ざっくりな世界史ー中国の漢文・ことわざー
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その1)
「泰山(たいざん)は土石を辞せず、
故(ゆえ)に能(よ)く其(そ)の高さを成す。」
(原文)泰山不辞土石、故能成其高。
管子より
泰山は、小さな土や石くれを拒まず、
全てを受け容れます。
それゆえに、あれほどにも
高くなることができたのです。
人間も同じです。
たくさんの人達、色々な種類の人達を
受け容れる度量がないと、大人物にはなれません。
広い心と受容性を身に付ける必要があります。
もし、泰山が、
「君は小さい石ころだから、あっちへ行け。
僕は君のように小さな石ころは相手にしない。」
なんてことを言って、
石ころや土くれを受け容れなかったらどうなるでしょうか。
石ころや土くれは、怒ってぷいっと
どこかに行ってしまうでしょう。
そして、仲間の石ころや土くれをたくさん引き連れて、
泰山のもとから離れていきます。
しかも、泰山は、実は無数の石ころや土くれから
構成されているのです。
ですから、石ころや土くれを拒めば、
存在すらできなくなります。
大人物となるためには、
心を広くし、度量を大きくし、
たくさんの人達を受け容れる力を
養っていきましょう。
それには、大いなる理解が必要となります。
度量の大きい人の周囲には、
たくさんの人達が自然と集まってきます。
そして、大組織が自然とできあがるのです。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その2)
「利(り)を見て而(しこう)して、其(そ)の真を忘る。」
(原文)見利而忘其真。
荘子より
目前の利益にとらわれると、
人は皆、自分の本当の立場が分からなくなってしまいます。
ある日、荘子が園で鳥を射ようとしていました。
しかし、その鳥は、なぜか動こうとしません。
よく見ると、その鳥は、
カマキリを狙っていたのです。
さらに、そのカマキリをよく見ると、
ジージーと鳴いているセミを狙っていました。
また、そのセミは自分の置かれている状況が分からずに、
ただ楽しそうにジージーと鳴いていました。
このように、目前の利益にとらわれると、
自分が危険な状況に置かれていることに
気づけなくなります。
目前に利益がある時は、
自分の置かれている状況を、
特に注意するようにしましょう。
また、これからおこなおうとする行為が、
原因と結果の法則により、
どのような結果をもたらすのかを、
あらかじめ考えた上で行動しましょう。
そうしないと、
自分自身に危険が及ぶこととなります。
「跂(つまだ)つ者は立たず。」
(原文)跂者不立。
老子より
つま先立って背伸びをしている人間は、
長くそのままでいられません。
なぜなら、そこには無理があるからです。
自分自身に無理を強いて、
背伸びしてはいないでしょうか。
もし、背伸びしているのなら、
その状態は長くは続けられません。
早い内にそのやり方を、
自然で無理のないやり方に変えていきましょう。
また、あなたの周りを見渡してみて、
「無理をしているな」と感じる人物がいるのであれば、
勉強のため、じっと観察してみましょう。
しばらくすると、無理が続かなくなってきますから。
この世の中で行動を起こすには、
背伸びして、無理をしてはいけません。
無理なくきちんと努力をして、
ゆっくりと着実に
成果が上がる方法をとっていく必要があります。
会社組織や企業経営でもそうですね。
とてつもなく急成長する組織や
無理に売上拡大を進める会社が、
ある時期を境に急にうまくいかなくなることが多いです。
新聞やテレビのニュースでもよくある話です。
無理をせず、背伸びをしないで、
自分自身のやり方とペースで、
じっくりと取り組んでいきましょう。
やはり、無為自然の状態が、
もっとも物事がうまくいきます。
しかも、継続してうまくいき続けるのです。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その3)
「無為(むい)にして尊(たっと)き者は天道なり。
有為(ゆうい)にして累(わずら)わしき者は人道なり。」
(原文)無為而尊者天道也。有為而累者人道也。
荘子より
無為自然でありながら、
とても尊いはたらきをなすのは、
大自然であり、天道です。
逆に、さまざまな作為をおこない、
策を弄しているにもかかわらず、
わずらわしさや、煩雑さ、複雑さばかりを
生み出しているのが人間の行いであり、
人道であります。
余計な作為をおこなったり、
策を弄することにより、
どんどんと複雑になって、
おかしな方向に進んでいくものです。
今一度、無為自然の道を
思い出す必要があります。
大自然は、無為自然であり、
自分を主張せず、
ただ淡々と事をなしていきます。
それでいて、完璧な結果を生み出し、
絶妙のバランスをとることができるのです。
小賢しい作為を捨て去り、
天道に従って、
無為自然の道を歩んでいきましょう
「胆(たん)は大ならんことを欲し、
心(しん)は小ならんことを欲す。」
(原文)胆欲大而心欲小。
近思録より
大胆であると同時に、
小心である必要があります。
大胆でなければ、
物事を実行できないし、
困難な状況に追い込まれても打開できません。
様々な危険にうろたえてしまいます。
しかしながら、逆に、
小心、細かいところに心が行き届かなければ、
物事に失敗してしまいます。
どのような物事でも、
小さな点、細かい点を見逃すと、
うまくいかないからです。
大胆なだけという人がいます。
そのような人は、
大胆なのでどんどんと実行していきますが、
細かいところに気づかないため、
大失敗をやらかします。
小心なだけという人がいます。
そのような人は、
小心なので細かいところばかりにとらわれ、
結局、何一つ実行できません。
やはり、理想としては、
大胆であると同時に、
小心でありたいものですね。
「人に与えては徳に感ずることを求めざれ。
怨(うら)みなきは便(すなわ)ち是(こ)れ徳なり。」
(原文)与人不求感徳。無怨便是徳。
菜根譚より
人に何かを与えた時に、
徳を感じてもらうことを求めてはいけません。
与えた時に怨まれなければ、
それが徳であると考えて満足しましょう。
人間の心は不思議なもので、
何かを与えられた時に、
なかなか素直に感謝できない場合があります。
特に人間性があまり練れていない人物や
ひねくれた心の持ち主の場合は、
与えられたことを嫌味ととらえたり、
逆に怒り出す人もいます。
果てには怨みに思う人さえ存在します。
何かを与えた時は、
徳を感じてもらおうと思ったり、
感謝を求めないようにしましょう。
与えた時に怨まれなければ、
それで満足しましょう。
与えることができたということ、
それ自体に満足するといいのです。
この世界には、
原因と結果の法則が流れています。
ですから、与えた時は、
後ほど必ず与えられます。
無理に相手に感謝を求めたり、
徳を感じてもらう必要はないのです。
全ては原因と結果の法則が面倒を見てくれますので、
余計な心配は無用です。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その4)
「名を盗むは貨を盗むに如かず。」
(原文)盗名不如盗貨。
荀子より
実をともなわないのに、
名誉を得ようとすることは、
名を盗むに等しいことです。
それは、貨幣や財宝を盗むことよりも、
もっと悪いことです。
多くの人達をだますことになるからですね。
実力をともなっていないのに、
名誉を得ようとするのは止めましょう。
名誉とは、才能ある人が努力研鑚を重ね、
社会に大きな功績を残した時に周囲から与えられるものです。
得ようと思って得られるものではありません。
また、本当に力のある人物、
社会に大きく貢献した人物は、
黙っていても社会が名誉を与えてくれるものです。
やはり、自分の才能を見極め、
実直に努力と研鑚を深めて、
社会に貢献しようとする意志が大切です。
名誉など、後から付いてくるものです。
さらに、名誉を得るために、
人生を犠牲にしないよう注意しましょう。
名誉に執着すると、
自分の人生を束縛されて、
本当の自分を生きられなくなることがあります。
本当の自分をしっかりと生きることに比べれば、
名誉など、取るに足りないものです。
自分らしさを大切にして、
自分らしいやり方で、
社会に貢献していきましょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その5)
「時は得がたくして、失い易し。」
(原文)時難得而易失。
史記より
良い時機、チャンスは、
とても得がたいものです。
また、とても失い易いものです。
人生や事業に成功するには、
良い時機、チャンスをしっかりとつかんで、
一気に上昇することが必要になります。
逆に、チャンスが来るまでは、
非常に長い間、下積みの苦労を味わいます。
もちろん、下積みの時代は、
ただただ苦労が続くだけではなく、
後に来る使命や役割の遂行に必要な力を、
着々と蓄えている時でもあります。
ですから、あまりにチャンスが早く来過ぎるのも
考えものです。
しかしながら、チャンスが到来するのは、
天の時、人の和、地の利が合致した時であり、
大変貴重なことですので、
チャンス到来の時には迷わず行動することが大切です。
ただし、真のチャンスなのかどうかは、
正しく判断する必要があります。
チャンスは得がたく、失い易いものです。
ですから、チャンスが来た時に一気に駆け上がれるように、
下積みの苦労を味わいながら、
着々と力を付けていきましょう。
また、チャンスが来れば、
ためらわずに全力で突き進んでいきましょう。
「師は道を伝え業(ぎょう)を授(さず)け
惑(まど)いを解く所以(ゆえん)なり。」
(原文)師者所以伝道授業解惑也。
文章規範より
人の師となる方々がいます。
また、人の指導者となる方々がいらっしゃいます。
では、師の真の役目とは何でしょうか。
それは、人に真理と法則、道を伝え、
技術や学問をあますところなく授け、
真理に対する疑惑を解いてあげることです。
人が師を求める時、
それは真理、法則、道、技術、学問を求めています。
ですから、師はそれに応える必要があります。
真理、法則、道を伝えられた時、
人は生きる意味と羅針盤を与えられます。
また、技術と学問を授けられた時、
それは真理を実社会で実践するための、
大きな力となります。
指導者としての立場にある方、
師としての立場にある方は、
真理、法則、道、技術、学問を存分に授け、
社会をよい方向に導く、
優れた人物を育成していきましょう。
それが、指導者、師の真の役割となります。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その6)
「難(かた)きを其(そ)の易きに図る。」
(原文)図難於其易。
老子より
困難な問題は、
最初から困難な問題であったのではありません。
最初は、小さな問題の種だったのです。
しかしながら、小さな問題の種が発芽し、
すくすくと成長すると、
困難な問題へと成長するのです。
困難な問題となってしまってからでは、
対処できません。
対処できた場合でも、
多くの労力と犠牲をともなうことでしょう。
ですから、困難な問題は、
最初の小さな芽の段階で摘んでしまうのが最上です。
どんな問題でも、
必ずその兆しというものが現れます。
