ナチスドイツの悪と正義について語るスレ
中欧である。
20世紀(或いは19世紀後半も含めるべきか)の「中部&東部ヨーロッパ」=「中東欧」である。
当スレ立て者は、ナチスを勃興の背景に横たわるヴァイマール共和国の実相解明こそ、人類現代史の実相に肉迫(肉薄)する為の鍵であると信ずる者だ。
語れ。
このスレ伸びないよ
テンプレート訂正
>ナチスを勃興の背景 X
>ナチス勃興の背景 ○
だった。スマン。
ノーエディターでカキコしているもんでね。申し訳ない。
ここの専用ブラウザ・ソフト嫌いなんだよ。
彼らの選択は間違いではないと思う。
そうせざるを得ない理由があったはずだ。
ドイツの選択は弁護されるべきだ。
情状酌量の余地はあったと思う。
私は今日の我が国の置かれている状況とワイマール憲法下のドイツ共和政は酷似していると感じ入り、当スレを立てた。
彼らの選択は間違いではないと思う。
そうせざるを得ない理由があったはずだ。
ドイツの選択は弁護されるべきだ。
情状酌量の余地はあったと思う。
私は今日の我が国の置かれている状況とワイマール憲法下のドイツ共和政は酷似していると感じ入り、当スレを立てた。
彼らの選択は間違いではないと思う。
そうせざるを得ない理由があったはずだ。
ドイツの選択は弁護されるべきだ。
情状酌量の余地はあったと思う。
私は今日の我が国の置かれている状況とワイマール憲法下のドイツ共和政は酷似していると感じ入り、当スレを立てた。
彼らの選択は間違いではないと思う。
そうせざるを得ない理由があったはずだ。
ドイツの選択は弁護されるべきだ。
情状酌量の余地はあったと思う。
私は今日の我が国の置かれている状況とワイマール憲法下のドイツ共和政は酷似していると感じ入り、当スレを立てた。
なかなか出力されないので、複数回、「書き込む」の画面ポインタを重ね押ししたら、この始末だ。
ヒトラー政権成立(1933年1月30日)の直後、
未だ再軍備宣言も、(ドイツの)国際連盟脱退も、
ユダヤ人の公職追放令も発布されていないという時期に、
既にアメリカや、ユダヤ人協会はナチスドイツと戦う気満々だった。
その事は強く訴えておかねばならない。
これは【陰謀論】ではなく、実際に証拠も残されている”事実”の問題である。
ナチスドイツがユダヤ人を迫害・弾圧したのは「当たり前」の話であり、
ドイツから見れば、ユダヤ人とは、
【宣戦布告してきた敵性民族】
である。
「ユダヤ人差別」云々以前の問題なのだ。
漫画を例にとって、恐縮だが、手塚治虫氏の「アドルフに告ぐ」はかなりの真相を穿っている。
すなわち、ナチスの最高幹部は帰化人が占めていた。
この帰化人(数代前はユダヤ人)たちは忠実なドイツ人として生きる選択をした正真正銘のドイツ国粋主義者たちだ。
彼らは本気で国粋・社会主義を信奉し、ドイツ人共同体に殉ずる覚悟で政治運動に臨んでいたのである。
すなわち、帰化ドイツ人であるナチス最高幹部たちはドイツ人よりもドイツ人だったのだ。
では、ドイツ人以上にドイツ人である数代前の改宗者の子孫、帰化系ナチス幹部たちは何故、元同胞であるユダヤ民族を敵視したのか?
それはユダヤ人たちがドイツ国家を心中で完全に否定している事を感得していたからだ。
元ユダヤ人であるナチス幹部が(ユダヤ人のドイツでの敵性を)確信しているのである。
ヒトラーユダヤ人説は否定されてますよ
しかし、私は>>10-12のナチス幹部ユダヤ人説に拘泥しません。
このスレはナチス幹部が帰化系ユダヤ人であろうがなかろうが成立する、と確信します。
トロツキーがドイツの革命を期待していたのには理由があった訳だ。
内にコミンテルンへの忠誠者を抱えて共同体(国家)を維持出来ようか?
