もし本能寺の変の時に信忠が脱出できていたらどうなてたか想像スレ
前スレ
もし本能寺の変の時に信忠が脱出できていたら…④
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1501005519/
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もし本能寺の変の時に信忠が脱出できていたら…③
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1486718077/
もし本能寺の変の時に信忠が脱出できていたら…②
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1474260611/
もし本能寺の変の時に信忠が脱出できていたら…
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1384251637/
乙です
クソスレ立てるなボケ
クソスレというか、やたら秀吉推しのクソレスなら散見されたが
織田の当主として信忠の指示で討伐する以上
信忠が討伐する事になるだろうけど
秀吉には相応の恩賞を与える必要は出てくると思われる
何でわざわざ秀吉が帰ってくるのを待たなければならんのだ
ともかく秀吉に謀反させるきっかけや理由を作り出したくてしょうがないんだろうが
信忠が本能寺から逃げてきて直後に間に合わせの兵で
無理矢理自分で討伐するというのは考えにくい
まずは全国の方面軍に明智を討てと命じて
自身の安全確保を最優先させるのが普通
独力じゃ織田家には敵わないし、他国を巻き込むにしても織田と天秤にかけられたら不利
畿内や周辺の諸勢力に明智追討令を出せばいい
まして明智軍は自壊してる可能性濃厚だから倒すのにそんな大軍も要らん
信忠消しきれなかっただけで
そこまで史実と明智軍に違いがあるとは思えない
織田の中でも最強クラスの明智軍が周辺勢力や信孝ら程度に
そう簡単に負けるとは思えない
俺も信忠が生きてたら即光秀終了って意見には同調しかねるわ
もしそんなに信忠が重要なら光秀は本能寺と妙覚寺両方を同時に責めたはずでしょ
光秀的にはとりあえず信長さえ倒せばなんとかなると目算があったんじゃないかな
同時に襲撃かけるはずだったけど手違いで遅れたらしい
このグダグダ感が本能寺前後の光秀のどうしようもなさを表してる
二条城の戦いで、戦準備もままならず、自軍の20分の1以下の信忠軍相手に明智光忠重傷、明智孫十郎はじめ数名の幹部が討ち死にするという醜態を晒した明智軍が何だって?
近衛前久に屋敷を貸してもらって、ようやく屋根から狙撃することで二条城を落とせた弱小明智軍が何だって?
史実でこんな醜態を晒した明智軍に未来なんかあるわけないだろ。
織田軍の中で最強クラス。
センゴクとか漫画の読みすぎ。
丹波平定に4年もかかり、以後はほとんど実戦から遠ざかっていた弱小軍団。
丹波亀山・近江坂本と拠点2つを守らなならんし
方面軍クラスが攻めこんで来たら無理だろうとは思う
むしろ光秀とは無関係であることを証明するため一番必死になって戦いそう
敵対はするだろうけど自分からそいつらだけで攻めるとは思えないな
決戦兵力として使われ相応の功績にはなるだろうけど
史実でも途中までは基本織田家の人間を旗頭に利用してるからな。
信忠生存だと、そこから指令が来るので、秀吉自身が他の織田家有力家臣を史実のように配下に出来たとは思えない。
台頭するとしても、二番手・三番手から柴田より上の織田家家中の筆頭扱いに昇格する程度だろう。
もちろんそつなくこなせる成人した当主の信忠政権下での恩賞争いになるだけ。
乗っ取るつもりなら、秀吉は傀儡に出来る織田家の誰かを旗頭にしなけりゃいけないが、
幼少の三法師みたいな存在はいないしな。
普通に考えれば、年齢的に信忠より秀吉の方が早く死ぬ。
信忠が早く死ねば、秀次が亡くなった後の秀頼政権を好き勝手出来た家康のようにも出来るだろうが。
武田攻めを指揮したように、北が柴田軍・西が羽柴軍・南が信孝・丹羽軍・中央が明智軍、
そして東が信忠軍って感じよね。
最初、信長が本能寺で謀反の知らせを聞いた時、最初、「信忠が謀反を起こした」と勘違いしたと言う話もあるよな。
信忠は中央の兵力を率いての遊撃軍だと思うんだが…
東は滝川じゃないの?
