
こんな池沼上級国民(ナチ党員)のアホ作戦のお陰で国会議事堂に赤旗が翻るまでの完全敗北
近代戦でここまで徹底的に負けた軍隊はナチ軍以外にないだろう
しかも欧州戦線より遥かにタップリの休暇と給与でこんな事態にも
オーストラリアでは、少なくとも1万5000人の同国女性が米兵と結婚した。
オーストラリアの新聞はアメリカのプロ野球の試合結果を掲載し、将兵を家庭に迎え入れ、多くの米軍将兵がオーストラリア娘を憎からず思った。
オーストラリア駐留後、大半のGIがこのみにあった娘を見つけ、ステディな関係になった。サザランドに至ってはフィリピンにまでオーストラリア女性を愛人を持ち込んだ。
インドにおいてもカルカッタが休暇、保養の拠点となった。将校ともなれば、カルカッタでまずまずの休暇を楽しめた。一部の将校は、イギリスの手になった涼しく、清潔な高原の保養地で休暇を過ごすことができた。
一方、ヨーロッパ戦線に投入された米兵は、一度戦場に放り込まれると、延々とどめおかれ、なかなか休みが取れなかった。
バトルオブブリテンの主力機はハリケーンだったし、レーダーは極東にも配備されてた(日本軍が捕獲して
コピー生産)。それから英海軍は最新鋭艦プリンスオブウェールズ(ドイツ海軍とも対戦している)を極東に
派遣している。またビルマ方面に居たハロルド・アレクサンダー将軍は、後に北アフリカにも転戦している。
「2軍の連中」の指揮官が、どうしてヨーロッパの主戦場に転戦するのか、理解に苦しむところだ。
パウル・カレル「砂漠のキツネ」では、北アフリカ戦線の英軍に植民地人部隊が多いことも書かれている。
表3-3 イギリス戦闘機兵団の戦力(7月9日/9月7日)
戦闘機群 機種別中隊数
スピットファイア ハリケーン ブレニム デファイアント グラディエーター 計
第10群 2(4) 2(4) (1) (1) 4(10)
第11群 6(7) 13(14) 3(2) 22(23)
第12群 5(6) 6(6) 2(2) 1(1) 14(15)
第13群 6(3) 6(8) 1(1) 1(1) 14(13)
計 19(20) 27(32) 6(6) 2(2) (1) 54(61)
(注) カッコ内の数字は9月7日の中隊数
(出典) Basil Collier.The Defence of United Kingdom,HMSO.1979
<前略>
航空機生産省は、当面、ハリケーンとスピットファイアを優先して生産した。
生産量の六五%がハリケーン、三五%がスピットファイアであった。ちなみに、
全戦闘機のうちハリケーンは五五%を占め、スピットファイアは三一%であった。
(ただし、一九四〇年五月初めから一〇月末までの撃墜された戦闘機のほぼ四〇%
をスピットファイアが占め、ハリケーンが三三%ほどであったから、スピットファイア
のほうが撃墜されやすかったということになろう)。
<日本経済新聞社「戦略の本質 戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ」107-108頁 >
こう見ていくと、イギリス人の多くは「ヨーロッパ優先」を過剰に政治宣伝し、極東での敗退から目を背けよう
としているとしか思えなくなる。
>「参戦兵士ですか どこで戦われたんですか!北アフリカ?イタリア?フランス?」
二つの戦いの規模の比較
この点を検証すべく、二戦の軍事戦略面を比較してみたい。まず戦闘領域から見てみると、スターリングラード攻防戦は
約10万平方キロの広大な領域で繰り広げられたが、エル・アラメインの戦いは狭いアフリカの海岸で行われた。
軍備では、スターリングラード郊外のさまざまな交戦で、ソ連軍とドイツ軍から合わせて兵員210万人以上が参戦し、
大砲や迫撃砲2万6000挺以上、戦車2100両、戦闘機2500機以上が使用された。ドイツの総司令部は、この戦いに
兵員101万1000人を動員し、火砲1万290挺、戦車675両、戦闘機1216機を導入した。
一方でエル・アラメインの戦いでは、ロンメル率いるドイツ・アフリカ軍団の兵員はわずか8万人で、戦車540両、
火砲1200挺、戦闘機350機を使用した。
期間では、スターリングラード攻防戦は200昼夜続いたが(1942年7月17日から1943年2月2日まで)、
エル・アラメインの戦いは11日間行われただけだ(1942年10月23日から11月4日まで)。二つの戦いの緊張度
や激しさの違いについて、ここでは触れない。
損害の比較
エル・アラメインの戦いでは枢軸国軍が兵員5万5000人、戦車320両、火砲約1000挺を失ったが、スターリングラード
攻防戦では枢軸国の喪失が10~20倍ほどで、約14万4000人が捕虜になり、33万人の軍団が壊滅した。ソ連軍の
喪失も甚大で、47万8741人が死亡した。多くの兵員の死亡を防ぐことはできたはずだが、この犠牲は決して無駄にはならなかった。
次に、軍事政治面を比較してみたい。スターリングラード攻防戦は、ヨーロッパの主要な舞台で起こったが、
エル・アラメインの戦いは軍事活動の二次的舞台である北アフリカで起こり、第二次世界大戦に及ぼした影響は間接的
だった可能性もある。世界は当時、エル・アラメインの戦いではなく、スターリングラード攻防戦を注視していた。
https://jp.rbth.com/opinion/2013/02/02/41195
>「参戦兵士ですか どこで戦われたんですか!北アフリカ?イタリア?フランス?」
地上に生き残るための戦い
なぜ対戦相手、参戦国、または戦争地域のことを示唆しない、大祖国戦争という名称がロシアで使われているのだろうか。
ロシア人やソ連諸国の人民にとっ て、この戦争は祖国の戦争以外の何物でもなかった。自由と祖国の独立を求めた戦争であり、
生き残るための戦争だった。
ではなぜ頭に大がついているのだろ うか。それはこの戦争の勝利には多くの国が貢献しているものの、ソ連がドイツ国防軍を
倒した中心国で、その役割を強調しているからだ。ドイツ軍はソ連軍と の戦いで、1340万人中74%にあたる1000万人を喪失した。
アメリカのルーズベルト大統領は第二次世界大戦の最中の1942年5月、ソ連軍の活動とそ の影響を評価してこう記した。
「ロシア軍が連合国25ヶ国の軍隊よりも、対戦国の厖大な兵士と兵器に打撃を与えているという明白な事実を無視することはでき ない」。
ロシア人がこの勝利を誇りに思い、多くの戦線のひとつととらえたがらないのは当然のことだ。そしてドイツとその同盟国であるイタリア、ルーマニ ア、
クロアチアが84万人を喪失したスターリングラード攻防戦と、ドイツとイタリアが3万人を喪失したエル・アラメインの戦いが同レベルの戦いと
見なされ ることを理解できないでいる。ヨーロッパ諸国の多くの歴史教科書では、第二次世界大戦としてこの2つの戦いが同等に扱われている。
https://jp.rbth.com/society/2013/05/09/42899
>「参戦兵士ですか どこで戦われたんですか!北アフリカ?イタリア?フランス?」
【戦線別ドイツ国防軍戦死者統計】
Losses per theater
Theater Dead %
Africa 16.066 0,3 ←アフリカ戦線ww
Balkans 103.693 1,9
North 30.165 0,6
West 339.957 6,4
Italy 150.660 2,8
Eastern Front
(- Dec 1944) 2.742.909 51,6 ←ソヴィエト赤軍は
Germany (1945) 1.230.045 23,1 ←頼もしいよなぁ♪
Various 245.561 4,6
Total 4.859.056
http://www.axishistory.com/axis-nations/germany-a-austria/144-germany-unsorted/statistics/2461-german-losses-per-theater
>(´・ω・`)「え・・ドイツの同盟国の日本と戦ってたんだけど・・・」
>「そういやアジアでも戦争してたね( ´_ゝ`) ふーん・・・(興味なし)」
退役将軍のタラス・シュドロ氏は、ラジオ「スプートニク」の記者に、欧州諸国でネオナチが台頭し、ロシアの兵士
たちの記念碑が破壊されていた時、中国の国民は、自分たちの解放者の記念碑を大事に守っていたと述べた。
1945年8月、19歳だったシュドロ氏は、中国北東部で日本の関東軍の粉砕に参加した。
「私たち第二次世界大戦に参戦したロシアの退役軍人たちは、中国領土にある1945年の戦場を訪れています。
私たちは、ロシア人墓地があるほぼ全ての大都市を訪れることができました。ハルビンや、そしてもちろん、
ロシアとソ連の兵士が埋葬されている中国最大の墓地があるポートアーサー(旅順)などを訪問しました。
記念碑と墓地は全て管理され、素晴らしい状態にあります。私たちはこれに対して中国政府と中国の国民に
心から感謝しています。そして戦後の中国の発展や中国が成し遂げた成果をとても嬉しく思っています。
そしてその一部に私たちが参加したことを誇りに感じています」。
https://jp.sputniknews.com/life/20150901834535/
>退役将軍のタラス・シュドロ氏は、ラジオ「スプートニク」の記者に、欧州諸国でネオナチが台頭し、ロシアの兵士
>たちの記念碑が破壊されていた時、中国の国民は、自分たちの解放者の記念碑を大事に守っていたと述べた。
ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の代表者達だったが、そればかりではない。
それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さなくてはならない。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという
事実でさえも、そうした気持ちに影響を与えるべきではない。一部の観測筋は疑っているようだが、私には、
ロシアにもロシア人に対しても問題はない。」
http://jp.sputniknews.com/europe/20150502/284616.html
>「参戦兵士ですか どこで戦われたんですか!北アフリカ?イタリア?フランス?」
ヒトラードイツの壊滅において主要な貢献を果たしたのは、ソ連軍で、現在欧州の国々が存在する領土の約50%を解放したが、
他の同盟諸国に比べ、はるかに多くの人的損失を被った。米国のブレジンスキー元国家安全保障問題
担当大統領補佐官(カーター政権時)は、自著の中で次のように記しているー
「逆説的で、信じがたい事だが、ヒトラードイツに対する軍事的勝利において、米国は決定的な役割を
果たさなかったにもかかわらず、ナチスドイツの壊滅により、米国の国際的地位は向上した。この勝利が達成で
きたのは、唾棄すべきヒトラーのライバル、あのスターリン率いるソ連邦のおかげだと認めなくてはならない。」
https://jp.sputniknews.com/amp/life/20150428257120/
天皇<おまえは一ヶ月で片がつくと申したが四年たっても片付いておらぬではないか!
りくぐんのえらいひと()<ハイハイwwサーセンwwwかたじけのうござるwかたwwじけのwうごwmざるwww
まあ最強りくぐんは天ちゃんとか上等すわ
アメリカ「多方面作戦の日本軍でも抑え込めれる相手、一点に集めた俺らなら余裕じゃね?」
中国「逃げ回ってばっかりじゃないかw装備美味しいですwレンドリース続行かな?www」
ソ連「ドイツよりよえぇwwwww戦線穴だらけwwwwベルリン一番乗り逃がすだけありますねw」
日本「おいおい、満州くらい取り返せるだろ…せめて朝鮮半島から追い出せよ」
わずか100万人で3500万人を撃滅した軍隊なんて歴史上でも支那派遣軍だけだろう
じゃあなんでボコボコにされて負けたんですかねぇ…(すっとぼけ)
大陸打通作戦での大勝利は太平洋でのボコボコを吹き飛ばしてしまった
大陸打通作戦を誇りに思わない日本人はいないはずだが
天コロの指図なんか受けないし政府指示も無視
☆日本人の病的心理・心でっかち・不可思議?
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/psycho/1526333465/
日本人特有か否かはともかく不可思議な心理って多くありません?
政治家・官僚エリート
待機児童ゼロ作戦と子育て支援こそが少子化対策の決め手・・・絶対的に間違いない
え?え?え?公務員の素晴らしい作戦とやらで産まれた赤ちゃんはゼロなんだけど。
国際結婚の規制緩和(自由化)やゲノム編集(デザイナーベビー)等は無視?
経営者・企業トップ
コンビニの24時間営業は絶対的に正しい・・・オーナーの一部は青息吐息
大画面テレビの大増産等は絶対的に正しい・・・中国企業に会社ぐるみで身売り
キャッシュレスの時代が始まり楽園が来る・・・某国家はクレジットカード依存の社会を作ってどうなった?
一般国民・正しい大衆?
歩きスマホ社会・・・○○は国民の鑑です死んでもスマホを放しませんでした
ローン・借金等・・・破産は恥・一生涯(含む家族の人生)で借金を返す義務がある
最大の関心事は・・・タレントの不倫やキス?日本円が紙くずになっても消費税値上げは拒絶?
なんでこうなるの?
敗戦(帝国崩壊寸前)に起きた松根油への国民総動員の大増産
先祖代々(苦笑)役に立たない不動産(負動産・負債)を嬉々満面(危機満面?)
心でっかち社会・・・巨人の星・戦艦大和・おしん
心でっかち社会って・・・
まさに外道
外道戦術だが戦果はすごかった
日本軍の特攻に対する米軍の評価
チェスター・ニミッツ元帥(太平洋方面最高指揮官・太平洋艦隊司令)
「神風特別攻撃隊という攻撃兵力はいまや連合軍の侵攻を粉砕し撃退するために、長い間考え抜いた方法を実際に発見したかのように見え始めた」
「もう持ち堪えられない」
「海軍は、毎日1.5隻ずつ艦船を失っている。その為、五日以内に第一線が動かなければ、このいまいましいカミカゼから逃れる為に、
他の誰かを司令官に変えて前進させるぞ。」
「我が海軍が(沖縄戦で)被った損害は、大戦中のどの海戦よりもはるかに大きかった。沈没30隻、損傷300隻以上、9000人以上が死亡、行方不明または負傷した。
この損害は主に日本の航空攻撃とくに特攻攻撃によるものであった。」
ダグラス・マッカーサー元帥(南西太平洋方面最高司令官)
「カミカゼが本格的に姿を現した。この恐るべき出現は、連合軍の海軍指揮官たちをかなりの不安に陥れ、連合国海軍の艦艇が至るところで撃破された。
空母群はカミカゼの脅威に対抗して、搭載機を自らを守る為に使わねばならなくなったので、レイテの地上部隊を掩護する事には手が回らなくなってしまった」
「大部分が特攻機から成る日本軍の攻撃で、アメリカ側は艦船の沈没36隻、破壊368隻、飛行機の喪失800機の損害を出した。
これらの数字は、南太平洋艦隊がメルボルンから東京までの間に出したアメリカ側の損害の総計を超えている」
「特攻機は我々の軍艦を狙っているが、ほとんどの軍艦は一撃をくらっても耐えうるだろう。
しかし、もし奴らが我々の軍隊輸送船をこれほど猛烈に攻撃してきたら、我々は引き返すしかないだろう。」
そこまでやって勝てねぇんだからまるっきり救いがねぇなw
4000人が犬以下の死にざま晒しただけじゃねぇかw
ソ連軍だって対戦車特攻にお犬様使ってんのにヤポン軍は最優先で貴重なパイロットを使い捨てにしてるw
ヤポンのパイロットの価値は犬以下だって証明してんじゃねぇかw
たった300万の犠牲でアメリカに中ソのいざこざを押し付け
天皇、日本語、宗教、企業全部存続してよし、軍隊もいい意味での軍縮に成功
歴史の件も事至に書籍の時点で明らかになっている
はて?どんな勝ち方したらこれ以上の勝利があるのだろうか?
お犬様は味方戦車に突っ込んでいったじゃないかw
逃亡防止のためハッチ溶接され出られなくして突っ込ませたソ連は特攻と何が違うのだろう?
機関銃持って「銃は二人で一丁!逃げたら殺す!!」とか言ってる督戦隊はほぼユダヤ人
外人の為機銃陣地に突っ込まされるとか恥ずかしくないの?
結果4000なんて誤差な2000万という犠牲を出して戦勝国なのに長年配給制度をやってて一昔前にルーブル崩壊?あー悲しいなーw
世界情勢がそうなるように機能したってだけだぞ
冷戦がなければ良くてアメリカ準州
冷戦を見据える必要がなければオリンピック作戦で日本人種は希少種になってたよ
ソビエトとの対決に備えたトルーマンの決断にこそ感謝すべきだ
>ソビエトとの対決に備えたトルーマンの決断にこそ感謝すべきだ
トルーマンに決断せしめたソビエトにこそ感謝すべきでは?
たしかに
大ソビエトの果たした大衆的英雄行動はファシズムの魔の手から世界を救った側面もあるな
満州解放作戦における電撃戦は見事なものであった
そうなるように機能した?どう考えても共産圏とぶつかるからフーバーは否定的だったのに
その意図も把握せず日本にぶつかり中ソにレンドリースしたルーズヴェルトのせいで
想定してたより悪い状況でぶつかり合う羽目になったんだよなぁ、それだけでも池沼確定なのに
オリンピック作戦なんて中ソが大喜びするだけ、更に疲弊した状況で朝鮮半島でぶつかり合うオチ
少なくとも太平洋戦争でアメリカが勝とうが負けようが
アメリカ自身の国益には全くつながらないという結果は誰も否定できない
>>343
8:1で被害同等だからって空き巣狙いですかwww
しかも戦車がなければ600の守備隊を20000使っても攻めきれない体たらく
結果元ファシズムと手を組んだアメリカに完全敵視、今じゃ日本とアメリカは蜜月だって言うんだから皮肉なものよw
バグラチオン作戦と大陸打通作戦
ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗という史実が大日本帝国とナチの差を如実に表している
うむ
北方四島はロシアの善導により統治され
安倍ちゃんも
「ロシア領だからロシアの法律にしたがえよ?じゃねえと友愛!」
なんて公式発言したくらいだ
どんな日本軍をバッシングしようが
【ナチはシナ兵より弱かった】で常に完全論破できる。
スターリングラード攻防戦に投入される以前、チュイコフは軍事顧問団の団長として、中国で日本との戦いを支えていました。
チュイコフがスターリングラードで取った戦法は、中国での日本との戦いの経験から得られたものだったのです。
このように、スターリングラード攻防戦を勝利に導いたのは、ノモンハンや中国での、日本との戦いの経験があったためです。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2006/01/15/212449
チュイコフは、このとき四二歳。大戦勃発のとき、中国の大使館付き武官をつとめており、一九四二年三月に帰国した
ばかりであった。彼は七月まで作戦に参加しなかったが、それ以後は、非常によく活動した。果断、誠実、そして楽天的な男であった。
スターリンは、もちろんこの任命を承認した。彼はエレメンコに「君は、彼をよく知っているかね」と訊ねただけであった。
エレメンコは「チュイコフは指揮官として信頼できる男だとおもっています」と答えた。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU/sobiet5.htm
シナ軍の白兵戦術を学んだ赤軍に敗けたナチ
日本軍>>>>>>>>>>>シナ軍>>アカ>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ナチ
>大ソビエトの果たした大衆的英雄行動はファシズムの魔の手から世界を救った側面もあるな
1 ドイツ軍はスラヴ人を大量虐殺したが、スラヴ人は断固反撃してファシストドイツを粉砕した。
2 日本軍はチンピラゴロツキを懲らしめるために出征し、チンピラゴロツキは小便ちびって逃げ回った。
3 チンピラゴロツキは逃げ回った恥を隠す為に、極悪な日本軍に虐殺されたと騒ぎ出した。
ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の代表者達だったが、そればかりではない。
それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さなくてはならない。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという
事実でさえも、そうした気持ちに影響を与えるべきではない。一部の観測筋は疑っているようだが、私には、
ロシアにもロシア人に対しても問題はない。」
http://jp.sputniknews.com/europe/20150502/284616.html
もしもドイツ空軍が本当に西高東低型の対応を取っていたのであれば、彼らはソ連軍をなめており、
その代償を支払わされたと言うしかない話だ。結局のところ、ドイツの戦争はソ連軍にベルリンへ突入
されたことで終わったのだから…
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/nastuplenie2.0.html
バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗。
これがソヴィエト大祖国戦争と中国抗日戦争の最終結果なのである。
日本軍の特攻は米軍に大損害を与えてマックやニミッツに小便ちびらせた
ソ連の特攻タランはモスクワを守りきった
一方ナチのエルベは(笑)
体当りすらできないナチパイロット
ヒロポンチョコの食い過ぎだな
全ての事例において、 連合軍の戦死者 1 名に対して
2~3 名の兵士が負傷のため戦列を離れその多くが生涯残る障害を負った。
ルソン島と沖縄ではアメリカ軍戦闘要員の約 50%が死傷したのである。
硫黄島では、アメリカ軍死傷者の総計が日本軍のそれを上回っていた。
こうした死傷者の規模と比率は重要であった。
なぜなら、1944 年後半以降、日本 軍の戦略策定者たちは、
どれほど一方的な戦いで国民に重い代償を課すとしても、
人員 1 名の損失と引き換えにアメリカ人の意志を打ち砕くという新しい戦略を研究していたからである。
彼らの狙いは、アメリカ政府に、天皇制と国体の護持、
さらにおそらく一部の海外領土の領有を認める条件付き和平を受け入れさせることであった。
この戦略を実現するには、アメリカが日本に侵攻し、信じがたいほどの大損害を蒙って攻撃が頓挫し、
一方日本は継戦能力を誇示する、ということが必要であった。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf
日本軍の米軍に出血を強いる“新しい戦術”は結果的に最低限の『国体の護持』に成功した
しかし東西で一方的惨敗だったナチには何も残らず、ベルリン娘らはイワンの性の餌食となった
ジャップが犬死になら、全くの無駄死にだったナチはミジンコ死にぐらいか?
ジャップは空母にイワンは爆撃機に特攻して敵に多大な損害を与えていた頃ナチはなぜか橋に体当たりしていた(笑)
■ハヨ・ヘルマン
日本軍のカミカゼにインスパイアされて、ナチ版特攻隊エルベ特別攻撃隊を編成。
一回目の出撃で大失敗。
そのまま生き延びてソ連捕虜から解放されたあとは弁護士となって幸せな生活、ナチ擁護とホロコースト否定を主張し続け97歳で大往生。
■ハンナ・ライチュ
ナチの女性テストパイロット、ヒトラーに気に入られたので、V1飛行爆弾を特攻兵器化を主張し採用される。その後も特攻隊レオニダス隊の編成を進言し採用、36名のパイロットが軍艦でも航空機でもない、橋に特攻させられ無駄死に。
ライチュはヒトラー自決前にベルリンの総統防空壕逃亡、戦後はグライダーパイロットして人生をおう歌、独身貴族のまま67歳の天寿を全う。
■オットー・スコルツェニー
ライチュと特攻隊レオニダス隊の編成に尽力
当然に終戦時に死なず、捕虜収容所からも脱出、南米でナチ戦犯の脱出に手を貸し、アルゼンチンで会社経営、多大な資産を作り幸せに天寿を全う。
第二次世界大戦終了後の連合軍による日本とドイツに対する処遇も極めて異なっていました。日本は一九四五年に、
二度にわたる原子爆弾の投下を体験した世界で唯一の国です。しかし、失われた人命に比べると、
領土はさほどでもありません。反対にドイツの場合は広大な領土を失ったのみならず、終戦直後は四分割され、
その後二分割の状態が長年つづきました。日本はネーションとしての統一も、中央政権の統一も維持することが許されました。
日独間で完全に同様のことといえば、多くの人命が失われたことです。
ベルリン日独センター設立25周年記念
2010年10月20日にヘルムート・シュミット元首相記念講演会
http://blog.goo.ne.jp/tanemakuhito1921/e/e1d694b9319069d30dfa1fea949a99b3
ドイツの元首相ですら、ナチの1000万人は犬死にの無駄死にだったと認めてるのに
レイモンド・スプルーアンス中将(第五艦隊司令)
「特攻は非常に効果的な兵器で、我々はこれを決して軽視することはできない。私は、この作戦地域内にいたことのない者には、
それが艦隊に対してどのような力を持っているか理解する事はできないと信じる」
「特攻機の技量と効果および艦艇の喪失と被害の割合がきわめて高いので、今後の攻撃を阻止するため、
利用可能なあらゆる手段を採用すべきである。第20空軍を含む、投入可能な全航空機をもって、九州および沖縄の飛行場にたいして、
実施可能なあらゆる攻撃を加えるよう意見具申する」
「沖縄に対する作戦計画を作成していたとき、日本軍の特攻機がこのような大きな脅威になろうとは誰も考えていなかった。」
ウィリアム・ハルゼー(第三艦隊司令)
「いかに勇敢なアメリカ軍兵士と言えども、少なくとも生き残るチャンスがない任務を決して引き受けはしない」
「切腹の文化があるというものの、誠に効果的なこの様な部隊を編成するために十分な隊員を集め得るとは、我々には信じられなかった」
「情報部から我々に対して、カミカゼが編成されたという警告が送られてきたが、
我々の内大半の者はそれをこけおどしや張子の虎であると受け取っていた」
「少なくとも、(特攻に対する)防御技術が完成するまでは 大兵力による戦局を決定的にするような攻撃だけが、
自殺攻撃に高速空母をさらすことを正当化できる」
ジェームズ・フォレスタル(海軍省長官)
「海軍による沖縄上陸作戦への継続的な支援は困難な業務であり、高価な代償を伴うものであることをアメリカ国民の皆様に理解して頂きたい」
オリバー・P・スミス大将(海兵隊副参謀長)
「バックナー(沖縄攻略部隊司令)には、沖縄近海に展開している海軍が、特攻による甚大な損害に耐えている間に進撃を加速させろという
大きなプレッシャーが加えられていた。」→その後バックナーは戦死
ダニエル・バーベイ少将(アメリカ海軍第7水陸両用部隊司令)
「日本航空部隊の実力に対して何の疑問もなかった。オルモック湾(フィリピン戦)での特攻による戦果が
日本航空部隊の実力に対する疑問を残らず拭い去った」
「日本軍は自殺機という恐るべき兵器を開発した。日本航空部隊がその消耗に耐えられる限り、
アメリカ海軍が日本に近づくにつれて大損害を予期せねばならない。」
モートン・デヨ少将(第54任務部隊司令)
「駆逐艦の消耗具合が容易ならざる水準に達している」
リッチモンド・K・ターナー中将(アメリカ海軍水陸両用部隊司令)
「艦隊より優秀な艦を選んでレーダーピケット艦としたが、それはそのピケット艦と乗組員に対する死刑宣告も同然だった」
サミュエル・モリソン少将(アメリカ海軍公式戦史著者)
「ゼウス神の電光の様に青空からうなり出てくる炎の恐怖」
「かつてこのような炎の恐怖、責め苦の火傷、焼けつくような死に用いられた兵器は無かった
アメリカ軍の特攻による人的損失
戦死12000人
負傷33000人→多くが再起不能の重症
精神障害50000人
合計10万人
4000名の特攻隊員でこの戦果だからキルレシオ20倍以上
→これだからね
人命重視のアメリカはたまらん
外道戦術を恥じた日本軍では指揮官の多くが自決したり自ら特攻した
一方でナチは(笑)
■陸軍特攻の責任者⇒阿南陸軍大臣⇒終戦前自決
■陸軍特攻開始時の責任者⇒杉山元陸軍大臣・参謀総長⇒終戦後自決
■神風特攻の発案者⇒大西中将⇒終戦直後自決
■特攻開始時の軍令部次長⇒伊藤中将⇒大和特攻で戦死
■沖縄海軍特攻の主力部隊の司令官⇒宇垣中将⇒特攻で死 亡(終戦後の為戦死ではない)
■人間魚雷回天の発案者⇒黒木大尉・仁科中尉⇒黒木大尉は回天訓練中事故死、仁科中尉は回天特攻で戦死
■桜花部隊・神雷部隊司令官⇒岡村大佐⇒終戦後特攻隊員の慰霊巡りをしたのち自決
■白菊特攻隊司令官⇒加藤大佐⇒終戦時に部下が止めるのを聞かず井戸に飛び込んで自決
■航空特攻の提唱者⇒城大佐⇒空母千代田で米軍巡洋艦隊と撃ち合って戦死
■航空特攻開始を主張⇒有馬少将⇒自ら陸攻で特攻出撃し戦死
■陸軍航空本部長で特攻を指揮⇒寺本熊市中将⇒「天皇陛下と多くの戦死者にお詫びし割腹自決す」と切腹
■第4航空軍元参謀長(冨永の部下)⇒隈部正美少将⇒閑職に更迭後終戦時に家族全員と自決
■陸軍特攻機の開発責任者⇒陸軍航空技術審査部員水谷栄三郎大佐⇒終戦時に手榴弾で自爆
それに対しナチの特攻推進者ときたら草しか生えませんよw
■ハヨ・ヘルマン
日本軍のカミカゼにインスパイアされて、ナチ版特攻隊エルベ特別攻撃隊を編成。
一回目の出撃で大失敗。
そのまま生き延びてソ連捕虜から解放されたあとは弁護士となって幸せな生活、ナチ擁護とホロコースト否定を主張し続け97歳で大往生。
■ハンナ・ライチュ
ナチの女性テストパイロット、ヒトラーに気に入られたので、V1飛行爆弾を特攻兵器化を主張し採用される。その後も特攻隊レオニダス隊の編成を進言し採用、36名のパイロットが軍艦でも航空機でもない、橋に特攻させられ無駄死に。
ライチュはヒトラー自決前にベルリンの総統防空壕逃亡、戦後はグライダーパイロットして人生をおう歌、独身貴族のまま67歳の天寿を全う。
■オットー・スコルツェニー
ライチュと特攻隊レオニダス隊の編成に尽力
当然に終戦時に死なず、捕虜収容所からも脱出、南米でナチ戦犯の脱出に手を貸し、アルゼンチンで会社経営、多大な資産を作り幸せに天寿を全う。
日本軍の特攻は米軍に大損害を与えてマックやニミッツに小便ちびらせた
ソ連の特攻タランはモスクワを守りきった
一方ナチのエルベは(笑)
体当りすらできないナチパイロット
ヒロポンチョコの食い過ぎだな
どんなに日本軍の人命軽視がバッシングされても
【ナチは軽視どころかわざわざ自国民を殺した】で常に完全論破できる。
ドイツ軍の崩壊が進み、将軍たちが部隊に与えることができるのは、信念と全滅だけだった。一般市民も、文字通り最前線に配置された。
オットー・ゲオルク・ティーラック法相は1945年2月15日に略式軍事法廷を設置する命令を発した。
『敵軍が迫りつつある防御領域』に設けられ、『臆病や利己心』のために『一般市民に対する自らの義務を回避』しようとした全ての者に対し『必要な厳しさをもって』対処することとなっていた。
その権限は『ドイツ人の戦闘力と戦意が危機にさらされる行為』全般に及ぶ。
判決は三種類しかなかった。死刑か無罪、あるいは別の裁判所への引き渡しである。
すでに戦争が終盤に入った頃に、ナチは自殺は称賛するようになっていた。
1945年春のドイツには死体があふれ、国中の人々が自殺者を目にしていた。
ドイツ軍の崩壊後、自殺は大衆現象と言っていいほど一般的になっている。
すべてが破壊されたことによる無気力と絶望感から、数万人のドイツ人が自殺するに至った。
メクレンブルクの小さな町テテロウの埋葬記録には120件の自殺の詳細が示されている。
銃、首吊り、入水、服毒に加え、父親が家族全員を殺したあと自殺するケースも多かった。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン陥落1945』
どんな日本軍へのバッシングも【ナチよりは国民を大事にしてた】で常に完全論破できる。
日本軍は沖縄で手榴弾を渡して、自決を促しただけだが
ナチ海軍の名将()デーニッツは『戦闘で死ぬか絞首刑にされるか好きな方を選べ』と国民に窮極の選択()を行わせていたwwwwww
勝算もないのに、戦い続けるため『狂信的な意志』を示すために、ヒステリックな要求が出された。
カール・デーニッツも、もっともけたたましい叫びをあげた一人である。
戦後デーニッツは、自分が部隊とドイツ国民の生存を気遣った責任ある軍指導者だったと主張しているが、
無条件降服のわずか数週間前にあたる1945年4月7日、デーニッツは全海軍士官に最後の最後まで戦うことを求めている
『軍務によっては勇敢で、毅然として、忠実な、敵の行く手を阻む一枚岩になることができる。
そのように行動できないものはろくでなしだ。そんなヤツは【ここにぶら下がってるのは裏切り者】というプラカードをくくりつけて絞首刑に処さなければならない』
Heinrich Schwendenmann『1945年末のドイツ』
航空特攻によるアメリカ軍空母部隊の特攻による損傷艦と死傷者
ナチには無理な芸当だな
【第58任務部隊第1群】[TG58.1]
ワスプ 1945年3月19日九州沖航空戦で大破 戦死者101名 負傷者269名
ベローウッド 1944年10月30日フィリピン戦で大破 戦死者92名 負傷者56名
サン・ジャシント 145年4月6日沖縄戦で損傷 戦死者1名 負傷者5名
【第58任務部隊第2群】[TG58.2]
レキシントン 1944年11月5日フィリピン戦で大破 戦死者50名 負傷132名(沖縄戦開始時は本土で修理中)
エンタープライズ 1945年4月11日及び5月14日、沖縄戦で損傷と大破、合計戦死者18名 負傷者86名
ランドルフ 1945年3月11日ウルシー環礁で中破 戦死25名 負傷者106名
フランクリン 1944年10月30日フィリピン戦で大破 戦死者56名 負傷者14名
【第58任務部隊第3群】[TG58.3]
タイコンデロガ 1945年1月21日台湾沖で大破 戦死者144名 負傷203名(沖縄戦開始時では本土で修理中)
エセックス 1944年11月25日フィリピン戦で中破 戦死者15名 負傷者44名
ハンコック 1945年4月7日沖縄戦で大破、戦死者62名 負傷者71名
バンカーヒル 1945年5月11日沖縄戦で大破、戦死者402名 負傷者264名
カボット 1944年11月25日フィリピン戦で損傷、戦死者36名 負傷者16名
バターン 1945年4月18日沖縄戦で損傷、戦死者9名 負傷者50名
【第58任務部隊第4群】[TG58.4]
イントレピッド フィリピン戦1944年10月30日損傷、1945年11月25日大破、九州沖航空戦1945年3月18日損傷、沖縄戦1945年4月16日大破、戦死者合計97名 負傷者236名
ラングレー 1945年1月21日台湾沖で損傷
【第58任務部隊第5群】[TG58.5]※硫黄島戦時に編成
サラトガ 1945年2月21日硫黄島戦で大破、戦死者123名、負傷者192名(沖縄戦開始時は本土で修理中)
第58任務部隊の20隻の正規空母・軽空母の内、特攻で損害を受けた事のない艦はたった4隻である。
じゃあどれがいい?