兆し、前兆を察知したなら、
一刻も早く、問題の芽を摘んでしまいましょう。
小さな芽の内に摘んでおくことができれば、
困難な問題に成長することはありません。
「軽諾は必ず信寡(すくな)し。」
(原文)軽諾必寡信。
老子より
簡単に受けあうのは、
信頼できないことが多いです。
軽くうなずいたり、
簡単に受けあう、
いわゆる安請け合いは、
信用しない方がいいです。
信用しても裏切られる可能性が高いです。
また、自分自身の場合でも、
安請け合いをしてはいけません。
大怪我のもとです。
簡単に、はいと言ってしまうと、
あとで、こんなはずではなかったと
嘆き悲しむことになります。
決して安請け合いをしてはいけません。
何かの約束をするときは、
じっくりと考え、
考えに考えてから、
すべてのリスクを計算して、
達成できるものかどうかきちんと判断してから、
承諾しましょう。
そうしないと、信用のおけない人物という
望ましくないレッテルを貼られてしまいますよ。
「理に順(したが)えば則(すなわ)ち裕(ゆた)かに、
欲に従えば惟れ危うし。」
(原文)順理則裕、従欲惟危。
小学より
理、ことわりに従って生きていけば、
豊かになっていきます。
しかし、欲望に従って生きていけば、
とても危険です。
物事の道理に従うと、
天が味方をしてくれます。
なぜなら、それは天の道だからです。
天の道をゆけば、繁栄が待っています。
逆に、欲望に忠実に生きていけば、
あらゆる争いごとに巻き込まれ、
さらには、行き過ぎて自滅するのがオチです。
欲望の道は、本能の道です。
後には、破滅が待っています。
道理にしたがって生きていきましょう。
天の道を粛々と歩いていきましょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その7)
「千里の行も、足下(そっか)に始まる。」
(原文)千里之行、始於足下。
老子より
どんなに長い道のりも、
千里もある道のりでも、
まずは、足元の第一歩から始まります。
第一歩を歩みださなければ、
何も始まりません。
でも、第一歩を歩み出せば、
あとはどうにでもなったりするので不思議です。
体が勝手に動いてくれるのです。
物事は、始めが肝心です。
やりはじめが大切です。
スタートをうまく切れなければ、
決してゴールに辿り着くことはありません。
ですから、最初の一歩は、
注意しながら、
なおかつ、
思い切って踏み出さなければなりません。
最初の一歩も踏み出さないで、
とやかく言っていてはいけません。
まずは、一歩を踏み出すのです。
そうでないと、何も始まりません。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その8)
「卑譲は徳の基(もとい)なり。」
(原文)卑譲徳之基也。
左伝より
へりくだる心、
譲る心は、徳の基盤となります。
この心から、徳が醸成されるのです。
譲る心は、相手をたてる心になり、
奉仕の心になり、
相手を許す心になり、
すべての徳の原点となります。
譲る心をもてば、
徳をつむことはそう難しくはありません。
でも、譲る心をもたない人物は、
徳を積むのは、難しいです。
あなたは、譲る心、
へりくだる心を持っていますか。
持っている方は、その心を大切に、
そして、大きく育てていってください。
徳という大きな木に育ちますから。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その9)
「知者は之れに過ぎ、愚者は及ばず。」
(原文)知者過之、愚者不及也。
中庸より
知者、知識人は、どうしても行き過ぎてしまいます。
知っているが故に、やり過ぎたり、
出過ぎた言動を行って、
自ら窮地に立たされることになります。
逆に、愚者、愚かな人は、何を行っても足りないのです。
言葉も足りず、行動も足りず、
そのため、不足から失敗を引き起こすのです。
どちらも行き過ぎです。
中庸のバランスには至っていません。
物事がうまくいくためには、
全てにおいてバランスが必要となります。
その絶妙なバランスを中庸と言います。
中庸を身に付けるためには、
知者は、特に慎むことを学びましょう。
何かと出過ぎてしまうことを慎み、
他者を立てていきましょう。
謙虚に進んでいきましょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その10)
「其の光を和し、其の塵に同ず。」
(原文)和其光、同其塵。
老子より
とても才能のある人、
とても人徳のある人は、
どうしても目立ってしまいます。
しかし、自分の才能の光や、
人徳の光を緩めて和やかなものにして、
周りがまぶしくないようにする必要があります。
そして、周りの人達と同じ様に
同化する必要があります。
そうでないと、
周囲の人達は、光がまぶし過ぎて、
敬遠したり、嫌悪したり、
恐れたり、いらついたりします。
光を和らげ、皆と同化し、
淡々と生活していくのが、
最善の方法です。
光をそのまま放ち過ぎると、
どうしても一悶着起きたり、
トラブルに巻き込まれたりします。
また、目立ってしまうと、
どうしても何かの標的に
なってしまうことも多いです。
自らの光は、和らげる努力が必要です。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その11)
「時務(じむ)を識(し)る者は
俊傑(しゅんけつ)に在り。」
(原文)識時務者在俊傑。
十八史略より
時務、すなわち現在の社会状況と、
自分のなすべきことが分かる人は、
なかなかいません。
それが分かる人は、俊傑と言えます。
賢者、もしくは俊傑でなければ、
時務はなかなか分からないものです。
さて、どんな仕事をしていても、
どんな生活をしていても、
社会状況と無縁ではいられません。
社会状況の現状と、
社会の行く末を知っておかないと、
自分が今、何をなすべきかが分かりません。
社会を見通す目と、
将来を見抜く洞察を持っている方は、
周りにもその展望を教えてあげましょう。
とても感謝されるはずです。
どうしても見抜けない人は、
俊傑を探し求めましょう。
周りを見れば、どこかに必ずいるはずです。
そういった人達と親しくなって、
展望を聞かせてもらうよう、努力しましょう。
社会状況に合わせた将来の展望を理解し、
進むべき道が定まれば、
人生そのものが、とても効率的になり、
まっしぐらに成功へと向かっていきます。
羅針盤を得た船のようなものです。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その12)
「人事を尽くして天命を待つ。」
(原文)盡人事而待天命。
雑書より
物事を成し遂げるには、
人事と天事が必要です。
人事とは、人が行う努力です。
天事とは、天が行う現実化です。
人間の努力には限界があります。
人間ですので、
どうしても限界があります。
でも、一生懸命、
全力を尽くす必要があります。
精一杯、努力をしたなら、
やれることは全てやり尽くしたなら、
あとは、天に任せるしかありません。
現象を実際に動かしていくのは、
天であり、大自然だからです。
やれるだけの努力、
人事を尽くせば、
あとは、天の実現力、
天命を待つしかありません。
天がノーと言えば、
物事はなりません。
天がイエスと言えば、
物事が成就します。
人間にできることには、
限界があるのです。
人事を尽くしたなら、
あとは全てを天に捧げ、
天命に任せてしまいましょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その13)
「聞かざるは之れを聞くに若(し)かず。
之れを聞くは之れを見るに若かず。
之れを見るは之れを知るに若かず。
之れを知るは之れを行なうに若かず。」
(原文)不聞不若聞之。聞之不若見之。
見之不若知之。知之不若行之。
筍子より
聞いたことがないよりは、聞いたほうがいいです。
聞いただけよりは、見るほうがいいです。
見るだけよりは、知るほうがいいです。
知るだけよりは、実際に行うほうがいいです。
日本のことわざに、
「百聞は一見にしかず」というものがありますが、
これと同じ意味のことわざです。
まさに、実際にやってみること、
見てみることの大切さを教えてくれます。
何よりも尊いのは、
実際に行動してみることです。
そうすると、
ものすごくたくさんの情報が入ってきます。
それも、体全体、意識全体から入ってきます。
五感を通して、体がその物事を知ります。
ですから、本当に知ったと言えるのです。
聞いただけ、見ただけ、
知っているだけというのは、
とても中途半端な状態です。
実際には、自分の身についていないので、
実生活に役立てることはできません。
この状態では、本当に知っているとは言えないでしょう。
やはり、見たこと、知ったことで、
これはと思うことは、
どんどんやってみましょう。
失敗してもいいのです。
1回で成功することなどありません。
また、失敗からも学ぶことができます。
実際にやって試してみて、
はじめて自分の本当の力となってくれるのです。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その14)
「忠言(ちゅうげん)は耳に逆(さから)いて
行ないに利あり。」
(原文)忠言逆於耳利於行。
史記より
いろいろなことを叱ってくれる人がいます。
最近では少なくなってきましたが、
会社の上司や、
習い事の師匠、
両親、親戚、兄弟などなど。
また、いろいろを忠告、
指摘してくれる人がいます。
これはこうした方がいいとか、
そのままのやり方では失敗するよとか。
このような人たちの言葉は、
たいてい、耳が痛い言葉ばかりです。
できれば聞きたくないような、
自分にとっては辛い言葉が多いです。
でも、忠言、忠告というものは、
耳が痛いものなのです。
なぜなら、
自分自身を変えなさいという警告だからです。
自分を変えることは、
誰にとっても辛いことです。
そして、大変なことです。
できれば今のままでやっていきたいというのが、
みなの正直な感情です。
でも、より良くなるためには、
よりレベルアップするためには、
自分を変えていかないといけないのです。
自分の悪い点は改め、
良い点は伸ばし、
より良いやり方があるのなら、
どんどんと吸収していかないといけないのです。
自分を成長させる一番手っ取り早い方法は、
他者からの忠言を素直に聞き、
行動を改めて、変化させていくことです。
忠言、忠告を聞き、行動を改めるのは、
とても辛いです。
気分も重くなります。
でも、辛く、気分も重くなりながらも、
その忠言、忠告に従いましょう。
そして、あなたの行動を変えれば、
はっと気づくと
一段とレベルアップした自分に気づくはずです。
良薬は口に苦いのです。
でも、その苦さを代償として、
自分をレベルアップさせることができるのです。
この世の中では、代償なくして、
何も手に入れることはできません。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その15)
「義を見て為さざるは、勇無きなり。」
(原文)見義不為、無勇也。
論語より
真の勇気とはなんでしょうか。
腕っぷしが強かったり、
いたずらに喧嘩っ早いことが
勇気のあることではありません。
義、すなわち、真理に通じた行動をとること、