んで、好機なり危機なりの所に駆けつけてとどめさしたり救援したりする役割かと。
信忠が遊撃とか。
武田征伐を知らないのかな?
正確に言えば、尾張・美濃を支配している信忠が軍勢を率いて、東の武田を滅ぼして、
当主の信忠をずっと関東に置く訳にはいかないから、関東取次をしていた一益が派遣されたような感じだね。
自分で支配域を切り取っていった柴田や羽柴・明智とは立場が異なり、一益の場合代官のような感じだな。
いや、だって播磨とかに応援に出たりしてたよね?
滝川その他が防衛、調略、攻撃を担当してた武田が弱体化したから大殿信長のもとに当主信忠が中央の兵力を使って武田撃滅、その後滝川が東に常駐して信忠は毛利撃滅の為に西へ。って流れでしょ?
これって遊撃じゃないの?
幼少の三法師を利用して織田家を乗っ取ったのに、
自分で代理役もちゃんとやれてる秀次を我が子可愛さに殺して、有力家臣の家康に乗っ取られてるからなぁ。
織田政権の場合、謀反で当主二人が死んでる事故だけど、豊臣政権の場合、自分で崩壊させてるからなぁ。
因果応報だな。
羽柴家も秀勝(史実通り早死にするなら別の織田一族)に乗っ取られて終わり
他の各方面軍の司令官はまだ強敵と対して、恩賞を得る立場にあったけど、
光秀だけはやる事が中国攻めの加勢と言うだけで直接担当が無い。
長宗我部の長年の関係で、次は四国担当狙ってたんだろうが、信孝・丹羽に取られた事も多分に影響してるんかな?
まあ個人的に義昭黒幕説は低いと思うが
あれは相手に合わせて適当なこと言ってみただけで
光秀が本気で幕府再興を目指していたとは考え難いという見方が一般的
むしろあんないい加減な内容の書状を出してることから
本能寺は計画性の無い突発的犯行だったのではないかと考えられる
何かしら追い詰められてたんだろうけど、一つの理由じゃなく複数の理由があったんだろうな。
他の有力家臣は仕事があったのに、担当地域で仕事が何も無くなった疎外感。
長年、長宗我部担当をやって取り次いでたのに、四国担当と思いきや、外された失望感。
何もやる事が無くなった上に、中国攻め支援をやらされた事でのいつかは方面軍指揮から外される事への恐怖感。
地位が急速に登ると、そこから転落する事の怖さは分かる気もする。
近畿で大勢の軍を率いていた重臣の立場だったのに信長に追放された佐久間信盛なんかの姿も考えて、
担当地域でやる事が無くなった俺もそうなるんじゃないか・・と思っても仕方がない。
性格的にも光秀って繊細そうだもんな~
書いてる事すごいわかるわ
現代にも通ずる
大兵力が近国でブラブラしてるのは単純に危険だからな。
事実、その通りになったよな。
天正元年にはその任務が始まってる
それはわかるんだけど、当主だから織田の本領である美濃尾張を治めてて、その横にたまたま武田がいただけで、武田に対する為に美濃尾張を貰ったわけじゃないと思うんだが。
で、各地に援軍、っての、それこそ遊撃じゃない?