元ユダヤ人であるナチス幹部たちはそれをよく理解していたのである。
やはり、ドイツ人の行動は特別【異常】だったと言える。
まぁ、ヒトラー政権成立直後に、早くもヒトラー政権を敵視して宣戦布告しているユダヤ人はもっと異常なのだが。
イタリア、日本は第一次世界大戦の戦勝国であり、ドイツと事情が異なる。
>ヒトラーユダヤ人説は……
ヒトラーだけでなく、他のナチス幹部も含めた考察である。
ユダヤ人はフランス、ポーランド、ハンガリーでも嫌われていたよ。
銀行と大学を牛耳っていたくせに、マスメディアを利用して
自分たちに都合のいい被害者史観をバラまいていたから。
私はユダヤ人(の唱える如何なるプロパガンタをも)信じないが、ローマ法王庁は信じられる。
はずがないでいい加減な事を語られては困る。
ローマ法王庁がどんだけ意地汚い組織であるかは、ガリレオを裁判にかけたり、
フスを火焙りにして殺したり、
魔女狩り裁判や免罪符の件でも明らかではないか。
確かに学問板での発言としては論拠が薄弱で不適切であると認める。
ただ、私個人的には、この「ナチスの正当性」と申すテーマを(自分の中で)焦点化させ、追及意欲を喚起させるには十分過ぎるエピソード(但し、真偽不明)だったので、言及させていただいた。
ローマ法王庁の過去の闇の部分は承知している。それを否定出来ない。だが、私自身は清濁併せ、総合として許容可能だ。
そのスレの私の文章は冴えてるだろ?
よく会うな♪
私の信念だよ。
このテーマは奥深い。西欧史、中欧史、東欧史の根幹を占める重要性がイシューを形成している。
従って、ユダヤはこのスレでは被告側・ドイツ弁護団から反論され、逆弾劾を受ける原告サイドと言う位置付けだ。
勿論、ファシスト=イタリアやソ連などからパクった制度も数多いのだが。
・源泉徴収制度
・歓喜力行団(労働者にも海外旅行を)
・アスベストの厳禁(日本ではどれだけ遅かったか)
・禁酒・禁煙運動の推進
・スポーツの推奨、体育館の建設・開放
・底辺労働者にまで拡充した社会保障の充実
・有給休暇の制度化
・株式配当の制限、ブルジョアである株主に回すくらいなら労働者を優遇せよというキャッチフレーズ
対外政策と交戦(戦争)に関しては既に、議論が重ねられている。(勿論、公正な審判は未だ、降りていない)
しかし、内政に関しては、議論の必要性すら認められていない状況下にある。アカデミズムの思考停止だ。
封殺と言い換えてもよいだろう。タブーの覆いが掛けられているのである。
従って、スレタイの文言、「゛誰゛と闘ったのか?」の「闘う」は対外政策を意味しないのである。
何故なら、ドイツ人が゛闘った゛相手、ユダヤは当時、母国を有していなかったからだ。
すなわち、この(1918-1945)ドイツの対ユダヤ闘争の主戦場はドイツ国内(広義に解釈しても欧州ドイツ文化勢力圏)に限定されざるを得ないのである。
主戦場は国内であり、カテゴリーとしては明らかに内政マターに属するこの゛対ユダヤ闘争゛は、しかし、紛れもなく゛ドイツ民族vsユダヤ民族の戦争゛であった。
世界は、いや、当のドイツ人自身ですら、右の事実、「ドイツ民族は国内でユダヤ民族と゛交戦状態゛だった」を考察の始点にフォーマットする設定手法を全く、放棄、或いは断念している。
このスレを立ち上げた理由である。
・ユダヤ人
・社会民主党
・共産党
・保守派
・自由主義者
などでしょ。
ナチスは社民党や共産党と戦ったから「保守」「極右」と思ってる人が、
なぜかやたら日本には多いけど、とんでもない話。
日本でも共産党と革マル派と中核派が殺し合いの死闘を演じていたように、
左翼(ナチス)VS左翼(ドイツ社民党)VS左翼(ドイツ共産党)
