郭貴妃とは -三国志-
郭永の娘で大変な美貌の持ち主であった。
郭永は人々に「我が娘は女の中の王だ」と自慢していた。
そのため、「女王」とあだ名が付いた。
彼女は曹丕に嫁いだ。郭貴妃の誕生である。
美しいため、曹丕の寵愛は甄氏から郭貴妃に移っていた。
彼女は皇后を目指すべく陰謀を企てた。
張韜と謀って甄夫人を罪に陥れて自分に目を向けさせるように
したのである。
これが甄氏の項でも述べた「呪の人形事件」である。
郭貴妃は曹丕の寵愛を受けたが、子供は全然できなかった。
そこで、甄氏の子、すなわち後の明帝・曹叡を自分の子として
育てる事になる。
曹叡が即位てから5年後、郭皇后は崩御した。
曹叡は自分の母である甄氏の死の全貌を知った。
葬儀にあたっては、亡き母・甄氏と同じ事をした。
その同じ事とは・・死体の髪をバサバサに乱して
その顔を震わせ、口に糠を詰め込んだのである。
埋葬の時も棺桶に納めるといったことはしなかった。
一説には、甄氏の死の全貌を知った曹叡は郭貴妃を詰問した。
郭貴妃はしらをきった。曹叡は立腹して彼女を殺害し
葬儀は甄氏と同じように執り行った。