・ドイツ戦車や機銃、地雷原の上を二人で一丁の銃で突っ込むロシア兵
・重装備も大した食料もなく、密林(IP)や戦車の前(庭売り)に降ろされるイギリス兵
・最強の零戦の前にデバステーターで突っ込むアメリカ艦攻部隊
・P-47の経験値に過ぎないルフトバッフェ
各国より取り見取りやでぇ
日露戦争では勝った。
白人国家相手に正規戦で唯一勝ったことがある有色人種が日本人。
一方朝鮮人は戦争で勝った経験が無いw
朝鮮戦争では中国軍と戦うことすらできずに逃げ回っていたww
大和魂があるならなんで一億玉砕しなかったんだろうなあ
赤軍は戦車無しで守備隊突破できなかったのか?
一日で占領できると豪語した占守に意気揚々と上陸したけれど一週間足止め
しかも戦況そのものは日本が優位だった
その一週間も本国が停戦したから仕方なく武装解除したものであり
「なんで勝ってる俺らが武装解除されてるんですかねぇ…?」と不満げだった模様
ゲームならば順調に勝てるんだろうが
現実は厳しかったという事か
にしても軍板もチョンモメンに汚鮮されてんな
占守島の戦い
年月日:1945年8月17日-8月21日
場所:占守島(千島列島東端)
結果:ソ連の勝利、8月21日日本軍の降伏による終戦
態々正当さの証明に来てくれるなんてご苦労なこっちゃ
一個も矛盾してないんだよなぁ
要塞七個全部突破した
http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1526621989/
これが歴史だ
アメリカ「友好の証として沖縄返す」
日本「ありがとう」
ソ連「うちも北方領土返す」
アメリカ「あっおいまてい、ソ連から北方領土受け取ったら沖縄返さない」(ソ連とくっつかれたらヤベェんだよ頼むから距離置いてくれ)
日本「・・・」(両方条約ナニソレ大国か…シーレーン的にも後ろ盾的にも主義的にもアメリカかなぁ)
日米安保が機能しとるうちは無理
すなわち永遠にかえってはこない
ソビエト崩壊の混乱期が最後のチャンスだったが御破算
それソースあるの?
日本からすれば海上輸送的にはアメリカだが
対アカの防波堤がそのままアカの前哨基地になる、それだけでもうアメリカにとっちゃ耐えがたい
当時基礎技術が低い中で生み出したT-34シリーズが大きな脅威だった
で、T-54はじめ戦後も傑作戦車を生み出している
一方で日本は基礎技術力が急成長、脆弱だった面影はなくなっていた
そんな状況でくっつかれると?ワケわかんない最強戦車に欧州が焼かれるのは必至
でもって対米戦のノウハウもあり対空対潜に力を入れていて
戦艦を大量処分したアメリカにとってキツ過ぎる展開、核弾頭の高性能化も待ったなし
それどころかワシントンに核ミサイル吹っ飛ばしたりする事も可能になるわな…
ロシアの泣き所である海軍も日本の協力あれば米軍と対抗できるようになる可能性もあるしで
日本が基礎技術にガッツリ投資しはじめたのが70年代、花開いて世に躍進したのが80年代後半
元々ソ連以上のポテンシャルがあった時点で嫌だろ
かつてガラスに気泡が入る戦車で戦ってたソ連が不憫なだけだが
花開いたというより冷戦末期の血反吐を吐くような軍拡競争に巻き込まれずに済んだお陰で
他の先進国が民需設備を更新できない隙に最新設備を買いあさって低燃費車やテレビなど民生品輸出で独り勝ちしただけだ。
ロシアの基礎科学力はかなりスゲェもんがあるし資源の埋蔵量もすごい。日本の得意な生産管理や応用
化学と組めば結構な事になると思うんだよね
ぶっちゃけ、北方領土返すからアメリカと別れろっていうなら、それに乗ってもいいんじゃねとか思う。別に
今更共産主義を押し付けてくることもねぇだろし、てか今のアメリカは北の件みててももう当てにならねぇの
は明白だし、むしろロシアと組めば中国韓国北朝鮮に対してより強いプレッシャーを与えられると思うのよね
きゃつらの経済基盤に食料関連が死んでなければな…
アメリカと事を起こして不況から脱却できるとかでもなければ
steamしながら5ちゃんやってる生活のが美味しい
それはあるね
現在のロシアは将来的にも覇権的な驚異はない。最大の根拠は人口で、ソ連は人口1.8億だったが、ロシアは21世紀1億まで人工減る
で農業がまだまだ伸びる予定で社会経済は安定する。そして覇権リスクがないなら、ロシアを選ぶってのは十分あり得る選択肢
というか、アメリカや中国よりも十分あり得る国だよ。
ここで米中を選択肢に出すのがナンセンスで、選択肢において米中はない。
連中の不義理と横暴を忘れてはいけない。
欧米さえ無ければ今の紛争やら宗教のいざこざはほとんど発生してないからね
http://livedoor.blogimg.jp/dokuritsu_jison/imgs/f/b/fb22e9f8.jpg
これを見るとO3が中国系でO2bは朝鮮系でC3がモンゴル系になる。
そして日本人は明らかにD2系とわかる。D2は日本固有遺伝子として知られているが
日本にはO2b1aと言う固有遺伝子が存在し日本の多くのO2bは朝鮮系ではない。
Y染色体のYAP多型は東アジアでは日本人にしか見られず
ネアンデルタール系の遺伝子が最も多く伝えられているのも日本人である。
つまり朝鮮系とは無関係である。ノーベル賞に差がでるのは遺伝的特徴
小林氏によると、戦時中の機械部品を戦後も製造し続けることはよくあるといい、機械としてはほぼ同一製品に近いとみられる。
L6は船舶用ディーゼルエンジンの燃料ポンプとして量産されており、
小林氏は「漁港の片隅にある古いエンジンにL6が付いている可能性もある。ぜひ情報を寄せてほしい」と話している。
続きはソースで
画像:エンジンの搭載を待つ九五式軽戦車。操行装置はオーバーホール完了している
https://www.sankei.com/images/news/180510/wst1805100041-n1.jpg
産経ニュース
https://www.sankei.com/smp/west/news/180510/wst1805100040-s1.html
なんjとか嫌儲にやられ放題やん
居酒屋で愚痴を言いたいだけ言って
「このたまり場にやってこない上司雑魚~www」とかいうちょっとイってるリーマンと何が違うんだろうかw
張り子の虎やね
せやな
人海戦術で900万人の兵隊集めたのにノルマンディからたった一年で崩壊したナチがどうかしたか?
British, and French forces in the war in Europe follows:
Battle dead Permanently disabled Captured Total
Tunisia 19,600 19,000 130,000 168,600
Sicily 5,000 2,000 7,100 14,100
Italy 86,000 15,000 357,089 458,089
Western Front 263,000 49,000 7,614,794 7,926,794
Total 373,600 85,000 8,108,983 8,567,583
Army Battle Casualties and Nonbattle Deaths in World War II
Atlantic area theaters
Total deaths among battle casualties 177,100
米軍はたった17万人の死傷者で、自軍の何倍もの857万人ものナチをノルマンディから1年足らずで粉砕した
こんな惨敗は人類史上始めてだろう
無駄死にとはナチのためにある言葉だ
水と草で飢えをしのいでも最後は虫に喰われながら死ぬ運命を辿った戦死者が最多数という有様なのでたぶん大自然と戦う軍隊だったんだろうなあ
戦争計画が敵からの収奪だけを期待して成り立ってる前時代バイキングなみのナチがどうかしたか?
西部方面においてと同様に、ドイツ指導部は東部においても電撃的な攻撃と
勝利を見込んでいた。そのため、それに対応する数の捕虜が生じることになった。
東部経済本部部長だったヴィルヘルム・シューベルト陸軍中将の報告からは、
飢餓による捕虜の集団死亡が計画に入れられていたことが明らかになる。
各省の次官に宛てたこの報告は、征服されるべきソ連地域の農業搾取を扱った
ものだった。その中には一九四一年五月二日付けで次のように記されている。
「戦争の三年目(一九四一年から一九四二年にかけて)において全国防軍を
ロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる。この場合、
われわれが必要とするものをロシアから持ち出せば数千万の人間が餓死
することは間違いない。最も必要なのは油種子・油粕の確保と搬出であり、
穀物はその次だ。現存する脂肪と肉は軍が消費すると推定される。」
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P201
>全国防軍をロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる
ナチは初めからあてにあるはずもない占領地からの収奪だけを期待して戦争を始めたwww
敵からの収奪だけを期待して戦争始めたガイジ国家www
一九四五年末、西ヨーロッパ戦線は投降した何百万のドイツ兵で溢れ、東部戦線ではソ連軍との最後の戦いがつづいていた。
西部の大量投降と東部の必死の抵抗は、ドイツ軍最高司令官デーニッツの戦略だった。デーニッツは、一兵でも多くを人道的な取り扱いが期待できる、アイゼンハワー麾下の連合国軍に投降させようとしていた。
だが、その試みは絶望的な結果に終わった。五〇〇万人をこえる捕虜は野ざらしで、立錐の余地もない鉄条網囲いに入れられ、最小限の食糧や衛生施設にも事欠いた。
一九四五年四月以降、仏軍の手にあったものも含めて、約一〇〇万人の捕虜が次々に命を落とした。
このような惨事が米軍のもとで起こったのは、南北戦争時のアンダーソンビル監獄以来のことだった
ジェームズ バグー著 消えた百万人―ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道
日本軍は戦場で最後まで抵抗して餓死したが、ナチ兵は戦いもせずに降参して捕虜収容所で100万人も野垂れ死んでいた
ヒムラーはシュナイデミュール要塞の司令官が退却する兵を射殺し、死骸に『臆病者はすべてこうなる』と書いた札を下げたことを称賛している。
負傷もしていないのに、部隊を離れているところを発見された国防軍兵士はすべて銃殺されることになった。
幻想のなかではドイツはどうにか勝利を収める。そのためには無条件の献身と勝利への信頼があれば十分なのであった。
元帥ヴォルターモーデルはドイツ軍上層部を支配していたイデオロギー的認知症をあらわにしている。
彼らがもっと正気であれば、戦争に敗れるのはわかっていただろうに
ナチスの戦争 1918~1949 リチャード・ベッセル
味方同士で勝手に殺しあって自滅するナチ兵には餓死する暇すらなかった
日本軍は大自然と戦って餓死していたころナチは捕虜収容所と戦って餓死していた
アドミラルティ諸島の日本兵は、一人または少人数ではジャングル最良の狙撃兵であった。
完璧に偽装し・・・米軍な弾の無駄遣いを嘲笑っていた(ある日本兵の評「米兵は何でも撃つ、撃った数に応じてボーナスがもらえるに違いない」)
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P158
「日本軍、ドイツ軍の司令官はともにそのような命令(死守命令)を乱発するが、実際に守られる可能性は日本軍の方が遥かに高い」
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P160
無能な上層部が『天祐を信じて死守命令』を乱発したのは日本軍もナチも変わらなかったが
ナチはその命令を守りもせず戦わずに降参して捕虜収容所で餓死した
ナチ兵にあだ名を付けるなら『全自動餓死兵士』とでも言うべきか(笑)
基地外ジャップは降伏を禁じて最後まで抵抗して餓死したが、世界一の頭脳()を持つナチは戦いもせず降伏して捕虜収容所で餓死した
British, and French forces in the war in Europe follows:
Battle dead Permanently disabled Captured Total
Tunisia 19,600 19,000 130,000 168,600
Sicily 5,000 2,000 7,100 14,100
Italy 86,000 15,000 357,089 458,089
Western Front 263,000 49,000 7,614,794 7,926,794
Total 373,600 85,000 8,108,983 8,567,583
Army Battle Casualties and Nonbattle Deaths in World War II
Atlantic area theaters
Total deaths among battle casualties 177,100
米軍はたった17万人の死傷者で、自軍の何倍もの857万人ものナチをノルマンディから1年足らずで粉砕して、収容所で処分した
こんな惨敗は人類史上始めてだろう
無駄死にとはまさにナチのためにある言葉だ
自軍の兵士の食料すらなかったジャップは慰安婦と呼ばれる売春婦を腹一杯食わせてお金まで払ったが
先進的()なナチは経費削減のため慰安婦を皆殺しにした
連合軍が押収して1946年にニュルンベルク裁判に提出されたドイツの記録文書は、恐怖をあおるためにドイツ人征服者が組織的に強姦したことを立証している。
ボーランド、ユダヤ、ロシアの女たちが強姦され、多くの場合、むごたらしく殺された。
情容赦なく何百人もの少女や女性が迫害され、軍用娼家へ追い込まれ、そこで強制売春に使役された。
いわゆる『慰安勤務』である。
それが管理的に行われた大量殺人の前段階だったこともしばしばだった。
ヘルケ・ザンダー/バーバラ・ヨール著『1945年 ベルリン解放の真実―戦争・強姦・子ども』
また焼かれたいのか?ジャップ!
日本軍より強い()はずのナチ空軍なのに
対ドイツの戦略爆撃の戦闘損失率は全然ショボいんだが(笑)
B-25 0.6%
B-26 0.7%
B-17 1.60%
B-24 1.61%
B-29 1.32%
むしろあれだけ防空戦力注ぎ込んで損失率がB-29とあんまり変わらんのでは、ナチの情けなさだけが際立つな
なおHoIや大戦略では糞の役にも立たないB-17、B-29な模様
お前らが日本本土を射程に収める前にICBMの完成の方が早いんだよなぁ
でも燃やされた歴史は変わらない~
ぼーぼーもえました!消火体制がなってません!
莫大な開発費を投じ、米市民の生活をも困窮させて
何の成果も得られませんでした!とか流石に…なぁ?
まぁ燃えた後は建築ラッシュからの経済復興でウマウマなんですがね^^
>>395
クソザコ米陸軍がT-34にガンガン蹂躙されすぎて
足を止めてる相手にボディーブローかますB-29なんか役に立たなかったんだよなぁ
ましてや生産施設は外国、ソ連と全面戦争?ムリwww
B-29が焼いたであろう物資<<撤退時遺棄した米軍装備のプレゼント とか舐め腐ってるわw
なあなあ!おい!
北方四島は返ってくると思うかい?
で、その戦勝国様は膨大な対日貿易赤字に困窮し
ルーブルも崩壊して、すき焼きおでんを囲う日本人を尻目に強いアルコールで現実逃避
そろそろ海水浴の時期だね~、ロシアも夏場は暑いんでしょ?
…え?海なし県ってレベルじゃない奴が大勢いるの?wしょーがねー国だなぁw
>>403
次戦争起これば帰ってくんじゃね?w
朝鮮戦争でB-29を出したらソ連の空軍にズタボロにされていたが
朝鮮戦争で迎撃する共産軍のMiG-15にバタバタ墜とされたという記述を
山本(筆者)は百回くらい読んだが、調べてみるとトンでもない。
朝鮮戦争の3年間でのべ21000機の出撃中、失われたのは34機。
しかも多数機で出撃した時の損害はゼロに近く、やられたのは
少数機で出撃して多数のMiGに袋だたきにあった時のみ。更に
一度に複数機、墜とされたのはわずかに2回。それもたったの2機と3機。
3機の時は8機のB-29が何と100機のMiGに襲われているのである。(中略)
朝鮮戦争でB-29は共産軍のMiG-15にバタバタ墜とされた?
そんなことを言う奴は共産主義ありがたさの余り目がくらんでいるのであろう。
ズタボロ?
>>395
朝鮮戦争で迎撃する共産軍のMiG-15にバタバタ墜とされたという記述を
山本(筆者)は百回くらい読んだが、調べてみるとトンでもない。
朝鮮戦争の3年間でのべ21000機の出撃中、失われたのは34機。
しかも多数機で出撃した時の損害はゼロに近く、やられたのは
少数機で出撃して多数のMiGに袋だたきにあった時のみ。更に
一度に複数機、墜とされたのはわずかに2回。それもたったの2機と3機。
3機の時は8機のB-29が何と100機のMiGに襲われているのである。(中略)
朝鮮戦争でB-29は共産軍のMiG-15にバタバタ墜とされた?
そんなことを言う奴は共産主義ありがたさの余り目がくらんでいるのであろう。
ズタボロ?
朝鮮戦争で迎撃する共産軍のMiG-15にバタバタ墜とされたという記述を
山本(筆者)は百回くらい読んだが、調べてみるとトンでもない。
朝鮮戦争の3年間でのべ21000機の出撃中、失われたのは34機。
しかも多数機で出撃した時の損害はゼロに近く、やられたのは
少数機で出撃して多数のMiGに袋だたきにあった時のみ。更に
一度に複数機、墜とされたのはわずかに2回。それもたったの2機と3機。
3機の時は8機のB-29が何と100機のMiGに襲われているのである。(中略)
朝鮮戦争でB-29は共産軍のMiG-15にバタバタ墜とされた?
そんなことを言う奴は共産主義ありがたさの余り目がくらんでいるのであろう。
ズタボロ?
わが皇軍が竹槍で撃墜したB-29が494機
アカがミグで撃墜したのがたった34機wwwwwwwwwwwww
サルを燃やした英雄を称えよ
ふたを開けたら軍艦は海の底
戦闘機はバタバタおとされ
陸兵は畜生のエサ!
北方四島を支配する大ロシアに感謝する日々であります!
シベリア旅行をありがとう!
ドイツにケーニヒスベルク、フィンランドにカレリア地方、ルーマニアにベッサラビアを返還しなくちゃならんしな
ロシア帝国領という意味合いならポーランドはロシアに含まれるが
今頃気付いたのか?ここは待合室なんだよ。ほら、いつもの病院の待合室の隅っこで小説読んでるイケメンいるだろ?アレ俺だから今度会った時よろしくな>>407
お前、街うちの病院だってのに黒ポロにマルチカムのパンツは居てくるオサレPMCだろ?
>>406
なんとなくだけど、大規模な経済支援とかを確実に獲得できる保証があるなら、いまのロシアならむしろカネ積めば売ってくれそうな気もするなそれぞれw
まぁ、ケーニヒスベルクは講和で勝ち取った物だからなぁ…
ドイツ自身もどこまで領土を取り戻したいものやら(西はオイペン・マルメディにルクセンブルク、アルザス・ロレーヌ)
カリーニングラードは口に出さないし法律で領土と規定しとらん
まあ自業自得よな
そもそもヨーロッパ全体が先住民から土地強奪した奴らばっかじゃんw
最終的にさかのぼれば最初の持ち主の子孫皆殺しにしてたオチだろどうせw
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1527039267/l50
それなら日中戦争はただの内戦じゃな!
南京?晋滅亡時から続く伝統、1,2回増えたって変わりはしないよw
むしろその後大粛清からの一人っ子政策だろう?減らしたがってるの手伝ってやったんだから感謝してほしいくらいだw
え?25万の都市にて3000万虐殺じゃ足りなかった?しょーがねーなお前んちは…
今度やりあうことが合ったら「逃げるな、突っ込め!」とでも命令してやってくれ
本当に好き勝手やってるな。
朝鮮民族が世界史的に意味が無いのは間違いないよな
列強にもなったことないし、今後中国やロシアに勝利したり
アメリカと戦争することもないだろ。まだモンゴルのほうが世界史に登場するわ。
世界史に栄誉ある立場で現れることは永遠にないだろう。
朝鮮民族が古代から近現代、未来にいたるまで世界に尊敬される可能性は一切ない。
本当はわかっているんだろう。日本の歴史が悔しくてならないのだろう?
国籍に縋り付いて自分を慰めているんだろw
日独両国の戦争目的
東條英機
「大東亜戦争ノ目標トスル所ハ我肇国ノ理想ニ淵源シ大東亜ノ各国家、
各民族ヲシテ各々其所ヲ得シメ皇国ヲ核心トシテ道義ニ基ク共存共栄ノ新秩序ヲ確立セントスルニ在ル」
↑
本音は資源ほしいわだろうけど国の方針だから建前言うよなあ
ヒトラー
「共産主義者は初めから終わりまで仲間では無い。これは絶滅戦争である。
そう心しておかなければ、敵を負かしたとしても、30年もすれば再び共産主義の敵と対戦することになるだろう。
我々は敵を保護するための戦争をしているのではない。」
↑
なんだこれ?国のトップの戦争目的がこれってガイジの集団かよ
大陸打通作戦の大勝利は、太平洋戦争の大敗北を吹き飛ばしてしまった!
ロシアが欧州から仲間はずれなのも元々産業革命が遅く基礎技術が低いってのもあるが
決定的になったのは日露で有色人種に負けたクソザコ国家のイメージを
ずっと被ってるからっていうじゃんか
>>424
だいたいGHQのせい
昔は
兵士は敵より少ないぞ、弾薬敵より足りてない、装備も敵より劣ってる~だけど闘志は負けてない!でやる以外になかった
(アメリカの徴兵数、割合は日本より多かった)
今は
昔があれでやってたんだからこの予算で今もやれるよね?(貯金を抱えつつ)だからずっと性質が悪い
>ロシアが欧州から仲間はずれなのも元々産業革命が遅く基礎技術が低いってのもあるが
ドイツ大統領はソ連軍への『感謝』のお言葉を述べているが?
ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の代表者達だったが、そればかりではない。
それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さなくてはならない。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという
事実でさえも、そうした気持ちに影響を与えるべきではない。一部の観測筋は疑っているようだが、私には、
ロシアにもロシア人に対しても問題はない。」
http://jp.sputniknews.com/europe/20150502/284616.html
・・・それがどーした?
ドイツ人はソ連軍に感謝してるのに、何で日本人はソ連軍に感謝しないんですか?
偉大なるロシアの慈悲により
負け犬ジャップでも北方四島の墓参りさせてもらえてウレションじゃーじゃーでございます~
人類史上最悪の犯罪者集団ナチを叩きのめしてすりつぶして劣等ゲルマン民族に高貴で優秀なスラブ民族のDNAを埋め込んだ(レイプで)ソ連は人類が存続する限り褒め称えるべきだな
それに対して叩きのめされて踏み潰されたナチの弱さときたら(笑)
スターリングラード攻防戦に投入される以前、チュイコフは軍事顧問団の団長として、中国で日本との戦いを支えていました。
チュイコフがスターリングラードで取った戦法は、中国での日本との戦いの経験から得られたものだったのです。
このように、スターリングラード攻防戦を勝利に導いたのは、ノモンハンや中国での、日本との戦いの経験があったためです。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2006/01/15/212449
チュイコフは、このとき四二歳。大戦勃発のとき、中国の大使館付き武官をつとめており、一九四二年三月に帰国した
ばかりであった。彼は七月まで作戦に参加しなかったが、それ以後は、非常によく活動した。果断、誠実、そして楽天的な男であった。
スターリンは、もちろんこの任命を承認した。彼はエレメンコに「君は、彼をよく知っているかね」と訊ねただけであった。
エレメンコは「チュイコフは指揮官として信頼できる男だとおもっています」と答えた。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU/sobiet5.htm
シナ軍の白兵戦術を学んだ赤軍に敗けたナチ
日本軍>>シナ軍>>ソ連軍>>>>>ナチ
ソ連軍>ナチ>>>>>>>>ジャップ 支那
なんだよなぁ
戦いもせずに降参して捕虜収容所で勝手に野垂れ死んでいたナチがどうかしたか?
捕虜になるのを許さず人跡未踏のジャングルで50万人死なせたバカジャップより遥かにマシだねwww
ジャップは捕虜なった後の教育をしていないから機密をペラペラしゃべる
挙句に米兵と同じ航空機に乗り込み 上空からジャップ軍陣地の位置を米兵に教える者もいた
本人は案に反して捕虜生活の待遇が良く日頃お世話になってる米軍に対する恩返しのつもりなんだろうか?冷静に考えるととんでもない行為をしているという自覚がないw
あるいは捕虜になってしまったから後は野となれ山となれといった自暴自棄な行動なのかw
ナチはしゃべる前に野垂れ死んでたからな
まさにゴキブリなみ
ヤンキーがジャップの捕虜を厚遇していた頃
ナチは捕虜をホモと障害者とジプシーとユダヤ人と一緒に収容所にぶちこんで強制労働させていた。
ジャップ軍は大ソビエト軍の参戦により瞬殺された
これが歴史だ
ソ連は偉大だった、大日本帝国も偉大なソ連と手を組んで、シナを瞬殺して満州を献上した後
人類の敵のナチを擂り潰してヨーロッパ大陸を日ソ仏で分割すべきだった
日ソ不可侵条約ではなく日ソ軍事同盟を締結すべきだったな
それにしても銃をボールに換えて戦う日が来るとは。
皇軍最新鋭九九式歩兵銃の一発に魂込めたところでどうにもならんレベル
皇軍最新鋭九九式歩兵銃の一発に魂込め、中国人の脳天をブチぬいたってことかい?
T-34を8万・・・?
何処の火葬戦記だ
> ソ連軍のT-34だけで八万輌近く製造。戦後早々にAK47とT-54配備開始はガチレベル。
>皇軍最新鋭九九式歩兵銃の一発に魂込めたところでどうにもならんレベル
15日の時点では、満州の主要都市は陥落していなかった
15日の時点では、満州の主要都市は陥落していなかった
15日の時点では、満州の主要都市は陥落していなかった
圧倒的な兵力差
関東軍は急遽、在郷軍人から一般人まで含め、74万人を動員したほか、戦車200輌、航空機200機、
火砲1000門を有していたが、訓練不足、物資不足で、事実上の戦力は数字を大きく下回った。
一方、ヴァシレフスキー率いるソ連軍は、兵員1,577,725人と火砲・迫撃砲26,137門、戦車・自走砲5,556両、
航空機3,446機と、関東軍を圧倒した
関東軍は、臨機応変に後退し、避難民撤退の時間稼ぎをしながら、持久戦を展開した。
ソ連軍は、8月13日に牡丹江を占領したが、15日の時点では、満州の主要都市は陥落していなかった。
https://jp.rbth.com/arts/2013/08/08/44445
満州の主要都市は陥落していなかった
別に日本軍の抵抗で進撃が停滞したわけでもないのにアホくさ
>別に日本軍の抵抗で進撃が停滞したわけでもないのにアホくさ
『日本軍は1月11日にタラカンとメナド、1月25日にバリクパパン、1月31日にアンボン、
2月14日にパレンバンと快進撃を続け、3月1日に最終目標のジャワ島に上陸した。』
>15日の時点では、満州の主要都市は陥落していなかった
>別に日本軍の抵抗で進撃が停滞したわけでもないのにアホくさ
≪児島襄「参謀(下)」のジョゼフ・スチルウェル編より引用≫
「“ピーナッツ”は偏屈で恩知らずの小さなガラガラヘビだ・・・・ (中国政府は)
自分たちだけのことしか考えないならず者の集団だ。指導者たちの興味は、
ただ金、権力、そして地位だけだ・・・・。手に入るものには何でも頭を下げ、
自分は戦わないように心がける・・・・。“インテリ”と金持ちは子どもを米国に送り、
農民の子どもが戦争に かりだされる。しかも注意も訓練も指示も与えられずに死んでいる。
われわれは、この腐敗した政府を支持し、その偉大なる愛国者兼戦士
“ピーナッツ”に栄光を与えるために、戦おうとしているのだ―おお神よ!! 」
≪中略≫
当時の米軍は、日本軍と同じく、行軍距離単位は四キロであったが、
その米式訓練をうけたはずの、いやボートナー准将自身がその訓練をした孫部隊は、
一キロ歩いては休み、次に一キロ進んではごろりと道端に寝転がる。
しかも、頭上に英軍機が飛来して補給物資を投下すると、隊列を
乱してむらがり、悲鳴をあげつつ、下着に利用するパラシュートを奪い合う。
≪中略≫
孫部隊は狂喜した。中国大陸で負けつづけ、日本軍といえばかなわないものと信じていたのに、
その日本軍がひきあげたのである。勝った、勝ったと小銃を空に乱射しておどりあがった。
ところが、勝ちに乗じた勢いで快進撃するものと期待していた孫部隊は、
たしかに前進は開始したものの、そのスピードは以前にもおとる低速であった。
そして、昭和十九年一月二十九日、孫部隊はついに完全停止した。
ボートナー准将の急報によってかけつけたスチルウェル参謀長は、にこやかに迎える
孫少将の顔をぼう然と眺めながら、考えこんだ・・・・なぜ、前進しないのか?
≪中略≫
スチルウェル参謀長は、孫少将にかみついた。
「明らかに命令違反である。よろしいか。貴下の第三十八師団は、 全中国軍のなかで
とびぬけて優良な兵器、弾薬、糧食の補給を受けている。 足りないというのなら、
迎撃砲も、火炎放射器も、米兵だってさしあげる。 だが、命令に従うのが条件だ・・・・
もし自分の使命が達せられないようなら、辞職してワシントンに報告せざるをえない」
>別に日本軍の抵抗で進撃が停滞したわけでもないのにアホくさ
?
『1950年6月25日午前4時(韓国時間)に、北緯38度線にて北朝鮮軍の砲撃が開始された。』
『6月28日、ソウルは北朝鮮軍の攻撃により市民に多くの犠牲者を出した末に陥落した。この時、
命令系統が混乱した韓国軍は漢江にかかる橋を避難民ごと爆破した(漢江人道橋爆破事件)。』
>関東軍は、臨機応変に後退し、避難民撤退の時間稼ぎをしながら
モロトフが日ソ中立条約の延長拒否の声明
スターリンが日本を侵略国家と非難し東部へのロシア軍の大規模移動を察知していながらソ連参戦はないと信じていた日本は大間抜けか現実逃避の思考に陥ってたのか
列車は高級軍人の家族、官僚の家族の順で退避させ残された数十万の開拓団は男は根こそぎ動員で兵にとられ残された者だけで自力で逃げるほかなく ソ連軍の追撃 中国暴徒の襲撃 病気 自決などで次々死んでいった
戦後 関東軍の元将校達はそれを批判した元開拓団の人達を呼びつけ「あれは作戦のためであって軍や官僚の家族で用意が整っていたからすぐ出発させただけだ!おまえらに何がわかる!」
と怒鳴りつけた(軍や官僚の家族内だけでソ連参戦の情報を共有し 開拓団の民間人には混乱を起こさないように知らせなかっただけ 酷い)
戦争に負けて国策で送り込まれた民間人をあんな目にあわせてよく誇れたもんだな
しかも関東軍司令官の山田乙三大将は日本兵捕虜をソ連の使役に好きに使ってくれと差し出した国賊だよ
スターリンの対日参戦の決意はアメリカやイギリスに対する義務でなく、まして軍国主義に対する民主主義の勝利の理念からなどではなく自分自身の野心を成就せんとするものであった
スターリンの願い通り ソ連は日露戦争で失ったものを取り返すしただけでなく 日本固有の領土(北方諸島)と55万人に昇る人的資源(捕虜の強制労働)を獲得したのである
日本はスターリンの思惑については何ら知る事はなかった それどころか米英との停戦交渉の仲立ちをソ連に依頼するほどのお人好しぶりだった その交渉の為の要綱案が残されている それを読むと実に唖然とした事が書かれている
「国土については 固有本土を以って満足す
最下限は沖縄、小笠原、樺太を捨て千島は南半分を保有することとす」
沖縄 小笠原を放棄し強制労働に国民を提供しようというものであるから驚くほかない
>それどころか米英との停戦交渉の仲立ちをソ連に依頼するほどのお人好しぶりだった
ならドイツ人はソ連軍に感謝してるのに、何で日本人はソ連軍に感謝しないんですか?
ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の代表者達だったが、そればかりではない。
それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さなくてはならない。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという
事実でさえも、そうした気持ちに影響を与えるべきではない。一部の観測筋は疑っているようだが、私には、
ロシアにもロシア人に対しても問題はない。」
http://jp.sputniknews.com/europe/20150502/284616.html
>それどころか米英との停戦交渉の仲立ちをソ連に依頼するほどのお人好しぶりだった
5月20日、ソ連政府はそれまでのフレンスブルク政府について考えられていたことを白紙にした。
彼らはデーニッツ政府(彼らは「デーニッツ・ギャング」と呼んだ)がどんな権力を持つことも許さず、
どんな考えでも厳しく批判、これを攻撃した。プラウダには以下の通り記述された。
デーニッツ周辺のファシストギャングどもの威信についての議論はまだ続いており、
いくつかの目立った連合軍の集団はデーニッツとその協力者の「活動」を利用することを必要と考えている。
イギリス議会でこのギャングどもは「デーニッツ政府」と呼ばれている。(中略)反動的な新聞
『ハースト』の記者はデーニッツの兵籍編入を「政治的に賢明な行為」と称した。このように、
ファシストの物書きどもはヒトラーの弟子たる略奪者と協力することを正しいと考えている。同時に、
ドイツの右翼が差し迫った混乱に似たおとぎ話を作り出したとき、1918年のドイツが条件付けたことを
大西洋両側のファシスト報道機関は広めようとしている。その後、降伏の直後、無傷のドイツ軍部隊が
東方で新たな冒険に使われた。現在の政治活動にも似たようなものが存在し、連合軍の多くの反動的な
集まりはクリミア会議に基づいた新たなヨーロッパを作ることに反対している。これらの集まりはファシスト
体制の維持を考えており、すべての自由を愛する国々の民主主義の成長を阻害する手段を取ろうとしている。・・・(後略)
>スターリンの対日参戦の決意はアメリカやイギリスに対する義務でなく
スターリン元帥は、これらの条件が満たされない場合、自分とモロトフにとり、なぜロシアが対日戦争に参加しなければ
ならないのかソヴィエト国民に説明するのが困難となるのは明らかである旨述べた。彼らは、ソ連邦の存在そのものを
脅かしたドイツに対する戦争は明確に理解したが、何ら大きな問題を抱えている訳でもない国を相手になぜロシアが
戦争に入るのか理解しないであろう。他方、彼は、もし政治的諸条件が満たされれば、国民は右に関わる国益を理解し、
かかる決定を最高会議に説明することも格段に容易となろう、と述べた 」。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/1992.pdf
「間違えると北海道までソ連に占領されていた」との発言は、全く歴史に反した、冷戦時代の悪質な
反ソ宣伝の焼き直しである。 そもそも、長崎原爆投下は、ソ連参戦の後に行われているので、
ソ連参戦を阻止するためでないことは、はっきりしている。広島原爆投下の後も、日本政府はポツダム宣言
を受諾していないが、ソ連が参戦すると、あわててポツダム宣言を受諾した。このことからも、
日本のポツダム宣言受諾に、ソ連参戦は決定的に重要だったことがわかる。
<中略>
イエナには世界最大の光学機器メーカー、カール・ツアイスの本部があった。イエナはチューリッヒ州にあるため、
ソ連占領地であることが合意されていた。ところが、ソ連の占領がもたついたため、カール・ツアイスの確保をもくろんだ米国は、
イエナをいち早く占領してしまった。しかし、ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。結局、
実際の現場のドサクサ紛れの占領よりも、首脳間の合意が優先するという、当たり前の結末に至っている。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2007/07/01/1617254
>それどころか米英との停戦交渉の仲立ちをソ連に依頼するほどのお人好しぶりだった
当たり前ジャン。
ドイツは、ファシズムからの国の解放で赤軍が決定的な役割を演じたことを覚えている。
ドイツのメルケル首相が、ロシアのプーチン大統領との会談後に述べた。タス通信が伝えた。
メルケル首相は、「ドイツは開戦の責任を負っている。これは私たちの歴史的責任だ。
私たちは、赤軍がドイツ解放で決定的な役割を演じたことを常に思い出すでしょう」と語った。
http://jp.sputniknews.com/russia/20150511/319933.html
↑
ドイツ解放に決定的な役割を演じたのは赤軍なんだからさ!
>日本固有の領土(北方諸島)
もし大日本帝国の旧領土たる北方領土を返せってなら、同時に台湾も返せって言わなきゃおかしいでしょ?
日本は降伏文書に署名し、日本の主権は、本州、九州、四国、北海道と小島に制限された
ポツダム宣言を受け入れた。南クリルの択捉、国後、色丹、歯舞はソ連領土となった。
http://japanese.ruvr.ru/2012_09_02/roshia-dainijisekaitaisen-shuuketsu-no-hi/
○小坂国務大臣 政府委員から補足させまするが、カイロ宣言の中には、その南樺太並びに千島という部分は
入っておらないことは御指摘の通りであります。ただ、これを受けてできたポツダム宣言の中において、連合国が
日本の所有する領域をきめるということになっておりまするので、連合国の主張に従って無条件降服をした日本の
立場として、南樺太並びに千島を放棄したということであります。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/039/0514/03910110514008a.html
ソ聯領におもむく意図を以て、有効な旅券を所持せず従つて旅券に入国審査官から出国の
証印を受けないで、判示海岸から右B所有の漁船Aに同人と共に乗船して出航し、
同日夕刻頃ソ聯領下の国後島沖合一五〇米位の海域に到達したものであること原審
認定のとおりであつて、原審の事実認定に誤りは存しない。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319120139890464.pdf
ちなみにナチスと結んで米英を攻撃した日本は「無条件降伏をしたのに、北方領土を返還しろ」と主張してるのに、
ナチスと結んでソ連を攻撃したフィンランドは「有条件降伏をしたからカレリアを返還しろ」とは言わない。
クリミアは住民投票の結果ロシア領土になったという主張と、北方四島は日本が無条件降伏した結果ロシア領土になったいう主張は、
どちらが正しくてどちらが間違いなのか、あるいは両方間違いなのか両方正しいのか。
>戦争に負けて国策で送り込まれた民間人をあんな目にあわせてよく誇れたもんだな
一九四四年四月、日本軍は一五個師団に五個旅団を合わせて侵攻を開始した。
これを迎え撃つべき中国軍三〇万は、あっという間に姿を消してしまった。
五百人ほどの日本軍部隊に、何千という中国軍部隊が敗走させられた。中国軍
の指揮官たちは、自分たちの家族と財産を奥地に避難させるべく、トラック
隊を指揮した。シェンノートは、もしスティルウェルがもっと十分な「貸与法」
物資をこれらの中国軍部隊に与えてくれたら、こんなことにはならなかったはず
だと主張した。しかし、実際はこれらの部隊はたっぷりとアメリカの物資が供給
され、指揮官たちはそれを闇市や日本軍に売りとばしていたほどだったのだ。
<「宋王朝 下」(スターリング・シーグレーブ サイマル出版会)>
>戦争に負けて国策で送り込まれた民間人をあんな目にあわせてよく誇れたもんだな
残念!
満州国人口に占める日本人の割合は僅か3.5%で、残りは中国人と朝鮮人www
国務院総務庁と治安部警務司の統計では1940年(康徳7年)10月1日の満洲国の人口は4108万0907人、
男女比は120:100[41]。国務院国勢調査では[42]、同時期の満洲国の人口は4323万3954人、
男女比は123.8:100であった[41]。統計に開きがあるのは、警察戸口調査においては現住人口調査主義[43]を、
臨時国勢調査においては現在人口調査主義[44]を採用したことによる[45]。
人口の構成としては、
全人口 全人口に占める割合
満洲人(漢族、満洲族) 38,885,562人 94.65%
日本人 2,128,582人 5.18%
その他外国人(白系ロシア人を含む) 66,783人 0.16%
上記の「日本人」の中には、130万9千人の朝鮮人を含む。台湾人は朝鮮人に含まれている[41]。
上級国民がしでかした事を被害者の下級国民の子孫が弁護w
肉屋を支持する豚ワロタ
>上級国民がしでかした事を被害者の下級国民の子孫が弁護w
朝鮮戦争とかいうくっそおもろい戦争
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1519642595/
>上級国民がしでかした事を被害者の下級国民の子孫が弁護w
大陸打通作戦を誇りに思わない日本人は居ないはずだが?
>戦争に負けて国策で送り込まれた民間人をあんな目にあわせてよく誇れたもんだな
満州国人口の大半は中国人と朝鮮人で、日本人は僅かだからw
>戦争に負けて国策で送り込まれた民間人をあんな目にあわせてよく誇れたもんだな
中国領土にある1945年の戦場
中国領土にある1945年の戦場
中国領土にある1945年の戦場
退役将軍のタラス・シュドロ氏は、ラジオ「スプートニク」の記者に、欧州諸国でネオナチが台頭し、ロシアの兵士
たちの記念碑が破壊されていた時、中国の国民は、自分たちの解放者の記念碑を大事に守っていたと述べた。
1945年8月、19歳だったシュドロ氏は、中国北東部で日本の関東軍の粉砕に参加した。
「私たち第二次世界大戦に参戦したロシアの退役軍人たちは、中国領土にある1945年の戦場を訪れています。
私たちは、ロシア人墓地があるほぼ全ての大都市を訪れることができました。ハルビンや、そしてもちろん、
ロシアとソ連の兵士が埋葬されている中国最大の墓地があるポートアーサー(旅順)などを訪問しました。
記念碑と墓地は全て管理され、素晴らしい状態にあります。私たちはこれに対して中国政府と中国の国民に
心から感謝しています。そして戦後の中国の発展や中国が成し遂げた成果をとても嬉しく思っています。
そしてその一部に私たちが参加したことを誇りに感じています」。
https://jp.sputniknews.com/life/20150901834535/
海没含めてこんな酷い軍隊稀だわw
日本人は中国人よりは圧倒的に優秀だが?
藤原彰の『餓死した英霊たち』によれば日本軍の80%は餓死・病死
確かにこれはむごい話だが、だがちょっと待って欲しい
日本軍の15年戦争での軍人軍属の戦没者は210万人、内大陸の中ソ相手に70万で英米相手に140万人、この2割が戦闘による戦死者だから28万人
一方、米軍の太平洋戦域での戦死者は17万、英蘭印豪らの合計を米と同数と仮定すると、シナ軍とソ連以外での連合国軍の戦死者ら35万人
また日本軍の戦没者には海軍や海上移動中の兵士が多く含まれているのに対して、連合国軍の死者には餓死病死は殆どいないから、
純粋な戦闘での死者は藤原彰の本が正しいとなると、連合国軍の方が圧倒的に多くなる
で、連合国軍は圧倒的な物量を投入してこの有様なんだから、白兵戦でのキルレシオは日本軍無双と言っていいレベルだったろう。
藤原彰は日本軍を貶すつもりが、図らずも日本軍の戦闘での無類の強さを証明することになった。
食糧が足りていたら、日本軍は確実に戦争に勝っていたというのが藤原彰の結論だったと思われる。
>米軍の戦死者は17万 英蘭印豪らの合計を同数と仮定すると
17万?もっと低いんじゃないのかwしかも勝手に他の連合軍の死者を同数と仮定するなんていいのかね?
日本軍へのいかなるバッシングも【日本軍はナチより圧倒的に強かった】で常に完全論破できる。
アメリカ軍の公式戦史によれば、全戦死傷者数は 4 万 9,133 人(うち死者・行方不明者が
1 万 2,520 人)に上った。別の戦史によれば、地上戦における全戦死傷者数は 3 万 9,262 人
(うち死者 6,319 人)で、それに加え「非戦闘死傷者」が 3 万 3,096 上ったという。
フランクは次のように述べる。「このように、アメリカの全死傷者は 7 万 7,358 人にも達した。
訓練を受けた[沖縄の:引用者注]防衛部隊の総兵力が 7 万 6 千人であったことを考慮すれば、
これは、日本本土上陸作戦を準備しているさなか、とてつもなく不吉な指標である」
トルーマン大統領は、本土侵攻作戦に関するブリーフィングのために召集した会議において、
「日本本土のいずれにおいても、沖縄が再現されないことを望む」と述べていた。
日本本土侵攻作戦の見通しそのものが明るかったと断言することは困難であろう。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/16672/1/fujita_2014_bun.pdf
ハーバード大学卒業、冷戦下にモスクワ大学に留学歴があり、世界史の著作を多数執筆している歴史家
ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan:
The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、
極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、
ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、
優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)
このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう。」
とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%E7%B8%E6%A6
自動小銃とタイガー戦車のナチ武装親衛隊機甲師団<<<<<<<<<<<<<<38式小銃とチハの大日本帝国陸軍第32軍
ナチ人弱すぎだろ
日本を(フィリッピン等占領された)これら地域から排除することは簡単な仕事では無かった。
大日本帝国の兵士達の降伏率は大戦を通じて驚くほど低く1~3%だった。しかも
そのうち自発的なものはその3分の1だ(残りは自殺できないほど負傷した者)。
その結果太平洋戦線での米国兵の損耗率は欧州戦線と比較して3.5倍に達した。
Removing Japan from these lands – which fell primarily to the United States- proved
no easy task. Imperial Japanese soldiers surrendered at appallingly low rates.
According to some sources, only one to three percent of Japanese forces surrendered
throughout the war, and only one third of these troops actually wanted to surrender
(the rest were too sick or wounded to commit suicide or continue fighting.)
As a result, most estimates suggest that America’s casualty rate in the Pacific
theater was about three and a half times larger than in Europe
http://nationalinterest.org/feature/the-5-most-precarious-us-allies-all-time-12075
The 5 Most Precarious U.S. Allies of All Time
米にとって最も危険だった同盟国 ナショナルインテレスト誌 2015/01/21
そのジャップより弱いナチ人ってなんだ?
猿以下だからボウフラぐらいか?
どんなに日本軍がバッシングされても
【ナチよりははるかに計画的に戦争してた】の一言で常に完全論破できる。
西部方面においてと同様に、ドイツ指導部は東部においても電撃的な攻撃と
勝利を見込んでいた。そのため、それに対応する数の捕虜が生じることになった。
東部経済本部部長だったヴィルヘルム・シューベルト陸軍中将の報告からは、
飢餓による捕虜の集団死亡が計画に入れられていたことが明らかになる。
各省の次官に宛てたこの報告は、征服されるべきソ連地域の農業搾取を扱った
ものだった。その中には一九四一年五月二日付けで次のように記されている。
「戦争の三年目(一九四一年から一九四二年にかけて)において全国防軍を
ロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる。この場合、
われわれが必要とするものをロシアから持ち出せば数千万の人間が餓死
することは間違いない。最も必要なのは油種子・油粕の確保と搬出であり、
穀物はその次だ。現存する脂肪と肉は軍が消費すると推定される。」
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P201
>全国防軍をロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる
ナチは初めからあてにあるはずもない占領地からの収奪だけを期待して戦争を始めたwww
敵からの収奪だけを期待して戦争始めたガイジ国家www
バイキングかよwwwwwwwww
どんな日本軍へのバッシングも
【米兵は楽勝なナチ狩に行きたがった】で常に完全論破できる。
兵士の多くが一八歳の少年だったことから「ダイアパー」(おむつ)師団とのあだ名をちょうだいした
第七十五歩兵師団は、一九四四年の秋、ケンタッキー州ブレッケンリッジ・キャンプで戦闘訓練を
終えようとしていた。元一兵士のハーヴィー・カッツは回想する。
「ある日、われわれは列車に乗せられた。そして、全員じっと座ったまま、列車は西へ行くのだろう
か東へ行くのだろうかと考えていた。東へ向かっているのがはっきりしたとき、誰もが歓声を上げた。
行く先はヨーロッパだとわかったからだ」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 トーマス・アレン ノーマン・ボーマー 181頁>
GIたちはジャップとの死闘よりもフランス観光がてらのナチ狩りに行きたがった
楽勝だしな
いかなる日本軍へのバッシングも【戦後のドイツ人がナチより遥かに善戦したと認めている】のひと言で常に論破できる。
第二次世界大戦終了後の連合軍による日本とドイツに対する処遇も極めて異なっていました。日本は一九四五年に、
二度にわたる原子爆弾の投下を体験した世界で唯一の国です。しかし、失われた人命に比べると、
領土はさほどでもありません。反対にドイツの場合は広大な領土を失ったのみならず、終戦直後は四分割され、
その後二分割の状態が長年つづきました。日本はネーションとしての統一も、中央政権の統一も維持することが許されました。
日独間で完全に同様のことといえば、多くの人命が失われたことです。
ベルリン日独センター設立25周年記念
2010年10月20日にヘルムート・シュミット元首相記念講演会
http://blog.goo.ne.jp/tanemakuhito1921/e/e1d694b9319069d30dfa1fea949a99b3
ただシュミットが勘違いしているのは、日本が失った人命は15年戦争で310万人だが、ナチはたった5年で1000万人だから負けのレベルが違いすぎる。
人類史上空前絶後の惨敗がナチ
310万人の犠牲者の90%は太平洋戦争
すなわち15年戦争の内 僅か3年8ヶ月に過ぎない米英との戦争で失われたものだけどなw
ドイツは最初から米英露仏といった列強相手に5年間激闘の末にギブアップ
ジャップはほぼアメリカ単独相手にして3年8ヶ月で白旗かよw(しかもアメリカは対ドイツ戦の方に力を傾注していた状態)
ジャップさぁ おまえらがノモンハンで尻尾巻いて逃げたロシア軍相手にドイツは人類史上最大最悪の殲滅戦繰り広げたんだぜw
おまえらは雑魚支那兵と乳繰り合ってるのがお似合いだよw
ほぼ米軍単独と戦ってんのならせめてドイツより米軍に与えた損害を上回らなきゃ駄目だろw
>おまえらは雑魚支那兵と乳繰り合ってるのがお似合いだよw
朝鮮戦争の米軍がですか?
大陸打通作戦の大勝利は太平洋での敗北を帳消しにしてしまった
>おまえらは雑魚支那兵と乳繰り合ってるのがお似合いだよw
下手なセックス(太平洋戦争)よりも上手なオナニー(大陸打通作戦)のほうが気持ちがいいに決まってるだろう?
日本人の軍刀は先祖代々の霊魂が込められており、中国人どもは血しぶきをあげて斃されていった。
それはまさに地獄の亡者が次々と涌いてきては鬼に虐殺される光景で、日本人として誇らしい。
優れた日本人と劣った中国人、このすがすがしい優越感を、いつまでもいつまでも噛みしめていきたい。
軍刀なんて持つ必要あまりなかったよね
(´・ω・`)
中国人なんてゴミみたいなものだ。
いかなる日本軍へのバッシングも【ナチはただの野垂れ死にだが日本兵の死には意味があった】のひと言で常に論破できる。
1945 年までに、日本陸軍の持つ力は敵に死傷者を生じさせる能力のみになっていた。
その能力は、日本陸軍の戦略を躱し、安価に日本を破る手段として原子爆弾を使用するという
アメリカの決定に影響を及ぼしたが、また、無条件降伏の要求を取り下げ、代わりに皇室と
従来の国家体制の一部を維持するという条件付き和平を採用することも決定された。この
状況は日本のエリートと国民に、ドイツ人が受けた権利から比べると、自らの運命
を制御するはるかに大きい権利をもたらした。日本の戦力と戦闘は実際のところ、
若干の政治的目標を達成したのである。敗北によってある種の勝利を得たのである。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf
支那の3500万人の犠牲は常任理事国に繋がった
大日本帝国の310万人の犠牲は政治的目標を達成した
しかし
ナチのファシスト1000万人の死者は無駄死にの犬死に過ぎなかったのだ
一九四五年末、西ヨーロッパ戦線は投降した何百万のドイツ兵で溢れ、東部戦線ではソ連軍との最後の戦いがつづいていた。
西部の大量投降と東部の必死の抵抗は、ドイツ軍最高司令官デーニッツの戦略だった。デーニッツは、一兵でも多くを人道的な取り扱いが期待できる、アイゼンハワー麾下の連合国軍に投降させようとしていた。
だが、その試みは絶望的な結果に終わった。五〇〇万人をこえる捕虜は野ざらしで、立錐の余地もない鉄条網囲いに入れられ、最小限の食糧や衛生施設にも事欠いた。
一九四五年四月以降、仏軍の手にあったものも含めて、約一〇〇万人の捕虜が次々に命を落とした。
このような惨事が米軍のもとで起こったのは、南北戦争時のアンダーソンビル監獄以来のことだった
ジェームズ バグー著 消えた百万人―ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道
日本軍は戦場で最後まで抵抗して餓死したが、ナチ兵は戦いもせずに降参して捕虜収容所で100万人も野垂れ死んでいた
どんなに日本軍がバッシングされても【ナチは捕虜収容所というゴキブリホイホイに捕まって無駄死にするゴキブリなみだった】で常に完全論破できる。
アドミラルティ諸島の日本兵は、一人または少人数ではジャングル最良の狙撃兵であった。
完璧に偽装し・・・米軍な弾の無駄遣いを嘲笑っていた(ある日本兵の評「米兵は何でも撃つ、撃った数に応じてボーナスがもらえるに違いない」)
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P158
「日本軍、ドイツ軍の司令官はともにそのような命令(死守命令)を乱発するが、実際に守られる可能性は日本軍の方が遥かに高い」
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P160
無能な上層部が『天祐を信じて死守命令』を乱発したのは日本軍もナチも変わらなかったが
ナチはその命令を守りもせず戦わずに降参して捕虜収容所で餓死した
ナチ兵にあだ名を付けるなら『全自動餓死兵士』とでも言うべきか(笑)
ヒムラーはシュナイデミュール要塞の司令官が退却する兵を射殺し、死骸に『臆病者はすべてこうなる』と書いた札を下げたことを称賛している。
負傷もしていないのに、部隊を離れているところを発見された国防軍兵士はすべて銃殺されることになった。
幻想のなかではドイツはどうにか勝利を収める。そのためには無条件の献身と勝利への信頼があれば十分なのであった。
元帥ヴォルターモーデルはドイツ軍上層部を支配していたイデオロギー的認知症をあらわにしている。
彼らがもっと正気であれば、戦争に敗れるのはわかっていただろうに
ナチスの戦争 1918~1949 リチャード・ベッセル
ナチ兵には『全自動餓死兵士』というあだ名以外にも『全自動銃殺兵士』というあだ名も似つかわしいな
どんな日本軍がバッシングされても【ヤンキーにとって西部戦線はバカンスも同然だった】のひと言で常に論破できる。
フィリピン戦第六軍の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者1.95名、死傷者計7.45名
ノルマンディ以降の欧州戦線の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者0.42名、死傷者計2.16名
太平洋は、死傷率が高かった海兵隊の数字が入ってなくともこの有様
米軍にとって西部戦線はフランス娘とのセックスと観光を楽しむツアーにしか過ぎなかったのだ
メシなど食わずとも何十年でも戦い続けられる!
なんでも精神力
お前がやってみろっての
大陸打通作戦は大勝利だが?
キサマ、死ぬまでメシも飲み物も飲むなよ
精神力で天寿を全うしてみせろ!
慈愛深いヒトラーはナチ兵たちが腹をすかせたり寒さを訴えたときは特効薬と称してメタンフェタミンの錠剤を支給していた
バカなナチ兵はまんまと騙されてシャブ中になって野垂れ死んだ
もっともヒトラー自体が持病の治療と称してメタンフェタミン注射をうちまくっていたらしいんで
国の上から下までオールシャブ中のナチドイツ(笑)
韓国に2-0で負けるとは www
アホかドイツは www
お ま け の そ の ま た お ま け
の一言であろう。日本軍が攻めて来ただと?、こっちはオーバーロード作戦で忙しいんだ、
対日戦争はおまけでお前らの中国抗日なんてのはおまけのそのまたおまけなんだ、
ドイツ打倒のための貴重な米軍の戦争資源を、おまけのおまけな中国のために浪費できるかって。
おまけのそのまたおまけな中国抗日戦争には興味が無い、米中関係もどうでもいい、中国と中国人は要らん。
お ま け の そ の ま た お ま け
こうして米中関係は破綻し、米中国交回復は1979年にまで持ち越しとなった。
スレタイも読めずにコピペ爆撃するジャップバンザイ厨こそいらんわwww
https://en.wikipedia.org/wiki/United_States_Army_Air_Forces
飛行回数 戦死・死亡 航空機
ドイツ 1,693,565 36,461人 18,418機+事故 ←さすがドイツ
日本 669,235 15,694人 4,530機+事故 ←はぁ、やる気あんの?
アメリカ本土訓練中 20,279人 21,513機 ←訓練より安全かよ?
米陸軍航空隊のWW2死者
https://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/ref/Casualties/Casualties-1.html
合計 欧州戦線 太平洋戦線 アメリカ本土(主として訓練)
全死亡 88,119 45,000 22,000 20,279 ←対日戦は訓練と変わらん死亡率とは
戦死 52,173 36,461 15,634 **,**0
非戦死 35,946 *5,795 *5,606 20,279
総戦死50262、アメリカ外航空事故死11583、非空事故2314、病気2710、その他971
対独戦 対日戦
戦闘関連全死 36,461 15,634
戦死 34,362 10,406
戦傷死 **,749 **,256
行方不明死 *1,144 *2,475
捕虜死 **,206 *2,557(42年フィリピン2329)←捕虜虐待して帳尻合わせるカス
それでも米陸軍航空隊もヨーロッパ戦線より、太平洋戦域の方が損失率が高かった。
陸軍航空隊だけで24,230名の死傷者
これに海軍航空隊と海兵隊加えたら、圧倒的に太平洋戦域でのパイロット損失の方がヨーロッパ戦線より多い。
Western air and naval forces tended to suffer a much higher percentage of deaths among their combat casualties than did Western ground forces.
The U.S. Navy lost 31,157 killed in action out of a total of 62,858 combat casualties in the Pacific, a figure of nearly 50%.
The U.S. Army Air Forces lost 15,694 dead and missing out of a total of 24,230 casualties in the Pacific, a figure of 65%.
http://pwencycl.kgbudge.com/C/a/Casualties.htm
ところでアメリカが太平洋戦線で27,000機もの航空機を失ったって知ってるか?
ナチ相手では未生還機に修理不能機(lost or damaged beyond repair)を加えても18,000機。
Aggregate United States plane losses during the course of the
Pacific war, not including training losses in the United States,
were approximately 27,000 planes. Of these losses 8,700 were
on combat missions; the remainder were training, ferrying and
other noncombat losses. Of the combat losses over 60 percent
were to antiaircraft fire.
http://www.anesi.com/ussbs01.htm
In the attack by Allied air power, almost 2,700,000 tons of bombs
were dropped, more than 1,440,000 bomber sorties and 2,680,000
fighter sorties were flown. The number of combat planes reached a
peak of some 28,000 and at the maximum 1,300,000 men were in
combat commands. The number of men lost in air action was 79,265
Americans and 79,281 British. [Note: All RAF statistics are
preliminary or tentative.] More than 18,000 American and 22,000
British planes were lost or damaged beyond repair.
http://www.anesi.com/ussbs02.htm
506th Fighter Group – 1 June 1945 Black Friday
We had flown a few missions, but the mission on June 1st 1945 would last in memory forever.
http://www.506thfightergroup.org/missionjune1blackfriday.asp
史実でも、硫黄島の第7戦闘機集団のP51パイロットの負担はかなり大きかったみたいで、多数の戦闘外損失を出してます。
特に6月1日の、大阪大空襲の護衛機だったP51が悪天候もあって、28機が戦闘外の要因で墜落しています。(搭乗員全員死亡)
ラバウル航空隊だって、一回の出撃でガダルカナルでこんな大量な戦闘外損失は出してないでしょう。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14128875069
終戦間際(In the closing months of the war)のドイツ空軍の飛行時間は、40~45時間だったとのことだが。
With both production and stocks declining rapidly, the most drastic curtailment
of aircraft operation was put into effect. Training was eliminated in September,
and essentially all operations except combat flying were prohibited. In the closing
months of the war, Luftwaffe pilots were sent into combat with only 40 to 45 hours
of flight training-sitting ducks for our well-trained air crews.
http://orbat.com/site/sturmvogel/ussbsgensum.html
日本の特攻隊員ですら飛行時間は70~100時間だった
本土防空戦でのナチ空軍は英米軍戦闘機にスコアをばらまく存在でしかなかったのだ
9月6日、クラコールの戦隊医務室で若松清治上等兵が戦死。昭和16年12月7日以来
失った空地の勤務者166人目、64戦隊最後の犠牲者となった。
一方、勝利を収めた英空軍は、東南アジア全域における日本軍との戦いで、空中勤務者
4,858名が戦死または行方不明になったと記録している。
ビルマ航空戦 梅本弘著
The Battle of Britain,
Participants included Poles, New Zealanders, Canadians, Czechs, Australians, Belgians,
South Africans, French, Irish, Americans as well as a Jamaican, a Southern Rhodesian and a flyer from the Palestinian Protectorate.
Five hundred and forty-four lost their lives.(544名が命を失いました)
http://www.rcaf-arc.forces.gc.ca/en/battle-britain/history.page
Luftwaffe
2,698 aircrew killed
967 captured
638 missing bodies identifie
https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Britain
東南アジア上空の空中戦
日本軍戦死166:英軍4,858
バトルオブブリテン
ナチ4,293対英軍544
って知ってたか?
平均寿命7日間、セミなみの命しかないナチパイロットがどうかしたか?
アルフレート・グリスラフスキ
―ロシアの前線で戦った搭乗員と、ドイツ本土防空戦の参加者との感覚の違いをお聞きしてもいいでしょうか?
ロシアでは戦争そのものも、飛行機も、戦いも全く異なっていましたね。ロシアで行われていたのは純粋
な空中戦でした。仕事…うーん…ゲームというのとも違うな、スポーツ、そう、スポーツに似たような感じです。
もしもこのような表現が許されるのであれば。生存を賭けたギリギリの戦いではありませんでした…一方、
ここドイツでは、高高度から街々に爆弾が降り注がれ、辺り一面で爆発が起きるのを見ながらの戦いですから、
より個人的な、より感情的なものとなりましたよ。連合軍の爆撃機は800機ずつ、そして戦闘機も同じくらい
の数がやって来る。これは全く違う戦場です。ここドイツでは、搭乗員の命は平均して7日だけ、
1週間だけしかもちませんでした。ロシアではこれほどの緊張はありません。勿論、損失は出ていたのですが、
しかしたったの7日間ということはなかった。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/grislavski1.html
昭和19年最初の月の空戦では、7機の一式戦が撃墜されて7名が戦死、その他、
各1機が不時着、あるいは胴体着陸し、司偵1機(戦死2名)も撃墜された。一方、
連合軍の損害記録と一致する一式戦の撃墜戦果は、スピットファイア4機(戦死3名)、
ハリケーン3機、ボーファイター1機(戦死2名)、F5写真偵察機1機(戦死1名)、
C47輸送機4機の計13機であった。
1月のビルマ方面の連合軍航空兵力は、英空軍532機、米陸軍航空隊287機
の計819機。その内訳は戦闘機576機、中型爆撃機70機、重爆撃機79機、
偵察機10機、輸送機84機であった。連合軍は、同時期の日本陸軍航空部隊の兵力
を約250機、うち戦闘機100機と見積もっていた。
1月末の第5飛行師団の兵力は、50戦隊一式戦保有37機(可動27機)、操縦者
45名。64戦隊一式戦保有35機(可動20機)、81戦隊司偵保有20機(可動13機)の
計168機であった。教飛204戦隊の兵力は不明だが、他戦隊の例から推して
一式戦30機前後と思われるので、合算しても200機以下。連合軍による総兵力
250機の評価は過大だったが、戦闘機100機という見積もりは、概ね正確であっ
たということになる。一方、第5飛行師団も連合軍の航空兵力を約1000機と見積
もっていた。双方とも、相手側兵力をちょうど2割ほど過大に評価していたことになる。
梅本弘「ビルマ航空戦 下」より
日本陸軍の主力戦闘機1式戦隼は数的劣勢ながらもキルレは常に1:2を確保
していた
連合軍による(元)蘭印(インドネシア)などへの攻撃に、
オーストラリアの基地が使用される事を遅らせるため、
日本帝国海軍や日本帝国陸軍の航空機が、
1942年2月19日~1943年11月12日まで計64回にわたり、オーストラリア本土、
地域の主要空域、周辺諸島、沿岸輸送ラインの船舶などを攻撃した。
昭和18年初春から行われたオーストラリアのダーウィンに対する、チモール島からの日本海軍
のキャンペーンでは、ゼロ戦と中攻部隊が健闘しています。
753空(一式陸攻)と202空(ゼロ)のコンビ+陸軍の百式重が参加し、相手は欧州戦線で鳴らした
クライブ・コールドウェル中佐率いる1FW(457sq&457sqRAAFプラス54sqRAF)のスピット5型で、
アゴフィルターつきのやつです。
同年3月から9月までの半年間、戦闘損失はゼロが3機に対して、スピット38機(双方ともすべての
未帰還機の累計)です。これは双方の自軍損害レポートによるもので、いわゆる「誇大戦果」ではありません。
日本側の出撃回数は半年間で大小合わせて20回足らずですが、そのうち200キロメートル内陸部、
USAAFのB-24部隊がいたフェントン飛行場へは6回攻撃をかけています。いずれも高度は7000メートル以上。
相手のスピットを考えての行動であり、特に他の戦線に比べて陸攻の被害も少なく、豪側からは「爆撃機
の防御砲火も比較的堅固であった」のようなコメントもあります。
追記2006/02/06 一式陸攻は高高度性能に優れていて、ダグラスP-70(A-20ハボックにレーダーを搭載
して夜間戦闘機としたもの)などは上昇性能で及ばなかったといいます。
戦訓による陸攻の自動消火装置も有効に作動した、と記録に述べられています。
(資料出所:「第8章 ダーウィン上空の零戦」、秦郁彦著「過信の結末(下巻)」から、中公文庫#532)
オスプレイの「B-29 Superfortress Units of the Korean War」には、21,000ソーティーでの損害数は34機。
そのうち戦闘機によるものが16機、対空砲によるものが4機、その他の理由が14機。1000ソーティーあたりの損害率は1未満、って書いてあるんだよね。
念のために書いておくと、朝鮮戦争が行われたのは1950年6月から1953年7月ね。
あ、付け加えておくと、アメリカ軍の「損害」には、帰っては来たものの壊れて使い物にならなくなったのも入ってるんだって。
だから、『これには「帰還はしたけど損傷が酷くて廃棄」というのはカウントされていない。 』(軍事板初心者質問スレまとめ(FAQ)- B-29)っていうのは誤りだよ。
「対日戦では無敵、朝鮮戦争では損害が続出」っていうのが正しいなら、対日戦での損害の方が少なくて、朝鮮戦争での損害の方が多くないとおかしいよね。
実際の数字が示す結果はどうかな?