これが一番勇気ある行動です。
売られた喧嘩を買うと言った勇気は、
匹夫の勇と呼ばれます。
それは、真の勇気ではありません。
真理に即した、そして、
根源法則にのっとった行動を取ることが、
真の勇気と言えます。
何が正義なのかということは、
深く考えられる必要があります。
自らは正義と考えていたことが
他者から見たら、正義ではなかったといったことが
よくあるからです。
また、よりマクロの視点から見ると、正義ではなく、
悪であるということもままあります。
その場合、後々とんでもない悲劇が訪れることが多いです。
ですから、根源法則にのっとっているかどうか、
これに焦点を当てていきましょう。
なお、正義のためといった行動の方が
最初から悪いことであると考えて行うよりも、
危険性が増します。
なぜなら、それなりに正しいかと見える
理論がたてられるからです。
そして、正義のためにと、まくしたてるのです。
周りにも反対できない空気を作り出し、
暴走してしまうものです。
やはり、真理、根源法則にのっとった行動に
勇気を使いましょう。
いたずらに喧嘩っ早いだけの
匹夫の勇は必要ありません。
また、自らの独善的な正義感からの
行動はよくよく注意しましょう。
真理、根源法則に照らし合わせてみると、
本当に正義なのかを判断することができます。
歴史を振り返り、多くの国家が、
自らの国の正義のために戦争をしかけ、
たくさんの人々を殺戮してきた事実を思い出し,
独善に陥ることの恐ろしさを再認識しましょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その16)
「天は高くして、卑(ひく)きに聴く。」
(原文)天高聽卑。
史記より
天はとても高いところにあります。
では、低いところは見ていないのかと言いますと、
どんなに低いところも、天は見ています。
観察しています。
天はとても高いところにあります。
では、低いところは聴いていないのかと言いますと、
どんなに低いところも、天は聴いています。
聴き逃すことはありません。
天の采配は、とてもおおざっぱに見えて、
とても細かいところまで行き渡っています。
まさに、マクロからミクロまで、
全てを統括しています。
そして、天の采配が具現化したものが、
原因と結果の法則です。
この法則からは、誰も逃れられず、
どんなに低いところに隠れても、
すぐに見つかります。
また、天に見られている感覚がなくても、
実際のところは、常に一つ一つの思考、感情、
行動の全てを見られています。
そして、大宇宙の記憶倉庫である、
アカシックレコードに克明に記されていくのです。
誰も見ていないからと言って、
原因と結果の法則に外れたことは
しないようにしましょう。
誰も見ていなくても、天が見ています。
行った行動や思考は、必ず法則どおりに
自分自身に返ってくるのです。
思考と行動を常に観察、内観し、
道を踏み外さないように、
よくよく注意して、生きていきましょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その17)
「君子は豹変し、小人は面(おもて)を革(あらた)む。」
(原文)君子豹変、小人革面。
易経より
間違いに気づくと、君子とよばれる立派な人物は、
自らの考え、行動をきっぱりと改め、
すぐに変化します。
それはまるで、豹の毛皮のようです。
しかしながら、小人とよばれる人物は、
物事の真相が理解できないため、
うわっつらだけを改め、表面だけを変化させます。
根っこのところは同じままですので、
また、すぐにもとの状態に戻ります。
表面的な変化だけですので、間違いはそのままになります。
すぐに表面のメッキがはがれ落ちます。
間違いに気づけば、根本から改めましょう。
根本は考え方にあります。
はじめにことばありきだからです。
まず、考え方を改めましょう。
物事を真に理解すると、自然と考え方が変わります。
そのため、真の理解を得ることが何より大切です。
ここで重要なことは、
変えようと努力するより、理解する方がはやいし、
効果も高いということです。
たとえば、他者を傷つける言葉を発してしまったとします。
間違いに気づき、他者を傷つける言葉を発しないように、
努力、注意します。
これはこれで、確かな方法です。
でも、大きな精神力と自己制御を続ける努力が必要となります。
しかしながら、他者を傷つけると
後で自分も傷つけられることになるという事実を、
心の底から理解したときは、
毎日の自己制御を行わなくても、
他者を傷つけることができなくなります。
理解すると、全身全霊で変化するからです。
このように、自己制御に力を入れるよりも、
物事の真相、真理をしっかりと理解する方が、
効果が高くて、しかも効率的です。
効率よく君子になることを目指すなら、
自己制御の鬼になるよりは、
できる限り、理解を深めていき、
自然に変化できるようにもっていきましょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その18)
「知る者は言わず、言う者は知らず。」
(原文)知者不言、言者不知。
老子のことばより
知っている人は、多くを語りません。
しかしながら、知らない人は多くを語ります。
真理に到達した人は、実感として、
自らの体験として、真理を知っています。
また、真理を体験するためには、
真理と一体となり、自らが真理と重なる時点まで
体験を深めていく必要があるため、
知ってしまうと言葉で説明するのが難しくなります。
たとえば、りんごを見たことがない人に、
りんごの味を伝えようとします。
あれに似た味だとか、こんな味だとか、
言葉を尽くして、いろいろと説明します。
でも、りんごを見たことがない人にとっては、
ちんぷんかんぷんです。
何となくは分かりますが、どうも頭の中で確定できない、
もやもやした状態になります。
頭の中では、実際のりんごとはかけ離れた、
とんでもないイメージがふくらんでいきます。
それでも説明を続けていくと、
りんごを見たことがない人は、だんだんいらいらしてきて、
「もういいよ!」となります。
真理を言葉で伝えるためには、
その言葉にまつわるある程度の体験を、
相手が経験していることが必要となります。
ある程度の体験があれば、その時の記憶を基盤として、
理解の度合いを深めることができるからです。
たとえば、ナシを実際に食べたことのある人に対しては、
りんごの味をより説明しやすくなるようなものです。
このように、全く体験したことがない人には、
どんなに言葉で説明しても分からないという実情があります。
もちろん、すでに体験している人には、
簡単な言葉で説明できます。
しかしながら、その人は自ら体験済みなので、
もう説明する必要がありません。
本当に知っている人は、多くを語りません。
逆に、本当に知らず、うわっつらの知識だけを持っている人は、
べらべらとしゃべり続けます。
なぜなら、説明している自分も分かっていないので、
これでもか、これでもかと持っている知識を全部吐き出し、
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」式に説明するからです。
「心ここに在らざれば、視れども見えず、
聴けども聞(きこ)えず、食(くら)えども其の味を知らず。」
(原文)心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味。
大学より
心がどこか遠くにとらわれ、
今ここに存在していなければ、
見ていても実際には見えず、
聞いていても実際には聞こえず、
食べても実際には味が分かりません。
現代人は、いつも忙しく、
常に何かを考えつづけています。
「昨日のあの時、なぜこうしておかなかったのか」とか、
「明日はこういう計画でこのように進めよう」とか、
過去の事や未来の事を考えつづけます。
そして、今ここをおろそかにしてしまうのです。
今ここを見つめると、思考は存在できなくなります。
今ここですから、現在の状況を観察する以外できなくなります。
過去のことだから、考えられます。
未来のことだから、考えられます。
しかしながら、今ここの場合は、
考えるのではなくて、その時、その時の状況を、
五感でしっかりと感じ取る必要があります。
せっかくの体験も、
今ここにいなければ、経験したことになりません。
貴重な経験を逃したことになります。
せっかくの経験も、
その時に過去のことや未来のことを考えているようでは、
心そこにあらず、
見ているようで見ていない、
聞いているようで聞いていない、
食べているようで味が分からないという状況に
陥ってしまうのです。
何かを体験、経験するときは、
できるだけ過去や未来の思考にとらわれず、
今ここにいてください。
そうすることによって、
100パーセント経験し、体験することができます。
そして、真の体験、経験として、
自らの血肉とすることができます。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その19)
「人の心の同じからざるは、其(そ)の面(おもて)の如(ごと)し。」
(原文)人心之不同也、如其面焉。
春秋左氏伝より
人の顔は十人十色です。
みな、顔は違います。
似たような顔の人はいますが、
やはりどこか、一人一人で違っています。
そしてまた、人の心も十人十色です。
それはまるで、一人一人の顔が違うようなものです。
人の心もみな、それぞれ違います。
ある人は、これが好きだと言うでしょう。
しかし、またある人は、それが好きだと言うでしょう。
またまたある人は、それは嫌いだと言うでしょう。
またまたまたある人は、これは好きではないと言うでしょう。
さらに、思考パターンにも違いがあります。
大きく分けるとプラス思考の人、
マイナス思考の人に分けられますが、
生きてきた環境や吸収してきた知識、論理などから、
思考の組み立て方まで異なってきます。
思考を一つ一つ組み立てて考える人もいれば、
思考をぽんぽんと跳躍させて結論を導き出す人もいます。
思考を用いずに、直感だけで正解を導き出す、すごい人もいます。
人は、みな、考えることや感じることが違うのです。
もちろん、根本的な部分は同じです。
なぜなら、人の心は奥深くではつながっていて、
一つの集合意識として存在するからです。
でも、細かい部分では、人それぞれです。
自分がそう感じるから、そう考えるから、
他の人も同じように考え、感じるだろうという判断は、
やめた方がいいでしょう。
自分の感じ方、考え方は、
周囲の人の感じ方、考え方を推量する目安にはなりますが、
やはり、そのまま押し通すと失敗します。
押し付けになってしまいます。
自分をかぶせて、他者の感じ方や考え方を
捉えすぎないように注意しましょう。
それぞれの人の感じ方、考え方をよく聞き、
それを尊重していく方法が最も賢いやり方です。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その20)
「井蛙(せいあ)は以(もっ)て海を語るべからず。」
(原文)井蛙不可以語於海。
荘子より
日本にも、「井の中の蛙、大海を知らず」という
ことわざがあります。
これは、中国から伝わったものです。
井戸の中の蛙が、海とはなんぞやと語ったとすれば、
それは妄想であり、思考の中での偶像に過ぎません。
もちろん、井戸の中にインターネットやTV、