の三つどもえの戦いが演じられていたのが実態。
事実、帝政復古主義者や自由主義者も弾圧の対象になっているのが、その証拠だし、
ヒトラーは、仇役のスターリンの事をどうも尊敬していたらしい。
同じ敵国の指導者であるはずの、ルーズベルトやチャーチルに対しては、口を極めて罵っていたヒトラーだが、
スターリンに対してはやたらと高く評価している。
その意味でも、ヒトラーは右派ではなく、左翼。
しかも極左の仲間と言える。
ヒトラーが社会民主党を非難したのは、執行部がユダヤ人ばかりだから。
当時のドイツとオーストリアの社会主義者はヒルファーディングからローザ・ルクセンブルクまで殆どがユダヤ人。
ヒトラーは社会主義運動をドイツ人の手に取り戻そうとしたに過ぎない。
右翼と左翼の思想的な対立ではない。
だよね。
ただ、ポピュリズムに乗っかって政権獲得したその経緯を辿ってみると、大衆迎合性強過ぎの印象は否めない。
しかし、当時の選挙民に冷静さを求めるのは酷かも知れん。
ユダヤ人の為に客観的総括が未だに、なされずにいる。
ユダヤ人が被害者面して、ヴァイマール憲法下ドイツを侵略していた事実が覆い隠されたまま、今日に至っている。
実は、先にドイツ社会を侵害したのはユダヤだった、これが当スレッドの趣旨だよ。
大衆浸透、支持者獲得を目的として、自己優越を強調するあの疑似科学的キャッチコピーが採用されたのである。
この思想メカニズムはA、B二つの要素で構成されている。
A、人為的誘導性
B、洗脳対象である所の大衆の素朴な自然的本性、すなわち、その感受性
Bは初期状態の民族アイデンティティーである。換言すれば、ゼロ・フォーマットに於ける社会的求心力への親和性だ。
私は、そう確信する。
自分もヒトラーを大悪魔とする現代の歴史観にとてつもない欠陥があると思う。
その欠陥はうちら東洋にまで及んでるとおもう。
あの大戦の意味を、そして本当に起こった事実を洗い出すとこで現在の閉塞から抜け出せると思う。
まだ見てるなら続きを希望する。
主の話を聞きたい。
取り組み方が真摯だな。
行間から伝わって来るよ。
懇切に貴重な情報をカキコして下さって、有り難う。
こう言う(>>40–>>42の如き)博聞強記に遭遇出来るのが2ちゃんの醍醐味だ、と、つくづくオモタ。
自分も虐待の事実は疑っていない。
(ユダヤの)一般市民を殺傷したドイツ社会の罪は弁護のしようがない。
但し、ユダヤ・コミュニティーVSドイツ社会の図式に於いては、話は別だと思う。
一般市民、個人レベルでは、紛れもなく被害者であるが、ユダヤ・コンミュンとドイツ人共同体の関わりと言う位相に於いては、フィフティーフィ、フティーの示談が成立すると思う。
つーか、おいらが裁判所判事なら、ドイツに分のある判決を下したい。
ちなみに、私は虐殺については信用していない。
「迫害は有った」ろうが、迫害と虐殺は「似て非なる物」である。
「殺意が無いのに、結果的に死に至らしめた行為」
は、単なる「殺人罪」と分けて考えるように、
ナチスによるユダヤ人「迫害」と、戦勝国によって有ったとされている濡れ衣、「虐殺」については分けて考えないといけない。
ナチスにユダヤ人虐殺の意図が無かった事は公式文書で簡単に証明できる。
クロアチアではウスタシャ、ルーマニアでは鉄衛団と呼ばれる反ユダヤ組織が存在したが、
彼らの行動には虐殺も伴っていた。
ルーマニア東部では、わずか一年でユダヤ人が文字通り「皆殺し」にされたと言う。
それを聞いたナチス首脳部は喜んだどころか、
「鉄衛団はやりすぎだ」とドン引き、当時のルーマニアを指揮していたアントネスク軍部政権に、
