孔明は才能がないと思うやつ集まれ
政治…蜀は国力無いまま
これ以上盛り上がる余地は残されていないだろう。
劣化コピーじゃねぇ~
正義感か知ったかぶりか知らんが
もはや、いもしない諸葛亮信者を相手どろうなどとは
むしろ、各種サイトのアンチ意見を鵜呑みにした知ったかぶりの、誹謗中傷の方が問題だ
まだしも、1の大好きな曹操や司馬懿信者のマンセー垂れ流しの方が実態がある
正義感とひまつぶしなら、そちらを相手したらどうだ?
英雄を語る板なのに、誹謗中傷と中途半端な史実の知識を振りかざした連中の
まぜっかえし意見のせいで、まともな議論もできず、この板も三国志関係以外は、死亡寸前。
時間つぶしにもならないだろうね
まず、議案を提示する方から、まともな検証論を示さないと議論にすらなってない。
よって>>1は諸葛亮の才能が無いことを、まとめて書き出す責任がある。といえる。
まさか、>>6ではないよね?
題材が幼稚
議論レベルですらないんだよ。
正史では大政治家、演義では神算鬼謀に長けた名軍師。
>>1はまずこの評価をどう覆して無能なのか?ということの
理由から述べなければならない。
抽象的な例えで貶したところで議論になると思うなよ、甘ったれ。
さっさと削除依頼だしてこい
単なる誹謗中傷だろ
同じようなスレも以前にあったしな
少しは頭使え
げんろん弾圧するなボケ
魏に負け続けた。
政治
厳しい税をひいた。
軍役率も高かっただろう。
歴史上の功績
饅頭作ったくらい
議論のしようも無い
ここまでくると同情したくなる
おまえ、必死にお前らとは違うってとこみせたいんだろうけど幼稚過ぎw
おまえが知ってて他の奴が知らねーなんてこと何もないから。
とりあえず外に出て近所の人に会ったときの挨拶の仕方でも学んで来いw
諸葛亮は充分過ぎるぐらい成果を残してる
孔明>>>>>>>>>>>>>>>>>その他だが
饅頭は殷の時代の遺跡からも見つかってるよ
饅頭は餃子だろ
孔明は餃子作ったのか?
いや、とりあえずいるとは思う。
ただし、諸葛亮をマンセーするあまり、その他を貶すようなのは
少なくなっているだろう。と感じるな、最近は。
ちゃんと反論すること。
気に入らないと誹謗中傷だのといわずに、放置するか意見を言うかにしたほういいな。
誹謗中傷といってスレを終わらせようとするのはコピペのこのスレ終了並みの言葉狩りでしかない。
過大評価孔明のカルト信者は発狂せずにとっとと、反論しろよ。
まずこれをどうぞ
まして賢人なぞ望むべくも無い
いや、俺は前の1ではないのですが。
偉大なる曹操はそれで、政治軍事で功績を残した。
全部っどれどれ? ちゃんと言ってくれなきゃわかんなーい
夏休みの読書感想文の題材あげるよ
先生はビックリしてくれるから頑張って読みこなして
横から。
いいものありがとw いやマジで。
>>43の論文もこの2人に言及してるが、あれを読んだにしては遅すぎる
正史・演義に限らず、諸葛亮が優れた人物であった事は明らか。
ただし、演義で描かれる人物像は度が過ぎているのも確か。
漠然と語るのもアレなので、彼の主だった功績と失敗を挙げてみる。
・天下三分の計、赤壁での劉孫同盟への尽力
・蜀科制定、蜀の統治
・劉備に天下を託される主従関係
・南蛮平定
・馬謖による街亭の陥落、北伐失敗
基本的にこのてのスレって、陳寿の人物評価は妥当か?が焦点になるんだよ。
で、陳寿の人物評価を査定するために、同時期のある人物と比較し、
ある人物の、とある部分に対して、陳寿(または違う評者)がこう評価してる
なのに、この評価はと不当、もしくは、だから妥当、いう比較は有りだと思う。
でも、実際には、比較対照者の客観的な評価や、
その比較をした人物自身の判断に対する評価が数スレ続くと、
必ず自治厨がしゃしゃり出て、〇〇厨ウゼェーって言い出し、流れがブチ切られる。
2chにおいて、このてのスレは有意義な話し合いはできない。
ドコにでも基地外はいるし、基地外は自身を客観視できない。
公私の区別なく法を遵守し、自身も質素倹約していた。
統治力や法令整備もそうだが、孔明の清廉潔白な人格が大きかったと思う。