ラジオなどがあれば、話は少し変わってきますが。
しかし、実際に海に行ったり、見たことがなければ、
やはり妄想の域を出ません。
井戸の中の蛙が海を語ったとしても、
説得力はありません。
また、おそらくは海という存在自体を思いつかないでしょう。
彼(彼女)にとっては、井戸の中が全世界であり、
全てなのです。
私達人間に置き換えますと、
やはりできるだけ見聞を広め、井戸の中の蛙にならないよう、
情報と経験を増やしていくべきでしょう。
もちろん、井戸の中の蛙は、井戸の中のことを
知っているだけで、一生を蛙として順調に終えることはできます。
逆に外の世界を知らない方が、幸せなのかも知れません。
でも、私達人間につきましては、やはり、
より広く、深く、経験と知識を増やし、
人間レベルを大きく上げていく必要があるでしょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その21)
「千軍は得易きも、一将は求め難し。」
(原文)千軍易得、一将難求。
通俗編より
たくさんの兵は集めやすいが、
優れた将軍は、求めてもなかなか見つかりません。
優れた将軍は、現代では、優れたリーダーと
言いかえることができるでしょう。
多くの組織や社会、国家を見たときに、
たった一人の優れたリーダーが、
多くの人達を牽引して引っ張って、
成功へと導いていくことがしばしばです。
歴史を振り返ってみると、大きな成功や
革新があったときには、必ず優れたリーダーが
多くの人達を引っ張って前進しています。
英雄、英傑と呼ばれる人達です。
逆に、優れたリーダーが現れなければ、
大きな発展は望めないでしょう。
しかし、優れたリーダーはなかなか見つかりません。
ですから、すばらしいリーダーを養成できるような、
そんな教育風土、社会風土が必要となってきます。
大人物が輩出されやすい国、土地、
社会環境があります。
そういった環境を見習って、
優れたリーダーが育成されやすい、
また、自然と輩出されるような社会環境を
作っていく必要がありますね。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その22)
「其(そ)の悪を攻めて人の悪を攻むること無(なか)れ。」
(原文)攻其惡無攻人之惡。
小学より
時代劇などによく出てくる言葉に、
「罪を憎んで、人を憎まず」という言葉があります。
その原点となる中国のことばです。
人は、反省することによって、
行動を改める能力があります。
そのため、悪人と言われる人物であっても、
いくらでも更生する可能性を秘めています。
また、人間ですので、最終的には悟りを
開くことができる潜在的可能性を持っています。
誰もが天から分かれた魂であり、
存在そのものは、とても貴いものです。
しかしながら、社会や他者に迷惑をかける行為、行動、
罪は改められるべきです。
二度と犯さないように、更生プログラムが必要です。
罪を犯した人物を見ていきますと、
家庭環境に問題があったり、
大きな事件に巻き込まれたり、
あるできごとに対するショックから、
世の中に対する見方、考え方がゆがんでしまったりと、
本人の周りの環境に原因があることが多いです。
もちろん、本人に弱さがあったことも否定はできません。
罪は悔い改められるべきです。
改善がなければ、同じ過ちが、
ずっと発生し続け、社会的にも損失が
発生し続けることでしょう。
しかし、その人物の人格、存在そのものを
真っ向から否定するべきではありません。
その人物が、罪を犯さざるを得なかった
生活環境、社会環境、教育環境が、
必ずあるはずだからです。
罪を攻め、しかしながら、人を攻めるのではない、
このような慈悲を含んだ考え方が、
現代はより一層、必要となってきています。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その24)
「天地(てんち)物を生ずるのに気象(きしょう)に観(み)よ。」
(原文)観天地生物氣象。
近思録より
天地自然を観察しますと、絶えず、何かを、
生み出そう生み出そうとしていることが分かります。
森羅万象すべてに言えることです。
天地自然の理は、創造にあります。
何かを絶えず創造していくのです。
さて、我々人間が成長するためには、
森羅万象の原理・原則、法則にのっとって、
生きていく必要があります。
天地自然の理の一つが、創造することなのです。
私達も、創造すること、生み出すことを、
心がける必要があります。
何かを創造するとき、そこには生みの苦しみと、
生み出した達成感、喜びがあります。
どんどんと創造し、生み出していきましょう。
前向きで、建設的に生きていくことが求められます。
逆に、後ろ向き、破壊的な思考や行動は改めましょう。
天地自然の理に反逆することになります。
反逆すれば、原因と結果の法則により、
数学的正確さをもって、自らに報いが返ってきます。
もちろん、創造のための破壊は、創造の範疇に含まれます。
たとえば、新しいビルを創造するために、
古いビルをいったん取り壊すように。
建設的になり、絶えず何かを生み出しましょう。
創世記には、次のような記載が見られます。
「生めよ、増やせよ」と。
「城に登りては指ささず。城上(じょうじょう)にては呼ばず。」
(原文)登城不指。城上不呼。
小学より
古代中国では、城に登った際に、
軽はずみに指差してはいけませんでした。
それを見た人が、何らかの大事態が発生したと勘違いし、
混乱が発生するからです。
古代中国では、城に登った際に、
軽はずみに大きな声で呼んではいけませんでした。
それを聞いた人が、何かとんでもないことが
起こったのではないかと勘違いし、混乱が発生するからです。
現代に言い換えると、紛らわしいこと、
勘違いされることを行わないように、
ということです。
勘違いされるということは、
自らの不注意が原因であると考え、
勘違いされない行動をとっていく必要があります。
もちろん、勘違いする方にも責任があるのですが、
人はとかく、勘違いをします。
他者の行動を正確に見抜けず、
勘違いしたり、早とちりして、
おかしな事件にまで発展することがあります。
誤解を生む行動は、できるだけしないように、
よく気をつけましょう。
ほんの些細なことからも、
おかしな誤解が生まれるものです。
誤解を生む可能性がある行動は、
誤解を生みようがない明確な行動に変化させましょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その25)
「水至って清ければ則(すなわ)ち魚なし。」
(原文)水至清則無魚。
晋書より
水があまりにもきれいな場合、
そこに魚は住めなくなります。
逆に、少し汚れているくらいの方が、
プランクトンや滋養が多く、
魚は元気よく住めます。
これは人間社会でも同じことが言えます。
あまりにも清廉潔白な人物のもとでは、
人は窮屈で、自由がきかず、
生きづらくなります。
また、あまりにも清廉潔白な組織のもとでは、
構成員は厳しいルールにがんじがらめになり、
身動きがとれなくなります。
そして、思うように行動できず、離れていきます。
ですから、あまりにも清廉潔白できれいな水には
ならないようにしましょう。
寛容さと度量で、ある程度の汚れは
受け入れるようにしましょう。
また、人間の本質として、
内にある観察者は汚れることはありません。
本当の自分である観察者は、
いつも純真無垢できれいなままです。
観察者の存在を覚えていれば、
気づいていれば、
自らが完全に汚れきってしまうことはありませんので、
ある程度、たづなを緩めても大丈夫です。
汚れたかなと思えば、内観をおこなえばいいのです。
内観を通して、観察者の存在を感じることによって、
すぐに純真無垢を取り戻せます。
心の内に純真性を秘め、
それでいて、ある程度の汚れも受け入れるという
生き方が最良でしょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その2)
「小人(しょうじん)窮すれば斯(ここ)に濫(らん)す。」
(原文)小人窮斯濫矣。
論語より
人間的に練れておらず、
自らの内に徳を養っていない人は、
緊急事態に遭遇すると、
取り乱し、自暴自棄になります。
そして、勢い余って犯罪を犯してしまうことも多いです。
緊急事態、切迫した事態に陥れば、
その人の度量、冷静さ、人間性が分かるものです。
人徳を秘めた人物は、
原因と結果の法則を適用して、
物事の原因をつきとめ、
緊急事態という、からまった紐も、
冷静にときほぐすことができます。
内観を行い、人徳を養いましょう。
そして、原因と結果の法則を理解・実践し、
どんな事態に陥っても冷静に対処できる、
度量の大きな人物となっていきましょう。
どんなに切迫した事態でも、
いくつかの問題がからまって、
複雑な様相を呈しています。
しかし、物事の実相は、いたってシンプルです。
シンプルなできごとが重なって、
複雑に見える事象が発生しているので、
ひとつひとつのシンプルな事象に分解し、
さらに、ひとつひとつの事象に
原因と結果の法則を適用することによって、
複雑な問題を打開することができます。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その27)
「渇者(かっしゃ)は火を思わず、
寒者(かんじゃ)は水を求めず。」
(原文)渇者不思火、寒者不求水。
韋応物(いおうぶつ)より
のどが渇いている人は、
火がほしいとは思いません。
のどの渇きを潤す、水を求めます。
寒さを耐えている人は、
水がほしいとは思いません。
体を暖めてくれる、火を求めます。
このように、置かれている状況によって、
人の要求はかわってきます。
ですから、他者にサービスを行ったり、
喜んでもらうためには、その人物が今、
何を望んでいるかを的確に読み取る必要があります。
タイミングも影響します。
少し前は、あるものがほしかったけれど、
今はそうではないとか、
以前は不要であったけれど、
今はどうしてもほしいといったように、
要求は時々刻々と移り変わっていきます。
目の前にいるその人が、どのような境遇にいて、
どのような立場に置かれているかを認識する能力は、
ぜひ、磨いておきましょう。
営業マンでなくても、社会で生きていく上で、
大切な能力です。
生まれながらにそれができる人もいますが、
すぐにできない場合は、努力して身に付けていきましょう。
また、聞き出す方法も重要になります。
相手の置かれている状況を考えて、
ある程度のことを推測した上で、
的を射た質問をしましょう。
より、相手の要求が明確になります。
原因と結果の法則により、
与えれば与えられますが、
相手の要求にぴったりのものを
与えれるように努力しましょう。
また、よいタイミングで、
ぴったりのものを与えることで、
相手の喜びは増し、原因と結果の法則上も、
より好ましい結果が返ってきます。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その28)
「遠き慮(おもんばか)りなきときは、
必ず近き憂(うれ)いあり。」
(原文)無遠慮、心有近憂。
論語より
遠い先のことを考えて計画をたて、
あらゆる事態を想定して対策をたてておかないと、
近い内に、必ず困ったことが起きます。
緊急事態が発生してから気づいたのでは、