「鉄衛団と絶縁し弾圧するように」
と命じてさえいる。
そしてそれは実行に移された。
ナチス政権にとってみれば、反ユダヤ組織より、軍部政権の方がマシだったという事だった。
少なくともユダヤ人を狭いとこに押し込め、自由を剥奪したのまでは事実かと。
しかし、ヒトラーナチスは籠に入れたかっただけでそこで殺してしまうまで考えていなかったと思う。
しかし、ヒトラーが制御できないほどのヘイトが溜まっていたと思われる。
ナチスの台頭を理由にユダヤ人への迫害を行った一団がいるというのを読んだことある。
return from hellという収容所から帰ったユダヤ人の書いたやつでだ。
オムニバス形式の体験記だけど英語の本だからヒューゴーグリンって青年のしか読んでないけど
そのなかで家畜が腹を割かれて殺されていたと書かれていた。
そして、なんとなくその体験に嘘はなかったように思う。
実際、ユダヤ人のヒューゴー君の家の家畜は反ユダヤと思しき連中に殺されたんだろう。
それをまるまる信用してもナチスがユダヤ人虐殺を最終目的としていない、
というパズルとは何ら矛盾が生じないんだ。
と、いうのも、ナチスヒトラーも勝手にユダヤ人を虐待する連中には手を焼いていた。
勝手なことをするな!とは少なくとも言ってたし思ってたようだ。
ここらへんは現代の橋下維新から分裂した次世代の党や在特会の連中が
闇雲に朝鮮を叩く構図と似ていると思う。
教科書に書いてあった。
しかし、事実はそれほどは死んでいないんだろう。
今は数十万になってるらしいな。
だが、これって数云々はともかくある人数のユダヤ人個々人の
主観的個人的体験においてはとんでもない数の同胞が死んだってのが事実だと思う。
数字抜きにして「たくさん死んだ!」の感じた心は事実と思う。
そしてガス室というセンセーショナルな虐殺マシーンでほとんどのユダヤ人が殺された
という印象を与えまくっているけど、実際はどうやら飢え寒さからの栄養失調と病気で亡くなった
感じだ。
ソースは面倒だから自分で探してくれ。
しかし、自分はアンネの日記を読む前はアンネ一家はガス室で死んだと思っていた。
実際はあの隠れ家の人間でガス室で死んだものはいないんだ。
ここからはある程度空想科学だが、ユダヤ人が死んでしまった原因にユダヤ人の性質があったのかもしれない。
これはあるブログで読んだのだけど、ユダヤ人はユダヤ人以外から厳密には治療されてはいけない。
だって、キリスト教社会で、キリスト教否定し続けたら(それも延々と、な)そりゃ、いつか殺されるわ。ルネサンス以降、キリスト教同士で殺し合いしているだぜ、ドイツとその周辺諸国は。
キリスト教徒であっても、異端の烙印を捺されたら、火炙りされていた歴史がある、つーのに、ユダ公どもと来たら、自分の(宗派的)存在そのものが、キリスト教社会を否定している、と言う事実に鈍感過ぎると思うよ。
>いるだぜ X
>いるんだぜ ○
ルーテル派がカソリックを悪く言う、或いは、その逆にカソリックが新教徒をボロカスに批判する、互いに罵倒し合っていると言っても、身内同士の喧嘩なんだよ。
だが、ユダ公は他人だ。身内の批判は許容出来ても、尻馬に乗った他人に身内の悪口を言われたら、それまで相争っていた親戚同士が一致団結して、悪口を叩いている所のその他人を攻撃し始める、これが人間の心理だよ。
近代合理主義、自然科学の台頭はローマ法王庁の権威を失墜させたのは確かだが、そうした潮流に乗る事が許される゛懐疑論者゛、゛合理主義者゛はキリスト教徒だけなんだよ。
それが分かっていないユダ公どもは、ルネサンス以降、全欧州で悪乗りし過ぎたよ。
ありがとよ!んなこと言ってくれるのは主だけさ!