李厳が孔明の死で嘆いたのも、孔明が能力ある者を公正に重用してくれると
信頼していたからだろう。
軍才は普通。
どう考えても才能はあったが、最終目標の天下統一は荷が重かったと思う。
政治に専念しておけば、蜀も三代以上は続いたかも知れない。
孔明に代わって、軍事を担える人材が少なかったのも痛い。
韓信よりも蕭何のほうがエライ。これは常識。
諸葛亮は誰に比せられていたっけか…
政治は管仲
軍事は楽毅
しかし孔明に楽毅ほどの軍事的才能は無い
それでいいんだよ。
「戦争など愚か者のすることよ」by若本皇帝w
陳寿が三国志で孔明の事を、管仲、蕭何に匹敵すると評価してる
中国全体で徴税の対象として把握されてたのは前漢平帝の頃に5900万人前後、
後漢桓帝の頃に5000万人前後とされるんだから、中国全体で「漢代の人口500万人」だとすれば少なすぎる
「漢代の(蜀の)人口500万人」とすれば今度は多すぎる
どうせスレ違いだしどっちでもいいけどな
ハーンズの再来って言われながら世界に行けなかったボクサー何人もいるし
蜀をデザインした諸葛亮の手腕は凄いものだと思うけど…
同時代で比べても策と揚州平定で活躍しその後も呉の重役として尽力した周喩や
混乱期にいち早く勢力拡大に乗り出して最大の勢力を作った袁紹のが凄いと思うし、まして曹操とじゃ…
凄い事は凄いけど、圧倒的って程でもない様な気がすんだよなあ。
諸葛亮の死後も国が何十年も続いたのはやっぱり彼の影響もあるんだろうけどね。
>>圧倒的
? そんな、圧倒的な勢力を興すことのできる人傑がいれば
三国時代なんてきてませんよ。
逆ですわな。中原基点の勢いに対抗できる勢力を興したのがすごいと。
天府の地、蜀での諸葛亮の影響はなかなか。
当然、周瑜もすごいわな。
槍だか手押し車だかの発明がガセだったとしても蜀の富国強兵はかなり成功した部分があると思う
ただ、戦術および大戦略ではうまくいっても戦略レベルで数倍の兵力を持つ敵に勝ち続けるだけの能力はなかった
自称だが陳寿も同じく評してたと思う。
陳寿は三国志で孔明を管仲、蕭何に匹敵すると記述したけど
楽毅に匹敵するとは記述してないと記憶してる
まあそれでもわりとうまくやったわけだからやはりなかなかの傑物だろう
法正が長生きだったら陳平の位置だろうけど韓信が見当たらんからなぁ。
蜀軍全てに人望のある魏延というキレイなジャイアン級のアクロバットが必要だろうしw
やっぱり陳寿は孔明が楽毅に匹敵するとは記述してない
用兵家としては数度に渡る魏への侵攻が成功しなかったのは
孔明に(臨機)応変の才能が無かったからと言う総括
曹操だろ。
ああ、蜀漢の中で、か。
代替はせいぜい関羽だなぁ… やっぱり。
詐術に向いてないと思うから、今三歩くらい届かないが。
田豫
しかしとっくの昔に劉備に愛想尽かして去ってるから無理か
楽毅の書いた手紙に感銘を受けたんだったか?
曹操は自分が率いた戦では強いが、敵なしというほどじゃなかったからなあ
曹操もこと軍事の才能に限れば韓信には遠く及ばない。
三国時代最高の将帥は党害。
周瑜は対黄祖と江陵攻略でもかなりの戦果を挙げてるそ
それも一発屋にならないのかね…
周瑜を一発屋扱いするならば
周喩も言ってみれば辺境でしかおおっぴらに戦った事ねェしな
たしかにそれだけで最強と呼べるかは疑問
韓信に曹操のように屯田兵経営やりながら勢力拡大をする手腕があったとは居思えない。
あと支配地域に侵入されての負けは対呂布戦くらいだよな?>曹操
漢中を取り返せなかったのはノーカウント?
・後漢は人口が減っており、誰がやっても統一できなかった
(そんなら、石勒とかも言い訳できる。赤壁に勝っていれば?)
・実質的に天下の3分の2をとっており、皇帝にならなかったのは実績には関係ない
(人から名分がうばえるのと、うばうことができないの、どちらが有利か分からないの?)
・赤壁の戦いはなかった。あっても、疫病で撤退しただけ。
(三国志正史全体を全て読み返せ)
・あくまで、天下をとる気はなく、地方を孫権や劉備に任せた
(アホ?)