武田が滅んだあとはまた状況が違う
濃尾の織田家当主と織田政権の遊撃担当を兼任してたと言える
織田の遊撃軍とは特に対応する敵大名を担当せず必要に応じて参戦することを指すのが妥当じゃないかな
滝川とか九鬼や一時期の明智がそれになると思ってるんだけど
格から言えば、織田家当主だし柴田や羽柴より上だけど、やった事を考えれば東国方面軍と解釈してもいいと思われ。
徳川は武田と接して戦ってはいたものの、1万動かせたかどうかで、
信忠のように5万動かして武田を滅ぼせる実力持ってた訳じゃないし、補助要員だろう。
本能寺の変当時を織田家管轄地域で整理すれば、
北陸軍(支配:越前・加賀・能登・越中)兵力5万 敵:越後上杉(柴田攻勢)
東国軍(支配:尾張・美濃・甲斐・信濃)兵力5万 敵:越後上杉(森長可攻勢)
関東軍(支配:上野・信濃一部)兵力2万 敵:越後上杉(滝川攻勢)
近畿軍(支配:丹波・丹後)兵力1万 敵:特に無し
四国軍(支配:摂津・河内・和泉)兵力3万・・阿波・讃岐の三好勢力含めて 敵:土佐長宗我部(信孝・丹羽攻勢)
中国軍(支配:播磨・但馬・因幡)兵力4万・・備前・美作の宇喜多勢力含めて 敵:安芸毛利(羽柴攻勢)
・・こんな感じか。
遊撃と言っても、柴田・羽柴も時々担当区域外に色々援軍してるしな。
信忠は東国の担当兼、織田家当主だし他の方面軍司令官より格が上だから、総大将として色々各方面軍の援軍で指揮してる感じよね。
総括してる信長から見れば、信忠は濃尾の支配地域もそうだし、東国担当の意識だったかもな。
良く使われる、1万石=兵力250人で計算すると、最大動員兵力は20万3千人となる。
やっぱ、豊かな畿内・その周辺の近江・美濃・尾張・伊勢・越前(この5カ国だけで295万石)など高石高の豊かな国を抑えられたのは大きいな。
本当に統一まであと一歩だったな。
本能寺時点で織田に従わないのは、長曾我部元親、毛利輝元、上杉景勝だけ。 、
九州にも島津義久宛に「西から毛利と挟み撃ちにしたいんで、北九州の大友と仲良くして手伝えや」の使者を送って、
義久も了承してたらしいからな。
すると、大友も島津も仲良く織田に恭順して、九州討伐もなく、毛利と長宗我部だけで西は片付く。
東も北条が表面的には滝川の陣営訪れて友好ムードで、奥州の伊達輝宗などもすでに織田に友好の使者を送ったりしてる。
すると東も上杉だけ。
マジで統一寸前だったね。
毛利はあの勢いだったら、羽柴の軍と信長軍を合わせて和睦も無く潰してしまいそう。
もちろん、長宗我部や上杉も。
毛利や上杉・長宗我部の跡地に羽柴・明智・柴田・丹羽を飛ばして、転出した後は直轄領か息子配置かね。
遠国を外様、その間に譜代、近国を親藩・天領化する徳川幕府の政策に似た感じになる感じか。
信長は抗戦してこない奴に対しては寛大だから敵対しない奴は生き残れる
土佐と阿波の一部って信長に言われて一回拒絶したけど最終的には受け入れてたやつやな。
信長存命中にそんな寛大な処置受けたのなんて村重ぐらいで結局はプレッシャーで潰れたわけだし
中央に近いほど安堵は厳しいだろうけど
九州、関東、東北辺りは素直に従えばそこそこで許されると思う
ただ羽柴筑前や惟任日向などのネーミングを見る限り九州は分捕る気満々だったような感じもする
海岸進出するつもりならそのための拠点も築きたかっただろうし
その理論でいうと東北も獲る気満々になるんだが…
>>59
信康死後徳川との婚姻話を出すないし進めた感は全くないし
松姫が信忠の元へ行くという前提をはさむけど松姫が信忠の元へ
いったら徳川より北条とがちがちにしていきそうな感はある
>>66
武田は完全に滅ぼしてないよ
信玄-勝頼流が滅んだだけで武田の名跡は穴山が継いでるし
信長もそれは了解済
東北でなんかあったか?と思ったけど秋田城介のことか
あれは征夷大将軍の類似官職みたいなものじゃなかったっけ
それは左馬頭じゃね?