上でも引用したWikipediaには『基地までの距離が短いことやF-86などの強力な護衛戦闘機があったこと 』が損害の少ない理由だって書いてあるけど、
それをいうなら横田から軍事境界線までの1,143kmと硫黄島(不時着場だけどね)から東京までの1,224kmの約80kmの違いでそこまで損害に差が
出るモンなの?とか、P-51などの強力な護衛戦闘機があった対日戦は?ってコトになるよね。
「対日戦での教訓があったから、それを生かして朝鮮戦争では損害を低く抑えることができた」って考える方が事実に合ってるような気がするけどねー。
http://ameblo.jp/amo-un-pomodoro/entry-11115324361.html
ナチ軍を一方的に殲滅した赤軍最新鋭のジェット機よりB-29を撃墜した我が皇軍
ナチがいくら本土防空戦で頑張ったと言ってみたとこで米軍の損失機数は
太平洋27000機>>>>欧州18000
だからな、そりゃ米軍から見れば日本軍は雑魚だろうが、
日本軍から見ればナチなんてシラミかボウフラ並みだろう
ドイツから日本に高射砲用の「ウルツブルグレーダー」が輸入され、終戦間際に試作コピーが完成したとか。
けれどもこうしたドイツの技術は日本には全く必要無かったという気がする。
世にも奇妙な「空軍であって地上戦闘軍」
<中略>
ドイツ空軍地上軍の半分以上は,高射砲部隊に属していた.
いちばん多いとき(1944年末)は100万の兵士(数千人の女性兵士含む)が,2万基以上の空軍
(陸海軍所属の高射砲は別にある)の対空砲とサーチライト部隊に配属された.
連合軍の進撃にともない,これら後方基地の高射砲部隊が前線に位置する結果になった.
ドイツ軍は地上の敵と戦うことも予想して高射砲をデザインし,兵士をも訓練してあった.
――――――第二次世界大戦 あんな話こんな話 / J・F・ダニガン/著 A・A・ノーフィ/著
http://keshiintokorozawa.web.fc2.com/faq08a04o07.html
ドイツ軍の防空システムは日本軍よりも優れているはずだから日本も導入すべきだとのことなら、
それこそ高射砲部隊だけで百万人の人員を配置しなければならなくなる。
だが日本近海を海上封鎖する米空母機動部隊を差し置いて、高射砲ばかりを強化して何になるのだろう。
ジャップは空母にイワンは爆撃機に特攻して敵に多大な損害を与えていた頃ナチはなぜか橋に体当たりしていた(笑)
■ハヨ・ヘルマン
日本軍のカミカゼにインスパイアされて、ナチ版特攻隊エルベ特別攻撃隊を編成。
一回目の出撃で大失敗。
そのまま生き延びてソ連捕虜から解放されたあとは弁護士となって幸せな生活、ナチ擁護とホロコースト否定を主張し続け97歳で大往生。
■ハンナ・ライチュ
ナチの女性テストパイロット、ヒトラーに気に入られたので、V1飛行爆弾を特攻兵器化を主張し採用される。その後も特攻隊レオニダス隊の編成を進言し採用、36名のパイロットが軍艦でも航空機でもない、橋に特攻させられ無駄死に。
ライチュはヒトラー自決前にベルリンの総統防空壕逃亡、戦後はグライダーパイロットして人生をおう歌、独身貴族のまま67歳の天寿を全う。
■オットー・スコルツェニー
ライチュと特攻隊レオニダス隊の編成に尽力
当然に終戦時に死なず、捕虜収容所からも脱出、南米でナチ戦犯の脱出に手を貸し、アルゼンチンで会社経営、多大な資産を作り幸せに天寿を全う。
ドイツが強いのか、皇軍がカスなのかわからくなるぜ
https://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/ref/Casualties/Casualties-1.html
大西洋戦線 太平洋戦線
全損害 765,751 169,635
戦関連全死 177,100 57,137←フィリピン兵含む
戦死 153,270 35,909
戦傷病 493,020 98,958
うち死 20,276 5,928
死亡率 4.1% 6.0% ←太平洋は病気が多い
除隊 151,814 30,821
戦線復帰 320,930 62,209
捕虜 95,532 28,526
うち死亡 1,124 11,516 ←さすがドイツ、国際法遵守してあの強さ
死亡率 1.17% 40.03% ←捕虜虐待で帳尻するカス皇軍
全ての事例において、 連合軍の戦死者 1 名に対して
2~3 名の兵士が負傷のため戦列を離れその多くが生涯残る障害を負った。
ルソン島と沖縄ではアメリカ軍戦闘要員の約 50%が死傷したのである。
硫黄島では、アメリカ軍死傷者の総計が日本軍のそれを上回っていた。
こうした死傷者の規模と比率は重要であった。
なぜなら、1944 年後半以降、日本 軍の戦略策定者たちは、
どれほど一方的な戦いで国民に重い代償を課すとしても、
人員 1 名の損失と引き換えにアメリカ人の意志を打ち砕くという新しい戦略を研究していたからである。
彼らの狙いは、アメリカ政府に、天皇制と国体の護持、
さらにおそらく一部の海外領土の領有を認める条件付き和平を受け入れさせることであった。
この戦略を実現するには、アメリカが日本に侵攻し、信じがたいほどの大損害を蒙って攻撃が頓挫し、
一方日本は継戦能力を誇示する、ということが必要であった。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf
日本軍の米軍に出血を強いる“新しい戦術”は結果的に最低限の『国体の護持』に成功した
しかし東西で一方的惨敗だったナチには何も残らず、ベルリン娘らはイワンの性の餌食となった
ジャップが犬死になら、全くの無駄死にだったナチはミジンコ死にぐらいか?
日本軍へのいかなるバッシングも【太平洋戦域での死傷率はヨーロッパの3.5倍】で常に完全論破できる。
日本を(フィリッピン等占領された)これら地域から排除することは簡単な仕事では無かった。
大日本帝国の兵士達の降伏率は大戦を通じて驚くほど低く1~3%だった。しかも
そのうち自発的なものはその3分の1だ(残りは自殺できないほど負傷した者)。
その結果太平洋戦線での米国兵の損耗率は欧州戦線と比較して3.5倍に達した。
Removing Japan from these lands – which fell primarily to the United States- proved
no easy task. Imperial Japanese soldiers surrendered at appallingly low rates.
According to some sources, only one to three percent of Japanese forces surrendered
throughout the war, and only one third of these troops actually wanted to surrender
(the rest were too sick or wounded to commit suicide or continue fighting.)
As a result, most estimates suggest that America’s casualty rate in the Pacific
theater was about three and a half times larger than in Europe
http://nationalinterest.org/feature/the-5-most-precarious-us-allies-all-time-12075
The 5 Most Precarious U.S. Allies of All Time
米にとって最も危険だった同盟国 ナショナルインテレスト誌 2015/01/21
そのジャップより弱いナチ人ってなんだ?
猿以下だからボウフラぐらいか?
いかなる日本軍へのバッシングも【戦後のドイツ人がナチより遥かに善戦したと認めている】のひと言で常に論破できる。
第二次世界大戦終了後の連合軍による日本とドイツに対する処遇も極めて異なっていました。日本は一九四五年に、
二度にわたる原子爆弾の投下を体験した世界で唯一の国です。しかし、失われた人命に比べると、
領土はさほどでもありません。反対にドイツの場合は広大な領土を失ったのみならず、終戦直後は四分割され、
その後二分割の状態が長年つづきました。日本はネーションとしての統一も、中央政権の統一も維持することが許されました。
日独間で完全に同様のことといえば、多くの人命が失われたことです。
ベルリン日独センター設立25周年記念
2010年10月20日にヘルムート・シュミット元首相記念講演会
http://blog.goo.ne.jp/tanemakuhito1921/e/e1d694b9319069d30dfa1fea949a99b3
ただシュミットが勘違いしているのは、日本が失った人命は15年戦争で310万人だが、ナチはたった5年で1000万人だから負けのレベルが違いすぎる。
人類史上空前絶後の惨敗がナチ
いくら人的損害で日本軍を叩こうが
【インパールの損害はナチの西部戦線の損害のたった1/300】で常に完全論破できる。
British, and French forces in the war in Europe follows:
Battle dead Permanently disabled Captured Total
Tunisia 19,600 19,000 130,000 168,600
Sicily 5,000 2,000 7,100 14,100
Italy 86,000 15,000 357,089 458,089
Western Front 263,000 49,000 7,614,794 7,926,794
Total 373,600 85,000 8,108,983 8,567,583
Army Battle Casualties and Nonbattle Deaths in World War II
Atlantic area theaters
Total deaths among battle casualties 177,100
米軍はたった17万人の死傷者で、自軍の何倍もの857万人ものナチをノルマンディから1年足らずで粉砕した
こんな惨敗は人類史上始めてだろう
無駄死にとはナチのためにある言葉だ
兵士の多くが一八歳の少年だったことから「ダイアパー」(おむつ)師団とのあだ名をちょうだいした
第七十五歩兵師団は、一九四四年の秋、ケンタッキー州ブレッケンリッジ・キャンプで戦闘訓練を
終えようとしていた。元一兵士のハーヴィー・カッツは回想する。
「ある日、われわれは列車に乗せられた。そして、全員じっと座ったまま、列車は西へ行くのだろう
か東へ行くのだろうかと考えていた。東へ向かっているのがはっきりしたとき、誰もが歓声を上げた。
行く先はヨーロッパだとわかったからだ」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 トーマス・アレン ノーマン・ポーマー 181頁>
MILITARY HOSTILE NON-HOSTILE
ACTION DEATHS WOUNDED DEATHS
World War II
(1941-45)
Total 293,121 670,846 115,185
European Theater 185,179 498,948 66,805
Pacific Theater 107,903 171,898 48,380
Korean War
(1950-53) 33,739 103,284 2,835
Vietnam War
(1961-73) 47,434 153,303 10,786
Iraq War
(2001-2016) 3,519 32,246 965
http://www.tavvntc.org/cost.htm
↑
負傷者と死者の比率を比べてみれば、兵士にとって過酷な戦場はどこなのかは自明だ。
GIにとってヨーロッパ戦線はフランス娘やイタリア娘とセックスを楽しむ合間にクラウツをボコボコにするレジャーに過ぎなかった。
海軍は82%が太平洋に海外派兵されたが、大西洋の戦いで本国沿岸の防衛にも戦力を割かないといけないので陸軍より海外派兵は少ない。
したがって太平洋戦争のピークは1945年8月の陸軍177万人、海軍136万人、海兵隊48万人の362万人となる。1944年のフィリピン戦時はおよそ250万前後と思われる。
対独戦のピークは1944年末陸軍630万人、海軍30万人+大西洋の戦いだから
アメリカはドイツに向けた兵力のざっと半分以下で日本に圧勝したことになる。
http://www.history.navy.mil/library/online/ww2_statistics.htm
米海軍戦死傷者100392名の内
ナチにやられたのは大西洋10966名 地中海4597名
↑
少なすぎワロタw
ナチのUボートは確認されてるだけで174隻も米海軍に撃沈されてるのに、護衛空母1隻に駆逐艦8隻撃沈とかやる気あんの?
ダメ潜水艦扱いされてる日本軍ですら正規空母2隻に護衛空母1隻巡洋艦2隻沈めてるのに
http://www.history.navy.mil/research/library/online-reading-room/title-list-alphabetically/u/us-navy-personnel-in-world-war-ii-service-and-casualty-statistics.html
アメリカ海軍は欧州がピーク時で240,221名
太平洋海上1,366,716名だから
投入人員は太平洋85:欧州15
15%の小型旧式艦に蹴散らされたデーニッツ
そのナチのUボートは1945年の頃は単なるカモだったな
いやそれ以下かw例えれば人間軍事標的
ドイツは一一六二隻のUボートを建造し、そのうち七八四隻がいろいろな原因で失われた。
戦争期間中にUボート部隊に編入された人員は、四万九〇〇人をくだらなかった。
そのうち二万八〇〇〇人が生命を失った。また五〇〇〇人が捕虜となった
『U-Boat』 ベビット・メイソン著、寺井義守訳
↑
やられすぎ死にすぎワロタw
アメリカの第二次世界大戦での戦時予算の合計が3200億ドル
内2100億が陸軍、1100億が海軍海兵隊
陸軍が7対3で欧州
海兵隊がほぼ太平洋向け
海軍は大西洋には正規空母や戦艦どころかフレッチャー級やアレン・サムナー級とかの新型駆逐艦すらほとんど配備していない
ナチ海軍のUボート相手は太平洋では役立たずで高速輸送艦に改造されたクレムソン級とかの旧式艦や駆潜艇などの小型艦だけだから10%もないだろ
せいぜい5%ぐらいか
とするとヨーロッパと太平洋で金のかけ方はあまり変わらんのだが
よくヨーロッパ優先とナチヲタは言うけどそれを決めたアルカディア会議のあとにマッカーサーやニミッツの抗議で予算配分は改められてるよ。
その結果がウオッチタワー作戦の前倒し実施だよ。
アルカディアは開戦まもなくの戦略的な方針を示しただけで、実際にそうはならなかったのは、ウオッチタワー作戦がトーチ作戦より先になったことが証明してる。
欧州と太平洋での本格的反攻作戦となったオーバーロード作戦とフォレイジャー作戦がほぼ同時となったのも偶然てはない。
第二次大戦に刀でチャンバラとかw
日本人の振り回す軍刀は、中国人を紙切れのように斬りまくった。
今後も無視が妥当
海外の日本賞賛コメントを抽出照明し その他無数の海外からの批判 嘲笑をまるっと無視して世界が羨み憧れの日本という幻想国家を創造してホルってるネトウヨと行動様式がそっくりw
>世界が羨み憧れの日本という幻想国家を創造して
大陸打通作戦を誇りに思わない日本人は居ないはずだが?
なんだ、軍板は初めてか?
お前さんがコピペ馬鹿と呼んでいるのはココではだつおと呼んでいるんだ
元々は大陸打通作戦を讃えるコテハンがいて、それの劣化コピーがだつお君だ
都合の良い資料を収集しているんじゃなくて、コピペ元のレスがそこだけしか書かなかったからそれ以上の情報が書けない(そもそも元ネタの本は読んだ事も無いようだ)
ちなみにどんなに真面目な考察をしていても、彼の中の日本やソ連を侮辱したりナチを賛美したりするとコピペ荒らしが始まるのでネトウヨからも嫌われてたりする
>どんなに真面目な考察をしていても、彼の中の日本やソ連を侮辱したりナチを賛美したりすると
バグラチオン作戦と大陸打通作戦を真面目に考察したことがあるのか?
>どんなに真面目な考察をしていても、彼の中の日本やソ連を侮辱したりナチを賛美したりすると
1 ドイツ軍はスラヴ人を大量虐殺したが、スラヴ人は断固反撃してファシストドイツを粉砕した。
2 日本軍はチンピラゴロツキを懲らしめるために出征し、チンピラゴロツキは小便ちびって逃げ回った。
3 チンピラゴロツキは逃げ回った恥を隠す為に、極悪な日本軍に虐殺されたと騒ぎ出した。
もしもドイツ空軍が本当に西高東低型の対応を取っていたのであれば、彼らはソ連軍をなめており、
その代償を支払わされたと言うしかない話だ。結局のところ、ドイツの戦争はソ連軍にベルリンへ突入
されたことで終わったのだから…
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/nastuplenie2.0.html
バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗。
これがソヴィエト大祖国戦争と中国抗日戦争の最終結果なのである。
ナチ礼賛のファシストは
すぐにバルクマンコーナー(笑)とかヴィレル・ボカージュの戦い((笑)(笑)
とかごく一部の得意例を持ち出してナチのボロ戦車を褒め称えるが
当のナチの第53軍団司令官フリッツ・バイエルラインが
パンターはノルマンディでの地形に適応しておらず、操縦性の良好なM4に対し苦戦した。
長砲身と横幅は村や森林での戦いでの機動力の低下要因となったし、フロントヘビーで
フロントファイナルドライブがすぐ摩耗したから全く役に立たなかったと認めているんだが
Armored Thunderbolt: The U.S. Army Sherman in World War II スティーヴン ザロガ著
アラコート戦車戦って知ってるか?
75㎜砲主体のM4とM10に、第5装甲軍の2個師団のパンターやティーガーが
襲い掛かったが、米軍の一方的勝利で
ナチの損失、戦車(パンター多数)装甲車285輌
米軍の損失 M4 25輌 M10 7輌
キルレシオ 1:10wwwwwwwwww
バルクwwwwマンwwwコwwwwナーwwwwwwww
ナチがアルデンヌの戦い前に、西部戦線に配備していたパンターは471輌うち336輌が稼働(稼働率71%)
うち400輌が東部戦線や本土から移動したきた分
しかしアルデンヌの戦いでの戦いの消耗が激しすぎて1945年1月15日時点では稼働しているパンターは
たった97輌だったwwwwwwwwww
やられすぎwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
Germanys Panther Tank: The Quest for Combat Supremacy トーマスジェンツ著
ナチが米軍に最大の損害を与えたアルデンヌの戦い
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_the_Bulge
19,000 killed,47,500 wounded
残りはcaptured or missingで23000名だから殆ど捕虜だろ
捕虜を人的損失に入れてたら、西部戦線のドイツ軍なんて大惨敗だろうに
ナチの退却が早すぎて追いつけなかっただけだろw
ナチほど看板倒れの軍はいない。
あまりにもナチ兵があっさり降伏するから捕虜収容所が満杯になって、
捕虜に手厚いはずの米英の収容所ですら、過収容で何十万も死者が出たほど
それにティーガー2も入れて1000両近くも戦車や装甲車投入して
第32軍の3倍の35万(それも第32軍は元々65000名で残りは沖縄での現地召集兵)投入して
でいくら陣地に籠ってたからとはいって同じぐらいの戦果じゃ情けなさすぎませんかね・・・
硫黄島
日本軍1個師団21000名→米軍死傷者29000名←ヴォースゲー
沖縄
日本軍2.5個師団10万人→米軍死傷者84000人←第32軍スゲー
アルデンヌ
ナチ20個師団35万人→米軍死傷者81000人←何これ?やる気あんの?武装親衛隊(笑
>それにティーガー2も入れて1000両近くも戦車や装甲車投入して
そもそもDデイ抜きでも赤軍は快進撃してたんだから、もし万が一にでも米軍がビビって退却したら、
それこそロシア人から猛烈な罵声を浴びせられることになったであろう。
一九四五年一月一二日、すなわち第二次世界大戦におけるソ連軍の最後の冬季攻勢の
開始日に至るまで、東部ドイツの住民が赤軍の侵攻に対してどれほど不用意であったか
を知ると、いつも驚きもし震撼させられもする。ソ連を奇襲しても赤軍の侵攻はないだろう、
という考えが人びとの心に深く根を下しており、それがさらに何らかの「奇蹟的兵器」への
非合理的な希望によって増幅されていたにちがいない。同時に、すでに数年も続いていた
「計画的撤退」については、国防軍発表が一九四三年夏以降ほとんど毎日伝えられていた
にもかかわらず、この時点までの東部戦線移動の経過についてのほとんど信じられない
ほどの無知も確認される。一九四五年の一月とそれが直ちにもたらすであろう結果が
生じる以前に、東部戦線について現実に即した考えを持っていた者は、ごくわずかだった
に違いない。ソ連陸軍が千キロ以上も二十か月近くにわたって西方に前進した後では、
この圧倒的進軍がよりにもよってドイツ国境で阻止されうるであろうと考える、
いかなる理由もなかったのである。
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P215、216
>「計画的撤退」については、国防軍発表が一九四三年夏以降ほとんど毎日伝えられていた
ナチはキルレシオ()で勝ってる(キリッ
真実
↓
「無条件降伏後、西側三国に占領されたドイツ地域には、米兵よりも、
ドイツ人捕虜の方が多かった・・・・・・」
連合軍は一九四五年六月に捕虜の数を数え終え、収容された「戦争捕虜及
び武装解除された憲兵」は七六一万四七九四名、うち「四二九万九〇〇〇名
は降伏時にすでに捕虜となっていた」と公表した。
パウル・カレル/ギュンター・ベデカー
『捕虜――誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路』
それで捕虜収容所で沢山死んだり行方不明になってます(笑´∀`)
確かに日本軍は戦場で餓死しすぎだが、捕虜収容所で何百万人も野垂れ死んだナチの豚どもより遥かにマシだな
戦場で沢山の兵士を飢餓や病気や万歳突撃で死なせた日本軍は大失態→解らんではない
易々と白旗上げた上に捕虜収容所で野垂れ死んだナチどもはノーカンだから、それ以外でキルレシオ算出すればナチは優秀→これはさすがに理解できんwwwww
絶滅戦争仕掛けて返り討ちされて、捕虜になって命乞いかよw
米軍の戦訓広報誌Intelligence Bulletinによれば、
ナチは西部戦線にパンターの新型(G型か?)を投入して、戦車兵にM4と2,000ヤードで
撃ち合うよう訓練したが、米軍はそれを逆手にとって
Novilleってとこでのクリスマスの戦闘で、M4で45分間の間に
パンターG型を一方的に6輌撃破したと書いてるな
ナチヲタの妄想と違って実際の戦闘なんてこんなもんだったんだろう
みんな自国のボロ戦車より洗練された強さを誇るM4に乗りたがった
M4に乗るナチの豚(笑)M4に乗ってれば無駄死にすることはなかったろうw
http://www.theshermantank.com/wp-content/uploads/2015/11/n-siPvp-tYI1.jpg
赤軍も信頼性の高いM4に乗せてもらえればご機嫌でアコーディオンも演奏しちゃうw
http://www.theshermantank.com/wp-content/uploads/soviet-sherman.jpg
>日本軍に都合の良い資料のみ収集抜粋し
大陸打通作戦は日本人の誇りだが、
>ドイツのそれは真逆のことをしてるから
バグラチオン作戦のナチは真逆w
違うか?
おい、なんとか言えよ、おい!
ヴィレルボカージュとかバルクマンだとか数少ない活躍で他の惨敗を見えない振りしてるナチヲタがどうかしたか?
大和w武蔵w 戦果0w
>>557
ハンターキラー部隊にスコアばらまくだけのUボートwwwwwww
ある駆逐艦はU538をアスディックで捕え、六時間も追跡したあげく、爆雷攻撃で撃沈した。
結局、この戦闘にはUボート三一隻が参加し、輸送船一隻にさえ損害をあたえることができなかった。
船団はわずか高速駆潜艇一隻が損傷をうけたほか、飛行機二機が撃墜されただけだった。
Uボートのほうは三隻が沈没、一隻が損傷した。
この敗北にもかかわらず、デーニッツ提督は、つぎの二船団に攻撃をかけた。
一六隻のUボートがこの作戦に参加し、十一月二十二日の夜から二十七日にかけて連続攻撃を敢行したが、
優勢な海空の護衛兵力に阻止されて、戦果はあげられなかった。
Uボートは五隻が撃沈された。
デーニッツ提督は、ついに大西洋でのUボート作戦を断念した。
いまや西半球の全海域は、連合国の船団は安全に航行できるようになった。
Uボートにとって苦しかった一年は静かに終りをむかえ、デーニッツ提督は、あらためて将来の戦略を考えることになった。
ドイツは一一六二隻のUボートを建造し、そのうち七八四隻がいろいろな原因で失われた。
戦争期間中にUボート部隊に編入された人員は、四万九〇〇人をくだらなかった。
そのうち二万八〇〇〇人が生命を失った。また五〇〇〇人が捕虜となった
『U-Boat』 ベビット・メイソン著
>>557
ナチのUボートは確認されてるだけで174隻も米海軍に撃沈されてるのに、護衛空母1隻に駆逐艦8隻撃沈とかやる気あんの?
ダメ潜水艦扱いされてる日本軍ですら正規空母2隻に護衛空母1隻巡洋艦2隻沈めてるのに
「日本は海軍力においてドイツを優越してるからw(ホルホル)」
↓
1マリアナ沖海戦→日本軍 空母3隻沈没 艦載機390機 基地航空隊350機損失(米軍 沈没艦なし 艦載機130機 ※内帰還時間遅延による不時着水89機 日本軍が撃ち落としたのは40機以下w)
2 レイテ湾沖海戦→空母4 戦艦3 重巡洋艦6 軽巡洋艦4 駆逐艦9沈没(米軍 護衛空母3 駆逐艦3沈没)
3 フィリピンの戦い 米軍 戦死1万6千人 負傷5万5千人 戦病者9万人→日本軍 餓死 病死 戦死43~50万人←なにこの差w キルレシオほぼ1対50w
バルジがどうこう言う前に自分達を振り返って見い 三大決戦で殆ど一方的に狩られとるやんw
帝国海軍ご自慢の大和含む戦艦 巡洋艦隊がサマール沖でタンカー改造の鈍足空母と僅かな護衛駆逐艦を仕留めきれずに逆に鈴谷 筑摩 鳥海と巡洋艦隊が返り討ちにあい沈められとる
とんだ赤っ恥よなwww
こんなんだから神風みたいな自殺攻撃に頼らざるを得なくなる
>>557
ヨーロッパ戦線ではナチ軍が弱すぎて暇をもて余した米兵が淫売買ったりレイプしたりして性病の罹患率が異常に上昇している。
手を焼いたアイクが1945年4月に売春禁止令を慌てて出してるけど、全く効果なく、1945年には1944年の5倍以上に及んでいた(笑)
林博史著「女性・戦争・人権 (第7号)」
>>557
ジャップは沖縄で空母にイワンはモスクワで爆撃機に特攻して敵に多大な損害を与えていた頃ナチはなぜか橋に体当たりしていた(笑)
橋に特攻()を命じたナチ指揮官らは戦後も幸せに暮らしたとさ(笑)
■ハヨ・ヘルマン
日本軍のカミカゼにインスパイアされて、ナチ版特攻隊エルベ特別攻撃隊を編成。
一回目の出撃で大失敗。
そのまま生き延びてソ連捕虜から解放されたあとは弁護士となって幸せな生活、ナチ擁護とホロコースト否定を主張し続け97歳で大往生。
■ハンナ・ライチュ
ナチの女性テストパイロット、ヒトラーに気に入られたので、V1飛行爆弾を特攻兵器化を主張し採用される。その後も特攻隊レオニダス隊の編成を進言し採用、36名のパイロットが軍艦でも航空機でもない、橋に特攻させられ無駄死に。
ライチュはヒトラー自決前にベルリンの総統防空壕逃亡、戦後はグライダーパイロットして人生をおう歌、独身貴族のまま67歳の天寿を全う。
■オットー・スコルツェニー
ライチュと特攻隊レオニダス隊の編成に尽力
当然に終戦時に死なず、捕虜収容所からも脱出、南米でナチ戦犯の脱出に手を貸し、アルゼンチンで会社経営、多大な資産を作り幸せに天寿を全う。
>>557
意味のない自殺攻撃ってナチのことかな?
日本軍の特攻に対する米軍の評価
チェスター・ニミッツ元帥(太平洋方面最高指揮官・太平洋艦隊司令)
「神風特別攻撃隊という攻撃兵力はいまや連合軍の侵攻を粉砕し撃退するために、長い間考え抜いた方法を実際に発見したかのように見え始めた」
「もう持ち堪えられない」
「海軍は、毎日1.5隻ずつ艦船を失っている。その為、五日以内に第一線が動かなければ、このいまいましいカミカゼから逃れる為に、
他の誰かを司令官に変えて前進させるぞ。」
「我が海軍が(沖縄戦で)被った損害は、大戦中のどの海戦よりもはるかに大きかった。沈没30隻、損傷300隻以上、9000人以上が死亡、行方不明または負傷した。
この損害は主に日本の航空攻撃とくに特攻攻撃によるものであった。」
ダグラス・マッカーサー元帥(南西太平洋方面最高司令官)
「カミカゼが本格的に姿を現した。この恐るべき出現は、連合軍の海軍指揮官たちをかなりの不安に陥れ、連合国海軍の艦艇が至るところで撃破された。
空母群はカミカゼの脅威に対抗して、搭載機を自らを守る為に使わねばならなくなったので、レイテの地上部隊を掩護する事には手が回らなくなってしまった」
「大部分が特攻機から成る日本軍の攻撃で、アメリカ側は艦船の沈没36隻、破壊368隻、飛行機の喪失800機の損害を出した。
これらの数字は、南太平洋艦隊がメルボルンから東京までの間に出したアメリカ側の損害の総計を超えている」
「特攻機は我々の軍艦を狙っているが、ほとんどの軍艦は一撃をくらっても耐えうるだろう。
しかし、もし奴らが我々の軍隊輸送船をこれほど猛烈に攻撃してきたら、我々は引き返すしかないだろう。」
>>557
レイモンド・スプルーアンス中将(第五艦隊司令)
「特攻は非常に効果的な兵器で、我々はこれを決して軽視することはできない。私は、この作戦地域内にいたことのない者には、
それが艦隊に対してどのような力を持っているか理解する事はできないと信じる」
「特攻機の技量と効果および艦艇の喪失と被害の割合がきわめて高いので、今後の攻撃を阻止するため、
利用可能なあらゆる手段を採用すべきである。第20空軍を含む、投入可能な全航空機をもって、九州および沖縄の飛行場にたいして、
実施可能なあらゆる攻撃を加えるよう意見具申する」
「沖縄に対する作戦計画を作成していたとき、日本軍の特攻機がこのような大きな脅威になろうとは誰も考えていなかった。」
ウィリアム・ハルゼー(第三艦隊司令)
「いかに勇敢なアメリカ軍兵士と言えども、少なくとも生き残るチャンスがない任務を決して引き受けはしない」
「切腹の文化があるというものの、誠に効果的なこの様な部隊を編成するために十分な隊員を集め得るとは、我々には信じられなかった」
「情報部から我々に対して、カミカゼが編成されたという警告が送られてきたが、
我々の内大半の者はそれをこけおどしや張子の虎であると受け取っていた」
「少なくとも、(特攻に対する)防御技術が完成するまでは 大兵力による戦局を決定的にするような攻撃だけが、
自殺攻撃に高速空母をさらすことを正当化できる」
ジェームズ・フォレスタル(海軍省長官)
「海軍による沖縄上陸作戦への継続的な支援は困難な業務であり、高価な代償を伴うものであることをアメリカ国民の皆様に理解して頂きたい」
オリバー・P・スミス大将(海兵隊副参謀長)
「バックナー(沖縄攻略部隊司令)には、沖縄近海に展開している海軍が、特攻による甚大な損害に耐えている間に進撃を加速させろという
大きなプレッシャーが加えられていた。」→その後バックナーは戦死
タンカー改造の護衛空母にUボートを174隻も撃沈されて返り討ちにした護衛空母はブロックアイランドたった一隻wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
タンカーに撃ち合い挑んで負けたジャップ戦艦がいましてねw
カサブランカ級はタンカーを改造して作ったわけじゃないぞwwwwwwww
そんなことも知らんのかよwwwwwwwwww
大和なんざ糞の役にも立たなかったね
その空母から背を向けてトンズラw
イギリス軍の特殊爆弾の実験台になってたテルピッツがどうかしたか?