・時代で状況が違うため、他の時代の人物と比較しても仕方がない
(先に曹操を超世の英雄と言ったのはそっち。他の時代の人物をカスと言ってたのに)
・蜀が高く評価されるのは演義の力。曹操は実力。
(一緒だろうが。人格はともかく、実績はいつわっていない)
・曹操がいなければ、漢詩も孫子の兵法も存在しなかった。
(はいはい。なんとでもいえるね。じゃあ、孔明の饅頭も(ry )
・とにかく、石勒よりは上
(詩は書けるからな。でも、それができたのは親が金持ち(ry )
だからといって、曹操がカスという話ではないのだけど
どういうわけか、カスと言われたと思ってしまうのが
曹操信者のもっとも愚かなところ。
そんな完全無欠な人間、アニメの中しかいませんから。
持って行かれるというより、あまりにスレタイが馬鹿馬鹿しすぎる
また、ここに来る人に演義をそのまま信じる信者など一人もいない
それに比べ、蒼天を漫画的表現以外はそのまま信じる人間はネット界にも多い。
前スレの1もその類だった。
論議するなら、そっちだろ。
諸葛亮は優秀な地方政権宰相。それ以上でもそれ以下でもない。
陣形や新兵器、兵法書などを考慮した視点なら、曹操以上の名将かもしれないが、
あまりにも資料が不完全すぎる。
こんなところで論争したところで時間の無駄だ
魏蜀の情勢が変わることはありえたんだろうか
一方面の軍事だけ任される裁量しか与えられないんじゃ、姜維と立場
変わらんしね…
諸葛亮のように全権掌握なら、なんか遠からず乗っ取りそうでもあるし。
そうなれば、当然、その混乱や間隙を、魏や呉に狙われるだろうから
命数は短いような気がする。
北伐なんて無駄
馬謖を採用したのは孔明の失策だから降格して罰を受けてる
降格しても丞相の仕事は変わらずやらざるを得なかった悲しさ
モロに人材難は出てるね
孔明が叩かれるのは、演義で神がかった脚色がされてるからか?
蜀の命運を双肩に背負っている立場上、期待感も大きかっただろう。
伏龍なんて呼ばれず、蕭何っぽい人として描かれていれば印象だって
変わったんだろうなぁ。
赤壁での風を吹かす件も、孔明の祈祷との因果関係は微妙で、これ件以外、風を操る逸話はない。
魏延を危険視しながら取り除けず、馬謖には過度の期待をかけたり、自身の延命に失敗したりと、
天才軍師とは名ばかりで、わずかな成功と、数多くの失敗、判断ミスをしている。
演義を読めば読むほど、人間諸葛亮の実像、限界が見えてくる。
孔明は、自分の能力の限界に挑み、必死に抗い続けてきたんだ。
結果は伴わないかもしれない。でも、諦めてはいけない。そんな叫びが聞こえてくる。
赤壁w
内容作り話なのに史実とくらべるかw
それも火船攻撃しているんだから、元ネタでしょうが。
ただし、諸葛亮が従戦した記録はないので、虚構で妖術使わせたけど
それとて、大筋から逸脱しているわけではない。
つまり、演義の赤壁の戦いは、別に諸葛亮がいなくてもいい。
しかし、それを出すことによって印象を強めようとする手法というわけ。
だろ?
正史では魏軍に疫病が流行り引き揚げる際、置いていくしかない船団は燃やして撤収してる
武帝記だけじゃなくて周瑜伝、黄蓋伝も読もうぜ。
話題に乗り遅れながら演義の諸葛亮のエピソードを羅列したよ。
興味無い人はスルー。原文流し読み。
1:計略等で敵軍を破ったエピソード
一番オーソドックスなやつ。
・計略で夏侯惇の軍を破った
・計略で曹仁の軍を破った
・曹操の退路を読み切り、伏兵を配備した
・周瑜と曹仁が戦っている隙に、陳矯を捕えて兵符を取り上げて、南郡と襄陽を奪った
・曹操軍本体を様々な計略を駆使して
(銅鑼を叩いて不安がらせる 背水の陣を敷く 糧道を絶つ など)
終始戦闘を優位に進め、曹操を漢中から撃退した
・雍ガイ 高定 朱褒らの反乱を策略によって平定した
・董荼那 金環三結 阿会喃らを、味方の抜け駆けまで計算に入れて破った
・孟獲を伏兵で破り捕えた
・馬岱に孟獲軍の糧秣を絶たせた
・退却して見せて、追撃してきた孟獲を破り捕えた
・兵士全員に土嚢を作らせる策で、朶思大王が守る城を落とした
・趙雲らに策を授けて祝融夫人を捕えて捕虜交換に用いた
・木製の怪獣によって木鹿大王の猛獣軍を打ち破った
・地雷によって兀突骨の藤甲兵を焼き殺した
・安定太守の崔諒を偽使者でおびき出して安定を奪った
・夏侯楙らの策を逆手にとって南安を攻め落とした
・夏侯楙や偽姜維を用いて馬遵らに不信感を抱かせ、姜維を孤立させるなど
様々な策で姜維を追い込み、降伏させた
・曹真を夜襲を利用した策で破った
・城に迫る司馬懿を空城の計で追い返し、伏兵で損害を与えた
・曹真らの輸送隊を囮にした策を逆手にとり、破った
