マーメイド(人魚)とは -民話・神話や伝説の英雄と妖精-
コーンウォールの女の人魚(男の人魚はマーマン Merman)。アイルランドでは「メロー(Merrows )」、マン島では「ベドォン・ヴァーラ(Ben-Varrey)」と呼ばれる。腰から上は美しい乙女の姿をしているが、腰から下は魚の形をし、尾をつけている。マーメイドはしばしば海辺の岩に腰かけて、魅惑的な甘い声で歌い、通りがかった人間の男を海の中へ誘い込む。また、淡水の湖などにも姿を見せるが、マーメイドが姿を現すのは、嵐や災難の前触れと言われている。民間信仰では善良な存在とされることもあれば、反対に邪悪で人を騙すものとされることもある。人魚に関する最古の記録は「アイルランド王国年代記」の記述で、「上半身は乙女の姿、下半身は魚の尾、手に水掻きがあった」と書かれている。
伝説「ローンティの領主」
スコットランド東部フォーファーシャーにあるローンティの若い領主が、ある日暮れのこと、召使いを連れての狩りの帰り、湖水のそばを通りかかった。すると突然、溺れかけているらしい女の叫び声が聞こえたので、近づいてみると、美しい女の人が今にも沈みかけているようだった。そこで若い領主は可哀想に思い助けようとしたが、召使いに止められた。するとマーメイドは水の上に身を起こして叫んだ。「ローンティーよ、ローンティーよ。もしも召使いがいなかったら。私はお前の心臓の血を、鍋でジュウジュウいわせたろうに。」
アイルランド(西海岸)伝説「人魚の涙」
修道士に恋をした人魚が、彼に自分にも人間と同じ魂を授けて欲しいと訴えるが、修道士はかたくなに断り、海から離れるように告げる。人魚が最後に流した涙は小石に変わり、今でもアイオナ島の岸辺の小石は「人魚の涙」と呼ばれている。
アイルランド・スコットランド伝説「人魚」
昔、貧しい老漁師がいた。ある不漁の年、彼の前に現れた人魚と、たくさんの魚と引き替えに長男を渡す約束をしてしまう。息子が約束の歳に近づくにつれ、老人の心は重くなっていったが、父親の悩みを聞いた若者は、鍛冶屋で作って貰った強い剣を持って運試しに出掛けていく。彼は行く手を遮る敵を次々と倒して行くが、人魚には勝てず、湖へと連れ去られてしまう。悲しんだ妻は音楽を奏でて人魚を誘い出し、夫を取り返した。そして、若者が人魚の魂の入った卵を割ると人魚は死んだ。
イタリア民話「人魚」ヴィンチェンティウス・アプド・コルンマン談
シチリア王ロジェルの治世に、ある若者が夜更けに海で水浴びをしていたところ何かが後からついてくるのに気づいた。たぶん仲間の1人だろうと思って岸に引きずりあげたところ、非常に美しい女性だった。彼はその女性を家に連れ帰り、それから2人は一緒に暮らすようになり息子も生まれた。ただ1つ彼を悩ませたのは、彼女が一言も口を利かないことだった。とうとうある日、彼は「何者か白状しなければ目の前で息子を殺す」と妻を脅した。すると妻は夫と息子を残して姿を消してしまった。
数年たって息子が海岸で友達と遊んでいると、人魚(母の精)が現れて彼を海に引きずり込み、息子はそこで溺れ死んでしまった。
創作「ローレライの伝説」クレメンス・ブレンターノ作
ライン川を見下ろす断崖に座った人魚は、その魅惑的な歌声で船頭たちを破滅へと引き寄せた。
童話「人魚姫」アンデルセン作
海の王には6人の娘がいた。いちばん美しい末娘にはたったひとつの願いがあった。人間と一緒に暮らし、永遠の命を授かって王子と結婚することだ。彼女は、魔女に助けを求め、自分の声と引き替えに2本の足を手に入れて、王子の側にいくことができる。しかし、何も知らない王子は別の娘と結婚し、人魚姫は海に身を投げ、泡となって空に昇っていく(ディズニー映画「リトル・マーメイド The Little Mermaid」より)。
童話「赤いろうそくと人魚」小川未明作
ある蝋燭屋の老夫婦のもとに、人魚の母が生まれたばかりの自分の娘を置いていく。子供のなかった老夫婦は喜んで大切に育てるが、いろいろな噂が立ち始めると、娘を売り渡してしまう。人魚の母親は、かわいそうな娘の残した赤いろうそくを山のお宮に灯した。その後、そのろうそくの灯った日は海が荒れ、必ず大嵐になったという。
童話「たのしいムーミン一家」トーベ・ヤンソン作
「すばらしい日でした。完全な冒険号は真っ白い帆を張って、すばらしい速力で沖を目指しました。波は船べりをたたき、風は歌いました。舳先の周りでは、お姫さまの人魚や男の人魚がダンスをし、空では白い大きな海鳥が、輪をかいて飛び交いました。」
マン島民話「ゴブ・ナ・ウールの人魚」ソフィア・モリソン編/ニコルズ恵美子訳
