趙雲のスレ
劉備に従って転戦し、劉備の死後も蜀漢に仕えた。
【子龍】 趙雲 【人気は演義のおかげ?】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1169537568/
約一年半で完走近くいった計算ですが
趙雲のどこが好きかとか評価、演義と史実での差異など
様々な話題について今度も楽しく語っていきましょう。
ある人達が一騎や恋姫をそう評価した事を思い出しました。
そういった意味では鋼鉄の趙雲は斬新だな。
全く惹かれないけど…
無駄に美形な関羽が見れるのはランペイジだけだよな
何故に趙雲を描かない!?
見たことないっす
まだアニメ化されてないし。
菊地秀行の魔界都市ブルース夜叉姫伝で
夏王朝の時代から生き続けている吸血鬼の姫に
趙雲の剣は傷を付けた事があると書かれたが
陣営が何故か魏になってるんだよなw
半端ないイケメン。もちろん将としては優男風だけどw
黄巾辺りの頃はあれでもいいけど後半が若造すぎる
天地を喰らうはそのへんカバーしてたと思う
無双の趙雲が少し眉をしかめて声を変えてくれたらいけるかもしれん
「さんごくし」ではチンチクリンだった……
まだ競馬漫画で出て来た天才美形ジョッキーの子龍のがマシ。
でもジョッキーだとあんまり長身でも無いのかな
「さんごくし」の単行本が欲しいんだが、どこにも売ってない・・・・・
子供が産める年齢で処女だったから、15歳くらい
>>31
しかし、70歳過ぎて別働隊を率いるのは厳しいだろうな
まだ四巻までしか読んでないけどとにかく若い
老将としては黄忠のほうが有名なことを考えれば、劉備(161-)より下が妥当じゃないか?
仮に161年生まれとしたらこんな感じ
184義勇軍を率いて黄巾討伐に参加…23歳
208長坂の戦い…47歳
223征南将軍に昇進…62歳
228北伐に参加…67歳
だから不可能という訳でも無さそうだ
228年時点で還暦は越えてたんだろうな
というのは劉備より年齢の低い根拠としては微妙では、
もっとも趙雲のが2人より長生きして前線でがんばってるから、低いと考えるのが自然だとは思う
趙雲が主人公の『雲漢遥かに』更新!
ついに趙雲が劉備を主君と定めたぞ
義勇兵を率いて黄巾討伐したとき15歳か
もう少し上がいいな
公孫サンの元で劉備と出会ったときの年齢がどれくらいかな。
イメージ的には、そこで劉備が惚れ込む若武者ってほうが好きなんだけど
腐っても義勇兵っぽいものの指揮官に選ばれてるんだよな。
別伝に「官民の義勇兵を率いて公孫さんのもとへ」とあるから、
黄巾討伐で義勇軍で活躍した下地があるものと思ってたんだが
黄巾以外で義勇軍ってそんなにあるものなのかな?わからん
まぁ、黄巾であったとしても184年じゃなくてその後の残党狩りかもしれないけど
もわかる。
演義とは違って、劉備本人から命を受けたんかね?
長坂で物語のオープニングを飾り
龍の復活という映画では
アンディ・ラウ演じる趙雲が主人公らしいな
シドウは甘興だろ
やはり演義での野戦の将軍というイメージが強すぎるのだろう。
主君の息子の命を守ったってところは夏侯嬰と似てるね。
同じ床で寝るというのは年長者に対する礼ではない。
なんでアニメオタクって生き物はろくに空気も読めないんですか?
というのは嘘。
横山御大に美男子を描けるわけないじゃん
影丸が美男子ではないと申したか。
青年なのか中年なのかはたまた老人なのかよく分からない年齢不詳な顔だ…
すいません。参りました。
初登場~長坂橋の一騎駆け(青年)
↓
定軍山の戦い(髭が生えてオッサンに)
↓
南蛮制圧(完全にジジイに)
って流れだな
その後の20年で老けるんだな
それって曹操が金髪のやつ?それなら横光だよ
なぜかこの前テレ朝チャンネルでやってたけど
趙雲てどの三国志でも例え一騎当千ですらも良いキャラ
美味しいキャラで描かれているのに、鋼鉄三国志だけは
一応イケメンだけど酷い描かれ方してるな
だから、呉にとって一番嫌な武将だからじゃね?
関羽→呂蒙に破れる
張飛→おつむが少々...
趙雲→孔明の策を忠実に実行、孫夫人から阿斗を取り戻す、夷陵では援軍として現れ、陸遜は劉備捕縛を諦める
と妄想してみる
それも孫権を暗殺しようとした挙句に誤爆だぞ
有り得ないだろ
・女嫌い
・赤壁前年でも若作り
・劉備の夫人とも気さくに触れ合う
・少数の偵察隊で曹操の大軍に切り込み大いに戦果を挙げる
・速攻を評価され曹仁らにも武名が鳴り響いている
趙雲は、蜀漢当時は諸葛亮の時代に活躍した武将と見做されていたことが、
李漢輔臣賛や、諡号を贈られたタイミングからわかる。
(まず関羽張飛馬超ホウ統黄忠という劉備と前後して死去した人物に諡号が贈られて、
その後趙雲の功績は諡号を贈るに相応しいものだという建議が起きた)
ところが陳寿の視点からすると、趙雲は功績から考えて伝を立てないわけにはいかないが、
同輩の魏延は身を誤り、呉懿は外戚のうえに史料が足りず、陳到はよくわからないが、
とにかく趙雲一人だけ浮く形になってしまった。
そのため、蜀漢の時代に諡号を贈られた人物の中で、劉備の下でも軍将として活躍した
五人を纏めて関張馬黄趙列伝を立てたのだろう。
これがのちの五虎将軍の成立に至るわけだ。
趙雲が低いか、というか、劉備の四方将軍が、趙雲ら他の雑号よりも本当に一段高い地位があったのか?
というのはどこかで疑問が出てたな。まあ序列的にはその五人の中で一番下だったのは間違いないだろうけど。
以下、俺の妄想
劉「う~ん、将軍どうしようかな。関羽、張飛は長年の功があるしつけるとして。
馬超は一応プリンスだし、つけないと何か悪い気がするな
黄忠もうるさそうだし、死ぬ前に出世させてやろう
趙雲が外れるか...長さでは義弟と同等なんだがな
まあ、趙雲ならきっとつけなくても文句言わないよな」
黄忠みたいに糧秣奪取とかやるか?
何か最後の砦って感じ
もし万が一の際に一番役立つ将だから、本軍にっていう
本軍に代わりに置く武将がいなかったとかもあるんじゃね
関羽張飛並みに我が強いとかなら外回りさせたかったけどまぁおとなしいし確実だし本軍付きにしようかなと
許チョと張コウ足して2で割った武将なイメージだぜ
名前が思い出せない誰か知ってる人がいたら教えてくれ
趙雲のように直営の中軍の将を任せられた人間というと、
曹操にとっての虎驃騎指揮官や韓浩、
曹丕にとっての(引き続き)曹休、曹真
曹叡の蒋済、秦朗という感じか。
韓浩は漢中司令官に推す声を曹操が自ら否定して手元に置いたという話がある
趙雲も同じで、あえて劉備が自分の直下から手放さなかったんだと思う
別伝の記述込みなら演義並にスーパーマンだぜ?
益州攻めのときは普通に荊州に置いてきたじゃないか。
五虎のなかで一番格下なのも↑だと思えばカドが立たない
追従したころはそうだったかもしれないけど、少なくとも赤壁後は普通の将軍なんだし。
普通に劉備子飼いの部将でしょ。
このへんまで普通の将軍よりは立ち位置が劉備付近だとは思うけど、護衛隊長は違うよな
本当の護衛は通常将軍なんかに昇進できない下っ端の仕事だろ
三国時代のは知らんけど、護衛といっても親衛軍将ならとても下っ端では無理でしょ。
護衛兵なら下っ端もありだろうけど。
単純に経歴から推し測ると常時・戦時の監察統制力を信頼されたのだろうと思える。
・郡に推挙されて吏兵を率い公孫サンに味方した
少なくとも士人階級ということになる。
・劉備の主騎となる
直属の騎兵隊で、親衛すると共に精鋭隊の役も負っただろう
・(袁紹の元で)密かに趙雲を派遣し兵を募り数百人を得た。
・(劉備は)甘后と後主を捨て、趙雲に保護を頼み、そのため両者とも難を逃れた。
・領留営司馬
益州に出兵した劉備の左将軍府の留守を預かる軍事責任者
・先主は趙雲が厳重な人柄で必ず整齊できるとして、特に内事を掌握させた。
・牙門将軍
これは劉備が創った雑号のようだ。牙門は陣営の軍門のこと。
出兵の際にはここが使われ軍の精華とされる牙竿(軍旗)が掲げられる。
牙門将とはこの門を守備する将で、そのようなニュアンスを込めたのだろう。
・翊軍将軍
これも劉備の創設。翊は羽翼。軍を補翼する将軍という程度の意味か。
晋代には東宮に皇太子直轄の三校尉の中に翊軍校尉という職が置かれ、
北斉や隋では翊軍将軍という官は朝廷直率の軍の中に見られる。
・中護軍
護軍について
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1225681601/63
・征南厚重
主君に随行しては近衛の精鋭を率い、残留しては留守を守って軍を統制する。
信頼性と厳正さ、それからおそらくは法務能力が評価されての官歴だと言えそうだ。
派手な軍功がないこと、囮として曹真と対陣し大敗を防いで軍を収拾し得たこととも
繋がると思う。韓浩と于禁と許チョを足して三で割ったような感じかな。
別伝のエピソードばかりだけど、夏侯蘭とのエピソードとか
趙範にハン氏を勧められて断るエピソードとかそれっぽいな。
原型がある可能性はあるし、子孫が創作したにしても言い伝えが誇大になったにしても、
趙雲がそのような人間だったと蜀漢の時代に認識されていたという方向性を知ることにはなると思う。
重厚と評価されている人間に豪放磊落な逸話を付けたらおかしいからね。
読み方もシリュウじゃなくてシリョウって呼ばれていたけど
どちらでも正しいのかな?
音読みは呉音でリュウ、漢音でリョウ、慣用音でロウ
呉音は日本古来の読み方だけど、仕入先は中国南方系らしい
漢音は北方系ということになっている。
読み方に学問的な統一があるとすれば、全体に適用された読みが
どちらのものか、ってところじゃないのかな。
そうなると、劉備とかどうなるんだ?
吹き替え版の趙雲の声誰だった?
おまけに富野に体を許すビッチだし、「趙雲が阿斗を助けなければ良かったのに」とかラジオで言うアホだぞ
>>137
http://wako-movie.jp/dvd/lineup01.htmlにある通り加瀬康之
完全な作り話だしそこまで気にせんでも
と読んだような読んでいないような
史実の姿には少しも惹かれないが、後世の評価が最も面白い人物だ。
別伝込みの正史の趙雲は渋かっこいい
公孫さんに喧嘩売ったり、劉備が成都の財産を山分けするのを諫めたり、
討呉を諫めたり、諸葛亮の下賜を断ったり、あの頑固さがいい
趙雲が漢水で曹操を弩兵で追い詰めたというのはやり過ぎだと思った
誰も本気にはしてないでしょ?
逆
ボーンヘッドも多い曹操ならありうると思ってしまう
漢中争奪戦の空城の話?