第一リアルでヒトラーがやったこと全部悪いとは思えない、とか言ったらリアルぼっちだし、かと言ってネットで狂ったように枢軸国側こそ悪にたちはだかったヒーロー!虐殺も虐待もするわけねぇええええええ!と叫んでいる人たちとも話にならないんだよ。
ナチスを語る前にヒトラーが実際にやったこと言ったこと、やってないこと、言ってないことを整理しないといけないんと思うんだ。悪とか正義とかなしに。
それってユダヤ人の方だってそう。
個々人のユダヤ人の証言をとりあえずまるっと信用してみるのも必要かと思うんだ。
例えばアンネの日記が問題になっているし、アンネなんていないんじゃないか!って声まで出ている。
でも、俺はあの娘は実在したと思うし、アンネの日記にはそれだけに説得力がある。
事実、アンネの日記ははじめ隠れ家だかなんかの別タイトルで出版されたんだ。アンネの父ちゃんがな。
んで発表すると、何人かのアンネと一緒に収容されていたユダヤ人から「知ってる!あの娘!」みたいな声が上がったそうな。
私が読んだアンネの日記はアンネが書いた日記に加えて後日談としてアンネ一家とアンネ一家を匿っていたドイツ人の話も乗っていた。
んで、アンネと姉のマルゴットがともにチフス(タイホード?)にかかり衰弱し、ある日姉のマルゴットがベッドから落ち、その衝撃に衰弱した体は耐えられず死亡、そしていつも二人励まし合っていたことで気力で生きていたアンネも死亡した、と書かれていた。
アンネの死は眠るようだったと。
恐らく、アンネとマルゴットの収容所での様子とそこで死亡するまでの経過は同じく収容されていた囚人で、アンネの日記の前身の本を読んだ生存者の報告だと思う。
というかそうじゃないと辻褄が合わない。
そして見終わった後、不快感と違和感が沸き上がってくるのを抑えられなかった。
主人公はゲオルク・エルザー……と言っても知らない人の方が多いだろう。
1939年の11月、つまり、いわゆる第二次大戦が始まって、
(日本やアメリカは参戦していないので、まだ厳密には「世界」大戦ではないが)
その2ヶ月後に開催されたミュンヘン一揆党記念大会の際、ヒトラー暗殺未遂事件を起こして、8人を殺した爆弾テロリストだ。
肝心のヒトラーは「直感」に従って演説を手短に済ませて退席して無事。
8人の中には赤ん坊など、ナチス党員ではない者まで含まれていた。
要するに彼がやった事は、単にドイツ人同胞を爆弾テロで殺しただけに終わったのだが、
この映画では、それが最大限に美化して描かれている。
そもそもナチスが政権掌握する前は自由で労働者の権利も保証されていたかのように描いていたが、
ドイツ国中が大不況の嵐で、600万人が失業
し、
国民の三分の一が住む場所すら無い世界で、売れない音楽家風情のゲオルク・エルザーごときに、
友人や恋人たちと優雅にバカンスなど楽しめる余裕が有ったはずがなかろう。
何よりも腹が立ったのが、ゲオルクは赤色戦線(ドイツ共産党の突撃隊)の闘士であり、それはは映画の中にも描かれているのだが、
直接暴力活動に参加していないと言う彼の主張が本当であっても、
スターリン率いるソ連の流す謀略放送のモスクワ放送をわざわざ聞いていたようなゲオルク・エルザーを、「ノンポリの一般人」と言えるのだろうか?
