三国史に登場する南蛮の人々
孟獲
南蛮王である。この人がないことには、話が進みませんので。
妻は祝融夫人(しゅくゆう)、弟は孟優、兄は孟節である。
蜀で劉備が死んだ後、司馬懿の五路侵略作戦の協力をした孟獲だったが、
孔明の策(魏延の偽兵)で退いた。
後、建寧太守・雍ガイ、越スイの高定、ソウ柯の朱褒(しゅほう)を巻き込み、
反乱をおこす。
孔明は高定と朱褒を離間の計によって平定する。
(一回目)
その後、孟獲は自分たちで戦うことになる。
しかし、自分の配下である金環三結(きんかんさんけつ)は趙雲に斬られ、
阿会喃(あかいなん)、董荼那(とうとな)は生け捕りにされた。
孟獲も魏延に生け捕りにされたが、孔明に帰順しなかった。孟獲は釈放された。
(二回目)
孟獲は瀘水を渡り、陣を構え瀘水の毒により孔明に対抗した。
董荼那は馬岱とにらみ合うが、馬岱に悪態をつかれ、戦意喪失。
孟獲は怒って、董荼那を百たたきにした。董荼那は、孟獲が酔いつぶれた
所を見はからい、孟獲を捕え、孔明に差し出す。
しかし、孟獲は「裏切られたからだ」と言い、帰順しなかったので、また釈放された。
(三回目)
本陣に戻ると、腹心のものを董荼那と阿会喃の元にやり、処刑した。
孟獲は馬岱と戦おうとしたが、人が見当たらないので、弟の孟優に孔明の元に
遣わせて降参すると見せかけの計を行おうとしたが、孟優は酒の薬で酔わされ、
孟獲は孔明の策に落ち、孟優を叩き起こそうとしたところへ、王平が現われ、
孟獲は船で逃げ帰ろうとしたが、蛮兵に化けた馬岱に捕えられた。
孟獲は、「弟のせいだ」とまた帰順しないので、釈放された。
(四回目)
孟獲は洞に戻ると、諸部落の応援をあつめた。
孟獲は怒りに燃えてやってきて、西ジ河(せいじが)でにらみあい、
蛮兵は赤裸で蜀軍を罵り、挑発したが孔明は四・五日がまんさせ、
諸将に策を与えた。孟獲は孔明を見るや、孔明を追おうとしたが、落とし穴の
策にかかり、捕えられた。しかし、孟獲は服従せず、釈放された。
(五回目)
孟獲は孟優の紹介で、禿竜洞(とくりょうどう)の朶思大王(だしだいおう)
の元に身を寄せた。朶思大王は4つの毒泉を頼りにし、蜀軍を待ち受ける。
蜀軍は漢の馬援の廟参拝のち、山の老人に導かれ、解毒の泉の存在を知る。
そこには、弟たちに愛想つかし、隠居していた孟節がおり、孟節は蜀軍の手当をした。
蜀軍は禿竜洞にせまった。朶思大王は隣の銀冶洞(ぎんやどう)の長楊鋒が援軍に来た
ことを知り、出迎えた。しかし、楊鋒は孔明に心服していて、
孟獲らを捕えに来たのだった。こうして、孔明の前に来た孟獲だったが、
また部下の裏切りのせいだとして、降参しないので釈放された。
(六回目)
蛮都に帰った孟獲は、祝融の弟、帯来洞主に従い、八納洞長の木鹿大王
(ぼくろくだいおう)に加勢を頼んだ。
朶思大王は最前線の三江城を守ったが、嵐のなか、土嚢を積んで城を登ってきた
蜀兵にやられてしまう。
木鹿大王はやってきた。象や虎など猛獣を扱い、さすがの魏延も手が出せない。
孔明は口から火を吐くからくりの木獣を使い、猛獣を脅かし、そこに関索が
木鹿大王にとどめを刺す。孟獲は捕まったが服従せず、また釈放された。
(七回目)
最後の手段として、孟獲は烏戈国の兀突骨(ごつとつこつ)率いる
藤甲軍に力を借りる。藤甲鎧は水ははじき、刀も通らない。
孔明は魏延に負け戦をさせ、相手を油断させ兀突骨を谷間に誘い出し、
火を放った。孔明特製の地雷、藤蔓の鎧が導火線の役目をし、
兀突骨は焼け死んだ。なにも知らない孟獲は、うかうかと陣を出たところ、
蜀兵に捕えられた。孟獲は歯のたつ相手ではないと悟った。
こうして、孔明に帰順した。孔明に南蛮の地を任された。
これが七回捕え、七回許すと言うことなのである。
兀突骨
兀突骨は、烏戈国の国王である。
背丈は一丈二尺。(約二メートル八十八 爆笑三国志では、「何食ってんだ」と
つっこまれる。)
彼らは穀物を食べず、生きた蛇や獣を食べ、全身が鱗で覆われていて、
弓、刀が通らない。
彼らは、藤蔓で作った藤甲の鎧を着ていた。
藤甲の鎧は水に非常に強かった。
魏延も藤甲軍に苦しめられた。
孔明は魏延にわざと負け戦をさせ、盤蛇谷(ばんだこく)に誘い込まれて、
孔明の地雷の火攻めで焼け死んだ。
朶思王
朶思王は禿竜洞の主。
孟獲をかくまった。
朶思王は自然の要害4つの毒泉(唖泉・滅泉・黒泉・柔泉)
で対抗する。
唖泉は飲むと口や臓器がただれて死ぬ。滅泉は入ると肉がとけ、骨だけになる。
黒泉は手足が黒くなり、激痛を伴う。柔泉は水が氷のように冷たいが、
飲んで助かった者はいなかった。
しかし、孔明は孟節に助けられ、禿竜洞に迫った。
朶思大王は銀冶洞の楊鋒に捕まった。
孟獲と共に孔明に許され、三江城を守る。
しかし、孔明の指事で土嚢を積んで城壁を登って来た蜀軍と戦う中で、
死んだ。
木鹿大王
木鹿大王は南蛮の八納洞主。
もともと孟獲とは対立していたが、帯来洞主
のすすめで、一緒に蜀と戦う。
木鹿大王は、象に乗り、法術を扱い、虎や豹などの
猛獣を扱い、毒蛇まで操ることができた。
趙雲・魏延などは猛獣に惑わされ、敗退する。
孔明は、かねてから作っておいた、口から火を吹く
からくりの模造怪獣をつかい、木鹿大王の猛獣を
鎮めて戦った。木鹿大王はこの中で戦死した。
孟優
孟優は孟獲の弟である。
孟獲の策で孔明に偽投降するため、蜀の陣に赴いたが
酒に薬を盛られて、孟獲と内応ができない。
孟獲と共に捕われたが、帰順しないので釈放された。
のち、禿竜洞の朶思大王に加勢を頼むことを提案。
四つの毒泉を頼りにしていたが、結局孔明に捕えられる。
このあとも、兄・孟獲と行動する。
(くわしくは孟獲コーナー参照)
最終的には、孟獲と共に許され、南蛮の地に帰った。