間に合わないことがとても多いからです。
緊急事態はいつも、まさかと思う時に発生します。
危機管理の大切さが言われていますが、
あらかじめ、起こり得るであろう事態を想定し、
あらゆる対策と準備を行っておくことで、
緊急事態のほとんどは、
被害を最小におさえることができます。
平和で何事もない時ほど、
緊急事態を想定して、
早くから準備と対策を行っておく必要があります。
あらかじめ準備と対策を行っておくことの大切さを
教えてくれる、興味深いことわざの一つですね。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その29)
「兵は国の大事にして、死生の地、
存亡の道、察せざるべからざるなり。」
(原文)兵者國之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也。
孫子の兵法より
軍事行動を起こし、戦争をしかけるのは、
国家存亡に関わる重要な決断です。
その決断が、国家滅亡につながる可能性があることを、
よくよく検討しなければなりません。
戦争に勝っても負けても、
多くの人命が失われ、
経済は疲弊し、限りない怨恨を残します。
孫子は、次のようにも言っています。
「戦わずして勝つのが最上である」と。
戦えば、勝っても大きな痛手を負います。
味方は傷だらけになり、
出費は莫大なものになります。
ですから、戦争をしかけずに勝つ方法を
考える必要があります。
孫子の兵法は、実生活やビジネスにも活かす事ができます。
実生活でも、争いをしかけるのは、
できる限り避けなくてはなりません。
たとえば、誰かに争いをしかけ、
けんかをし、裁判に持ち込むといった場合、
たとえ勝ったとしても、自らにも大きな痛手が残ります。
暴力に訴えた場合は、刑法上、罪に問われますし、
裁判に持ち込んだ場合、弁護士費用はべらぼうに高いものです。
相手には、ずっと怨まれ続けることでしょう。
また、原因と結果の法則上、
負の原因が新たにつくられますので、
いずれ、他の内容で、誰かから争いをしかけられるという、
負の結果がやってきます。
ですから、争いはしかけない方がいいのです。
古代中国の聖人、老子も言っています。
「争わないこと」
これが一番大事です。
争えば、自らの身にも痛手を負います。
そして、負の原因をつくってしまうということを
肝に銘じ、争わない工夫をする必要があります。
理解と忍耐、話し合いで乗り越えましょう。
もし、どうしても争わないといけない場合は、
自らが支払わなければならない代償と、
どのような負の原因を積むことになるかを
よく見積もってから争いましょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その30)
「歓楽(かんらく)極(きわま)って哀情(あいじょう)多し。」
(原文)歓楽極兮哀情多。
漢武帝のことばより
楽しみや喜びが極まりますと、
悲しみやわびしさがやってきます。
この世界には、調和とバランスの法則が
流れていますので、
一方の極が極まりますと、
振り子が振れて、もう一方の極に振れます。
とても楽しい宴会やパーティーなど、
終わった後に、ものすごくさびしさや悲しさが
湧きあがることが多いです。
全ては、表裏一体、
ある面は、もう一つの面につながっています。
それは、コインの裏表のようです。
二つあるかのように見えて、実態は一つなのです。
楽しみを追求すると、
悲しみも一緒に顔を出すということを
念頭に入れておきましょう。
喜びを追求すると、
苦痛も一緒についてくるということを
念頭に入れておきましょう。
中庸の道、
両方のバランスをうまく取り、
片方に偏らないようにするのが
賢者の知恵です。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その31)
「習慣は自然の若(ごと)し。」
(原文)習慣若自然也。
孔子家語より
習慣は、第二の天性と言われるように、
自らの性質をかたちづくる、
とても重要なものです。
天性から素直で明るく、他者とも友好的で、
前向き、建設的であれば言うことはありません。
素行も優れ、才能もあれば、向かうところ敵なしでしょう。
しかしながら、天性から、
全てを兼ね備えている人というのは、
それほど多くはいません。
そこで、習慣付けが非常に大切になってきます。
良い習慣を継続して実践していくと、
努力せずとも、そのようにふるまえるようになります。
そうなると、それは、自らの天性の一つとなります。
良い習慣を身に付けましょう。
本当に身に付き、血肉となり、
努力せずともそれができるようになるためには、
大変な苦労と忍耐が必要です。
継続して続ける辛さも乗り越えないといけません。
しかしながら、大変な苦労を乗り越えて、
良い習慣が身に付けば、それは一生の財産となります。
また、考え方や意識の持ち方に良い習慣をつけることができれば、
死んでからも持ち越すことができます。
そして、来世でも活用することができます。
なぜなら、考え方や意識の持ち方は、自らの魂に刻印されるからです。
良い習慣をつけることは自らの財産づくりであると考え、
精進努力していきましょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その32)
「疑心(ぎしん)、暗鬼(あんき)を生ず。」
(原文)疑心生暗鬼。
列子のことばより
疑いの心が深まりますと、
実際には存在しない敵を創り上げてしまいます。
たとえば、実際には、
自らに危害を加えるものは存在しない状態でも、
疑いの心が深まることによって、
あたかも周り中、敵に取り囲まれているかのように
錯覚してしまいます。
人の想念は、とても強いものです。
考えたこと、思ったことは、
実際に存在するかのように
私達の体や心に影響を与えます。
たとえば、夢で恐い動物に襲われたとします。
現実には、その動物に襲われていないし、
そばにその動物は存在しません。
でも、体中、汗びっしょりで、
おびえた状態で目を覚まします。
すなわち、私達の体や心は、想念やイメージ、
妄想などに反応し、大きな影響を受けるということです。
疑い過ぎないように、
妄想にとらわれないようにしましょう。
不必要に想念上の敵を増やし、
心身ともに疲れてしまいます。
また、人を疑いすぎると、原因と結果の法則により、
あなた自身がとことん疑われるはめに陥ります。
内観を行い、不要な思考をそぎ落とし、
クリアーな現実だけを見つめる必要があります。
もちろん、疑いの心を全く持たなければ、
だまされたり、危険な目に遭うことがありますので、
完全に疑わないのは考えものです。
でも、必要な疑いだけで十分です。
不必要な疑いは、行き過ぎると悲劇を生み出しますので、
注意が必要です。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その33)
「錐(きり)の嚢中(のうちゅう)に処(お)るが若(ごと)し、
其(そ)の末(すえ)立(た)ちどころに見(あらわ)る。」
(原文)若錐之処於嚢中、其末立見
史記より
錐(きり)を袋の中に入れておいても、
すぐに穴を開けて顔を出します。
それと同じように、優れた人物は、
どんな組織の中にいても、
後々、必ず頭角をあらわします。
ですから、優れた人物を探すためには、
組織の中に入れて、
しばらく様子を見ることです。
優れた人物は、いずれ、
組織を引っ張る、リーダーとして、
自然と頭角をあらわしてきます。
逆に、いつになっても
頭角をあらわさず、
名前の出てこない場合は、
その人物は、その組織の殻を打ち破るほどの
パワーと才能を持たないと言えます。
どんな組織でもそうですが、
やはり、実力のある人物は、
いずれ表に出てくるということを
念頭に入れておきましょう。
特に乱世や混乱の時には、
袋そのものが変化にさらされて破れやすくなるため、
実力者が頭角をあらわすスピードがはやくなります。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その33)
「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知らば、
以(もっ)て師と為すべし。」
(原文)温故而知新、可以下為師矣。
論語より
孔子は言いました。
「古えの先人達が残した真理や学問、過去の経験を研究し、
現在でも通用する部分を取り出して、新しいものとして
使うことができるようになれば、人の師となることができる」と。
学問の真髄とは、研究や実験の成果から、
いつの時代でも通用する普遍的な原理・原則を
抽出することです。
個別の状況や特定の状況でのみ使える知識も
確かに大切です。
しかしながら、特定の状況でしか使えない知識は、
いつでもどこでも使うというわけにはいきません。
逆に、普遍的な知識は、万能の性質を帯びています。
なぜなら、根源法則に根ざした知識であり、真理だからです。
普遍的な原理原則を体得すれば、
あらゆる物事に精通し、すぐにコツをつかみます。
根本的なところでは、みな似通ったところがあるからですね。
そして、そのコツを他の人に教えて、
自らが師や先生となることができます。
古い知識だから貴いのではありません。
新しい知識だから貴いのではありません。
根源法則に合致した、
普遍的で役に立つ知識だから貴いのです。
新しい、古いにとらわれず、
普遍的で役に立つかどうかを基準として、
知識の良し悪しを評価する必要がありますね。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その34)
「莞(かん)を以(もっ)て天を窺(うが)ち、
蠡(ひさご)を以(もっ)て海を測(はか)る。」
(原文)以莞窺天、以蠡測海。
東方朔より
いぐさの小さな穴から天を覗いても、
はっきり見ることはできません。
また、ひょうたんを使って海を測ろうとしても、
測ることはできません。
いぐさとは、現在では畳やマットの素材として
良く使われている植物です。
また、ひさごとは、ひょうたんのことです。
大きなものを見て、大きなものを測るには、
それなりの道具が必要です。
その際には、いぐさやひょうたんのような、
小さなものは使い物になりません。
たとえば、国家や組織の将来、行く末など、
大きな物事を考える際には、
小さな考え方(小知)では考えることができないのです。
大局を見据え、大きく考えること(大知)が必要となります。
大きな考えとは、より根源的な考えのことです。
考えが大きくなればなるほど、
抽象的で漠然とした思考が必要となり、
右脳の力を必要とします。
また、原因と結果の法則から考える必要が出てきます。
大局に直面した場合、
小手先のテクニックや小賢しい知恵を使うと失敗します。
なぜなから、小手先のテクニックや小賢しい知恵は、
その場しのぎであり、長期的な効果がないからです。
大局に直面し、大きな問題に当たる際には、
原因と結果の法則に戻って、
根本から思考を組み立てていきましょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その35)
「学びて時に之れを習う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや。
朋(とも)遠方より来たるあり、亦た楽しからずや。