それなら曹操の本隊が相手とも曹操と趙雲が同等の立場で兵を率いて交戦したとも書いてないよ
黄忠と趙雲、張翼らが担当した一戦線でのことだろう
池面設定は京劇からだね。もっと前かもしれないが、演義成立よりは後だろう。
馬超は呂布のような剛勇の持ち主と明言されて、張飛と五度一騎討ちをして決着が付かず。
張飛と互角ってのが「らしい」設定だ。
趙雲はそれよりは一つ落ちるが沈着豪胆なスーパーサブという感じか。
実力は十分にあったんだろな
いろいろ転戦したりウロチョロしても結果長生きだったし
一騎打ちでも趙雲がほとんど一方的な強さで敵将を討ち取ってるし
強いてライバルを挙げるとしたらだれだろう?
趙広は姜維の部下だったな。
彼より年少って事ならやっぱり荊州時代に生まれたのかな?
顔つきが立派だったとあるけど、=イケメンじゃないじゃんとかいうツッコミは置いといて
秀麗とかなら、女性的な美しさなのかな。
立派とかいうなら、男らしくも目をひくような感じか?
ワイルダーなイメージでどうよ
男性美の基準が今も昔も別物だったのでは。
まぁそうだろうけどそんなこと言ったら周ユだってわからなく
なってくるしw
髭とかが男らしさとか強さの象徴ってくらいしか知らないわ
当時の感覚で美形といわれた人物はいるよ。
公孫サン「美姿貌」(後漢書)
孫策「美姿顏」
荀彧「偉美」
趙雲は「姿顏雄偉」周瑜は「有姿貌」
いやw
具体例… は難しいだろうけど、そういうの。
日本にもそういう用途で伝わって使われていた事もある。
奥さんが冗談で針をちくりと刺した
ら、血がたまらなくなって昇天
という話もあったな
あれは平話だったかな?
手元の学研のやつにも載ってたけど、出典は明記されず。
「中国だと数少ない趙雲の野史の一つを紹介」みたいに書いてるから民間伝承かね。
それ趙雲の話?
しかし血が止まらないて逸話としても病気だろそれw
だった
趙雲はたいしたことない武将だが場数だけは踏んでる。
忠勝は家康のおヒキで出世しただけでろくに戦功もない男。
傷が負わなくても不思議じゃない。
誰と比べて言ってるか知らないが、歴史に名を残した人物は皆たいした人物だ
お前が「たいしたことない」なんて言える人物は一人もいない
ほっとけ
関羽、張飛も字創作されてるし、趙雲もそうだったらやだなあ
そもそも史書に書いてるのに創作もクソも有るか。
益徳では「飛」と関連が無いようで演義当時の人間には違和感だったからなのかな
後漢末当時の意味で本当に関連が無かったのかは知らないけど。
董昭伝で董昭は
「劉備は勇敢にして大きな野望を持ち関張がその羽翼となっているので信頼してはいけない」
と言っている。
関羽が羽、張飛が翼なら、名を変えるわけにはいかないから字に翼の字をつけたんじゃない
だろうか。
それ面白い意見だなあ
初めて聞いた
張翼がアップをはじめました!
廖化 「まだ、慌てるような時代(じかん)じゃない」
講釈師が「エキトク」って言ってるのがそのうち翼徳になったんじゃないか、とか。
羅さんが正史見ずに書いちゃったんでしょうね。
羅さんは結構、塚本ばりの史料見なさっぷりだから…
つうことは、塚本は正常進化?
原本は実在していないが、「三国演義」の原作者は三国志と資治通鑑に通暁…
とは言わないまでも通読している人間だぞ。
でなければあれは出来ない。
史書と演義の異同本が書けるくらいだからな。
読んだよ、中華書局の。
演義は井波女史のだけど。
なら、あの官職名、地名の元明頃の流用とかはどう説明するのよ?
どうも時代考証にぬかりがあるとしかおもえんのだけど。
三国時代の官職や地名をそのまま使って当時の庶民が把握できないだろ。
劉備の荊南攻めの順番とか。
地名もそうだし、位置もデタラメだというのは、読んで歴史地図と照合すれば一目瞭然なわけで。
井波氏のには、荊州・南郡・江陵の矛盾とか多々指摘されてた。
書き換えたっていう根拠は教えてくれないのだろうか。
ああ、それで確認したけど、たしかに史料からの引用は多いようでした。
でも、それにもいちいち(ry
が、三国演義という小説が、かなりの程度史書を引き写すことで体裁を整えられたものである時点で、
「史料見なさっぷり」という言葉は完全に的外れ。
それとは別の話で、明らかに史書からの取材部分であるにも関わらず官位名称等が異なる場合、
幾通りか考えられる。
1.執筆当時には意味が通らない・馴染みがないため書き換えた。
2.単純な書き間違い(郎中と中郎とか)
3.原作者ではなく、後の版本の誤写。
また、三国志平話など先行小説やや講談などから取材した部分、特に蜀将の活躍がクローズアップされる部分では、
史書からの直接の取材が出来ないため、元・明代独自の逸話や名称が用いられ混乱の度合いが大きいと思われる。
さらに原本以降、200年に渡って多くの版が重ねられたものであるため、
史書に即した挿入が多く見られる版とか、関羽大活躍が水増しされる版とか、
一部だけ訂正してもそれが徹底しないため記述の混乱が起きて放置されていたりとか、
経緯が複雑に絡み合うため、原作者の歴史への理解や態度がどのようであったか選り分けていくのは難しい。
現在通行する毛本はそういう無数の人間が手がけた雑多な痕跡が残されたものだ。
ていうか井波本持ってるんなら、一巻の解説に書いてあるよ。
編年体の通鑑をベースにしたにしても、紀伝体の三国志に散乱するエピソードの膨大な数を拾い上げ、
かつ劉備らを英雄とする武勇譚・群像劇に組み換えた見事さが。
なんかしら意図があったと考える方が自然だ
趙雲の白馬については民間伝承のように有名
唐だか宗だかの時代は忘れたけど、戦いに劣勢だった将軍が白銀の鎧を着て白馬に乗って敵に突進して見せた
その後ろ姿をみた兵士達は趙雲の霊が現れて味方してくれたと思い続いて突進して行って勝利した
そんな故事があるくらい小説だけではなく大昔からイメージがあった
コレって何時時代の誰の話かわかる方いますか?
大昔に本か何かで読んだわ。でも思い出せない、ごめん
別伝自体インチキくさい代物だが。羅貫中は別伝を読んだと思われてるんだっけ。
なんだそりゃ。趙雲に限らず裴松之の注を読んだだけだろ
と思って中文wikipedia見てみたら、史書での趙雲の官位や地位について精一杯語ってる小項があって笑ったw
向こうにも必死な人がいるんだな
顔良斬ったとか劉備の元に帰るのを曹操が止めなかったとか。
あれは魏側の史料が元なんだろうな。
逸話もあるくらいだし、細かく知られてるし…
なんか不思議だ
さらに漢中失陥に続く関羽北上は曹操政権にとっての大事件。戦役としては官渡以来の大ピンチだった。
その敵将である関羽は昔曹操と関わりのあった人間だったから、魏の人間もこれに注目して記録を残しておいたんだろう。
別伝のあの話はいかにも後付けくさいよな。
間違ってはないけど何か語弊がありそうだなw
馬超、黄忠もいないが。
皇族
だからって趙雲がそうだったとは限らないけど。
それを全ての時代に適用できると勘違いしただけ
そんなに目くじらを立てることじゃないから落ち着け
男色が流行ってたって根拠はなんなんだよ。
兵站地(当然供給されるのは糧食だけではない)となる都市に駐留するか、近くにあるか、
都市ごと連れて歩くかだ。
孫氏ってのが妻ってどっかで見たことあるがそれ一度きりだから
あんまり信用してないけど
それ針の妻だろ
まだ馬雲緑のほうが信憑性あるわw
女趙雲といえば清水清の趙雲は割とよくできてた気がするw
>まだ馬雲緑のほうが信憑性あるわw
馬鹿なの?
孫氏が傷一つ無い夫・趙雲に針を刺したら血が止まらなくて死んでしまいました
趙雲の妻は馬超の妹、女傑で戦場にも出ました
少なくとも趙雲伝の記述と矛盾しないのは後者だろw
なぜ民間伝承と演義すらない話を比較しているんだ??
どっちも無意味だろ
「趙雲の妻が孫氏ってのは民間伝承でも全く信用できないレベルだ」
ってだけの話じゃねーのw
言ってるしな
馬雲緑なんたらとか言うからやたらこじれるんじゃないか
覇ロードの固そうな方がらしい
大戦で出ないかなあ
敵を焼いて食ったりするのか?
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1232247102/
まぁ結局>>267
「正史も全部事実とは限らないから演義と大差ない」とか言い出すんだな。
正史にだって伝承などの胡散臭い話は載っている。
石人が動き出したり、勝手に崩れたりとかw
目から緑色の光が出て敵兵なぎ払ったり…(おまえは巨神兵か)
おれが>>276で言ったのは、正史に書かれている、眉唾な記述で
伝承と創作の差とは、どんな判断基準があるのかと思って。
>>274に正史の眉唾な記述を伝承だと思って書いたら、次のレスで
創作との差がわかってない、と言われたのかと。
つまり、正史の眉唾は創作だ、と言ってるのかと思ったんだけど…
たとえば、どんな伝承が?
例を挙げて、その差を教えてくれまいか。
古典小説と現代小説を「読みものとしての価値は同じ」と言っちゃってるようなもんだ、ってことでしょう
古典(伝承)には歴史というフィルターを潜り抜けてきた重みがあるから同一にはならない
適当に読み比べて楽しむぶんには関係ないので>>275のように自慢げにいうほどのことじゃないがね
伝承は民衆から自然に湧き上がるもの。
創作は一人の芸術家が創作したもの。
これをどっちも同じようなものって言うと問題がある。
それだ
養子だと思ってたんだが・・・。
妻の記述とかって何みればわかる?
正史に養子と書いてない場合実子(ついでに正史では関平も関羽の実子)
だから正史でも演義でも趙統・趙広は実子
妻の名前なんかほんの一握りの人物以外は伝わらないもの(伝わってもほとんど姓だけ)
趙雲の場合、民間伝承に伝わるのはおそらく孫氏という針の一刺しで趙雲を殺した妻だけだが
そんな作り話を真に受けて「趙雲の妻は孫氏」なんて本気で信じてる奴はいない
知名度としては反三国志の馬雲リョクが高いが、創作らしい。(民間伝承にあるという話もあるが未確認)
いくら検索してもそこまでしか出てこないだろう
そんなこと検索する時間があったら本を読んだほうがいいぞw
そうなのか、ありが㌧!!
おいら少し頭よくなったよ。
おまえ可愛いなw
反三国志演義の作者周大荒が馬雲リョクを創った時に何らかの
民間伝承を元にしたかもしれないがソースがないのでわからない。
という話だろう、>>291は
反三国志の作者って「馬雲リョクは俺のオリジナルキャラだ」って断言してたっけ?
仮に断言してたとしても、創作の元ネタとなる部分的な民間伝承があるのかもしれない
「趙雲の妻は馬超の妹だった」「趙雲の妻は戦にもついていった」等
趙雲が羌族の監視に使っていた土城ってのは存在するから、可能性ゼロとは言えない
>>308で「んなわけねー」って言いたいのは別にかまわんと言ったんだが
どうして「「有り得ないよ」と言ってはいかんのか。」になるんだ
どうもお前さんのレスは感情的・主観的だな
・出版されたものに書いていないのは知ってるから既に>>308のように書いた
・自分はどこかのスレで「民間伝承って聞いたことがあるが本当か?」と聞いたことがある
今回のように「そういう話をどこかのスレで見た」という書き込みもしたかもしれない
が、言いだしっぺは自分ではなく先に多分2度見かけている
・反三国志が現代小説でも云々は既に>>302に書いたので省略
既に書いた話の繰り返しは不要だ
これ以上この話題を続けても無益だと思うんだがそろそろやめにしないか?