それと北条は出来れば領地削っておきたいとこじゃないのかな
畿内から遠い関東とはいえそのまま残すにはさすがにデカいし
秀吉が討伐した頃の北条ならともかく
織田に従った時期の北条なら相模伊豆武蔵くらいだから
そのぐらいは許しそう
大和の筒井・丹後の長岡・摂津の高山・中川辺りは少なくとも国替えだろうなぁ。
宇喜多辺りも旧毛利領に飛ばされそう。
もちろん移らなければ取り潰しで。
長門・周防・・宇喜多
出雲・石見・・明智
安芸・備後・・筒井
残りの毛利領・・中小外様
四国は信孝・丹羽等とその与力衆で分割か?
三好は伊予あたりに移動か?
>>52
筑前あたりは大友から召し上げで、秀吉あたりに与えそう(でも博多は直轄地)
大友は本領は豊後・筑後と毛利攻めを手伝えば豊前も付くかも。
蒲生とか少領ながらずっと地元って感じになるかな
娘婿としてそれなりに箔付ける為に
転封させて30~40万石ぐらいはいけるか
どれもこれも徹底抗戦してた敵対国ばかりだから当然と言えば当然
というか降伏しても結局潰されるって思うから戦い続けたんだよな
本領安堵されても後から難癖つけられて腹切らされたりするし
敵対もしてないのに本領安堵から言い掛りで腹切らされた奴なんていたっけ?
友好関係にあった北条はどうなるか
このスレの設定だと状況が変わるからまた違ってきそうだけど
将来は婚姻政策でがっちり固めてたかな
もともと徹底抗戦から籠城までしてからの降伏なのに
いつまでも反抗的なんだから
大坂の本願寺は紀伊に退去したけど、その後、どう言う末路になるか分からんし。
三好も長宗我部の敵の敵は味方論理でとりあえず織田が引き取った感ある。
完全に臣下にならないと、北畠のように養子で乗っ取られたあげく、一族族滅。
だいたいは朝倉・浅井・波多野・武田のように、一旦、敵対したら滅亡。
上杉は謙信時代からの長い因縁でまず滅ぼされる。
毛利は「出雲・伯耆・備後・備中・美作の5カ国放棄」の条件を安国寺恵瓊を介して秀吉に提示しておいたっぽいけど、
それから信長がさらに大軍で援軍で来るのにそれで済んだとは思えない。
現に織田は西から毛利を挟撃するために、大友と島津に和睦の要請をして、義久もそれを受けている。
信長は毛利・長宗我部などは滅ぼす気満々と見た方が妥当。
武田は完全に滅ぼして、同じように長年敵対している毛利の方は許すとかまず有り得ない。
一応は友好的なままだが、隙あれば周辺に手を出そうとする気がありすぎる。
豊臣政権に対した時の中央政権への対応を見ても、
「これぐらい周りにちょっかい出しても見逃してくれるんじゃないか?」みたいな態度の
戦国時代のノリがどこかで出てきそうなんよな。
どこかでヘマをして、減封なり改易なり、腋の甘さが出てきそう。
豊臣政権における毛利の小早川隆景のように時流が分かってる人がいなさそうに思える。
北条家で唯一時流が分かってそうな氏規の発言権もそこまで無さそうだしな。
毛利の小早川隆景は中央政権からの警戒心を解くために、積極的に四国攻めや九州攻めに毛利家として積極的に頑張ってたが、
北条はそんな風に引っ張れそうな人がいない。
安土の技術から八王子城の石垣建設の参考にしてたという話があるな
実際北条家って織田家にはさっさと服従して
信長存命時には完全服従だが
秀吉には最後まで従わなかった
外交戦略が極端で読みにくい
秀吉陣営に加わらなかったという話もあるな
織田家が健在なら上杉はまず助からないだろうから
逆に織田には史実通り従ってる可能性はあるのかも
少なくとも北条は自分から織田(滝川)を攻めた史実は一切無いよ
最初に手を出したのは確かに滝川だが、上野方面に北条はすでに5万の軍勢を動員してて、
滝川が動かざるを得ない状況にあった。
6月18日に、滝川が北条方の金窪城を落としたが、
翌日19日に北条勢「5万」と滝川勢2万の神流川の戦い。
何で翌日に北条が「5万」もの大軍で戦えてるのか?って事だよな。
つまりすでに動員令掛けてて、国境周辺をウロウロしてたって事。
・・5万の軍勢を上野付近にすでに集めてて、今にも襲い掛からんとしてるんだから、北条はほぼ敵対状態なのでは?