ある日のこと、エヴァンは人魚に出会った。家に帰ってから、海辺で起こったことを話すと、おやじの顔は明るくなった。そして、おやじはこう言った。「この家はまた運が向いてくるぞ。この次あのあたりに行くとき、リンゴをいくつか持っていけ。」若者がリンゴを持って行ってみると、美しい歌声が聞こえ、見まわすとまぎれもなくあの人魚が船にもたれかかってにこやかに微笑んでいるのだった。人魚はリンゴをとって食べはじめ、それからこう唱えた。「あなたに海の幸福がくるように。でも、忘れないでね。美味しい陸の卵を海の子に持ってくることを」
ブルターニュ民話「人魚と漁師」植田祐次・山内淳訳編
夏のある日の朝、フレエル岬とエルキ岬のあいだにあるブルターニュの海岸で、近くに住む若い漁師のジャン・タルディウェルが漁をしていると、ふと歌声が耳に入った。美しい旋律のの歌に歌詞がないのを不思議に思い、そっと歌声のする洞窟に近づいてみると、そこには人魚の姿があった。ジャンは網を投げて人魚を捕らえることが出来たが、すすり泣く人魚を哀れに思った。そして、人魚が魚を呼び寄せる力を持つ薬の入った小瓶を差し出したので、彼はそれを受け取って、人魚を逃がすことにした。翌日から、その小瓶のおかげで魚はどっさり網にかかるようになった。
そんなある日、ジャンは嵐にあうのだが、今度は人魚に助けられて、海の底にある彼らの世界に連れられていく。それから2年ものあいだ、彼は海の上での暮らしを忘れたまま、人魚たちに手厚くもてなされ贅沢な毎日を送っていたが、次第に昔の記憶がよみがえってきた。そして、塞(ふさ)ぎこんでいるジャンを見かねて、人魚の妻は打ち明ける…洞窟で出会った時のこと、難破した船から救い出したこと、そして彼らの運命について…。「わたしがあなたの命を救ったのには、二つのわけがあります。まず、わたしにはあなたに命を助けてもらった借りがありました。網にかかったわたしを殺そうと思えば殺せたのに、自由にしてくれましたね。つぎに、わたしたち人魚族がむかしアザラシと人間のあいだに生まれたという理由があります。でも、魚の状態に戻らないためには、人間と結びついて種を新しくしていかねばなりません。あなたの身に起こった出来事は、これまで他の人たちにもあったことなのです…あなたは以前の生活をすっかり忘れていたわ。それは、あなたに秘密の飲み物を飲ませていたからです。この飲み物には、人間に以前の暮らしを忘れさせる力があります。でも、ひと月前から、それを飲ませるのをやめました。だから、少しずつ、またつぎつぎに以前の生活を思い出すことでしょう」
話を聞き終えたジャンは、人魚から金貨の詰まった胴巻きを受け取って人間界へと帰ってくる。ジャンが合図の呼び子を吹くと、人魚やトリトン(ギリシャ神話の海神)たちが洞窟から姿を現し、海まで砂の上を這って行き、そこから沖の方へと泳いでいった。人間が増えて住み難くなったため、彼らは新しい住処を求めて旅立っていったのである。最後に別れの挨拶をしに戻った人魚が海に潜るのを見届けて、ジャンは涙を流した。
ブルターニュ民話「黄金のカニ」植田祐次・山内淳訳編
昔、カマレ半島クロゾン近くの海岸に、ヤニックという名の十五歳になる若い漁師がいた。ある日のこと、ヤニックが岩場で海老を捕っていると、網の中に小さな金の塊が入っているのに気づいた。網から外してみると、金色をしたカニでヤニックに向かって話しかけてきた。そして、そのカニはヤニックに自分を海藻と一緒に小箱に入れて帯の奥深くにしまうようにと申し入れた。願い事や望みを唱えながら、左手で三回叩いて呼べば、願いが叶うというのである。
ヤニックはそのカニを入れた小箱を身につけて、航海に出ることにした。そうして、嵐も冒険も危険も乗り越えて、ヤニックは他国の王になり妃を迎え、育てて貰った祖父にも恩返しが出来た。
ブルターニュ民話「イスの町(バラード)」「イスの町のクリスマス」植田祐次・山内淳訳編
海岸線に建てられた古代都市イスの町は、大西洋に向かってすこぶる高い防波堤と水門によって囲まれていた。水門の鍵は鉄の小箱に収められ、黄金で出来た小箱の鍵はグラオン王がいつも首から吊して守っていた。ところが老王の娘ダユーは罪深い人生にあきあきしたためか、あるいは悪魔にそそのかされたのか、いずれにせよ恐ろしい考えに囚われて、ある夜、父王の鍵を盗んで、町の水門を開けてしまった。波が町に襲いかかった。聖グヴェレノに助けられた王はそうとは知らず愛する娘を乗せて、馬で逃げたが、とうとう波に追いつかれてしまう。その時、聖グヴェレノは叫んだ「王よ、死をおいといになるなら、馬の尻に乗せている悪魔をお捨てなさい」。聖グヴェレノの司教杖の先がダユーに触れると、娘は馬から転げ落ち、波間に消えた。波はまるでその獲物に満足したように静まり返った。それからの長い年月の間、聖グヴェレノは毎年クリスマスの晩にこの地を訪れ、イスの町を眠りから覚ますのだが、復活の時を待ってこの町は再び眠りにつくという。
また、人魚に姿を変えたダユーが、今もポワント・デュ・ラの岬やトリスタン島あたりに現れては、悲しみの歌を唱っているという…。