◎内乱の1世紀
→グラックス兄弟の改革失敗後の、平民派と閥族派の争いや
奴隷反乱などが相次いだ約1世紀間にわたる混乱時代。{1}支配層の対立
(1)閥族派-保守的な元老院議員の集まり
(2)平民派-民会を基盤とした一派。{2}マリウスの兵制改革(107B.C.)
(1)武装自弁と市民皆兵制を廃止。
(2)無産市民から募兵し、配属先の将軍が武具、給与を支給。
(3)退役後は従った将軍から農地の分与を受ける
→「ローマ軍兵士」よりは「将軍の兵」の意識が強まり、
兵士は「ローマ」よりも給与を支給する「将軍」に対して
忠誠を誓う。軍隊は将軍の私兵となり、
政争での権力基盤となる。
{3}同盟市戦争(ソキイ戦争)(91~88B.C.)
◎ローマ市民権を要求するイタリア半島の同盟諸市の反乱
→イタリア半島諸市にローマ市民権を付与し(90B.C.)、
スラにより鎮圧される。
ローマは都市国家から領土国家となる。
{4}平民派マリウスと閥族派スラの争い(88~82B.C.)
◎それぞれ私兵を率いて争う。
→マリウスの病死後、スラが独裁官となり
恐怖反動の専制政治を行う(82~79B.C.)
{5}ポンペイウスの台頭
◎相次ぐ属州での反乱鎮圧に功績をあげる。
{6}スパルタクスの乱(剣奴の乱)(73~71B.C.)
→2年にわたりイタリア全土を震撼させた奴隷反乱。
(1)スパルタクス(トラキア出身の剣闘奴隷)の呼びかけで
一部剣奴が剣闘士養成所から脱走。
(2)反乱初期の緒戦に勝利、数万人規模の大奴隷反乱に拡大。
(3)故郷への帰還を目的としてイタリア南端から北上を開始、
行軍を阻むローマ軍を撃破し、アルプスを目前にする。
(4)反乱軍、ポー川手前にて謎の南進。シチリアを目指す。
(5)クラッスス指揮のローマ軍を撃破してシチリアを目前にするが
渡航に失敗、包囲される(この後スパルタクス戦死)
(6)ヒスパニアの反乱鎮圧から帰還したポンペイウス軍が
反乱鎮圧に参加、完全に鎮圧される。
→この後、クラッススとポンペイウス、相次いでコンスルとなる。
{7}第1回3頭政治(60~53B.C.)
(1)ポンペイウス、クラッスス、元老院の相互の対立強まる
→仲介する形で平民派政治家のカエサルが加わり、
3名による実力的支配を行う。
(2)3頭とその支配地域
(a)ポンペイウス-地中海世界を支配
(b)クラッスス-エジプトを除く北アフリカ地域を担当
(c)カエサル-未征服のガリア地域に遠征し征服。
(3)3頭政治の解消と残る2者の戦い
(a)クラッススがパルティア遠征にて戦死、3頭の1角崩れる
→カエサルとポンペイウスの対立強まる
(b)カエサルとポンペイウスの戦い
◎カエサルがルビコン川を渡りローマへ独断で進軍。
◎ファルサロスの戦い(48B.C.)にてカエサルが
ポンペイウスに勝利
→ポンペイウスはエジプトに逃れるが暗殺される
※カエサル、エジプトへ渡りクレオパトラと会見、小アジアの
反乱を鎮圧して後ローマへ帰還。
{8}カエサルの独裁(46~44B.C.)
(1)元老院よりインペラトルの称号を受ける
(2)貧民の救済と属州改革
(3)ユリウス暦を採用
(4)ブルートゥスらの共和派により暗殺される。
{9}第2回3頭政治(43~36B.C.)
(1)カエサルの子息、遺将たち3名による寡頭政治
(2)3頭とその支配地域
(a)オクタヴィアヌス-カエサルの養子。イタリア以西を担当。
(b)アントニウス-カエサルの遺将。ヘレニズム地域を担当。
(c)レピドゥス-カエサルの遺将。エジプトを除く北アフリカ担当
(3)3頭の動勢とその対立
(a)オクタヴィアヌスがブルートゥスら共和派を追撃。
→フィリッピの戦い(42B.C.)に勝利、カエサルの仇をとる。
(b)オクタヴィアヌスの姉とアントニウスの政略結婚成る
(c)アントニウス、パルティア遠征に失敗。
→この後訪れたエジプトでクレオパトラに魅了され
(後に結婚(37B.C.))、次第にローマを離反
(d)レピドゥス引退し(36B.C.)、残る2者の対立強まる
{10}内乱の1世紀の終焉
(1)アクティウムの海戦(31B.C.)
◎オクタヴィアヌス(将軍アグリッパ)のローマ海軍と
アントニウス、クレオパトラのエジプト海軍が激突。
→ローマ海軍の勝利。
(2)プトレマイオス朝エジプトの滅亡(30B.C.)
→クレオパトラが自殺。最後のヘレニズム国家が滅亡。
ローマによる地中海世界の完全制覇。
内乱の1世紀は終わる。 |
{1}異民族、周辺国家との戦い(1)
(1)キンブリ・テウトニ戦争(113~101B.C.)
→ゲルマン民族のキンブリ族、
テウトニ族の侵入をマリウスが撃退。
(2)ユグルタ戦争(112~106B.C.)
→北アフリカのヌミディア王ユグルタの
反乱を鎮圧。マリウス、スラが活躍。(3)ミトリダテス戦争(88~63B.C.)
◎小アジアのポントス地方の王
ミトリダテス6世の勢力が拡大し
ギリシアへ波及。3次にわたり
ローマと争う。
→ポンペイウスが平定。(4)東地中海の海賊討伐(67B.C.)
→元老院がポンペイウスに命じる。
(5)ミトリダテス戦争に勝利
→同時にアルメニア、ポントス、シリアを
属州としユダヤ王国を属国化。
(6)カルラエの戦い(53B.C.)
→クラッスス率いるローマのパルティア
遠征軍が壊滅。クラッスス戦死。
{2}カエサルのことば
(1)「賽は投げられたり」
→元老院の許可無くルビコン川を
渡ってローマに帰り、ポンペイウスを
追うことについて
(2)「来たり、見たり、勝ちたり」
→ポンペイウス撃破後、小アジアから
送った勝利報告
(3)「ブルートゥス、おまえもか」
→暗殺者の中に親友がいるのを見て。
抵抗をあきらめる。 |