人知らずして憤(いきどお)らず、亦た君子ならずや。」
(原文)學而時習之、不亦説乎。有朋、自遠方來、不亦樂乎。
人不知而不憤、不亦君子乎。
孔子のことばより
「天時(てんじ)に非(あら)ざれば、
十堯(じゅうぎょう)と雖(いえど)も、
冬、一穂(いっすい)を生ずること能(あた)わず。」
(原文)非天時、雖十堯不能冬生一穂。
韓非子より
天の時が来なければ、
成果をあげることはできません。
たとえば、伝説上の聖天子である堯が、
たとえ10人いても、
冬に1本の稲の穂も実らせることができないのです。
堯は、舜と共に聖天子として崇められ、
堯舜と並び称される伝説上の聖天子です。
原因は、人間が作り出します。
でも、結果は、天が発生させます。
ですから、天の時が来ないと、
結果が現れないのです。
聖天子、名君と呼ばれた堯でさえ、
天の時に逆らうことができなかったのですから、
凡人である私達には、なおさらのことでしょう。
一生懸命努力しても成果があらわれなくても、
深刻に悩んだり心配しないようにしましょう。
天の時、タイミングが、
まだ、訪れていない可能性が高いです。
もちろん、方向性を間違えていないか、
努力方法に問題はないかを、
再点検する必要はあります。
でも、自分にできる最大限の努力を行ったのなら、
あとは、天の時を待つばかりです。
天の時がやってくると、
とんとん拍子に事が進んでいきます。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その36)
「巧詐(こうさ)は拙誠(せっせい)に如(しか)ず。」
(原文)巧詐不如拙誠。
韓非子より
巧みに偽りごまかしても、
そこには実態がありません。
表面にメッキを塗りたくっただけです。
逆に、拙(つたな)くても真心をこめたものは、
実態をともなうために、巧みに偽りごまかしたものに
はるかに勝ります。
一時的には、巧みな偽りにだまされる人がいますが、
見る人が見れば、すぐに偽りであると見破られますし、
時間が経てば、必ずメッキがはがれます。
口だけうまくて、他者の仕事や作品を批判するのが
好きな人がいます。
しかし、自分の腕前を見せたことがない人は、
実際には実力がないことが多いです。
たとえ、技術がなくとも、
できあがりが良くなくても、
真心をこめて作った作品や、
真心をこめて行った仕事は、
真実の香りを持ち、良い味を出しているものです。
少なくとも、嘘偽りで塗り固めたものには
はるかに勝ります。
精魂込めて、仕事にあたっていきましょう。
また、真心込めて、作品を生み出していきましょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その37)
「多言(たげん)は敗(はい)多し。」
(原文)多言多敗。
孔子家語より
口数が多い人物は、失敗を引き起こしたり、
わざわいに巻き込まれることが多いです。
なぜなら、失言や、
軽はずみに発した言葉の影響力によって、
自らの首をしめることになるからです。
古代中国の名言名句や故事成語には、
言葉に気を付けなさい、
口数が多ければ失敗しますよ、
という内容のものがとても多く存在します。
弁論と議論をとても大切にする中国では、
言葉をとても重要視します。
中国のみならず、どんな国であっても、
失言によって事業を失敗させたり、
軽はずみな言葉によって自らを窮地に立たせる、
といったことが大変多いです。
言葉に注意しましょう。
話し言葉だけでなく、
文章などの書き言葉にも注意しましょう。
契約書や法律なども、
言葉の集まりです。
でも、人間の意思表明として、
とても大きな力を持ちます。
たかが言葉といって、
甘く見ないようにしましょう。
軽はずみな言葉を発していると、
後で手痛いしっぺ返しに遭いますよ。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その38)
「君子は三端(さんたん)を避(さ)く。」
(原文)君子避三端。
韓詩外伝より
君子と呼ばれる立派な人物は、
三端(三つの先)で他者と争いません。
では、三端(三つの先)とは何でしょうか。
それは、次のようなものです。
1.筆先
ひとつは、筆先で争う、すなわち、文章によって
他者を非難したり、攻撃することです。
文章によって、他者を攻撃すると、
原因と結果の法則により、
後ほど、自らが文章で攻撃されるようになります。
原因と結果の法則は、絶対真理ですので、
結果が返ってくることは、避けられません。
文章で他者を傷つけることで、自らも
傷つく結果となりますので、
君子は筆先で争うことはしません。
わざわざ自分から、
不の原因を作り出す必要はないからです。
2.剣先
もうひとつは、剣先、軍事力で争うことです。
これを行うと、原因と結果の法則により、
自らに返ってきて、
自らが命の危険にさらされることになります。
他者を殺害したり、傷つけたりすると、
後ほど、必ず自らに返ってきて、
命を落としたり、傷つけられたりします。
君子は、自分の行ったことが、
後々必ず自らに返ってくることを知っているので、
他者に暴力をふるったり、
軍事力を濫用することはありません。
3.舌先
さらにもう一つは、舌先、口先で
他者を攻撃することです。
罵倒したり、罵ったり、
口から出る言葉によって、
他者を非難したり、糾弾することです。
口から出る言葉で他者を攻撃することで、
原因と結果の法則により、
後ほど自らも非難と糾弾のターゲットとして、
危険にさらされることとなります。
テレビのニュースなどを見ていると、
他の政治家を非常な勢いで非難、糾弾して、
とことんまで追い詰める政治家がいます。
そして、後ほど自らが、非難、糾弾されて、
辞職せざるを得ない状況に
追い込まれることがよくありますが、
原因と結果の法則が具現化した例の、
ひとつとしてあげられます。
以上、三端によって他者を攻撃することで、
後ほど自らも窮地に立たされることを
肝に銘じておきましょう。
それができるようになれば、
君子にまた一歩近づけます。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その39)
「城に登りては指ささず。城上(じょうじょう)にては呼ばず。」
(原文)登城不指。城上不呼。
小学より
古代中国では、城に登った際に、
軽はずみに指差してはいけませんでした。
それを見た人が、何らかの大事態が発生したと勘違いし、
混乱が発生するからです。
古代中国では、城に登った際に、
軽はずみに大きな声で呼んではいけませんでした。
それを聞いた人が、何かとんでもないことが
起こったのではないかと勘違いし、混乱が発生するからです。
現代に言い換えると、紛らわしいこと、
勘違いされることを行わないように、
ということです。
勘違いされるということは、
自らの不注意が原因であると考え、
勘違いされない行動をとっていく必要があります。
もちろん、勘違いする方にも責任があるのですが、
人はとかく、勘違いをします。
他者の行動を正確に見抜けず、
勘違いしたり、早とちりして、
おかしな事件にまで発展することがあります。
誤解を生む行動は、できるだけしないように、
よく気をつけましょう。
ほんの些細なことからも、
おかしな誤解が生まれるものです。
誤解を生む可能性がある行動は、
誤解を生みようがない明確な行動に変化させましょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その40)
「水至って清ければ則(すなわ)ち魚なし。」
(原文)水至清則無魚。
晋書より
水があまりにもきれいな場合、
そこに魚は住めなくなります。
逆に、少し汚れているくらいの方が、
プランクトンや滋養が多く、
魚は元気よく住めます。
これは人間社会でも同じことが言えます。
あまりにも清廉潔白な人物のもとでは、
人は窮屈で、自由がきかず、
生きづらくなります。
また、あまりにも清廉潔白な組織のもとでは、
構成員は厳しいルールにがんじがらめになり、
身動きがとれなくなります。
そして、思うように行動できず、離れていきます。
ですから、あまりにも清廉潔白できれいな水には
ならないようにしましょう。
寛容さと度量で、ある程度の汚れは
受け入れるようにしましょう。
また、人間の本質として、
内にある観察者は汚れることはありません。
本当の自分である観察者は、
いつも純真無垢できれいなままです。
観察者の存在を覚えていれば、
気づいていれば、
自らが完全に汚れきってしまうことはありませんので、
ある程度、たづなを緩めても大丈夫です。
汚れたかなと思えば、内観をおこなえばいいのです。
内観を通して、観察者の存在を感じることによって、
すぐに純真無垢を取り戻せます。
心の内に純真性を秘め、
それでいて、ある程度の汚れも受け入れるという
生き方が最良でしょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その41)
「小人(しょうじん)窮すれば斯(ここ)に濫(らん)す。」
(原文)小人窮斯濫矣。
論語より
人間的に練れておらず、
自らの内に徳を養っていない人は、
緊急事態に遭遇すると、
取り乱し、自暴自棄になります。
そして、勢い余って犯罪を犯してしまうことも多いです。
緊急事態、切迫した事態に陥れば、
その人の度量、冷静さ、人間性が分かるものです。
人徳を秘めた人物は、
原因と結果の法則を適用して、
物事の原因をつきとめ、
緊急事態という、からまった紐も、
冷静にときほぐすことができます。
内観を行い、人徳を養いましょう。
そして、原因と結果の法則を理解・実践し、
どんな事態に陥っても冷静に対処できる、
度量の大きな人物となっていきましょう。
どんなに切迫した事態でも、
いくつかの問題がからまって、
複雑な様相を呈しています。
しかし、物事の実相は、いたってシンプルです。
シンプルなできごとが重なって、
複雑に見える事象が発生しているので、
ひとつひとつのシンプルな事象に分解し、
さらに、ひとつひとつの事象に
原因と結果の法則を適用することによって、
複雑な問題を打開することができます。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その42)
「文は拙(せつ)を以(もっ)て進み、道は拙を以て成る。」
(原文)文以拙進、道以拙成。
菜根譚より
文章を学ぶ場合は、才走った人よりも、
むしろ遅鈍・拙劣な人のほうが精進が進みます。
また、道を学ぶ場合も、才走った人よりも、
むしろ遅鈍・拙劣な人のほうが大成します。
才走った人は、表面だけを学んで、
その奥深くの妙味を味わうことなく、
やめてしまうことが多いからです。
そのため、深さや重厚さがなく、
軽くて浅い理解にとどまります。
逆に、遅鈍・拙劣な人は、
じっくりと時間をかけて学ぶ用意があり、
一つ一つを確実に身に付けて、
重厚さも身に付けていきます。
根気よく続けていくことで、
真の極意に、やがては辿り着くのです。
スピードが求められる時代ですので、
ビジネスや日常生活では、
ある程度速さを優先しても良いのでしょう。
しかしながら、道や真理を極める場合は、
速さではなく、真剣さと確実さが求められます。
じっくりと時間をかけて磨き上げていく必要があります。
真の成長は、時間がかかるものです。
真理の探究には、多くの時間をかけて、