陸奥 ドカーンw
ヒトラー、エマブラウン、ゲッペルス夫妻
ファイヤーwwwwwwwwwww
フィヨルドに逃げ込んでイギリス軍の玩具扱いだったテルピッツwwwwwwww
陸奥は上官のイジメにあった水兵に爆沈させられた説とかもあるんだってなw
韓国でもこのネタで笑われとるわw
国辱w
自衛官が自国民を射殺する美しき国ワロタw
どんな日本軍へのバッシングも【ナチよりは国民を大事にしてた】で完全論破できる。
日本軍は沖縄で手榴弾を渡して、自決を促しただけだが
ナチ海軍の名将()デーニッツは『戦闘で死ぬか絞首刑にされるか好きな方を選べ』と国民に窮極の選択()を行わせていたwwwwww
勝算もないのに、戦い続けるため『狂信的な意志』を示すために、ヒステリックな要求が出された。
カール・デーニッツも、もっともけたたましい叫びをあげた一人である。
戦後デーニッツは、自分が部隊とドイツ国民の生存を気遣った責任ある軍指導者だったと主張しているが、
無条件降服のわずか数週間前にあたる1945年4月7日、デーニッツは全海軍士官に最後の最後まで戦うことを求めている
『軍務によっては勇敢で、毅然として、忠実な、敵の行く手を阻む一枚岩になることができる。
そのように行動できないものはろくでなしだ。そんなヤツは【ここにぶら下がってるのは裏切り者】というプラカードをくくりつけて絞首刑に処さなければならない』
Heinrich Schwendenmann『1945年末のドイツ』
どんなに日本軍の人命軽視がバッシングされても
【ナチは軽視どころかわざわざ自国民を殺した】で常に完全論破できる。
ドイツ軍の崩壊が進み、将軍たちが部隊に与えることができるのは、信念と全滅だけだった。一般市民も、文字通り最前線に配置された。
オットー・ゲオルク・ティーラック法相は1945年2月15日に略式軍事法廷を設置する命令を発した。
『敵軍が迫りつつある防御領域』に設けられ、『臆病や利己心』のために『一般市民に対する自らの義務を回避』しようとした全ての者に対し『必要な厳しさをもって』対処することとなっていた。
その権限は『ドイツ人の戦闘力と戦意が危機にさらされる行為』全般に及ぶ。
判決は三種類しかなかった。死刑か無罪、あるいは別の裁判所への引き渡しである。
すでに戦争が終盤に入った頃に、ナチは自殺は称賛するようになっていた。
1945年春のドイツには死体があふれ、国中の人々が自殺者を目にしていた。
ドイツ軍の崩壊後、自殺は大衆現象と言っていいほど一般的になっている。
すべてが破壊されたことによる無気力と絶望感から、数万人のドイツ人が自殺するに至った。
メクレンブルクの小さな町テテロウの埋葬記録には120件の自殺の詳細が示されている。
銃、首吊り、入水、服毒に加え、父親が家族全員を殺したあと自殺するケースも多かった。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン陥落1945』
本土決戦せず白旗あげた臆病者が何か言ってるw
慈愛深いナチの頭目ヒトラーはナチ兵たちが腹をすかせたり寒さを訴えたときは特効薬と称してメタンフェタミンの錠剤を支給していた
バカなナチ兵はまんまと騙されてシャブ中になって野垂れ死んだ
下の写真はナチ空軍が愛用したヒロポン(メタンフェタミン)入りチョコレート
大()ルフトヴァッフェのパイロットはシャブ入りチョコをほおばりながら出撃してたから殆どがシャブ中だった。
もっともヒトラー自体が持病の治療と称してメタンフェタミン注射をうちまくっていたらしいんで
国の上から下までオールシャブ中のナチドイツ(笑)
複葉機にボコボコにされたナチの不沈艦()ビスマルクと巡洋艦を戦艦と誤認して自沈したグラーフシュペーがどうかしたか?
ビスマルク(フッド撃沈)>>>>>>大和 武蔵(戦果0w)
費用対効果ひどすぎて吹くわ wwww
バルジ?米軍の方がドイツ軍の戦死 負傷者を上回っとるやん 硫黄島で米軍の戦死傷が日本軍のそれを上回ったとホルホルしても戦死で見れば米軍6800人に対して日本軍18000人とほぼ全滅だからな
グレートウォー並の装備しかなかったジャップに対して最新式()の装備だったのに遥かに弱かったナチがどうかしたか?
アメリカ軍の公式戦史によれば、全戦死傷者数は 4 万 9,133 人(うち死者・行方不明者が
1 万 2,520 人)に上った。別の戦史によれば、地上戦における全戦死傷者数は 3 万 9,262 人
(うち死者 6,319 人)で、それに加え「非戦闘死傷者」が 3 万 3,096 上ったという。
フランクは次のように述べる。「このように、アメリカの全死傷者は 7 万 7,358 人にも達した。
訓練を受けた[沖縄の:引用者注]防衛部隊の総兵力が 7 万 6 千人であったことを考慮すれば、
これは、日本本土上陸作戦を準備しているさなか、とてつもなく不吉な指標である」
トルーマン大統領は、本土侵攻作戦に関するブリーフィングのために召集した会議において、
「日本本土のいずれにおいても、沖縄が再現されないことを望む」と述べていた。
日本本土侵攻作戦の見通しそのものが明るかったと断言することは困難であろう。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/16672/1/fujita_2014_bun.pdf
ハーバード大学卒業、冷戦下にモスクワ大学に留学歴があり、世界史の著作を多数執筆している歴史家
ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan:
The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、
極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、
ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、
優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)
このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう。」
とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%E7%B8%E6%A6
自動小銃とタイガー戦車のナチ武装親衛隊機甲師団<<<<<<<<<<<<<<38式小銃とチハの大日本帝国陸軍第32軍
ナチ人弱すぎだろJK
日本を(フィリッピン等占領された)これら地域から排除することは簡単な仕事では無かった。
大日本帝国の兵士達の降伏率は大戦を通じて驚くほど低く1~3%だった。しかも
そのうち自発的なものはその3分の1だ(残りは自殺できないほど負傷した者)。
その結果太平洋戦線での米国兵の損耗率は欧州戦線と比較して3.5倍に達した。
Removing Japan from these lands – which fell primarily to the United States- proved
no easy task. Imperial Japanese soldiers surrendered at appallingly low rates.
According to some sources, only one to three percent of Japanese forces surrendered
throughout the war, and only one third of these troops actually wanted to surrender
(the rest were too sick or wounded to commit suicide or continue fighting.)
As a result, most estimates suggest that America’s casualty rate in the Pacific
theater was about three and a half times larger than in Europe
http://nationalinterest.org/feature/the-5-most-precarious-us-allies-all-time-12075
The 5 Most Precarious U.S. Allies of All Time
米にとって最も危険だった同盟国 ナショナルインテレスト誌 2015/01/21
そのジャップより弱いナチ人ってなんだ?
猿以下だからボウフラぐらいか?
ジャッぷは50倍死んでますw
ジャッぷはアメリカ様みたいに苦戦したわwとか振り返る余裕すらない 人肉食らうぐらいだから
みんなジャングルに追い立てられて餓死したから証言すら碌に無い www
被害10倍だけどなw
人肉喰うまもなく捕虜収容所で何百万人も野垂れ死んでいたナチがどうかしたか?
どんな日本軍へのバッシングも
【米兵は楽勝なナチ狩に行きたがった】で常に完全論破できる。
兵士の多くが一八歳の少年だったことから「ダイアパー」(おむつ)師団とのあだ名をちょうだいした
第七十五歩兵師団は、一九四四年の秋、ケンタッキー州ブレッケンリッジ・キャンプで戦闘訓練を
終えようとしていた。元一兵士のハーヴィー・カッツは回想する。
「ある日、われわれは列車に乗せられた。そして、全員じっと座ったまま、列車は西へ行くのだろう
か東へ行くのだろうかと考えていた。東へ向かっているのがはっきりしたとき、誰もが歓声を上げた。
行く先はヨーロッパだとわかったからだ」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 トーマス・アレン ノーマン・ボーマー 181頁>
GIたちはジャップとの死闘よりもフランス観光がてらのナチ狩りに行きたがった
楽勝だしな
いかなる日本軍へのバッシングも【戦後のドイツ人がナチより遥かに善戦したと認めている】のひと言で常に論破できる。
第二次世界大戦終了後の連合軍による日本とドイツに対する処遇も極めて異なっていました。日本は一九四五年に、
二度にわたる原子爆弾の投下を体験した世界で唯一の国です。しかし、失われた人命に比べると、
領土はさほどでもありません。反対にドイツの場合は広大な領土を失ったのみならず、終戦直後は四分割され、
その後二分割の状態が長年つづきました。日本はネーションとしての統一も、中央政権の統一も維持することが許されました。
日独間で完全に同様のことといえば、多くの人命が失われたことです。
ベルリン日独センター設立25周年記念
2010年10月20日にヘルムート・シュミット元首相記念講演会
http://blog.goo.ne.jp/tanemakuhito1921/e/e1d694b9319069d30dfa1fea949a99b3
ただシュミットが勘違いしているのは、日本が失った人命は15年戦争で310万人だが、ナチはたった5年で1000万人だから負けのレベルが違いすぎる。
人類史上空前絶後の惨敗がナチ
ナチヲタ「捕虜は死んでないからノーカン」
実際
↓
一九四五年末、西ヨーロッパ戦線は投降した何百万のドイツ兵で溢れ、東部戦線ではソ連軍との最後の戦いがつづいていた。
西部の大量投降と東部の必死の抵抗は、ドイツ軍最高司令官デーニッツの戦略だった。デーニッツは、一兵でも多くを人道的な取り扱いが期待できる、アイゼンハワー麾下の連合国軍に投降させようとしていた。
だが、その試みは絶望的な結果に終わった。五〇〇万人をこえる捕虜は野ざらしで、立錐の余地もない鉄条網囲いに入れられ、最小限の食糧や衛生施設にも事欠いた。
一九四五年四月以降、仏軍の手にあったものも含めて、約一〇〇万人の捕虜が次々に命を落とした。
このような惨事が米軍のもとで起こったのは、南北戦争時のアンダーソンビル監獄以来のことだった
ジェームズ バグー著 消えた百万人―ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道
日本軍は戦場で最後まで抵抗して餓死したが、ナチ兵は戦いもせずに降参して捕虜収容所で100万人も野垂れ死んでいた
ナチヲタ「捕虜は死んでないからキルレシオ()から除害」
アドミラルティ諸島の日本兵は、一人または少人数ではジャングル最良の狙撃兵であった。
完璧に偽装し・・・米軍な弾の無駄遣いを嘲笑っていた(ある日本兵の評「米兵は何でも撃つ、撃った数に応じてボーナスがもらえるに違いない」)
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P158
「日本軍、ドイツ軍の司令官はともにそのような命令(死守命令)を乱発するが、実際に守られる可能性は日本軍の方が遥かに高い」
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P160
無能な上層部が『天祐を信じて死守命令』を乱発したのは日本軍もナチも変わらなかったが
ナチはその命令を守りもせず戦わずに降参して捕虜収容所で餓死した
ナチ兵にあだ名を付けるなら『全自動餓死兵士』とでも言うべきか(笑)
その資料によるとジャップは
射撃が下手
白兵戦が苦手
すぐパニックに陥り自決する
上官は糞無能
とか散々に書かれてるけどな
正解じゃんw
そんなこと書かれてないぞwwwwww
ナチがすぐ降参するとは書いてるけどなwwwww
書いてあるし事実だぞ猿
いやその本も元ネタもどっちも持ってるんだが
ソ連軍潜水艦から撃沈したナチ貨客船
ヴィルヘルム・グストロフ
シュトイベン
ゴヤ
の3隻だけでナチファシストが35000人海没した
陸空でぼろ負けだったナチが唯一Uボート大活躍ナリーと言ってみたところで
潜水艦戦の人的収支ですらナチはぼろ負けだった
いくら人的損害で日本軍を叩こうが
【インパールの損害はナチの西部戦線の損害のたった1/300】で常に完全論破できる。
British, and French forces in the war in Europe follows:
Battle dead Permanently disabled Captured Total
Tunisia 19,600 19,000 130,000 168,600
Sicily 5,000 2,000 7,100 14,100
Italy 86,000 15,000 357,089 458,089
Western Front 263,000 49,000 7,614,794 7,926,794
Total 373,600 85,000 8,108,983 8,567,583
Army Battle Casualties and Nonbattle Deaths in World War II
Atlantic area theaters
Total deaths among battle casualties 177,100
米軍はたった17万人の死傷者で、自軍の何倍もの857万人ものナチをノルマンディから1年足らずで粉砕した
ナチは黙って捕虜収容所に入って勝手に野垂れ死んでいた
こんな惨敗は人類史上始めてだろう
無駄死にとはナチのためにある言葉だ
どんな日本軍がバッシングされても【ヤンキーにとって西部戦線はバカンスも同然だった】のひと言で常に論破できる。
フィリピン戦第六軍の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者1.95名、死傷者計7.45名
ノルマンディ以降の欧州戦線の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者0.42名、死傷者計2.16名
太平洋は、死傷率が高かった海兵隊の数字が入ってなくともこの有様
米軍にとって西部戦線はフランス娘とのセックスと観光を楽しむツアーにしか過ぎなかったのだ
リスカムベイ
ガンビアベイ
セントロー
オマニーベイ
ビスマークシー
↓
5隻かなかなかやるな
スワニーとサンガモンもスクラップだったよな
ドイツ軍
ブロックアイランド
↓
なんだこれ?やる気あるのかよ
世界第3位の海軍力を誇ってドイツ海軍にマウントとるほどには大した戦果じゃねーw
砲雷撃戦でジープ空母とブリキ缶の駆逐艦に蹴散らされる大和以下の戦艦 重巡の栗田艦隊w
>砲雷撃戦でジープ空母とブリキ缶の駆逐艦に蹴散らされる大和以下の戦艦 重巡の栗田艦隊w
九七式中戦車チハは、西暦197年、内乱と飢饉によって荒廃した中国で、
曹操という武将が配下の陳宮と潘遂に命じてチンピラゴロツキ殺戮マシーンと
して開発させた戦車である。名称の由来は西暦下2ケタと中国の中、さらに
開発者の頭文字(チンキュウ・ハンツイ)を取って付けられた。
チハは開発されたまもなく翌年には実戦に参加している。時の皇帝である献帝
を傀儡として擁護し、これに大義名分を得た曹操が、中国東北地方において
チンピラゴロツキどもの頭領である袁紹との戦いでチハを投入、見事これを
破って一気に勢力を拡大した。以降、チハは曹操軍にあって常に激戦地に投入され、
被害を受けながらも勝利に貢献した。曹操はそれにより、中国の主要な地域を支配下に収め、
216年には事実上の天下人となり魏を建国、初代皇帝となった。
238年、辺境の蛮族である倭人王の卑弥呼が魏に使者を送り恭順の意を示したため、
印綬とチハを与ることとなった。この際、馮タンが大使として倭国に渡り褒美
の授与を執り行ったため、「タンさんからもらったチハ」との意味で「チハタン」と呼ばれ、
戦車の無かった倭国ではその性能に驚き、以来1945年に至る1700年間
あまりにも渡って使い続けられたと言う。
パンターとシャーマンは曲がりなりにも戦車同士の戦いだぜw
世界最強(自称)の大和含む戦艦 重巡 軽巡がジープ空母とブリキの駆逐艦で構成されるスプレーグ艦隊と接近戦やって重巡が次々に沈められました www
マリアナ沖海戦とレイテ湾海戦の二大海上決戦で日本艦艇はどれだけ沈められたの?
損害に見合う戦果なのか?それっぽっちがw
> 損害に見合う戦果なのか?それっぽっちがw
9月3日は、中国人全員が心に刻み、大いに気を吐く日である。中国人は抗日戦争のため大きな民族の犠牲を強いられ、
死亡者数が3500万人以上に達したからだ。抗日戦争の勝利は、中国人が日本帝国主義の侵略に対抗した正義の戦争、
世界の反ファシズム戦争の重要な構成部分、中国が近代で初めて外国の侵略に完全に勝利した民族解放戦争だ。
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2014-09/02/content_33405119.htm
つまり中国の抗戦による直接人口損失の累計可能な見積もり数は2062万人で、累計可能な戦争の直接負傷障害
人口を合わせると、軍民の死傷は最低3480万人となる。同時に、中国の抗戦による直接の死傷人口は計4100万
以上になるはずで、戦時中の行方不明・捕虜などの数字を合わせると、戦争が直接中国にもたらした死亡、
負傷障害、失踪などの人口損失は4500万人を超えると考える。さらに人口損失の見地からは、抗日戦争期の
中国の人口損失総数は5000万人以上にのぼるはずである。
http://www.china-news.co.jp/node/4456
興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありませんでした。抗日戦争の中で中国側は3500万余人、
興隆県の中でこの13年の間に5万人くらいが殺されました。全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、
興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。興隆県公安局の1954年の7つの区に対する不完全な統計によると、
人圏の中の住民が疫病、凍死などで死んだ人が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は1
6万人くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。6万人くらいが殺されたことになります。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/cont/sankotou.html
世界第3位の日本帝国海軍の戦艦撃沈数と再建途上で大戦に突入してしまったドイツ海軍の戦艦撃沈数が対等かよw
ドイツ軍が撃沈した戦艦=フッド (英) ローマ(伊 )マラー(露)
日本軍が撃沈した戦艦=アリゾナ(米)プリンスオブウェールズ(英)レパルス(英)
大陸打通作戦は非の打ち所が無いくらいの大勝利だが?
ハンターキラー部隊にスコアばらまくだけのUボートwwwwwww
ある駆逐艦はU538をアスディックで捕え、六時間も追跡したあげく、爆雷攻撃で撃沈した。
結局、この戦闘にはUボート三一隻が参加し、輸送船一隻にさえ損害をあたえることができなかった。
船団はわずか高速駆潜艇一隻が損傷をうけたほか、飛行機二機が撃墜されただけだった。
Uボートのほうは三隻が沈没、一隻が損傷した。
この敗北にもかかわらず、デーニッツ提督は、つぎの二船団に攻撃をかけた。
一六隻のUボートがこの作戦に参加し、十一月二十二日の夜から二十七日にかけて連続攻撃を敢行したが、
優勢な海空の護衛兵力に阻止されて、戦果はあげられなかった。
Uボートは五隻が撃沈された。
デーニッツ提督は、ついに大西洋でのUボート作戦を断念した。
いまや西半球の全海域は、連合国の船団は安全に航行できるようになった。
Uボートにとって苦しかった一年は静かに終りをむかえ、デーニッツ提督は、あらためて将来の戦略を考えることになった。
ドイツは一一六二隻のUボートを建造し、そのうち七八四隻がいろいろな原因で失われた。
戦争期間中にUボート部隊に編入された人員は、四万九〇〇人をくだらなかった。
そのうち二万八〇〇〇人が生命を失った。また五〇〇〇人が捕虜となった
『U-Boat』 ベビット・メイソン著
資源の無駄wwwwwwwwwww
ソ連軍潜水艦から撃沈したナチ貨客船
ヴィルヘルム・グストロフ
シュトイベン
ゴヤ
の3隻だけでナチファシストが35000人海没した
陸空でぼろ負けだったナチが唯一Uボート大活躍ナリーと言ってみたところで
潜水艦戦の人的収支ですらナチはぼろ負けだった
Uボートと貨客船で死体を海にばらまいただけのナチwwwwwwww
ナチが沈めた重巡洋艦0wwwwwww
片手間で英海軍と戦った日本軍ですらオーストラリア軍を入れて4隻も撃沈したのにwwwwwww
ところでイギリス潜水艦はよくイタリア軍に撃沈されてるが、 イタリア海軍の対潜技術ってナチよりも優れていたのか?
LOSS BY ENEMY
ROYAL NAVY
Warship types German Italian Japanese French Other(a) Unknown Total
Capital ships 3 - 2 - - - 5
Carriers 8 - 1 - 1 - 10
Cruisers 20 6 5 - 3 - 34
Destroyers 114 15 8 1(b) 15 - 153
Submarines (c) 24 37 4 - 6 5 76
TOTALS 169 58 20 1 25 5 278
アリゾナは騙し討ちだからノーカン
独ソ戦も騙し討ちだからノーカン
日本軍が砲雷撃戦やって沈めた空母
ガンビアベイ
一隻wwwwwwww
一億総特攻の魁となれと言って騙されて送り出された方こそ無駄死にだな
のうのうと生き残って御免なさいw
戦闘爆撃機ヤーボのショボい爆撃に音をあげてた根性なしナチファシストたちとはまず前提条件が違うわ
世界2位とか3位とホルっている割には大戦中期~後期は坂道を転げ落ちるようにフルボッコ
一方的に殴られて終わりw
よくこんなんでマウントとろうとしたもんだw
大陸打通作戦の大勝利は太平洋戦争の大敗北を吹き飛ばしてしまった。
1000隻もUボート建造して大西洋海底にゴミをばら蒔いたナチ海軍wwwwwww
お前らジャップが海底にばら撒いた鉄量と人命の方が遥かに多いぜ www
戦果少なくして損害山の如しw
いかなる日本軍へのバッシングも【戦後のドイツ人がナチより遥かに善戦したと認めている】のひと言で常に論破できる。
第二次世界大戦終了後の連合軍による日本とドイツに対する処遇も極めて異なっていました。日本は一九四五年に、
二度にわたる原子爆弾の投下を体験した世界で唯一の国です。しかし、失われた人命に比べると、
領土はさほどでもありません。反対にドイツの場合は広大な領土を失ったのみならず、終戦直後は四分割され、
その後二分割の状態が長年つづきました。日本はネーションとしての統一も、中央政権の統一も維持することが許されました。
日独間で完全に同様のことといえば、多くの人命が失われたことです。
ベルリン日独センター設立25周年記念
2010年10月20日にヘルムート・シュミット元首相記念講演会
http://blog.goo.ne.jp/tanemakuhito1921/e/e1d694b9319069d30dfa1fea949a99b3
ただシュミットが勘違いしているのは、日本が失った人命は15年戦争で310万人だが、ナチはたった5年で1000万人だから負けのレベルが違いすぎる。
人類史上空前絶後の惨敗がナチ
> お前らジャップが海底にばら撒いた鉄量と人命の方が遥かに多いぜ www
”B-29ご対面記念”
正真正銘のB-29です。尾翌の番号から、機体製造番号は、45-21739で、米国のB-29関連のHPに記載の番号と同じでした。
展示説明板には、ハングルの他に英文で次ぎのように説明していました。
『世界的に有名なB-29は、第二次世界大戦と韓国戦争の3年間を通して任務を果たした。韓国戦争でのB-29は、延べ22,983機出撃し、
197,000tonの爆弾を投下した。しかし、34機のB-29を失った。
この超空の要塞は、18個に分解され、1972年3月にカリフォルニアのチャイナレイクからソウルへ輸送した。
そのB-29は韓国空軍によって再組み立てされ、そして、1972年8月以来Yoid Museumに展示された。』
その後、1995年から、この場所で再び組立て、外観を修復し、2002.8.28に開所式を迎え再展示となった。
朝鮮半島は、1950.6.25から3年間で、第二次世界大戦でのB-29延べ出撃数29,814機/損失403機に匹敵する
悲劇があったことになります。韓国国民はそれを決して忘れないために大切に保存展示していると思われました。
http://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/jap.trip/trip.korea.html
そのブリキ缶ジープ空母に一方的に180隻も撃沈された海の狼(笑)がいるらしい
バーカ沈めたのは艦載機だよ
タンカー空母と撃ち合いやって負けた戦艦重巡を恥じろよジャップップ www
マジで言ってるの?
サマールの打ち合いで大破したのはホワイトプレーンズの5インチ砲がラッキーパンチで酸素魚雷にあたった鳥海だけであとはみんな艦載機にやられただろ
あとカサブランカ級はタンカーを改造して作ったわけじゃないって
護衛空母の艦載機はナチのボロ戦車を殲滅したヤーボより手強いぞwwwwwwwww
ソース= ジャップの主観
消えろ猿
どんな日本軍がバッシングされても【零戦は全ナチ戦闘機より圧倒的に強かった】で常に論破できる。
1944年5月8日に英空母エンペラーから発進したF6Fがノルウエー沖を飛行中にドイツ空軍のBf109とFw190と交戦してF6F損失0で3機撃墜
またF4F(マートレット)もノルウエー南部を飛行中にBf109の4機に奇襲されて1機撃墜されたが、逆襲してBf109が4機全滅
ヘルキャット>>>零戦>>ワイルドキャット>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ナチ戦闘機
大陸打通作戦を誇りに思わない日本人は居ないはずだが?
残念だがそれは商船改造のカサブランカ級空母だぜ。
排水量1万トン程度の元商船だが50隻近く建造されたのとF4やアベンジャー雷撃機が40機積めるのでこいつらだけで日本空母の艦載機収容能力超えちゃうのだったw
これに加えてF6の積めるコメンストベイ級も20世紀くらいいてさらに正規空母がいるのでは
連合艦隊が霞んで見えるな
そんな有難い空母を五隻も撃沈した日本軍
ナチのUボートは逃げ回って逃げ回って沈めたのはたった一隻だった
カサブランカ級は商船を改造したんじゃなくて新規で設計建造してるんだが
ナチ海軍をUボートを含めて皆殺しにして暇になったから沖縄に遊びに来てマッカーサーに嫌がられていたな
>当時の英本国艦隊は米国並みなので
?
もちろん、アメリカとしては実質的な支援や、実質的に相手に打撃を与える
事なら大歓迎だが、イギリスの参加は、どっちせよ(そのように実質的なも
のではなく)、メンツを救う性質のものだろうと、云った。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/whitehouse_19450618.htm
>当時の英本国艦隊は米国並みなので
If the United States stopped sending war materials to England, do you think England would lose the war?
Yes………………………….. 85%
No………………………….. 8
No opinion……………………. 7
1941年1月4日の世論調査では、米国がイギリスへの戦争物資援助を止めればイギリスは敗北するというのが多数意見。
ジャップ 損害極大 戦果局所的奮戦意外戦果少なし
ナチの弱さならいくらでも語れるぞ
占領したヨーロッパの他の地域からの搾取で、主に占領軍の必要をまかなったり、
ドイツの軍事行動の資金にあてたりした。戦後の計算では、占領地域は、
750億マルクほどの貢献をし、占領コストは530億だったとされている。
衛星国を含めドイツが支配したヨーロッパの全体が、ドイツに1200億マルクの貢献をした
つまり、戦争に費やされた資金の約20%である。
1944年のピーク時には、 ドイツには760万人の外国人労働者がいた。うち570万人が一般人で、190万人が捕虜だった。
1944年の8月までに、 ドイツの労働人口46%は外国人労働者と捕虜で構成され、採鉱労働者は3分の1がそうだった。
≪ヒトラーと第三帝国 / リチャード・オウヴァリー/著
永井清彦/監訳 秀岡尚子/訳 牧人舎/訳≫
ナチは占領地からの収奪や占領地市民の強制労働が無ければまともに戦争すらできなかった
どんなに日本軍がバッシングされても
【ナチよりははるかに計画的に戦争してた】の一言で常に完全論破できる。
西部方面においてと同様に、ドイツ指導部は東部においても電撃的な攻撃と
勝利を見込んでいた。そのため、それに対応する数の捕虜が生じることになった。
東部経済本部部長だったヴィルヘルム・シューベルト陸軍中将の報告からは、
飢餓による捕虜の集団死亡が計画に入れられていたことが明らかになる。
各省の次官に宛てたこの報告は、征服されるべきソ連地域の農業搾取を扱った
ものだった。その中には一九四一年五月二日付けで次のように記されている。
「戦争の三年目(一九四一年から一九四二年にかけて)において全国防軍を
ロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる。この場合、
われわれが必要とするものをロシアから持ち出せば数千万の人間が餓死
することは間違いない。最も必要なのは油種子・油粕の確保と搬出であり、
穀物はその次だ。現存する脂肪と肉は軍が消費すると推定される。」
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P201
>全国防軍をロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる
ナチは初めからあてにあるはずもない占領地からの収奪だけを期待して戦争を始めたwww
敵からの収奪だけを期待して戦争始めたガイジ国家www
バイキングかよwwwwwwwww
>全国防軍をロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる
あの軍隊はとてもじゃないが金輪際使い物にならない。ユダヤ人犠牲者600万云々は別として。
コール首相の米独軍事同盟も、西ドイツ軍は旧国防軍を引き継げないのでそれも成り立たない。
同盟国と心中するのが唯一の戦略()で、当たり前に惨敗したナチの悪口は許さんぞ
名誉毀損で立法機関が捜査に乗り出すレベル
ドイツが快進撃を続けフランスを敗北させたあとですら、戦争を終結させるかについての真面目な議論は行われていない
ナチスドイツには戦争の『終了計画』はなかったのだ。
ドイツの対外政策はお粗末なもので、同盟国を敗北の道連れにするというのが基本姿勢だった。
ドイツの軍事戦略もまたしかりで、大量の血を流しながら避けられない崩壊を避けようとすることの繰り返しである。
リチャード・ベッセル『ナチスの戦争 1918~1949』
いかなる日本軍へのバッシングも【ナチはただの野垂れ死にだが日本兵の死には意味があった】のひと言で常に論破できる。
1945 年までに、日本陸軍の持つ力は敵に死傷者を生じさせる能力のみになっていた。
その能力は、日本陸軍の戦略を躱し、安価に日本を破る手段として原子爆弾を使用するという
アメリカの決定に影響を及ぼしたが、また、無条件降伏の要求を取り下げ、代わりに皇室と
従来の国家体制の一部を維持するという条件付き和平を採用することも決定された。この
状況は日本のエリートと国民に、ドイツ人が受けた権利から比べると、自らの運命
を制御するはるかに大きい権利をもたらした。日本の戦力と戦闘は実際のところ、
若干の政治的目標を達成したのである。敗北によってある種の勝利を得たのである。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf
支那の3500万人の犠牲は常任理事国に繋がった
大日本帝国の310万人の犠牲は政治的目標を達成した
しかし
ナチのファシスト1000万人の死者は無駄死にの犬死に過ぎなかったのだ
>ジャップ 損害極大 戦果局所的奮戦意外戦果少なし
ならもしドイツ陸軍が、日本陸軍に代わって大陸打通作戦を発動していたらどうなりますか?
ドイツ陸軍だったら、大陸打通作戦なんてケチなものではなく、大陸消滅作戦になってましたか?
南京大虐殺とか性奴隷とか、日本軍は占領地の至るところで住民を苦しめたそうですが、
どうせなら中国人を「劣等人種」としてホロコーストしておけばよかったと思います。何しろ中国人絶滅収容所
が戦後もそのまま残ってしまうのだから、言い訳のしようがなくなり、侵略戦争の反省もしっかりしたものになり、
日中関係はずっと良くなってたはずです。それからもしできれば虐殺した中国人を潰して航空燃料を精製
すればよかったと思います。文句があるなら米軍はオーバーロード作戦を中止にして、中国戦線に派兵したらいいでしょう。
キングタイガーならもっと進軍できましたか? もっと大勢の中国人を殺戮できましたか?
四式戦疾風ではなくMe262が出撃してたら、シェンノートの在支14空軍は壊滅してましたか?
ウルツブルグレーダーと88ミリ高射砲があれば、防空は万全でしたか?
今からでもドイツ語を勉強してドイツ留学して、髪の毛染めてドイツ人になりすまし、こういう発言をしてみたい
と思ってます。「たかが中国チンピラゴロツキの3500万なんて取るに足らん。97式中戦車チハなんて、
あんなへっぽこな戦車モドキ、工業水準低いわー。わがドイツ軍のキングタイガー戦車だったら、
3500万どころか5億人皆殺しにして、中国に中国人は一人も居なくなってたはずだ!」
おい、なんとかいえよ、おい!
