【閲覧注意】虐殺者毛沢東が建国の英雄である限り、中国に未来はない…文化大革命から50年④
④ 【閲覧注意】紅衛兵同士の殺し合いが始まった
紅衛兵の狂気は、無実の人たちを虐殺しても飽き足らず、ついには分裂し、互いに相手を、反革命分子と罵って激しい殺し合いを行った。
1967年の3月から6月にかけて、江西、青海、浙江、湖北、山西、河南、安徽、内モンゴル、陝西、復建、広東、寧夏などで、凄まじい殺し合いが行われた。殺し合いは、紅衛兵、労働者、農民、さらには、軍隊をも巻き込み展開された。
重慶では、1967年2月に造反派は二派に分裂し、共に相手側を毛主席と毛沢東思想の敵とみなした。始めは槍や刀などで殺し合いを始めたが、6月頃には自動小銃が使われ、それ以後は軍事工場から武器を持ち出し、8月には両派ともに戦車、装甲車、迫撃砲、高射砲、快速艇などで武装し、ミサイル以外のあらゆる武器を使用し殺し合い、大量の死者が発生し、巻き添えになった市民も多かった。…