丹念に、そして、精魂を込めて精進していきましょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その43)
「侫人(ねいじん)は殆(あやう)し。」
(原文)侫人殆。
論語より
良からぬことを考え、
口先がうまく、上にへつらい、
下に威張る人物は、
やがて組織を腐敗させていきます。
なぜなら、根源法則にのっとっていない言動や思考方法が
組織内に蔓延していくからです。
思考や言動は、じわじわと伝染していきます。
負の原因も、同じく伝染していきます。
これは非常に恐いことです。
人は環境に染まりやすい性質を持っています。
リーダーやトップの立場にいる人は、
侫人の扱いに極力、注意する必要があるでしょう。
ただし、現代では、侫人だからといっても
簡単に組織から追い出すことができません。
そのため、自らが原因と結果の法則をはじめ、
根源法則にのっとった生き方をおこない、
侫人を感化していくのが最も良い防衛策です。
しかしながら、徳の力が強くなければ、
侫人の負の感化力に負けてしまいます。
大きな徳の力が必要となりますので、
精進していきましょう。
また、組織内に徳を積んだ人を何人か招き入れるのも
組織浄化の方法の一つでしょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その44)
「無極(むきょく)にして太極(たいきょく)。」
(原文)無極而太極。
近思録より
太極とは、万物の根源のことです。
そして、万物の根源である太極は、
無であるという言葉です。
古の聖人である老子は、
次のように言っています。
「道は一を生じ、一は二を生じ、
二は三を生じ、三は万物を生ず。」
道教でも、無、太極のことを
道という呼び方で述べていますね。
万物には、太極という中心があります。
そして、その太極をのぞいてみると、
その中には何もありません。
まるで、台風の目には何もないのと
似ています。
内観をおこなうと、
無を感じることができます。
まったく何もない、
それでいてエネルギーが充満しているのです。
気とも呼ばれています。
宇宙のはじまりには、
無と呼ばれる無限の愛のエネルギーだけがありました。
そこから想念が生まれ、万物が発生したのです。
物事の真相を知るために、
内観や瞑想をおこなって、
無とは何か、どのようなものなのか、
身をもって体験しておきましょう。
物事の生成の秘密を感じ取ることができます。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その45)
「徳とは身に得(う)ることなり。」
(原文)徳者得身也。
韓非子より
徳とは、知識だけでは身に付きません。
実践し、全身全霊で身に付けてこそ、
活きてくるものです。
徳に関する知識や情報は、
現代の日本にはあふれかえっています。
必要であれば、
誰でもすぐに手に入れることができます。
しかしながら、徳を実際に体得した人は、
滅多に存在しません。
なぜなら、知識を得ることは簡単でも、
実際にやってみて、身に付けることは、
大変難しいことだからです。
それゆえ、自分自身の行動を見守り、
軌道修正し、徳とはいかなるものかを
身をもって理解できる感性と才能が必要となります。
徳に関する知識を得たなら、
そのまま置いておかないようにしましょう。
それでは単なる知識のままです。
その知識を実践し、
かみくだいて全身全霊で吸収することが大切です。
それを繰り返していくと、
やがて、徳の人となることができるでしょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その46)
「兵は拙速(せっそく)を聞く。
未(いま)だ功(たく)みの久しきを賭(み)ず。」
(原文)兵聞拙速、未賭巧之久也。
孫子より
「孫子の兵法」でおなじみの、
孫子のことばです。
戦争については、やり方が拙くても
速く終結させたということを聞きます。
しかし、やり方が上手なのに長引かせたという例を
見たことがありません。
戦争をおこなえば、
莫大な費用と人民の犠牲を必要とします。
ですから、戦争は、必要最小限におさえ、
どうしてもおこなわないといけない場合でも、
可能な限り早く終結させないといけません。
長引けば長引くほど、
多くの犠牲と出費を払うことになります。
どうしても必要な戦争については、
準備万端整えてじっくり時間をかけ、
ジワジワと攻め進むより、
迅速に行動して、一刻も早く
終結させる必要があるということばです。
現代においても、
争いごとは長引かせない方がいいでしょう。
たとえば、訴訟なども長引けば長引くほど、
多くの費用が必要となります。
また、家族や他の人達にも、
いろいろな犠牲を強いることになります。
さらには、争いごとをかかえて生活していると、
精神衛生上も良くないし、
原因と結果の法則の観点からも、
多くの負の原因を積んでしまうこととなります。
可能な限り、争わないようにしましょう。
もし、どうしても争わないといけない場合は、
可能な限り、早く終結させましょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その47)
「主は怒りを以て師を興すべからず、
将は慍(いきどお)りを以て戦いを致すべからず。」
(原文)主不可以怒而興師、将不可以慍而致戦。
孫子より
「孫子の兵法」でおなじみの、
孫子のことばです。
主君は、怒りから師団(軍隊)を編成するべきではなく、
将軍は、憤りから戦争を始めるべきではないという
貴重な言葉です。
軍隊を編成し、戦争を始めるには、
莫大な費用と人民の犠牲を必要とします。
徴兵もおこなわれます。
また、戦争を始めれば、
勝っても負けても多くの命を失い、
はかり知れないほどの怨恨が残ります。
町は焼け野原になるでしょう。
ですから、怒りや憤りを理由として、
戦争を始めるべきではありません。
怒りや憤りを静めるだけのために戦争をおこなうのは、
余りにも犠牲が多く、愚の骨頂なのです。
孫子の兵法を読みますと、
孫子は原因と結果の法則を理解していたと考えられる部分が
数多く見受けられます。
名前は違えども、いつの時代にも流れている法則ですので、
孫子は原因と結果の法則に気づいていたことでしょう。
当時は、道(タオ)と呼ばれていたようです。
いつの時代でも、争いを起こしますと、
多大な犠牲を必要とします。
現代であれば、喧嘩、暴力、訴訟などでしょう。
争いを起こすことで、多大なエネルギーを必要とし、
勝っても負けても怨みが残るのですから、
単なる怒りや憤りのみで争わないようにしましょう。
「ついカッとなったから相手を傷つけた」、
「ついカッとなったから争いをしかけた」だけではすまない
悲惨な結果が待っています。
また、原因の結果の法則により、
争いによる負の原因(カルマ)を積むことになり、
後々、厳しく返済を迫られることになります。
争いは、怒りや憤りに任せておこなうことなく、
本当に必要な時だけおこなうようにしましょう。
本当に必要な時とは、
自分の身を守る時、
他者の身を守る時など、
正当防衛と考えられる時です。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その48)
「口に蜜(みつ)有り、腹に剣(けん)有り。」
(原文)口有蜜、腹有剣。
新唐書より
口では甘い言葉や心地よい話をしていても、
腹の中ではこちらを窮地に追いやろうと
考えている人物がいます。
戦乱に明け暮れる古代の中国では、
甘い言葉で近寄って、
すきを見つけて短剣で刺し殺すという暗殺の手法が、
多く用いられました。
現代の日本では、暗殺はほとんどありませんが、
甘い言葉で近寄って、目的を達成しようという人物は、
まだまだ、数多くいます。
その目的といたしましては、
財産を奪うことだったり、何かを売りつけたり、
策略にはめて自分の利益に結びつけるなど、さまざまです。
普段から良く言われることですが、
甘い言葉や心地よい言葉には、よくよく気を付けましょう。
甘い話を聞いた時には、
まず疑うという心構えが必要です。
甘い話には、必ずどこかに矛盾や偽りがあります。
原因と結果の法則に支配されているこの世の中は、
大変厳しいものだからです。
特に、何の代償も必要とせず、
こちらにとっていいことばかりの話は、
鵜呑みにしないようにしましょう。
「代償なくして成果なし」です。
言葉巧みに、こちらをあざむき、
目的を達成しようとする人物が数多くいるということは、
心に留めておきましょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その49)
「愛すれども其(そ)の悪を知り、憎めども其の善を知る。」
(原文)愛而知其悪、憎而知其善。
小学より
愛すると、相手の全てが良く見えます。
また、憎むと相手の全てが悪く見えます。
これは、人間の心の特性の一つであり、
仕方がない部分もあります。
しかしながら、全てが良くて完璧な人間はいません。
また、全てが悪くて良い部分を全く持たない人間もいません。
みな、どこかに短所があり、
長所があります。
愛する人物の良い点だけを見て付き合っていくと、
その人物の意外な欠点や短所に遭遇し、
ショックを受けたり、失敗することがあります。
ですから、欠点や短所もきちんと把握しておく必要があります。
愛しているという感情に流されるのも結構ですが、
客観的な視点だけは、見失わないようにしましょう。
また、憎い人物、嫌いな人物を、
頭から悪いとみなしてしまうと、
その人物の意外な長所が開花する機会を
なくしてしまいます。
長所や良い点を伸ばすことができない人が一人でもいれば、
それは社会全体の損失となります。
やはり、良い点は誰かが見つけて、
開花させる言葉をかけてあげる必要があります。
自分で自分の長所に気づき、開花することは、
なかなか難しいものだからです。
愛する人の短所や欠点を把握するよう気を付けましょう。
また、憎い人物、嫌いな人物に対しては、
良い点や長所を見逃さないようにしましょう。
客観的な視点を忘れずに、
人類愛を根底に持って、他者を判断していきましょう。
特に、教育や指導に携わる人達は、
よくよく注意してください。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その50)
「終身(しゅうしん)路(みち)を譲(ゆず)るも、百歩を枉(ま)げず。」
(原文)終身譲路、不枉百歩。
新唐書より
長い一生の間、ずっと他者に道を譲り続けても、
道を譲るために曲げた距離は、百歩にもなりません。
謙譲について述べられた名言です。
この世界には、原因と結果の法則と呼ばれる、
根源法則が流れています。
望むと望まないに関わらず、
人はみな、根源法則に支配されています。
謙譲の精神を発揮し、他者に譲りつづけると、
原因と結果の法則により、
自らが譲られるようになります。
そうなれば、人間関係は円満に進み、
自然と周囲から、たてられるようになります。
たとえば、一人しか渡れない細い橋があったとします。
そして、両方の岸から、
その橋を渡ろうと人がやってきたとします。
どうすれば、二人とも橋を渡れるでしょうか。
このような時は、まずは自らが譲歩するのです。
まず、相手に渡ってもらい、その後で、
自らが渡るようにするのです。
そうすると、二人とも無事に橋を渡れます。