「元ネタ有りとするのは作者に失礼」にはならないって意味のレスだから
それは関係ないな
ていうか>>311がこの話題をやめようと提案して>>309もレスしてない状況で
話続けんのやめにしない?
反三国志の作者が民間伝承を参考にしたとはとても考えられないから、あれは完全にフィクションだろう、と。
あらゆる三国志モノに出てくるオリジナルキャラについて
「作者が民間伝承を参考にしたのかもしれない」なんて疑わないだろ?
に対する答えとして先走って>>299で書いたのが
>あらゆる三国志モノに出てくるオリジナルキャラについて
>「作者が民間伝承を参考にしたのかもしれない」なんて疑わないだろ?
可能性の有る無しで言ったら有り得るのかもしれないけど、それは悪魔の証明みたいなものでしょ。
普通は作者の創作と考える。
ちなみにこの作者は「三国旧志」なる野史に、「三国志」と全く異なる真実が書かれていたのでそれをヒントに書いた、
と前書きでは言ってる。まあどう考えてもこの人の創作なんだけど。
>>304も言ってるが作者は野史を元にしたと前書きに書いてるぞw
>(民間伝承にあるという話もあるが未確認)
ということに対して「んなわけねー」って言いたいだけだよ。
>>291自身がそれをどう思ってるかは別にしても、そういう「民間伝承かもしれない」っていう話自体に。
「馬雲リョクは民間伝承にも登場するらしい」という話がネットで流れていて噂の出所も不明、
出版されていない中国の全ての民間伝承を確認することもできないから、
民間伝承由来と断定することも完全否定することもできないだけだろう
あらゆる作品のオリキャラの出自を疑うことのどこが道理なんだ
>>307
というわけで自分は可能性はゼロではないと思ってる。勿論100だとも思ってない
「んなわけねー」って言いたいのは別にかまわんが、
客観的に議論するための材料は無いんじゃないかと思う
子供’Sや妻の情報を調べてたんだけど、検索がへたくそでひっかかってこないんです(´;ω;`)
あれは完全にフィクションの風刺小説なんだし。
だから、孫氏とやらも、二次創作的な伝説かもしらんという話じゃないの?
なんでそんな作り話ができたかは知らんけど。
確認のしようがないからアレだけど、それが信頼できる類のものかどうか。
たまたま、そういう針で旦那を刺した奥さんの話があって、
それを趙雲に仮託したものが、のちのち伝わった、とか…
いや、研究書読んでないから知らないけど、そんなもんだと思ってた。
疑う疑わないの問題でもないんじゃね?
どっちも趙雲の妻設定だから、その元ネタみたいなのを
言っているのかと。
馬雲リョクを創作だと、我々は知っているけど、針の婦人はどうなんだろうね。
反三国志ってのは20世紀に周大荒が書いたれっきとした小説であって、
よくある三国志を題材にしたその他の現代小説となんら変わらない。
この作品のオリキャラを「ひょっとしたら伝承が」と疑うのであれば、
あらゆる現代の三国志モノに出てくるオリキャラの出自を疑わなくちゃならないはずだ、道理としては。
・少なくとも書籍で「馬雲リョクの出自は民間伝承」と書かれたものが無い。
・「出自が民間伝承」というネット上の噂というのも、ググるかぎりは「民間伝承なんじゃないの?」という半疑問系の書き込みが
この趙雲スレの前スレと無双スレにあった書き込みだけ。
・反三国志自体の成り立ち(花関索とかとは明らかに違う、現代の小説)
「有り得ないよ」と言ってはいかんのか。
それでも「可能性はある」っていうのは「黒くないカラスも居るかもしれない」っていう悪魔の証明と同じじゃないか。
(実際は白いカラスは居るけど)
反三国志も何千年か後には、人の口の端に残って
民間伝承化するのかもね。
で、民間伝承の成り立ち自体はどうなの?
>>310
あの国なら何千年も立たなくても3、4世代で民間伝承化するかもしれないねw
今回の噂の出所だって元をたどったら「お父さんから昔話として聞きました」っていう
子どもの発言だったりするかもしれない
民間伝承の成り立ち自体そういうもんで、事実に由来する率はかなり低いだろう
孔明の妻・黄氏の名前だって3種類はあるしな
覇ロードってそんな話だったのか…
流れになってるんだw
なにを言っている?
それを創作した作者に失礼ではないかな、とか。
「俺は隠された真実を発見しました」って出だしはポピュラーだよ
ダルタニャン物語とか、ファンタジーの指輪物語でさえそうだ。
反三国志は本文中で堂々と、
「読者諸兄はこれに疑問を覚えるかもしれないが、作者はこれからちゃんと描いていくつもりですから」
みたいな、作者から読者の呼び掛けが頻出して、寧ろフィクションであることが強調される結果になっている。
これも戦前や19世紀の小説ではよくある書き方。
馬雲リョクの件とはあんまり関係ないけどね。
反三国志の話題をしてたつもりだったんだけど
それとも他の史書に別伝からの引用が残ってるのかしら。
○家別伝って形でも結構引用されてたかと。
鄭玄 荀彧 荀勗 ヘイ原 孫資 呉質 劉広 華佗 管輅 費イ 虞翻 諸葛恪
など。他にも「袁氏世紀」とか華キョウの「譜叙」とか、個人や家についての史伝からかなり引用されている。
まあやっぱり内容は褒めちぎってるのが多い。
だからといってすべて信じられないかは別の話だろうけど。
逆に見てみると、裴松之の引用の中で武臣趙雲の別伝というのは非常に異色だとわかる。
他は全て名士名族や著名人の類ばかりで、伝を纏めてくれる者(子孫など)がいるのも頷ける話なのだが。
趙雲の子らは蜀漢の宮廷で厚遇されているから、その時期に纏められたものを元にしてはいるのだろうけど。
そうなんだよなー
趙雲て一族大勢引き連れて蜀に移った雰囲気でもないしな…実際どうなんだろその辺?
にまとめてあるけど、「別伝」と名づけられた史料だけでもかなりある。
「袁氏世紀」「譜叙」などは子孫の作。「零陵先賢傳」「華陽国志」「襄陽記」「江表伝」「呉歴」などは地元顕彰の書。
「魏書」「魏略」などはほぼ同時代史と言ってよく、潤筆ぶりは裴松之の指摘する通り。
「呉書」は孫皓が圧力を掛けた堂々たる欽定史書。
それらの殆どで、「陳寿本文」と矛盾する記述が見つかるだろう。
それを以ってして、その価値全体を「自ずから担保」してしまうのか? という話だね。
いつ結婚したとか。孔明と仲良しだったけど、お互いどんな風に感じていたとか評価とかね。
あまりそういうことまで列伝には書かれないね。
ないわけじゃない。
そういう対人感情とか嫁取りとかある伝もある。
書かれているのは、よっぽど、と読み取れる。
>>339
うんうん、魏の曹操なんかはわりと掴める物があるんだけど。
蜀はなんか謎。
で、いつ頃結婚してどんな奥様だったのかな。未亡人を押し付けられた頃は独身だったのでしょう?
病没の病名とか。
>趙範の件は、同姓にかこつけて、まだ信用できない趙範と拘わりあうのを避けたという慧眼の逸話だね。
順当なら、6年ほどの新野時代に劉備の部将達はあらかた嫁取りをしたんではないかな。
なるほど・・・
現代の常識で見るとか見ないとかの前に、
趙雲に興味があるなら趙雲伝以外にも目を通せば色々なものが見えてくると思うよ
余談だが、時代区分に定説はないが古代じゃなくて上古または中世じゃないだろうか
>>341
当時男は30まで、女は20までに結婚すべきとされていたようだね
趙雲は劉備のために密かに数百人の兵を募る財力があったようだし、
もっと早い時期、例えば劉備に目通りする前に嫁をとっていてもおかしくないかもね
三国時代は古代ってのが一般的だよ
古代の終わりが三国時代
まで続く名族高官が殆どで、つまり三国志の列伝全体でも一握りだよ。蜀に限ったことではない。
趙範が未亡人を兄嫁を宛がおうとしたときにも独身だったとは限らないと思う。
相手がより良い家柄なら正妻を挿げ替えることも有り得るだろうし。
趙範の件は、同姓にかこつけて、まだ信用できない趙範と拘わりあうのを避けたという慧眼の逸話だね。
順当なら、6年ほどの新野時代に劉備の部将達はあらかた嫁取りをしたんではないかな。
井戸に逝ってキマス・・・
なんという事を・・・
劉備の人気だけは異常。
家財を投げ出して放浪に付き従った人も少なくないだろうし。
というか、要衝。
後漢期上位の大州であり、後漢末・三国では袁紹・魏の重要拠点となった冀州で、他の郡と見劣りしない。
農業を国の根本とする時代で、農業地域を「田舎」というのは大きな誤解を招くので、使うのは問題があると思う。
ともあれ少なくとも未開の辺境という意味の「田舎」では全然無い。
歴史と言う観点から見たなら憤死するレベル
‘大漢風’っていうドラマで‘項羽’も演じていたけど、‘烏口’での最後の戦闘シーンの戟さばきも圧巻だった! PART 2
が待ち遠しいよ!
演義と正史の趙雲を語らずに俳優だけ語るなら映画系の板・スレに行け
他所でやれ、でOK
声優変えろ
あの当時「槍」という字はどんな意味でつかってたんだろ?
今の中国では「槍」という字はハンドガンの意味らしいけど
『雲漢遥かに』の2巻をやっと読了した。
読み応えのある内容だったな。 経歴の判然としていない部分は
高順の人物像となぞらえて補完した訳だが この部分は好き嫌いが分かれるだろうな。
高順がまともに出て来てかっこいい漫画なんて殆ど初めてだから嬉しいけど。
高順や諸葛亮以外にも、徐庶や伊籍なども登場して活躍している。
配信している方も読んだら黄忠が登場してるな
更新された話が趙範との話で
ついに結婚したよ
女知らずって訳でも無いんだろう
関羽→意外に高飛車
張飛→山でみつけた少女(夏侯淵の姪)を拉致して嫁に
馬超→父親関連、韋康と和平結んだのに殺害、ピンチになって人質殺害
蜀の人達は演技とか演技を基にした作品でかなり持ち上げられてる分、あとから詳しく調べた時の
イメージとのギャップがすごいけど、趙雲はあんまりそういうのないな。
地味っちゃ地味だけど。
黄忠は演義に殆どそのまま取り入れられてるよ
別伝含む正史は頑固一徹ないぶし銀のドカベンって印象
欠点って意味のギャップは無くてもイメージの違いは結構あると思う
このままスルーを続ける事にしました
超雲「凡将の槍さばき、みきれるかぁっ!」
夏候恩「みきれるわぁっ!」
>夏侯恩
>夏侯恩
正史見たら、あれっ?
