5分でわかるクレシーの戦い
クレシーの戦い |
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項 目 |
内 容 |
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日付 |
1346年 8月 26日 | ||
場所 |
クレシー(北フランス、ソンム川沿い) | ||
戦いの口実 |
フランス王位継承戦争(百年戦争) | ||
参加軍 |
イングランド エドワード3世 |
フランス フィリップ6世 |
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軍の編成 |
約10000 うち半数近くが長弓兵 |
約12000 (40000との説あり) |
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勝敗 |
フランス軍が壊滅し、イングランドの勝利 | ||
戦死者 |
約100人 | ボヘミア王、ロレーヌ公、伯爵10人 騎士および従者1500人以上 |
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戦いの背景 |
この戦いは百年戦争序盤の、イングランドの優位を決定付けるものとなった。 そもそも百年戦争の種は、プランタジット朝の前身であるノルマン朝が、イングランドを征服したときに蒔かれた。(1066年)ノルマンディ公ウイリアムはフランス王の家臣であり、フランスに領土を持っていた。 そんな折り、フランス王シャルル4世が後継者の無いまま死去した。(1328年) |
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戦いまでの経過 |
1337年に百年戦争が始まり、両国が領有権を争っていたフランス南西部アキテーヌ地方では、包囲戦・逆包囲戦が繰り返されていた。このため、イングランド王エドワード3世は、フランス侵攻を決意した。 1346年7月12日、イングランド軍はノルマンディーに上陸するが、艦隊が命令を取り違えて帰港したため、イングランド軍は孤立してしまった。そこで、イングランド軍は同盟国であるフランドルに向かって北進した。 エドワードはソンム川を渡ったところで有利な地形を発見、陣を構えた。フランス軍が到着したときには、イングランド軍はすっかり防備を固めていたのに対し、血気にはやるフランス軍は混乱しており、指揮系統もままならなかった。 |
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経過概要 |
8月26日の朝、イングランド軍はクレシー村近くの低い山に戦闘隊形をしいた。前方は緩やかな下り坂になっており、後方には鬱蒼とした森が有った。 イングランド軍の前線は、右翼1800人、左翼800人の二つの密集体型にわかれ、それぞれの両側を1000人近い長弓隊(合計4000弱)が前方に突出する形で援護した。 その日の午後、フランス軍はクレシーに到着する。フィリップは翌日の朝攻撃を開始するつもりだったが、彼の軍隊は血気にはやっており、次々に戦場に押し寄せた。 フランス軍はジェノヴァ弩隊を前面に出し、一斉射撃を始めた。これに対しイングランド軍も自由農民の長弓隊がジェノヴァ隊に矢の雨を降らせため、弩隊は散々に後退し始めた。 それでもフランス軍騎兵は怯まず、後方から次々に突撃していった。 日もとっぷり暮れた頃、生き残ったフランスの騎士たちは15回目にして最後の突撃を敢行したが、これも撃退されついに戦場を放棄した。 |
勝敗を分けた武器 「長弓 VS 弩」
クレシーの戦いでイングランドが大勝した最大の要因の一つは、長弓隊の効率の高さに有った。
フランス王フィリップは、自軍のジェノヴァ弩隊の優位を信じ、戦いの序盤に前線に投入したがすぐに逃げ出す有り様だった。フランス軍騎兵は、弓兵による援護の無いまま、無謀な突撃を繰り返すだけであった。
ここでは両軍の明暗を分けた弓の比較を行う。
まず、数字上の比較は次のとおり。
- 長弓(イングランド軍)
- 有効射程距離:256m
- 射出速度 :一分間に10本
- 横向き射出 :可
- 弩(フランス軍ジェノヴァ兵)
- 有効射程距離:320m
- 射出速度 :一分間に1本
- 横向き射出 :不可
射程距離は弩の方が長いが、射出速度は長弓の方が10倍も早い。また、弩では横向きでは射出できなかったが、長弓では体を横向きにして射出することが可能だった。このため、より狭い地域に密集して弓兵を配備することができた。
このように、射程距離では劣るものの、効率の面では長弓の方が圧倒的に上回っていた。 余談だが、フランス軍が弩の60mもの射程距離の長さを有効に利用できなかったのは、イングランド軍が小高い山に陣を構えたため、上に向かって射ることになったからであろう。
次に、射撃の正確性。
弩は矢の頭が照準になるため、きわめて命中率の高い武器だった。
長弓は、エドワード1世がイングランドの武器に加えて以来、常に厳しい訓練が実施されており、かなり正確に矢を飛ばすことができた。
何よりも高い訓練度と意欲が長弓の最大の利点であった。
この時代のイングランドは封建制であり、家臣は土地の割り当てと引き換えに軍役を行った。
しかし、長弓隊だけは毎週練習することを義務づけられ、日給6ペンスという給料を受けていた。(多いのか少ないのか解りませんが)
また、長弓兵は厳しい訓練を積み、選び抜かれたものたちばかりで、一目置かれていた。イングランド軍の約半数を占めた自由農民にとって、この名誉と報酬は何にも代え難いものであったろう。
これに対し、フランス軍は貴族中心の考え方をしており、農民兵を蔑視していたようだ。おれたちがイングランドの田舎百姓に負けるわけが無い、ぐらいに思っていたかもしれない。
結局このような騎士中心の、硬直した考えから脱却できず、次々に広大な領土を奪われることになる。
~イングランドの長弓について~
長弓は長さ約1.8mで、イチイ材またはニレ材でできており、両端には弾力性の有る辺材、中央には強化のため質の密な芯材が使われていた。
矢は長さ約95cmで、先端には鋼鉄が取り付けられていた。厳しい訓練により、この矢を極めて正確に射ることができた。
弓兵は各自が先端に鉄のついた棒を携帯し、戦うときはこれを自分の前に突き刺して、騎兵の攻撃から身を守った。また、クレシーの戦いではポニーで移動していた。