・魏延に策を授け王双を斬らせた
・カク昭が守る陳倉を電撃戦によって落とした
・司馬懿の命で武都陰平に向かう郭淮孫礼を待ち伏せて破った
・司馬懿の命で蜀陣を攻撃した張コウ戴陵を伏兵等で破った
・総攻撃に移った司馬懿の魏軍を本陣奇襲等の策で破った
・曹真を伏兵や偽装兵によって破った
・司馬懿との陣立合戦に勝利した
・退却するたび竈を増やす策で司馬懿を欺き、安全に撤退した
・偽の諸葛亮達を用いて魏軍を幻惑し、その隙に隴西の麦を刈り取った
・隴西に攻め寄せた司馬懿を伏兵によって破った
・ちょうど百日で兵卒が交代する日に魏軍を攻め寄せたとき、
あくまで交代させようとする態度を貫いて兵卒を奮い立たせ、魏軍を破った
・魏延らに策を授け、追撃してきた張コウを討ち取った
・司馬懿の鄭文らを用いた偽投降策を逆手にとって司馬懿を破った
・木牛流馬を複製した魏軍を、木牛流馬の構造を利用した計略によって破った
・司馬懿親子と魏延を谷に閉じ込め、焼き殺そうとした
(ちょうど雨が降ってきて司馬懿らは助かった)
これで「史実の諸葛亮の軍才を超えていない?」
直接戦場に立たなかったときの戦果もまだまだ有るし。
戦略的にはほとんど変化ないからなぁ
細かい戦術勝利を軍才とするなら、神がからせようと必死ではあるが
ほかの演義みたいに、勝っちゃわないところが史実を超えていないと
表現するところじゃないのかね?
>>・カク昭が守る陳倉を電撃戦によって落とした
陳倉って落としたんだっけ?
落としてるよ。98回。
魏延、姜維に「三日準備して陳倉攻めろ」と指示しておいて
関興、張苞らをそれ以上の早さで出撃させた奇襲で陳倉を落としてる。
演義諸葛亮が勝てない原因はほとんど諸葛亮以外にある、というのが演義のスタンスだ。
勝てないから諸葛亮の軍才が史実を超えてない、なんて理屈は通らん。
ああ、確認した。
重病の郝昭が驚いて死んだってやつね。
>>なんて理屈は通らん
はは。ま、そうだろうけど、他の演義みてると、三国演義がマシで、
まだ史実に沿っていると見えてしまうわけだ、自分としては。
他のでは、勢力地図からして変わったりするのもあるしね。
ウンザリしたことだろう
話を作ってる人は天才的軍略家ではなくて講釈師みたいな庶民だろうから軍事はわかんなかったんだろうね
/ \
/ :::─:::::::─\
/ <●>:::::<●> \
| (__人__) |
/ ∩ノ ⊃ /
( \ / _ノ | |
.\ “ /___| |
\ /___ /
周喩にも見事にそこを突かれた。
が、全滅はせずに曹仁らがコウリョウに残ってるので
演義ほどこっぴどくやられたわけでもなかったりする
ただ船団を焼かれちゃったのは結構な損害じゃないかね。
それに曹仁が残ってる、と言っても結局1年くらい見殺し状態だったわけだし。
北伐なんて無駄
蜀滅亡後、晋に併合されたあとは
征呉用の戦艦建設のため神聖な墓地の松柏まで刈り取られ
南中で乱が起こっても中央政府に「今は忙しい」と放置され
後には関中で増加した異民族の押し付け先になり、他の地域に先駆けて
異民族国家が誕生し、多くの住民は流民化。おかげで周辺も大混乱。
戦乱多き、大陸では断続的な戦争を続けながらも安定を保てるだけでも大変なもの
(むしろ、平和すぎれば、周辺国の食い物にされる)
三国志や蒼天ばかりじゃなく、十八史略を最低読んでから、来い
国境の国防軍が、ではなく上のほうが平和に慣れ親しむと
あっという間に崩壊してるしね。特に四川軍閥は。
討伐軍が出陣して数十日単位で陥落って例が数度もあると、もうね…
1回ずつで済んで、客もそれで腹いっぱいになって帰るんだろうが
三国演義として120回まで通して読むと同じ事の繰り返しで飽和するともいえる
劉備死後の孔明独裁政権下の蜀漢において、
人材難が発生したのはこの人が時流を読めなかったと言うのもあるから
自業自得の側面もある。
孔明並みに賢ければ劉備陣営の未来がないこと、
曹操陣営と言う新興勢力のほうが未来があることに気づけると思うんだがなぁ
この人は生前において知っていたともおもうがな
魏の曹操より漢の劉備を選んだ点に孔明の限界を感じる。
この人って賢いのか賢くないのかわかんない。
劉備のような弱小勢力で&未来無しの漢の復興掲げる連中に身を投じれば、
そりゃ人材難が発生するだろ・・・。
人材難が予想される国に身をよせたのだから、
自業自得の側面も否定できないし、
彼もそれがわかって劉備についたのだろう。
だから孔明の晩年の失策の擁護に人材難を語る人がいるが、
漢の劉備を選んだのは孔明自身でもある。
孔明ってそう考えると評価に難しい人物だ。
曹魏より劉漢を選んだ時点で賢いのか賢くないのか?
