バディスワフ2世の一生・生涯・人生
世界史で活躍したバディスワフ2世の一生・生涯・人生
バディスワフ2世(1351年~1434年)
1377年にリトアニア大公となったバディスワフ2世は、ドイツ騎士修道会に対抗するためにポーランド王女ヤドヴィガと結婚してポーランド国王に即位します(1386年)。その際にカトリックへ改宗したため、異教の地であったリトアニアのキリスト教化を進めることになりました。ドイツ騎士修道会はリトアニアの改宗は偽装であるとしてこれを認めませんでしたが、バディスワフは神聖な森を切り崩し、寺院を破壊することで異教を捨て去ったことをアピールします。リトアニア国民からもキリスト教に対する反発は起こらず、短期間のうちに多数の民衆が集団で洗礼を受けました。1409年、ドイツ騎士修道会は、ボヘミヤ、ハンガリーと同盟を結び、全ヨーロッパに対して異教国家リトアニアに対する「十字軍」に参加するように呼びかけるとポーランド国王に宣戦布告します。これを受けたポーランド・リトアニア連合軍は、ドイツ騎士修道会の本拠地マリエンブルクを攻撃して占領するという極めて積極的な計画をたてました。ポーランド・リトアニア連合軍は1410年7月9日にプロイセン領に侵入、13日にはドイツ騎士修道会軍の要塞ドブロブノを陥落させます。これを聞いたドイツ騎士修道会の総長フォン・ユンギンゲンは、マリエンブルクを守るためにグルンバルト村とタンネンベルク村の近郊に軍を進めました。この地で戦われた「タンネンベルク(グルンバルト)の戦い」でポーランド・リトアニア連合軍はドイツ騎士修道会軍を壊滅させますが、マリエンブルクの攻略には2ヶ月をかけたにもかかわらず失敗してしまいます。ポーランド・リトアニア連合軍が撤退したため、ドイツ騎士修道会は領土こそ失いませんでしたが、 戦争の被害と捕虜になった騎士たちの身代金の支払いで金銭的には致命的な大打撃を受けてしまったのでした。