結局入蜀後、関羽、張飛、馬超、黄忠は前、後、左、右各将軍に任ぜられるが
趙雲は単なる雑号将軍
正史三国志では記述こそ黄忠の貢をより文面が多いが
大半は脚色の多い列伝からの注釈だ
各ゲームの三国志での趙雲の設定数値は各々の項目20ぐらい数値落とした方が妥当だろうな
なんだかんだ言っても北伐での惨敗は大減点だよ
別伝に「脚色が多い」というからには正史と矛盾する部分でも見つけたのかね?
趙雲にだけ別伝がありそこに書かれた活躍が華々しいから他の人物より得をしているのは勿論だが
事実ではないと断言するには具体的な理由がなければ話にならない
各ゲームの数値は大抵演義を基にしているだろうから別伝の話とはまた別だな
それについてはゲーム系の板ででもやってくれ
>>402
自分から降格を申し出たとは別伝にも書いてないがどこの話だ?
「囮だったため敗北したがよく取りまとめたので大敗には至らなかった」というのが正史の本文
せめてちゃんと読んでから書け
箕谷では囮だったから敗北するのは当然のはずで、なのに降格したのは
趙雲も諸葛亮と共に作戦を練る側だったためだろうと最近では言われている
>>406
張飛は初めから劉備に従った将で、確かに非常に優秀だ
馬超は肩書きを持って帰順したからたとえ何もしなくても厚遇されるのは当前
ところで、自分はその二人や黄忠らと趙雲を比べる必要性は特に無いと思うわけだが、
そのように比べようとすること自体、>>406自身が演義からやっと脱却しかけたところなんですね、
と生ぬるい感想を抱く他ない、見飽きた論調だ
張飛や馬超は221年直前に特に昇進すべき何かをしたわけではなく、
劉備が皇帝を称するのに従って様々な人が位を引き上げられたわけだ
そのとき趙雲が位を引き上げられていないのは何故か?
「重用されていないから」だけでは芸が無いのではないか
趙雲がもし本当に張著を助けだし空城の計で曹操を撃退したなら劉備が漢中王になったとき昇進がないのは変だ
俺は別伝の内容はかなり嘘が混じってると思う
>>400は具体的なことを何一つ書かずにただ「脚色が多い」と書いてるからおかしいのであって、
具体的な理由があって別伝のその部分を信用しないのは当然の態度だと思う
ただ別伝の一部に信頼できない部分があるからといって
他の部分まで全て疑うのでは冷静な見方とは言えないと思う
空城計については俺もあの曹操があっさり引っかかるだろうかと疑問を感じるが
全くの作り話なら張著や張翼という名前はどこから来たんだろうと思うし
別伝の他の部分に正史と大きな矛盾が見当たらないため、いくら子孫の身内贔屓でも
根も葉もないところから「一身是胆」や「虎威将軍」をでっち上げたとも考えにくい
別伝そのままの大活躍じゃないにしても、根や葉に当たる何らかの活躍はあったんじゃないだろうか
じゃあ何故劉備が漢中王を名乗ったとき昇進しなかったか、だが
もしかしたら趙雲は劉備が漢中王を自称することに賛成しなかったんじゃないか説を支持してみる
>全くの作り話なら張著や張翼という名前はどこから来たんだろうと思うし
>別伝の他の部分に正史と大きな矛盾が見当たらないため、いくら子孫の身内贔屓でも
>根も葉もないところから「一身是胆」や「虎威将軍」をでっち上げたとも考えにくい
矛盾ならあるよ
趙雲別伝では張翼はベン陽県長となってるが張翼伝の官職歴には江陽県長の肩書はあってもベン陽の名はない
季漢輔臣賛は無視ですか?
惨敗というのは227年のキ谷の戦い
戦後、鎮東将軍から鎮軍将軍に位を三段階も落とされるのは尋常ではない
四鎮将軍(【鎮東】・鎮南・鎮西・鎮北)→四安将軍(安東など)、四平将軍(平東など)
→従公将軍(前・後・左・右)→雑号将軍(【鎮軍】、平南など)
現代で言えば方面軍司令官から師団長クラスに降格されたことに相当する
子孫が書いた“列伝”では自分から降格を申し出たというが
陳寿のオリジナルでは位を下げられたと断言されている
後者が正しいだろう
前後左右将軍の方が鎮東将軍より上だぞ、蜀では
>曹真は大軍を派遣してこれにあたらせた。
>(中略)
>趙雲と鄧芝の軍が弱小なのに対して敵は強力だったので、箕谷で敗北したが、
>しかし軍兵をとりまとめて守りを固め、大敗にはいたらなかった。
惨敗じゃなくね?
黄忠は220年に病死してしまうが
張飛は221年右将軍から車騎将軍に昇進し
馬超は同年左将軍から驃騎将軍に昇進する
対して趙雲は221年時点で翊軍将軍の雑号将軍のままでようやく223年に征南将軍に昇進する
生前時点での張飛、馬超に比してもまだ位は低い
大将軍→三将軍(【車騎】、【驃騎】、衛)→撫軍大将軍→中軍、上軍、鎮軍、南中、輔国各大将軍
→四征将軍(征東、【征南】、征西、征北)
推測だが、黄忠の後将軍任命には諸葛亮が異を唱えたように
黄忠と趙雲は本来同クラスであって関羽、張飛、馬超より低位であったかと思える
陳寿の五将軍に対する占めのコメントを見てもそれがうかがえる
それ魏の序列な
漢は、大 驃騎 車騎 衛 諸大 四方 雑号
ついでに漢中王の四方が漢の雑号より高いという可能性は低いだろう。
ただ劉備の「直臣」となる名誉が大きいわけで。
軍師将軍諸葛亮より漢中王の九卿や四方将軍の方が席次では下(品秩は同じ二千石)だと思う。
そうなのか
知らなかったスマン
勉強になった
少なくとも輔漢将軍のように明らかに特別な地位のものもあるから
輔國将軍の格が上がったのは伏完が儀同三司を加えられてからだろうか。
輔呉将軍張昭が「班亞三司」となったのもその流れかもしれない。
輔漢将軍にはそのような待遇は見当たらないと思う。
ただ諸葛亮の死後に姜維が為っているが、同時に県侯に封ぜられているから
その時に格が上がった可能性はある。
ともあれ将軍というのは両漢の平時では同時に数人しかいない最高級武官職であり、
「雑号将軍」という言葉自体確かに不適切。当時は諸将軍とか列将軍と呼ばれ、
秩は特記がない限りおそらく二千石。
ただ将軍というだけで地方の最高官であった太守と同等、席次ではそれ以上かもしれない高官だったわけで、
それ以上の位階を持つのは、常制では大 驃騎 車騎 衛 前後左右 の八人のみ。
誰が言ってるの?
2ちゃんの一意見を権威のある学説みたいに言われても
あるよ
お前は2ちゃんで出た趙雲の話題全部チェックしてんのか?
つかソースも出さずに横やりとか
何を決め付けてんだ
まあ必要なら探してこようか、あまり意味無さそうだが
降格でいうと、趙雲はどうして降格したんだろ?
本人の伝をみても特別咎があったようにも思えず、むしろ奮戦してる。
同じ負け戦でも王平なんかは奮戦を理由にむしろ昇進したわけで、その理由が気になる。
847 :無名武将@お腹せっぷく :2009/08/01(土) 21:55:08
>>843
第一次北伐では諸葛亮と並んで主導的な位置だったから、とかじゃないかな。別働隊の大将してるし。
851 :無名武将@お腹せっぷく :2009/08/02(日) 00:05:36
>>850
まぁおっしゃる通りだけれども、両方とも諸葛亮指揮下という面では変わらないわけで、
別軍の行動も基本的には諸葛亮の計画に沿って進められるし、
そのレベルでの責任も当然諸葛亮が負う(ハズ)。
ってことは趙雲の権限内で(実際の別軍指揮の中で)失態があったか、
あるいは計画段階で思いのほか趙雲に関与があったのかじゃないかと思ったり思わなかったり。
その意見は二回くらい見たな
まあそこまで穿ってみなくとも、敗戦であった以上責任を明確にすることが必要で、
総司令官の諸葛亮と二方面の責任者への処罰が行われた。
特に街亭は重く、参軍馬謖を複数の大将が処刑された。
箕谷は総大将趙雲一人の降格(といっても同じ将軍位内の異動)ですんだ。
ということなんだろう。この時代、負けて降格というのはあんまりないから
諸葛亮の組織統率の方針なんだろうね
君主の義兄弟2人はなんかパシらせにくいし。
俺が俺がって目立ちたがる奴が多い時代に文句垂れずに仕事してくれる趙雲は貴重だったんだろ
曹操だから計略に引っ掛かるとか引っ掛からないとかは先入観入ってる。
>もしかしたら趙雲は劉備が漢中王を自称することに賛成しなかったんじゃないか説を支持してみる
誰が唱えた説なの?史書にそういう話があるの?
もしそういう話がないなら別伝の内容を切り捨てる、というのがまともな史家の態度だと思う。
誰が言い出したかより妥当な内容かどうかのほうが重要じゃないか?