大陸打通は無意味だったw
日本はまもなく中国人に乗っ取られるからな
^^
どんなに日本軍がバッシングされても【ナチは捕虜収容所というゴキブリホイホイに捕まって無駄死にするゴキブリなみだった】で常に完全論破できる。
アドミラルティ諸島の日本兵は、一人または少人数ではジャングル最良の狙撃兵であった。
完璧に偽装し・・・米軍な弾の無駄遣いを嘲笑っていた(ある日本兵の評「米兵は何でも撃つ、撃った数に応じてボーナスがもらえるに違いない」)
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P158
「日本軍、ドイツ軍の司令官はともにそのような命令(死守命令)を乱発するが、実際に守られる可能性は日本軍の方が遥かに高い」
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P160
無能な上層部が『天祐を信じて死守命令』を乱発したのは日本軍もナチも変わらなかったが
ナチはその命令を守りもせず戦わずに降参して捕虜収容所で餓死した
ナチ兵にあだ名を付けるなら『全自動餓死兵士』とでも言うべきか(笑)
人類史上最悪の犯罪者集団ナチを叩きのめしてすりつぶして劣等ゲルマン民族に高貴で優秀なスラブ民族のDNAを埋め込んだ(レイプで)ソ連は人類が存続する限り褒め称えるべきだな
それに対して叩きのめされて踏み潰されたナチの弱さときたら(笑)
スターリングラード攻防戦に投入される以前、チュイコフは軍事顧問団の団長として、中国で日本との戦いを支えていました。
チュイコフがスターリングラードで取った戦法は、中国での日本との戦いの経験から得られたものだったのです。
このように、スターリングラード攻防戦を勝利に導いたのは、ノモンハンや中国での、日本との戦いの経験があったためです。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2006/01/15/212449
チュイコフは、このとき四二歳。大戦勃発のとき、中国の大使館付き武官をつとめており、一九四二年三月に帰国した
ばかりであった。彼は七月まで作戦に参加しなかったが、それ以後は、非常によく活動した。果断、誠実、そして楽天的な男であった。
スターリンは、もちろんこの任命を承認した。彼はエレメンコに「君は、彼をよく知っているかね」と訊ねただけであった。
エレメンコは「チュイコフは指揮官として信頼できる男だとおもっています」と答えた。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU/sobiet5.htm
シナ軍の白兵戦術を学んだ赤軍に敗けたナチ
日本軍>>シナ軍>>ソ連軍>>>>>ナチ
>それに対して叩きのめされて踏み潰されたナチの弱さときたら(笑)
冷戦時代の西側では反ソ連キャンペーンのために旧ナチ関係者を集めて『ゲーレン機関』を立ち上げ、
ドイツ国防軍はあと少しで共産主義ソ連を倒せた、ルフトバッフェのエースはソ連軍機をバタバタ落としたと吹聴した。
対して日本陸軍が中華民国軍を再建した『白団』については、報道されもしなかった。
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2003/forum_j2003_10.pdf
↑
ベトナム戦争は欧米人のアジアに対する無知が招いたという研究論文。
>それに対して叩きのめされて踏み潰されたナチの弱さときたら(笑)
ドイツ国防軍→バグラチオン作戦で殲滅された
日本陸軍→大陸打通作戦で大勝利
冷戦時代の西側ではバグラチオンのばの字も打通のだの字を報じられなくて、
そうした無知がベルリンの壁やらベトナム戦争やらをもたらすことになった。
むしろそれが自慢なんだろw
味方に爆沈させられた戦艦w
技術力も技量もないから蛮勇に頼っただけなのに組織的自殺攻撃やらかしてそれを自慢w
遠隔地に送るだけ送って死者の大半が餓死 病死 海没死w
一億総特攻するから先に逝けと送り出しておいて降伏してのうのうと生き残る一億国民w
もうやだこんな国w
ナチがアルデンヌの戦い前に、西部戦線に配備していたパンターは471輌うち336輌が稼働(稼働率71%)
うち400輌が東部戦線や本土から移動したきた分
しかしアルデンヌの戦いでの戦いの消耗が激しすぎて1945年1月15日時点では稼働しているパンターは
たった97輌だったwwwwwwwwww
やられすぎwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
Germanys Panther Tank: The Quest for Combat Supremacy トーマスジェンツ著
ナチはキルレシオ()で勝ってる(キリッ
真実
↓
「無条件降伏後、西側三国に占領されたドイツ地域には、米兵よりも、
ドイツ人捕虜の方が多かった・・・・・・」
連合軍は一九四五年六月に捕虜の数を数え終え、収容された「戦争捕虜及
び武装解除された憲兵」は七六一万四七九四名、うち「四二九万九〇〇〇名
は降伏時にすでに捕虜となっていた」と公表した。
パウル・カレル/ギュンター・ベデカー
『捕虜――誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路』
それで捕虜収容所で沢山死んだり行方不明になってます(笑´∀`)
確かに日本軍は戦場で餓死しすぎだが、捕虜収容所で何百万人も野垂れ死んだナチの豚どもより遥かにマシだな
戦場で沢山の兵士を飢餓や病気や万歳突撃で死なせた日本軍は大失態→解らんではない
易々と白旗上げた上に捕虜収容所で野垂れ死んだナチどもはノーカンだから、それ以外でキルレシオ算出すればナチは優秀→これはさすがに理解できんwwwww
ナチ礼賛のファシストは
すぐにバルクマンコーナー(笑)とかヴィレル・ボカージュの戦い((笑)(笑)
とかごく一部の得意例を持ち出してナチのボロ戦車を褒め称えるが
当のナチの第53軍団司令官フリッツ・バイエルラインが
パンターはノルマンディでの地形に適応しておらず、操縦性の良好なM4に対し苦戦した。
長砲身と横幅は村や森林での戦いでの機動力の低下要因となったし、フロントヘビーで
フロントファイナルドライブがすぐ摩耗したから全く役に立たなかったと認めているんだが
Armored Thunderbolt: The U.S. Army Sherman in World War II スティーヴン ザロガ著
独機は、もはや動く標的に
一九四四年も秋になると、爆撃機隊の目標は、さらにドイツ本土の奥深いところへと伸び、もちろん、ムスタング部隊も、
例のごとく、爆撃機隊とともに行動し、迎撃してくるドイツ空軍戦闘機の大編隊を、一手に引受けていた。
この頃になると、ムスタングのパイロットたちは、ドイツ迎撃戦闘機との空戦を“ガチョウ退治”とよぶようになっていた。
四〇機から六〇機にもおよぶ迎撃戦闘機が、びっしりと密集隊形をつくって、そのまま爆撃機の編隊に向ってくる様は、
まさに“ガチョウの群れ”を思わせるものがあった。
この年の十一月に入ると、一回の出撃で、これら迎撃機を五機以上も撃墜するパイロットが、何人も現われたものである。
P51ムスタング 米空軍の最強戦闘機 ウィリアム・ヘス著
日本軍機はマリアナでターキー扱いされたが、ナチ機は自国の本土で“ガチョウ”扱いされ
P-51にハンティングのように狩りまくられた(笑)
>>648
11 ジェット戦闘機でも歯がたたず
B17が爆撃を終って帰路についた時、二五機にもおよぷメッサーシュミットMe262ジェット戦闘機が迎撃してきたのである。
しかしそのうちの五機が、第31戦闘飛行連隊に所属する第308飛行隊によって撃墜された。
連隊長であるウィリアム・ダニエル大佐がまっさきにMe262の編隊最後尾の一機に食い付いた。
猛烈な攻撃をうけたそのMe262は、だしぬけに急横転し、空中爆発を起した。
ウィリアム・M・ワイルダー中尉は、ちょうど敵機が爆撃編隊に突入するのを横から見まもる位置にいた。
「私の発射した機銃弾は、Me262の右エンジンに命中し、たちまち大量の煙がふきだしはじめた、ドイツのパイロットは機外に脱出した。
レイ・D・レナード中尉が、爆撃機をかすめるように通過した敵機をうちおとしたのが、四機目だった。
私の攻撃をうけた敵機は、煙をはきながら、ちょっと機首をあげて左に旋回した。
私はそのあとを追って射撃を続けると、機体の破片がパッ」ととびちるのが見えた。
やがて両方のエンジンが炎上しはじめ、パイロットが機外に脱出した」
第332戦闘飛行連隊も、別のMe262の編隊と遭遇して、そのうちの三機を撃墜した。
ロスコー・C・ブラウソ中尉は、そのMe262の一機にうしろから食い下がられ、とっさに左右へ機首をふって相手の射線をそらし、
スキをみて反転し、逆に相手の機尾から攻撃をかけて撃ち落とした。
P51ムスタング 米空軍の最強戦闘機 ウィリアム・ヘス著
ジェット機を投入したところで、ナチ戦闘機はガチョウのようにP-51に狩られまくった
ナチ機は米軍パイロットにスコアをばら撒く存在でしかなかったのだ(笑)
>>648
零戦に痛めつけられる
「スピットファイア」は、太平洋でも戦った。
オーストラリアに侵攻しようとする日本軍を阻止する戦闘だった。
この新しい戦場では、日本海軍の零式艦上戦闘機と対決しなければならなかった。
強敵であった。
ドイツ・イタリア機に通用した戦法は、ここでは駄目だった。
太平洋戦争のまえ、中国本土で零戦と戦った米義勇航空隊「フライング・タイガーズ」の指揮官クレア・シェンノートは、
おそるべき零戦の威力についてワシントンに報告していたが、無視されていた。
太平洋戦争初期には、この零戦の高性能と中国戦線で練磨された日本軍パイロットの精強さは、
連合軍パイロットにとっては、大変な脅威で、零戦との戦闘で、彼らはさんざんに痛めつけられていたのであった。
スピットファイア 英国を救った戦闘機 ジョン・ベダー著
バトルオブブリテンでナチ機を一方的に叩きのめしロンドンを救ったスピットファイアも零戦には歯が立たなかった
ジャップは空母にイワンは爆撃機に特攻して敵に多大な損害を与えていた頃ナチはなぜか橋に体当たりしていた(笑)
■ハヨ・ヘルマン
日本軍のカミカゼにインスパイアされて、ナチ版特攻隊エルベ特別攻撃隊を編成。
一回目の出撃で大失敗。
そのまま生き延びてソ連捕虜から解放されたあとは弁護士となって幸せな生活、ナチ擁護とホロコースト否定を主張し続け97歳で大往生。
■ハンナ・ライチュ
ナチの女性テストパイロット、ヒトラーに気に入られたので、V1飛行爆弾を特攻兵器化を主張し採用される。その後も特攻隊レオニダス隊の編成を進言し採用、36名のパイロットが軍艦でも航空機でもない、橋に特攻させられ無駄死に。
ライチュはヒトラー自決前にベルリンの総統防空壕逃亡、戦後はグライダーパイロットして人生をおう歌、独身貴族のまま67歳の天寿を全う。
■オットー・スコルツェニー
ライチュと特攻隊レオニダス隊の編成に尽力
当然に終戦時に死なず、捕虜収容所からも脱出、南米でナチ戦犯の脱出に手を貸し、アルゼンチンで会社経営、多大な資産を作り幸せに天寿を全う。
日本軍の特攻は米軍に大損害を与えてマックやニミッツに小便ちびらせた
ソ連の特攻タランはモスクワを守りきった
一方ナチのエルベは(笑)
体当りすらできないナチパイロット
イエローモンキーカミカゼの猿真似すらできないナチ軍(笑)
エルベ特別攻撃隊出撃にあたって
ゲッペルス「体当り戦闘機、今より攻撃に入る。90%の損耗は覚悟の上、恐るべき戦果が期待されん」→下心満々でイエローモンキーカミカゼの猿真似をしてみたが大失敗でした(笑)
>戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという
>事実でさえも、そうした気持ちに影響を与えるべきではない。
ソ連は旧ナチを持ち上げる西ドイツに対して、国連の『敵国条項』を発動したのである!
『米英仏にとっては、ベルリンの壁は境界線上に作られたものでなく、東側に入った所に作られたもので
(これはフルシチョフの指示であった)あくまで東側の中での行動であり、米英仏の西ベルリンでの駐留権
及びアクセス権(通行権)が冒されず確保される限り、軍事行動に出る理由は無かった。むしろ東から西への
流出が続く事態は東西の安定を損なう不確定要素であり、壁建設で東側も安定化に向かうことは今後の
東西関係を好転させる機会でもあると考えていた。この問題で軍事行動を選択し自国の青年の生命を危険に
曝すことは、つい16年前までは敵国であったドイツの首都ベルリンであるがゆえにケネディもマクミランもドゴールもその考えを持つことは無かった。
事実、壁の建設以降はベルリン問題でソ連が行動を起こすことはなく、緊張状態になることもなく安定していった。』
噴進砲技術 液冷エンジン 魚雷艇のエンジン
マウザー機関砲 Uボート ティーガー重戦車
グラーフ・ツェッペリンの譲渡要請
日本の開戦初期と同時のUボートによる北米沿岸の通商破壊戦
色々頼ってんのに喚いてるジャップなんなの
支那チョンヤンキーブリカスロスケに同盟国まで口撃かよw
おまけにアジア人には上から目線だしなw
世界から嫌われるジャップカスw
>色々頼ってんのに喚いてるジャップなんなの
トランプ大統領はツイッターで、ドイツがNATOと米国に、安全保障に対する多額の借りがあるとして、次のようにつぶやいた。
スプートニク日本
「あなたがフェイクニュースから聞いたことに関わらず、私はメルケル首相と偉大な会談を行った。それでも、ドイツは、
ドイツに提供されている強力で非常に高額な防衛に対して払われる必要のある、NATOと米国に対する多額の借りがある。」
トランプ大統領「ドイツはNATOと米国に高額な防衛費の借りがある」
2017年03月19日 14:31
https://jp.sputniknews.com/us/201703193447128/
>支那チョンヤンキーブリカスロスケに同盟国まで口撃かよw
>おまけにアジア人には上から目線だしなw
>世界から嫌われるジャップカスw
ロシア連邦議会情報政策委員会のアレクセイ・プシコフ会長は、トルコとロシアに対する
ドイツのアンゲラ・メルケル首相の政治的行為を批判した。
プシコフ議長は、この件に関してツイッターから行った発表で、
「アメリカのドナルド・トランプ大統領との冷えた関係、ロシアとの悪い関係、エルドアン大統領との口論、
怒ったギリシャ、イタリア、イギリスとの袂の分かち合い・・・それらはすべてメルケル首相の行為の結果だ。」と述べた。
(2017年3月21日)
http://www.trt.net.tr/japanese/shi-jie/2017/03/22/rosia-merukerushou-xiang-nidui-sitorukoniguan-sitepi-pan-696208
>支那チョンヤンキーブリカスロスケに同盟国まで口撃かよw
東京の靖国神社に対照的なベルリンの記念碑を知ってるかー?
過去の中国指導者はドイツ訪問期間、主に産業施設を視察した。ある外交消息筋はロイターに対し、「過去ドイツを訪問
した中国最高指導者のうちに第2次世界大戦犠牲者関連施設を訪問した前例はないと把握している」とし「習主席が
“日中歴史戦争”に飛び込もうとしている」と述べた。第2次世界大戦戦犯を合祀した靖国神社と対照的な場所を訪問し、
日本とドイツの違いを浮き彫りにしようという狙いだった。
http://s.japanese.joins.com/article/545/182545.html
>第2次世界大戦戦犯を合祀した靖国神社と対照的な場所を訪問し、日本とドイツの違いを浮き彫りにしようという狙いだった。
【韓国の反応】ドイツの外交官「ドイツは、中国が第2次大戦と関連して、
継続的に日本とドイツを比較することを好まない」と不快を表明
http://oboega.blog.jp/archives/37477726.html
何故か旧西ベルリン側にあるソ連対独戦戦勝記念碑。左上はソ連兵士、右手前は独ソ戦
で戦勝に寄与した(最初にベルリンに入ったとも言われる?)T-34戦車の実物です(下写真とも)。
ベルリン市民には好かれていないそうですが、ロシアを意識して撤去もできないそうです。
http://tompei1.la.coocan.jp/Ph-Berlin.htm
役立たずのゴミだったなみんなw
看板だおれ
ナチの科学力は世界いちぃいいいwwwwwwwwwwww
コメンストベイ級は軍用のT2タンカー改造なので艦隊運動についていけるだけの巡航速度があるのとF6ヘルキャットが運用できるので日本のゼロ戦積んだ正規空母とならガチで殴りあえる能力がある
そんな立派な空母を五隻も撃沈した大日本帝国海軍はやっぱり凄いね
1000隻も無駄な潜水艦作って大西洋を埋め立てしたナチは一体何をしたかったんだろう
サイパン マリアナの失陥でそこから本土爆撃が本格化したからな^ ^
でも日本人は中国人よりかは圧倒的に優秀だが?
大陸打通は意味無い作戦だよ
>大陸打通は意味無い作戦だよ
1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約により、ポツダム宣言とカイロ宣言は破棄された。
そしてこの条約には中国が参加していない。つまりこれは大陸打通作戦の大勝利がもたらした結果なのだ。
反ファシズム聯合国からして対日戦争がオマケということなら、日中戦争はオマケのそのまたオマケで、
中国は戦勝国の地位を得られないことになる。ちなみに日中国交回復は1972年、米中国交回復は1979年。
○池田国務大臣 それはそのときに、領土権はどうかという問題と、だれが支配しているかという
問題を区別しての御質問ならば、いまのようにはっきり答えます。だから、もしそういうように言って
おるとすれば、ここではっきり申し上げますが、台湾は中華民国政府が現に支配しておる、
そして日華条約はここに適用になる、こういう意味でございます。領土権はどうかといったら、これは、
日本が放棄しただけで、中華民国の領土権はカイロあるいはポツダム宣言にはそういうことを予定
してきめておりまするが、この規定は、われわれの調印したサンフランシスコ平和条約の規定とは違います。
われわれ平和条約によって日本の外交をやっていくのであります。これが私の考えであります。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0514/04602290514017a.html
そして日本の歴代内閣はこのサンフランシスコ講和条約を盾に戦後補償の全てを蹴り飛ばした。
だからこの4月28日を「大陸打通作戦勝利記念日」として、日本人であることの喜びを感じるべきなのだ。
いくらポツダム宣言の受諾を「無条件降伏」と呼ぼうが、サンフランシスコ講和条約でポツダム宣言
そのものが無効化されており、「つまびらかに読んでいない」(安倍首相)で済んでしまう。
つまりポツダム宣言は「紙くず」、そうでないなら台湾の帰属先は何処なんだと問いただせば良い。
ロシアはクリミアを取れるが中国は台湾に手が出ないから、台湾の帰属先は未定のままだ。
なおロシアのクリミア領有と中国の台湾領有とを常に比較することで、中国に恥を掻かせることができる。
まさにクリミアと台湾は、バグラチオン作戦と大陸打通作戦の再現ビデオに他ならない。
>ロシアはクリミアを取れるが中国は台湾に手が出ないから、台湾の帰属先は未定のままだ。
>なおロシアのクリミア領有と中国の台湾領有とを常に比較することで、中国に恥を掻かせることができる。
>まさにクリミアと台湾は、バグラチオン作戦と大陸打通作戦の再現ビデオに他ならない。
↑
こうしてこれまで四つあったと思われた世界勢力が、一気に二つに絞られることになった。
けれども第二次大戦の最終結果からすればそういうことになるのは自明だろう。
>中華民国の領土権はカイロあるいはポツダム宣言にはそういうことを予定してきめておりまするが、
>この規定は、われわれの調印したサンフランシスコ平和条約の規定とは違います。
シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に制約をあたえていた。
それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。
この見解は、一九四四年七月四日にルーズベルト大統領に提出された、中国の危機に関する統合参謀本部の公式報告に記述された。
この公式報告は、シェンノートの作戦原理に反論していて、第二次大戦中に発行された文書のなかでも、一番おかしな内容の文書であった。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/aircraft/chaina8.htm
中国人は父
韓国人は兄
アメリカはご主人様
わきまえろよ^^
戦闘開始以来、九月二十七日までに、一六〇三機が撃墜され、一〇二八機が損傷をうけた。
その総数二六三一機は、戦闘開始のときに任務についた数と、ほとんど同数である。
小型機――急降下爆撃機や陸軍直協機――の損失もバカにならなかったが、より高価で大型の
ハインケルHe177やユンカースJu88のたえまのない減少は、補充生産が最早追いつかぬほどの打撃だった。
しかも撃墜された大部分は、ソ連上空であったので、ベテランの搭乗員の損失は、まことに深刻な打撃であった。
ドイツ空軍の戦闘力の出血状態は、しだいにひどくなっていったのである。
ドイツ空軍の飛行機開発・生産担当機関の責任者であるエルンスト・ウーデット上級大将にとって、
ソ連上空での大きな損失は、自らの破滅を意味した。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU2/lf6.htm
40超えの団塊ジュニア世代とでも言っておこうか。現在の国際情勢に直結する戦史研究を続けている。
西部戦線や太平洋戦争よりも独ソ戦や大陸打通作戦を強調するのは、現在の国際情勢に直結しているから。
渡部昇一や小林よしのりも読んだが、あれは太平洋戦争の話ばかりで大陸打通作戦に言及してない。
太平洋戦争は長かったとはいえ日本が敗北しただけ。対する大陸打通作戦は大勝利したままで終戦を迎え、
それは現在の日中関係や南シナ海や台湾問題に直結している。
独立国家たりうるには伝統ある国軍が不可欠であるが、それが出来ない弱小国は大国に従属するしかない。
日本は対米従属というがあれは憲法改正すればいつでも日本軍を復活させることが出来る。
憲法九条の制約があるというが、逆に言えば立法で議決しさえすればその制約を解除出来るということ。
日本としては安保条約が無くなったら旧日本軍を復活させればいいだけのことだ。
>全国防軍をロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる
対するドイツは金輪際ドイツ国防軍を復活させることは出来ない。つまりNATO無しでは生きられない。
EU軍というのもユーロファイターではロシア空軍に勝てず、英国のEU離脱で空中分解してしまった。
従って今後の欧州は、米国に土下座して米国の指示に従うだけになるだろう。
第二次大戦については、現在の国際情勢に直結し、かつ誰にでもわかりやすく簡潔に表現する。
ユダヤ人犠牲者が600万だったか否か、南京大虐殺や慰安婦性奴隷の実態が云々すると話は長くなるが、
独ソ戦(絶滅戦争とバグラチオン作戦)
日中戦争(汪兆銘政府と大陸打通作戦)
独ソ戦は絶滅戦争でその犠牲者2700万、ユダヤ人犠牲者が600万かどうかはどうでもいい。
日中戦争はチンピラゴロツキ暴支膺懲で、南京大虐殺がどうあれ汪兆銘の南京維新政府が存在していた。
1 ドイツ軍はスラヴ人を大量虐殺したが、スラヴ人は断固反撃してファシストドイツを粉砕した。
2 日本軍はチンピラゴロツキを懲らしめるために出征し、チンピラゴロツキは小便ちびって逃げ回った。
3 チンピラゴロツキは逃げ回った恥を隠す為に、極悪な日本軍に虐殺されたと騒ぎ出した。
バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗。
対日戦争がおまけなら日中戦争はおまけのそのまたおまけ。
ちなみに朝鮮戦争の米軍はおまけのおまけな中国にも大苦戦。
違うか?
大陸に200万だか300万だかの遊兵のこして白旗あげてるアホな島国があったな
常勝不敗で常に数十倍の損害を敵に喰らわしていた軍が形式上とはいえ降参したなんて世界史上他に例はないだろうな
サッカーみたか?
お家芸の
逆転負け
発動ですわ
予定通り(*・∀・*)ノ
お家芸発動って
ナチがロシアの地で粉砕されたことか?
ボルゴグラード(スターリングラード)で粉砕されなかったのはちょっと惜しかった
そう
悪は粉砕されるのだ
全てがお家芸の日本ちゃん
トーフメンタルは治らない
その結果として、日本の防衛は、1941 年以来その絶対的な質について劣化していない唯一の枢軸国部隊である日本陸軍にかかることになった。
1944 年、アジア大陸では、日本陸軍は依然として連合軍の戦略を狂わせることができた。
中国南部および中部での一号作戦は、国民党に屈辱を味わわせ、連合軍にその戦略の再構築を強いた。
その戦略とは、日本に対しアジアの人的資源とアメリカの航空戦力を解き放
ち、太平洋を横切って、中国で戦争のクライマックスを迎えるというものであった。
日本陸軍はまた連合軍の作戦を粉砕することもできた。インパール―コヒマへの攻撃速度はイギリス軍の指揮官たちとインド軍にショックを与えた。
両軍が防衛に成功した理由は、連合軍航空部隊と輸送機が利用できたためという一点に尽きる。
また、日本陸軍のルソン島守備隊は、戦略的には不必要な作戦においてアメリカの大部隊を釘付けにしていた。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf
>1944年、アジア大陸では、日本陸軍は依然として連合軍の戦略を狂わせることができた。
大陸打通作戦の大勝利は、太平洋戦争の大敗北を吹き飛ばしてしまった。
ソ連とだけやっても負けてたナチとは全く違う。
>インパール―コヒマへの攻撃速度はイギリス軍の指揮官たちとインド軍にショックを与えた。
その時(一九四四年三月~七月)、英国民の関心はドイツとの戦いに集中し、ドイツ軍の英本土爆撃、
連合軍のノルマンディ上陸作戦(六月六日)に心を奪われ、遠いアジアでの戦いは余り問題にされなかったが、
スクーンズ中将は当面の責任者としてインパールの持つ政略上、戦略上の重要性はどれほど重視しても重視
しすぎることはないと考えていたという。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/inparl/inparl.htm
3 月 29 日、統合参謀本部は地中海と中東から米軍のダコタ64 機と英空軍のダコタ 25 機をマウントバッテンの
指揮下に一時的に移すことに同意し、「ヒマラヤ山脈」ルート輸送機の指揮権も与えた。
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_12.pdf
『英国民に忘れられたビルマ戦線』だが、あれは戦略的に5月開始予定のDデイを遅らせるほどの衝撃だった。
>中国南部および中部での一号作戦は、国民党に屈辱を味わわせ、連合軍にその戦略の再構築を強いた。
この軍事的条件の一大変化とは、10月3日に決定された”対日戦略の修正”であった。
日米開戦以来陸軍首脳や中国現地のスチルウェル・シェンノー トらが構想して来た
中国東岸を基地 として対 日攻撃 を行 うとい う戦略は,この戦略修正によって破棄 され,
台湾,中国東岸への上陸は基本的には中止された。
代ってマ ッカーサ ー (DouglasMcArther)将軍の主張 を作戦の中軸 として採用し,
海軍 とくにキ ング (ErnestKing)海軍作戦部長の主張する作戦を側援的に遂行する
ことが決定 され,ル ソン島から沖縄へ上陸作戦 を敢行すると同時に,
マリアナ諸島から硫黄島を経 由 して沖縄へ進攻することになったのである。
この対 日戦略の修正は重大な結果をもた らすことになった。即ち(1)対 日政略
における中国の戦略的地位が低下 したこと。(2)1945年 8月の終戦時に強力なア
メリカ陸軍部隊が中国に存在 していなか ったことである。
対日政略において軍事的に貢献 してこそ,戦後における大国 としての地位が
保証 される訳であったが, この修正に よって, アメ リカの支援の下に軍事的貢
献 をする機会は減少 し,大国と しての地位 を要求 しうる根拠を失 って しまった
のである。又強力なア メリカ軍部隊が終戦時において中国に進駐 していなか っ
た為, ソ連軍,中共軍の軍事行動を牽制 しえなかったのであ った。
>戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという
>事実でさえも、そうした気持ちに影響を与えるべきではない。
↑
現在のドイツ連邦共和国は、旧ナチスドイツ国防軍を引き継ぐことは出来ない。
>第2次世界大戦戦犯を合祀した靖国神社と対照的な場所を訪問し、日本とドイツの違いを浮き彫りにしようという狙いだった。
↑
対する日本は今からでも旧日本軍を復活させることも出来る。
まさにこれはバグラチオン作戦と大陸打通作戦の大差なのである。
これに応じて同年ソビエト連邦はホイジンガーを戦争犯罪容疑者としてアメリカ合衆国に引き渡しを要求したが、拒絶された。』
NATO軍に旧ナチ軍人を入れたりすると、ロシア側から『敵国条項』を発動されてしまう。
対する旧日本軍は『白団』として中華民国の軍事顧問にも就任しており、そういうことにはならない。
中国当局の傲慢トンデモ発言 「敗戦国が戦勝国の領土を占拠する道理ない」
https://www.j-cast.com/2012/09/28148072.html
なお中共が『対日戦勝国』として日本に敵国条項を振り向けようとすると、世界中で失笑の的になる。
なんで?
大陸打通作戦で大勝利したから。
>つい16年前までは敵国であったドイツの首都ベルリンであるがゆえに
西ドイツのためにロシアとの戦争を強いられるくらいなら、米国はNATOを脱退してしまう。
NATOはあくまで共同防衛であり、米国は決して他国のための戦争はしないのである。
そこに武装親衛隊の兵士四九人が埋葬されていたことがわかった。このため、ドイツだけでなくヨーロッパ全体で、
コール氏に対する批判の声が上がった。特に被害者にとっては、武装親衛隊は今もナチスの犯罪を象徴する組織なのである。
http://www.tkumagai.de/Chuo%20Grass.htm
今年で82歳になるコール元首相は車椅子に座って、スーツの下に光沢のある黄色のネクタイを着用。
黄色は自由民主党(FDP)の党カラーで、長年の連立パートナーだった同党とのつながりをアピールした。
コール氏はCDUの連邦議会内本部で10分間の演説を行ない、「ここは私のホームグランド。私の家です」と語り、喝采を浴びた。
http://www.news-digest.co.uk/newsde/news/news/4544-2012-09-25.html
CDU, 1953: “All paths of Marxism lead to Moscow!” 
https://www.politico.eu/article/the-art-of-election-campaigning-auf-deutsch/
>一九八五年に当時のコール首相とレーガン大統領が、旧西ドイツのビットブルクで、兵士の共同墓地を訪問したが
けれども現在のドイツ連邦共和国政府は、旧ナチスドイツ国防軍を再建したくても出来ない状態にある。
もしそのようなことをすれば1961年のベルリンの壁ように、ロシア側から『敵国条項』を発動されるからだ。
レート 皇軍死 連合軍 戦場 敵将
115.8 *11000 ***95 シッタン作戦 スリム
*62.9 *10000 **159 ホーランジア マッカーサー
*30.5 *25000 **820 ミンダナオ マッカーサー
*24.4 *11000 **450 アイタペ マッカーサー
*22.1 *79261 *3593 レイテ マッカーサー
*21.2 *10000 **471 ビアク マッカーサー
*19.3 205535 10640 ルソン マッカーサー
*18.8 *16533 **881 ラングーン陥落 スリム
*17.1 *14300 **835 ビサヤ マッカーサー
*16.1 *20000 *1243 ブーゲンビル マッカーサー
*15.9 *10000 **628 ラエ・サラモア マッカーサー
*12.9 *72480 *5633 インパール スリム
*11.4 *12500 *1100 レイテ沖海戦 マッカーサー・ニミッツ
*8.71 *30000 *3441 サイパン ニミッツ
*8.71 *18500 *2124 グアム ニミッツ
*6.96 *83737 12031 満州日ソ戦 ヴァシレフスキー
*6.36 *21000 *3300 ギル・マーシャル ニミッツ
*5.45 110000 20195 沖縄(海戦含む) ニミッツ
*4.58 *10695 *2336 ペリリュー ニミッツ
*4.36 *31000 *7100 ガダルカナル(海戦含む)ゴームレー
*2.64 *18000 *6821 硫黄島 ニミッツ
*1.08 *10000 *9703 ノモンハン事件 ジューコフ
ナチはキルレシオ()で勝ってる(キリッ
真実
↓
「無条件降伏後、西側三国に占領されたドイツ地域には、米兵よりも、
ドイツ人捕虜の方が多かった・・・・・・」
連合軍は一九四五年六月に捕虜の数を数え終え、収容された「戦争捕虜及
び武装解除された憲兵」は七六一万四七九四名、うち「四二九万九〇〇〇名
は降伏時にすでに捕虜となっていた」と公表した。
パウル・カレル/ギュンター・ベデカー
『捕虜――誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路』
それで捕虜収容所で沢山死んだり行方不明になってます(笑´∀`)
確かに日本軍は戦場で餓死しすぎだが、捕虜収容所で何百万人も野垂れ死んだナチの豚どもより遥かにマシだな
戦場で沢山の兵士を飢餓や病気や万歳突撃で死なせた日本軍は大失態→解らんではない
易々と白旗上げた上に捕虜収容所で野垂れ死んだナチどもはノーカンだから、それ以外でキルレシオ算出すればナチは優秀→これはさすがに理解できんwwwww
ナチが米軍に最大の損害を与えたアルデンヌの戦い
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_the_Bulge
19,000 killed,47,500 wounded
残りはcaptured or missingで23000名だから殆ど捕虜だろ
捕虜を人的損失に入れてたら、西部戦線のドイツ軍なんて大惨敗だろうに
ナチの退却が早すぎて追いつけなかっただけだろw
ナチほど看板倒れの軍はいない。
あまりにもナチ兵があっさり降伏するから捕虜収容所が満杯になって、
捕虜に手厚いはずの米英の収容所ですら、過収容で何十万も死者が出たほど
それにティーガー2も入れて1000両近くも戦車や装甲車投入して
第32軍の3倍の35万(それも第32軍は元々65000名で残りは沖縄での現地召集兵)投入して
でいくら陣地に籠ってたからとはいって同じぐらいの戦果じゃ情けなさすぎませんかね・・・
硫黄島
日本軍1個師団21000名→米軍死傷者29000名←ヴォースゲー
沖縄
日本軍2.5個師団10万人→米軍死傷者84000人←第32軍スゲー
アルデンヌ
ナチ20個師団35万人→米軍死傷者81000人←何これ?やる気あんの?武装親衛隊(笑
ナチヲタ「捕虜は死んでないからキルレシオ()から除害」
アドミラルティ諸島の日本兵は、一人または少人数ではジャングル最良の狙撃兵であった。
完璧に偽装し・・・米軍な弾の無駄遣いを嘲笑っていた(ある日本兵の評「米兵は何でも撃つ、撃った数に応じてボーナスがもらえるに違いない」)
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P158
「日本軍、ドイツ軍の司令官はともにそのような命令(死守命令)を乱発するが、実際に守られる可能性は日本軍の方が遥かに高い」
『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』P160
無能な上層部が『天祐を信じて死守命令』を乱発したのは日本軍もナチも変わらなかったが
ナチはその命令を守りもせず戦わずに降参して捕虜収容所で餓死した
ナチ兵にあだ名を付けるなら『全自動餓死兵士』とでも言うべきか(笑)
いくらインパールの人的損害で日本軍を叩こうが
【インパールの損害はナチの西部戦線の損害のたった1/300】で常に完全論破できる。
British, and French forces in the war in Europe follows:
Battle dead Permanently disabled Captured Total
Tunisia 19,600 19,000 130,000 168,600
Sicily 5,000 2,000 7,100 14,100
Italy 86,000 15,000 357,089 458,089
Western Front 263,000 49,000 7,614,794 7,926,794
Total 373,600 85,000 8,108,983 8,567,583
Army Battle Casualties and Nonbattle Deaths in World War II
Atlantic area theaters
Total deaths among battle casualties 177,100
米軍はたった17万人の死傷者で、自軍の何倍もの857万人ものナチをノルマンディから1年足らずで粉砕した
キルレシオは実に1対52www
こんな惨敗は人類史上始めてだろう
無駄死にとはナチのためにある言葉だ
いかなる日本軍へのバッシングも【ナチはただの野垂れ死にだが日本兵の死には意味があった】のひと言で常に論破できる。
1945 年までに、日本陸軍の持つ力は敵に死傷者を生じさせる能力のみになっていた。
その能力は、日本陸軍の戦略を躱し、安価に日本を破る手段として原子爆弾を使用するという
アメリカの決定に影響を及ぼしたが、また、無条件降伏の要求を取り下げ、代わりに皇室と
従来の国家体制の一部を維持するという条件付き和平を採用することも決定された。この
状況は日本のエリートと国民に、ドイツ人が受けた権利から比べると、自らの運命
を制御するはるかに大きい権利をもたらした。日本の戦力と戦闘は実際のところ、
若干の政治的目標を達成したのである。敗北によってある種の勝利を得たのである。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf
支那の3500万人の犠牲は常任理事国に繋がった
大日本帝国の310万人の犠牲は政治的目標を達成した
しかし
ナチのファシスト1000万人の死者は無駄死にの犬死に過ぎなかったのだ
ロンメル軍の敗北はイタリアから燃料が来なかったとか、重要なタンカーが
撃沈されたからとか言われるが、根拠がない。
ロンメルは十分な燃料を受け取っており、ロンメルが直面した困難はヨーロッパからの
補給物資の途絶が原因ではなく、むしろアフリカ内陸部での燃料輸送の不能に起因している
エル・アラメインの敗戦時においても、アフリカ軍団の補給物資の1/3はベンガジに滞留していた
ヒトラーがロンメルを十分に助けなかったという説は正しくない
ロンメルは北アフリカで維持できる最大の部隊を与えられていたし
1942年8月末の時点でも戦車と重砲の数はイギリス軍を上回っていた。
これらの部隊を維持する為に、同程度の規模の他のドイツ軍と比較にならないほどの
多くのトラックを与えれらていた。
リビアの港湾能力が低く運搬距離が非常に遠かった状況下では、限られた地域を守る為に
部隊を送るとしたヒトラーの最初の決定は正しく、ロンメルがヒトラーの命令に挑戦し
基地から適当な距離を越えて進撃を試みた事は誤りであり、黙認できることではなかった。
M.V.クレフェルト 「補給戦」
フランスでの捕虜は連合軍の上陸を防ぐために仕掛けられた、ロンメルの遺産とも言うべき?