信長の直後に国境付近に大軍動員するのは友好国だったら言い訳出来ない状況。
普通に敵対行為。
>信長の直後に
信長の死去直後に。
自国の国境周辺に大軍集めてて、仲良くしましょうや・・は無いよな。
信長死亡で信濃も甲斐も大混乱してる状況で兵を集めて警戒するのは当たり前だよ上杉らもいるんだし
だからこそ氏政は滝川に信長死亡しても敵対する意思が無い事をいち早く書状で伝えてるのに
問答無用で先に侵略して城まで攻め落としてるのは論外
さすがにこれで北条のせいとか言い掛りにも程がある
五万の北条本軍も上野に襲いかからんとなんて全くしてない
最初から最後まで北条領土内で攻めてきた滝川軍追い出したのが神流川合戦
神流川と金窪の位置関係見れば言い訳のしようがない完全な焦った滝川の勇み足
北条軍は滝川がいる間は最後まで上野どころか国境線にさえいた記録がない
そもそも神流川の古戦場(埼玉県児玉郡上里町付近)ってほぼ上野の国境近くじゃん。
信長死後直後から動員始めて、そこに4万~5万の軍勢集めてたんだから、そりゃ敵対行為と取られても仕方ないわな。
さすがに友好国に対して、そう言う事をしてて異心が無いは通じない。
滝川が攻めてきた段階ではまだ北条本軍は武蔵に入ったぐらい
あの何が起こるかわからない状況で兵を集めて次に備えるのは当たり前
しかも氏政は書状で本国へ戻るなら協力するから
協議をしようとも言ってるので兵を連れずに来る方がおかしい
滝川だって兵を集めてるし、当たり前
さすがにこれで北条が文句言われるのはありえない
徳川とかだって警戒して軍をまとめるよ、当たり前
利根川渡ってさらにその先の神流川の完全な北条領土を国境線付近というのもアバウト過ぎる
と言うか、滝川は信長の死後まず、反乱を起こして、上杉方に付いた沼田城を攻略をしてから、南に向かっている。
それで北条の主力とぶつかったのは上野国境近くの神流川。
そりゃ、反乱鎮圧中に南の国境付近に北条の大軍が迫ってるとなれば、
仇討ちにも早く上洛したい滝川からすれば早く片付けようとなるわな。
そもそも信長在世当時は北条はそんな不穏な動きはしなかったからな。
氏政が「信長死後も協調しましょう」と言う手紙を一益に出しつつ、4万~5万の大軍をこちらに差し向けてれば、
一益からすれば背信を疑って当然。
やってる事が違うしな。
滝川が攻め落とした時にはまだ北条軍はいない
にも関わらず滝川軍は利根川まで渡って金窪の城攻めまで実行させてる
数日前には準備してないと考えにくい
この状況で考えて滝川は間違いなく北条の動きなんか確認せずに進軍してる
謀反によって信長死亡後、まだ準備中の信孝以外、どの方面軍司令官もまず仇討ちの為に戻ろうとしている。
その為には軍勢が必要。
まず景勝に付いた沼田城を片付けたのも、上洛中に留守を荒らされない為の行動。
国境で不穏な動きを見せる北条を先に討とうとしたのも、上洛しようとする上州勢の背後を狙われない為の行動。
とにかく一益には時間が無かったんだろう。
一益は当然、北条側にも上洛に協力してくれるように交渉をしてたんだろうが、無視的な行動を取られた事も想像できる。
だったら、このまま上洛勢の背後を突かれたり、留守を狙われるよりは、先に攻撃して打開したいと思ってもしょうがない。
一刻も早く仇討ちの軍を起こしたい一益には悠長に出来る時間が無かったのが大きな要因だろう。
滝川一益が時間がないと認識していたのは同意
国境線で不穏云々は滝川軍が攻めた時に北条軍は国境どころか
まだ武蔵に入ったかどうかさえまだ不明なのでこれは確実に間違い