天下三分を進言できるのなら、この人は確かに時流を読めたはず・・・。
明らかにこの人は最弱の漢で、その上、人材難の場所で、
きりもりできるのだからなれるのは確かだと思う。
曹操も喜んだろうし。
最もこの人は判断力において弱い・・・ような気がする。
なにせ劉備に主従する事を決意したのは確か27くらいで、
まだ30にもなっていない時期。
この時期であれば判断力や知力は冴えていただろう。
なにせ晩年の判断ミスなどを考えると、
この時期はまだ若いから判断力が衰えているとは思えん。
その上、天下三分の進言に見られるように、今を把握できていた。
つまりこの人はわかってたんだと思うんだな。
なにせ漢も前後(東西)を合計すると400年近くも続いている。
明らかにこの人も限界だとわかっていたはずだ。
恐らく、この時期の孔明は自信家だから、自分がいればまぁ、
漢もどーにかなるだろうと思ったんだろうな。
この判断が正しかったかどうかなど誰にも解らないが、
孔明が魏にいればもっと活躍できたような気もするし、
天下統一も早まったのではないか?
そっちの方が天下万民にとってもよかったと思うが、
孔明の劉漢についたところにこの人の限界も感じる。
所詮は地方小国の小物で終わってしまった。
どうして27のまだ若い時期に、わかっていたはずである。
それなのに劉漢を選んだ、見えていたはずである。
そこに孔明の限界と判断力の不確かさを感じる。
最も三国時代に強烈な人間が一人もいないから、
孔明の評価も難しいんだよね
所詮は地方小国の宰相で終わった人だから
天下三分、いわゆる分裂状態自体は、別に悪ではないので、
三すくみ状態をつくって、慢性的な緊張感を与えることこそ、衆愚とならない
道だとしたのかもしれない。
秦の統一以来、中国は分裂と統一を繰り返すが、統一されたからといって
戦争や不平や不満がなくなったわけでもないし、分裂だったから
社会が停滞したわけでもない。
分裂抗争が長引き疲弊すると、「だれか優秀な者によって統一を」と望み
一時の平和と今とは違う社会を夢見る。
統一王朝が腐敗すると、その矛盾は被支配層を蝕み、今とは違う社会を
作る原動力になってしまう。
北伐なんて無駄
魏とショクでは明らかに人材に差があるしね
それに魏に仕えてたら、後世でここまで神格化されてないでしょう。
良くて名文官、最悪一文官で終わってしまうかも
公明がショクを選んだ最大の理由は個人的にはリュウビが好きだったからと思いたい
正史注を記した灰焼死は孔明が魏に仕えてたら
孔明>仲達+陳群だったろうと書いてるから丞相くらいにはなるんじゃね?
魏に孔明がいたら司馬一族を抑えられたかなあ…史実通り234年に死んでりゃ無理だけど
そうじゃないと思うよ。
ただ出世うんぬんに全く興味がなかった てことはないんじゃないかな。
大体漢の丞相からして曹操自身なのに
丞相なんて置くわけない、が正しい
当時の丞相は簒奪一歩手前の専権者の座る席だ
呉は置いていたりするが
丞相でなくとも大将軍、録尚書事あたりも危険。
どこか理想主義者ってな感じがする。
地方小国に身をよせれば華々しい活躍なんて
そりゃ当たり前だができない。
だけど劉漢を選んだのは孔明自身でもあるからね。
>>恐らくジョウショウにはなれなかった
それは孔明を貶めすぎていると思う。
俺は孔明が三国一とか思わないけど、
少なくとも有能である。
魏に孔明に比肩できる奴は具体的に曹操以外でいたか?
国力差がありながら魏の司馬懿と対等に渡り合ったのは、
それだけ力が備わっていたからでしょう?
