三笠宮さまは天皇家の“ヤバすぎる秘密”をご存知だった!? ユダヤ(古代イスラエル)と日本の知られざるつながりに戦慄
先月27日、三笠宮崇仁(たかひ
と)親王殿下が薨去(こうきょ)さ
れ、今月4日には一般人の本葬
に当たる儀式「斂葬(れんそう)の
儀」が東京都文京区の豊島岡
墓地で営まれた。昭和天皇の末
の弟君で天皇陛下の叔父にあ
たる三笠宮殿下は、古代オリエ
ント史の学者としても知られる
が、当初から研究のメインテーマ
が「古代イスラエル」そして「聖
書」だったことは、あまり知られて
いない。
天照大神を先祖とする皇族
が、異国の宗教であるユダヤ教
の聖典を研究されるというだけで
も興味深いが、実は三笠宮殿
下は、古代イスラエルと日本の皇
室との関係、つまり日ユ同祖論
的な学説について多大な関心を
持たれ、調査されていた節があ
るのだ。もしも日本の天皇家と古
代イスラエルにつながりがあるとす
れば、日本の歴史がひっくり返る
事態となる。今回は、三笠宮殿
下と日ユ同祖論の謎に迫ってみ
たい。
■八咫鏡の裏にヘブライ語!? 三
笠宮殿下は調査を約束していた
第二次大戦時、三笠宮殿下
は陸軍少佐として出征されてい
た。その際、敵のことをよく知ろう
とキリスト教について調べられた
が、聖書に記述された内容が架
空の物語などではなく歴史的事
実に基づいていることを知った
時、そこから離れられなくなってし
まったという。そして終戦後は、東
大の研究生として古代オリエント
史を専攻された。しかも、旧約聖
書は翻訳では真意がつかみにく
いという理由からヘブライ語を学
ばれ、後にユダヤ人と普通に会
話できるほど堪能になられたとい
う。
やがて歴史学者になられた殿
下は、昭和28年1月、日本とユ
ダヤの関係を研究し親善を深め
る目的で結成された「日ユ懇話
会」の会合に出席された。その席
上、天皇家に伝わる「三種の神
器」の一つである「八咫鏡(やた
のかがみ)」の裏に、ヘブル語(ヘ
ブライ語)で「我は在りて有る者」
と書かれているという噂が話題と
なった。
この話には、さまざまな逸話が
残されている。明治時代に文部
大臣を務めた森有礼(ありのり)
も関心を持ち、伊勢神宮へと赴
くと、天皇でも見ることを許されな
い八咫鏡を大臣の権限として特
別に頼み込んで見せてもらったと
いう。すると、そこには実際に「我
は在りて有る者」を意味する文
字が書かれていたというのだ。
この話に強い関心を持たれた三
笠宮殿下は、いずれ調査すると
語られた。このエピソードは、同
席していた東京イブニングニュー
スの支局長がスクープして話題と
なったが、その後で実際に調査さ
れたかどうかについては発表され
ていない。
■天皇家には何らかの秘密があ
る?
この逸話を耳にした筆者は、大
きな疑問を抱かずにはいられな
かった。まず、このような八咫鏡に
関する怪しげな噂話について、
三笠宮殿下はヘブル語に堪能
なオリエント史学者として、一笑
に付すことが通常の反応ではな
いかと思うのだ。しかし殿下は、そ
うなさらず、なぜ「真相を調査す
る」と語られたのか? 実は皇室
に、古代イスラエルとのつながりに
関する何らかの話が伝わってお
り、そのような可能性があり得る
と判断されたのだろうか?
それ以前の疑問として、そもそ
も三笠宮殿下はなぜオリエント
史、特に古代イスラエル史を研
究されるようになったのだろうか?
もちろん公式には、前述のような
理由から聖書に惹かれたというこ
とになってはいるが、実は天皇家
と古代イスラエルのつながりについ
て皇室内で秘密にされていること
があり、あらかじめ何らかの秘密
をご存知だったのではないだろう
か?