どう交遊関係もドイツ共産党関係者や、赤色戦線の連中が多いような奴を、ノンポリとは言わないだろう。
ヒトラーやナチスが嫌いなのは良い、個人の思想の自由だ。
しかし、いくら何でも、ヒトラーとナチス憎しの余り、札付きのアカの爆弾テロリストを英雄化して美化するこの映画は、吐き気を催させる。
この映画を観て思い出したのが、『スパイ・ゾルゲ』だった。
あれも、日本に多大の害悪をもたらしたゾルゲと尾崎秀実を最大限に美化するトンデモな作品だった。
戦前の日本が憎いならまぁ良い。
だからと言って、スターリンとコミンテルンの手先だった、日本に害悪をもたらしたスパイを美化するのには吐き気と憎悪を催させる。
今度は、杉原千畝を演じるらしい。
しかし、予告編にて、
『政府方針に逆らって……』
などという台詞が出てきたからには、全く見る前から内容が想像出来る。
自虐史観に凝り固まった馬鹿馬鹿しい歴史捏造映画に仕上がるのであろう。
戦前日本の政府方針は「八絋一宇」であり、
「民族差別はしない」というのが国是であり、国策であった。
杉原の書いた、ビザ要件を満たしていない偽ビザを、偽と百も承知で日本や上海に受け入れたのは、当時の日本国である。
杉原一人が英雄視される風潮が疑問だし、
杉原千畝の妻は、やたらと夫の功績を自慢したがる歴史捏造女だったので、彼女の手記や回想録は信用性ゼロである。
唐沢寿明が思想的に偏向していて、そういう自虐的な作品にしか出てこないのかと思うくらい、
この杉原千畝の作品は駄作として後世に残るであろう。
そうなんだ。
俺が読んだユダヤ人視点の体験記って
アンネの日記とヒューゴーグリンという青年のものだけなんだ。
いかんせんグロ耐性がなくてな。
ヒューゴーグリンのは授業で無理やり読まされたんだけど
結局彼も、彼と一緒に収容所に入れられた父ちゃんについては
少なくとも殺害はないんだ。
ただ、終戦まじかに足手まといになった子供についての殺害はグレーなんだ。
まぁ著作権とか言われないこと願って書くと、ヒューゴーグリンの物語は以下だった。
このヒューゴーの家族構成は父ちゃんと医師免許持ちなのに医師商売をやったことはない母ちゃん
そいから自分が一番お兄で双子の弟二人だったけど双子のうち一人は夭折してる。
このユダヤ人の少年のヒューゴーの視点であったことだが
まず彼の家の家畜が、ハンガリアンテロリストに腹を割かれて無残に死んでいるんだ。
これはこの本むりやり読ませたババアが言ってたんだけどこのハンガリアンテロリストが
ヒトラーにさえ手に余るならず者だったらしい。ヒトラーの静止も聞かずとにかく
ヒューゴーグリン一家に行ったテラー行為をユダヤ人に行ってたらしい。
そしてそのヒューゴーグリン一家の住む街はユダヤ人が六百年前から住む
ユダヤタウンだったんだ。それだけにしっかりとしたコミュニティが根付いていたそうだ。
まぁここもついに一人のユダヤ人もいなくなるんだが、そにナチスっぽい奴らのやり口がふるっている。
びっくりするほどユダヤ人を研究してるんだ。
まず、ユダヤ人のコミュニティから財産を奪うんだけど、
そのやり方がまず大家族のお父さんとか人徳あるラビ(ユダヤ社会での先生ね)
とかとにかく人望のある連中をどうやったかはしらないが
連れ去るんだ。
んで、返して欲しければ身代金を払えって言うんだ。
まぁ確か十人くらいだったけどとにかくその
ヒューゴー少年のコミュニティで圧倒的に人望があるし
なにより愛されている人たちだ。
ヒューゴー少年のコミュニティは身代金を惜しまなかった。
その結果かなりのダメージを被ったらしい。
あーどっちが先立ったかは知らんが、コミュニティからの外出を禁止するのもしてた。
ゲットーから出たらダメってことだけどドイツ人からしたらゲットーは柵だけど
ユダヤ人からしたらゲットーってたしかコミュニティ?とかよくわからないけど、
まぁ別段そこから出ることを禁止されたところで別段困ることもない。
そして、ついにテレポーションっていうなの連行が始まるんだ。
ご丁寧にアウシュビッツまでの鉄道も敷かれていた。
んで、その連行も別にいっぺん全員にではなかったらしい。
ちょっとずつちょっとずつ、確か10回くらいかな?