大国の魏と、名将の司馬懿と対等であれたのなら、
それこそそこまで貶めるほどではない。
むしろ孔明を貶める人たちに述べたいが、
魏が孔明で、蜀漢が司馬懿だった場合、対等に競い合えたか?
そういうシュチュエーションで考えると、
孔明は卑下される存在ではない。
魏に仕えてたら、ジョウショウになれなかったと言うより大職につく機会が無かったと思う
魏は赤壁で負けたけど、その勢力は圧倒的で、魏、呉に続く勢力はなく、シュウユ早死のことを考えるとおそらくリュウショウ勢力も魏に丸呑みされ、こうなると呉は四面楚歌状態で滅亡待ち。
リュウビもケイシュウ取れずに野垂れ死に。
こう考えると公明が魏に仕えたとしても活躍する場がほぼなく、活躍したとしても治世の名文官止まりだと思う。
ジョウショウになれたとしても武の面では力を発揮できなかったんじゃないかな
でも孔明は具体的な結果がないやん。
有能だけど、結果がない状態で終わった。そんだけ。
所詮、地方小国の宰相だからねぇ。
>>141
結論からいえばだれもわからないけど。
歴史上に名高い宰相として後世に伝わっているのは
なにも結果だけじゃない。
それに、結果で諸葛亮を評価しているのを見たいなら
舊唐書でも読めばいい。南詔伝でも見ればいい。
名高いわけのひとつとして、託子の遺命のこともあるよ。
舊五代史を読めばいい。
なにをもって「中国史上でもとるにたらない人物で終わった」などとするか。
2ch自体にアンチ世論的な風潮があるからな。
それに演技でのありえない鬼神っぷりも原因だろうね。
個人的には>>141と同意見だな。
孔明あっての蜀であり、蜀あっての孔明だったろうね。
たとえ魏に仕えて大出世したとしても、中国歴史上の一名将どまり。
これが知名度としてのシバイと孔明の差。
蜀に仕えてからこそ神格化され、後世にまで名が残ったと思う。
バカはきさまだ
そこまで持ち上げられる存在でもないよ。
孔明アンチ派はそこまで悲観しなくてもよい。
孔明は有能だけで結果なし、の人だから。
もし孔明が魏を選択していたのなら、
魏主導の天下統一も可能だったと思うけどね。
劉漢を選択したところに、そこに孔明の限界を感じる。
だから地方小国の宰相で終わってしまった。
中国史上でもとるにたらない人物で終わってしまった。
孔明は魏にいけば・・・・と思う
歴史上に名高い宰相になれたのではないか
そこに孔明の知力の限界を感じる
相手に好き勝手攻めさせなかった事実はなんで評価されにくいんだ?
当時の国力、人材の厚さを考えたら守りきっただけでも賞賛に値するがな。
「物語の様な奇策法術をあやつるスーパーマンでは無かった」なら解るが、
逆にベクトル振って「実は無能でした」みたいな言い方するやつが最近多過ぎる。
それこそ脚色曲解もはなはだしいと思うがな。
>>事実はなんで評価されにくいんだ?
結果がでてないから、と言いたいんでしょうね。
でも「結果的」に、後世諸葛亮の名は一定の知名度をもって語られることに…
>>145
無能とは最近言われなくなったけど、今度は小物といわれるようになったっぽい。
釣りでしょ
曹操の再評価と一緒だよ。
確かに曹操が当代最強の軍人であり中国史上でも屈指の器用貧乏だという事に異論はないが、
さすがにゴンタが見せるような世界征服まで成し遂げそうな魔人ではない。
もっともそんな釣りとしか思えないようなマンセーも最近じゃいないから、諸葛亮を過小評価する連中もそのうちいなくなるだろう
感情的になることもありゃ、派手に勝つ時もあり、また負ける。
中国屈指の名将ではないが、興味深い人物だ。
張雲、ショウエン、馬忠あたりにこの仕事が託せればねって思うけど。
孔明が成都で内政、芝居が北方で外征してるうちはいい。
でも孔明の死後、芝居がどうするか・・・?