■「明治天皇の孫」が語った真
実
この“皇室内の秘密”について、
筆者はまったく何の根拠もなく書
いているわけではない。実
は、「明治天皇の孫」を自称する
人物が語っている内容が、天皇
家と古代イスラエルとの関係を示
唆しているのだ。
その人物とは小林隆利氏とい
い、大正14年に名古屋で生ま
れているが、母親は「仁(しのぶ)
内親王」という女性で、その父が
明治天皇だという。もちろん、公
的にそのような名の内親王は存
在しないのだが、実際に明治天
皇に何人の側室がいたかは極秘
とされており、公表されていない
内親王が存在した可能性は否
定できないだろう。小林氏がキリ
スト教系の雑誌『HAZAH(ハー
ザー)』(2001年2月号)のインタ
ビューで明かしたところによると、
小林氏の母は明治天皇から次
のように聞かされたという。
「仁、私は天皇の権限で日本と
いう国を調べた結果、日本は、
神道である。しかし神道は、本来
はユダヤ教である。そしてキリスト
教はユダヤ教を完成させるもの
だ」
これがもし本当であるとすれ
ば、実に驚くべきことだろう。明治
天皇が自らの権限によって皇室
の秘密を調べ、このような事実が
わかったというのだ。さらに明治天
皇は、仁内親王に対して次のよ
うに語ったという。
「仁、おまえが結婚して男の子が
与えられたならば、キリスト教の
牧師にするのだよ。きっと役に立
つ時がくるぞ」
そして、小林氏の母は天皇の
遺言通りに、小林氏を牧師にさ
せた。この話は、古代の天皇が
何らかの形でユダヤ教あるいはキ
リスト教を日本にもたらしたとも
受け取れるではないか。真実で
あれば、天地がひっくり返るような
大変な事態だ。
■天皇は日本を征服した騎馬
民族(原始基督教徒)だった?
ところで、三笠宮殿下が1954
年に提唱され、初代会長を務め
られた「日本オリエント学会」とい
う学術団体がある。そして後に会
長となった人物には、「騎馬民
族日本征服説」で知られる江上
波夫氏(故人)がいる。
三笠宮殿下と江上氏は非常
に親しい関係にあったようだが、
そもそも江上氏のような学説を
唱える人物は、皇室にとって好ま
しくない存在であるはずだ。なにし
ろ騎馬民族日本征服説によれ
ば、万世一系とされる天皇家の
ルーツが実は日本にはなく、東北
アジアの騎馬民族が4世紀に日
本を征服して天皇となったという
のだ。
その江上氏だが、東大時代に
は景教(中国のキリスト教、ネス
トリウス派)の研究で世界的権
威である佐伯好郎(よしろう)氏
に師事していた。佐伯氏の学説
によると、景教は古代日本にも
伝わっていたといい、それをもたら
したのが景教徒であった古代豪
族の秦氏だという。その秦氏が、
日本の神社にキリスト教的要素
を取り込んだというのが、いわゆる
日ユ同祖論者の多くが語るとこ
ろだ。佐伯氏の弟子だった江上
氏は、この景教渡来説を日常
的に佐伯氏から聞かされていた
だろうし、その説に多少なりとも
影響を受けていたかもしれない。
景教渡来説をもっとも精力的
に展開している人物としては、ケ
ン・ジョセフ氏(ジュニア、シニアの
父子)が挙げられるが、2人の共
著である『【隠された】十字架の
国・日本』(徳間書店)には、興
味深いエピソードが記されてい
る。
それによると、ある時ジョセフ氏
(ジュニア)は、キリスト教が定説
よりも早く日本に入っていたとす
る原稿を提出したが、出版社の
編集長から「歴史的根拠がない
ため受け入れられない」と言われ
た。しかし、ジョセフ氏がその説は
正しいのだと執拗に食い下がる
ため、編集長は大学時代の恩
師である江上氏に電話で聞いて
みることにした。すると江上氏
は、「ケンの考えは、私の考えと
は若干の違いがありますけれど、
否定はできません。また、もう一
つケンに伝えてください。二世紀
に日本に入ってきた基督教は景
教じゃなくて、原始基督教が直
接入って来たものです」と答えた
という。
もっとも江上氏は、公の場では
一切そのような発言をしなかっ
た。しかしオフレコの場では、上記
のような持論を語っていたのだ。
察するところ、江上氏は師である
佐伯氏の学説である景教徒渡
来説を認めていたことになる。晩
年の佐伯氏は、(古代日本に景
教をもたらしたのが)景教徒でな
く原始基督教徒だったと訂正し
たが、その点も江上氏と同一だ。
そうなると、江上氏が説いた騎馬
民族日本征服説も(実はそこま
で公表しなかっただけで)“原始
基督教徒としての騎馬民族”が
前提にあったのではないだろう
か。
果たして、日本オリエント学会
などでつながる三笠宮殿下と江
上波夫氏の思想的共通点は
「古代イスラエル」だったのだろう
か? 筆者は、いつか機会があれ
ば三笠宮殿下に直接お会いし
て、ここで書いたことの真相をお
聞きしたいと思っていた。だが、三
笠宮殿下の薨去とともに、それも
叶わぬ夢となってしまった。いず
れにしても、今回紹介した八咫
鏡の噂は、オリエント史学者であ
る皇族までもが真剣に調べようと
していた経緯があり、日ユ同祖
論が必ずしも怪しい言説とは限
らないということはおわかりいただ
けただろう。
引用
http://tocana.jp/2016/11/po
st_11396_entry.html
画像
http://www.thinkstockphoto
s.jp/
音楽
http://musmus.main.jp/musi
c_img4.html