一千万個という地雷除去作業に4万人の捕虜が駆り出されます。
もちろん全員が元工兵などということはなく、シロウトの彼ら捕虜が
棒や素手で一個一個地雷を探り当てては除去するわけですが、
その失敗による損害も部隊によっては10%を超えています。
捕虜 -誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路-
http://ona.blog.so-net.ne.jp/2010-07-05
捕虜に“とってもらえた”ナチ兵は自分らで仕掛けた地雷で爆死した(笑)
ヒムラーはシュナイデミュール要塞の司令官が退却する兵を射殺し、死骸に『臆病者はすべてこうなる』と書いた札を下げたことを称賛している。
負傷もしていないのに、部隊を離れているところを発見された国防軍兵士はすべて銃殺されることになった。
幻想のなかではドイツはどうにか勝利を収める。そのためには無条件の献身と勝利への信頼があれば十分なのであった。
元帥ヴォルターモーデルはドイツ軍上層部を支配していたイデオロギー的認知症をあらわにしている。
彼らがもっと正気であれば、戦争に敗れるのはわかっていただろうに
ナチスの戦争 1918~1949 リチャード・ベッセル
結構適当な数字だな
>*19.3 205535 10640 ルソン マッカーサー
赤軍はベルリンに突撃してナチスにトドメを刺したのに、米軍はフィリピンでキルレシオ自慢?
最近のWW2の映画のハクソーリッジとフューリーを見比べればわかるよ
スタックしたシャーマンに無双されるドイツ軍に対して前田高地の第32軍の強さはヤバイ
赤軍がバグラチオン作戦で快進撃してるのに、米軍はパンター怖いで尻込みしてるくらいなら、米ソ冷戦はソ連の圧勝だ。
パシフィックのペリュリュー戦で95式軽戦車が一撃でシャーマンに吹き飛ばされとったぞw
一方BOBではマーケットガーデン作戦の戦闘で英近衛軍の戦車部隊がドイツ戦車の待ち伏せ喰らってシャーマンやクロムウェルが次々とやられてたな
>マーケットガーデン作戦
それ、英軍がヘタレだったつーだけの話なんだが?
もちろん、アメリカとしては実質的な支援や、実質的に相手に打撃を与える
事なら大歓迎だが、イギリスの参加は、どっちせよ(そのように実質的なも
のではなく)、メンツを救う性質のものだろうと、云った。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/whitehouse_19450618.htm
やっぱり日本軍は劣弱だったんだなぁと確信したw
シッタン作戦 とか
ホーランジア
の事について語ろうぜ
M3グラントに初遭遇して三階建ての超重戦車がきた!にげろー!になったやつだな
速射砲小隊が撃ちまくってもピンポン玉みたいに跳ね返しながら向かってくるから大パニック
>M3グラントに初遭遇して三階建ての超重戦車がきた!にげろー!になったやつだな
この問題がまだ解決しないうちに、日本軍がビルマ公路に沿って、短い攻勢に出た。
蒋介石は、日本軍が一直線に昆明にまで攻めよせてくるのではないかと不安にかられ、
ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。
ルーズベルトは蒋介石に緊急の覚書を送り、ビルマから軍隊を引き揚げるようなこと
があれば、また全指揮権をスティルウェルに渡さないのであれば、アメリカからのすべ
ての援助を停止すると警告した。
スティルウェルによれば、大統領からのこの覚書は「火のついた爆竹」であった。
スティルウェルは蒋介石と会見し、「このとうがらしの包みをピーナツ野郎に手渡し、
大きく息を吐きながら椅子の背に身体を沈めた。鋲はこのちび野郎のみぞおちに命中し、
やつを突きぬいた」
「宋王朝 下」(スターリング・シーグレーブ サイマル出版会)P252
1944-5年西部戦線の戦車戦に関し、アメリカ軍による研究がある。
Hardisonは、比較的戦車戦の多かった第3機甲師団と第4機甲師団の戦闘データから98戦例を抽出した。
これによれば、アメリカ軍が攻撃側でドイツ軍が防御側に立った場合の損害率は、米22.8%で独33.3%である。
これが反対に、ドイツが攻撃側に回った場合には、独60.1%で米6.8%と、ドイツ側の高い損害率を示している。
シャーマンとパンターの戦闘にかぎった場合でも、数字はほとんど変わらない。
両軍が会敵するとき、平均して、アメリカ軍は兵器9.1を有し、ドイツ軍は兵器3.7を有し、約2.5対1となっていた。
シャーマンとパンターの関与する29戦例で見れば、シャーマンは1.2対1の数的優勢をもっていた。
86戦例のうち、6ケースでアメリカ軍側は全滅している。
同じように、ドイツ軍では89例のうち41ケースで全滅した。
3以下の兵器を使用した側は、81例のうち37例で全滅させられている。
統計では、パンターが防御に回ったときの有用性はシャーマンの1.1倍となり、
逆の場合シャーマンの有用性は8.4倍にもなる。
すべての記録を合わせると、シャーマンはパンターの3.6倍の有用性を誇った。
ナチの主力戦車パンターですら、シャーマンに全く歯が立っていなかった事実
チハもパンターもシャーマンにかなわないという点で変わりはなかった
シャーマン>>>>>チハ=パンター
> 速射砲小隊が撃ちまくってもピンポン玉みたいに跳ね返しながら向かってくる
けれども日本古来の工芸品たる日本刀は、大陸打通作戦でチンピラゴロツキ3500万を殺戮する大戦果を挙げた。
けれどもその分、工業の発展が米英独ソよりも大きく遅れてしまった。
というか福沢諭吉の「脱亜論」で書かれているように、明治国家はチャンコロ対策が最終目的だった。
だから工業で米英独ソに及ばずとも、チャンコロチンピラゴロツキを壊滅させたのだから万々歳だ。
対日戦争がオマケつーなら日中戦争はオマケのそのまたオマケで、中国人は人間扱いされなくなってしまう。
チンピラゴロツキ3500万を日本人の軍刀で斬り伏せ、かつ中国への賠償金はゼロ。
日本刀の切れ味は日本古来から伝わる不思議な日本人の魂が宿っており、中国人はその体で思い知らされた。
中国人は老弱男女全てが殺戮の標的物だった。まさに野球で言えば0点に抑えた快挙だった。
どんなに日本軍の人命軽視がバッシングされても
【ナチは軽視どころかわざわざ自国民を殺した】で常に完全論破できる。
ドイツ軍の崩壊が進み、将軍たちが部隊に与えることができるのは、信念と全滅だけだった。一般市民も、文字通り最前線に配置された。
オットー・ゲオルク・ティーラック法相は1945年2月15日に略式軍事法廷を設置する命令を発した。
『敵軍が迫りつつある防御領域』に設けられ、『臆病や利己心』のために『一般市民に対する自らの義務を回避』しようとした全ての者に対し『必要な厳しさをもって』対処することとなっていた。
その権限は『ドイツ人の戦闘力と戦意が危機にさらされる行為』全般に及ぶ。
判決は三種類しかなかった。死刑か無罪、あるいは別の裁判所への引き渡しである。
すでに戦争が終盤に入った頃に、ナチは自殺は称賛するようになっていた。
1945年春のドイツには死体があふれ、国中の人々が自殺者を目にしていた。
ドイツ軍の崩壊後、自殺は大衆現象と言っていいほど一般的になっている。
すべてが破壊されたことによる無気力と絶望感から、数万人のドイツ人が自殺するに至った。
メクレンブルクの小さな町テテロウの埋葬記録には120件の自殺の詳細が示されている。
銃、首吊り、入水、服毒に加え、父親が家族全員を殺したあと自殺するケースも多かった。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン陥落1945』
どんなに日本軍の人命軽視がバッシングされても
【ナチは軽視どころかわざわざ自国民を殺した】で常に完全論破できる。
ドイツ軍の崩壊が進み、将軍たちが部隊に与えることができるのは、信念と全滅だけだった。一般市民も、文字通り最前線に配置された。
オットー・ゲオルク・ティーラック法相は1945年2月15日に略式軍事法廷を設置する命令を発した。
『敵軍が迫りつつある防御領域』に設けられ、『臆病や利己心』のために『一般市民に対する自らの義務を回避』しようとした全ての者に対し『必要な厳しさをもって』対処することとなっていた。
その権限は『ドイツ人の戦闘力と戦意が危機にさらされる行為』全般に及ぶ。
判決は三種類しかなかった。死刑か無罪、あるいは別の裁判所への引き渡しである。
すでに戦争が終盤に入った頃に、ナチは自殺は称賛するようになっていた。
1945年春のドイツには死体があふれ、国中の人々が自殺者を目にしていた。
ドイツ軍の崩壊後、自殺は大衆現象と言っていいほど一般的になっている。
すべてが破壊されたことによる無気力と絶望感から、数万人のドイツ人が自殺するに至った。
メクレンブルクの小さな町テテロウの埋葬記録には120件の自殺の詳細が示されている。
銃、首吊り、入水、服毒に加え、父親が家族全員を殺したあと自殺するケースも多かった。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン陥落1945』
旧日本軍の遺産も靖国神社にそのまま残っているのでいつでも再使用できる。
対するドイツは旧国防軍を引き継ぐことは一切出来ないので、NATO軍の一員としてのドイツ連邦軍しかない。
伝統無きにわか独立軍なんて作りようが無いから。
それが出来ないならよその大国に従属するしかない。ロシア軍はどこにも従属せず独立軍として機能する。
太平洋戦争を始めたのはジャップが頭が悪かったからだとさww
ジャップッぷ www
参戦する必要ないのにイエローモンキーと心中した優秀人種()がいたらしい
日本はのどかな第二戦線だったので戦車も75ミリシャーマンや軽戦車で十分だった
アラコート戦車戦って知ってるか?
75㎜砲主体のM4とM10に、第5装甲軍の2個師団のパンターやティーガーが
襲い掛かったが、米軍の一方的勝利で
ナチの損失、戦車(パンター多数)装甲車285輌
米軍の損失 M4 25輌 M10 7輌
キルレシオ 1:10wwwwwwwwww
バルクwwwwマンwwwコwwwwナーwwwwwwww
ナチがアルデンヌの戦い前に、西部戦線に配備していたパンターは471輌うち336輌が稼働(稼働率71%)
うち400輌が東部戦線や本土から移動したきた分
しかしアルデンヌの戦いでの戦いの消耗が激しすぎて1945年1月15日時点では稼働しているパンターは
たった97輌だったwwwwwwwwww
やられすぎwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ナチ軍が一方的にボコボコにされる激戦()だったのか
Germanys Panther Tank: The Quest for Combat Supremacy トーマスジェンツ著
1944-5年西部戦線の戦車戦に関し、アメリカ軍による研究がある。
Hardisonは、比較的戦車戦の多かった第3機甲師団と第4機甲師団の戦闘データから98戦例を抽出した。
これによれば、アメリカ軍が攻撃側でドイツ軍が防御側に立った場合の損害率は、米22.8%で独33.3%である。
これが反対に、ドイツが攻撃側に回った場合には、独60.1%で米6.8%と、ドイツ側の高い損害率を示している。
シャーマンとパンターの戦闘にかぎった場合でも、数字はほとんど変わらない。
両軍が会敵するとき、平均して、アメリカ軍は兵器9.1を有し、ドイツ軍は兵器3.7を有し、約2.5対1となっていた。
シャーマンとパンターの関与する29戦例で見れば、シャーマンは1.2対1の数的優勢をもっていた。
86戦例のうち、6ケースでアメリカ軍側は全滅している。
同じように、ドイツ軍では89例のうち41ケースで全滅した。
3以下の兵器を使用した側は、81例のうち37例で全滅させられている。
統計では、パンターが防御に回ったときの有用性はシャーマンの1.1倍となり、
逆の場合シャーマンの有用性は8.4倍にもなる。
すべての記録を合わせると、シャーマンはパンターの3.6倍の有用性を誇った。
ナチの主力戦車パンターですら、シャーマンに全く歯が立っていなかった事実
チハもパンターもシャーマンにかなわないという点で変わりはなかった
シャーマン>>>>>チハ=パンター
アメリカ軍戦訓広報誌Intelligence Bulletinによれば、シャーマンに歯が立たないナチは、
パンターの最新型(G型)を投入して、射程の長さを活かしてロングレンジで戦車兵にシャーマンと2,000ヤードで撃ち合うよう訓練したが、
Novilleでのクリスマスの戦闘ではその作戦すら全く通用せず、
シャーマンがわずか45分間にパンターG型を一方的に6輌撃破したと書いてる(シャーマンの損害0)
パンターにはシャーマン5両で当たれと命令がでたいうデマを飛ばすナチヲタファシストがいるがそんな史実はない
シャーマンに歯が立たないという点ではチハもパンターも変わらなかった
ナチ礼賛のファシストは
すぐにバルクマンコーナー(笑)とかヴィレル・ボカージュの戦い((笑)(笑)
とかごく一部の得意例を持ち出してナチのボロ戦車を褒め称えるが
当のナチの第53軍団司令官フリッツ・バイエルラインが
パンターはノルマンディでの地形に適応しておらず、操縦性の良好なM4に対し苦戦した。
長砲身と横幅は村や森林での戦いでの機動力の低下要因となったし、フロントヘビーで
フロントファイナルドライブがすぐ摩耗したから全く役に立たなかったと認めているんだが
Armored Thunderbolt: The U.S. Army Sherman in World War II スティーヴン ザロガ著
パックフロントとかなかったのが長閑な太平洋戦線
あんまりにも暇なのでラバウルではサツマイモを栽培していた
いかなる日本軍へのバッシングも【ナチがだらしなさ過ぎて暇だったGIはフランス娘とフランスおばさん相手に戦っていた(笑)】で常に完全論破できる
研究の趣旨についてロバーツ教授は、「GI(進駐軍兵士)はたくましい男で、常に正義に基づいて行動するとの典型的な『GI神話』の偽りを暴き出すことだった」と、AFPに語った。
教授によると、米軍では当時「フランス人に対して優位に立つ」手段として性欲、買春、レイプが取り入れられていたという。
 米兵たちは、ノルマンディーの人々から「性のアバンチュール」を求めてやってきた、セックスに飢えた荒くれ者と見られていた。
これは地元ノルマンディーではよく知られていることだが、一般的な米国人にとっては「大きな驚きだ」とロバーツ教授は述べている。
■「女性を隠せ」、街中いたるところで性行為
米メディアがノルマンディーに上陸した米兵について、キスをする米兵と若いフランス女性の写真を掲載するなどロマンチックな視点で解放者として描いていた間、地元の人々は「問題」に直面していた。
地元には、「ドイツ人を見て隠れるのは男たちだったが、米兵の場合は女たちを隠さねばならなかった」という話が伝わっているという。
米兵たちの放蕩ぶり、不法行為、さらには組織的な人種差別などもあった。
「GIはどこでも所かまわずセックスしていた」とロバーツ教授。
特に、ルアーブルやシェルブールでは米兵たちのマナーの悪さが目立ったという。
米兵たちは、女性を見れば既婚女性でさえ公然とセックスに誘い、公園、爆撃を受けて廃墟と化した建物、墓地、線路の上など、街中いたるところが性行為の場となった。
しかし、全てが両者の合意のもとで行われたわけではなく、米兵によるレイプの報告も数百件残されている。
ロバーツ教授が調べた資料によれば「セックスをしている男女を見かけずに街を歩くことは不可能」なほどで、当時のルアーブル市長が米駐留部隊の司令官に改善を求めたと記されていた。
米軍の上官らは兵士たちの行為について公式な非難声明は出したが、改善の努力はしなかったという。
ヨーロッパ戦線ではナチ軍が弱すぎて暇をもて余した米兵が淫売買ったりレイプしたりして性病の罹患率が異常に上昇している。
手を焼いたアイクが1945年4月に売春禁止令を慌てて出してるけど、全く効果なく、1945年には1944年の5倍以上に及んでいた(笑)
林博史著「女性・戦争・人権 (第7号)」
米兵が暇すぎて性病にかかってたころナチはホモ同士で殺しあってた
同性愛者を弾圧したはずのナチ党には逆に同性愛者が多かった。
ナチスの私設警察だった「突撃隊」はレーム司令官がホモだった。
そのためにレームは性癖が同じような人間を突撃隊幹部に採用した。
ヒトラーは突撃隊がホモに支配されたと知ると怒り、SS(ナチス親衛隊)にレームと突撃隊を粛正させた。
そして突撃隊の大半をSSに統合した。
これにより、ナチスでは秘密裏に「ホモ人脈」が築かれていく。
SSを隠れ蓑に、ゲシュタポ(秘密警察)やSD(SS情報部)では同性愛行為が当たり前に成った。
また同性愛者の将校らは、同じような性癖の人間を、同族意識から幹部に採用した。
国家社会主義青年団などナチスの青年組織から、美少年がリクルートされたり、
ポーランドやフィンランドなど外国からも大量に、少年愛の為に青少年が誘拐された。
SSの根底に有ったのは同性愛だった。
同性愛者を虐殺しながら、実は裏でゲイか蔓延っていたのがナチ(笑)
こんな池沼上級国民(ナチ党員)のアホ作戦のお陰で国会議事堂に赤旗が翻るまでの完全敗北
近代戦でここまで徹底的に負けた軍隊はナチ軍以外にないだろう
,j;;;;;j,. —一、 ` ―–‐、_ l;;;;;;
{;;;;;;ゝ T辷iフ i f’辷jァ !i;;;;;
ヾ;;;ハ ノ .::!lリ;;r゙
`Z;i 〈.,_..,. ノ;;;;;;;;> パンテルタンクは弱っちいシャーマンを無双した…
,;ぇハ、 、_,.ー-、_’,. ,f゙: Y;;f そんなふうに考えていた時期が
~”戈ヽ `二´ r’´:::. `! 俺にもありました
https://scontent-lga3-1.cdninstagram.com/vp/4931cc9c2c4f58d3690be2bf3912abb5/5BDF68EB/t51.2885-15/e35/25026150_353115991827796_6871623068561702912_n.jpg
そんなにナチ戦車をデカデカと掲げてると、ナチス時代に大きな思い入れがあるのかと思えてくる。
それどころか昨年、モンテネグロが新規加盟している。それから英国はEUを離脱している。
だがもう一方でサッカー大会とかで欧州はアジアをも含めて盛り上がって楽しくやっている。
欧州が米国に完全従属する時がもう来ている。
もちろん、アメリカとしては実質的な支援や、実質的に相手に打撃を与える
事なら大歓迎だが、イギリスの参加は、どっちせよ(そのように実質的なも
のではなく)、メンツを救う性質のものだろうと、云った。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/whitehouse_19450618.htm
冷戦終結から30年近くになって、第二次大戦終結時のパワーゲームに戻りつつある。
大戦の趨勢を決めた米軍とロシア軍だけが世界秩序を決める立場にあるということだ。
世界秩序は米国かロシアかの二者択一という冷戦時代に逆戻り、日本としてはこっちのほうがいい。
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1530476266/
ロシアのクリミア併合をどうするかというと、どうにもならない。経済制裁しようがしまいがだ。
せいぜい経済制裁に伴うロシアの報復に対抗するためにNATOを強化するくらいしか出来ない。
欧州は米国にロシア制裁を続けてもらうことを条件に、米国に全面服従するしかない。
ガス室なんてどうでもいいし、ユダヤ人犠牲者数もどうでもいい。殺戮手段はいくらでもあるのだから。
ソ連時代ならいつでも出来たよ
もう無理だがw
あそこは大ロシアの領土だ
マカーキーは立ち入り禁止
ごみすぎて外国人からボロカスに侮辱されてしまう
Watch “Type 14 Nambu Pistol 南部拳銃” on YouTube
https://youtu.be/dc87joWmHFo
>>757
ところで、マッカーサーの第6軍の兵士の死因のトップは異常な高率の小火器によるヘッドショット
死因の約二割にもなった。
日本軍の狙撃はナチの火砲や戦車よりもアメリカ兵をぶち殺したって知ってたか?
Statistics for& Army on Leite indicate that almost half of all fatal wounds
were from small arms fire, and a little more than half of fatal small arms
wounds were from hits to the torso, with head wounds accounting for about 20% of fatalities. On the other hand,
the majority of nonfatal wounds were inflicted by shell or grenade fragments.
嘘つけゴミ
ドイツの三分の一しか殺してないやん
しかも東部戦線が主戦場のドイツと比べてほぼアメリカ単独を相手にしてこの結果w
>しかも東部戦線が主戦場のドイツと比べてほぼアメリカ単独を相手にして
中国とも戦争してるが?
9月3日は、中国人全員が心に刻み、大いに気を吐く日である。中国人は抗日戦争のため大きな民族の犠牲を強いられ、
死亡者数が3500万人以上に達したからだ。抗日戦争の勝利は、中国人が日本帝国主義の侵略に対抗した正義の戦争、
世界の反ファシズム戦争の重要な構成部分、中国が近代で初めて外国の侵略に完全に勝利した民族解放戦争だ。
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2014-09/02/content_33405119.htm
つまり中国の抗戦による直接人口損失の累計可能な見積もり数は2062万人で、累計可能な戦争の直接負傷障害
人口を合わせると、軍民の死傷は最低3480万人となる。同時に、中国の抗戦による直接の死傷人口は計4100万
以上になるはずで、戦時中の行方不明・捕虜などの数字を合わせると、戦争が直接中国にもたらした死亡、
負傷障害、失踪などの人口損失は4500万人を超えると考える。さらに人口損失の見地からは、抗日戦争期の
中国の人口損失総数は5000万人以上にのぼるはずである。
http://www.china-news.co.jp/node/4456
興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありませんでした。抗日戦争の中で中国側は3500万余人、
興隆県の中でこの13年の間に5万人くらいが殺されました。全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、
興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。興隆県公安局の1954年の7つの区に対する不完全な統計によると、
人圏の中の住民が疫病、凍死などで死んだ人が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は1
6万人くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。6万人くらいが殺されたことになります。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/cont/sankotou.html
日本軍へのいかなるバッシングも【日本軍はナチより圧倒的に強かった】で常に完全論破できる。
アメリカ軍の公式戦史によれば、全戦死傷者数は 4 万 9,133 人(うち死者・行方不明者が
1 万 2,520 人)に上った。別の戦史によれば、地上戦における全戦死傷者数は 3 万 9,262 人
(うち死者 6,319 人)で、それに加え「非戦闘死傷者」が 3 万 3,096 上ったという。
フランクは次のように述べる。「このように、アメリカの全死傷者は 7 万 7,358 人にも達した。
訓練を受けた[沖縄の:引用者注]防衛部隊の総兵力が 7 万 6 千人であったことを考慮すれば、
これは、日本本土上陸作戦を準備しているさなか、とてつもなく不吉な指標である」
トルーマン大統領は、本土侵攻作戦に関するブリーフィングのために召集した会議において、
「日本本土のいずれにおいても、沖縄が再現されないことを望む」と述べていた。
日本本土侵攻作戦の見通しそのものが明るかったと断言することは困難であろう。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/16672/1/fujita_2014_bun.pdf
ハーバード大学卒業、冷戦下にモスクワ大学に留学歴があり、世界史の著作を多数執筆している歴史家
ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan:
The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、
極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、
ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、
優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)
このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう。」
とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%E7%B8%E6%A6
自動小銃とタイガー戦車のナチ武装親衛隊機甲師団<<<<<<<<<<<<<<38式小銃とチハの大日本帝国陸軍第32軍
ナチ人弱すぎだろ
日本を(フィリッピン等占領された)これら地域から排除することは簡単な仕事では無かった。
大日本帝国の兵士達の降伏率は大戦を通じて驚くほど低く1~3%だった。しかも
そのうち自発的なものはその3分の1だ(残りは自殺できないほど負傷した者)。
その結果太平洋戦線での米国兵の損耗率は欧州戦線と比較して3.5倍に達した。
Removing Japan from these lands – which fell primarily to the United States- proved
no easy task. Imperial Japanese soldiers surrendered at appallingly low rates.
According to some sources, only one to three percent of Japanese forces surrendered
throughout the war, and only one third of these troops actually wanted to surrender
(the rest were too sick or wounded to commit suicide or continue fighting.)
As a result, most estimates suggest that America’s casualty rate in the Pacific
theater was about three and a half times larger than in Europe
http://nationalinterest.org/feature/the-5-most-precarious-us-allies-all-time-12075
The 5 Most Precarious U.S. Allies of All Time
米にとって最も危険だった同盟国 ナショナルインテレスト誌 2015/01/21
そのジャップより弱いナチ人ってなんだ?
猿以下だからボウフラぐらいか?
どんな日本軍がバッシングされても【ヤンキーにとって西部戦線はバカンスも同然だった】のひと言で常に論破できる。
フィリピン戦第六軍の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者1.95名、死傷者計7.45名
ノルマンディ以降の欧州戦線の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者0.42名、死傷者計2.16名
太平洋は、死傷率が高かった海兵隊の数字が入ってなくともこの有様
米軍にとって西部戦線はフランス娘とのセックスと観光を楽しむツアーにしか過ぎなかったのだ
フィリピン戦のキルレシオ
アメリカ兵1対日本兵50
お話にならない大惨敗www
どんな日本軍へのバッシングも
【米兵は楽勝なナチ狩に行きたがった】で常に完全論破できる。
兵士の多くが一八歳の少年だったことから「ダイアパー」(おむつ)師団とのあだ名をちょうだいした
第七十五歩兵師団は、一九四四年の秋、ケンタッキー州ブレッケンリッジ・キャンプで戦闘訓練を
終えようとしていた。元一兵士のハーヴィー・カッツは回想する。
「ある日、われわれは列車に乗せられた。そして、全員じっと座ったまま、列車は西へ行くのだろう
か東へ行くのだろうかと考えていた。東へ向かっているのがはっきりしたとき、誰もが歓声を上げた。
行く先はヨーロッパだとわかったからだ」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 トーマス・アレン ノーマン・ボーマー 181頁>
GIたちはジャップとの死闘よりもフランス観光がてらのナチ狩りに行きたがった
楽勝だしな
いくら人的損害で日本軍を叩こうが
【インパールの損害はナチの西部戦線の損害のたった1/300】で常に完全論破できる。
British, and French forces in the war in Europe follows:
Battle dead Permanently disabled Captured Total
Tunisia 19,600 19,000 130,000 168,600
Sicily 5,000 2,000 7,100 14,100
Italy 86,000 15,000 357,089 458,089
Western Front 263,000 49,000 7,614,794 7,926,794
Total 373,600 85,000 8,108,983 8,567,583
Army Battle Casualties and Nonbattle Deaths in World War II
Atlantic area theaters
Total deaths among battle casualties 177,100
米軍はたった17万人の死傷者で、自軍の何倍もの857万人ものナチをノルマンディから1年足らずで粉砕した
キルレシオは実に1対52www
こんな惨敗は人類史上始めてだろう
無駄死にとはナチのためにある言葉だ
いかなる日本軍へのバッシングも【ナチはただの野垂れ死にだが日本兵の死には意味があった】のひと言で常に論破できる。
1945 年までに、日本陸軍の持つ力は敵に死傷者を生じさせる能力のみになっていた。
その能力は、日本陸軍の戦略を躱し、安価に日本を破る手段として原子爆弾を使用するという
アメリカの決定に影響を及ぼしたが、また、無条件降伏の要求を取り下げ、代わりに皇室と
従来の国家体制の一部を維持するという条件付き和平を採用することも決定された。この
状況は日本のエリートと国民に、ドイツ人が受けた権利から比べると、自らの運命
を制御するはるかに大きい権利をもたらした。日本の戦力と戦闘は実際のところ、
若干の政治的目標を達成したのである。敗北によってある種の勝利を得たのである。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf
支那の3500万人の犠牲は常任理事国に繋がった
大日本帝国の310万人の犠牲は政治的目標を達成した
しかし
ナチのファシスト1000万人の死者は無駄死にの犬死に過ぎなかったのだ
ナチが米軍に最大の損害を与えたアルデンヌの戦い
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_the_Bulge
19,000 killed,47,500 wounded
残りはcaptured or missingで23000名だから殆ど捕虜だろ
捕虜を人的損失に入れてたら、西部戦線のドイツ軍なんて大惨敗だろうに
ナチの退却が早すぎて追いつけなかっただけだろw
ナチほど看板倒れの軍はいない。
あまりにもナチ兵があっさり降伏するから捕虜収容所が満杯になって、
捕虜に手厚いはずの米英の収容所ですら、過収容で何十万も死者が出たほど
それにティーガー2も入れて1000両近くも戦車や装甲車投入して
第32軍の3倍の35万(それも第32軍は元々65000名で残りは沖縄での現地召集兵)投入して
でいくら陣地に籠ってたからとはいって同じぐらいの戦果じゃ情けなさすぎませんかね・・・
硫黄島
日本軍1個師団21000名→米軍死傷者29000名←ヴォースゲー
沖縄
日本軍2.5個師団10万人→米軍死傷者84000人←第32軍スゲー
アルデンヌ
ナチ20個師団35万人→米軍死傷者81000人←何これ?やる気あんの?武装親衛隊(笑
>アルデンヌ
>ナチ20個師団35万人→米軍死傷者81000人←何これ?やる気あんの?武装親衛隊(笑
米軍がナチ軍に『苦戦』した唯一の事例であるが、米英はこれにビビってソ連に早期反攻を『依頼』した。
>ソ連がドイツ国防軍を倒した中心国で
ヤクザにものを頼めば落とし前をつけられるってだけw
ヨーロッパ戦線でドイツ軍と戦った陸軍の兵士は、優勢な火力を持ちこむことができ
ドイツ部隊は崩壊すると、大量の兵士が降伏し残りは速やかに退却、
それによって連合軍部隊は先を争って急進撃して大勝利を得た。
他方、太平洋戦線で戦った海兵隊と陸軍は延々とつづく戦いを強いられ
日本軍は退却するにしてもじわじわと退き、連合軍側の前進はヤードで計る有様。
投降する日本兵は比較的少なかった。
『ザ・コールデスト・ウィンター』 著デイヴィット・ハルバースタム
ナチは少しボコるとすぐ降参
そして捕虜収容所で黙って餓死した
連合軍はそんなナチ相手に大勝利を競い合った(笑)
それにしても 戦争で負けた国の こんな大掛かりな戦勝記念碑が
ナチスのパレードだの ベルリン暴動だのの場であるこの通りに現存してある….