やっぱりifって面白いな。
例えるならヒキニートが零細企業の仮採用の身分で
業界2番手との提携を取り付けるようなもの
現代にこんな才能の持主がいるだろうか
ヒキニートはヒキニートでもオックスフォードの大学院卒のヒキニートだがな。
しかも各国首脳格にコネのある。
正論だね。孔明は自分の無能っぷりを自覚しして、地面に頭擦りつけながら「もう二度と調子こきません。ごめんなさい」って謝罪したほうがいいと思うよ。
北伐なんて無駄
蘇子瞻以仁義詐力雜用而取天下,為孔明之所以失。
(中略)凡蘇子之持論甚至而事甚美。雖然,吾以為蘇子書生也,不識理勢,
且又不讀書,不考其時事。夫荊州用武之地,孔明之初見昭烈已言之。
(中略)昭烈之不忍 (取荊州 )故仁也,而孔明之計非不義也。
當陽之敗,幸而夏口尚有歸,又幸而孫氏不與曹氏合耳。不然,昭烈之首已懸之許昌矣。
吾故曰蘇子不曉理勢也。昭烈之入蜀,劉璋逆之,欲破張魯,孔明不在行也,
其即會而欲掩劉璋者,龐統、法正也,而昭烈不忍也。
既劉璋微覺之,而不給軍食,所至以兵守關隘,昭烈欲歸荊州,
而跋尾之不能,且立槁矣。劉璋焉子也,焉不卹宗室之阽危而據險自固,
朝貢倶廢,又擅造郊祀、乘輿法物,非叛臣而何?
璋之立,未請命也,曹氏之拜官,曹氏與國而已,義以討之,夫誰曰不宜!
吾故曰蘇子不讀書,又不考其時事。(中略)蘇子一妄庸人囈語也。
最近どこででも極論で孔明叩きの書き込みを見かけてやれやれだ
逆脚色にも程がある
反発がでかくなるのはしょうがないっちゃしょうがないな。
肯定はしないけど。
・・・どちらにせよ孔明は無能だ。
三国志好きにまともな奴はいない
いたとしても、ヤクザの中で善人を見つけるようなもん
youがまともな人間に見えない件
どうした、なにがあった?
相談ならのるぜ
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/4a/8309a8dd209c8c57fe9e7efa15350c2d.jpg
孔明鎖
http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/rouishingoh/cabinet/zakka_toy/komei02.jpg
輜重車
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3816/heikijiten/sensya/sityousya.gif
連弩
http://w3.shinkigensha.co.jp/book_naiyo/images/4-88317-211-2p1.jpg
孔明灯
http://pds.exblog.jp/pds/1/200806/29/08/c0156908_20215337.jpg
孔明饅頭
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北伐なんて無駄
軍事…弱い
政治…偉い
個人の能力で、1国として体裁が整った勢力に対して、
圧倒的な戦力差があっても、そうそうどうにかできるものでもない
多少暴論だが、国を征服するには、その国に内憂が起こっていることが条件といっても良い
曹操であってもシバイであっても、当時の魏、蜀の関係を考えれば、北伐を成功させることは
困難といえる
そもそも皆興味無いしな
地猖星なんて
毛頭星ってどっからついたんだろ
七光りなら無能の可能性も有るが、元々ニートだしな。
,i’:r” `ミ;;,
彡 ミ;;;i
彡 ⌒ ⌒ ミ;;;!
,ゞi” ̄ フ‐! ̄~~|-ゞ,
ヾi `ー‐’、 ,ゝ–、’ 〉;r’ やあ、ひさしぶり
`,| / “ii” ヽ |ノ 俺のことおぼえてるか?
’t ト‐=‐ァ / おまえら俺のこと売国奴って言っていたけど
,____/ヽ`ニニ´/ 本物の売国奴はひと味違うだろ?
r'”ヽ t、 /
/ 、、i ヽ__,,/
/ ヽノ j , j |ヽ
|⌒`’、__ / / /r |
{  ̄”ー-、,,_,ヘ^ |
ゝ-,,,_____)–、j
/ \__ /
| ”‘ー‐‐–
______
/ \ /\ ネットではみんなが曹操を天才・詩人・超人とほめてる
/ し (>) (<)\ もう蜀なんて入れる奴居ないだろ…
| ∪ (__人__) J | ________
\ u `⌒´ / | | |
ノ \ | | |
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/ \ ─\ チラッ
/ し (>) (●)\
| ∪ (__人__) J | ________
\ u `⌒´ / | | |
ノ \ | | |
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/::::::─三三─\ >曹操患者が鬱陶しいので蜀に入れるわ
/:::::::: ( ○)三(○)\ >曹操患者が発狂するのが楽しいから とりあえず蜀に入れることにしておくわ
|::::::::::::::::::::(__人__):::: | _______ >曹操患者発狂目的で蜀しかありえない
\::::::::: |r┬-| / | | | >曹操患者がファビョルの見たいから蜀かな。
ノ:::::::::::: `ー’´ \ | | | >蜀一択だろ。ばかじゃねー
握ってたのだし。呉 諸葛氏の滅亡とともに三国分裂は崩れた。 鼎立とは良く
云ったものだ 敵国滅んで 謀臣滅ぶ の逆だ。瞻が 黄某と表裏関係で季漢
を動かしていた との表記を 某志で見たような気がする。
六朝において その手法は、結局、潁川・山東貴族に受け入れられ、英雄として
今に至る。 なんかのゲームの 七英雄のようだ。
_,, -ー ,, / ⌒ ⌒ 丶 あれれ、日本・中国で曹操の人気は高いんじゃなかったんだっけ?
