アインシュタインの一生・生涯・人生
by
sekaishi1
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公開
· 更新済み
アインシュタインの略歴
西暦 |
月日 |
満年齢 |
出来事 |
1879 |
3月14日 |
0歳 |
ドイツのウルム市に生まれる |
1880 |
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1歳 |
ミュンヘンに移住 |
1884 |
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5歳 |
父親から方位磁針をもらう |
1885 |
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6歳 |
ヴァイオンを習い始める |
1888 |
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9歳 |
ピタゴラスの定理の存在を知る |
1891 |
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12歳 |
ユークリッド幾何学の本を独習、微分積分も独習したといわれている |
1894 |
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15歳 |
父親が事業に失敗しイタリアのミラノに引っ越す |
1895 |
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16歳 |
スイスのチューリッヒ連邦工科大学を受験するが失敗 |
1895 |
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16歳 |
アーウラのギムナジウムに通うことを条件に翌年度の入学資格を得られる |
1896 |
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17歳 |
ギムナジウムを卒業 |
1896 |
10月 |
17歳 |
チューリッヒ連邦工科大学への入学を許可される |
1898 |
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19歳 |
(教師には反抗的で授業をよく休み、化学の実験中に爆発事故も起こす) |
1900 |
7月 |
21歳 |
チューリッヒ連邦工科大学を卒業 |
1900 |
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21歳 |
大学の助手にはなれず保険外交員、臨時の代理教員や家庭教師のアルバイトをする |
1901 |
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22歳 |
スイス国籍を取得、扁平足静脈瘤等から兵役は免除される |
1902 |
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23歳 |
スイス特許庁の3級技術専門職として就職 |
1902 |
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23歳 |
「アカデミーオリンピア」を設立、父ヘルマンが死去 |
1903 |
1月6日 |
24歳 |
ミレーバマリッチと結婚 |
1904 |
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25歳 |
長男ハンスが誕生 |
1905 |
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26歳 |
「特殊相対性理論」を大学に提出するが受け入れられず |
1905 |
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26歳 |
代わりに「分子の大きさの新しい決定法」という論文を提出し受理される |
1905 |
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26歳 |
「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」などを発表(奇跡の年) |
1906 |
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27歳 |
2級技術専門職へ昇進 |
1907 |
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28歳 |
E=mc2を発表 |
1909 |
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30歳 |
特許局に辞表を提出、チューリッヒ大学の助教授となる |
1909 |
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30歳 |
ジュネーヴ大学より名誉博士号が授与される |
1910 |
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31歳 |
プラハ大学の教授となる、次男エドゥアルトが誕生 |
1911 |
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32歳 |
ソルベー会議に招待される |
1912 |
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33歳 |
チューリッヒ連邦工科大学の教授に就任 |
1913 |
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34歳 |
プロシャアカデミーの会員となる |
1914 |
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35歳 |
「ヨーロッパ人への宣言」で平和行動について書く |
1914 |
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35歳 |
クリミア半島で皆既日食観測を試みるがスパイと誤認され捕虜となる |
1916 |
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37歳 |
「一般相対性理論」を発表 |
1917 |
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38歳 |
肝臓病や黄疸に罹る |
1919 |
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40歳 |
皆既日食の際、重力レンズ効果がケンブリッジ天文台の観測で確認される |
1919 |
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40歳 |
妻ミレーバと離婚、エルザと再婚 |
1921 |
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42歳 |
ノーベル物理学賞受賞 |
1922 |
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43歳 |
豪州での皆既日食でキャンベル隊が撮影に成功し一般相対性理論が確立 |
1922 |
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43歳 |
日本を訪問 |
1923 |
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44歳 |
エルサレム、スペインを訪問しドイツへ戻る |
1923 |
7月 |
44歳 |
スウェーデンのヨーテボリでノーベル賞受賞講演を行う |
1925 |
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46歳 |
ボース=アインシュタイン凝縮の存在を予言する論文を発表 |
1929 |
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50歳 |
ベルギー王家を訪問 |
1930 |
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51歳 |
ベルリン郊外に別荘を建てる |
1932 |
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53歳 |
アメリカへ3度目の訪問 |
1933 |
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54歳 |
ナチスが政権を獲得しユダヤ人への迫害が激しくなる |
1933 |
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54歳 |
イギリスからアメリカへ逃れ、プリンストン高等学術研究所の教授に就任 |
1935 |
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56歳 |
アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックスを発表 |
1935 |
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56歳 |
(量子力学と相対性理論の矛盾) |
1935 |
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56歳 |
アメリカでの永住権を取得 |
1936 |
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57歳 |
ワームホールの概念を発表、妻のエルザが死去 |
1939 |
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60歳 |
米国ルーズベルト大統領宛てに原子力とその軍事利用の可能性に触れた手紙に署名 |
1940 |
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61歳 |
アメリカ国籍を取得 |
1943 |
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64歳 |
米国海軍省兵器局の顧問に就任 |
1945 |
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66歳 |
広島への原爆報道に衝撃を受ける |
1945 |
8月 |
66歳 |
第二次世界大戦が終結 |
1945 |
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66歳 |
「我々は戦いに勝利したが、平和まで勝ち取ったわけではない」と演説する |
1946 |
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67歳 |
原子科学者緊急委員会議長となる、国連総会に世界政府樹立を提唱する手紙を送る |
1948 |
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69歳 |
イスラエル建国、テロ行為を非難する書簡をニューヨークタイムズ紙に発表する |
1952 |
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73歳 |
イスラエル初代大統領が死去 |
1952 |
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73歳 |
イスラエス政府はアインシュタインに第2代大統領就任を要請したがこれを辞退 |
1955 |
4月11日 |
76歳 |
哲学者ラッセルとともに核兵器の廃絶や戦争の根絶、科学技術の平和利用などを訴える宣言に署名 |
1955 |
4月13日 |
76歳 |
心臓付近の痛みに倒れる |
1955 |
4月15日 |
76歳 |
プリンストン病院に入院(手術を勧められるがこれを拒否) |
1955 |
4月18日 |
76歳 |
死去 |