ついでに、「沔」と「江」は字体が似ていて、書写の誤りが十分考えられる字。
まさに主戦場の沔陽県長が戦場にいるのは自然なことなので、
もし両者の信憑性について前情報が無ければ趙雲別伝の方を信じるところだろう。
まあとはいえ、この漢中防衛戦のくだりはあまりにドラマチックで、
黄忠や張翼という前後の重鎮が引き立て役になっているなど、別伝の中で一番怪しい記述だと思うが。
さらについでだが、祖先や郷土を顕彰するために書かれた史書というのは裴松之注の大半に
当てはまるものであり、陳寿の本文にもかなり入り込んでいると考えられる。
趙雲別伝がそれらに比べて信憑性が劣るわけではないんだよね。
張翼の出身地に近い長江ほとりにまさに江陽があるので孝廉に推挙された彼がまず江陽県長になった
とする張翼伝の記述は妥当であり漢中にあるベン陽の誤記とはちょっと考えられない
ついでに言うとそもそも漢中戦に参加した記述は正史にはなくこの別伝にしか存在しない
県長とは奏任官であり、漢代では厳密に「本籍地不就の法則」が適用されていた。
つまり正官の県丞・尉・長以上の地方官は本籍地の郡に着任できない。
それが崩れ、実効支配を維持するために地元有力者を任命するようになったのが黄巾の乱以後。
張翼伝の記述が信じられるなら、張翼の江陽長もまた、「地元有力者が地元に着任した一例」と
推測してよいのだが、相矛盾する記述が存在するとそうはいかなくなる。
張翼が江陽長になったのが、ベン陽長になるよりも明確に妥当だとも自然だとも言えない。
「江陽長が正しく、ベン陽長が誤りである」 という推定を下すためには、
「三国志本伝が信憑性が高く、別伝の類は低い」 という前提が無ければいけない。
逆に言えば、この二つの矛盾は、これ自体では両者の信憑性の高低を判断する要素にはなれない。
参戦したしないというような記述は、本人の伝に乗らず、まったく違う所に一箇所ぽつんと記述があって
それが無ければ知り得なかった、というようなことが非常によくある。
これは、現存史料がいかに断片的な経歴しかフォローしていないかを示すものだが、
たいていの場合はそれを含めて歴史を評価考量している。
であれば、「趙雲別伝」を特別扱いする理由は、やはり「漢中戦に張翼が参加していた」という記述からは生まれ難い。
值曹公揚兵大出だから最初に趙雲が破った追撃隊に関しては曹操本人の軍じゃないの
空城の計の相手に関しては断定はできんが曹操本人の可能性も高いと思う
公軍と書いてあるのは蜀側の視点だからだろ
>「三国志本伝が信憑性が高く、別伝の類は低い」 という前提が無ければいけない。
元々は劉備が一身これ胆なりと褒めさらに夜通し宴会したって別伝に書いてあるのに
漢中王になったらシカトはないだろ?ってとこから発してるんで
それに陳寿が採用したしなかったという資料選定作業を信頼するなら正史>別伝の価値は自ずから担保されるだろう
陳寿が採用しなかったということは別伝は信頼性が低いか陳寿の三国志の後に成立したかということだ
「趙雲別伝は三国志以前に成立していたが、陳寿は知らなかった」って可能性もある。
あと趙雲は漢中王即位時に昇進があったものの記載漏れした可能性がある。
例えば魏の韓キは大鴻臚がなったことは本伝では書かれず、
裴潜伝のあとに付帯された魏略の韓宣伝に唯一記されている。
蜀ならDVの劉エンなんかも何やってたか分からない時期があったと思う。
>漢中王になったらシカトはないだろ?ってとこから発してるんで
そこは矛盾点としていいと思うよ。
だからと言って「趙雲別伝」自体が他の箇所の多くよりも信憑性が低いとする理由には以下略。
蜀臣の事績は、陳寿が掬い切れなかった、という可能性が大いにある。
当時の一次史料を地方から掻き集めるのは非常に大きな労力を必要とする。
のちに編纂された後漢書などは主に九つの後漢史書の編纂校定で成り立っていて、高い評価を受けている。
「後から成立した」というのはそう馬鹿にもできない。
陳寿の時代はそのような参照史料がまだ殆ど生まれておらず、陳寿が死ぬまで著作したとか
親子二代とかいう時間を掛けて書き上げたようなものでもない。
だから、先に編集された魏書、呉書などの引き写しの率が高く比較考証が十分に行われていないとも思われている。
蜀にはそれに当たる史書さえなかった。そのため、高官の官位や封爵、その年度など、
要度の高い記述さえ、陳寿の本文から抜け落ち、華陽国志によって初めて知ることができるようなことが多い。
厳顔が太守というのは陳寿の誤りだよ、と注釈されているものもある。
趙雲が漢中戦後に昇進してないことしかないわけで
内容だけで妥当か判断するのは無理だろ
柴田錬三郎の三国志だと大将軍って記述なんだけどww
あと、その三国志にでてくる趙雲の
「血はせいほうを染めて よろいを通して紅なり
古来陣をついて 危主を助く
当陽誰かあえてほこさきを争わん
ただあり 常山の趙子龍」
ってもっともらしい詩があるんだけど、これってシバレンの創作?w
それは『三国演義』の創作。
第四十一回の最後に「後世の人が詩をつくり歌っている」とある。
最高官職はその前の鎮東将軍
陳寿の三国志を読んで不足や不満を感じた子孫等によって後から成立した可能性が高いだろう
元になる資料がもしあったとすれば正史以前から存在した可能性もあるが、
別伝という名が付いている以上『趙雲別伝』という形になったのは陳寿の趙雲伝より後のはずだ(当たり前だが)
趙雲の場合別伝があり、正史に無い詳細な情報も書かれていることからすると、
昇進という大事な情報について記載漏れする可能性は低いだろう
ちなみに、劉備の漢中王即位時だけじゃなく皇帝を名乗った時も趙雲は昇進の記録が無い
>別伝という名が付いている以上『趙雲別伝』という形になったのは陳寿の趙雲伝より後のはずだ(当たり前だが)
別伝という名は便宜的についてるだけだろ。
陳寿の三国志の趙雲伝とは別の「趙雲伝」だから、趙雲別伝。
「趙雲別伝」が正式タイトルではない。
ソースがあるなら聞きたい
>ついでに言うと>>450でいう趙雲別伝が正式名称でない、というのもただの君の推測では?
そもそも正史には「趙雲別伝」なんて語はどこにも載っていないよ。
「雲別傳曰」と注釈が始まるだけ。
(趙)雲の別の伝ではこう書かれてある~、ってことだよね。
どこがミスリード?
>北伐後の恩賞の話は単体であるし、君のいう切れ切れとまとまりの区別が分からない
恩賞の話は諸葛亮とのやり取りを含め、ひとまとまりの逸話として紹介されているだろ。
>>>452みたいに全く根拠にならないことをもっともらしく言われればそりゃ突っ込みたくなるわ。
全く根拠にならないという理由は?
俺は、裴松之が「正史と重ならない異聞はすべて注釈に取りこんだ」とする根拠がないのであるから
「すべては取りこんでいない」根拠として建康実録の例を挙げた。
そちらはそれが例としてふさわしくないと言うが、それには同意しない。
呉の宗廟には孫氏の父祖も祭られたはずで、孫堅の父あたりの名前が呉書に記された可能性は高いからだ。
呉書はすでに孫権の時代に編纂が試みられている。孫権が祖父の名すら知らなかったとは思えない。
>「どこかに記述があるもの」を例にして「どこにも記述が無いこと」をフォローしてるんだから
「どこにも記述が無いこと」のフォローなどしていないんだが。
俺がやったのは、「裴松之が当時の史料のすべては取り込まなかった可能性」の例示。
>そりゃわからんとしか言いようがない、別伝も残ってないし
わからん、つまり可能性があるならば、あとは昇進の記事が注釈に載ることの可否に議論が絞られる。
>俺の考えは>>459に書いたとおり
それについてはすでに批判を加えたが。
裴松之が別伝を元に作文したのではなく、コピペしたのであれば
「昇進の記述を『あえて』省いた」ということにはならない。
紹介すべきエピソードの部分をそっくり抜き出し、他を捨象しただけだから。
>>458には返答はないし、なんだかなと思うわ。
相変わらず「ひとまとめの逸話方式」云々は良く分らん
なぜ趙雲だけが意図的にそういう形式にしてあると思うのか、
他の人の伝の注釈には昇進や任命の記述だけがポツンとあるのが散見されるが
趙雲だけそうしなかったのは何故?
しかも趙雲の場合さっきも書いたが益州からイリョウ敗北までひとまとめにされてるので
昇進があればそこに混ぜればいい、全然不自然にはならないと思うんだが
>すべては取りこんでいない」根拠として建康実録の例を挙げた
>呉の宗廟には孫氏の父祖も祭られたはずで、孫堅の父あたりの名前が呉書に記された可能性は高いからだ
だからさっきも言ったが建康実録は元々ハイショウシは注釈にないっつーの
ハイショウシが正史に載らない異聞すべてを載せたとは俺も思わない
しかし根拠の時点で推測に推測を重ねる姿勢がミスリードと言ってるわけ
「孫堅の父の名が呉書にある」というのがはっきり分かった時点で初めて根拠になる
さらに異聞を全て載せてないとしてそれが直接昇進の記述が無いことのフォローにならないことは認めるよな?
>裴松之が別伝を元に作文したのではなく、コピペしたのであれば
>「昇進の記述を『あえて』省いた」ということにはならない
これもさっきも言ったが
益州征伐から漢中戦、イリョウの敗北までの注釈の記述はひとまとめになってるんだよ
つまり漢中王、皇帝即位はイリョウ戦の前で漢中戦のあと
別伝にその頃に昇進した記述が載っていて、なおかつハイショウシがそのままコピペしたなら
なおさら昇進が載っていないと不自然だと思うが?
>>458についてはまだ確認してねーわ
>なぜ趙雲だけが意図的にそういう形式にしてあると思うのか、
費イや劉放(というより孫資)など、別伝からの注釈の場合は、記述の分量があるので
自然とそうなっているという印象だが。
>昇進があればそこに混ぜればいい、全然不自然にはならないと思うんだが
それはお前が「昇進は重要事項」だと思い込んでるからだろ。
そっくり返すよ。「どうしてそこまでハイショウシの意図を限定できるのやら 」
もし必要ならば自然不自然関係なく、注釈に加えるだろう。
>だからさっきも言ったが建康実録は元々ハイショウシは注釈にないっつーの
建康実録が裴松之の注釈にないのは問題とならない。
裴松之が引用した史料がどれほど現存しているか知らないが、
それをもとにしか裴松之の史料選択を考察してはならないとする根拠が一つもない。
>しかし根拠の時点で推測に推測を重ねる姿勢がミスリードと言ってるわけ
推測であったらなぜミスリードなんだよ。
俺がしたのは、「裴松之が当時の史料のすべては取り込まなかった可能性」の例示。(何度も書かせるなよ)
建康実録が気に食わない(?)なら構わないが、
孫権の祖父の名が呉書にないとするなら、それを主張してみればいい。簡単だろ。
>「孫堅の父の名が呉書にある」というのがはっきり分かった時点で初めて根拠になる
そもそも「裴松之はすべての情報を取り込んだ。注釈に載ってないのは、元ネタの別伝に載ってないから」
という議論の可能性を封じるための論を立てた。
「裴松之はすべての~」の論自体が根拠の薄いものであるので、「孫堅の父~」程度の論拠で十分対応する。
それに、「というのがはっきり分かった時点で初めて根拠になる」というのはお前の妄想だろ。
推測を重ねて考察して何が悪い。問題はその推測の妥当性だ。
それを否定するのは史学の否定だろ。
>さらに異聞を全て載せてないとしてそれが直接昇進の記述が無いことのフォローにならないことは認めるよな?
何度も言わせなんなよ。
>俺がやったのは、「裴松之が当時の史料のすべては取り込まなかった可能性」の例示。
>益州征伐から漢中戦、イリョウの敗北までの注釈の記述はひとまとめになってるんだよ
違う。益州平定後の政策提言、漢中戦、夷陵の敗北という3つのトピックが引用されているのであって
もともとの別伝で続きの文章であるかどうかは不明。別伝自体が裴松之の時代に完全に残っていたかも分からんし。
>なおかつハイショウシがそのままコピペしたなら
欲しいエピソードだけ抜き出し、信憑性の薄い記述などはカットしたかも知れない。
その際に、採用する箇所から外れていたために漏れた可能性はあるだろう。
いずれにせよ別伝の逸話的な詳細な文章は、陳寿の本文とは別種。
もし別伝がまる写しされたのでないなら、漏れた文章はそのまま正史本文と重複する形ではないだろう。
あと夷陵くらいは変換したらどうだ。
まず、いいかげんハイショウシを変換してくれ。
>ひとまとめの逸話方式」云々という話は全く昇進が載らない根拠にもならない意味のない話だと認めてることだと思うんだが
「逸話方式云々」と「裴松之は昇進を重視したか」はパラレルに成立する問題。
>最初からハイショウシにとって昇進がどうでもいいかよくないかの議論だということになるんだが
別に2択ではない。その上で多面的に見て、記述の遺漏の可能性を探っているだけ。
>最初にハイショウシの意図を断言したのはお前だろうが
>>459に「昇進という重大事項が別伝に記載があるのにハイショウシがあえて抜かしたというのは不自然」とある。
「昇進という重大事項」という価値判断は「裴松之にとっての」という主張だろ?
それとも「>>459にとって」なのか?