そこ以外の一益の思惑は特に言い分はない
上洛したら留守に北条に所領を取られる事が予想される上野の領主に拒否される可能性も高いからな。
すると、上洛する為にも手紙とは裏腹に国境に大軍を集めて不穏な動きの北条を何とかしないと、
一益自身も軍を率いて上洛できない事になる。
後から見れば、何で一益が北条に喧嘩売ったんだ?となるけど、彼なりに必要な行動だったんだろう。
また後背地である信濃・甲斐の崩壊状態も悠長に行動出来ない理由の一つかもな。
上野だけが孤立した状態だし、じっとしてたら上杉・北条に潰されるだけと考えるのも自然。
「取り返そう」と言う意識も濃厚な土地ではある。
滝川側からすると、留守はまず狙われる感じだろうしな。
北条側の事情で考えればいくら上野が欲しくても
中央の状勢も不透明で、信濃甲斐は不安定
東で佐竹ら関東勢も不穏ななかで
滝川軍20000もいる上野を無理押しする選択肢はあまりにも無謀なんだよ
信忠が生きてたらまず逆らうとは思えない
>>86
そこら辺は未知数ながら同意
徳川の動きも読みにくくなるし
北条はかなり慎重になると見てる
北条側の認識とすれば、信長・信忠死去で中央政権も同時に崩壊して、また戦国の世に戻るだけの意識があったんだろうね。
一方、毛利の方は、織田政権崩壊後も何かしらの中央政権が残り、関係を悪くしたくない思惑も見えるな。
直接、何年も中央政権と戦って、そう簡単にはチャラにならないと感じ取ってた差かもな。
中央との経験の差と言うべきか。
書状でも信長に逆らう気が無いと言ってて
史実でも滝川に領土を攻められただけのこの時期の北条家に
信長が死んでようと本気で織田に逆らう気があったとは思えない
滝川20000のいるまま上野を無理押しするのは無理がある
北条も甲信の状況を見て動くんじゃないかな?
信濃の武将が逃げ出したのもそう
どうしても北条に非はない、無実にしたいようだが
まあ、6月19日に上野国境近くの神流川の戦場に4万以上は北条軍がいた事は事実だしな。
無実なら友好国だったはずの北条がわざわざ動員して、何故4万もそこにいたかになる。
上野で20000も籠られたら無理だよ
もともと守られると攻めにくい土地だし
中央が全く不透明ななかで下手に膠着してるのは北条にとっても危ない
あまりにも北条側の視点が無い
そして事実として北条側は疑心が無いと言っており
滝川軍が侵略した段階では軍も国境どころか武蔵にもいない
なのに利根川渡った完全な北条領土内の武蔵で北条家臣の城が一方的に落とされて
北条が悪い理由など欠片もない
後付けのこじつけの典型例
>>91
何故も何もそもそも合戦場上野でさえなくて武蔵だから
今の神奈川・東京辺りから埼玉北部くらいなんだから
普通にすぐ動員できる自分の領土での合戦だから
少なくとも滝川軍が侵略した段階では北条軍は国境どころか武蔵に入ったかどうかさえはっきりしてない
もうひとつ、滝川一益は6月10日の北条側が何の動きも見せてない段階から既に北条攻める事を名言してる
これで疑心が無いと書状で伝えてるのに一方的に落とされてるんだから北条側に非はないよ
完全な滝川の勇み足
逆にどうすれば北条は滝川に攻められなかったのか
戦国時代に書状で潔白を訴えるやつはいくらでもいるしね
北条視点で上野侵攻は難しいってなら滝川視点で武蔵侵攻はもっとそうだわな
一益は普通に行動したと思うけどなぁ。
信長恩顧の方面軍司令官としては仇討ちに早く戻りたい。
ただ、その軍勢は上洛した後で北条に所領を奪われるのは怖い上州勢の領主で構成されている。