小分けにアウシュビッツに連れてかれる。
そこに一切ユダヤ人側の抵抗がないんだ。
はっきりとした言葉ではないがこの一連の行動、抵抗することなく全て奪われた
ユダヤ社会に理不尽とかなんせおかしい、間違っている、という感想を
持ったみたいなことを書いていた。
だって最初に抵抗すれば生き残れたのにってことかな?と俺は思ってる。
んで、このヒューゴーグリン一家だけど、このテレポーションの最後の一団になった。
家族で列車に乗せられアウシュビッツに連れ去られるんだが、結果から言えば
俺の読んだとこまでで生存が確認されたのはヒューゴー本人と母ちゃん、
弟はどうなったか知らない、お父ちゃんは死んだ。
アンネ姉妹と同じ飢えと寒さあとタイホードでだ。
終戦を迎えヒューゴーと一緒に治療を受けたが死んだんだ。
統計として収容所にいれられたユダヤ人の寿命はわすれたけど
ヒューゴーと父は支え合ってそれを遥かに上回る6週間を生きた。
その二人の生き残りをかけたドラマは割愛するし、治療をするドイツ人に
彼がどういう感情を抱いたかも興味あったら読んでみ。
俺が読んだのはここまで。
母ちゃんが生きてるのはババア先生のネタバレで知っているだけ。
.連れ去られる先をヒューゴーは先に行った一段の誰かの書いたメモ
を発見しアウシュビッツと知る。
.アウシュビッツの入り口でユダヤ人ドイツ語っぽいイディッシュをさらに
簡略した言葉で、「18歳以上で仕事すると言え」を意味することを同胞?に言われる
.その言葉の意味を父に言われるかなんかで理解したので
ヒューゴーは自分の年齢をサバ読んで19歳、特技は大工仕事です!
と言った
.弟はダメだろうとわかってるっぽくもじもじ18と答え
ヒューゴーと違う方へ分けられる
.それを母親が追いかけたが収容所側の人間にニヤリと
「後で一緒のとこいけるから」と静止される。
あと話は前後するけどこのじわじわとやってきて
ついに命を奪う結果になったテレポーションの前の
ゲットー隔離に先立ってヒューゴーが受けた迫害前の
いやがらせに
ユダヤ人ばかり集めて穴ほって埋める作業をさせた
この作業に何の生産性もないんだ。
ただヒューゴー曰く惨めになったそうだ。
俺が覚えているヒューゴーの記録はこれだけかな?
あ、もいっこあった。
ヒューゴーが迫害が自分のコミュニティが壊滅へ進む前に
映画を見ていたんだが、昔の映画って最初のとこにニュースが流れるんだ。
そこにご近所?なんせ知っているユダヤ人が怯え追い詰めた表情で連行されていく
様子を見たんだ。
迫害が、殺害が、虐殺があったとしてその主語を注意深く
睨む必要があると思う。
ヒトラーがイコールナチスでない。
また、収容所は当初刑務所とか言うもんだったという。
だからこそ、そこに収容されていたのが必ずしもユダヤ人
というわけでもないんだ。
政治犯でフランス人もオランダ人もいたという。
どっかでオランダ人の囚人で性根腐ったのが
少ないスープの具のないとこをわざとよこしやがった!
という記述もある。
日常なら笑話かのしれないくらいのところだが
切迫してたら死活問題になる。
つまり、収容所の運営であるナチスドイツの切迫具合懐事情的なものは
終戦に向けて確実に悪くなり、ドイツ人さえ飢え出すんだ。
そんな時に懇切丁寧に囚人の世話をすると思うか?
閉じ込めるだけ閉じ込めて中で食い物や寝具まで争うバトルロワイヤルが
繰り広げられる可能性は?
真相はそこにいたものしかわからないし、俺達は証言から推測するしかない。
残酷すぎるものに対して心閉ざし口を閉ざし語ることさえはばかられる
苦痛を受けた黙して語らないものもいる可能性もある。
事実俺はあの恐ろしすぎるホロコースト物語はちょっと読めないんだ。
ガス室で、きゅうきゅうに押し込められ毒ガスが下からまわるので
死んだものの死体のやまに登りまだ吸える空気を争い最後は皆死んだ
という証言を読んだことがある
戦局の悪化に伴い、善良な(ナチスに忠実な)ドイツ人でさえ餓え始めている。
そんな時に、ユダヤ人の面倒まで見れたかという疑問がある。
あとユダヤ人が集められたゲットーや収容所は、ナチスなりのユダヤ人保護政策でもあった。
つまり反ユダヤ主義者が街中でユダヤ人をいびったりしないように、
社会から隔離したという面もある。
確信が持てないものがある。
というのも、まずこのガス室の物証がない。
さらにこの証言は死体を処理したものの証言として書かれている。
曰く、その彼らもまた証拠隠滅にために2週間でガス室で殺害される。
しかし、その先代はともかくその死体処理係は現に生き残っている。
ではなぜか?