>この辺とか何言ってるんだかさっぱりだが
俺には、裴松之の注釈を考察するのに建康実録を持ち出すのは不適当とするお前の根拠がさっぱりなんだが。
>三行目を見る限り健康実録の話は何の意味もなかったというの認めるということ
何の意味もなかったはずはない。
議論の初期段階として、裴松之が史料の全てを注釈に用いたか、そうではないかを指摘することは有用だと認識している。
俺は、そうではないとする立場として、それが「なんとなくの印象論」ではなく、
根拠して例示できるものがあることを指摘した。
正史に残っていない孫権の祖父の名前が裴松之の時代に伝わっていた可能性は十分にあり、
「建」康実録の話が「何の意味もなかった」とするのは、くだらない煽り、不当な罵倒でしかない。
>ある確かな根拠をもとに推測を重ねるなら一つの推論だが
>推測で作り上げた根拠をもとにさらに推測を重ねた推論は論外としかいいようがない
推論の定義は俺が決める、どこから論外となるかは俺が決めるってこと?
そもそも「ある確かな」の範囲を決めるのは誰なんだよ。
『「孫堅の父の名が呉書にある」というのがはっきり分かった時点で初めて根拠になる』(>>468)とか意味がわからない。
俺の、「裴松之は史料のすべては引用しなかった」という主張が「論外」ならば
お前の、「ハイショウシが正史に載らない異聞すべてを載せたとは俺も思わない 」これはどうなんだ?
俺が、お前のは感想じゃないかと言っているのはこのことだ。
>昇進の話は「虎威将軍」や漢中戦の活躍ともリンクするし
>ハイショウシが取捨選択でわざわざ省くのは不自然だと最初から言ってるんだがまた最初に戻るのか
こちらの主張が妥当かどうかはさておき、これについては明確に説明したつもりだが、そちらの読解力が足りないようだ。
俺が言っているのは、別伝の中から「逸話的な、ひとまとまりのエピソード」の3つ(これらは本来別々)を「コピペ」した可能性。
ちくま訳で言えばP188の注釈[一]を、まるでひとつの文章のように思っているから、こちらの主張を理解できないんだろう。
>昇進の話は「虎威将軍」や漢中戦の活躍ともリンクするし
漢中王即位に伴う昇進と、皇帝即位に伴う昇進を峻別していない時点で「ミスリード」だろ。
これは別伝の実体に関わり、雲をつかむような話だが、>>469の最後の段落でこちらの考えは示した。
いちいち重複して書くのもやめるが、
>ハイショウシが取捨選択でわざわざ省くのは不自然だと最初から言ってるんだがまた最初に戻るのか
要は、「裴松之が省いても不自然ではない可能性」を示した。
それについて同意できないなら、正面から批判を加えればいい。
いくらでも批判はあろうと思っていたが、読解して貰えないとは思わなかった。
>正直これ以上君と議論しててもお互い何も歩み寄ることも得るものも無さそうだが
議論という段階に入ってすらない。
この、趙雲の昇進に関する議論なんて元々が、クリティカルな結論を生み出せそうにない代物。
ある段階から先は、ほとんど印象論でしか語れなくなるだろう。
俺は「昇進の記述が漏れた可能性あり」派だが、それを説得力をもって語るのが難しいことは当然承知している。
しかし、その前段として議論の屋台骨を組むことが出来る可能性はある。
それが「別伝」の検証であったり、裴松之の注釈全般についての考察だろう。
であるにも関わらず、>>454では
>ついでに言うと>>450でいう趙雲別伝が正式名称でない、というのもただの君の推測では?
>ソースがあるなら聞きたい
と、まるで「趙雲別伝が正式名称である、またはその可能性を示唆する根拠がある」かのような態度でありながら、
いざこちらの根拠を示しても返答はなく、改めて問うたら「まだ確認していない」とか。
PCから書きこんでるなら原文を探せようし、でないならば、そもそもソースを問うたのは何なんだ?
「ソースがあるかどうか質問したが、確認できる手段も意思もない」とかただの嫌がらせだろ。
その挙句、「これ以上君と議論しても得るものがなさそう」だからなw
ソースだけ要求して、相手の失点を待っていただけか。
議論が勝ち負けでなく、そちらの言うように共通理解を得るためのものならば
君の今のやり口のままでは、議論の相手としてふさわしくないと思っている。
「推測」や「推論」についての定義は示してこないし、どうせ「俺様定義」だろうし。
そんなもんに10レスぐらい費やす気もないのでね。
『趙雲別伝』が内容を含めあの形に成立した時期は陳寿の趙雲伝より後だろう、と書いている
その1行だけ読んで突っ込みを入れるのではなく前後の文脈も読んでね
そうか。成立時期については必ずしも同意しないが。では別の議論を。
>趙雲の場合別伝があり、正史に無い詳細な情報も書かれていることからすると、
>昇進という大事な情報について記載漏れする可能性は低いだろう
まず、昇進の記載漏れの可能性が低いとは思わない上に、
裴松之が「趙雲別伝」の、正史本伝とかぶらない箇所全文を付記したとは思わない。
孫堅の父親の名前は建康実録に載っているらしいが
これは呉で編纂された呉書にも載っていたのではないか。
同様に、趙雲別伝には昇進が記載されるも、裴松之がその箇所を引用しなかった可能性は十分あると考える。
さっきからミスリードがお上手のようで
>注釈の記事と、劉備の漢中王即位、皇帝即位はリンクしていない。
即位そのものは関係無くても即位した時の趙雲の昇進なら関係あるだろう
まとまりのある話題と言うが益州平定からイリョウ敗北までひとまとめにされてるし
北伐後の恩賞の話は単体であるし、君のいう切れ切れとまとまりの区別が分からない
>自分の場合には「俺はこう思う」だけが論拠。それってどうよ
まるで「俺は違うけど」とでも言いたいみたいだな
>>452みたいに全く根拠にならないことをもっともらしく言われればそりゃ突っ込みたくなるわ。
「どこかに記述があるもの」を例にして「どこにも記述が無いこと」をフォローしてるんだから
>裴松之が別伝の全文を付記したと思ってるわけ?
そりゃわからんとしか言いようがない、別伝も残ってないし
俺の考えは>>459に書いたとおり
ハイショウシが昇進の記述をあえて省いたというのには「可能性は低い」と言いたいだけ
ついでに言うと昇進の記録が正史にも他の野史にも全く記述が無いのは不自然とも思ってるが
それは今とは関係ない話
まあ考えは大体同じだけど、俺が言いたいのは
「昇進という重大事項が別伝に記載があるのにハイショウシがあえて抜かしたというのは不自然」ということ
その可能性がまったく無いわけではないが低いのではないかということ
この考えに裴松之が全文を付記したことを証明する義務は無いと思う
もし後者のような理由なら、実は俺は嫌いじゃないw
公平に見れば別伝は、正しいか正しくないか測ることができない、だろう。
孫夫人から阿斗を取り戻した逸話あたりだろう。
在庫が一冊しか置いてなかった雲漢遥かに
それほどの出来という訳では無いが、もっと皆に
こういう漫画が有ると知れ渡れば良いんだが
チベットモンキーに子龍という名前が付けられていた
もちろん趙雲から取っている
>これは呉で編纂された呉書にも載っていたのではないか
まずこの時点で推測じゃあ推論にすらなってないのでは
つか建康実録自体注釈に含まれてないし例としても不適格では?
>まずこの時点で推測じゃあ推論にすらなってないのでは
意味が分からん。
そっちだって推測を重ねた推論だろ。
そちらの推論が成立するには
「裴松之が「趙雲別伝」の、正史本伝とかぶらない箇所全文を付記した」ことを説得しなければならないだろ?
本当にそう思ってるわけ?
そしてその根拠はあるのかな?
>その可能性がまったく無いわけではないが低いのではないかということ
俺のは推測に依拠していて推論になってないと言われたが
そっちは推測ですらない感想じゃないか。
趙雲伝の注に裴松之がもってきたのは、どれも逸話形式のもの。
「昇進という重大事項」というはそっちの思い込みだろ。
細かな昇進の記録(の異聞)を後世に伝えるのが裴松之の仕事だったとでも?
>趙雲伝の注に裴松之がもってきたのは、どれも逸話形式のもの。
これだって君の思い込みだろう
・公孫サンの配下になるまでの経歴
・荊州平定後に偏将軍、桂陽太守に任されたこと
・劉備が呉を攻めたとき江州を取り仕切ったこと
これらは単なる逸話ではないし別伝にしか記載が無い
ハイショウシにとって漢中戦の活躍の後の昇進がどうでもよかったつー方が無理があると思うけど
わざわざ「虎威将軍と号された」ということは書いてあるのに
君にとっての感想と推測の違いは分からんけどな
どれも逸話だろ。
逸話という言葉の認識が違うと言うかも知れないが
どれも纏まりのある話題を扱っている。
切れ切れの注釈ではない。
なので、その話題から外れた記述については捨象された可能性がある。
注釈の記事と、劉備の漢中王即位、皇帝即位はリンクしていない。
>ハイショウシにとって漢中戦の活躍の後の昇進がどうでもよかったつー方が無理があると思うけど
>わざわざ「虎威将軍と号された」ということは書いてあるのに
別伝をコピペしたのなら、違和感はない。
裴松之がやりたかったのは趙雲の逸話の紹介であって、細かな昇進の異聞の紹介ではない。
>君にとっての感想と推測の違いは分からんけどな
感想でも推測でもいいんだが、人の意見を「推論にもならない」と言っておきながら
自分の場合には「俺はこう思う」だけが論拠。それってどうよ。
で、逃げないで答えて欲しいんだが
裴松之が別伝の全文を付記したと思ってるわけ?
誰も証明しろなんて言ってないし、その答えが議論を決定するとも思わないが、
この質問から逃げるようでは議論にならんよ。
昇進したことを書けばいいんだから
裴松之の注釈の目的自体、
陳寿本文から漏れた人物の経歴・事績・官歴・逸話等を回収することにある。
実際趙雲伝の注はこれが顕著で、
偏将軍・桂陽太守・留営司馬という官歴を裴松之のお陰で知ることが出来る。
この裴松之の態度を信じる限り、劉備の即位前後に限って
趙雲の昇進歴が漏れているという可能性はかなり低いだろう。
少なくとも記載漏れがあったと前提に何かを論じることはできない。
確かにこの部分も彼の推測だよな
どうしてそこまでハイショウシの意図を限定できるのやら
>自然とそうなっているという印象だが。
おいおいそう言っておきながら
>もし必要ならば自然不自然関係なく、注釈に加えるだろう。
こういってるということは君の言う「ひとまとめの逸話方式」云々という話は
全く昇進が載らない根拠にもならない意味のない話だと認めてることだと思うんだが
最初からハイショウシにとって昇進がどうでもいいかよくないかの議論だということになるんだが
>そっくり返すよ。「どうしてそこまでハイショウシの意図を限定できるのやら 」
最初にハイショウシの意図を断言したのはお前だろうが
>裴松之がやりたかったのは趙雲の逸話の紹介であって、細かな昇進の異聞の紹介ではない
これはお前が書いたんだろうが
俺は最初から「ハイショウシ知っていてがあえて省いた可能性は低い」としか言ってないし
>裴松之が引用した史料がどれほど現存しているか知らないが、
>それをもとにしか裴松之の史料選択を考察してはならないとする根拠が一つもない
>「裴松之はすべての~」の論自体が根拠の薄いものであるので、「孫堅の父~」程度の論拠で十分対応する。
この辺とか何言ってるんだかさっぱりだが
三行目を見る限り健康実録の話は何の意味もなかったというの認めるということ
>それに、「というのがはっきり分かった時点で初めて根拠になる」というのはお前の妄想だろ。
>推測を重ねて考察して何が悪い。問題はその推測の妥当性だ。
>それを否定するのは史学の否定だろ
「ハイショウシが全ての異聞が載せてるわけではない」という主張の根拠が
なんで「呉書に異聞があったかもしれないかもしれないから」になるわけ?