北条が上洛への援軍を貸してくれるほど友好的でもないし、不気味過ぎる。
一益にとっては背後の信濃・甲斐での崩壊状況も耳に入ってきてるだろうし、
一刻も早く上洛する為に、軍勢の説得の為にも北条を先に倒さないと上洛できない。
錯乱では全然ないと思う。
自分でもそうせざる得ない感じ。
甲斐・信濃が混乱する中、上野で孤立したまま、じっとしているのは中央政権の後ろ盾も無くなった今、
逆に危険すぎると感じたんだろう。
むしろ軍勢を率いて上洛する為に、先に動いたと見る方が妥当。
仮にも「関東管領」的な方面軍指揮官の大役やってるんだし、
信濃の森や毛利のように放り出して逃げる事も出来ない感じだったんだろう。
武田を滅ぼしてまだ数か月の上州で完全に支配できてなかった一益の状況は色々厳しかった。
・・と言った感じだろうな。
それこそ北条が滝川に援軍つけるぐらい信用できた可能性もあると
その後に賤ヶ岳合戦のような流れになったとしても
信忠陣営に大きな戦力が増強されるのではという点が言いたい
北条家は氏直と織田とで姻戚関係を結ぼうとしていた事が信長公記その他にあるので
領土以上にそこが狙いなら信忠の存命はかなり大きいとも言える
>>98
一益が周囲を信用しなかった事自体に文句はないな
色々大変だったのは事実だし
ただ例えば信忠が生きて一益に指示が出来た場合
無理にでも早く中央に戻れと言っただろうか
滝川一益が北条も上州勢も信用してないのはその通りだと思う
無謀な武蔵侵攻に出たのもその焦りが無ければありえない事だろうし
このスレ的にはそこが変わらない限り結果は変わらないと思う
信忠が生き延びる事で滝川がもっと冷静になれるのかがポイント
立ち回り次第では北条軍は利用できたはず
武田攻めから数か月でしっかり上州勢を組織化出来るほどの時間も無かったし、
主従ともに疑心暗鬼で、現に景勝に靡いた反乱も起こってる感じだしな。
強固な織田政権の後ろ盾でかろうじて靡いてた上州勢も多かっただろうし、何年もしっかりとした与力衆が付いてた羽柴や柴田とは違い、
織田政権崩壊後では極めて動かしずらい配下だったのは間違いない。
待ってれば、雲散霧消して、信濃のように身一つで逃げ出さないといけない状況も認識してたんんだろう。
勝家や丹羽もまだ一家老職にすぎなかったのに
いったい何が優れててどんな勲功があったのかねぇ
甲賀の生まれだから、伊勢の地理に詳しいし、人脈もあっただろう柴田たちよりは。
単にコネだけじゃなくてそれなりの兵力や分限がなきゃ無理だったでしょ
親父か一益本人が外様なのにどうやってそこまで力をつけられたのかが不思議なんだわ
あと光秀と同じく鉄砲の名手だったって逸話もあるけどこれはどこから来てるんだろう
よっぽど信長に気に入られてたのか記録に残ってないだけで以前から織田家と何かしらの繋がりがあったのか
1582年(天正十年)
2月12日 武田攻め意図の甲州征伐の為に出陣。
~以降、信濃・甲斐攻略に活躍。
3月23日 論功行賞。信長より上野一国・信濃二郡を与えられる。
~以降、上野厩橋城を拠点にする。
そして、上野からの越後上杉景勝討伐支援の為、領国の組織化等準備中。
6月2日 本能寺の変。
6月7日 一益、上方での急報を知る。
6月11日付けで、氏政から一益宛てに引き続き協調する旨の書状が書かれる。
6月12日 北条、動員開始。
同日 一益、主な上州勢の家臣に上方の異変を伝える。
6月13日 一益、沼田城に攻め寄せていた反乱した藤田新吉を軍勢2万で追い出す。