また、道を譲ることで相手は感謝してくれますし、
原因と結果の法則により、
次回、同じような状況になった時、
自然と相手が道を譲ってくれるようになります。
逆に、相手に道をあけるように強要すれば、
喧嘩になって、二人とも谷底に
落ちてしまうことでしょう。
また、次回、同じような状況になった時、
原因と結果の法則により、今度は相手から、
「道を譲れ」と強要されることになります。
謙譲の計り知れない効果を認識し、
謙譲の美徳を身に付けておきましょう。
それは、かけがえのない財産となってくれるでしょう。
もちろん、来世にも持っていけます。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その51)
「天道は親なし。常に善人に与(くみ)す。」
(原文)天道無親。常興善人。
老子より
天の道は、ある人だけに親しむような、
えこひいきをしません。
いつも善人の味方になります。
天の道とは、原因と結果の法則をあらわしています。
天道とは、この世界を支配している法則です。
法則は、感情もなくえこひいきもなく、
ただただ淡々と法則どおりに現象を起こしていきます。
とても数学的に、
そして物理学的に現象は起きてきます。
自分のしたことは、
必ず自分に返ってきます。
そこにえこひいきはありません。
他者を傷つけたけど、
この人は親しいので特別に許してやろう、
といったことは、天の道では起こり得ません。
必ずその人に報いが返ってきます。
そういった意味では、とても公平です。
天道に不公平はありません。
善人、他者に奉仕する人には、
必ず天が味方します。
たとえ、不公平に見えたとしても、
それは人間側の主観を通して見るからです。
主観というゆがんだレンズが、
物事の真相を見えなくしているのです。
天の道は、非常に数学的に、
感情をさしはさまず、
淡々と結果を生じていきます。
他者を傷つけた者にはその報いが、
きっちりと返ってきます。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その52)
「知りて知らずとするは、上なり。」
(原文)知不知、上。
老子より
いろいろな事を知っていると、
あらゆる場面で役立ちます。
もちろん、役立つ知識であればです。
そして、たくさんの事を知っている人は、
識者として、一目置かれます。
しかし、知っていて、知識をひけらかすと、
周囲の人は、煙たがって離れていきます。
どうしても必要なとき、緊急のときなど、
そんなときに必要な情報をもらえれば、
大助かりです。
しかし、別に必要でないときに、
知識をひけらかされても、
どうでもいいことに思えますし、
役立てることもできません。
何事もタイミングが必要です。
真の賢者は、知っていることを自分から話すことは、
あまりありません。
質問されて、初めて答えるのです。
なぜなら人は、知識が必要なとき、
質問をするからです。
知識が必要なとき、人に聞き、
役立つ情報を引き出そうとします。
ですから、人が情報を必要としているときは、
質問をしてくるのです。
言い換えると、質問されたときに、
きちんと答えることができれば、
最も効率よく、知識を活かすことができます。
さらに、奥深い人物となると、
物事の真理を究めていますので、
真理と一体となっていますので、
もはや、知識ではなくなります。
その人自身が真理となります。
すると、知っているとは言えなくなります。
なぜなら、真理そのものだからです。
本当の賢者、真人は、
知っていても、知らないとします。
そして、淡々とシンプルに生きていくのです。
究極の真理は、言葉にならず、
語れないものです。
また、一切の分別を捨てないと、
究極の真理には到達できません。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その53)
「無用の弁、不急の察(さつ)は、
棄(す)てて治(おさ)めざれ。」
(原文)無用之弁、不急之察、棄而不治。
小学より
私たちは、とかく必要のないことに弁説をなし、
特に急いでやる必要もないことに目を見張ります。
しかしながら、そのような無駄は捨て去って、
やらないようにすることが大切です。
時々、武道の達人がテレビに出てくることがあります。
彼らの動きを見ていると、無駄が全くありません。
無駄がないため、動きがとても美しいです。
逆に、初心者の動きは、無駄がとても多いです。
また、達人と呼ばれる人の文章には、
無駄な文は一つもありません。
逆に、文章が下手な人は、無駄な文が多いです。
他にもさまざまな分野に達人がいますが、
彼らに共通することは、
無駄がないということです。
このように、無駄を減らしていくことが
達人になるために不可欠であることが分かります。
また、物事に上達していくと、
自然と無駄がなくなっていくのです。
人生の達人と呼ばれる人達も、
決まって言動に無駄がありません。
なぜなら、無駄な言動が成功への妨げになることが
分かっているからです。
一度、自らの一日を振り返ってみましょう。
とてもたくさん無駄なことをしていることに気づきますから。
自らの言動から、
無駄なものを一つ一つ取り除いていくよう心がけましょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その54)
「何ぞ必ずしも書を読みて、
然(しか)る後(のち)に学(がく)と為(な)さん。 」
(原文)何必読書、然後為学。
論語より
必ずしも、書物を読むことだけが、
学問をすることではありません。
日々の生活や仕事から学ぶことも、
立派な学問です。
もちろん、書物を読んで、
古の聖賢達の知恵や考えを吸収することは大切です。
しかしながら、書物に偏ることなく、
実際の生活や現実世界を観察して真理をつかみとることも、
とても大切なことなのです。
さて、現実世界から真理をつかみとるには、
何が必要でしょうか。
それは、観察力と洞察力です。
観察力と洞察力があれば、
日常生活や仕事から、
とても多くの真理をつかみとることができます。
また、日常生活や仕事から真理をつかむための
観察力や洞察力が備わったなら、
書物を読まなくても成長していくことができるようになります。
では、観察力や洞察力は、
どのようにすれば身に付けることができるのでしょうか。
それは、瞑想や内観を実践することです。
瞑想や内観を行うと、
観察力や洞察力が飛躍的に発達します。
なぜなら、瞑想や内観は、
自分自身を観察する、洞察する取り組みだからです。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その55)
「天の時は地の利に如(し)かず。
地の利は人の和に如(し)かず。」
(原文)天時不如地利。地利不如人和。
孟子より
何事かを達成しようとする時、
天の時を得ていても、
地の利がなければ成就することはできません。
また、地の利を得ていても、
人の和がなければ、
これもまた、成就することはできません。
ですから、天の時よりも地の利、
地の利よりも人の和が大切であると言えます。
最も大切なのは、人間そのものの努力、
グループ間での団結、協力です。
そして、人の和を得るためには、
リーダーとなる人物が、
大いなる人徳を備えている必要があります。
人徳がなければ、人の和を得ることができず、
グループ間の結束が生まれないからです。
もちろん、天の時、すなわちタイミングや、
地の利、すなわち置かれている環境の強みも、
大切なことに変わりはありません。
中国古来の賢者達は、
天の時、地の利、人の和の3つ全てがそろった時、
はじめて行動を起こしました。
ですから、大成功をおさめたものです。
しかしながら、3つ全てがそろわない時は、
人の和をしっかりと築き上げてから、
物事に臨む必要があります。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その56)
「士(し)の世に処(お)るは、
錐(きり)の嚢中(のうちゅう)に処(お)るが若(ごと)し。 」
(原文)士処世、若錐処嚢中。
十八史略より
無名であっても優れた人物は、
まるで袋の中に入った錐(きり)のようなものです。
いつかは必ず、先端が袋の外に出て、
才能が現れてきます。
優れた才能を持っていれば、
いずれは世の中に出てくる運命にあります。
才能ある人は、
その才能を磨き続ける努力さえ惜しまなければ、
いつかは周囲から認められ、注目を浴びるものです。
ですから、不遇な時代であっても、
認められない、評価されないと、
マイナス思考に陥る必要はないのです。
いつかはその才能が認められることを信じて、
ひたすら磨きをかけていれば良いのです。
あなたの周囲には、あなたが持っている才能を
しっかりと見極めている人が、1人や2人必ずいます。
そして、そのような見る目を持った人から、
周囲の人達に次第にうわさが流れていくのです。
才能を発揮できるチャンスが来たら、
躊躇せずに、持っている力を全て発揮しましょう。
それを機会に、大きく躍進することができます。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その57)
「富(とみ)は屋(おく)を潤(うるお)し、徳は身を潤す。」
(原文)富潤屋、徳潤身。
大学より
豊かな財産があれば、
その家を立派にすることができます。
豊かな徳があれば、
自然とその人の身を立派にします。
徳をそなえて、やましい心がなくなると、
心はとても広くなり、
身体もゆったりとして落ち着いた態度になります。
内観や瞑想をおこない、
心を整えて、自らを観察しましょう。
そして、他者のためになることを行い、
他者のためにならないことを止めて、
日々慎ましく生活していきましょう。
毎日、徳を積むよう励んでいれば、
やがて、その身は徳で潤され、
ゆったりと落ち着いた雰囲気が漂うようになります。
また、豊かな徳が蓄えられれば、
あなたを慕って、
たくさんの人々が集まってくるようになるでしょう。
中国の漢文・ことわざ・名言(ざっくりな世界史その58)
「治世(ちせい)に処しては宜(よろ)しく方(ほう)なるべく、
乱世(らんせい)に処しては宜(よろ)しく円(えん)なるべし。」
(原文)処治世宜方、処乱世宜円。
菜根譚より
治世、すなわち平和な世の中では、
四角く筋道を通して生きていくとうまくいきます。
なぜなら、平和な世の中では、
秩序が整い、法律が整備されるため、・
道を外れると厳しい制裁を受けるからです。
乱世、すなわち乱れた世の中では、
角を立てずに丸く生きていくのが安全です。
なぜなら、乱れた世の中では、
角を立てただけで命を狙われたり、
危害を受けることがあるからです。
また、丸く臨機応変に物事に対処していかないと、
思わぬ災厄に見舞われたり、
予想外の怨みをかったりします。
どのような時代に生きているかをきちんと把握し、
その時代にあった処世術を実施していく必要があります。
現代日本であれば、どちらかと言うと
平和な世の中、治世でありますので、
四角く筋道を通した生き方が必要です。
中国の漢文・ことわざはいかがだったでしょうか?
中国というのは歴史があるのでやはり、漢文や
ことわざには多くの知恵が含まれていましたね!
漢文も慣れれば読めるようになってきます。少しずつことわざも覚えられるといいですね!