ある確かな根拠をもとに推測を重ねるなら一つの推論だが
推測で作り上げた根拠をもとにさらに推測を重ねた推論は論外としかいいようがない
>違う。益州平定後の政策提言、漢中戦、夷陵の敗北という3つのトピックが引用されているのであって
>もともとの別伝で続きの文章であるかどうかは不明。別伝自体が裴松之の時代に完全に残っていたかも分からんし
>欲しいエピソードだけ抜き出し、信憑性の薄い記述などはカットしたかも知れない。
>その際に、採用する箇所から外れていたために漏れた可能性はあるだろう
おいおい、だからコピペとか「ひとまとめの逸話方式」言いだしたのもお前だろうが
昇進の話は「虎威将軍」や漢中戦の活躍ともリンクするし
ハイショウシが取捨選択でわざわざ省くのは不自然だと最初から言ってるんだがまた最初に戻るのか
正直これ以上君と議論しててもお互い何も歩み寄ることも得るものも無さそうだが
まあ出来る限り続けるよ
建康実録の成立は唐だぞ
裴松之が建康実録を史料として用いた、というようなことは書いていないが。
裴松之の話をするときに建康実録云々は例え話としても不適切いうID:oCTIzQyx0に同意って話だよ
成立時期も違いすぎるし、資料としての性格も違う。そもそも鵜呑みにしても良い内容の資料でもないしね
逆に言えば、君は建康実録以上に自論の根拠になるものを見つけられなかったってことだろ?
建康実録の話は横に置いておくとしても、
韋昭らの呉書は完成していなかったこと
陳寿の呉書は呉末期は自ら書いたが、信憑性の低い記述と省いて
ほぼ韋昭らの呉書を丸写ししたと思われること
裴松之は注をつけるにあたって全国を駆けずり回ったわけではなく
手に入った資料については信憑性の低い記述でさえ断りを入れつつ記載していること
(この段落に書いたことは俺の自論ではなく普通に流通している研究書に載ってるレベルの話で
きりがないのでいちいち根拠は挙げない)
これらのことから、韋昭らの呉書には孫堅の父の名は記載されていないと推測できる
その頃誰も孫堅の父の名を知らなかったとは自分も思わない
が、知っていたからといって韋昭らがそれを書かねばならなかったわけではないだろう
呉の太祖は孫権で、父とはいっても孫堅は二代前に当たるから、それを記せば充分だと考えたのかもしれない
(陳寿の魏・蜀・呉書はそれぞれ編纂の経緯が異なるから、劉備や曹操の祖父の名が遺されているというのは理由にならない)
こちらは、そちらの提示した個別の疑問にそれぞれ答えているつもりだが
そちらは答えたいところだけをピックアップして答えている見受ける。
>>477
>これに無理を感じないのは多分君「だけ」だとよ
そういう「ミスリード」はいらないよ。
以上のことから、議論が手段でなく、目的の人間であると判断したので、これで終わらせて貰う。
あれだけ言って別伝のタイトルについては黙殺だからな。
>>478
>裴松之の話をするときに建康実録云々は例え話としても不適切いうID:oCTIzQyx0に同意って話だよ
>>474を読む限りでは、とてもそうは読めない。普通にレス出来んのかと問いたい。
「逆に言えば」などと妙なミスリードを誘っているが、建康実録がいかんというなら、正面から批判すればいい。
成立時期や資料としての性質の違いが、この件に関して例として持ち出すのにいかに不適当かをね。
>が、知っていたからといって韋昭らがそれを書かねばならなかったわけではないだろう
>呉の太祖は孫権で、父とはいっても孫堅は二代前に当たるから、それを記せば充分だと考えたのかもしれない
俺は可能性の話をして批判を受けたが、そちらも大差ないね。
「裴松之が趙雲の昇進を書かねばならなかったわけではない」
孫権の祖父の名のみならず、その一族の出自すら記述されていないんだがね。
一武官の昇進より、呉の創業者とも言える武烈皇帝の父親の名や出自の方が重要な情報だと思うけどね。
あと、孫堅は二代前じゃないだろ。孫策は皇帝じゃない。
>ほぼ韋昭らの呉書を丸写ししたと思われること
孫権は呼び捨てだけどな。当然、差を設けたわけで、丸写しとも思えない。
>手に入った資料については信憑性の低い記述でさえ断りを入れつつ記載していること
俺は「流通している研究書」にどんなことが書かれているのか知らないが、
信憑性の薄い記述であるからこそ取り上げて論難した可能性も高いと思うんだがね。
でも、>>478の立場は「裴松之は入手した異聞はほぼ載せた」ってことなんだ。
oCTIzQyx0とは違うんだね。
>手に入った資料については信憑性の低い記述でさえ断りを入れつつ記載していること
ジョウヨウキやカヨウコクシには採用されてない記事も多いが
貴方の読んだ研究書・論文ではその問題はクリアされてるわけ?
いいや、成立しない
「偶然そうなったと言ってる」と言っておきながら「必要なら不自然でも載せる」と言ってるんだから
君の言う「ひとまとめの逸話方式云々」はなんの意味もない
>俺には、裴松之の注釈を考察するのに建康実録を持ち出すのは不適当とするお前の根拠がさっぱりなんだが。
> 議論の初期段階として、裴松之が史料の全てを注釈に用いたか、そうではないかを指摘することは有用だと認識している。
>俺は、そうではないとする立場として、それが「なんとなくの印象論」ではなく、
>根拠して例示できるものがあることを指摘した
「正史に残っていない孫権の祖父の名前が裴松之の時代に伝わっていた可能性」
まずこの時点で推測なのにこれで何を主張できると?
ハイショウシが異聞すべてを載せたわけではないという根拠はここから来てるんだろ?
>根拠して例示できるものがあることを指摘した。
だから最初から根拠にすらなってないっつーの
この時点で認識違い、その件に関しては後で
>俺が言っているのは、別伝の中から「逸話的な、ひとまとまりのエピソード」の3つ(これらは本来別々)を「コピペ」した可能性
その「ひとまとまりのエピソード」云々は説得力が無いとさっきから言ってるはず
本来別々とか言うのも君のただの推測のはずだが? そういう部分がミスリードだと言ってるんだよ
根拠の根拠 孫堅の父親の名前は建康実録に載っているらしい
↓
(推測)これは呉で編纂された呉書にも載っていたのではないか
↓
根拠(推測) 呉書に載ってある記述をハイショウシが載せてない!
これに無理を感じないのは多分君だけだと思うよ
って書き方だけで理解できないのはそちらの思考または知識が浅いからだろう
>>が、知っていたからといって韋昭らがそれを書かねばならなかったわけではないだろう
↑この部分は、
>>これらのことから、韋昭らの呉書には孫堅の父の名は記載されていないと推測できる
↑これを俺の結論とした上で普通に導き出される答え。
>>呉の太祖は孫権で、父とはいっても孫堅は二代前に当たるから、それを記せば充分だと考えたのかもしれない
↑この部分は単なる予想だが、この部分を上記の根拠にしてるわけじゃないから不確かでも構わないはずだ
(これらを説明しないと理解できないってのは予想外だったw)
>孫権は呼び捨てだけどな。当然、差を設けたわけで、丸写しとも思えない。
呼び名を変えることは当たり前のことなので書き忘れた
>信憑性の薄い記述であるからこそ取り上げて論難した可能性も高いと思うんだがね。
お気に召さないようなので言い方を変えよう
「もっと本読んで知識と論理性を身につけてから書き込めw」
この一言で済む話だったな。>>477に同意する
彼には何を言っても無駄だと思う
・建康実録に載ってるから呉書にも載ってるかもしれない孫堅の父の名前
・趙雲伝の注釈は「ひとまとめの逸話方式(?)」
・裴松之がやりたかったのは趙雲の逸話の紹介であって、細かな昇進の異聞の紹介ではない
これらは彼の「主張したい事そのもの」ではなく
あくまで彼が「主張したい事の根拠」として当然のように出してきたもの
つまり彼は「独自で作り上げた不確かな推測を重ねた推測」を根拠にして「別の何か」を主張することに
疑問や違和感を毛ほども感じないという特別な人なんだよ。
俺達常人が付き合える相手じゃない
最後まで建康実録の話が例として何がおかしいのか理解できなかった事からもそれが分かる。
もう答えたくないなら別にいいけど
とりあえず
・「ひとあとめの逸話方式」云々は何の意味もなかったこと
・裴松之がやりたかったのは趙雲の逸話の紹介であって、細かな昇進の異聞の紹介ではない。
というのがただの君の決めつけであり、これを根拠に何かを主張するのが無理だということ
上記の二つはちゃんと認めてくれたようなので心残りは無いよ
>上記の二つはちゃんと認めてくれたようなので心残りは無いよ
最悪だなコイツ
多少口調が荒くなる場面もあったとは言え
基本的にレスを応酬していただけなけなのに
こんな結果とはな。
最悪というのは迷ったうえでの抑えた表現。
当初書こうと思った通りに、「キチガイ」に訂正しておく。
俺がキチガイなら何で君の意見に賛同する人がいないんだろうねw
まあ結局は認めるようだし別にいいけど
では、歴史研究には何の意味もなさないなあ
文字数が多いので載せず、みたいなこと言って省略する場合もあるよね。ハイショウシ。
彼が参照した資料は当時は入手可能なものだから、そのすべてを載せる必要はなかったと思う。
ただ陳寿が贅肉をそぎ落とし過ぎているので、つまりはデラックス・エディションを作ったわけでしょう。
蜀侵攻の際は別動隊率いて、方面軍指揮とってるようだし、季漢輔臣賛の趙雲項見ると
よく言われる親衛隊長だのボディーガードだので、大軍率いて
戦った事がないただの部隊長クラスだったってのは、納得いかないんだよな。
もしそうであるなら、ここまで評価なり逸話なりが
広がるものなのだろうか。。。
下げ忘れた。
まるで信憑性の無い資料の場合、矛盾点が色々見つかるものだが、
趙雲別伝は陳寿の正史と矛盾する記述は特には無い。というくらいには信頼できる
が、例えば、本当に公孫サンに対して「我が州の意見は~」と言えるほどの立場にあったのか?
漢中では空城の計なんて本当にそんなに上手くいくか?などの疑問はある
別伝によると矛盾しない。
趙雲は中山の郡吏と義兵の代表として公孫サンに味方した。
群雄割拠の時代だから郡の住民の総意のはずは無いが、
郡を統治する正当性を持つ(はずの)中山郡府の意見を公孫サンに伝えるのは自然なこと。
空城の方はよくある伝説の可能性が高いだろうけど。
文聘とか徐盛とかよくある話。
正史読み直してみれば?