ここからは俺の推察だ。
チクロンBは人体を殺害するほどの毒性はない。
確か、蛾を殺すのにもとんでもない時間がかかる。
しかし、不幸にも切迫した収容所内で出たご遺体を
そのまま焼却する前に疫病を防ぐために消毒したとしたら?
何度も言うが収容所内の飢えと閉じ込められる恐怖自体
とんでもないものなのになんの説明もなくそれを焼けと言われたなら?
あの証言にならないか?
なってもしかたなくないか?
ただただ恐ろしく思うが、この話の別バージョンを先に聞いてたせいで
信ぴょう性が欠損したんだ。
俺はこのユダヤ人の話をあたかも自分が体験したかのように語る
連中に長い間教育を受けていたんだが、そいつらの話では
ガス室のユダヤ人の死体は大概家族単位で固まり、わずか数分後に死ぬのに
死後硬直でがっちりかたまり引き離せないほどだった、と。
運悪く家族死体説のあとにもっと夢も希望もないのを聞いたせいで
その話に疑問を挟めず俺自身随分苦しんだんだ。
あんまりな死に方だからな。
死ぬまでどんだけ苦しかったか考えるだに恐ろしい。
しかしな、一方であの恐ろしすぎるガス室の拷問伝説が
贋作であってほしいと願う一方で、人間が時に発揮する
誰かをとにかく苦しめたい、死など生ぬるい苦しみを、と思う
悪意をもっていることを考慮しないわけに行かないと思う。
悪意自体は人間の自然な感情だ。
それがあの切羽詰まったところで純度の高い悪意となっていた可能性もある。
食い物の恨みは恐ろしいからな。
積もったらとんでもなくなるだろう。
ましてや気の休まらない連中との共同生活じゃね。
例え同じホモサピエンスだろうと相手を肉にして生きねばならないことがある。
所詮「自分」以外は肉、もしくは肉予備軍。
生物である以上それは遺伝子操作でもしなけりゃその性質から逃げられない。
でもな、殺すにしても相手の許容する以上の苦しみを与えるのは
痛みだろうと恐怖だろうと与えるべくでないと思う。
現代日本で起こったオウム真理教による、あたかもそこに
誰が、一体なんの利益を得たのかわからない事件があるがそこにある残虐性に
目を背けず研究、見解を加えられる肝の太い男がいるべきだと思う。
俺はもうナチスで腹一杯だ。
一見悪意にしか見えないものに目を向けるのってすごく疲れる。
あぁあと俺がユダヤ人に思うことは、よくそんなにも
死んだあとのことについて妄想するもんだってことだ。
しかし、死後の地獄の存在など証明で来るものでもないが
死んだあとの人物の体験がない以上地獄を証明することなどできないのに。
日本にも死後地獄の話もあるがなんとなく
自分じゃなくて自分が許せないほどの苦痛を与えた相手が落ちる場所であって、
自分が落ちる前提などないような気がするが
ユダヤ人のはユダヤ人以外はもちろんユダヤ人の中でも行いが悪いと
地獄行きみたいなところがあるかな?
だから究極死なない方法を考えるためにあんな勉強熱心なのかと
思った時がある。
あと、俺の成長に関わった連中はユダヤっぽいキリスト教徒
だったが彼らのとくに女性に多いが傾向として、キリスト教内の
ほかの教徒の名誉な話とか被害を受けた話をまるで自分のことかと思う
ような口ぶりで喋るがあれがなんなのかイマイチ考察がすすまん。
今日はここまで。明日もよろしくな!
理屈としてはここが合ってるんだよなぁ
まぁ彼らの政治思想は、単なるアメリカの犬だから支持できないが
日本に原爆落としたり、都市空襲で焼き殺したりした上にそれを美化する連中に好意など湧くはずないだろうに
ドイツ人は今でもしつこくドレスデン空爆は悪事だったと認めよとアメリカ・イギリスに迫り続けているというのに……
少し生いうけど、歴史を語る上で好意・悪意は置いておいたほうがいい。
歴史的事実を俯瞰的にミルことにのみ徹したほうがいい。