BATTLEFIELD VIETNAM 1 ベトナム戦争1968~1971
ベトナム戦争は、第一次インドシナ戦争の延長上にある戦争のため、第二次インドシナ戦争とも言われる。宣戦布告なき戦争であるため、ベトナム戦争がいつ開始されたかについては諸説あり、ベトナム人同士の統一戦争という観点からは、南ベトナム解放民族戦線が南ベトナム政府軍に対する武力攻撃を開始した1960年12月という説が一般的であるが、アメリカ合衆国と北ベトナムの戦争という観点からは1965年2月7日の北爆を開戦とする説もある。1975年4月30日のサイゴン陥落時が終戦である。
ベトナム戦争の本質として、独立戦争の終結時にフランスとアメリカ合衆国がベトナム全土の共産化を抑止するために、傀儡国家の南ベトナムを建国し、ジュネーヴ協定が定めた統一選挙が行われず、分断国家状態が継続されていたので、アメリカ合衆国の傀儡国家である南ベトナムを打倒してベトナム人によるベトナム統一国家の建国を求める戦争という観点と、アメリカ合衆国を盟主とする資本主義陣営とソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営との対立(冷戦)を背景とした「代理戦争」という観点もあり、二つの本質を合わせ持った戦争だった。
第一次インドシナ戦争終結後も北ベトナムが南ベトナムを執拗に攻撃し続けたため、アメリカのドワイト・D・アイゼンハワー政権は少数のアメリカ軍人からなる「軍事顧問団」を南ベトナムに派遣していた。ジョン・F・ケネディはベトナムからの早期撤退を計画するが、その計画はケネディ暗殺で頓挫した。ジョンソン大統領は逆にベトナム戦争介入を積極的に行い、ベトナム戦争介入を泥沼化させた。
なおアメリカの他には、SEATO(東南アジア条約機構)の主要構成国である大韓民国やタイ、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドが南ベトナムを支援して派兵している他、スペインは医師を含む兵士13名を派遣し、パラグアイとニカラグアが同盟国であるアメリカを支援するための派兵を申し出ている。
ソビエト連邦や中華人民共和国は北ベトナムに対して膨大な軍事物資支援を行うとともに、正規軍人からなる多数の軍事顧問団を派遣したが、アメリカやSEATO諸国のように前面に出る形での参戦は行わなかった。さらにソビエト連邦は西側諸国で行われた反戦運動に様々な形での支援を行っていた。また、北朝鮮が北ベトナム側で飛行大隊を派遣し、ハノイの防空を支援した