我が「州」だからもしかしておかしいんじゃないかと言われてるんだよ
・冀州の人間は皆袁氏に附くことを望んだ。
・しかし趙雲らだけが公孫サンに附いた。
・公孫サン
「貴州の人々のうち、なぜ君だけ回心して迷いから覚めて
(正しい道に戻って)くれたんだね?」
・趙雲
「我が州の総意は『仁政の在るところに従う』というだけで
(それに従ってみなそれぞれの判断で動いているだけです)
別にあなたに私するところがあるのではありません」
郡が誰に従うかを刺史が決定することはできないし
全太守が集まって会議するようなことも普通はしない
文書で総意をとるような時間的余裕もないだろう
この時の冀州も郡ごとにバラバラだった結果、常山郡だけが公孫サンについたという話なのに、
郡から推薦された身に過ぎない趙雲は州の意見が云々と述べる立場ではない
また、趙雲は他のエピソードでは正論や事実を述べ納得させる方法をとっており、
ハッタリで誇張するパターンはない
事実上総意がとれていないものをとれているかように言うことはパターンから外れる
実際に趙雲がハッタリ(嘘)を言ったというよりは、
趙雲を良く見せたい別伝の著者、編纂者が「我が郡」を「我が州」に誇張して書いたのではないか
そもそも空城計の例もあり別伝の全てを無理に信頼しようとする必要はないだろう
「住民はみな善政を願って行動してるだけ」って、当たり前といえば当たり前のことを弁明しただけ。
ハッタリですらない。
なんか思い込み激しそうな人だな
その解釈が正しいと決まったわけでもないのに
原文は「鄙州論議」、住民には意見を述べる権利などないし論議の主体は民ではない
文化的背景を無視して無理な解釈をするなよ
それは別にツッコむところじゃないんじゃないか?
高級官吏およびそれに影響力を与えうる階層の民、ってことでいいだろう
本伝だと公孫サン配下時代に既に趙雲は劉備の配下になってるはずなのに
別伝だと公孫サン配下時代は出会っただけで袁紹配下時代に初めて
劉備の配下になったことになってる
その直後の文が長坂でそのまま劉備配下になったと思ってしまうけど
そのまま劉備に付き従ったとは書かれてないよ
別伝は穴を埋めてるだけで矛盾はしてないだろう
あれは趙雲が寿命で死ぬしリアルだった
脚色ですか?
少なくとも史書や演義にはない。
他の説話や、中国の最近の小説などではどうか分からないけど。
演義だと劉備より年上
227年の北伐時に数えで70才=158年生(劉備は161年)って設定
ところが、演義初登場の界橋の戦い(192年)では「少年(未成年の若者)」と書かれている。
二十歳だとしても、173年生まれで劉備より8歳年下という設定。
演義はさまざまな講談や読み物語の集成なので、どちらが先に出来た描写かはわからないが、
まあおそらくは死亡時年齢の計算ミスだろう。
史書で言えば、劉備は趙雲を厚遇して自分のベッドで寝かせている。
これは年上に対する礼ではない(年上をもてなすなら寝台を客に譲って自分は床などで寝る)
ので、趙雲は劉備より同年以下だったと推定できる。
> ところが、演義初登場の界橋の戦い(192年)では「少年(未成年の若者)」と書かれている。
明確な数字はなし、憶測に過ぎない
> まあおそらくは死亡時年齢の計算ミスだろう。
そして、登場時の方に表現のミスの可能性を考えないの?
> これは年上に対する礼ではない(年上をもてなすなら寝台を客に譲って自分は床などで寝る)
趙雲は客じゃない、家臣になりに来たのだから一概には当てはまらない
これから仕えようとする人を差し置いて寝台で寝るなんてマネ、自分が年上だろうとできるはずがない
> ので、趙雲は劉備より同年以下だったと推定できる。
従って、根拠としては薄い
>明確な数字はなし、憶測に過ぎない
おーいおいおい。創作小説の創作設定部分に対して何言ってんの?
演義は「初登場の趙雲を少年と描写している」。
「没年近くに70歳と考えると界境時に30代半ばになる」。
この二つの記述を矛盾と捉えることに、どんな憶測が挟まれる余地があるって言うんだ?
>そして、登場時の方に表現のミスの可能性を考えないの?
一人の人間の年齢を創作して「少年」と表現することに対して、
どんなミスを起こす可能性があるの?
>これから仕えようとする人を差し置いて寝台で寝るなんてマネ、自分が年上だろうとできるはずがない
趙雲の心情など問題にしていない。
士人を自分と同じ床にに寝せて、これを礼遇とした劉備と当時の道徳観が問題なんだ。
>「没年近くに70歳と考えると界境時に30代半ばになる」。
界橋時に30代半ばで何か問題でも?
> この二つの記述を矛盾と捉えることに、どんな憶測が挟まれる余地があるって言うんだ?
従って、矛盾と云う主張にも根拠が乏しい。
> どんなミスを起こす可能性があるの?
創作故にイメージ先行で実年齢と異なる表現がとられることはままある
それに
>> まあおそらくは死亡時年齢の計算ミスだろう。
っと先にミスについて指摘しているのはあなた
死亡時年齢の計算ミスを起す可能性があるの?と違いがわからん。
> 士人を自分と同じ床にに寝せて、これを礼遇とした劉備と当時の道徳観が問題なんだ。
趙雲が士人(身分の高い出自)とは限らない、身分の低い出自の可能性もある。
身分の低い者なら寝台を共にしたことは礼遇になる
明確な年齢が提示されているのに曖昧な表現の方が正しいとするには根拠が薄い
日本では趙雲に若武者としてのイメージが根強いようだが
本場中国では、黄忠と並んでその肖像画には老人が描かれる事が多いとのこと。
趙雲は若いってイメージを一旦外して考えてみてはいかが?
>>532
弟分は張飛に対してで、趙雲にかかった言葉じゃなかったと思うが?
>>533じゃないが、中国で趙雲が老将イメージなのは四川地方の話で
他の地方では若武者として描かれる
京劇でもずっと若武者として登場し、街亭の辺りで急に白髭の老将になる
つまり若武者として描かれるのも老将として描かれるのも
演義の表現を忠実に再現してるだけの話
わけがわからん人に絡まれちゃったなあ。論理的思考力が弱いのかな。
>界橋時に30代半ばで何か問題でも?
これ単体なら何も問題ない。
同じ作品の中に、「30代半ば」になる計算と、「少年」の描写が両立しているのが「矛盾」なのだが。
>死亡時年齢の計算ミスを起す可能性があるの?
当時は写本なのでね。単純な数字の写し間違いがもっとも発生し易い。
それから、単純な計算ミス。当時は西暦ではないのでね。
そして、記述を書き足した人間が、趙雲の年齢が推察できる他の箇所を読んでいなかった可能性。
ただ三つ目は、
まあ極めつけはこれ。
>創作故にイメージ先行で実年齢と異なる表現がとられることはままある
ア・ホ・か。
趙雲の「実年齢」を知ってる人間なんて演義成立当時から現代にかけて誰一人いやしないよ
確か「張飛は我が弟分、馬超は名家の出、趙雲もまた弟分」って記述があった筈。
墓碑には曹操と同じ年だと刻まれている
どんな所か気になるんだよね
ドラマの三国志見てたら6月から成都直行便始まるみたいだし
問題は顎だなあ。二重顎でなく割れ顎という事なら「水嶋ヒロ」タイプでいけるんだけど。
なるほど納得。
藤岡さん、あれで65歳だからなあ。
兵や官吏を率いて公孫サンに味方しているので、
192年当時二十歳というほどの若輩者とも考え難いが。
流石に年長者を弟分呼ばわりはしないでしょ。
>そして、記述を書き足した人間が、趙雲の年齢が推察できる他の箇所を読んでいなかった可能性。
>ただ三つ目は、
「演義はさまざまな講談や読み物語の集成なので、どちらが先に出来た描写かはわからない」ので、
「少年」と「七十歳」のどちらが正しい設定なのかの判断材料にならないが。
「翼德吾弟也;
孟起世代名家;
子龍久隨吾兄,即吾弟也:
位與吾相並,可也。
黄忠何等人,敢與吾同列!
大丈夫終不與老卒為伍!」
これだね。
実は女性で劉備に惚れていて、でも呂布に犯されて、関平を生んで
曹操軍に裸にひんむかれて・・・
趙雲ファン的にはこの扱いどーなの?
曹操が劉協の首を刎ねて殺してから読んでまへん
そういえば最近の三国志ものでいけてる子龍さん出て来たの有ります?
最近の尺度がわからんけど、
2009年の「雲漢遥かに」はまんま趙雲主人公でシリアス。
没年までやったみたい。
嫌いじゃないし面白いとは思うが、少々オリジナルが多過ぎてな
高順に誘われて呂布軍に属していたとか飛ばしてた
何だか趙雲を主人公にするのは辛いんだという事が露呈してしまった感じ
史書での記述が少な過ぎて、やはり劉備たちに付き従う事で輝く存在なんだろう
こんな事も漫画を読んで初めて気付いたんだから鈍いけどさ
同時期の呂布の武勇を間近で見ていた、とかいう展開ならありかもね。
メジャーじゃない当時の河北の展開を紹介できるし。
劉虞の死から烏丸を挟んだ公孫サンとの闘争、
袁譚の青州攻略とか。
まあ>>544は個人の武勇や忠義に重点を置いた話みたいだから
そういうのは向いてなかったかもしれないが。
まさにそういうのをガキの頃RPGツクールで作ったことがあるw
常山郡で仕事してる=袁紹配下と言えなくもない
って立場で劉虞や公孫サンの死を外から見ながら
天下や自分のしたいことを見つめ直す趙雲って感じでw
公孫サンに暇乞いした後の空白の時間のことなら
呂布が常山の張燕を攻撃してるから
呂布と趙雲に接点があった可能性が0%とは言い切れないというか、
思いつきやすい創作ではあると思う
でも趙雲が呂布軍に属すってのはイメージしにくいなw
創作するにしても、あの時期は目立った動きや活躍がない方が
それらしい気がするしね
20を越えてもガキだったんだよ
多かれ少なかれ渋好みかもな
趙雲が登場してるらしいけど
邦訳の後を読んでる人いる?
現地では単行本が43巻まで出ていて、最新の連載分で丁度官渡が終わった所。
もっと詳しい事が聞きたければ、海外漫画板に火鳳スレがあるから、そこで聞いたほうが早いと思う。
ワイは日本人やが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしいで
みんなも知っての通りもう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうや
その世界ではごっつい有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報やで
君らほど頭の良い連中には、今さらなくらいのネタやな、かえって失礼なくらいに
お前らからすればもう常識的なくらいの知識やろ?
2ちゃんねるやってるやつならこの情報でもう大儲け、してるしな
古参で一目置かれてはいるけど
楽進と陳到が同格かと言われればどうかと。
楽進は于禁と並んで外様じゃトップクラスの扱いだからちょっと違うんじゃね。
楽進よりも史渙あたりの方がしっくりくる
三国志ファンタジーの最後の砦だし。
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ケニー・リン、ユナ(少女時代)出演、総製作費約40億円を掛けて描く超大作歴史ドラマ。三国志の時代、蜀随一の武将といわれた趙雲(趙子龍)の成長と活躍、恋愛を描く。
後漢の末期。朝廷では外戚が権力を振るい、宦官による政治への干渉が強まる。ちまたでは黄巾の乱が起き、諸侯や山賊もそれに乗じた。
漢帝国、存亡のとき。太師、董卓(とうたく)の専横に身の危険を感じた若き皇帝少帝(しょうてい)は、護国神器の2本の宝剣、倚天(いてん)剣と青こう(せいこう)剣を、趙安(ちょうあん)と李全(りぜん)に託す。
2人は剣を持ち故郷の常山郡に向かうが、宝剣を手に入れようとたくらむ董卓が趙安のもとに兵を送り込む。
でも、第2話の劉備はメチャクチャいい男だった。
ttps://www.twellv.co.jp/program/drama/sangokushi.html
・・・剥き出しの地雷というか約束された駄作ですね
蛇矛や槍の方が武器として優秀
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実際には兵を率いて軍功を挙げているからきょちょよりは格上
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を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