カエサルの一生・生涯・人生
世界史に登場するカエサルの一生・生涯・人生
元老院派のスラが独宰官として絶対的な力をふるっていた時代、人民派のカエサルは迫害を避けて小アジアに逃れていました。紀元前78年のスラの死去でローマに帰り、翌年から政治活動を始めたカエサルは、財務官、按察官、大神官となって名声を高めます。紀元前60年、元老院に対抗するためポンペイウス、 クラッススと秘密同盟を結んだカエサルは、第1回三頭政治を始めてガリア地方の支配権を獲得しました。 紀元前58年から51年にかけてガリア遠征を行い、西ヨーロッパをローマの属州に変え、そこに自らの権力地盤を確立します。紀元前53年にクラッススが戦死すると、カエサルとポンペイウスの仲が悪くなり、ポンペイウスは元老院に対してカエサルの軍団を解散させるよう主張しました。 カエサルの率いる軍団は法を破ってルビコン川を渡るとローマを占領します。ポンペイウスは自分の軍隊と元老院議員の大半を連れてギリシャに渡っていきますが、紀元前48年「ファルサロスの戦い」で敗北すると今度はエジプトへ逃げていきました。あとを追ってカエサルもエジプトに向かいますが、ポンペイウスはエジプト王プトレマイオス13世によってすでに暗殺されています。カエサルは、プトレマイオスの姉であり共同統治者であるクレオパトラと恋仲になり、プトレマイオスをローマ軍との戦いで死に追いやるとクレオパトラをエジプトの王位につけました。 ローマに戻ったカエサルは、元老院の権威を圧倒してローマの単独支配者となり、ローマの行政機構を強力で合理的なものに改め、大規模な植民やイタリアを縦断する国道の建設を計画します。大図書館の建設、 太陽暦の採用など多くの優れた仕事を成し遂げたカエサルですが、彼の権力が絶対的なものになってくるにつれて、カエサルがローマの王になるのではないかと恐れるローマ市民が多くなってきました。紀元前44年3月15日、ローマの王政に絶対反対である共和派の人々によってカエサルは暗殺されます。