【実録】ラオス・バンビエンの絶景・桃源郷?大麻(マリファナ)?Vang-Vieng in Laos
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新動画アップ!かつて日本軍が占領!昭和20年(1945年)4月8日に日本の協力を得て独立宣言したラオス!
今回のお題は、【実録】ラオス・バンビエンの絶景・桃源郷?大麻(マリファナ)?
バンビエンはかつて、ベトナム戦争時に川沿いの滑走路を利用した米軍が毎日、爆撃機を飛ばしていた都市です。人口は25000人程。バックパッカーも多く訪れ、大麻(マリファナ)が多く出回っております。桃源郷のような絶景をみながらのんびりまったり出来るとの事です。
ラオスを訪問時に現地にて撮影!ラオスは、あまり日本人にとって馴染みがない国であります!
ラオスはタイとカンボジア、ベトナム、ミャンマー、中国に囲まれている内陸国であります。
近隣諸国による支配を経験し、19世紀終わりにはフランスの保護国となります。同じくフランスが入り込んだベトナムやカンボジアと共に仏領インドシナと呼ばれる国です。
大東亜戦争で仏印に進駐した日本は、フランスのヴィシー政権との協定を結び、ベトナム、カンボジア、ラオスとも、日本軍が占領下におきました。
当時の日本軍もラオスに駐留した。
昭和20年(1945年)4月8日、ラオスは日本の協力を得て、独立宣言。
日本が戦争に負け、戦後、日本に見習い、再保護国化を図ったフランスからの脱却を図り、第一次インドシナ戦争を経て1953年10月23日に完全独立。
その後、長い内戦が続きます。
昭和52年(1977年)12月、在ラオス日本大使館杉江清一書記官夫妻殺害事件が発生。反政府派による政治的犯行
1980年、タイと国境紛争。 1979年、中国共産党と関係断絶。 1986年、新経済政策(チンタナカンマイ)を導入。 1987年、タイと国境紛争(タイ空軍機1機が撃墜される)。 1988年、タイとの関係正常化。 1989年のカイソーン首相の中国公式訪問、1990年の李鵬首相のラオス公式訪問で、対中関係の改善。 1991年、憲法制定。ラオス人民革命党の一党独裁体制維持を確認。 1992年2月、タイと友好協力条約を締結。7月、ベトナムとともに東南アジア諸国連合(ASEAN)にオブザーバーとして参加。11月21日、カイソーン・ポムウィハーン国家主席(ラオス人民民主共和国の初代最高指導者)死去。 1997年7月23日、東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟。
タイとは言語が似ており、タイ語が通じたりもする。バンビエンは首都のビエンチャンと世界遺産都市のルアンパパーンの間に位置しており、1970年代のラオス内戦で王国政府側についたアメリカ空軍の滑走路が国道13号沿いに出来、観光客が多く訪れるようになったのは1990年代半ばからである。
ナムソン川と山々の景色が実に素晴らしい場所である。最近ではホテル、ゲストハウス、レストランが出来ている。お薦めはナムソン川と山々を一望できるロッジ風の宿である!!