ってのがスゴイねΣ(~∀~||;)
第二次世界大戦の敗戦を忘れないため?自国のした事を忘れないため??
今のドイツは 本当に寛大だよ…..
(だって東京にアメリカの戦勝記念碑が建っているって思えば…. (゜д゜;))
https://ameblo.jp/kiyomichin/entry-12341817854.html
沖縄の米軍基地 キャンプハンセン シャワブ キンザーは沖縄戦で日本兵や県民を殺しまくったヒーローの名前だよね
東京大空襲で10万名の民間人を焼いたカーチス・ルメイに航空自衛隊の創設に功があったという理由で勲章を与える日本政府
カーチス・ルメイ閣下はだつおも尊敬するジェントルマン
サルを焼いた英雄
それらのうちのいくつかは、忘却の淵に埋もれてしまったが、大部分は地元政府と一般の人々によって然るべく
保護されている。ロシア・ビヨンドが、最も印象的なモニュメントを紹介する。
https://jp.rbth.com/history/79340-dokusosen-kinenhi
↑
今まで殆ど報道されもしなかったのはなぜだろうか?
――たしかに、ブランデンブルク門に似ている。上には、勝利の女神、ヴィクトリアの銅像がある。
「ソ連兵は、西ベルリンに毎日、自由にやってくる。それに、1961年にベルリンの壁をつくってからも、
記念日には、ソ連軍はベルリンの壁を越えてきて、パレードするから、西ベルリン市民の怒りをかっている」
と、ガイドも怒っている。
ベルリンの壁をつくって、東西ベルリンの行き帰を遮断しておいて、ソ連は西ベルリンへ、フリーパスというから、
――西ベルリン市民が、パレードに石を投げる気もち、離散家族のやりきれない気もち、怒る気もちはわかる。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/a26d5bfa4c84a7c567da9567e8decb72
発言主が恣意的な選択方法によったものや当てにならない資料と主観的な意見しかない だつお
だから傾注に値しないwww
これなw
あとはペリュリューとタワラぐらいかw
たしかにTAWARAは日本の誇りではあるなw
サル航空隊は機銃を下ろしたB-29すら撃墜できない
アメリカの第二次世界大戦での戦時予算の合計が3200億ドル
内2100億が陸軍、1100億が海軍海兵隊
陸軍が7対3で欧州
海兵隊がほぼ太平洋向け
海軍は大西洋には正規空母や戦艦どころかフレッチャー級やアレン・サムナー級とかの新型駆逐艦すらほとんど配備していない
ナチ海軍のUボート相手は太平洋では役立たずで高速輸送艦に改造されたクレムソン級とかの旧式艦や駆潜艇などの小型艦だけだから10%もないだろ
せいぜい5%ぐらいか
とするとヨーロッパと太平洋で金のかけ方はあまり変わらんのだが
http://www.history.navy.mil/research/library/online-reading-room/title-list-alphabetically/u/us-navy-personnel-in-world-war-ii-service-and-casualty-statistics.html
アメリカ海軍は欧州がピーク時で240,221名
太平洋海上1,366,716名だから
投入人員は太平洋85:欧州15
15%の小型旧式艦に蹴散らされたデーニッツ
http://www.history.navy.mil/library/online/ww2_statistics.htm
米海軍戦死傷者100392名の内
ナチにやられたのは大西洋10966名 地中海4597名
↑
少なすぎワロタw
よくヨーロッパ優先とナチヲタは言うけどそれを決めたアルカディア会議のあとにマッカーサーやニミッツの抗議で予算配分は改められてるよ。
その結果がウオッチタワー作戦の前倒し実施だよ。
アルカディアは開戦まもなくの戦略的な方針を示しただけで、実際にそうはならなかったのは、ウオッチタワー作戦がトーチ作戦より先になったことが証明してる。
欧州と太平洋での本格的反攻作戦となったオーバーロード作戦とフォレイジャー作戦がほぼ同時となったのも偶然てはない。
ナチのUボートは確認されてるだけで174隻も米海軍に撃沈されてるのに、護衛空母1隻に駆逐艦8隻撃沈とかやる気あんの?
ダメ潜水艦扱いされてる日本軍ですら正規空母2隻に護衛空母1隻巡洋艦2隻沈めてるのに
太平洋戦線で一日での連合軍の戦車撃破記録が沖縄戦の34輌ぐらいだろw やる気あんのか?
弱いといわれたイタリア軍も東部戦線でシャーマンより格上のT34を一日で40輌も仕留めた事もあるのに
太平洋戦線で日本軍に撃破された連合軍の戦車<<<ルーデルのJU87一機の撃破戦車数
ルーデル
撃破戦車 519輌 撃沈 戦艦マラーなど3隻 敵機撃墜9機 無数のトラック 舟艇 地上目標
ヨーロッパ戦線でドイツ軍と戦った陸軍の兵士は、優勢な火力を持ちこむことができ
ドイツ部隊は崩壊すると、大量の兵士が降伏し残りは速やかに退却、
それによって連合軍部隊は先を争って急進撃して大勝利を得た。
他方、太平洋戦線で戦った海兵隊と陸軍は延々とつづく戦いを強いられ
日本軍は退却するにしてもじわじわと退き、連合軍側の前進はヤードで計る有様。
投降する日本兵は比較的少なかった。
『ザ・コールデスト・ウィンター』 著デイヴィット・ハルバースタム
ナチは少しボコるとすぐ降参
そして捕虜収容所で黙って餓死した
連合軍はそんなナチ相手に大勝利を競い合った(笑)
ルーデルなんて太平洋では一回目の撃墜でフカの餌wwwwwwwwwwwww
通商破壊でなく敵艦隊攻撃に投入されといてそれっぽっちの戦果w
すくねぇwww
やる気あんのかよw
ソ連軍潜水艦から撃沈したナチ貨客船
ヴィルヘルム・グストロフ
シュトイベン
ゴヤ
の3隻だけでナチファシストが35000人海没した
陸空でぼろ負けだったナチが唯一Uボート大活躍ナリーと言ってみたところで
潜水艦戦の人的収支ですらナチはぼろ負けだった
ところでイギリス潜水艦はよくイタリア軍に撃沈されてるが、 イタリア海軍の対潜技術ってナチよりも優れていたのか?
LOSS BY ENEMY
ROYAL NAVY
Warship types German Italian Japanese French Other(a) Unknown Total
Capital ships 3 - 2 - - - 5
Carriers 8 - 1 - 1 - 10
Cruisers 20 6 5 - 3 - 34
Destroyers 114 15 8 1(b) 15 - 153
Submarines (c) 24 37 4 - 6 5 76
TOTALS 169 58 20 1 25 5 278
チャーチル「狩られるのは商船ではなくUボートになったのであるwwwwwwwwwwwww」
「潜水艦戦は終わりなどという話はごめんだ」五月三十一日、デーニッツ提督が北大西洋からUボートを
引き揚げたという報告をすると、ヒトラーは烈火のごとく怒った。「大西洋は西部の防衛線なのだ」。
言うのはたやすかった。十二月十二日、デーニッツは絶望気味に日記に書いている。
「敵はあらゆる切り札を有している。長距離哨戒機で全地域に目を光らせ、位置探知装置を使っているのに対し、
われわれは警戒手段を持っていない。・・・・・・敵がわが方の手の内を知りつくしているのにたいし、
われわれは敵について何も知らない」。
<第三帝国の興亡5 ウィリアム・シャイラー 152頁>
人命をいたずらに失わせない為にヒトラーに逆らった素晴らしい判断だな
一億総特攻で天皇1人が生き残れば良いと吹聴していた愚かな日本陸海軍の指導層より遥かに高潔な方だ!
日本軍は降伏を禁じて手榴弾を渡して、自決を促しただけだが
ナチ海軍の名将()デーニッツは『戦闘で死ぬか絞首刑にされるか好きな方を選べ』と国民に窮極の選択()を行わせていたwwwwww
勝算もないのに、戦い続けるため『狂信的な意志』を示すために、ヒステリックな要求が出された。
カール・デーニッツも、もっともけたたましい叫びをあげた一人である。
戦後デーニッツは、自分が部隊とドイツ国民の生存を気遣った責任ある軍指導者だったと主張しているが、
無条件降服のわずか数週間前にあたる1945年4月7日、デーニッツは全海軍士官に最後の最後まで戦うことを求めている
『軍務によっては勇敢で、毅然として、忠実な、敵の行く手を阻む一枚岩になることができる。
そのように行動できないものはろくでなしだ。そんなヤツは【ここにぶら下がってるのは裏切り者】というプラカードをくくりつけて絞首刑に処さなければならない』
Heinrich Schwendenmann『1945年末のドイツ』
ナチの高潔な(笑)面々
■ハヨ・ヘルマン
日本軍のカミカゼにインスパイアされて、ナチ版特攻隊エルベ特別攻撃隊を編成。
一回目の出撃で大失敗。
そのまま生き延びてソ連捕虜から解放されたあとは弁護士となって幸せな生活、ナチ擁護とホロコースト否定を主張し続け97歳で大往生。
■ハンナ・ライチュ
ナチの女性テストパイロット、ヒトラーに気に入られたので、V1飛行爆弾を特攻兵器化を主張し採用される。その後も特攻隊レオニダス隊の編成を進言し採用、36名のパイロットが軍艦でも航空機でもない、橋に特攻させられ無駄死に。
ライチュはヒトラー自決前にベルリンの総統防空壕逃亡、戦後はグライダーパイロットして人生をおう歌、独身貴族のまま67歳の天寿を全う。
■オットー・スコルツェニー
ライチュと特攻隊レオニダス隊の編成に尽力
当然に終戦時に死なず、捕虜収容所からも脱出、南米でナチ戦犯の脱出に手を貸し、アルゼンチンで会社経営、多大な資産を作り幸せに天寿を全う。
ハンターキラー部隊にスコアばらまくだけのUボートwwwwwww
ある駆逐艦はU538をアスディックで捕え、六時間も追跡したあげく、爆雷攻撃で撃沈した。
結局、この戦闘にはUボート三一隻が参加し、輸送船一隻にさえ損害をあたえることができなかった。
船団はわずか高速駆潜艇一隻が損傷をうけたほか、飛行機二機が撃墜されただけだった。
Uボートのほうは三隻が沈没、一隻が損傷した。
この敗北にもかかわらず、デーニッツ提督は、つぎの二船団に攻撃をかけた。
一六隻のUボートがこの作戦に参加し、十一月二十二日の夜から二十七日にかけて連続攻撃を敢行したが、
優勢な海空の護衛兵力に阻止されて、戦果はあげられなかった。
Uボートは五隻が撃沈された。
デーニッツ提督は、ついに大西洋でのUボート作戦を断念した。
いまや西半球の全海域は、連合国の船団は安全に航行できるようになった。
Uボートにとって苦しかった一年は静かに終りをむかえ、デーニッツ提督は、あらためて将来の戦略を考えることになった。
ドイツは一一六二隻のUボートを建造し、そのうち七八四隻がいろいろな原因で失われた。
戦争期間中にUボート部隊に編入された人員は、四万九〇〇人をくだらなかった。
そのうち二万八〇〇〇人が生命を失った。また五〇〇〇人が捕虜となった
『U-Boat』 ベビット・メイソン著
B29が480機損失で日本軍が撃墜できたのは130機 4700名戦死
ヨーロッパ空の戦い B17 4700機損失 B24 25も3600機程度の損失
米英180000名が戦死
比較する事自体恥ずかしいwww
日本軍より強い()はずのナチ空軍なのに
対ドイツの戦略爆撃の戦闘損失率は全然ショボいんだが(笑)
B-25 0.6%
B-26 0.7%
B-17 1.60%
B-24 1.61%
B-29 1.32%
むしろあれだけ防空戦力注ぎ込んで損失率がB-29とあんまり変わらんのでは、ナチの情けなさだけが際立つな
ウィローランの工場で一時間に一機ロールアウトした最多生産を誇るB-24と最末期生産のB-29で損失率を比べる意図はなんなの?
第8空軍は護衛つけてもMG151/20の薄殻榴弾を装備するドイツ機にやられまくったのでB-17自体をガンシップに改良したりしてたのがヨーロッパ
機銃おろして任務についてたアジアを一緒にすんなよ
http://www.rkka.es/Estadisticas/VVS_stat/01/01_10.htm
Bajas generales de las Fuerzas Aereas de Alemania en aviones recombate y en personal durante la Gran Guerra Patriotica 1941-1945
En frente occidental(西部戦線) 21 850機
En Alemania y en los paises ocupados (ドイツ本土)11 050機
Bajas de personal de las fuerzas aereas(ナチ空軍兵士の死者)1 736 200 名
ナチ空軍撃墜されすぎ、くたばりすぎwwwwwwwwwwwww
これだけ叩きのめされて殺されて爆撃機撃墜がたった10,000機wwwwwwwwwwwwwww
German Flak
Unit 1939 1940 1941 1942 1943 1944
Heavy Guns 2600 3164 3888 4772 8520 10,600
Light Guns 6700 8290 9020 10,700 17,500 19,360
こんな大量に高射砲作ったのに、爆撃機は大して撃墜できず、大量に死んだのはナチ空軍の兵士とナチ一般国民
究極の資源の無駄wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
一方爆撃機の損失率を見るとベルリンの 6.6 パーセントに対し、日本主要都市全体で 1.9
パーセント、東京空襲の数値は 3.3 パーセントである。マリアナ諸島から日本本土を爆撃・
機雷投下のため出撃した B-29 の損失をみると、昼間は、11,826 回の出撃に対し、損失数
は 179 機で損失率は 1.5 パーセントであるのに、夜間は 14,596 回の出撃に対し損失数は
138 機で損失率は 0.95 パーセントであった。夜間の損失率は昼間の三分の二だった
http://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/200803/06.pdf
10万門も以上も高射砲作ってハリネズミみたいな防空網敷いたのに
ベルリン爆撃の損失率は東京のわずか2倍wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
それなのに10,000機の戦闘機と170万人の空軍兵士が死亡wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>一方爆撃機の損失率を見るとベルリンの 6.6 パーセントに対し
しかもそれ、『英空軍爆撃集団』ね。
もちろん、アメリカとしては実質的な支援や、実質的に相手に打撃を与える
事なら大歓迎だが、イギリスの参加は、どっちせよ(そのように実質的なも
のではなく)、メンツを救う性質のものだろうと、云った。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/whitehouse_19450618.htm
ロシア空軍>>英空軍www
-P.クロステルマンは、1944年の状況について次のように書いています。
「…フォッケウルフFw190やメッサーシュミットBf109との戦いでは、タイフーン部隊はしばしば12機中6~7機
の損害を出していた。スピットファイアは無力であった…」
タイフーンというのはイギリスの戦闘爆撃機で、戦闘機スピットファイアがこれを護衛したわけです。それで質問なのですが、
あなたのいた戦闘機連隊が護衛した襲撃機も、1944年には同じような規模の損害を出していたのでしょうか?
いいや。あんた、何を言ってんだ?!12機の襲撃機で出て6機落とされるなんて、護衛機の隊長は軍法会議ものだよ。
議論の余地もないね。1944年はおろか、1943年だって許されないレベルの損害だ。
-それでは、どの程度の損害までなら許容されたのでしょうか?
12機なら1機、多くても2機だな。もしも6~10機のヤクに対し、12~16機の「メッセル」が襲ってきた場合の話だ。
それだったら、あるいは許してもらえたかもしれん。許してもらえるといったって、それは軍法会議にかけられないだけの話で、
いずれにしても護衛隊の長機は陰で色々言われることを覚悟せにゃならんがね。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/YAK.html
ルメイはヨーロッパでナチをバーベキューにした功績で昇進して対日戦略爆撃司令官に
抜擢されたんだが、
ルメイをのさばらせたのもナチのせい
ルメイ閣下を崇めよ
大ルメイは日本の恩人、恩師である
>>849
ルメイへの叙勲はパールハーバーの立役者源田実のレジオン・オブ・メリットとの交換みたいなもの
従ってパールハーバーはアメリカから赦された上に「よくやった」と御墨付までもらったことになる。
源田ごときが貰えるなら栗田はもっといいもんもらってるっての
空自幹部としてアメリカにゴマすった御褒美だよ
そして大ルメイを称えよ
サルを焼き、無制限機雷作戦をやりと大活躍だ
おお!ルメイ!グレーテスト!
During the war, FEAF units flew 720,980 sorties and delivered 476,000 tons of ordnance.
For these numbers FEAF estimated it had killed nearly 150,000 North Korean and Chinese
troops and claimed the destruction of more than 975 aircraft, 800 bridges, 1,100 tanks,
800 locomotives, 9,000 railroad cars, 70,000 motor vehicles, and 80,000 buildings.
This damage was inflicted at the cost of 1,841 men killed, wounded and missing,
and 750 aircraft destroyed by the enemy.
COMBINED SUMMARY OF 20TH AIR FORCE & 9TH GROUP OPERATIONS
20TH AIR FORCE 9TH BOMB GROUPC
From June 5, 1944 on From February 9, 1945 on
Missions 380 75
Sorties
Combat 31,387 1843
Other 1,617 169
Total 33,004 2012
Bomb and
mine tonnage 171,060 11,376
B-29 losses
Combat losses 494 14 + 5 non-combat
Training losses in U.S. 260 1
Air crew losses
Killed 576 26 + 1 ground crewman
Missing 2,406 96 (12 repatriated)
Wounded or injured 433 30
朝鮮戦争ではFEAF(720,980 sorties)の全損失人員が 1841人なのに対して、
日本空襲ではB-29搭乗員だけで合計3568人。
ナチ空軍を撃滅した赤軍空軍もB-29にはかなわなかったのだ
これは酷いw
それでも米陸軍航空隊もヨーロッパ戦線より、太平洋戦域の方が損失率が高かった。
陸軍航空隊だけで24,230名の死傷者
これに海軍航空隊と海兵隊加えたら、圧倒的に太平洋戦域でのパイロット損失の方がヨーロッパ戦線より多い。
Western air and naval forces tended to suffer a much higher percentage of deaths among their combat casualties than did Western ground forces.
The U.S. Navy lost 31,157 killed in action out of a total of 62,858 combat casualties in the Pacific, a figure of nearly 50%.
The U.S. Army Air Forces lost 15,694 dead and missing out of a total of 24,230 casualties in the Pacific, a figure of 65%.
http://pwencycl.kgbudge.com/C/a/Casualties.htm
オスプレイの「B-29 Superfortress Units of the Korean War」には、21,000ソーティーでの損害数は34機。
そのうち戦闘機によるものが16機、対空砲によるものが4機、その他の理由が14機。1000ソーティーあたりの損害率は1未満、って書いてあるんだよね。
念のために書いておくと、朝鮮戦争が行われたのは1950年6月から1953年7月ね。
あ、付け加えておくと、アメリカ軍の「損害」には、帰っては来たものの壊れて使い物にならなくなったのも入ってるんだって。
だから、『これには「帰還はしたけど損傷が酷くて廃棄」というのはカウントされていない。 』(軍事板初心者質問スレまとめ(FAQ)- B-29)っていうのは誤りだよ。
「対日戦では無敵、朝鮮戦争では損害が続出」っていうのが正しいなら、対日戦での損害の方が少なくて、朝鮮戦争での損害の方が多くないとおかしいよね。
実際の数字が示す結果はどうかな?
上でも引用したWikipediaには『基地までの距離が短いことやF-86などの強力な護衛戦闘機があったこと 』が損害の少ない理由だって書いてあるけど、
それをいうなら横田から軍事境界線までの1,143kmと硫黄島(不時着場だけどね)から東京までの1,224kmの約80kmの違いでそこまで損害に差が
出るモンなの?とか、P-51などの強力な護衛戦闘機があった対日戦は?ってコトになるよね。
「対日戦での教訓があったから、それを生かして朝鮮戦争では損害を低く抑えることができた」って考える方が事実に合ってるような気がするけどねー。
http://ameblo.jp/amo-un-pomodoro/entry-11115324361.html
ナチ軍を一方的に殲滅した赤軍最新鋭のジェット機よりB-29を撃墜した我が皇軍
ナチがいくら本土防空戦で頑張ったと言ってみたとこで米軍の損失機数は
太平洋27000機>>>>欧州18000
だからな、そりゃ米軍から見れば日本軍は雑魚だろうが、
日本軍から見ればナチなんてシラミかボウフラ並みだろう
独機は、もはや動く標的に
一九四四年も秋になると、爆撃機隊の目標は、さらにドイツ本土の奥深いところへと伸び、もちろん、ムスタング部隊も、
例のごとく、爆撃機隊とともに行動し、迎撃してくるドイツ空軍戦闘機の大編隊を、一手に引受けていた。
この頃になると、ムスタングのパイロットたちは、ドイツ迎撃戦闘機との空戦を“ガチョウ退治”とよぶようになっていた。
四〇機から六〇機にもおよぶ迎撃戦闘機が、びっしりと密集隊形をつくって、そのまま爆撃機の編隊に向ってくる様は、
まさに“ガチョウの群れ”を思わせるものがあった。
この年の十一月に入ると、一回の出撃で、これら迎撃機を五機以上も撃墜するパイロットが、何人も現われたものである。
P51ムスタング 米空軍の最強戦闘機 ウィリアム・ヘス著
日本軍機はマリアナでターキー扱いされたが、ナチ機は自国の本土で“ガチョウ”扱いされ
P-51にハンティングのように狩りまくられた(笑)
ガチョウ=単に戦闘隊形がガチョウの群れに似ているからつけられた言葉
ターキー=楽にハンティングできる獲物の意味www
一緒にすんなよアホw
>>828
平均寿命7日間だからナチパイロットはガチョウじゃなくてセミだよな
アルフレート・グリスラフスキ
―ロシアの前線で戦った搭乗員と、ドイツ本土防空戦の参加者との感覚の違いをお聞きしてもいいでしょうか?
ロシアでは戦争そのものも、飛行機も、戦いも全く異なっていましたね。ロシアで行われていたのは純粋
な空中戦でした。仕事…うーん…ゲームというのとも違うな、スポーツ、そう、スポーツに似たような感じです。
もしもこのような表現が許されるのであれば。生存を賭けたギリギリの戦いではありませんでした…一方、
ここドイツでは、高高度から街々に爆弾が降り注がれ、辺り一面で爆発が起きるのを見ながらの戦いですから、
より個人的な、より感情的なものとなりましたよ。連合軍の爆撃機は800機ずつ、そして戦闘機も同じくらい
の数がやって来る。これは全く違う戦場です。ここドイツでは、搭乗員の命は平均して7日だけ、
1週間だけしかもちませんでした。ロシアではこれほどの緊張はありません。勿論、損失は出ていたのですが、
しかしたったの7日間ということはなかった。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/grislavski1.html
アメリカ単独相手にヘロヘロしていた雑魚と違いドイツはアメリカばかりかこんなに強いロシアとも激闘していたんだね あと英国とも
ジャップ弱いなw
>アメリカ単独相手にヘロヘロしていた雑魚
ならもしドイツ陸軍が、日本陸軍に代わって大陸打通作戦を発動していたらどうなりますか?
ドイツ陸軍だったら、大陸打通作戦なんてケチなものではなく、大陸消滅作戦になってましたか?
南京大虐殺とか性奴隷とか、日本軍は占領地の至るところで住民を苦しめたそうですが、
どうせなら中国人を「劣等人種」としてホロコーストしておけばよかったと思います。何しろ中国人絶滅収容所
が戦後もそのまま残ってしまうのだから、言い訳のしようがなくなり、侵略戦争の反省もしっかりしたものになり、
日中関係はずっと良くなってたはずです。それからもしできれば虐殺した中国人を潰して航空燃料を精製
すればよかったと思います。文句があるなら米軍はオーバーロード作戦を中止にして、中国戦線に派兵したらいいでしょう。
キングタイガーならもっと進軍できましたか? もっと大勢の中国人を殺戮できましたか?
四式戦疾風ではなくMe262が出撃してたら、シェンノートの在支14空軍は壊滅してましたか?
ウルツブルグレーダーと88ミリ高射砲があれば、防空は万全でしたか?
今からでもドイツ語を勉強してドイツ留学して、髪の毛染めてドイツ人になりすまし、こういう発言をしてみたい
と思ってます。「たかが中国チンピラゴロツキの3500万なんて取るに足らん。97式中戦車チハなんて、
あんなへっぽこな戦車モドキ、工業水準低いわー。わがドイツ軍のキングタイガー戦車だったら、
3500万どころか5億人皆殺しにして、中国に中国人は一人も居なくなってたはずだ!」
おい、なんとかいえよ、おい!
ジャップがバルバロッサやってたら2~3日で頓挫してたなw
ノモンハンでピアノ線に引っかかって次々撃破される戦車隊
ただでさえ少ない戦車はそれ以上の損失を恐れて早々に引っ込めた 砲兵火力でも圧倒された日本軍ができるわけなかろうw
ソ連軍損失
BT-7 59
BT-5 157
T-26 20
T-37 17
BA-3 8
BA-6 44
BA-10 41
FAI装甲車 21
BA-20 19
T-20 9
SU-12 2
合計 397
日本軍損失
九七式中戦車 1
八九式中戦車乙 14
八九式中戦車甲 4
九五式軽戦車 11
合計 “たった”30
マクシム・コロミーエツ著 『独ソ戦車戦シリーズ7 ノモンハン戦車戦 ロシアの発掘資料から検証するソ連軍対関東軍の封印された戦い』
日本軍の一方的な勝利wwwwwwwwwwwwww
>>828
下の写真はナチ空軍が愛用したヒロポン(メタンフェタミン)入りチョコレート
大()ルフトヴァッフェのパイロットはシャブ入りチョコをほおばりながら出撃してたから殆どがシャブ中だった
ガチョウもセミもシャブは喰わないよなw
終戦間際(In the closing months of the war)のドイツ空軍の飛行時間は、40~45時間だったとのことだが。
With both production and stocks declining rapidly, the most drastic curtailment
of aircraft operation was put into effect. Training was eliminated in September,
and essentially all operations except combat flying were prohibited. In the closing
months of the war, Luftwaffe pilots were sent into combat with only 40 to 45 hours
of flight training-sitting ducks for our well-trained air crews.
http://orbat.com/site/sturmvogel/ussbsgensum.html
日本の特攻隊員ですら飛行時間は70~100時間だった
本土防空戦でのナチ空軍は英米軍戦闘機にスコアをばらまく存在でしかなかったのだ
ドイツから日本に高射砲用の「ウルツブルグレーダー」が輸入され、終戦間際に試作コピーが完成したとか。
けれどもこうしたドイツの技術は日本には全く必要無かったという気がする。
世にも奇妙な「空軍であって地上戦闘軍」
<中略>
ドイツ空軍地上軍の半分以上は,高射砲部隊に属していた.
いちばん多いとき(1944年末)は100万の兵士(数千人の女性兵士含む)が,2万基以上の空軍
(陸海軍所属の高射砲は別にある)の対空砲とサーチライト部隊に配属された.
連合軍の進撃にともない,これら後方基地の高射砲部隊が前線に位置する結果になった.
ドイツ軍は地上の敵と戦うことも予想して高射砲をデザインし,兵士をも訓練してあった.
――――――第二次世界大戦 あんな話こんな話 / J・F・ダニガン/著 A・A・ノーフィ/著
http://keshiintokorozawa.web.fc2.com/faq08a04o07.html
ドイツ軍の防空システムは日本軍よりも優れているはずだから日本も導入すべきだとのことなら、
それこそ高射砲部隊だけで百万人の人員を配置しなければならなくなる。
だが日本近海を海上封鎖する米空母機動部隊を差し置いて、高射砲ばかりを強化して何になるのだろう。
優れているから10~20倍の戦果を挙げた
基礎技術が未熟な日本はドイツの先進技術を使
いこなせなかった
はい論破w
http://www.rkka.es/Estadisticas/VVS_stat/01/01_10.htm
Bajas generales de las Fuerzas Aereas de Alemania en aviones recombate y en personal durante la Gran Guerra Patriotica 1941-1945
En frente occidental(西部戦線) 21 850機
En Alemania y en los paises ocupados (ドイツ本土)11 050機
Bajas de personal de las fuerzas aereas(ナチ空軍兵士の死者)1 736 200 名
10~20倍の戦果ってwwwwwwwwwwwwwww
ナチは米英軍の航空機を30万機撃墜したり、4000万人殺したりしたのか?wwwwww
これはスペイン語か?
ナチ空軍の死者が170万ねぇ?死傷者数でも多いと思うが本当に翻訳したのか怪しいもんだ
11 ジェット戦闘機でも歯がたたず
B17が爆撃を終って帰路についた時、二五機にもおよぷメッサーシュミットMe262ジェット戦闘機が迎撃してきたのである。
しかしそのうちの五機が、第31戦闘飛行連隊に所属する第308飛行隊によって撃墜された。
連隊長であるウィリアム・ダニエル大佐がまっさきにMe262の編隊最後尾の一機に食い付いた。
猛烈な攻撃をうけたそのMe262は、だしぬけに急横転し、空中爆発を起した。
ウィリアム・M・ワイルダー中尉は、ちょうど敵機が爆撃編隊に突入するのを横から見まもる位置にいた。
「私の発射した機銃弾は、Me262の右エンジンに命中し、たちまち大量の煙がふきだしはじめた、ドイツのパイロットは機外に脱出した。
レイ・D・レナード中尉が、爆撃機をかすめるように通過した敵機をうちおとしたのが、四機目だった。
私の攻撃をうけた敵機は、煙をはきながら、ちょっと機首をあげて左に旋回した。
私はそのあとを追って射撃を続けると、機体の破片がパッ」ととびちるのが見えた。
やがて両方のエンジンが炎上しはじめ、パイロットが機外に脱出した」
第332戦闘飛行連隊も、別のMe262の編隊と遭遇して、そのうちの三機を撃墜した。
ロスコー・C・ブラウソ中尉は、そのMe262の一機にうしろから食い下がられ、とっさに左右へ機首をふって相手の射線をそらし、
スキをみて反転し、逆に相手の機尾から攻撃をかけて撃ち落とした。
P51ムスタング 米空軍の最強戦闘機 ウィリアム・ヘス著
ジェット機を投入したところで、ナチ戦闘機はガチョウのようにP-51に狩られまくった
ナチ機は米軍パイロットにスコアをばら撒く存在でしかなかったのだ(笑)
一例を持ってそれを針小棒大に語る馬鹿w
一方的なハンティングは太平洋戦線のジャップが遥かに酷いだろw
15年戦争の310万人の死者の90%が太平洋戦争後期に集中してる
ぬるい中国戦線で12年もお茶を濁していて米英といった列強と3年半戦争してみたらたちまち300万人殺されましたよ
>ぬるい中国戦線で12年もお茶を濁していて
チャンコロって日本人の軍刀に斬り伏せられるためだけに生まれてきたみたいな生き物だよなw
ジェットすらまともに作れない三下が何か喚いとるw
アイスバーグ作戦の戦力はノルマンディを大きく上回っていた
史上最大の作戦()
ノルマンディー上陸作戦を含む多くのヨーロッパ戦線の激戦に従軍し、前年にピューリッツァー賞を受賞した従軍記者のアーニー・パイルは沖縄攻略部隊の陣容を
「我々は太平洋航海史上、最大・最強の軍隊だ」「海軍力・兵力・戦闘力の点でアメリカがヨーロッパに投入した全兵力に匹敵する規模だ」と記述している。
実際に、攻撃初日に投入された陸戦兵力は182,000名であり、これは史上最大の作戦といわれたノルマンディー上陸作戦のD-デイに投入された兵力を75,000名も上回っていた。
偉大なるカーチス・ルメイ閣下はアイゼンハワー五人分の破壊力
アメリカ単独のジャップはシャーマンを何輌撃破したの?
欲しがりません勝つまでわw
嘘つき野郎が
適当な訳し方してんじゃねえぞ
長文コピースレになってるwwww