6月16日 北条氏直、上野倉賀野(群馬県高崎市)付近に侵攻。
6月18日 滝川勢、北条方の金窪城(埼玉県児玉郡)を落とした後、北条軍と交戦。
6月19日 神流川の戦い(埼玉県児玉郡上里町)にて、
一益率いる2万の上州勢が北条勢4万~5万に破れ敗走。
・・まあ、実質2ケ月しか一益は上野を統治出来てないな。
これじゃ、ロクに組織化も出来てないわな。
1つだけ16日の倉賀野侵攻はない
後の他者の書状と関八州古戦録だったかに氏直が小田原から倉賀野方面へ進軍とあるだけ
倉賀野って住所も書いてくれてるからわかると思うけど
上野の箕輪城の目と鼻の先なんで
急にこんなところに利根川一瞬で飛び越えて
氏直の本軍5万に侵攻されてたら滝川軍は動けなくなる
後は同意、一益がまとめづらかった事はわかる
で中央政局の影響を受けやすい地域だったから、他地方と比べると教育水準が高かったり、情報のネットワークが発達したりしていた。忍者はそういう地域だから生まれたという感じらしい。
忍者説は置いて、滝川一益もそういう情報網と繋がりがあったとしたら面白いね
私を中二病にしてください。
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/esp/1410678230/
もっとも、まことは、人が「もし」を話すと、同じことを言うけどな
本能寺が無ければほぼ確実に生き残れたと言われてるが本当かね?
そもそも、信長の側室の一人が滝川親族だからな。
娘は信長に目を掛けられてた甥(信澄)に嫁いでいるし
秀吉は信長の息子(秀勝)を養嗣子として迎え入れてるからな
滝川以外も織田五大将は何だかんだで生き残ったと思う
光秀は生き残れないと思ったから謀反に走ったのじゃないの
自分の野心の可能性がある。
有楽の言葉を聞いちゃったからなのでは
すくなくとも>>119のような人からpgrされる事は間違いないだろうから、
脱出不能と判断したら篭城して切腹なり斬り死にするしかないのだろうな。
つくづく面子の商売だなぁ。
見込みが無いなら逃げるより城を枕に討ち死に 死体は燃やして隠すって思考かも
特に後者は信長と親子だねえ
それだけ光秀のことを認めていたという裏返しでもあるわけだが
村井に勧められたからってのも大きいんじゃねーかな
村井も文官としては相当信頼されてたわけだし
敵地で挟み撃ちとはいえ敵より軍勢は多いのにビビって単身逃げた挙句に殺された臆病者と
事実、信長信忠の首級を挙げられなかったせいで光秀が二進も三進も行かなくなったのは否めないし
再来年の光秀大河で信忠やその周辺がちょっとでもクローズアップされないかな
毛利にそんな力は無い。
ましてや輝元ではな。
秀吉が京都に戻って明智を殺し、信忠をしばらくは神輿にして柴田勝家と滝川一益を潰したら、信忠を隠居させて秀信に継がせておしまい。
更に信忠政権下での地位向上を狙って毛利や長宗我部なんかも積極的に信忠に与するかも知れん。
だから信忠が生きている場合、秀吉に史実のようなのし上がりは機会自体ない。
ただ、信忠による統治の如何によっては史実での家康のようなポジションになる可能性はある。
問題は環境の違いで三法師がちゃんとした世継ぎになるかだな
男の子が生まれなければ別だけど
正妻に生まれたら、寺行きじゃね?
三法師
その腹の子が跡継ぎになる
用済みの三法師は若くして病死
まあ信忠だって庶子(信正が実在するなら長男ですらない)だし正室が子供を産むとは限らない
信忠同様に正室の養子になる手もある