/ ” `..,:. <●> <●> 丶 日中両国で魏にまったく人気がないのが発覚してもいまだに曹操患者やってて楽しい?
:/ 曹操患者 :::::i:. | (__人__) | いつも一人寂しく劉備へのネガキャンはってるの?
:i :::::!,, ハッ \ |∪| 、____
ヽ…..::::::::: :::::i ハッ / ヽノ ___/
r “ .r ノ~. ハッ 〉 /\ 丶 孔明を口汚く罵るしか楽しみ無いの?
:|::| ::::| :::i. ゜。  ̄ \/⌒_) ねぇどうなの?どうなの?
:|::| ::::| :::|: } ヘ /
:`.| ::::| :::|_: J´ (( トントン
____
/ / \\
. / (;;..゜);lll(;;..゜)\ このガキャあああああああ
/ ⌒(__人__)⌒ \ ナメてんのかああああfさdkjh;flsだhf
| ノ( |r┬- | u | ________
\ ⌒ |r l | / .| | |
ノ u `ー’ \ | | | 情弱の蜀ファンごときが調子こいてじゃねええええ!
/´ .| | Sotec | そのうち蜀に投票したことを後悔する日が来るぞ!
| l プルプル u | | |
ヽ u -一ー_~、⌒)^),-、 | |________|
ヽ ____,ノγ⌒ヽ)ニニ-___| | |____
当時の魏の状況考えても呉や公孫淵や鮮卑等の遊牧との対魏包囲網作れば蜀が魏に勝てる可能性だって
十分あったのに孔明の唯一の戦果2郡は批判されても仕方がない。
第一次北伐で長安にぶち込んで鮮卑との後詰めありゃ籠城してりゃ簡単に手出せねぇだろ
蜀の方が早く軍は到達すっし
そんな簡単に事が運べば苦労はねえよ
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ノ川 ||l||l||ll
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ノ川 ||l||l||ll
中国の四川省(三国志の時代の蜀の国)のチベット自治区美人谷出身
映画レッドクリフの主題歌を歌ったalanさん
http://alan-web.jp/profile/
外見の特徴が、孔明のカミさんの歴史書の記述とほぼ同じ
政治と関係がない
いいとこ取りをして哲学に流用したのは日本人
“連中対“
外交上のbalance of powerと同様の天下三分の計そのもの。赤壁で呉と組んで魏を退けただけで無く、呉を消費させた上で荊州をくすね取り、そして巴蜀をも劉璋から奪い取ったその思案が三国志の全ての元ね。
逆を言うと劉備はリアンにそのカリスマを利用され担がれてしまった感が強い。
軍人でも武将でもはないから軍事において功績が少ないのは当然。
内政、外交面では文句なしの手腕を発揮し
留守役が主だったのもそのためである。
それでも劉備や将軍達は進言を孔明に求めた。
才能なしの凡人に果たしてそんなことをするだろうか?
人物の資質を見抜く力は超一流と言われた劉備が
「孔明は水のようなもので私は魚。孔明なしでは私は生きられる。」
と言わしめ、反発してた関羽とチョウヒも孔明の才覚の凄さを見て
「すまなかった。これからは協力する」と素直に頭を下げたほど。
苦戦してた定軍山の戦いでは孔明が来て、曹操軍名将の夏侯惇を討てたし
異民族のリーダー孟獲に7戦全勝し捕らえては離してあげ
孟獲に「あなたには絶対勝てません。二度と逆らいません」
と言わせ心服した。これにより異民族との衝突が消え統治出来た。
また孔明は軍略だけでなく
政治、医療、気象予報、工具開発、治水工事、兵糧管理
と様々な分野で手腕を発揮。 今で言う博士に近い存在になり
特に武器開発は素晴らしく悪質な剣しかなかった当時
槍や刀を開発したのが諸葛亮と言われている。
それから当時一番悩みの種だった前線への兵糧を一度も遅れず
スムーズに届けられたのは孔明がいたからだと言われている。
今で言う 三輪車?を開発し山道での運送を楽にしたのも孔明。
当時、漢民族だけでなく差別されてた少数民族にも自治を授け
物資を与え暮らしを楽に豊かにさせ、非侵略者の聖人として
崇められた偉人は三国志の歴史でも彼だけ。
孔明が明らかに失敗したのは人事だけである
孔明の死後、蜀は汚職など政治の腐敗が顕著になり
やがて滅亡へと突き進んでいく・・・