ソ連初の核実験!!
実験による放射能汚染[編集]
実験によって生じた死の灰は東北に流れ、実験場を越えてロシアのアルタイ地方辺りまで汚染された。特に爆心地から東北へ100km離れたドロン(Dolon)という村の放射能汚染が一番酷く、実験当時の被爆量は一時間当たり28ミリグレイ、現在までの総被爆量は350ミリグレイと計算されている[1]。現在も周辺住民の多くが癌などで命を落としている。
なお、現在では爆心地には記念碑が建てられているが、セミパラチンスク実験場では放射能除去は行われていないため、みだりに近づくべきではない。